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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる どうしたらいい」
検索結果: 13644件

弱さ

本当に何度も申し訳ありません。 苦しんでおります。 いざとなると怖くて、不安で、動けなくなるのです。 なんとか見つけた求人でした。挑戦しようとすると、不安で怖くて踏み出せず、今日は応募出来ませんでした。 面接や、もし採用された後にうまく業務をこなせるかがとにかく不安で踏み切れませんでした。呼吸が止まるかと思うほど強い不安や恐怖でした。 うまくやらなければという強迫観念が強いんだと思います。 何社も面接に行かせて頂き、いまだに採用されないまま、今日まで来ました。 今までは前向きとまでは言えませんが、それなりやってやろうと意気込み、面接も緊張のみで不安や恐怖より、目の前のことを見据えて強く行動できていました。 以前にパワハラで退職したことがあり、その時はパニック障害の手前までになりました。 薬や病院に頼らず、自力で考え方を変える努力をしたり、泣きながらでも頑張って、やっと一年近くパートを続けることが出来ました。 強く変われたところもあるし、前の自分に戻れた気がしました。 正社員を目指し、そのパートでの仕事退職してから無職になり、三ヶ月近く経ちます。 その職種の経験がないため正社員は難しく、まずパートで経験を積むことにしました。 そして、今日ハローワークに行ったのですが、また上記の頃のような不安や恐怖がよみがえってきてしまいました。 どうして私はこんなに弱いんでしょう。 失敗はするものだとわかっているはずなのに、どうしてこんなに恐怖するのでしょう。 どうして、なんでもやってやろうと強くなれないのでしょう。 なんでも経験だと、いろいろ挑戦したり、楽観的に考えて、生きたいのに。 どうしてこんなに踏み切れないのか、ダメなら辞めるくらいの気持ちでいけないのか。 自分が情けなくて、涙が止まりません。 なにが待っているかわからないから、自分でどうにか出来るかわからないから、不安なのもあると思います。 かといって働かないわけにはいかないので、どう向き合えばいいでしょうか。

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「死にたい」という娘について

タイトル通りです。 20歳の娘の希死念慮(死にたいという気持ち)や自己破壊的な行動に悩まされています。娘は幼少期からあまり人前で話すことがなくまた早生まれもあってか何事も少し遅れていました。初めての子ということもあり周りと違う娘に対し常に「このままでは駄目だ」「もっと話せるようにしないと」などと厳しく育ててしまいました。そして私は知らずしらずのうちに娘を否定するような言葉を投げ掛けていました(これは後に娘から言われ分かりました。私は所謂「毒親」なんだと思います。)そんな中でも成績はいつもビリから数えた方が早かったですが真面目ではあったしなんとか高3まではとくに問題もなくやってきたのですがクラスメイトとのいざこざをきっかけに娘の言動が少しずつ違和感のあるものになっていきました。クラスで孤立し突然教室で泣き出したり廊下で暴れてみたり、、スクールカウンセラーにお世話になっていた時期もありました。発達障害の検査もしましたが結果はグレーゾーンとも言い切れないという感じでとくに治療などはせずにそのまま卒業、進学先は県外で専門学校。ところがその専門学校でも半年経たずに女同士のいざこざからまた孤立し学校も休みがちになりました。見た目もかなり変わり一人暮らしの部屋は片付けることもなく荒れ放題、、夜中に電話をしてきて「もう駄目だわ、何もうまくいかない」と言ってきたこともありました。そしていつの間にか娘はキャバクラで働くようになりました。男の方が一緒にいて楽だという娘は男性とばかり一緒にいるようなりました。でもすぐに飽きられて捨てられる、、何もかも信じられない人間不信になったと言いもう自分なんてどうでもいいんだ、と親に隠れて風俗で働くようになりどんどん生活は荒みました。今年の夏にアパートを引払い家に戻らせましたが数日前に部屋で死のうとしました。夫と私と娘と救急で精神科に行きました。ひとまず落ち着いた様子ですが次の受診日に果たして受診してくれるのかそれまで生きていてくれるのか不安や心配や不甲斐なさや複雑な気持ちで押し潰されそうになってます。医師には診断をつけられはしませんでしたが「複雑性PTSD」の話はされました。今後、私は子供の為に何が出来るのか、子供は回復するのか不安で堪らない半面自分のメンタルが崩壊しないかとも正直思っています。自分の育て方が悪かったことは子供に謝りました。

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父との関わりかたについて

五年前の震災の津波で自宅が流され、現在仮設住宅に住んでいます。 父は私が生まれる前から遠洋漁業の船に乗り1年で家にいるのは1ヶ月だけ。お酒を飲んでは母や家族に理由もなく声を荒げるので、怖くて嫌で悲しくて物心ついた時には「大きくなったらこの人からみんなを守らなきゃ」という気持ちが生まれ、私が大人になっても父は変わらず、1ヶ月だけ耐えればいいんだと私も諦めていました。 しかし去年体調不良のため父が休職することになりました。症状としては転倒しやすく、翌週検査入院も決まっていたのですが、その日もお酒を飲み母を罵倒しており、さすがに理不尽な内容だっため、仲裁に入りました。すると逆上され、深夜に町にお酒を飲みに出て行き、そのまま転倒し肩の複雑骨折で入院。当時祖母も入院中で母と私は交互に24時間付き添いをしていて、本当に大変な状態なのは分かってるのに、こうなることが分かってなぜするのか?いい加減にお酒の管理をしてほしいことを泣きながら伝えるもニヤニヤと笑い「やめません」と即答。婿だからか「祖母の施設は決まらないのか?」や「祖母が死んだら密葬にする」などという始末。 震災の時父はいません。でも休職する事で少し頼りしてた自分がいたのですが、泣く母の姿、体が不自由でも頑張ってる祖母、必死に生きてきた私の家族を否定するのは本当に許せず、これが父なんだと完全に諦めがついてしまったのです。その後も何度か話し合いをするも父の態度は変わらず、疲れた私は同じ家にいますが顔も口もあわせません。 案の定父が主導権を持っていた住宅再建は予定さえない白紙だったため、「私がやる」と腹をくくり去年急遽集団移転に混ぜてもらい、建設業者、ローンも自分名義です。 もうすぐ新しい家が完成します。 土地は賃貸の契約をしていたのですが、父が私に相談なしに購入したようです。母の話だと私に財産として残すものがないからとのことですが… 土地の購入費ではなく、ローンの繰り上げ返済にしてほしかったし、なぜお金が関わるのに相談すらしてもらえないのか… ローンの分の資金は私の通帳に入っているのですが、国の補助金や前の土地のお金は両親が持っているのですが具体的な通帳は未だ見せてもらえません。 何に使われるか怖いです 。 私はいったいなんなんでしょう? どうやったら分かってもらえるのでしょうか?

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不妊 辛い

5年不妊治療をしています…痛いし、精神的に辛いものがあり。 治療を休憩したりしながら自分に無理がないようにしています。 旦那さん側の親戚達は、「赤ちゃんはまだ?のんびりしているのね」など言われ… 聞き流したいのですが、できず。深く傷ついてしまいます。 旦那さんは長男なこともあり。親戚達は、赤ちゃんを授かれないことをかわいそうだと私に会う度に言ってきます。 私が悪いみたいです。 不妊の原因は、私と旦那両方にあります。不妊治療は辛く、痛いですがそれでも夫婦2人で前向きに頑張ってきました。 しかし、親戚からは会う度に約5年間…言われつづけ。相手が私ではなかったら旦那さんは子供がいる幸せな家庭ができるのではないかと思うようになり。「離婚」を考えはじめました。 旦那さんに話したところ。私と一緒にいたいし守りたい。赤ちゃんがほしくて結婚したのでは無いと言ってくれました。 嬉しいかったですが、もしも今後授かれなかったら旦那さんを苦しめるのではないか… 私は旦那さんと同じ名字を名乗ってはいけないのではないかと。 どうしたらいいのか分かりません。 ただ私が親戚から言われる言葉を聞き流したり耐えらいいのでしょうか?

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殺したいと言われ続けた人生

幼い頃から「おまえを産まなければよかった」「死んでくれ」と言われながら何とか生き延びました。食事を与えてくれる環境が他にあり、生命は繋ぐことができました。10代半ばで、餌を出すように食事だけ与えてくれる場所を出てから、生きる為に身体を差し出しながら暮らしました。それで得たお金で海外に行き、学びたいことを学び、数多くの友人も恋人もできました。好きなことを仕事にしました。 数年前にとあることがあってから、再び人から直接的に先に述べたようなことを言われるようになりました。 揉めたわけでも、なにかあったわけでもありません。親しくなったかな?ぐらいの関係で、突然に死にたいと打ち明けられ、その話を聞いていたら、殺したいとまで言われてしまいました。 散々聞いたあげく、殺したいか。笑えるねと微笑むことしかできませんでした。 それからというもの、私は人を人として見ることができなくなりました。仕事で何か利益をもたらしてくれたらありがとう、友人と会って話して楽しかったらありがとう、その程度の感謝はあるのですが、もう人を人として見ることができません。 私が人を人間扱いしていないのだから、非人道的な扱いをされるのも当然かもしれません。 しかしながら、人間とはなんですか。それを知るために今日まで生きて(または生かされて)きたのですが、そろそろ限界です。 この話を打ち明けたところ、わりと多くの知人が去りました。生い立ちが重すぎるとのことです。やっぱり話さなければよかったな、の繰り返しです。 私を殺したいと言った人には、生い立ちの話は一切していません。 人を人として見れないというのは、人の喜怒哀楽に共感できないと言ったほうが近いかもしれません。だからこそ話を聞くことができました。 何が間違いなのかも分かりませんし、そろそろ生き延びようという気力も尽きそうです。生き延びようと無理をし続けた人生でした。

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