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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 死にたい」
検索結果: 3266件

奇形の蝶

初夏から揚羽蝶を飼育しています。 卵から育てたもの、幼虫を見つけてきたもの、20頭あまりを飼育しました。蝶のシンプルで美しい一生の、貴重な時間を見せてもらっていました。 幼虫の段階で死んでしまう子、さなぎの時点で死んでしまう子。悲しいことがありながらも、毎日声をかけながら、愛情を持って虫たちに接していたつもりでした。 その中で一頭、羽化不全と言って、羽が伸びずにさなぎから生まれてきてしまった子がいました。 野生に放しても、確実にすぐに命を落としてしまうことは分かりきっています。 私は、その子の寿命がつきるまで、家で面倒を見ることにしました。 その子はもともと体が弱かったのか、次第に足がもげ、羽もちぎれ、与えた餌を摂取するだけの寝たきり状態になりました。 次第に、「これが生きていると言えるんだろうか。私は不自然なことをしているのではないだろうか」考えるようになり、 半年前から友人と約束していた旅行が控えている事もあり、 その子の存在を疎ましいと、思ってしまいました。 どうにもならない苛立ちから、世話をしている夫と蝶に酷いことや、悲しい事を言いました。 その三日後の朝、蝶は死にました。 私が心ない事を言った翌朝から元気がなくなり、二本だけ残っていた足ももげました。 私のせいです。そう思えて仕方がありません。 愛情を持ってかわいがっていたのは「つもり」で、自分にとって不都合な形になってしまった子は、愛せませんでした。蝶には、それがわかったのだと思います。 不格好でも、生きていたのに… 旅行なんて行かなくても良かったのに。 どうしたらつぐなえるのでしょうか。

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弱い気持ちに負けそうになる

死にたくないのに死ぬことばかり考えてしまいます。 いつも鬱々している訳ではありません。 日々の生活に幸せを感じる事も沢山ありますが、どうやったら死ぬかという事がいつも頭の片隅にあって苦しいです。 そして時々生きてる事を確認するかの様に頚動脈を締めてしまったり自分でも歯止めが効かなくなって恐ろしい行動をしてしまいます。 やった後はまたさらに死への恐怖が強くなって体が震えて呼吸が苦しくなります。 多分きっかけは人間関係でパニック障害になり長年飲んだ抗不安薬のせいだと思います。 医師からなんの説明もないまま何年も服用していたのですがそれが体に深刻な影響を及ぼすと知り断薬しました。 その頃から体と心に不調が出ています。 以前も似たような質問をさせていただいたのですが、お薬に頼る事は悪いことではないと言う回答をいただきました。 仰る通りだと思いましたし、こんなに馬鹿げた質問に答えて頂けて嬉しかったのですが薬で苦しんだのでもう二度同じ思いをしたくないのです。 病院で相談するとやはり薬をすすめられるので病院には行っていません。 社会人になってこれから自分の力で生きていこうと頑張っている子供達の成長を見守っていきたいです。 今まで沢山迷惑をかけてきたのに母親の迷惑な行動で子供達の将来に傷をつける様な事はしたくないのですが(勿論夫に対してもです)波のように襲ってくる黒い考えが怖くてたまりません。 私は今いる子供の他に2人の命を授かりましたが産んであげることができませんでした。 自分の命を絶つ事はその子達にも申し訳がないと心では思っているのですが、その気持ちとは反対のふとした瞬間に襲ってくる怖い自分をなんとか克服したいです。 あまりにも馬鹿らしい悩みで誰にも相談できないのも苦しいです。 これから後何年生きれるかわかりませんがしっかり生きて、いただいた命を全うして向こうの世界に戻れる様になりたいです。 自傷する事を考えずに心穏やかに日々を過ごすにはどうしたらようでしょうか?

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おじいちゃんが無事に天国へ行くためにできることはなんですか

こんにちは。たくさんの質問があるなか、お忙しいとは思いますが、ひとつお尋ねさせていただきます。 先日、祖父が亡くなりました。 優しくてユーモアがあって大好きな祖父でした。 私にとって身近な人が亡くなるのは初めてで、自分が想像してたよりも遥かに人の死というのは悲しくて寂しく、また、綺麗な死に顔を見たことや骨だけになってしまったこと、死という全てが衝撃的でした。 1ヶ月ほど前、元気な姿で会った祖父は一体どこへ行ってしまったのでしょう。 骨になったら全てが終わりなのでしょうか。 祖父がいまどうしているのか気になり、ネットで自分なりに仏教について調べてみました。 そこで、49日間かけて故人は裁判のようにひとつひとつ過去の行いを審査されそれをもとにその後の行き先を判断されるというお話を知りました。 祖父はまだ初七日も迎えていない状態です。 もしかすると祖父はいま、行ったこともない道を一人で寂しく歩き、不安な気持ちで審査を受けてるのではないかとおもうと、心配でたまりません。 祖父は1人で寂しくないでしょうか? 祖父が無事に天国へ、もしくは安心できる地へ、祖父の先に亡くなった家族が待っている元へいくために、私にできることはありますか? 手を合わせて、想いを込めるだけでも力になれますか? 祖父のことが心配です。 もし今の私にできることがあれば、教えてください。よろしくお願い致します。

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うつ病の方に是非とも目を通して頂きたいです

おはようございます。 私はうつ病ではありませんが、恐ろしいことがわかりました。 向精神薬漬け、で検索して頂くと書いてありますが、1999年、2000年に海外から、新しい抗うつ剤が入って来たことにより、自殺者と抗うつ剤の売り上げが比例しているそうです。 自殺者の9割が精神科に通っていて、そのうちほとんどが抗うつ剤を投与されていることがわかりました。 精神医療は薬で洗脳するとも書いてありました。 誤診も多く、抗うつ剤がうつを作り出す副作用もあるそうです。 抗うつ剤を飲んでいるのに死にたくなるということがあれば、間違いなく副作用です。 医療業界はこれをひた隠しにしています。 薬剤師も知りながら抗うつ剤を患者に渡しています。 うつ病にいいのは朝陽を浴びて、栄養バランスの取れた食事、運動することだそうです。 不思議と魚嫌いな方も多いそうです。 もちろんストレスの原因を取り除くことも大事です。 私は抗うつ剤を処方されている、精神疾患の方に自死の道を選んで欲しくないと思っております。 御回答頂けなくても構いません。 うつ病と闘っているお坊さんもいらっしゃるということで、書かせて頂きました。 拡散希望です。 よろしくお願いいたします。

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認知症の母と、この度急死した父の供養について

この大晦日に父が急死しました。 両親は、認知症がありました。 子どもである私と兄は他県に住んでおり、実家の両親は認知症同士でなんとか生活が成り立っている感じでした。 大晦日の日、私が実家に帰省すると、父はコタツの中で虫の息状態で、母はその隣で、何事もなかったかのようにミカンをむいておりました。慌てて救急車を呼びましたが、父は病院に着くまでに息を引き取りました。 母は、死にかけている父のことをまともに認識できないほど、認知症がひどくなっていたのかとすごくショックを受けました。 葬儀は、家族とごく近い親戚のみでとりおこないました。 母は、父が死んだことをすぐ忘れてしまうので、葬儀の間もずっと父を探しておりました。 父の死があまりに急だったため、認知症の母を一人実家に置いておくことはできないので、母は急きょ、施設に入ることとなりました。 施設入所は、母の本位ではなかったため、母はかなり不安定となり、父の四十九日の法要には、精神状態を考慮し、施設の方の助言で参列させませんでした。 4月に父の納骨をしましたが、それにも母は、参加しておりません。 生前、父は、母がいないと何もできない人で、母に頼り切って生活をしておりましたので、二人はいつも一緒でした。 上にあげたような事情で、母が、父の法要や、お墓参りに行っていないことがすごく気になっております。父はあの世で、母が来るのを待っているのではないか…。 ただ、最近、少しずつ新しい生活に慣れて、落ち着いてきている母の精神状態を乱すのでは…と、あえて父の死にふれておりません。 ちなみに、父は、仕事が船員だったため、仕事に出ると何か月も家を空けていたので、家族、施設の方も母が「お父さんはどこ?」と聞かれると「お父さんは、船に乗っているよ…。」といってなだめている状態です。 父が亡くなったと母に話しても、その瞬間は、取り乱して、悲しむと思いますが、次の瞬間には忘れてしまうので、母のためを思うと今のまま、父は仕事に行っていることにしたほうがいいとは思います。 ただ、亡くなった父のことを考えると、最愛の母のことを待っているような気がして不憫です。 父は、あの世から、今の母の置かれている状況を見守っていて、現状を理解してくれいるのでしょうか? このまま、法要、お墓参りをさせなくても良いものかアドバイスたまわりたく思います。

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仲直りできないまま

春に次女を出産後、コロナの影響もあり手伝いに来てくれていた母と共に新生児と4歳の娘にを連れて田舎に帰省しました   祖母とは特に仲が悪い訳では無く、子どもたちを可愛がってくれるので帰省したのですが   今思えばその頃から体調が悪かったのか、当たりが強くなっていました   私自身も祖母から距離を取るようになり、娘も遠ざけていました   散歩に出かけた私達を追いかけて来ていたようですが『ばーちゃんも散歩している』と勝手に解釈し、置いてきてしまったり   心配して何時間も待ってたと、後から叔母から聞きました   物凄い罪悪感が残ったまま   祖母は耳が遠い事もあり娘が『ばぁば』と言っている言葉も『クソババア』と聞こえてしまうようで、『クソババアが嫌いか?』と自分は嫌われていると思い込んでいました     早く帰りたい、早く帰りたい、と帰宅を早めてしまいました     また今度誤解を解けばいい、仲直りすればいい、また会いに来ればいい     とそそくさときちんとお別れをしないまま帰って来てしまいました     その後1ヶ月程で亡くなってしまいました     娘と仲直りさせたかった、誤解を解きたかった、嫌いじゃないんだと伝えたかった     今更遅いですが、その事がずっと私の心の重荷になっています     亡くなった連絡を受け、その日に娘たちも連れて帰省     最後に顔を見に行き何度も謝りました     できなかった罪滅ぼしではないですが、裏方の手伝いをしてきました     それでも、罪悪感といいますか、心のしこりが取れず。。ずっと苦しいです     ごめんねと謝っても、返事は当然無く     娘にはまだ『死』の概念が無く、「病院に行ったら元気になる」「まだ起きないね」と無邪気な言葉が今の私にはグザグサと刺さります     娘にも、ちゃんと仲直りさせてやれなくて申し訳無い気持ち     ばーちゃんにきちんと謝りきれてない心残り     ばーちゃんは私含め娘も許してくれているのでしょうか     まだ寂しい気持ちを抱えてしまっているのでしょうか。。     墓参りは勿論ですが、何をすれば供養といいますか私達を許してもらえるのでしょうか

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不幸になりたくないと願ってしまう

初めて質問させていただきます。 下手な文だと思いますがご了承ください。 私は家族とも仲が良く学校でも特に苦しむこともなく、いわゆる「幸せ」と呼べる人生を送っています。 だからこそだと思うのですが最近、自死を願っている人の事を聞くと、 「もしも私の人生に1歩間違いがあったら私もあんな考え方をしていたのかな…」 と、不安になってしまいます。 今、幸せに生きれている事は偶然の重なりです。 もしも、生まれた場所や時間が違っていたら、「死んでしまいたい」と考えてしまう人生を送っていたかもしれません。 自分が本当にそう願ってしまったら、実際にそうしてしまうかもしれません。それがものすごく怖いんです。 もちろん、その考えをしてしまった人達が行動した理由が、そんな人生を望んでいなくて、限界が来てしまったから、という事は分かっています。 ですが、私は寿命までしっかり生きていてほしいです。 すいません、話がごちゃごちゃになってしまったのでまとめますと、 今、私が思っている事は、 「不幸な人生を送りたくない、でも、今その人生で苦しんでいる人に申し訳ないかもしれない…」 ということ、 私の悩みとしては、 「その思いを少しでも和らげてしまいたい」 ということです。 この思いが少しでも和らげられそうな考え方を、たくさん聞きたいです。

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自分のために生きることは許されますか?

閲覧ありがとうございます。 自分の為に生きることが、罪なのではないか。 人に迷惑をかけるくらいならば、 私はいないほうがいいのではないか。 最近そんなことばかり考え、 パニックなどではなく、 穏やかな状態で、死を意識するようになりました。 自らの幸せのために貪欲に生きる方法がわかりません。 こちらで記載できないことは プロフィールにございますが、 家庭にも以前務めた職場にも問題があり、 19歳の頃、人間不信に陥りました。 いつ死んでも構わないとまで思え、 社会や人と深くかかわらないように ひっそりと生きてきました。 今年に入りわずか4ヶ月ほどで、 ①5年契約社員として務めていた上司からの準社員推薦 ②嫌われていたと思い込んでいた親戚との和解 ③交際を希望してくださる方が現れる など、この5年では考えられないような 幸せなことが起こりました。 生きる希望や意味すら失っていた私ですが、 生き直せるのではないかと 淡い希望をもち、将来のことを考えた時、 いまの未熟な自分ではどうやっても 周囲の大切な人たちに迷惑をかけてしまいます。 私はそれが辛くてしかたありません。 優しくされたり、なにかしてもらったりすると 情緒が不安定になり泣きだしてしまいそうになる始末です。 私の考え方は、 どこからか狂ってきているという自覚がございますが、 自分ではどこからかえていけばいいかわかりません。 どうご意見、アドバイスいただけないでしょうか? よろしくお願いいたします。

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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

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出家の是非について

長文で失礼します。 下記のような問いを持っており、その考究(あるいは超克)に残る人生を費やしたいと考えております。 現在そのための生活様式を模索中で、出家もひとつの選択肢として考えております。   早速質問ですが、 ①下記のような問いは、仏教の中で取り組むに値するのでしょうか。 ②考究にあたり、仏教はもちろんなのですが、その他の学問の助けも借りたいと思っています。出家した場合それは可能でしょうか。   ご回答いただければ幸いです。   ーーーーー   私は相互作用の世界の中に生きている。それはすなわち、常に他者に対して影響を及ぼしている、ということ。しかし、そのような在り方は自然・当然なこととして無視されてよいものではない、と私には思われる。   私の眼前には生きるか死ぬかの選択肢が平等に与えられており、自覚的にしろ無自覚的にしろ、前者を選んで生きている。裏を返せば、私には自死という、他者への影響を自発的に止められる能力が備わっている。   一般的に生きることは尊いとされ、自身の幸福の追求が当然の権利としてみなされている。しかし私が生きるということには、他者の生や意志を損ねる、負の影響が必ず伴う。   そうであれば、生とは害悪ではなかろうか? その害悪性を無視してまで、この生は礼賛されるべきものなのか? 私はただ、生きたいという自分本意な欲求に盲目的に従っているだけではないのか? 生と死を選択肢として与えられている私が、なお自分を生かし続けるのはなぜなのか? 私が生きようとすることを、私はいかにして是認できるのだろうか?

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自殺して体験した恐ろしいこと

20年以上昔ですが、死のうと思い沢山薬を飲みました。 気がつくと暗い暗い真っ暗な1畳もない狭いところにいて、何も見えないんです。 自殺した罪で、ここに何十年も身動き取れず地縛霊になるか、これまでの人生よりずっと辛いけど現世に戻るかと、閻魔さまに聞かれて、 泣きながら、こんな暗い誰もいない怖いとこにいるぐらいなら現世に戻ると言いました。 結果、現世に戻ってきて生きています。 辛いことも方が多いけど、良いこともたまーにありました。嫌なことばかりではなかったです。 死のうとした原因は、ある人達に騙されて、絶望したからです。 今、思うと、別の解決法があったのに、無駄に大変怖い思いをしたと後悔してます。治療費もかかりました。治療費より弁護士にお金を払って解決したほうが、怖い思いも、時間を無駄にすることもなかったのになあと今になってはそう思います。 死のうと思っている方々へ。 自殺するより、他に絶対解決策があります。 まず、誰でもいいので「助けて!」のサインを出してください。 きっと、なにか解決策はあります。 話、戻りますが、 辛いことがあると「死のうとした罰なのかな」と落ち込みます。単に、あの恐ろしい体験は、幻覚とか夢だったのでしょうか。それとも地獄の閻魔様だったのでしょうか。 自殺したら、真っ暗な1畳しかない箱みたいな地下室のようなところで地縛霊になって苦しむのでしょうか? 人を自殺に追い込んだ人たちが地獄にいくべきなのに、間違った判断だったかもしれないけど自死してしまった人が、さらに苦しまないといけないのか凄く不条理でなりません。 私の場合は、その当時若くて判断力がなく、弁護士に相談することもできませんでした。 死ぬぐらいなら誰かに相談して欲しい。死ぬんだったら、福祉受けても生き延びて欲しいと、私は痛烈に感じます。 最近、嫌なこと続きで、もしかして自殺の罰なのかと落ち込んでいます。罰なんてあるのでしょうか? 思い出して怖くなります。あと、心を落ち着かせる考え方があったら教えてください。

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父の事故死 日常を取り戻すためには

 5月の末、父が突然の事故で亡くなりました。本当にあまりにも突然でした。川へ転落して、全身の損傷によって、身動きが出来ないままの溺死ということでした。タフな父でした。私よりずっと健康でした。それがなぜ。  事故前日、ふらっと実家に寄った時は、いつも通り元気で、普段通りのたわいもない会話をしたばかりでした。翌日、警察署の遺体安置所で父の姿をみるなんて思ってもいませんでした。  私は、身体が弱く、発症以来、入院や療養期間も長く、迷惑をかけていました。やっと昨年、結婚して家を出るも、色々な疲れが溜まったからなのか、休職を余儀なくされ、ようやく今年の春に復職したばかりでした。そして、この夏の終わりには、迷惑ばかりかけていた私も、孫の顔を見せるという親孝行が出来るところまで、あともう少し、本当にあともう少しというところまで来ていました。  どうしてそんな転落するような場所へ一人でボランティアに行ったのか、なんでもう少し(コロナでどこにも行けない)辛抱ができなかったのか。  今でも実は、ただいま~って帰ってきているんじゃないか。死んでしまったなんて、何かの冗談ではないか。色んな手続きや、法要が進んだのに、未だに信じられません。  父と同世代の方を見ると、それだけで涙が止まりません。どうして父だけを連れ去り、この人たちは生きているのでしょうか。  本来なら、忌引きが明けて、会社に出社しているのでしょうけど、それが上手く出来ていません。本来なら、生まれてくる子供を楽しみに準備していたと思うのですが、それが出来ません。父の死が、頭から、心から、身体から、その悲しみが離れる事がありません。  そして、まさに言葉の通り身動きがとれなくなります。正直な気持ち、今、この状態で子供が生まれてくることが怖いです。悲しみが強すぎて喜べそうにないのです。どうやって父の死と、これからの事に向かい会っていけば良いのでしょうか。せめて、残された母、出産する妻、生まれてくる子供には、笑顔を向けたいのですが、今、それすら出来ずに困っています。

有り難し有り難し 11
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