おはようございます。 私はうつ病ではありませんが、恐ろしいことがわかりました。 向精神薬漬け、で検索して頂くと書いてありますが、1999年、2000年に海外から、新しい抗うつ剤が入って来たことにより、自殺者と抗うつ剤の売り上げが比例しているそうです。 自殺者の9割が精神科に通っていて、そのうちほとんどが抗うつ剤を投与されていることがわかりました。 精神医療は薬で洗脳するとも書いてありました。 誤診も多く、抗うつ剤がうつを作り出す副作用もあるそうです。 抗うつ剤を飲んでいるのに死にたくなるということがあれば、間違いなく副作用です。 医療業界はこれをひた隠しにしています。 薬剤師も知りながら抗うつ剤を患者に渡しています。 うつ病にいいのは朝陽を浴びて、栄養バランスの取れた食事、運動することだそうです。 不思議と魚嫌いな方も多いそうです。 もちろんストレスの原因を取り除くことも大事です。 私は抗うつ剤を処方されている、精神疾患の方に自死の道を選んで欲しくないと思っております。 御回答頂けなくても構いません。 うつ病と闘っているお坊さんもいらっしゃるということで、書かせて頂きました。 拡散希望です。 よろしくお願いいたします。
(編集部より。特定の回答僧を指名した質問はできませんので、タイトルを変更しました。) 暖かいお言葉ありがとうございました。人間嬉しくても泣くのですね。忘れていました。 でも御坊様、生きているのが怖いのです。生きていて良いのか?死んで初めて役に立つのではと自然に思ってしまうのです。夜かろうじてベッドに入る時、朝目覚めません様にと願い、朝目覚めるとガッカリの繰り返しです。自ら命を絶つ事は罪なのでしょうか?私が死ねば主人は法律的にも私を憎み叩き潰す事しか考えていない実の二親と妹から解放されるのです、間違いなく。二親と妹は厄介払いが出来たと間違いなく喜びますが、主人は解放されます。仏様が私の命を絶ってくださるか(恐れ多い言葉です、お許し下さい)アクシデントで死ぬか、自ら命を絶ってしまうにせよ、私にもしもの事があったら主人には死後離婚してもらいたいのです。夫にせよ妻にせよ、相手の家と縁が切れる法律です。御存知の様に私の二親と妹は主人にどんな難癖をつけてくるか分かっていますから。その上3人とも怖ろしい程の守銭奴です。どんな形で私は死ぬのか今は分かりませんが私の死後、主人が3人に苦しめられたりするのはたまりません。
ドキンちゃん、私はあなた様の 「生まれた日から死に向かっているのですよ。楽しまなきゃ損です。たまには休憩をしながらかんばって、楽しい人生をゲットします。涙の日があったら、輝かしい未来への足がかりだと思って乗り切ります。」 という言葉に励まされて、ノートに書き取って、いつでも読めるようにしています。落ち込んだ時にドキンちゃんの言葉を読んで、頑張ろう!と思うのです。 とっても心配しています。 お辛いかもしれませんが、死なないで欲しいです。生きて欲しいです。 お坊様へ 直接ドキンちゃんに書くことは、ルール違反だと思います。ですからお坊様のどなたか、上記の様に励まされている者が居ることを、心配している者が居ることを、お伝えいただけませんでしょうか。 出過ぎた事をしまして申し訳ありません。 どうぞよろしくお願いいたします。
こんにちは 現在大学3年生の20歳の男です まだ3年生が始まってすぐの状態ですが訳あって留年が確定しており、そしてこのまま大学に居座り続けても卒業するのは難しいという状況になってます。 もうこの先の将来にやりたいことや希望が見いだせず、不安でしかなく、自ら命を絶つという考えまで出るようになりました。先日亡くなられた名古屋の大学生も同じような気持ちだったのだと思います。 振り返ってみれば、幸いにもこれまで私は家族や友人、恋人(今はもう別れてます)にも恵まれ、大変幸福な人生を歩んできたつもりです。そういった満足感から「もういいかな」という気持ちも芽生えているのも事実です。 私の理想は、というか当たり前だと思っていたのは、両親のように結婚して家庭を持って子供を育てるということでした。しかし今の私の状況、私の能力、社会環境などををずっと考えたり、同じような境遇の方がどういった人生を歩んでいるのかを調べていくうちにそれも無理だとわかりました。 正直もうしんどいし満足です。 生きていく目的や希望もないです。自分の理想からかけ離れた生活をしていくのも惨めで辛いです。 それしきのことで、と思う方もいらっしゃると思いますが、私にとってはそれしきのことが辛くて辛くてたまりません。 自ら命を絶つのはいけないことなのでしょうか。 また、そうなったとき、両親や兄弟の心労を少しでも減らすにはどのような言葉を残せば良いのでしょうか。
こんにちは。たくさんの質問があるなか、お忙しいとは思いますが、ひとつお尋ねさせていただきます。 先日、祖父が亡くなりました。 優しくてユーモアがあって大好きな祖父でした。 私にとって身近な人が亡くなるのは初めてで、自分が想像してたよりも遥かに人の死というのは悲しくて寂しく、また、綺麗な死に顔を見たことや骨だけになってしまったこと、死という全てが衝撃的でした。 1ヶ月ほど前、元気な姿で会った祖父は一体どこへ行ってしまったのでしょう。 骨になったら全てが終わりなのでしょうか。 祖父がいまどうしているのか気になり、ネットで自分なりに仏教について調べてみました。 そこで、49日間かけて故人は裁判のようにひとつひとつ過去の行いを審査されそれをもとにその後の行き先を判断されるというお話を知りました。 祖父はまだ初七日も迎えていない状態です。 もしかすると祖父はいま、行ったこともない道を一人で寂しく歩き、不安な気持ちで審査を受けてるのではないかとおもうと、心配でたまりません。 祖父は1人で寂しくないでしょうか? 祖父が無事に天国へ、もしくは安心できる地へ、祖父の先に亡くなった家族が待っている元へいくために、私にできることはありますか? 手を合わせて、想いを込めるだけでも力になれますか? 祖父のことが心配です。 もし今の私にできることがあれば、教えてください。よろしくお願い致します。
食べ物、着るもの、住むもの、関わる全てが他の何かにも関わって、だからか感謝しようというけれど、 今生きていること自体に特別楽しいと感じているわけでもなければ、両親兄弟をいつも好いているわけでもない。いつも嫌っているわけでもない。 今自死しない理由はいずれは死ぬのが命だからという程度のようにも思える。 感謝とは、しないといけないものですか?私には、いまひとつ不自然な感情にも思えてしまいます。 そう思ってしまう自分が怖いとも感じますが、、高層ビルや排気ガスやと今の環境に求めていないものが、身の回りに多いせいかもしれません。感謝するのがまるでぶりっ子してるようにも感じてしまうのか、上手く書けませんが、 そもそも感謝とは何でしょうか? ご鞭撻の程よろしくお願い致します。
春に次女を出産後、コロナの影響もあり手伝いに来てくれていた母と共に新生児と4歳の娘にを連れて田舎に帰省しました 祖母とは特に仲が悪い訳では無く、子どもたちを可愛がってくれるので帰省したのですが 今思えばその頃から体調が悪かったのか、当たりが強くなっていました 私自身も祖母から距離を取るようになり、娘も遠ざけていました 散歩に出かけた私達を追いかけて来ていたようですが『ばーちゃんも散歩している』と勝手に解釈し、置いてきてしまったり 心配して何時間も待ってたと、後から叔母から聞きました 物凄い罪悪感が残ったまま 祖母は耳が遠い事もあり娘が『ばぁば』と言っている言葉も『クソババア』と聞こえてしまうようで、『クソババアが嫌いか?』と自分は嫌われていると思い込んでいました 早く帰りたい、早く帰りたい、と帰宅を早めてしまいました また今度誤解を解けばいい、仲直りすればいい、また会いに来ればいい とそそくさときちんとお別れをしないまま帰って来てしまいました その後1ヶ月程で亡くなってしまいました 娘と仲直りさせたかった、誤解を解きたかった、嫌いじゃないんだと伝えたかった 今更遅いですが、その事がずっと私の心の重荷になっています 亡くなった連絡を受け、その日に娘たちも連れて帰省 最後に顔を見に行き何度も謝りました できなかった罪滅ぼしではないですが、裏方の手伝いをしてきました それでも、罪悪感といいますか、心のしこりが取れず。。ずっと苦しいです ごめんねと謝っても、返事は当然無く 娘にはまだ『死』の概念が無く、「病院に行ったら元気になる」「まだ起きないね」と無邪気な言葉が今の私にはグザグサと刺さります 娘にも、ちゃんと仲直りさせてやれなくて申し訳無い気持ち ばーちゃんにきちんと謝りきれてない心残り ばーちゃんは私含め娘も許してくれているのでしょうか まだ寂しい気持ちを抱えてしまっているのでしょうか。。 墓参りは勿論ですが、何をすれば供養といいますか私達を許してもらえるのでしょうか
生きてる実感、現実感がないです。 何かやって、成し遂げても、数字的な結果やお金稼ぎには直結しません。 それで努力がとてもめんどくさく思います。 考えていくうちに、時間がたち、今日もやりたくないなぁと腰が重くなります。頭の中での映像が鮮明で、頭の中で行動をしてそれで満足してしまいます。 それか、途中までやって、最後までやり遂げるのが嫌です。もう何もかもが怖いです。 全てのものがハードルが高く、そもそも生きたくありません。 瞑想、スピリチュアル、動画、読書、趣味、勉強をしました。 でも、そもそも感情がわきません。 やっている演技をしてしまいます。 やった感があまりにもないです。 頭の中の誰かに強制されているかのようです。 色々やった結果、死にたい気持ちは薄れましたが、死は近くなりました。 こんな私に希望はあるんでしょうか。
閲覧ありがとうございます。 自分の為に生きることが、罪なのではないか。 人に迷惑をかけるくらいならば、 私はいないほうがいいのではないか。 最近そんなことばかり考え、 パニックなどではなく、 穏やかな状態で、死を意識するようになりました。 自らの幸せのために貪欲に生きる方法がわかりません。 こちらで記載できないことは プロフィールにございますが、 家庭にも以前務めた職場にも問題があり、 19歳の頃、人間不信に陥りました。 いつ死んでも構わないとまで思え、 社会や人と深くかかわらないように ひっそりと生きてきました。 今年に入りわずか4ヶ月ほどで、 ①5年契約社員として務めていた上司からの準社員推薦 ②嫌われていたと思い込んでいた親戚との和解 ③交際を希望してくださる方が現れる など、この5年では考えられないような 幸せなことが起こりました。 生きる希望や意味すら失っていた私ですが、 生き直せるのではないかと 淡い希望をもち、将来のことを考えた時、 いまの未熟な自分ではどうやっても 周囲の大切な人たちに迷惑をかけてしまいます。 私はそれが辛くてしかたありません。 優しくされたり、なにかしてもらったりすると 情緒が不安定になり泣きだしてしまいそうになる始末です。 私の考え方は、 どこからか狂ってきているという自覚がございますが、 自分ではどこからかえていけばいいかわかりません。 どうご意見、アドバイスいただけないでしょうか? よろしくお願いいたします。
最近、自分が、なぜ、なんのため、生きているのかがよくわかりません。 死を恐れて、というか、死についての事ばかり考えてしまい、不安で気分が悪くなって、食べた物を戻したり、やらなきゃいけないことが手につかなかったりしてしまいます。 自分では前向きに考えていこうとしているのですが、不確定な未来や、自分の最期が頭にちらついてしまいます。 友人などは支えてくれますが、どうにも気力が湧いてきません。 このような状態を脱するための考え方のようなものはありますか?
この大晦日に父が急死しました。 両親は、認知症がありました。 子どもである私と兄は他県に住んでおり、実家の両親は認知症同士でなんとか生活が成り立っている感じでした。 大晦日の日、私が実家に帰省すると、父はコタツの中で虫の息状態で、母はその隣で、何事もなかったかのようにミカンをむいておりました。慌てて救急車を呼びましたが、父は病院に着くまでに息を引き取りました。 母は、死にかけている父のことをまともに認識できないほど、認知症がひどくなっていたのかとすごくショックを受けました。 葬儀は、家族とごく近い親戚のみでとりおこないました。 母は、父が死んだことをすぐ忘れてしまうので、葬儀の間もずっと父を探しておりました。 父の死があまりに急だったため、認知症の母を一人実家に置いておくことはできないので、母は急きょ、施設に入ることとなりました。 施設入所は、母の本位ではなかったため、母はかなり不安定となり、父の四十九日の法要には、精神状態を考慮し、施設の方の助言で参列させませんでした。 4月に父の納骨をしましたが、それにも母は、参加しておりません。 生前、父は、母がいないと何もできない人で、母に頼り切って生活をしておりましたので、二人はいつも一緒でした。 上にあげたような事情で、母が、父の法要や、お墓参りに行っていないことがすごく気になっております。父はあの世で、母が来るのを待っているのではないか…。 ただ、最近、少しずつ新しい生活に慣れて、落ち着いてきている母の精神状態を乱すのでは…と、あえて父の死にふれておりません。 ちなみに、父は、仕事が船員だったため、仕事に出ると何か月も家を空けていたので、家族、施設の方も母が「お父さんはどこ?」と聞かれると「お父さんは、船に乗っているよ…。」といってなだめている状態です。 父が亡くなったと母に話しても、その瞬間は、取り乱して、悲しむと思いますが、次の瞬間には忘れてしまうので、母のためを思うと今のまま、父は仕事に行っていることにしたほうがいいとは思います。 ただ、亡くなった父のことを考えると、最愛の母のことを待っているような気がして不憫です。 父は、あの世から、今の母の置かれている状況を見守っていて、現状を理解してくれいるのでしょうか? このまま、法要、お墓参りをさせなくても良いものかアドバイスたまわりたく思います。
初めて質問させていただきます。 下手な文だと思いますがご了承ください。 私は家族とも仲が良く学校でも特に苦しむこともなく、いわゆる「幸せ」と呼べる人生を送っています。 だからこそだと思うのですが最近、自死を願っている人の事を聞くと、 「もしも私の人生に1歩間違いがあったら私もあんな考え方をしていたのかな…」 と、不安になってしまいます。 今、幸せに生きれている事は偶然の重なりです。 もしも、生まれた場所や時間が違っていたら、「死んでしまいたい」と考えてしまう人生を送っていたかもしれません。 自分が本当にそう願ってしまったら、実際にそうしてしまうかもしれません。それがものすごく怖いんです。 もちろん、その考えをしてしまった人達が行動した理由が、そんな人生を望んでいなくて、限界が来てしまったから、という事は分かっています。 ですが、私は寿命までしっかり生きていてほしいです。 すいません、話がごちゃごちゃになってしまったのでまとめますと、 今、私が思っている事は、 「不幸な人生を送りたくない、でも、今その人生で苦しんでいる人に申し訳ないかもしれない…」 ということ、 私の悩みとしては、 「その思いを少しでも和らげてしまいたい」 ということです。 この思いが少しでも和らげられそうな考え方を、たくさん聞きたいです。
20年以上昔ですが、死のうと思い沢山薬を飲みました。 気がつくと暗い暗い真っ暗な1畳もない狭いところにいて、何も見えないんです。 自殺した罪で、ここに何十年も身動き取れず地縛霊になるか、これまでの人生よりずっと辛いけど現世に戻るかと、閻魔さまに聞かれて、 泣きながら、こんな暗い誰もいない怖いとこにいるぐらいなら現世に戻ると言いました。 結果、現世に戻ってきて生きています。 辛いことも方が多いけど、良いこともたまーにありました。嫌なことばかりではなかったです。 死のうとした原因は、ある人達に騙されて、絶望したからです。 今、思うと、別の解決法があったのに、無駄に大変怖い思いをしたと後悔してます。治療費もかかりました。治療費より弁護士にお金を払って解決したほうが、怖い思いも、時間を無駄にすることもなかったのになあと今になってはそう思います。 死のうと思っている方々へ。 自殺するより、他に絶対解決策があります。 まず、誰でもいいので「助けて!」のサインを出してください。 きっと、なにか解決策はあります。 話、戻りますが、 辛いことがあると「死のうとした罰なのかな」と落ち込みます。単に、あの恐ろしい体験は、幻覚とか夢だったのでしょうか。それとも地獄の閻魔様だったのでしょうか。 自殺したら、真っ暗な1畳しかない箱みたいな地下室のようなところで地縛霊になって苦しむのでしょうか? 人を自殺に追い込んだ人たちが地獄にいくべきなのに、間違った判断だったかもしれないけど自死してしまった人が、さらに苦しまないといけないのか凄く不条理でなりません。 私の場合は、その当時若くて判断力がなく、弁護士に相談することもできませんでした。 死ぬぐらいなら誰かに相談して欲しい。死ぬんだったら、福祉受けても生き延びて欲しいと、私は痛烈に感じます。 最近、嫌なこと続きで、もしかして自殺の罰なのかと落ち込んでいます。罰なんてあるのでしょうか? 思い出して怖くなります。あと、心を落ち着かせる考え方があったら教えてください。
ここ最近、大事な親友を亡くしました。 自殺でした。 親友は精神疾患を患っており 私が死んだら、とか つらい、死にたい、などなど よく口にしていました。 未遂もよくしていたので 今回も周りは、またか、程度に 思ったと思います。 親友からはよく相談されましたが その度に、ごめんねありがとうと 言われました。 ごめんねと言われると 何もしてあげられなくて 申し訳ない気持ちになり 胸が苦しくなりました。 多分、一番近くにいた親友は 私だと思います。 だからこそ、救えなくて 本当に後悔しています。 訃報を知ったときはものすごく ショックで悲しくて泣きました。 毎日毎日、親友のことを想っては 泣いてばかりいます。 親友は苦しみから解散されたでしょうか。 今は楽になったのでしょうか。 それだけが気になります・・・。
はじめまして! 質問させてください 私は今うつ病を患っていて 心療内科に通っています 自殺しようと薬を大量服薬したものの 死にきれず今日までなんとなく生きてきました 最近になって夜が眠れず 不安と寂しさ将来への不安で 毎日泣いています そしてまた死にたいと思うようになりました こんなに辛いのに生かされてるのは なぜなんでしょうか 何かの罰をうけているんでしょうか? こんなに辛い人生なのに 終わりが来ないのはなぜなんでしょうか 乱文失礼しました 誰かに聞いてもらいたくて
長文で失礼します。 下記のような問いを持っており、その考究(あるいは超克)に残る人生を費やしたいと考えております。 現在そのための生活様式を模索中で、出家もひとつの選択肢として考えております。 早速質問ですが、 ①下記のような問いは、仏教の中で取り組むに値するのでしょうか。 ②考究にあたり、仏教はもちろんなのですが、その他の学問の助けも借りたいと思っています。出家した場合それは可能でしょうか。 ご回答いただければ幸いです。 ーーーーー 私は相互作用の世界の中に生きている。それはすなわち、常に他者に対して影響を及ぼしている、ということ。しかし、そのような在り方は自然・当然なこととして無視されてよいものではない、と私には思われる。 私の眼前には生きるか死ぬかの選択肢が平等に与えられており、自覚的にしろ無自覚的にしろ、前者を選んで生きている。裏を返せば、私には自死という、他者への影響を自発的に止められる能力が備わっている。 一般的に生きることは尊いとされ、自身の幸福の追求が当然の権利としてみなされている。しかし私が生きるということには、他者の生や意志を損ねる、負の影響が必ず伴う。 そうであれば、生とは害悪ではなかろうか? その害悪性を無視してまで、この生は礼賛されるべきものなのか? 私はただ、生きたいという自分本意な欲求に盲目的に従っているだけではないのか? 生と死を選択肢として与えられている私が、なお自分を生かし続けるのはなぜなのか? 私が生きようとすることを、私はいかにして是認できるのだろうか?
私は15歳の時に祖父を 17歳の時にクラスの友人を 21歳の時に祖母、24歳の時に先輩を そして29歳の時に実父を亡くしています。大切な人を亡くすたびに、今、生かされてる事に感謝し「ありがとう」の言葉を大切に発するようにしています。 が、たまに亡くなってしまった大切な人達は、あの世でどうしているか?私はどのように見られているのか?気になります。人はおぎゃーと生まれた瞬間から死に向かって生きてると聞いた事があります。限られた時間を、家事や子育て、仕事に精一杯生きてるつもりですが、自分の寿命も知りたいです。 よろしくお願いします。
何度か相談させていただいています。 去年離婚調停をしましたが、夫が出席せず、最終的には再構築を目指しやり直すことにしました。それから、半年。 夫が会社が原因で年末にうつ状態に陥り、それからは少しでも夫の意向と違うことを言うと、ほぼ毎日「お前も敵」「俺のことなんか死ねばいいと思っているんだろ」と責められ、「そんな風には思っていない」と言い続けていましたが、限界を迎えそうです。 夫は毎日家にいて、私は仕事で19時くらいに帰宅しますが、帰宅すると無視されるか喧嘩を吹っ掛けられます。残された家事をして、娘のお世話をして1日を終えます。ここ1カ月半、毎日胃が痛み、胃薬を服用していて、ピルを飲んでいるのに、この2か月は不正出血もあります。昨日いよいよ風邪に加えてめまいのダブルパンチを受け、さすがに辛く、娘を連れて実家へ行き「今日は実家に泊まる」と連絡をしたら、攻撃のLINEの嵐。仮病だの死ねばいいと思ってるからそういうことできるんだろと責められました。 もうどう接したらいいかわからないし、このままでは共倒れの可能性もでてきました。 しばらく実家に身を寄せて今後について考えてもよいのでしょうか。 うつ状態の夫を見放したことになりますでしょうか。
何と感謝したらいいか分からないです 言葉になりません。何といえばいいのか! たった今、坐禅会から帰ってきて一分程度です 山は山でなく川は川ではない。山は山であり川は川である 言葉遊びの頭遊びも終わってしまったが、終わらない! 5歳の頃から死が恐ろしくて夜中泣いていました それからスピリチュアルやら他宗教やらあれこれ手を出して クリシュナムルティやらラマナ・マハリシ等の教えを学んで 色々ありました 今と同じように歓喜に包まれて、世界と一体に感じるようなことがあった しかし死んだらどうなるのか?輪廻に対する恐怖は残っていました どんなに感謝したらいいのだろう?どうしよう?涙が止まらない 何と素晴らしいだろう!すごい! それから仏教を学び、原始だの上座部やら大乗などのあれこれの知識を蓄えたり、そんなことやそんなことしてました 僕はこれから怯えて怯えなくてもいいんですね 22歳これから、笑って泣いてでも憂いがなく生きていける 仏教に出会って本当に良かった 何と感謝したらよいのか 輪廻があるのかないのかに怯えなくてよくなった! 歓喜の中を生きている どこに終わりだと線を引けるでしょうか?死であって死でなく、 死ぬでしょう!何のことない! 何と感謝したらいいのか?感謝を書き込まずにはいられなかったのです 悩み只々あり! 悩みは悩みでしょう!ありがたいこともありがたいんでしょう! 聖と凡を超えてただあったのだ。頭遊びは終わったが続くでしょう! 大乗万歳!ひゃっほーう! あらゆる規定から外れて規定を生きていくのだろう 秋の虫が鳴いている。秋の虫が鳴いている! 私は私に非ず。私は私。悟っただの境涯がどうだのもういわないでしょう! どのような教えや大魔神が来ても驚いて怖がって秋の虫が鳴くでしょう! 何の問題もただ在るだけ この社会にあって社会から外れ、社会にあって社会に生きていく! なんと感謝したらいいのか もうあらゆるモノを問題にせず問題の中、生きていくでしょう! 音声が響いております。ただ音声なんの不随も出来ないし作為無し! こういった歓喜を取り上げて特別な体験である!と祭り上げることもない 自惚れる私は私でなくて私です。こんばんわ! こうやって歓喜がさもありがたいように、素晴らしいように書いてすいません。特別なことないですがどうしてもお坊さん方に伝えたかった 推敲無し!
5月の末、父が突然の事故で亡くなりました。本当にあまりにも突然でした。川へ転落して、全身の損傷によって、身動きが出来ないままの溺死ということでした。タフな父でした。私よりずっと健康でした。それがなぜ。 事故前日、ふらっと実家に寄った時は、いつも通り元気で、普段通りのたわいもない会話をしたばかりでした。翌日、警察署の遺体安置所で父の姿をみるなんて思ってもいませんでした。 私は、身体が弱く、発症以来、入院や療養期間も長く、迷惑をかけていました。やっと昨年、結婚して家を出るも、色々な疲れが溜まったからなのか、休職を余儀なくされ、ようやく今年の春に復職したばかりでした。そして、この夏の終わりには、迷惑ばかりかけていた私も、孫の顔を見せるという親孝行が出来るところまで、あともう少し、本当にあともう少しというところまで来ていました。 どうしてそんな転落するような場所へ一人でボランティアに行ったのか、なんでもう少し(コロナでどこにも行けない)辛抱ができなかったのか。 今でも実は、ただいま~って帰ってきているんじゃないか。死んでしまったなんて、何かの冗談ではないか。色んな手続きや、法要が進んだのに、未だに信じられません。 父と同世代の方を見ると、それだけで涙が止まりません。どうして父だけを連れ去り、この人たちは生きているのでしょうか。 本来なら、忌引きが明けて、会社に出社しているのでしょうけど、それが上手く出来ていません。本来なら、生まれてくる子供を楽しみに準備していたと思うのですが、それが出来ません。父の死が、頭から、心から、身体から、その悲しみが離れる事がありません。 そして、まさに言葉の通り身動きがとれなくなります。正直な気持ち、今、この状態で子供が生まれてくることが怖いです。悲しみが強すぎて喜べそうにないのです。どうやって父の死と、これからの事に向かい会っていけば良いのでしょうか。せめて、残された母、出産する妻、生まれてくる子供には、笑顔を向けたいのですが、今、それすら出来ずに困っています。