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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 死にたい」
検索結果: 3508件
2025/06/19

ペットのことを守れなかった。

中学生のときに飼っていたペットを安楽死させてしまいました。 病気というわけでもなく、よく脱走しており他の動物にも噛みついて危害をくわえるからという理由です そうさせてしまったきっかけとしては何度目かの脱走のときに私が近所のおばさんから「もう保健所に渡すことになるかもしれない」と言われたからです その時はなんとか捕まりましたが、その夜に親が「ペットのことどうしたい?」と聞いてきたため私はおばさんから言われたことをそのまま話しました なんとなく親もペットに手を焼いているということは思っていましたが私がそういうことを口に出すとは思っていなかったようで驚いた顔をしていました 私は保健所に行った動物がどうなるのか当時知っていたため「でもそれはかわいそうだと思うから安楽死っていう方法も聞いたことがある」と言いました それからは私の知らぬ間にペットは他の人の家に預けられ、病院で処置される日を待っているようになりました 処置される日は学校がある日で、当日母から今日病院に連れていくと知らされました 私は「そうなんだ」とだけ答えました 止めるなら今しかないということはわかっていましたが、他者に危害を加えてしまうことにハラハラする毎日に嫌気がさしていました 選択が正しかったとは当時も今も思っていません ただ自分には何もできないから言っても仕方ないと諦めていました 病院で処置が済んだ後は母が火葬場につれていき合同墓地に埋葬してきたそうです その後は実家ではペットの話はタブーになりました 飼っていたペットと同じ犬種がテレビに映ったら誰も何も言わなくなります 私は実家を出るまでこの件に蓋をするように過ごしてきましたが、出て同棲するようになってから一気に記憶が押し寄せてきました そして今まで墓参りにもまともに行ってやれませんでしたが、最近は墓地に赴き、自宅にも簡易的ではありますが仏壇を置いて毎日水を汲み、お鈴を鳴らしています ですがこんなことはただの自己満足であるという自責の念が消えません まだ思い出しては涙が出てきます 楽しかった思い出、嬉しかった出来事を今になって思い出して後悔するばかりの毎日です 過去に戻れるとしたらペットを飼いたいと言っていた自分のことをひっぱたいてやりたい。 そうしたらあの子はこんな目に合わずに、どこかで幸せに暮らせていたかもしれないのに。 怒りや悲しみでいっぱいです

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祖母が亡くなり悲しくてたまりません。

はじめまして。 ゆみと申します。 先日祖母が亡くなりました。悲しくてたまりません。 どうか話を聞いていただけないでしょうか。 8年前大学進学のため実家を出るまでは同居していました。 祖母は心の機微を察するのが苦手な母に代わり愛情を注いでくれました。 5年前に倒れてから認知症が進み、暴言を吐かれるようになりました。私の相談にのってくれた祖母はもう居ないのだと悲しくなりました。 就職後に帰省したときは私のことを覚えていませんでしたやはり悲しくなりました。 でも今ほどではありません。本当はただ生きていてくれるだけで良かった。 祖母は葬式でも私にたくさんのことを教えてくれました。 人生は短いこと、 感謝と愛は伝えられるうちに伝えたほうがいいこと、 もっと人と心でかかわったほうがいいこと、 私はやりたいことがないと言いつつ、 優しい人になりたいと思っていたこと、 私の体はまだ元気に動くこと。 「その人がどんな人だったは棺桶の蓋を閉めた後に分かる」と聞きました。 優しい人だったと証明するためにも私がしっかりしなくては、と思いました。 そんなことをしても祖母にはなんのリターンもありませんね。生きている間に伝えるべきだった。 こんなに悲しいのにどうして人は死んでしまうのでしょうか。世界では毎日15万人も亡くなるそうです。残された人はどうやって悲しみをのりこえているのでしょうか。 どんなにつらくても祖母がいなくなる前と同じようにご飯を作って食べて寝て仕事をしないといけません。みんなどうしているのでしょうか。 寂しい、悲しい、祖母にもう一度会いたいです。

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復職を決意しました。

 以前の質問回答も見ていただければ幸いです。  あるテレビ番組(40歳からJリーガーになった人の話)を見て、奮起されるものがあり、復職を決意しました。  とりあえず、頭を丸めて、毎日浄土宗日常勤行式で阿弥陀経をあげています。経本しか買い求めていないので、本尊も鳴り物も三具足もありませんが。鳴り物が欲しいと父に言ったら(アパートなので)「隣の人に迷惑だろう。」とくれませんでした。  あと、休日は三十三観音巡りをしています。隣のおばあちゃんと。隣のおばあちゃんは車を持っているので。  実家で復職の話をしたところ、「檀家に任せているので仕事はない。」「戻るなら、完全に仕事ができるようにならないとダメね。」とのことでした。中途半端に戻すと檀家に「いだんだどれ。(いるじゃないか。)」と言われ潰されるというのです。あまりに檀家の目を気にしすぎで、体面ばかり気にしているのだと思いますが、そこは目をつぶって、就職活動に頑張ります。  ちゃんと就職さえすれば、もし寺からの給料が途絶えても生きていくことはできますし、僧職ではなくてもお坊さんは続けていくことができます。  今週4でパチンコ店の清掃をしています。これから仕事ですが、朝7時から8時半の仕事です。パチンコ台240台とかパチスロ台192台を時間内に拭かなくてはならないので、短時間とはいえ、結構きつい仕事です。しかし、週4働いて月2万弱にしかなりません。  秋になれば、以前していた旅館の朝食の後片付けのバイトが入ってきます。コロナでしばらくお休みでしたが、秋から雇うと若旦那は約束してくれたので。週2ですが、月1万弱にしかなりません。  ただその場合パチンコ店のバイトは週3に減らして、旅館のバイトは週2で働くのが良いように感じています。 双方ともに一般雇用ですが、障害者と分かって雇用してくれていて、特に旅館のバイトは、2か月も休職させてくれました。(その後4月に旅館がコロナで休業してしまい6月に再開するもののそのままになってますが。)  そして、いずれは障害者雇用でフルタイムの仕事を見つけてバイトはやめ、それ一本にし、ある段階で復職かなと思っています。 ある段階とは父の死かなと思っています。父が生きているうちは寺に戻ることはできないと思っています。 何かアドバイスがありましたら、くだされば幸いです。

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祖母が亡くなって悔やんでいます。

両親が離婚してから、母親代わりに自分を育ててくれた祖母が先週亡くなりました。 祖母はしばらく地元で独居でしたが、2年前からはいつでも会えるように父と自分がいる町の老人ホームに連れてきました。少しでもさみしくないように、地元の人と連絡できるように電話を買ったり、実家の写真を壁に貼ったりしました。その年に脳出血になり寝たきりになってしまいました。 だんだんと怒りっぽくなり、注文が多くなって、数日おきに会いにいきましたが仕事が忙しいことを理由に面会時間ぎりぎりに会いに行って、いつも少し話して帰るだけでした。95歳の誕生日に父と一緒にお祝いしようと話していましたが、葬式をするかしないかで喧嘩してしまい、結局自分だけ会いにいきました。いつも通り短時間の面会をして、おめでとうと言うと「ありがとう」と絞り出すように言われました。弱っていることは感じていましたが、受け入れられないまま、まだ大丈夫、と自分に言い聞かせていました。翌日は会いに行かず、翌々日は仕事で行きませんでした。その次の日に会いにいくと意識がなく、息をしているだけの状態で、おばあちゃん、とだけ声をかけて、また明日会いに来よう、そこで悪くなっていたら付き添おうと思い、彼氏と出かける予定があったので帰りました。その翌日に、父から亡くなったと連絡がきました。 結局、火葬だけして遺骨を実家に連れて帰ることにしたのですが、父が1番安いプランにしていたので、花や枕飾りなどないまま父の家に棺だけで置かれていました。自分も一般的な見送り方が分からなかったので小さな写真たてで遺影を準備して、(祖母は神道なので)御神酒や米などで簡単な枕飾りを作り、花や榊を棺に入れました。火葬の日、火葬場の大きな写真立てにかけられた小さな遺影や空っぽの花瓶をみて、ちゃんと準備をしていなかったことを後悔しました。いろいろ考えていたら最後のお別れの時も顔を見るだけで何も言えませんでした。 もっとたくさんわがままを聞いて、話をして、喧嘩せずに最後の誕生日を父と3人でお祝いしていたら…意識がなくなってからずっと付き添っていたら…火葬の準備をしていたら…後悔ばかりです。 亡くなるのが怖くて会いにいくたび撮っていたビデオを見ながら涙が止まりません。 おばあちゃんは幸せだったでしょうか。また会いたいです。どうしたら思い出す度に悲しくならずにいられますか。

有り難し有り難し 6
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2024/11/18

自傷行為に走りたくなる

こんばんは。毎度お世話になっております。また相談させていただきます。 ネットでは「相談に乗ってくださる方も時間が空いたときに回答してくれるので大丈夫」という意識があり、こうしてご相談することができていますが、現実の生活の中だと「相手も忙しいだろうに相談されても困るだろうな」「相手の時間を奪って迷惑をかけてしまう」との思いがあり、なかなか相談やお願い事ができず、自分の中で悩みを蓄積させてしまうタイプです。 故にストレスが溜まっても相談して発散することがあまりできずに、自分を心身ともに傷つけることでストレスを発散させたくなってしまいます。 またストレスと言っても自分の努力ではどうにもできないタイプの悩みに対するものなので、解消することもできません。 根底には僕が自分自身がとても嫌いだというのがあるかと思いますが、精神疾患だった母の元で育った環境が原因か、遺伝か、はたまた気質かは分かりませんが、自分も気分障害だと精神科の担当医より言われました。 服薬してはいるものの、自分の心根のせいか、後ろ向きな思考が拭えません。 幸い、「自傷行為をして精神科に入院になるのは嫌だ」という一心で食い止められてはいますが、どうすれば軽くて自傷したいという欲求・重くて希死念慮を無くすもしくは軽減させることができるのでしょう?

有り難し有り難し 19
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西国観音巡礼について

ある日93歳の祖母が西国巡礼をお参りして、家族子供達においずるを何枚も用意したけれど子供達の方が先に亡くなって気がつけば自分のおいずるが手元に無くなってしまった。掛け軸もあと5カ寺ほど残っているけれど自分の足ではお参りに行けないと言っていたので、孫の私が代わりにお参りしてくると約束しました。 祖母の代わりに7月から一番札所にお参りし、月に1回西国巡礼に行っています。 以前、母に掛け軸は生きている間に全部完成させてはいけないと言われました。 亡くなってから観音様と残しておいた最後のお寺にお参りするから、次の世代の子が残しておいたお寺にお参りして掛け軸を完成させるのだと言われました。 祖母は早くに旦那さん(祖父)も亡くし、激動の時代を独りで頑張ってきました 老後元気とは言いませんが、孫やひ孫に囲まれての老後を楽しんで欲しいと思います。 93歳の高齢なので、自分の年齢と死を理解して、死んだ時の用意をしているようです。 掛け軸は完成させてもよいのか、母が言うように一カ寺残しておく方がよいのか、どちらがよいのでしょうか?? 私は完成させて、表装した掛け軸を祖母に見てもらいたい思いもあります。

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心の中が複雑です

いつも、ありがとうございます。 夜中に目が覚めて眠れなくなりました。 親友のお母さんは、すごく前向きで自立した人で私の母とは正反対でした。 そのお母さんが去年、色々と病気になり手術も何回かして友達は急に介護で大変になりました。 大変さが分かるので、お互いに励まし合ってきました。そのお母さんが突然ですが亡くなりました。私は凄くショックでした。 だけど、友達も言いましたが先々のお母さんの一人暮らしでの大変さを思うと亡くなった父が迎えにきてくれたのかな…と。 友達は介護から解放されました。 そう思うと、私は…足が乏しくなった母、精神疾患の弟…いつまでこんな生活が続くんだろうと弱音を吐きたくなります。 自分の事だけでも精一杯なのに、頭の中でいつも母の事弟の事の生活の段取りを考えなくてはいけなくてきついです。 友達のお母さんが急に亡くなった事もショック過ぎて自分の死についても考えてしまいます。 老後は、色々出来なかったことを楽しみたいと思う気持ちと実家の介護の事とか入り混じって複雑です。 同じような事を何回も相談してすみません。 いくら、悩んでもどうしようもないのは分かっていますが、いつも頭の中はこんな事ばかり考えてます。 そして、いけない事かと思いますが…いつまで母は私に依存するのだろうとか弟の事はどっちかが死ぬまで面倒みなくてはいけないのかなとか考えてしまいます。 兄弟の面倒までもみる人もそんなにいないのに、まさか私の人生はそういう人生なのかと悲しくもなります。 愚痴をきいてくださり、ありがとうございます。

有り難し有り難し 4
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2023/09/08

私も大切な人も儚い存在

先ごろ、東日本大震災で甚大な被害に見舞われたラグビーの町、釜石がわずか8年後のラグビーワールドカップ招致を成功させ多くの人が町を、共に暮らす人々、未来の世代を思い、活動してこられたドキュメンタリーを観て、涙が止まりませんでした。 しばしば人と人の思いのバトンをつなぐ様子に、私は涙しております。 しかし、私の祖父母からは関東大震災や空襲の話を聞き、やはり関東、南海トラフ地震など恐ろしく、こんな大災害でなくとも私たちは思いがけず大切な人を失い、また自らも例外ではなくいつだって命を失う可能性を生きています。 怖くもあり、そもそも自分の死以上に大切な人もいつか死ぬ、それもことによると無念で苦痛に満ちたものとなるかもしれないと思うと胸が張り裂けそうです。 時に、浄土に召され仏となったとしたらどのように我々の営み、人の思いをつなぐバトン、慈悲というにはあまりに未熟な、それも煩悩に満ちた愛は、映って見えるのでしょう。 広大無辺の宇宙の幾星霜の過去、未来を思うとこの今の生活や愛などが、あれほど涙を流していた美しい営みさえもが虚しいというとちょっと違うのですが寂しい気持ちになります。

有り難し有り難し 5
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私が2才の時に病気で他界した祖父

はじめまして。できるだけわかりやすく書くようにいたしますが、途中文章がおかしな所があるかもしれませんがお許しください。 私の父方の祖父は、私が2才の時にがんで亡くなりました。姉達は憶えているそうですが、私は幼かった事もあり祖父の記憶が全くありません。祖母の部屋に飾ってある写真を見て、『あのおじさん誰?』と言ってしまった事があります。 それから私は大人になり、実家を出たので一年に一回は祖父のお墓詣りには行っておりました。昨年子供も生まれ、お互いの祖母や親戚に我が子が可愛がられている様子を見て、これまで祖父の死を意識した事がなかったのに急に祖父に会いたくなりました。一番はやはり、祖父にひ孫を抱っこしてほしいという思いからかもしれません。 それからというものの、今まで知ろうとしなかった祖父の事を父に聞いたり、写真をもらって持ち帰り家に飾っています。その写真を見るたびに寂しくなり、会っていっぱい話したい、聞きたい事がたくさんある、どうして早くに死んでしまったの?という様々な感情を抱きながら日々をすごすようになりました。 祖父からすれば、あのおじさん誰?と言われたし、20年以上時が経ち今更写真をもらって飾ったりして、ひ孫をきっかけに思い出して悲しんでいるなんてとても都合がいいなとあの世で怒っているのでしょうか? そして、日々祖父に会いたいという気持ちが大きくなるばかりです。 この気持ちはどう整理すればよいでしょうか。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 4
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