期待しないことは無責任?
こんにちは、質問させていただきます。
私、教育関係の仕事に就き、主に大学受験生を指導しております。
以前、非常に厄介な生徒に関して質問させていただきまして、そちらの件はある程度の折り合いがついたように思います。
しかしどうしても、生徒への期待の部分や応えきらない生徒への不安・不満が拭いきれません。
というのも、相手に期待をせずに指導することと「無責任」という状態をどのように区別すればいいのかがわからないのです。
自身の心をよりフラットに保てば保つほど、執着をなくせばなくすほど、より良い教育者から離れていまうのではないかという不安があり、それが自分が一歩踏み出すのを押しとどめているように感じます。
やはり立場上生徒の合格に期待することが我々の一番の喜びであり、この仕事のやりがいであると思っております。
私自身も合格報告のただそれだけに指導しているといっても過言ではありません。
それにそういった気持ちがプラスに働いた経験も多々あり、そのなかで激務であっても頑張れているというものあります。
また、私は塾の講師ですので、幅広い教育ではなく「合格」の一点を見据えた指導が必要になってきます。生徒の成長そのものは学力に限りませんが、私が仕事として、今置かれた立場でやらなければならないのは受からせることなのです。
こうした社会的立場も、今の悩みと密接です。幅広い意味での成長であれば、もう少し柔軟に考えられるのですが...
果たして仏教の教えを推し進めたその先に待っているのは、どういった教育者像なのか。
生徒の合格を願うことさえ執着として切り捨てなければならないのか。今の心のしこりです。
合格をただ目指す私の職業自体が、もはや仏教徒は相容れないのでしょうか。
仏教の教え自体はぜひ取り入れていきたい。その気持ちは強いです。日常生活で、仏教の考え方のおかげで救われることも何度もあります。だからこそ仕事も含めた生活全てできっちりと仏教の教えを実践していきたいと思っております。
この現状について、どのように考えていけばよいでしょうか。長文となってしまい恐縮ではありますが、ご回答いただければ幸いです。宜しくお願い致します。
有り難し 4
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