助けられたのではないか?という悔しさ
東日本大震災の津波により母親を亡くしました。当時私も、父親も仕事で出払い、自宅には自営業を営んでいる母親だけが居て被害に遭いました。まさか津波が家まで来るとは(海から相当近いわけでもないので)、また自分も職場の人を車に乗せて逃げていたので身動きもとれず、その時は揺れが落ちつくまで(30分程)高台の路肩に車を止め、待機していました。急いで自宅に戻ると、悲惨な悪夢状態。母親を探し回るが、雪は降るわ暗くなるわで、父親が簡単に避難所に行こうと言い出したのです。夜が明けてその後毎日探し回りましたが母親が見つかったのは二週間後でした。
あの時、避難所に行かず、諦めずに探していたら!
あの時、30分の間待機せず、自宅に向かっていたら助けられたかも知れない!
そう思うと、やりきれません。
母親には沢山の苦労をかけたし、愛情をもらったのに、私は簡単に諦めた…。簡単に諦めた父親も許せません。5年経った今でもです。
私が助けなかったら誰が助けたんだ!って…。
亡くなってしまった人を想っても戻ってこないけれど、私のあの時の行動によっては助かった命かもしれないと思うと、自分が許せません。
母親にせめて今してあげられる事はありますでしょうか?(お墓参り以外に)
有り難し 23
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