半年ほど前から母の様子がおかしくなり、今年の7月に母が認知症の診断を受けました。 母が動けなくなったため私が母の行っていた家事を一手に担うことになりました。 そのせいで、大学での課題に全く手がつけられず先生がたにも迷惑をかけてしまい、申し訳なく憂鬱な気持ちで大学に通っています。 学校には家庭の事情を話しているのですが、母の介護をしながら学校の課題を行うのが難しいということを理解してもらえず、課題ができないと伝えると高圧的な態度を取られることもあり、疲れてしまいました。 大学院を辞めたいということを父にも言い出せず、学校と家事との板ばさみがとても辛いです。 父も私が今どんな状態になっているのか考えることなく、家事について文句を言ってきます。 父は私が一人で出来る範囲を超えたものを要求してくるため、対応できすに怒られるということを何度も繰り返しています。 この状況から抜け出すためにはもう死んでしまった方がいいのではないかと思いました。 正直、今とても疲れてしまっていて何もする気が起きず、生きている意味が分かりません。
僕は不登校児です。一年たっていません。 小学校の時と比べると、大変だな疲れるなと感じたり、新しい人にも慣れるのも難しくて休み始めてしまいました。最初の頃はなにもしなくていいし楽だなと思っていましたが、これでいいのかという気持ちもあり、特になにも起こらない毎日に嫌気がさしてきて学校に行くために頑張ろうと思い、学校に行くために行動し始めました。 親は少しずつでいいと言ってくれて、学校に行くためにやりたいことを手伝ってくれました。(学校周辺のドライブ、先生とのやりとり等)僕も僕なりに、休日一人で外に自転車乗りにいったり、友達と会ったり頑張りました。そして小さなことでも頑張り疲れたら休んでみたりしつつも、本当に学校へ行けるのかいけなかったらどうしようなどとの不安とも戦いながら自分を高めていきました。 そして、そろそろチャレンジしようと思い始めてどうやって学校に行こうかと作戦を練りました。朝生徒より早く行き、待ちかまえているというものです。一人では難しいと思ったので友達の力も借りることにしました。友達はいいよと言ってくれてより気合いが入りました。 そして当日。学校に行く準備もおえ時間道理に行動しました、後は学校に行くだけでした。しかしあと一歩のところで勇気が出ず、結局その日は行けませんでした。その日は一日中落ち込みましたがまだチャンスはあると思い、あきらめないことに決めました。しかしそれも何回か繰り返してしまいました。少しのところで勇気を出せないし、母の適当な対応の仕方にも腹が立つようになり度々喧嘩にもなりました。毎日苦しむ日々はとてもつらいです。 僕はもう無理なのかと思いながらも、がんばりたい自分がいるので絶対学校には行きたいです。勉強も頑張ってテストも受けたいし部活もがんばりたいです! でも勇気がでない。今のままでは無理な気さえもします、なにか勇気を出す方法はないのでしょうか。アドバイスお待ちしております。
学校に行きたくない理由は以下の通りです。 ①学校の授業(共通テスト間近なのでほぼ自習)より家の方が集中できる ②クラスメイトと話を合わせるのが苦痛 ③学校がうるさくて心身共に疲れる ①に関して、私は昔からなぜ教科書に書いていて既に理解しているものをまた授業で聞かなければならないのかがわかりませんでした。授業は常に退屈でずっと教科書の先を読んでいました。それに、最近は授業もほとんどなく自習なのに時間割というものに縛られた環境で勉強するのはとても辛いです。好きな時好きな学問を好きなだけしたいという自己中な気持ちが悪いのでしょうか。 ②に関しては、彼女らの話は芸能人や他クラスのゴシップ、恋バナ、悪口、お金、地位、ファッションなどで、どうも興味がもてません。目先の欲求を満たすことや他人の感情といった移り変わってゆく物に執着することで、なぜ充実感を得ることができているのか理解に苦しみます。私は「幸せとは何か」とか「出産はなぜ大抵の場合無条件に喜ばしい事とされるのか」という事について話すのが好きなので話が合わないのは当然だと分かっているのですが、みんなのことが好きなので余計フラストレーションを感じてしまいます。 ③に関して、これは放課後に教室前の廊下を部活動をしている人たちが体力作りという名目で走り、その間彼らが叫んだり雄叫びをあげたりなど奇声を発することで起こる弊害です。これは本人たちに注意しても先生に言っても直らないのでどうしようもないです。 これらのことは冬休み前からあり「そういうものだ」と割りきって生活していたのですが、長期休暇というぬるま湯に浸かった後で余計疲れやストレスを感じてしまいます。 しかし、こういった理由をしっかり両親や祖父母に伝えたのですが休むことを許してくれません。やはり、家族が言うように私の頑張りが足りないのでしょうか。
今年の受験が全滅して浪人一年目となったものです。 高校は地区で1番の所に行っていたのですが成績は下の方でした。英語が苦手でこのままでは行けないと思って英語に力を入れている塾に行きました。『今からなら頑張ったら某大学に行けるぐらいになるだろう』と言われて自分で調べたりするとすごく某大学に行きたくなり人一倍頑張りました。でもなかなか上がらなかったので高3の時の模試ではE判定ばかりでした。でも諦めずに頑張っていると塾でセンター全教科をした時には冬休み時点で8割前後取れるようになりました。でもどうしても苦手な英語にとても不安を感じていました。そのせいで、センター試験で1年前ぐらいの受験勉強していない時期の点数をたたき出してしまいました。なので関西私立の某大学を急遽第1志望にしました。でもこのセンターの失敗を引きずって塾の先生や親に落ち着けば受かるだろう(過去問では8割強出来ていた)と言われていましたが全滅しました。 親(特に父)には女の子だから浪人と一人暮らしはだめと言われていましたが全滅ということで浪人を何とか許してくれました。その話し合いでこの結果で私は国公立か私学を第1志望にするか自分に自信が無くなり迷っていました。どちらも一長一短あり、合格発表から日にちが浅くまだ吹っ切れていない部分があって今後についも全てを考え切れていない状況でした。父は私立至上主義なので(自分では自覚していないが明らかに私立を押している)私が国公立も諦めきれないと言うと『国公立のいい所を言え』と父は私に国公立を説得させるというスタンスで言ってきます。(しかし私が『父は私立が良くて国公立はだめ?』と聞くと国公立もOKと言います)しかもどんだけ言っても納得しませんし終いには『大学には行かなくていい』『大学に行く利点を言え』『大学に行きたい理由を言え』『浪人する分最終年収が減る』など言って来ます。ただ大学に行きたい、将来の役に立てたいだけなのに。親にはこの1年間余分にお金がかかるし迷惑もかけるから申し訳ない。だけど父は『自分の意見が分からないのは家族でない』とか親として言ってはいけないことを言って来ます。こういう所に私はカチンと来てしまいます。しかも父は今の大学受験についてほとんど知りません。 もうすぐ休み単身赴任している父が帰ってきます。この1週間父と会うのが辛いしストレス。解消法など教えて下さい。
突然ですが、私は生まれてこの方何か1つの物事に熱中したことがありません。 母曰く、幼少の頃から自分からやりたいことは何も言わず、何かをやらせてみても続かなかったそうです。 それは今も変わっておらず、夢などは当然持っておらず、やりたい事・興味のある事さえ1つも見つかりません。 学校も適当に決めた上(自業自得ですが、その時の浅はかな自分には今の学校が相応だと思います。)部活も周りにやる気がなくもうやっていけないと思い辞め、授業を受けてああ面白いなと思っても家で勉強や調べたりまでの興味はなく。 さらには趣味さえ1つもない。 アルバイトをやってみたものの何かが違う。(しかもバイト先でポルノ写真の様なものを目撃。) でもこのままではダメだ、私も変わりたい、などと思いいろいろ考えてみて行動し、転校を考えてもみましたが、そもそも私にはやりたい事がなかった。では何をどうやって頑張れば、やればいいのか。 何もこれだという物がないのならわざわざ転校する必要もない。 母や先生にアドバイスを求めるととにかく行動してみろ、何かやってれば見つかる、行動が足りない、考えすぎ、頭でっかちだと言われます。 しかし本当にやりたい事が1つもない私は何から行動すればいいのかわかりません。 ただ何にでも挑戦してみろ、ということなのでしょうか? 今、学校に行きたくはないのですがリスクを背負い退学することもできずただ惰性で、慣性の法則で学校に行っています。 学校に行って学ぶこともあることはありますがそうではなく、何かが、決定的な何かが足りないのです。違和感と言ってもいいようなものがあるのです。 私はどうするべきなのでしょうか? ここから脱出するには、何か好きなことを見つけるには、自分を変えるには… もうこんな自分や人生は嫌です。 でもだからといって諦めてこんなところで人生を終わらせたくありません。 私だって憧れての、キラキラした、夢を持っている人みたいになりたいんです。 自分を変えたいのです。 そのために、アドバイスをください。 お願いします。 最後に、この様な拙い文章に最後までお付き合いくださりありがとうございました。
自分は仕事でもプライベートいつも選ばれない人間だと感じていて、今までそれを周りのせいにしてきました。周りを恨んできました。でも最近「それは違う、それは自分のせいだ」と思うようになり、それもまた苦しく数年間悩み続けてきました。その結果、仏教を学びたいと思いある寺院を訪問しました。 そこの寺院は家からはかなり遠いのですが、住職の日々のブログの文章に感銘を受けて訪れました。仏教の制度についての勉強をあまりしておらず、未だよく分かっていない部分もありますが、一度目の訪問のときに在家得度をして修行をすることになりました。得度式までに2回訪問し、お経や念珠について教えていただき、衣の購入と着用の仕方などを教えていただきました。 しかし、実際に師僧にお会いしてみると文章の印象とはかなり違っていて戸惑いを感じました。他の修行僧の悪口ばかり言い、〇〇さんという人がいるけどあの人は声が小さいんだよね覇気もないしありゃダメだとか、××さんという人がいるけどあの人は覚えが悪いんだよねいつまで経っても覚えないとか、事あるごとにこぼします。 更に、他の修行僧や私の個人的なこと(懺悔でお話するような超個人的な内容)を「この人はこういうことで悩んで僧を目指してる」などと大声でみんなの前で言われたのにも驚きました。一緒に修行をするので、そういいったことは公にして共有するものなのでしょうか。 そしていつも尼僧たちにばかり声を掛け師僧の両脇に座らせ、頂きものの菓子を尼僧たちにだけ分け与えていて、これも驚きました。お坊さんだから清廉だとは思いませんが、イメージしていた姿と全く違い戸惑いを感じています。 自分のような考え方は偏っていて堅苦しいですか?会社でも部下のことを重箱の隅をつつくように悪い部分ばかり見て、一方で女性ばかり可愛がる上司もいますが、その上司がどんなに仕事ができても仕事のやり方は参考にしますが、尊敬はできません。 でも師僧には尊敬を求めたい。尊敬できる師の下で修業したい。こんな考え方は青臭いでしょうか。会社と同じように、修行も仕事も同じで、師僧から技術を教わればよしとするものでしょうか。もう得度式も終わってしまい、実際の修行に入っていますが、もやもやとした迷いが生じてしまい悩んでいます。
私は男性信用することができません。心の中で見下すことが多々あります。 私が男性に対し不快感を覚え始めたのは小学校1年生の時でした。担任の先生は背が高く、大声を出す先生でした。先生は生徒に対し体罰を行うことがあり、私もよく叩かれたり、怒鳴られたりしました。ですが、その怒られる理由が話される前に叩かれるので、私は理解もできずに恐怖心から不登校になる日々が続きました。 両親からの苦情に対し、「自分はこういう性分なんだ。病気に近いんだ。」と話したそうです。あまりの身勝手さにゾッとしました。今でも男性の怒鳴り声を聞くと身体が固まり、声が上手く出せません。 成長とともに、男性からデートに誘ってもらったり、付き合ったりしました。でも、どの人も心から頼ることはできませんでした。本気に好きになれば傷つき、本気にならなければこちらが冷静でいられると思いました。 傷つかないように、その場に合わせて愛想よくふるまい、話を聞くことで私自身が優しい女性なのだと、声をかけてくる男性には映るようです。「なんて単純なんだろう。つまらない人だ。」と心の中で何度も吐き捨てました。「本当の私を知りもしないくせに。」と、好きだと言われても”私”をという風には受け取ることができません。 私も本気で人を好きになりたい。心から頼れる人と出会いたいと思います。ですが、私がこのように心の中で黒いものを持ち続けては、異性を信用することはできない気がします。男家族にも男友達に対しては平気なのに、異性として男性が現れると攻撃的になるこの心を、どうやってコントロールすればよいのでしょうか? まだ若いからと、これからいい出会いがあると言ってくれる周りの友人の言葉が耳に入ってきません。私自身に問題があるのだと思います。こういう自分を変えたい。異性を信頼できるようになりたいです。 どうやったら異性に嫌悪感を抱かない、信用しない、見下す心を変えられるのでしょうか? よろしくお願いいたします。
初めて質問させて頂きます。 現在高校3年生の者です。 今年の夏の初めから不登校だったのですが、10月に学校に復帰しまして、何とか二学期を終えました。 しかし焦っています。クラスは受験一色で自分一人が遅れている状況です。仕方ないと割り切る他ありませんが...中々辛いです。誰かと話すのにも気後れする日々です。 不登校の間は学業を放棄していたので、勉強の方はまるで駄目ですが、大学へ進学したいので動かなくてはなりません。 とにかく動けば変わる。例えば問題集を片っ端から解いていく、予備校に入る、など今からでも出来ることはいくらでもあります。 今まで辛くてもがむしゃらに足掻いてきました。なんとか道を進めてこれました。 努力すれば力はついていくのに、 それを分かっているのに動けないのです。どうしても...動けないのです。 言葉だけで行動を伴っていない自分が嫌になります。頭では分かっているのに行動に移せない自分が本当に苦痛です。 そもそも何処に足を踏み出せばよいのか、 どう動けばいいのか、 ...正直に言うとそれもわからないです。 自分の何処を変えてゆけばよいのでしょうか... 拙い文章ですが、 どうかご回答よろしくお願いします。
私は漫画家を目指して、漫画を勉強できる大学に通っています。 けれど入学してしばらくして、他の人達とのレベルの差に気づきました。そして、自分には才能がなく向いてないなと思いました。 今は全く漫画家になりたい気持ちがありません。それどころか絵を描くことも憂うつになっています。 学費も高い中、将来の目標を見失い、自由に楽しく描いていた頃の気持ちもなくなり、今は課題だから仕方なく描いてるという感じです。 周りの子は漫画家になりたくてたくさん絵を描いて上達してます。でも私は漫画家を諦めてそこまで頑張る気にもなれず描いても他の子より劣っている、自分には才能がないと思い、描くのが辛くなります。 ただ楽しく描いていた頃の気持ちを取り戻したいです。
高校2年やった息子が、退学になりました。 今年の4月頃から、地元で有名な不良の現在中学生3年の子供達と仲良くなり それ以来高校の友達と遊ばずに中学生と遊ぶ様になりその頃から、まともに学校に行かなくなりました。 その結果4月からの半年で3回謹慎を受けました。 2回目の謹慎の時に中学生に 「学校に行かさんとあかんから、来るなら週末にして」と話して聞かせました。 でも、うちの息子が中学生を遊びに誘ってました。 自分で誘って謹慎なって、言う事は 「俺は悪くない!アイツらが俺の名前売ったんや」でした。 また謹慎なっての繰り返しでした。 全く反省していませんでした。 担任の先生も必死にかばってくれてました。 今回の処分も 「俺は悪くない!何も悪い事してない。ただ、側におっただけやん!」でした。 今までも「悪さしてる子の側におっても同罪と思われるから、気を付けろ!」と学校の方からもキツク言われてたハズやのに やはり、反省がない様に思います。 今、本人が1番辛いやろって思ってますが、 反省していない様子を見たら ついついイライラして怒ってしまいます。 こんな、息子とこれからどう向き合って行けば 良いのか迷っています。 どうか、アドバイスよろしくお願いします。
起立性調節障害と診断された高校2年生です。 今月中は学校を休んでいます。 私は小さい頃から勉強が好きでした。知らないことを知ったり、分からないことを理解したとき、嬉しく感じます。 そんな私には、難関大学を志望しています。今の自分にはレベルが高いですが、自分が心から本気で挑戦したいと思ったからです。 しかし、中学3年生の頃から、授業中の眠気が酷くなったり、夜眠れなくなってきました。高一の頃には、母の更年期と弟の反抗期が重なり、家では毎日喧嘩が起こっていました。それから症状が悪化し、今年、診断を受けました。 私はとても運がいい方です。両親は私が大学に行くことを許してくれます。塾にも行かせてくれます。相談できる友達も見つけました。尊敬し、大好きな先生もいます。私は恵まれていて、幸せです。 しかし、何故か苦しいのです。 「無理しないように」「休んでね」と言われても、「結果を出さなきゃ!」と焦り、無理をしてしまいます。そしてかえって体調を崩します。ずっとそれを繰り返してきました。 親が求めている訳でもないのに、高い目標を設定し、親に心配をかけています。でも、諦めたくないです。周りの優しくて、面白くて、努力家で、大切な友達、お世話になっている先生方にも心配をかけています。申し訳ないです。 私は恵まれていて、幸せなはずです。私より酷い状況にいる人もたくさんいると思います。 そんな中でさらに大きな目標を求めて、勝手に苦しんで、周りに迷惑をかけて、毎日消えたくなる私は、わがままです。 でも、大きな目標だけは私の中から消えません。その受験に失敗してもいいから、本気で挑みたいです。 私は周りの評価を気にしたり、他人と比べたりして、落ち込みやすい性格です。 しかし、一度立てた目標は諦めたくない性格でもあります。 変わりたいです。悲観的な性格を直して、自分と向き合いたいです。 自分の人生、選択に後悔したくないです。 アドバイスをください。 読んで頂き、ありがとう御座います。
私は、小さな頃から本を読むのが大好きで、日曜日の度に、両親に図書館に連れて行ってもらい、毎回、制限の7冊を借り、読書三昧の生活を送っていました。小学生になると、学校に図書室があるので、毎日、図書室に足を運びました。毎日、図書館の本を1冊、図書室の本を1冊と読んで行くと、借りたことのない本がどんどん減ってしまい、仕方なく、ちょっと高いとこにある分厚い本に手を伸ばすようになりました。担任の先生に「トラスさんの好きな本は何ですか?」と訊ねられた時「『古事記』と『日本書紀』です」と答えて、きょとんとされたことがあります。そういう生活をしていく中で、私に気になる冊子が見つかりました。そこには「点字」と「指文字」の表し方が。本や教育番組で「手話」はよく見かけるのに、何故「点字」は見かけないのだろう。そういえば、街で目にする点字表示板には何が書いてあるんだろう。それを読んでみたい一心で、点字を覚えることにしました。勿論、今も読めます。がしかしここ数年、ある報道番組で「盲ろう者」の特集が頻繁に取り上げられ、いかに「盲ろう者」が窮地に立たされているのかを知りました。教育現場においても「盲学校」と「ろう学校」はあるのに「盲ろう学校」はない。盲ろう者は「盲学校」か「ろう学校」のどちらか選ばないといけない。また盲ろう者の子ども達に勉強を教える専門の先生も数えるしかいないらしく「盲学校」に進んでも「ろう学校」に進んでも、まともな教育が受けられないという現実を目の当たりにし唖然としました。「盲ろう者」を対象とした法律も存在しません。そんな「盲ろう者」の方々に私は何か出来ないのか。そう考えた時、小学2年生の時に(独学で)学んだ「点字」が役に立つことを思い付きました。「盲ろう者」は「見えない・聞こえない・話せない」ので、コミュニケーション手段は「指点字」になります。調べたところによると、両手の人差し指・中指・薬指(6本の指)を使って、手を重ね、指をトントントンと「点字(6点)」を表記するようにコミュニケーションをとるのだそうです。これから私は「指点字」を学び「盲ろう者」の方々とお話しをして、知り得なかった「見えない・聞こえない・話せない世界」を教えていただきたいなと思っています。と同時に、私の世界も教えて差し上げたいなと思っています。お坊さま達は、どのようにして仏の道を伝授されているのでしょうか?
私は中学生の頃からおならがたくさん出たりお腹で変な音が鳴ったりする症状に悩まされています。 高校3年生の時に症状が悪化し、授業中の教室にいることができなくなってしまってそのまま卒業式まで教室に行けなくなりました。(約3ヶ月間) その時、おなかの調子も悪かったのですが、特に精神的に辛くなってしまってその後の進路を考えることができず、高校卒業後家に引きこもりました。 高校も出席日数が足りていたのか危ない状況で当時は中退しようか考えるほどでしたが、担任の先生や保健の先生に助けられながら、別室で試験を受けたりしてなんとか卒業することができた感じです。 その後、2年間学校に行くことも働きに行くこともせず、プー太郎として家にいました。 でも、私のプライドが許さなかったのでしょう。 自分の中では高卒で働くことは全く考えず、絶対に大学に行って大卒で就職してやるという野心がありました。私の通ってた高校は進学校で、周りの友達はとても優秀な大学へ行っていました。 高校卒業から2年目、受験勉強を細々と始め、この春ある大学へ入学することができました。 しかし、いざ教室に入って授業を聞いているとまたあの症状がやってきたのです。 座席は選べるので早めに行って1番後ろの席を取ることはできますが、シーンとした空気になるとお腹や腰からおならのような音やポコポコ、ギュルギュルという音が……授業の内容はまったく入ってこず、ずっとお腹に意識がいってしまい苦しくてしょうがないです。 まだ始まって1週間程度です。もう家でぼろぼろ涙が溢れてきます。既に何個か授業に出ることができませんでした。 学校の相談室にも行ってみました。 「大丈夫、他にもそういう症状の人がいて普通に卒業できたよ」と言われ、少しホッとしましたが、やっぱり教室に行くと調子が悪くなります。 高い授業料を払ってくれた両親や祖父母に申し訳ない気持ちでいっぱいです。ですが、あと4年も通える自信もありません。正直言うと、もう辞めてアルバイトなどでゆっくりと働きたいなと思っています。 ものすごくワガママで甘えた考えです。とても苦しいです。自分でもどうしたらいいのか分かりません。 これからの心の持ち方を教えていただけたら嬉しいです。
私は一人っ子で祖母の土地に父が家を建てて住んでいます。 家を出ることは一人っ子の責任があるので出れません。 いまたくさんの病気で働くことが出来ません。 お金もたまりませんし、私を頼ってくる祖母をほってでることも できません。 父もいろんな兄弟間で揉め事があって昨日の説教になったと 考えられます。 いろいろ辛いことが重なってそれに昨日は3時ごろしか寝れず ボルタレン4錠を一時間おきという痛みの辛さで 今日ペインにいってペインの先生がとても優しい先生で眠れなかったといって また痛い注射を手にもしてきました。 ばばがデーに飴をもっていったらいけないけど、みんなからもらうからというので コンビ二でサイダーの飴とライザップのバームクーヘンも2個かって ばばには飴をあげました。 ばばがしんどいと夕方寝ていたので一緒にベットに横になったら急に涙が出て 泣いてしまいました。 ばばが「涙をがまんしてたらダメだよないてすっきりしたらまた歩きだせるよ」 といって励ましてくれました。 ばばと手をつなぎばばの背中で泣きました。 そしたらばばが泣きたいときは泣いたらいいねん 人生長いから辛いことあるから泣いてまた歩きだせると 励ましてくれました。 97歳まで生きる人の言葉は深いですね。 私は素敵で優しい祖母ともうすぐ50年暮らして 喧嘩もしましたが何度も辛いときは励まして くれました。 夕食のときちょっと焼酎を飲んだ父がまた説教しはじめました。 祖母が飴をもっていくことが知れて 「もっていったらあかんのに、お前は人の心がわからんな」といってましたが 人の悲しみ苦しみわからなくて占い師になろうとして勉強してるか心の中で思いました。 それに祖母と話ししたり、世話したりしてるのは私だけやないかといいたくなりました。 父のおじいさんが守ってくれていて、声がきこえました。 「説教してる父から逃げろ」と言ってくれました。 それで急いで自分の部屋へ行きました。 父は悪い人間ではないのですが、50歳に近い私に 自分の考えを押し付けてきてきかないと腹が立つ 子供のような人です。 すみませんもう一度アドバイスください。
私が自殺願望を持ち始めたのは小学校低学年の頃からです。 今までぼんやりしてたものが、とある先生に「お前なんか幼稚園児以下だ。」 と言われてこの思いがはっきりしました。 当時は友達も頼れる人もおらず、1人で悩んで胸に包丁を突きつけて泣くことが何度かありました。 しばらくそれが続きましたが色々あって親にバレて結局死ねませんでした。 後で聞いた話では両親は本当に悩んでたそうです。知らなかったです。 そして不安を抱えながら生きて、ある時ある先生に「私は貴方を信じてる」って言われて初めて言われた言葉に泣きました。その言葉を糧に今まで生きてきました。 けれど中学に入って、2年の時。また、自殺願望が強くなりました。けど、凄く優しい私には勿体無いくらいの素敵な友達がいろいろ相談にのってくれたりして生きれました。 けど今はそんな人が傍にいません。 きっと一人で生きなきゃいけないんだろうけどそれが辛いです。 受験や勉強に対する不安と入り混じって苦しいです。 親に相談できればいいけど、自分の家は教会。そして父は教会長。 なかなか相談できないです。 それに私は親すら他人に見えます。 全然信頼できません。 クラスでも席の近くに仲のいい子はいなくて、班にも頼れる子はいなくて。 学校に行くのが辛いです。 でもそれを母にいくら言っても分かってもらえなくて...。 手首を切っていっそ死のうと思ったけど未練がましく生きて...。 何がしたいのか分かりません。 ただただ辛いです。 息もしたくない。 ただただ消えたいです。 学生が自殺したとかいうニュースを見ると何となく気持ちが分かるし、何となく羨ましいです。 遺書もどきも書きました。 こんな人がいていいのでしょうか。 ネットの精神鑑定とかをすると精神に異状があると出ますが、こんなの親には言えないし...。 きっと私は生きたいと心の底では思ってるんです。 けど自殺願望もあるんです。 こんな人にも救いがあるのなら...よろしくお願いします。
先日、hasunohaのお坊さんの法話をお聴きする機会に恵まれ、お寺の全国の集まりに参加することができました。 バスの中で、お咳の止まらなくなった方がいらしたので、会場に入る前のほんのわずかな陰で、兼ねてから勉強していた治療学(指圧)の実践をしました。咳の原因は、後ろ向きに体をよじって、緊張気味でうつむきがちなの多くの御年配の方々の顔を見ながら高い声を出し続けたために、酷使したお喉に邪気が…自然と絞り出すように咳が体のサインとしてあらわれたようにお見受けしました。 ですから、バスを降りた時、ゆっくりと後続の方々がお出でになるまでのほんの僅かなひとときに、咳に効くツボを快圧、と、さらにその場で、腹式呼吸をわかりやすくイメージできるように言葉にしてお伝えした結果、その後の本番では呼吸が乱れる様子なく、お咳も一切出ることなく、落ち着きを取り戻された模様でした。 このように「診断、即治療」をモットーとした、指と心が成す思いやりの予防医学、日本の伝統医療をお寺でも継いでいきたい、故に学校へ入りたいと、前から仏さまにお願いしてきたことが「あなたならできる、思ったことをすぐに行動に現してご覧なさい」と仏さまのお達しどおりに動いた結果、ひとつの望みが実現した一日でした。 余談ですが、午後の次第まで進み、お席を立たれた時に「お咳、治りましたね」と具合をお尋ねしたところ、「実は、〇〇性〇〇炎で…」その方の既往について、さらにお話を伺うことができました。「からだの炎症は、こころの炎症。心身一如」おそらくそちらも、治す方法がある、こうすれば良いのでは、と直感した訳ですがまだまだ修行中なので、学会の指導員の先生や、現役で治療に当たられている先生にお尋ねしながら自分の中の引き出しを更に広げたいと、意欲が湧き出ている母の日です。 徒然となりましたが、本来ならばその日は仕事を休めない日でしたのに、hasunohaのお坊さんがお導きくださったお陰で、上司も先輩も送り出してくださり、お寺の参道で手に入れたお土産も喜んでくれました。一日、朝早くから皆様方とご一緒できたことで、夕方仕事先へ戻ったあとは、身も心も軽く仕事が一段と見違えるように捗り、たくさんのヒントが心に浮かび、職場でさらに良い評価を紡ぐことにも繋がっています。 その節は本当にありがとうございました。 今後とも、よろしくお願いします。
長文失礼致します。 私は幼稚園の頃から中学生まで、母親と、父親の違う30代の姉と主に3人で暮らしていました。 母は幼稚園の頃から私にたくさん習い事をさせてくれ、勉強を含むスケジュールの管理もしてくれていました。 しかし、別居中の父との金銭関係の揉め事が多いこともあり、いつ怒るか予測するのが難しく、自分が悪くてもそうでなくても、腹立たせてしまうと洗剤の泡を目に飛ばされたり、首や鼻口など気道を塞がれたり、髪を掴んで殴られたり、馬乗りになたりと、私からするとその説教は非常に恐ろしくて仕方がなかったのですが、 家庭の事情を周りに話してはいけないと教わっていたので、先生や友達に言うことはできませんでした。私自身も、母のお陰で不自由なく暮らせると思っているので、自ら母を失うようなことはできませんでした。 厳格な母を知っている姉は、初めこそ仲裁に入ってくれましたが、私が9歳になってからは、姉までも毎日目の敵のように睨んだり、邪魔だと言って蹴飛ばしたりするようになりました。(姉の言い分としては、姉はネグレクトを受けていたから、大事に育てられている私が憎かったのだそうです。) 今思えば、母は私の態度や悪い行いに対して説教していて、姉は理不尽に暴力を振るっていただけなのかなと感じています。姉の暴力がエスカレートするにつれ、母は私の味方をするようになり、なぜか母は、私に暴力を振るうことをやめてくれるようになりました。 高校生に上がるときには、姉は家を出ていき、そこからは誰にも暴力を振るわれることはなくなりました。 ですが、母は私のLINEのトーク履歴を隅々確認したり、一日のスケジュールを教えなければ外に出られないなど、今でも制限は多い方です。 私はやましいことなどはなにもないように気をつけているのですが、一度疑われるとずっと信じて貰えず、一ヶ月は機嫌を直してくれません。 そういうことが起こったとき、小さい頃からの説教のことを沢山思い出してしまい、この先一生母から抜け出せないのでは、などと、そのことしか考えられなくなってしまいます。だからといって母のことは嫌いになれないし、友達や先生には病んでいる子と思われたくなく、一切相談できません。ですが、なんとかして以前のことを気にするのをやめたいです。この悩みをなくすには、これからどうすればよいでしょうか。
いつもお世話になっております。診察で先生に会うたび、 「落ち着いていて、いいね」 「よくなってきているね」 などと言っていただけます。 私はまず、訓練所に戻って、心身ともに安定して通所することが 目標です。私の場合、急性期者の多いデイケア施設等に通所させて しまうと、そういった人たちに強い嫌悪感を抱いているので逆に 危険ということで、先生からOKが出るまで、関係支援者との面談で 土台を固めてから、回復期(寛解間近)の連中の多い訓練所に… という流れです。 しかし、回復期・寛解期といえど、連中も特性を抱えています。 例えば… ・世の中は自分中心に回るべきと思っていて、納得がいかないと 針小棒大に芝居を打つ、時に暴力も使う泣き売・強盗 ・マナーを守らない、努力しない、欲求に忠実なサル など… 私は、どこへ行っても、そういった連中が寄ってきてしまい ます。お寺に行っても。数年前もこちらで、「変な人が寄ってきて 困る」と相談したら、「類は友を呼ぶということですよ」と言われて しまいました。傷付きました。入院中も、 「おるるぇ、ぬぁっとくいかぬぁくとぅえ、クォォォ↑ギした んだよねェ」 (訳:俺、納得いかなくて、抗議したんだよね) が口癖の雄ザルが、「気が合う」と言って寄ってきてしまいました。 修行が足りないせいですね… 追い払いの方法を、いくつか考えました。 ・「決まり事っていうのは、それなりの理由があるから存在する わけでぇ~」 「努力は気持ちいいですよぉ!!」 などと、連中の理念とは正反対の論説を展開してみる ・何を言われても、無言で笑顔で会釈するだけ ・始終イヤホンを装着し、読書(勉強の本) →これに関しては、支援者さんに、 「周りの人の話題に引っ張られて具合が悪くなってしまうので…」 と「Iメッセージ」で事情を伝える。「馬鹿が移るんで」なんて、 口が裂けても言わない。通えなくなる。 サルが寄ってこないように、同類だと思われないようにするには どうすればいいでしょうか。とりあえず、攻撃的な事をしない、連中 とは正反対のことをすればいいと思っています。 ご高見、賜りたく存じます。よろしくお願いいたします。
先週から心療内科で治療をはじめました。 顔の手術をしたのですが、前の面影がなくなりとても変な顔になってしまいました。 他人の視線が怖くて外にでれません。 主人と先生はおかしくないと言ってくれますが、とても不自然な顔です。 中学時代にイジメにあい登校拒否になりましたが、死に物狂いで勉強をし高校合格しました。 そんな私に父は「中学でずっこけた」「ブクブク太りやがって」と言いました。 ダイエットを頑張り痩せましたが今なら分かります。その時から摂食障害がはじまりました。 痩せて肌荒れした私に「ブサイク」「胸が小さい」と言い、皮膚科で治療を続けやっと肌が綺麗になった時には30歳を過ぎていました。 やっと父から「キレイになったね」と言われた後に、唯一褒めてもらっていた小さい頃の習い事を「あれは酷かった」と言われ私の心は壊れてしまい、実家とは今は疎遠です。 今まで容姿を磨く事を第一に、体型維持、肌の手入れ、身だしなみ等、頑張りに頑張りを続け、それなりに褒めて貰える位になれました。 今までの私の努力は一体なんだったのでしょうか。 親の愛情ももらえなかった私が子供を育てたら、その子が不幸になると子供はつくりませんでしたが、その分自分自身をストイックに節制して作り上げたのです。 毎日死にたくて死にたくて、だけど自死は永遠彷徨う、地獄に落ちると聞き、もう心の中はグチャグチャです。 いっその事飛び降りようか、イヤ、彷徨うのは嫌だとそればかりです。 心療内科の先生は心のバランスが悪い、良いご主人にも恵まれているのだからこれからは心の中を磨きましょうと仰っています。 言っている事の理解は出来るのですが、心が追いついていきません。 主人は何も出来ずにただ横になっている私に、頑張らなくいいから、ただ居てくれるだけでいいから、家族だろと言ってくれました。 だけど仕事にもいけず、小綺麗にも出来ず、顔も変な私に一体何の価値があるのでしょうか。 子供もおらず、一般家庭の幸せも主人にはありません。 私なんて最初からいない方が良かったのに、なぜ両親は私をつくったのでしょうか。 消えたいです。
私が、中学時代に酷いイジメにあっていたことは、『「喜怒哀楽」から抜け落ちた「怒」』の回で少しお話させていただきました。 お坊さまからのお返事の中で、12歳にして自死した少年のお話しをお聞きしてから、ずっと、一度こちらのhasunohaで、苦しんでいる子ども達へのエールを書かせていただきたいと思っておりました。 何のために勉強しなくちゃならないんだ?子どもの時に、よく思うものです。 私は、中学生の時、数学の先生に「トラスさん、『角の三等分線』に挑戦してみないか?出来たら、ノーベル級の発見だぞ!」と言われました。中学の数学で「角の二等分線」を習いますよね。「角の三等分」を勧めるその真意は分かりませんが、先生は私のどこかに、「光の道筋」を感じ取ってくれていたのかも知れません。 でも、それは、既に19世紀に「不可能」と証明されていたんですね。そんなことも露知らず、私は、時間を見つけては、何度も何度も角を3つに分ける作業を続けていました。 結果から言うと、結局、私には証明出来ませんでした。しかし、イイ線までは行きましたよ。時々、三等分出来たのです。これも後で知ったことですが、「条件付きで、三等分出来る場合がある」とのことでした。 無謀な挑戦でしたが、今は「やってみて良かったな!」と思います。何故なら、その不可能なことに取り組んだ経験から、私は、やりたいこともやりたくないことも何でもやってみよう!と思える性分になれたからです。 経験から得た教訓です。 何でも避けずに時にはぶつかってみることも大切。ダメでもともと「ダメもと」の人生。 マイナスに見える行いをし、プラスに思える感受性豊かな人間を目指すのも、なかなか面白いものですよ。 人生は、いろんなことで、転けたり、躓いたり、ぶつかったり、引っかかったり、後退りしたりしながら、進んでいきます。 今、イジメにあっている子ども達へ。 辛い経験は、生きる糧となる日がきっと来ます。頑張り過ぎないで、ちょっと視点を変えて、違う方向を見つめてみて下さい。生き残る為にも、違うことに取り組み、挑戦してみると、学校以外の楽しみが見つかると思います。学校や友達に拘らないで、1人ぼっちでもいい、新しい道を歩んでみましょう。 生き残って下さい!あなたの尊い命を自ら絶たないで!吐き出してもいい!涙がポロポロ溢れてもいい!必ず救われる日が来ますからね!