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hasunoha 問答検索結果 : 「 否定 」
検索結果: 5188件

父の死と死後の世界について

最愛の父が他界してから、死後の世界について考えています。 父は愛妻家かつ子煩悩で、死の3日前まで母と私に「大好きだよ」と言っていました。 大食漢で行動的な人でしたが、病のせいで食事も運動もままならない中、愚痴ひとつ言わずいつも笑っているような人でした。 死後の世界があるのなら、痛みからも苦しみからも解放されて、好きなものをたくさん食べて、好きなことをたくさんしているのだと思えます。 死後の世界がないのなら、大好きだった父は何処にもいないのなら、二度と会えないのなら、私も死にたいと考えています。 大学一年生の頃、仏教の講義が必修科目でした。 18歳だった私は宗教や死後の世界は生きてる人間のためにあるもので、死んだら無になると考えていました。 今になって死後の世界があって欲しいと強く思うのですが、長年否定していたものを肯定するのは都合の良い話に思え、抵抗があります。 祖父が亡くなった時は季節外れの蝶が部屋に舞い込んできたり、替えたばかりの蛍光灯が明滅したりと不思議な出来事があり、もしかしたら…と思える時もありました。 ですが「ずっと側にいるよ」と言った父の存在を感じることはなく、消えて何も無くなったように思えてしまい、胸が苦しくなります。 長文かつ乱文で申し訳ありません。 どのような心持ちで過ごせばいいのか、ご教示願います。

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死にたい。

高校の頃から常に周りに合わせて頑張って生きてきました。 高校は部活で副部長だったけど、それでも顧問の先生と部長の間に挟まって常に仲介をして胃潰瘍になる程のストレスとプレッシャーや、卒業間近部長と同級生からの嫌がらせを受けながらも3年間夏休みも冬休みも全て捨てて耐えてやりきりました。 専門学校に進んでからは忙しい勉強の中友達に遊びに誘われても断れず遊んで、帰る頃には勉強時間が減ってしまう、遊んだことに対しての罪悪感、それらを抱えて毎日必死に勉強しました。 周りの友達に勉強教えたり自分本位にならないように頑張りました。 でも、自分の成績が上がれば上がるほど、周りに妬まれ距離が開きます。 自分の努力が全て空回りしてしまいもうどうやって生きていったらいいかわかりません。 認めて欲しい訳では無いけど、自分の努力も存在も認められず否定される毎日がとても嫌です。 親には申し訳ないですが、もう疲れたので死んでしまいたいです。 生きてても存在していないような人間が死んで霊になって孤独でいようが、今と対して変わらないのではないか。 それならもういっそ失敗することを恐れず、どうなるか分からない将来を恐れることない死後に行きたいと毎日願っています。 死んだら楽になれますか 周りに迷惑をかけずに死ぬ方法はありますか。 生まれ変わりすらしたくないのですが、死んだらまた人間として生まれてしまうのですか

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輪廻転生について

 こんにちは。昨日は私の質問にご回答頂きまして、誠にありがとうございました。非常に勉強になり、今後の参考にしたいと思いました。  立て続けで申し訳ありませんが、輪廻転生について、あと一点だけ質問したいことがございます。この質問で最後にしますので、ご回答頂ければ幸いです。  日本の仏教関係者の中には、和辻哲郎博士など輪廻転生を否定する説を述べられる方もおられます。その一方で、魚川裕司氏は著書「仏教思想のゼロポイント」で和辻哲郎博士の説を批判し「無我輪廻説」こそがお釈迦様の説かれた教えだ、と主張しております。先の質問で、お坊さまがおっしゃっておられた輪廻の本意はこのことなのかな、と思っております。  そこで、さらに疑問が湧いてしまったのですが、チベットやブータンでは、「輪廻転生による生まれ変わり制度」が存続しています。上記の解釈ですと、生まれ変わりを認めることは難しいように感じるのですが、この制度は民衆を導くための方便ということになるのでしょうか。  このような知識欲自体が煩悩なのかもしれませんが、どうしても知りたいと思ったので質問させていただきました。お暇なときで結構ですので、ご回答頂けるお坊さまがいらっしゃれば幸いです。よろしくお願いします。

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ブログに自分の思いを書いてもよいものでしょうか。

初めまして。 hasunoha内での問答(https://hasunoha.jp/questions/2905)を拝見し、私も自分の病気との付き合い方や今までの人生をブログに書こうかなと思いました。 私自身は人生において、この質問をされたゼラチンさんほど深い苦しみを持たなかった気もしますが、それでも同じように病気で悩むどなたかが読んでくださって、少しでも気が楽になることがあるかもしれないと。 しかし最近、同じような病歴の方のブログを拝見したところ、寛解間近のメンヘラ(個人的にはメンヘラという言葉が嫌いなのですが……)について、その方の思われることが率直に書かれてありました。 その方は、病気のことを個性と軽く言うメンヘラが苦手とのことで、それを読んだ私は正直とても傷つきました。というのも、私は病歴が長く、朝なかなか起きられなかったり睡眠時間が長かったりすることに10年以上悩んでいますが、それはもはや私の個性ではないかと思い、あきらめ始めていたためです。 そのブログを読んで、自分自身をはじめ、自分と同じように考える人を否定されたと感じてしまったのです。 おそらくその方は、病気を個性と「言わざるを得なくなった」心境については書かれなかったのだと思います。それはその方の考え方でもあり、書くことは自由です。 しかし、その記事を読んで、私のように傷つく人間がいるのも事実です。 お坊様に質問です。 私自身が自分の病気のことや人生についてブログに書いたら、同じように傷つく方が出てくるのではないかと思い、ブログを書くことをちゅうちょしています。 それでも書くべきでしょうか。 長々とぐちってしまって申し訳ありません……よろしくお願いいたします。 私自身の甘さから出たぐちです。喝も覚悟しております。

有り難し有り難し 67
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