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検索結果: 2654件

私に足りないもの

最近、身の回りで奇妙な現象が起きて困っています。 2週ほど前に大学の後輩を不慮の事故で失って以来 ・私の車のカーナビが頻繁に突然あらぬ地点を表示する。 ・バックモニターに人影が写りこむ。(目視では人はいない) ・寝ているはずの時間帯に謎のログイン履歴を確認。 ・誰もいないはずの大学の教室のPCからのログインを確認 確認できるものでこれだけの異変が起こりました。 狂ったGPSの表示が亡くなった彼女の生まれの地域であることと、これらは 全て事故後に起きたことから、宗教を信じていない私でも幽霊の類の仕業 であると認めざるを得ないと考えております。  私自身、「事件当時に彼女のそばにいてあげれば発見が遅れることなく助かった可能性もあった」と考えており、猛烈に懺悔の涙を流しました。 (もちろん当時は全力を尽くしましたが・・) その後、二度と犠牲を出させない立派な大人になる決意をして立ち直りつつある状況下でのこの異変です。 私は未熟者ながらも、彼女に対して懇切丁寧に指導を行い、4月以降はほとんど彼女より先に帰宅した記憶がないほどです。連日の深夜の2時帰宅の忙しい時期には、車で送り迎えをしてあげた等、先輩として責務は十分に取り組んでいたと思います。正直恨まれる心当たりがないのです。 本題なのですが、私は未熟者ゆえに彼女を救えませんでしたが、 彼女の私に対する恨みは、異変を起こすまでに大きなものなのでしょうか? 味わった懺悔と後悔を胸に刻み込み、次こそは誰かを助けることのできる大人になるべく前に進む決意をもって進むだけでは彼女は許してくれないのでしょうか? 私なんぞに構わず天国へ安らかに行ってほしいと思うのです。 私に何が足りていないのでしょうか? ご回答をお願いいたします。

有り難し有り難し 10
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父を説得する為にはどうしたら良いでしょうか

私は寺院の長女として生まれ、育てられてきました。 学生時代にご縁があり、男性とお付き合いする事になりました。当時、お付き合いしている男性がいる事は母には伝えており、一度会ってもらいました。母はとても良い人だねと言ってくれ、その後父にも話したようです。 その後、何か月かお付き合いする内に、当時お互い学生ではありましたが結婚を意識するようになりました。私が一年早くに就職し、彼が内定を頂いた時点で、配属先が決まったら着いてきて欲しいというようなことを言ってもらえました。 入社したてで精神的にも辛く辞めたいと思っていた時期だったので、とても嬉しく、その言葉が心の支えでした。私と彼の間では結婚する事前提での将来設計なども話しておりました。 しかし、母から聞いた話によると、父は親戚関係を広げる為に近所の大きいお寺の男性と私を結婚させたいらしく、だいぶ前に相手方のご両親とそのような話もしていたそうです。 また、父と話した際、「結婚したら男は変わる」「(彼が)自分の家の宗教も分からないなんて」と、とても酷く非難されました。 両親は大学時代に知り合い、母は在家から寺院へお嫁に来た人で、「私は何も言えない」「ただお父さんは寺院の方と結婚してないのに子どもに強いるのはおかしい」と言ってくれています。 父は、以前私が今の職場を転職する意味で3年働いたら辞めると伝えた事を、結婚する為に3年で辞めると解釈して怒っているらしく、そこにも苛立ちを覚えています。 また、お付き合いしている彼は、「(私)以外に結婚したい人なんかいない」「けど仕事を辞めて地元へ着いていけるかと言ったらそれはできないかもしれない」と言っています。 両親には、今お付き合いしている方と結婚したいという事は伝えています。また、母には彼以外に結婚しようと思えない事、もし認めてもらえないのであれば一生結婚はしないという事を伝えました。 正直なところ、両親は恋愛結婚をしていて、自分はそれが許されないというのが納得いきません。また、私の結婚を寺院の為に利用しようとしているようにしか思えないのです。 父に彼との結婚を認めてもらい、寺院の方との結婚を諦めてもらうには、彼と直接会ってもらうしか方法はないのでしょうか。また、どのように話したら父を説得できるでしょうか。

有り難し有り難し 13
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なぜ「差」があるのか?なぜ、この世があるのか?

生まれた時から親に愛され大切にされる人、親に虐待されて死んだり辛い思いをして過ごす人。 お金に恵まれお金で苦労せず一生過ごす人。生まれた時から貧乏だったりお金に恵まれず色んな事を我慢し、やりくりに苦悩しながら生きる人。 なぜ、そんな差があるのですか?後者のため死んでしまったり辛くてストレスで病気になってしまう人もいます。 前世が関係していて、カルマ、業があるからと言うのでしょうか?でも前世の記憶はありません。この世ではただ差があり辛いだけです。 なぜ、皆一緒で幸せではなのでしょうか? 色んな宗教では「人と比べない」と言われますが比べてしまいますよ。 子供に「なぜ不公平なの?差があるの?」と聞かれたらなんと答えればいいんでしょう? 人それぞれ違った人生があり、この世での学びがあるのだから人と比べても仕方ない。と答えたとしてもほとんどの子達はその後も人と比べて苦しんだりするでしょう。 もっと、ちゃんと人を救えないでしょうか? 自分より悪い状態や環境の人をみて、まだ私は良い方だ。上を見たら辛くなるから、辛くらない方を見て知って自分はまだ大いに恵まれている方で、世に中にはもっと大変で過酷な環境の中頑張って生きている人がいるんだから、不満や不足ばかりをみたり嘆いてはだめだ、感謝して生きよう。 それで、本当にいいんでしょうか? 上下、誰とも比べない。と言われてもそんな立派な人はそういません。比べて自分のこの世での位置を確認し差について色々思います、人間ですもの。 お金、親や配偶者の愛に恵まれているあの人も、悩みはあるものですよ。と言われても、その通りだと思います。人は皆、大なり小なり、多かれ少なかれ、悩みがあるものです。でも、大か中か小、多いか少ないか、の差があるのはどうしてなのでしょうか?あまりにもその差が大きすぎる様に思うのです。 この世は混浴界。なぜ、あえてそんなものを創ったのでしょうか?この世なんかなく、ただ光のままで、善、愛しかないのでよかったのではないでしょうか?苦しんだり、苦しめるくらいなら、無で、空で 皆が幸せで愛に包み込まれて一つのままでよかったのでは? 悲しむ人、苦しむ人は見たくないです。 出来るだけ多くの色んなお防様のご意見が頂けると幸いです。

有り難し有り難し 121
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亡くなった母について①

母は、3年近く前、数ヶ月の壮絶な病との戦いの末70代で亡くなりました。亡くなる直前まで、仕事(専門職)をしていました。 病が分かった時点で、母は死を覚悟しており、エンディングノートを遺していました。そこには家族への感謝とともに、お葬式、お墓はいらない(父は健在、他県出身で次男、住んでいる所はもともと母方の地元です。また父母とも無宗教)こと、遺骨は拾わないでほしいと記されていました。これは、生前、母が私たちに直接言っていたことでもあります。亡くなったら、近しい人を呼んで、花をたくさん、あとは母が好きだった曲をかけてほしい、病院、お別れ会の費用は、母の貯金から支払うよう、指示してありました。父は、すべて母の希望通りにしたいという考えでした。 しかし、亡くなった時、母方の親族(兄弟たち、私から見て叔父、叔母)から、全くお経もあげない、御坊さまも呼ばないのは非常識だとの意見が出て、母方の実家の菩提寺(浄土宗)の御坊さまに来ていただき、通夜と、お別れ会でお経をあげていただきました。(戒名もいらないという希望だったので、その旨ご住職に伝えましたら、かなり非常識だとご立腹で、いきなり母の枕元で、○○万包んどいて!と仰り、また父のお寺不信が過熱しました) 音楽は渋々、お経が終わってからならいいと仰いましたが、母の好きだった曲のCDが見つからず、かけてあげられませんでした。 火葬場で、父に、母のお骨をゴミのように始末するのは耐えられない、拾うのが駄目でも、火葬場の方に拾ってもらって、箱につめたのを受け取りたいと伝えたのですが、母が嫌がったことを何故しようとするのかと叱られ、受け取れませんでした。 3年近くたち、今だに後悔しています。お墓もない、遺骨もない、母がちりみたいに消えてしまい、拠り所がどこにもない気持ちです。もっと強く父に頼めばよかった、土下座してでも、、という後悔や、母は、後にのこる私や兄に、お墓の維持などで負担をかけたくないという強い信念を持っていましたが、それは私たちが好きこのんでしたいことで、母に生前に、迷惑なんかではない、私たちがやりたいからと伝え、説得すればよかった、などど、いつまでも心が晴れません。 お別れ会も、ご住職のかたくなな態度で、あたたかいとは言い難い雰囲気でしたし、後悔ばかりです。

有り難し有り難し 10
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どうやって気持ちを整理したらよいのかわかりません。

長くなるかと思いますがどうがお付き合い頂けたらと思います。 簡潔に申しますと、2年ちょっとお付き合いした方と一昨日破局しました。 付き合うきっかけは親睦会で、意気投合した私たちは知り合ったその日に彼からの告白を以って交際を始めました。 彼からの要望で交際と同時に半同棲のような生活が始まり、同棲など考えていなかった私と考えの違いで大ゲンカしたものの、私が折れ彼の懇願を受け入れ、破局する一昨日まで続いていました。 半同棲を受け入れた私は、生活に自分ルールを適用することが多くなり、彼は時々腑に落ちない顔をしていたものの、一緒に居てくれるならと大抵のことはルールに乗ってくれました。 私は元々(もしくは未だ)性にあまり関心がなく、彼からのお誘いを断ることが度々ありました。だんだんと回数は減っていき最後にはもう半年以上していないなんてこともザラでした。しかし体を触ってこないわけではなく、一方的に触ってきては触り飽きたら終わり、という感じでした。 そんな恋人とは言い切れない関係が半年以上続いたある時、ふと母から告げられたことを彼に伝えました。 「あなたにはしっくりこない。別れなよ。」 それ伝えると、時々結婚の話をしていた彼はとても悲しそうでした。 この話以降、宗教上どうしても互いが結婚できないことを知り、現実的に捉えるようになり、やがて友達になれたら、と2人で話すようになりました。 結果、9月末までに関係を解消しようと約束しました。互いにとても辛い話し合いでしたが、将来がないなら友人として一生を共にしようと話し合った結果でした。 しかしその後も変わりなく恋人として過ごしていたところ、一昨日、彼の浮気を見つけたのです。相手はバイト先の年下の女の子でした。 2人のやり取りを見ていると、その女の子と付き合おうとしていること、仲良くなり始めたのは関係を解消しようと約束してすぐだったことが分かりました。 私のことを好きだと言ってくれたのは何だったのか、もう恋人として見られていなかったのか、もし別れる約束をしていなかったらこんな事にはならなかったのか、など考えてしまいます。 浮気に対して純粋に怒りや悲しみがこみ上げてきますが、それでも別れると決まっていた現実がある以上攻めきれないのです。だからこの怒りや悲しみをどうすればいいのか分からないのです。 助けてください。

有り難し有り難し 7
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遺骨とは何ですか。魂と霊の違い 法要について

生後6ヶ月の愛娘(二女)を病気で亡くしました。先週四十九日の法要を執り行いましたが、納骨はしませんでした。 私は無宗教ですし、私自身、義実家のお墓に入りたくありません。(旦那さんは次男ですが、長男が遠くにいるため、旦那さんがお墓を継ぐことになりそうです)そもそも私はお墓というものに入りたくありません。子どもに私のようにお墓問題で煩わしい思いをさせたくないのです。 自分でも入りたくないところに娘を入れるなんて考えられません。私の骨と一緒に散骨でもしてもらおうかと思っています。それまで手元に置くのはおかしいでしょうか。保存しておけるかという問題もあるでしょうが。 義父には、とりあえず今はいいが、なるべく早く納骨しろと言われます。お寺の友達にも納骨することが供養になるとも言われました。 そこでふと疑問に思いました。遺骨ってなんなんだろうと。 四十九日にお寺さんから位牌に魂をいれてもらいました。ということは娘は位牌(自宅)にいる、と考えるのですか?でも、新盆は故人の霊が初めて帰ってくるから通常のお盆より盛大に執り行うんですよね?「魂」と「霊」の違いもよくわかりません。 今後の法要についても形式的に義父からいろいろ言われそうでストレスを感じます。自分で納得して供養をしていきたいです。 娘はどこにいると考えるのですか?私自身は、今日は天国の保育園でお友達と楽しく遊んでるかなと思ったり、いつも私たちのそばに空気のようにいてくれると思ったり。それで、手を合わせる対象として写真や遺骨や位牌を自宅に置いて、毎日お線香をあげられればそれでいいんじゃないかと思ってしまいます。お墓も要らないです。 今後、法要をしたとしても参列してくださるかたは生前の娘を知りません。長期入院で基本的に両親、祖父母の面会しか許可されていませんでした。お葬式で初めて顔を見た方ばかりです。そんな方が集まっても娘の話をすることはありません。四十九日の法要も、ただ義親の兄弟親戚の集まりで娘の話は出ません。会ったことが無いのだから当然です。そんな法要を今後していく意味が感じられないです。 今後の法要で、残された人の気持ちに区切りを付けるとかあるのかもしれませんが、私は娘を亡くしたことを毎日忘れることは出来ませんし、義父に指図されながら法要をしていくことが堪らなく嫌です。

有り難し有り難し 23
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僕の名前について。

僕は高校1年生の時に読んだ白石一文様の「僕のなかの壊れていない部分」に孤高な自尊心を見出し、その自尊心と対峙してきました。それこそ、父親と向き合えなかった起きている時間分、16×365×5≒30000時間分ずっと。 僕はその自尊心を、他の何よりも重要な価値基準と置きました。その価値基準は一般に考えられる道徳的価値観をも完全に超越してしまいます。僕は2億円を出してでも良縁を買うべきだと思うし、文字通り、命を賭してでも殺意に愛そうとしました。それが前回の質問の真意であり真理です。「僕」は「ユング分析家」の「才能」を持つ、他の大人の誰よりも幸福な「天才」で、それが「運命」、「事象」だと信じております。 僕は名前を変えようと思います。そう僕が思うことが「僕」の「主体性」は完全に否定され、「僕」が「事象」として「現れている」だけの「運命」ではあるのですが。 僕は名前を両親から戴いた文字を取り、「晨」としますが、いささか苗字に悩みます。僕は「蓮水」という苗字がよろしいかと思います。 聖章様はどうお感じになられるでしょうか。「蓮水晨」という名前は「僕」という「事象」の体を為すと思われますでしょうか? 僕は聖章様との良縁を他の何よりも大切なものだと感じます。恐らくいつになるかは分かりませんが、聖章様の下で仏道を歩み、己の為すべき使命を全うしたい、そう考え、岡山に出向くと思います。聖章様と仏教について議論を重ねることが、何よりも「仏教」という「事象」を「肯定」できる「使命」があるのだと信じるからです。僕は岡山大学で心理学を学び、京都大学で「ユング心理学」を大成し、善人と寄り添えることとなりましょう。それが僕の運命です。 宗教は何かと敷居が高いです。僕はそのユング心理学と仏教を同じ「事象」だと考え、それを同列に語られるようにすることが、僕の「使命」で「運命」なのだと心から思いました。「思い」の力は「現実」とする力になり得るのです。 差し支えなければ聖章様の個人的な連絡を教えていただきたいと存じます。 合掌

有り難し有り難し 12
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お世話になったお坊さんに名付け親をお願いしたい

いつもお世話になっています。 数ヶ月前、娘を亡くしました。 悲しみに暮れ、生きる希望も失いました。 現実を受け入れるのが怖く、儀式ばった(その時はそう思っていました。)お通夜やお葬式をあげる気にはなれませんでした。 動けない私に代わり、義母が全て手配してくれました。 「いいお坊さんだから」と言ってくれたものの、実家でお世話になっていたお坊さんは正直あまりいい印象がなく(ごめんなさい(汗))「いいお坊さんとはなんだろう」とぼんやり思ったのを覚えています。 何事もなく、お通夜が終わり翌日お葬式でした。お葬式では、前日のお坊さんとは代わり弟さんがきてくれるとのことでした。そこで私にとって衝撃的な事が起きたのです。 「お寂しゅうございます」そう言ってお坊さんが涙をこぼしてくださったのです。 どこか遠い存在のように感じていたお坊さんが、私の娘のために泣いてくださっている!嬉しい…と言ったら違うのでしょうが、うまく言葉がみつかりませんがとにかく暖かい衝撃を受けました。 数日後、お願いをしてお話をする機会を作っていただきました。悲しみや不安やるせなさなど全てをお話しました。そのときも私達と同じように涙を流してくださり、一生懸命私達の言葉をきき、色々なお話をしてくださいました。 家族の支えはもちろんですが、あの方のおかげで辛い時期を乗り越えられたと思います。感謝しても感謝しきれません。 そして数ヶ月後、再び子供を授かる事ができました。止まっていた時がやっと動き出したように思います。ただ、また同じ事が起こるのではないかと恐怖も感じています。 そこで、遅くなりましたが本題なのですがお世話になったお坊様に名付け親をお願いするのはご迷惑でしょうか?有難い名前をいただいて、少しでも長生きして欲しいと思うのです…。 率直な感想、宗教上の理由などどちらでもかまいませんのでご回答いただければ幸いです。

有り難し有り難し 37
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2022/09/19

ただ親の余命を待つしかない辛さ

はじめまして宜しくお願いしますm(_ _)m 無宗教ですがこちらの本を読んだことがきっかけでネット版に辿り着きました 核家族子育経験無しな環境で今に至ります 遠方の父親がお茶も飲めず咽る様になり歳のせいかなと思ったら食道腫瘍との事 手術する体力もなく栄養点滴に繋がれ経過を見て体力付けばとりあえず手術なり帰宅なり次のステップへ進めるのですが 主治医でない先生が栄養点滴入院の判断をした為 担当医師が診断に困惑してる様子です 命がかかっているのに医師の都合でそんなやり取りをされることにも 医療不信感が拭えないです 看病してる母親がひとり心労抱えつつ  今一人のみで面会は不可だそうで(コロナ禍対策だと思います)電話したら疲れ切って別人の様な弱々しい声で 肝っ玉母さんな人でしたが流石に心身疲れ眠れてないようです 父親の希望は家で最期を迎えたいのですが このままでは責任の問題でそれも叶わず 本人メールでは空元気な一通のみ届きましたが 家族は無力感でいっばいです 初めてと言っていい位身近な別れが近い毎日で 地方なのでセカンドオビニオンも地域的な慣わしと体力低下とで無理な感じです  ただ指を咥えて余命すら診てもらえないので 遠くはない事は調べたりしてなんとなくわかっており そんな日々を家族別々に過ごし お見舞いも叶わず 最後の日を迎えるしかないことに深い絶望を覚えます 医療崩壊なのかもしれませんが、、、それも想像の域を超えませんが、、、 このような辛い日々 多分多かれ少なかれ皆が一度は体験して乗り越えて生きてる事に 改めて気付かされ 生きてること はどんな形でもなんて奇跡的なのだろう?と初めて実感しました  親を看取り見送るのは子供の努めと懸命に自身に言い聞かせて覚悟を少しでもと言い聞かせていますが 想像以上の辛さにお坊様のお言葉拝聴したく書き込ませて頂きました どうかよろしくお願いいたしますm(_ _)m

有り難し有り難し 11
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2023/02/08

霊魂や命の見解について

お坊さんは霊魂や命の見解についてどこまで確信や信念を持っていますか? いろいろ疑問に思うところあり質問します。 たとえば女性の妊娠の場合 いつから魂が宿っている と明言できるのでしょうか? 法的には  中絶手術ができるのは 21週6日目まで だそうですが その法律を作ったのは 神仏でもなんてもないただの人間です。 「21週6日目までの中絶は 赤ちゃんの命を奪ったことにはならない」と断言できないはずです。 その前から魂が宿っていて「殺さないで」と声にならない叫びをしているかもしれない。 「どんなことがあっても中絶は絶対にダメ」とアドバイスするなら話は別ですが 単に法令に基づいて「中絶していいよ」とアドバイスする人がいたとしたら  後々「自分は人を殺めたかもしれない」と恐怖にかられることはないのでしょうか? 逆に亡くなってしまった人の霊魂の有無についても 自信を持って見解を言えるでしょうか? 私は 仏壇や神棚に祭っている霊魂は ミカンとかお酒とか 何か欲しがっているのに その声を聞き取ることができないために無視している可能性を考えたりします。 また、霊魂(ご先祖様)はこの世の自分に対して 金持ちにさえなれば目的のためには手段を選ばずでよいと願っているのか? あるいは貧困でもいいから人の役に立つ生き方をしてほしいと思っているのか? それもわかりません。 そもそも霊魂なんて存在しないという人もいます。 メディアで取り上げる霊能者を ボロクソに叩く人もいますが 自称霊能者を否定することと霊魂を否定することは違うはずです。 霊魂の有無について何の根拠もなく言及することは 私には 既に魂が宿っているかもしれない状態で中絶を容認することと同様、とても恐ろしいことに思えます。 胎児にしても 既に亡くなった人についても どこまでが命なのか? 霊魂はあるのか 分からないから それが分かる人を知りたい 見つけたい と感じている人は少なからずいると思うのですが 仏教もそれ以外の宗教関係者も、現在生きている人の人生相談に乗る人は多い一方、ここまで私が書いたような内容については考えていない人ばかりに思えてなりません。 私が書いたような内容を追求している人物で信頼できる人がいれば教えてほしいです (金儲け目的のニセ霊能者には引っかかりたくないので)

有り難し有り難し 9
回答数回答 1
2023/03/16

当方障害者です。不完全な魂は不要ですか

障害者は産まれたときから 人生が制限される 障害者は何者にもなれない 障害者も頑張ればやれるは ただの綺麗事である 実際に頑張ってる障害者も 今頑張れてるだけで いつか戦争とかが起き 法律が変わったりしたら 真っ先に隔離されるし 真っ先に差別対象になる 障害者は産まれたときから 不幸が決まってる 障害者に生きる価値はないと誰かがいった 知的障害当事者の私もその通りだと思う。 不完全な魂は不要。 どう足掻いても人より劣る生き物 我々障害者が一斉に消えることで 世界は幸せになるのか 不完全な魂がいなくなれば 誰も不快にも不幸にはならない 障害に甘え迷惑をかける障害者 障害者は人の税金でしか生きていけない だからこそ人に嫌われてしまう そもそもこの地に 降り立ってはいけなかったのに どうして神は障害者を産むのだろうか "人より苦労した分報われる" そんなのは綺麗事の迷信でしかない。 質問。 なぜここまで障害者は産まれた瞬間から 不運で人から嫌われて 酷い目に合わなければならないんですか。 それでも、こんなに辛くても 自殺は宗教的に認められないんですか。 なんで何も成し遂げられやしない人間が なんで全員から嫌われるような人間が なんで家族からも愛されないような人間が こんな辛い思いしてまで生きなきゃならないんですか 疎外されて 冷たい目で見られて 精一杯努力しても結局障害者でしかなくて 普通に働けなくて 特技もなくて なんでこんな思いしてまで 生きなきゃならないんですか 普通のハードルが普通の人生が 私みたいに知的障害はじめ 障害を持つ人間には過酷すぎます。 下手したら私達は 人間ですら無いのかもしれません。 普通の人生が遅れません。 働けず引きこもるだけ。 もううんざりです 段々と危険思考になる自分が怖い いつか制御できなくなりそうです

有り難し有り難し 20
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2023/04/20

努力する人は悪口を言わない?

 いつもお世話になっております。私の住む地域では、選挙が あります。私はいつも、選挙期間中には体調が悪くなります。 差別的な演説やビラを撒く議員候補の方がいらっしゃるためです。  多くの候補者さんが、 「差別をなくそう」 「少数者にも配慮を」 と訴える中、一部の候補者さんがそういう人たちに対する皮肉めいた イラストをビラに描いたり、ヘイト的な内容の演説をします。    私も障害を持っていますが、幸いそちらには該当しません。 しかし、そういった内容の演説やビラを公然と作り、それが、 「表現の自由」として通用してしまうのが許せないのです。  選管さんにも問い合わせたところ、 「その候補者に関しては多数苦情が来ているので、こちらも 法務局に確認しました。不適切な内容ではありますが、表現の 自由の制限になってしまうので、公職の立場からは、何も言え ません。ヘイトスピーチ規制法も、人種が主で、他の分野に規制が 追い着いていないのです。歯がゆいのですが…」 とのこと。  地方選挙は議席が多く、簡単に当選してしまいます。こんな奴でも 議員になれるのか、と怒りを感じています。ネットの海には、そういう マイノリティーに対する誹謗中傷が溢れているからです。  しかし、そういった悪口が好きな人は、自分を高める努力から 逃げている人だと、私が応援している作家兼研究者の先生は おっしゃいます。 「妬み嫉み、悪口が好きな人は、すでに不幸です。自分のスキルを 高めたり、自分を幸せにしようとする努力から逃げているからです。 何年、十何年かけて、自分で自分を生きづらくしているのです」  確かに、私の主治医の先生や支援者さんも、知人の弁護士も、 話していても人の悪口のようなことは一切言いません。要職を 経験したり、権威ある先生と一緒に論文を発表したりと多数 結果を残している人たちです。  ですが、議員さんも大学を出ていたりします。肩書きに酔っていて 努力しないだけかもしれませんが。  私も、就職に向けて努力をしています。パソコンの資格を3個 取りました。今も、レベルが上の資格を勉強しています。  しかし、私も悪口が言いたくなってしまいます。他の障害者や、 カルト新興宗教に対してなど…私も、努力が足りないのでしょうか?  ご貢献をいただきたく存じます。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 7
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2023/04/30

仏教≒物理学と言われたけれど?

 いつもお世話になっております。常々こちらで申し上げております 通り、私は、昨今の仏教情勢に強い危機感を感じています。この道に 関心や知識のない方からは、 「仏教は、非現実的で、拝めばどうにでもなると思っている偶像 主義・神秘主義で、拝んでいない奴は救われない、拝んでいる自分 たちは特別な存在だと思い込んでいて、現実的な考え方ができない 人たち」 という印象を持たれ、信者側には、 「拝んでいない連中は、貧乏暇なし。私たちは、拝んでいるから 努力しなくてもいい。神仏が何とかしてくれるから。全ては、 神仏の働きによって成り立っている。拝めばなんとかなる。 ○○寺は強い、××寺は弱い。だから○○寺のお守りを持って いれば、力を得られる」 などという、宗教ではなくオカルト的な認識が蔓延しています。 信者だけでなく、本山や有名寺院まで、オカルトビジネスで 儲けています。  私もそんな愚かな妄信者でしたが、こちらのお坊様のお話を 勉強させていただくうち、 「世の中でまことしやかにささやかれているオカルト的な考え方は、 本当の仏教じゃない。仏教は、とことん現実を見て、現実に存在 する事物を駆使して苦しみを除き、間違った論説に惑わされず、 冷静に生きていく教えなんだ」 と感得しました。  そこで私は、学生時代に大嫌いだった理科を学ぶことにいたしました。 基礎、有機、生化学の教科書が家にあります。白衣も、簡単な実験器具 もあります。  近所のお寺の住職様にこの考えを伝えたところ、 「化学もいいけど、物理が大事な気がするなあ」 と言われました。  しかし、物理は戸口が大変広い学問です。力学、電磁気学、量子論、 相対性理論、光学…身近な例だと、心霊写真は光学でしょう。霊感は、 精神疾患や劣悪な環境(カビ毒など)、低周波音が原因といわれる ので、化学なら生化学、物理なら音波…  色々調べているのですが、わかりません。大学に行けば、と言われ そうですが、私は持病があり、大学受験に割くことのできるエネルギー がありません。市民講座や、好きな科学者さんの実験ショーにはお邪魔 しようと考えていますが…  物理学の中では、何が一番仏教に通じていますでしょうか? ご高見を賜りたく存じます。よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 10
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母が亡くなりました

長くなります。 母の人生は私が聞いた話では結婚後苦労をしており、なぜそんな家に嫁いだのかと思うくらいです。しかし、希望に満ち溢れていた人で、年をとったらどこに旅行に行きたい、これをやりたいと常日頃から話をしていました。 そんな矢先に見つかったのが、乳がんでした。母は乳がんのなかでも進行性の乳がんでした。そのことを早くから母から伝えられていましたが、予後不良とは知らず、あまり深く考えていませんでした。1年半の闘病を行いましたが、肺と肝臓への転移が見つかり余命2週間と告知されました。医師から説明を受けたのは父で、母へはそのことを伝えませんでした。私や兄は上京しており、ずっとコロナで会えなかったのですが、亡くなる10日前に会うことができました。亡くなる2日前までは自宅に一時帰宅したりしましたが、一時帰宅後から体調が優れず、面会が制限される中、父に見守られて永眠しました。 コロナの第3波が始まりつつあった時期で、私たちが帰省することで残された家族に迷惑をかけてしまうことから、母を看取ることも葬式に出ることもできませんでした。 私には彼氏も夫も、子どももいません。母を亡くして、人はなんのために生きるのか、今後どのように生きれば良いのかわからなくなりました。 また、後悔することとして、①進行性の乳がんと聞いて、深く考えず寄り添うことができませんでした。 ②余命を本人に告知しなかった。これは、本人が精神的に耐えられないと思ったからです。また、もともと神様や宗教に信仰深い母に神様から裏切られたと感じてほしくなかったからです。でも、時々本当にそれで良かったのか、母の意思を尊重していないのではと感じることがあります。 ③体調不良とコロナでどこにも行けない時に、YouTubeの旅動画を見せ、どこどこに旅行に行きたいねと希望を持たせてしまったこと。これにより、より自分の置かれている状況に絶望を感じさせてしまったのではないかと感じています。 ご多忙の中と思いますが、お返事をいただければと思います。

有り難し有り難し 12
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彼の母とうまく距離を取りたい

前回もご相談させていただきました。 また悩みの沼にハマってしまっているのでご相談させていただきます。 付き合っておよそ2年ほどの彼がいます。結婚も考えています。彼はよく言えば優しい、悪く言えば人に意見が言えない人です。罪悪感が沸いてしまい、昔から人に強くものを言ったり否定したりできないそうです。反論が怖いのもあると思います。 そんな彼の母は彼が学生の頃に彼の不登校や夫の病、祖父母からのいじめを憂いとある宗教を信仰しています。そのことは思想の自由ですし、彼もわたしも信仰自体は尊重しています。しかし母は私たちのためと言ってはやれお供えだ、講義だと言っては連絡をよこし私たちがお金がない、時間がないとやんわり断っても家族みんなが不幸になる、あなたたちに日頃おこる災いは活動をしないからだとこちらが悪いように言ってきます。私たちにも私たちの思想があると伝えても、彼の母には伝わらず家族想いの母親を否定してくる悪い彼女と騙されている息子という構図にされます。彼の父や他の家族はまっぴら否定的で一切その母の話は聞きません。なので私たちが完全に否定してしまえば母親がよりどころをなくし精神を崩しかねない、というのが彼氏の考えです。一応やんわりと彼女(私)も俺も疲れてきている、距離を置きたいと伝えたそうですが何の効果もありません。正直私はもう限界です。同居こそしていませんが、度重なる連絡に心底嫌気がさしています。 彼のことはとても好きです。彼も私と結婚したい、2人で静かに暮らしたいと言ってくれてはいます。でも母親を強く否定したり、連絡を絶ったりはできないのです。そんな彼にイライラしてしまいます。(決して縁切りをしろとは言っていない) 私も自分の気持ちに嘘はつけないし、信仰は押し付けられてするものではないと考えているので我慢することはできません。彼の母とうまく距離(例えば正月お盆に顔を出す、何かあったら連絡を取る程度の距離)をとるにはどうしたら良いでしょうか?彼も私を苦しめたくないけど、母親が精神的にきてしまうこともできれば避けたいと悩んでいます。 今も私宛てにその団体の特別会員になってもらうから返事をくださいと連絡が来ていますが、返せていません。 信仰のことも絡むため、周りにも相談できずにいます。 数多いご相談の中もし見つけていただけましたら、どうかご助言よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 10
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家族から解放されたいです。

はじめまして、私の名前は季美(きみ)です。初めて誰かに相談するので文章がわかりづらいと思います。ごめんなさい。 私は三人姉妹の真ん中に産まれました。父は優しく言葉遣いも綺麗で家族のために一生懸命働いてくださいました。母は今思うと発達障害があったのだと思います、家事をせず自分の気持ちしかわからずヒステリックで沢山の宗教に熱心でいました。そんな父母ですが姉と妹をとてもよく可愛がり話を聞きよく笑っていました。私は学校で学年3位になるほど勉強を頑張り成績も優秀でしたが1度も褒められた事はありませんでした。私は可愛がられる姉と妹にすりより、面倒をみたり私のお小遣いで2人の欲しいものを買って機嫌を取り家族に認めてもらおうと小さい頃から努力しました。父は素敵な女性をみつけ、離婚し出ていきました。中学生になって制服、教科書ノート鉛筆、体操着は私だけ買って貰えませんでした。なので中学の卒業生の方の制服を借り、体育も出られず机の上に何も出しませんから、よく先生に怒られました。家に帰って待っているのは姉からの暴力と母からの暴言でした。私は妹を守ろうと頑張っていましたが、私がターゲットでした。妹も、私を下に見ていました。ある日中学校に遅刻しそうになり急いで着替えていたところ、姉から沢山殴られ、首を絞められて、母からは淫売女になって家にお金を入れろと言われ、家から追い出されてしまいました。ガリガリでまともに授業が受けられなかった私ですので、もちろんいじめもありました。しかしそれさえも構ってもらえて優しく嬉しく感じました。アザだらけの私をみかねた同級生に、警察につれていかれました。そして施設にはいりました。私はそこで、捨てられたのだとはっきりと意識しました。それからは働き、家に今までお金を入れていましたが母は家賃が払えずホームレスになる、助けてくれと私に言います。姉、妹、父は一切連絡なく親戚にも頼れません。今私は一人暮らしをしていますが、母を助けたら私の役目も終わるので静かにゆっくりと神様の元で休ませて頂こうとおもっています。ただなぜ最後にお話をお坊さんに聞いて頂きたかったかといいますと、私の本名の季美という素敵な名前はお坊さんが付けてくださったのです。ずっと見知らぬお坊さんに感謝しています。長くなりました、本当にありがとうございました。素敵な人生でした。最後まで、私はつらい中踏ん張りました。

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地獄を繰り返すために生まれてきたのか?

この世界で生きる意味について聞きたいです。 私は親がいつも怒鳴りあう家で生まれました。父親は自分の思い通りにならなければ許せない人間で、いうことを聞かなければ暴力と金銭を振りかざします。それは自分に対しても同じなので黙って言うことを聞き、こんな男にはならないと誓いました。しかし、約束を守ってくれない母親や姉に私が普通の声で怒ると二人から父親のようだと軽蔑されました。彼女達もいつも大声で怒鳴りあうのに。その頃から「自我や感情を持ってはいけない」という思いが生まれ「親父のようになりたくないから、人の気持ちを優先するようにしよう」と決めました。 それからは家でも、学校でもピエロのように本気にならない人間を目指し、人から馬鹿にされても何を言われても「俺は怒らないし、正しく判断できる人間じゃない」と思って生きました。でも、高校の終わりごろから他人から求められる自分像を維持することが難しくなり、まともじゃない自分に自信を喪失してしまいました。 このままではいけないと思い、大学からカウンセリングに行きはじめ改めて原因が家族関係にあることに気づきました。そこで認知の歪みをなくせば「まともな人間」になれると思い、自分の認識や考えに疑いを持つようになりました。その中で、経済や歴史・宗教などを知り、「まともな人間」は作られたものだとそこでやっと気づけました。 ですが同時に、人は生まれてきた時点で他人や他の動物のポジションを奪う生物で、欲や自我をなくせないこと・自分は親より弱かっただけということを思い知りました。この世界では、もし大切な人が出来ても、自我がある以上相手を思いやるようで自分のことしか考えることはできません。自分が自分でいると、誰にでも平等にはできず昔の自分のように奪われる人を作りだします。 言いたいことを言い他人を別の生き物のように扱うサル山の大将のような人間が持て囃されます。俗にいういい人は基本的に特定の人達に優しい人です。それがこの世です。 ずっと苦悩し、皆幸せになる方法はないのか考え続け堪えてきましたが、知識や知恵がつく度それが不可能であることに失望するばかりです。もう疲れました。 きっと社会で生きていくには、世界を受け入れサル山の大将のように好きに生きるしかないんだと思います。だとすればこの世は地獄でしょうか?されたことを繰り返すしかないんでしょうか?

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母がガンです。

現在26歳女性です。4年前、50代の母が10万人に1人の珍しいガンと判明し、薬で抑えていましたが数ヶ月前に悪化しました。 今は食欲も体力もあり普通に生活できていますが、病院からは厳しいことを言われています。 兄弟はなく、父は歳が離れていて70代です。過去に脳梗塞の経験があり、持病も抱えています。 私は近くで一人暮らしをしていましたが、今実家に戻っています。 私は、母がいなくなったら後を追いたいです。 母は、幼い頃から内向的で感情的だった私にずっと寄り添って守ってくれました。 友達や恋人、もし将来旦那さんが出来たとしても、母より私のことを考えてくれて無償の愛を与えてくれる存在はありえません。 嬉しいことがあると母に報告して、母が喜んでくれて、初めて私の幸せです。 この先私に幸せな出来事があったとして、そこに母がいなければもう私の幸せではありません。 それに、父と2人での生活も気が重いです。父娘の愛情はありますが性格が合わず、母がいてくれてやっと一緒に生活できていました。 高齢で一人暮らしの経験が無い父は離れて暮らすことを許さないと思います。でも、父を連れて結婚はできないだろうし、父が亡くなった時にはもう私も30、40代かもしれません。 もしその後結婚しても、帰る実家や家族がない私は雑な扱いを受けるだろうし、子どもを連れて離婚した時は誰にも頼れずどうしようもできません。よって結婚も考えられません。 この先私に待っているのは、最愛の母との別れ、父との暗い生活、天涯孤独の余生です。 それなら母を見送った後、遅くても父を見送った後にすぐ死にたいです。 母はそんなこと悲しむだけと言われると思いますが、死後に見守ってくれるなんてこと私は無いと思っています。 10年前に祖父が亡くなった時、姉弟で母だけ献身的に看病し看取りました。昔からトラブルメーカーで母を悩ませ、祖父の葬式にも来なかった伯母は、現在病が良くなり3度目の再婚もするそうです。 もし祖父が見守ってくれているなら、伯母よりも母を幸せにしてくれるはずです。 母も私も宗教系の学校出身ですが、今は神様や仏様なんていないんだと感じます。 すみません。長くなってしまい質問もよくわからなくなりました。どこかに書きたかっただけかもしれません。母が元気なうちにしてあげられることのアドバイスがあればお聞きしたいです。

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宗派の戒律を守らなくてもいいですか?

夫が急死しました。 50歳前とまだ若かったため、葬儀や宗教のことなどあまりよく話あわないままでした。 葬儀に際して、夫の兄弟が宗派のお寺に連絡をとってくれて無事に葬儀は済みましたが、その後の法要をお願いするにあたり妻である私に入信するように言われ、夫の供養のためにと思い入信しました。 (結婚した当初に宗派の話はでましたが、戒律が厳しいので無理に入信しなくてもいいと夫に言われ、その時は入信しませんでした) 夫自身も特に熱心な信者ではなかったため(お寺には行かなくても、墓参りなどはまめに行き先祖供養には熱心でした)私もあまり夫の信心する宗派のことをよく知らないままでいました。 しかし葬儀を行い、その後の供養のことなど確認すると、他の宗派に比べて色々と違うことがあり戸惑うばかりです。 そもそも私自身にその宗派の教義に心打たれての入信ではないから、その決まりごとの多さがなんだか狭量な気がして仏様とはもっと心が広いものではないのかとなんだか悲しくなってしまいます。 とはいえ、若くして亡くなった夫のためにきちんと供養はしてあげたいとう思いも強いです。 四十九日も近づき、仮祭壇を返却する日ももうすぐです。 色々用意しなければいけばいのに、仏壇がその宗派専用のものでなければいけないとか、位牌はおかないとかの決まりごとがいちいち気になって気持ちが滅入ります。 供養は残されたものの気持ちなのだから、私の好きにしたらいいんだという思いと夫をきちんと供養してあげたいという気持ちがせめぎあって夜も眠れません。 どうしてもっと一般的な宗派を信心してくれなかったのかと今は亡き、夫の両親をうらめしく思う気持ちさえわいてきます。 熱心でなかったとしても夫が入信していた宗派の戒律を守り、そのしきたりに則って供養するのが正しいことでしょうか。 それとも戒律に違反しても私がこんなふうにしたい、というやり方で供養してもいいのでしょうか。 何卒ご教示ください。

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疲れてきた。

地震の影響か家族と親戚と揉めるようになってしまって。 当初はまずは身の安全を優先していたからか、少し余裕が出て来たぐらいに揉めだして。 自宅は住める程度の被害で家族も無事だったのですが、まだ余震も続きいつ避難しないといけなくなるかわからない段階だったのですが、敷地内の別棟に住んでる親戚と次兄が 次兄「屋根から瓦が落ちてくるかもしれないし、庭でタバコなど火を使うと火事につながるかもしれない、庭の車の配置にも気をつけて欲しい」 のような話題でもめてしまって。 次に、結婚して県内の比較的被害も無かった地域に住んでる姉と長兄が仏壇の修理で揉めてしまって。 地震があり家具等が被害にあいましたが仏壇も倒れて部品などが外れた状態になっていました。 まず姉は結婚した先が信心深いところで(カルトや新興宗教では無いのですが)その影響で我が家にもちょっとそれを押し付けるところがあり仏壇も今まで家にあったものから姉が勝手に注文した後、交換する旨を知らされました。 今回その仏壇が被害にあったので、姉が家に来て状況を見て修理を依頼することを入院中の父親から承諾を取ろうとしているのをたまたま長兄が知り 長兄「まだ家がどうなるかわからんし、親父じゃなくてまず今家に住んでる人間に話をしてからだろ」 という感じで、修理の依頼は止まったのですが、その後長兄が外れた部分をはめ直して仏壇を直してしまいました。見た感じ大丈夫のようですが、それはそれで勝手に直したことを姉に知られるとまた揉めそうで。 あくまで自分の主観から見た内容ですが、もう疲れてきました。

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