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仏教の今後

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仏教は日本人の死生観に深く根を下ろして文化として素晴らしいものがあると思います。
しかし、こんな歳になるまで不勉強で恥ずかしいのですが、大乗非仏説を初めて知りました。
そして原始仏教と日本の仏教はかなり異なる事、律蔵があまり重視されなかったので、日本の僧侶は在家と変わらない事を知りました。
よく、キリスト教徒が進化論や地動説を信じないのを不思議に思ってきましたが、日本の仏教は実は(全てではないでしょうが)偽経だったと分かってどのように折り合いをつけているんでしょうか?
釈尊は口伝でしか伝えなかったから、全ての経蔵は直説でないとか、全て仏の御心から方便として出た物だとか、あまりに苦しい言い訳に見えます。また鰯の頭も信心からと言いますが、信心とは受け容れる事から始まるから信心はそこを問題にしないと言うのもそこに身を捧げる者としては辛い選択ではないでしょうか。
大乗非仏説は新しい概念ではないですが、時代を経るに従って消えることもないでしょう。今後、このまま伝統を重んじて変わらない事を良しとしていくのか、それとも時代と共に新しい研究成果を反映して変化していくのか、どのように考えられてますか?


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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

充分書ききれませんが

大乗非仏説なんかただの偏向報道ですから大した問題ではありません。

>原始仏教と日本の仏教はかなり異なる

hasunohaでは数年前に既に論破されていると認識しています。「無我をどう言い換えているか」を切り口にすると原始仏教もどの宗派も同じことをやっています。

>律蔵があまり重視されなかった

禅宗には清規(しんぎ)という律蔵にあたるものがあります。ところが大乗非仏説を言いたいだけの人は「いや、禅宗は例外で…」と話をそらします。曹洞宗は単一の派では国内最大なんですけどね。
お釈迦さまが「細かい戒律は必要に応じて変更したり廃止しなさい」と遺言したことも報道しない自由です。

>日本の僧侶は在家と変わらない

私は曹洞宗とタイ系の上座部仏教の修行を両方体験しましたが、曹洞宗の道場の方がはるかに厳しかったです。もっとも、どちらも『厳しいことをすること自体が目的ではない』ことには注意。

下もご覧ください。私は東南アジアで修行して、昭和に広まったイメージが大嘘だらけだったことに愕然としました。
https://hasunoha.jp/questions/26298

こちらもぜひ
https://hasunoha.jp/questions/27356
https://hasunoha.jp/questions/22559

>偽経

偽経とは中国文化圏で生まれた経典のことで、偽経の言葉そのものに良い悪いはありません。大学一年生で習うことです。
経蔵ではありませんが、正法眼蔵とダンマパダでも同じことばっかり書いてありますよ。
https://hasunoha.jp/questions/3160

>時代を経るに従って

消えますよ。そもそも批判仏教の学者さんや、全共闘世代とそのシンパ世代の反権威主義の人達が煽っていただけです。
むしろ私は日本の總持寺と東南アジアの瞑想寺で全く同じことを習いましたし、スマナサーラ長老も「真髄はまったく同じ」と発言しています。曹洞宗とアチラが同じなら、用語の定義を変えただけの浄土教も同じです。密教にしても「日本の密教は非仏説だが、チベット密教は素晴らしい!」というダブルスタンダードで批判されているだけですし

実際は世界仏教徒青年連盟の会長や世界仏教徒優秀指導者賞に日本の僧侶が選ばれています。日本人が勝手にジャパンバッシングしていただけです

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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私も仏道を志し始めた頃
同じ問題と向き合っておりました
お釈迦様がおっしゃったように生きるためには
原始仏教を読み実践し菩提心(仏を目指す心)を
起こすのが至極わかりやすいと心底思ったからです
ところがこのお仕事に就かさせていただき
様々な方と出会ってみますと
どうもこうした解釈や一定の経典にあまりこだわりを
持たない方の方が達観されているようです
そういう方々には仏教で重要な「寛容」が備わっているからです

言葉は多くを伝え多数の方に残すことができます
現代で言えば役割はテレビも同じです
ところが言葉もテレビも
伝えたい意図が必ず伝わるものでも無く
違った解釈をされてしまう事はどうしてもまぬがれません

経典もまた言葉
仏教は経典の中では無く
毎日の実践の中にあると存じます

私はそれからはどんな宗派も宗教の経も
親しむようにしております
そこには共通した愛があります
本当の愛は寛容で育つものです
経に疑いがあるなら疑いが晴れるまで疑いますと
不思議と始めの解釈とは違う解釈に変わったり
その時その時の己の求める心によって
目に止まる文言も違うところであったりします
自分の偏った見方を正すには
つまりは経に学ぶにはきちんとした師匠(導師)が必要になってきます
がそうした師匠を得るのは現代では僧侶と言えども難しいものです

しかしがっかりしなくても
誰でもできる仏教というものは頭で理解するものではなく
日々実践すべきものです

私などは妻帯して子供もいるので自分で族な坊さんと思います
さらに決して優秀なお坊さんでは無いのですが
日々人を救う事に重きを置き
人の幸せを願い
自分も幸せに生きております
そうしてますと
経典よりも効果は絶大なのです
周りの人が幸せになっていくのを
近くで感じられます

お釈迦様が己が言葉を経におこすことを嫌われた理由は
この経が正しいとか
こっちの経は間違えているとか
そうした話が無明への道だからです

大乗も小乗もお釈迦様は言っておりません
大乗と小乗の考え方の元となった
上座部と大衆部ができたのは
お釈迦様が亡くなった100年以上後
だからどんな経も100パーセント正確な仏教など知らないのです

それから仏教は今に集中する生き方を推奨します
未来も過去も考えてみたところで
しょうがないことは初めから考えないのです

合掌

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おきもち

山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロ...
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拙著『浄土真宗は仏教なのか?』(サンガ)

をご覧いただけると有難いです。アマゾンなどで出てきます。
 「私が属する浄土真宗では、釈尊の教えと浄土真宗の教えをどう折り合いつけるとよいだろうか」という視点で書きました。他の宗派のお坊さんにも続いてほしいと思っています。
 私の見解は、アマゾンの批評欄でお分かりになると思いますが、内部の浄土真宗のお坊さんには総じて嫌われていますが、一般の仏教好きな人には受け入れられているようです。
 興味が湧いたら、拙著『日本仏教は仏教なのか?』(サンガ、現在まで3巻出てます)にお進みくださると光栄です。
 釈尊の仏教という視点から、大乗も日本の宗派仏教も再解釈すれば何とかなると思います。今まで、釈尊の仏教を本当に、ただ、忘れていただけのような気がします。

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おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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仏教は様々に移り変わって現代に伝わっています。お釈迦様の教え(原始仏教)から始まり、お釈迦様の入滅後たくさんの部派仏教になり、それがやがて上座部仏教と大乗仏教になりました。上座部仏教はスリランカ、東南アジアに伝わり、大乗仏教はチベット、中国、朝鮮、日本に伝わりました。
上座部仏教では各個人が出家して阿羅漢になることを目的としていますが、大乗仏教では一般の人々と共に仏になることを目的としています。
どうして大乗仏教が生まれたのかは正確には分かりませんが各国の研究者によっていろいろな説が発表されています。
例えば、当時の上座部仏教が山に篭って人々に寄り添わないようになってしまい、それに異議を唱えた上座部仏教僧の中の有志が集まって、人々に寄り添う本来のお釈迦様の姿勢を取り戻すために大乗仏教を作った、という説が有力です。
他にも様々な時代背景もあったとする説もあります。
それから時代が移り変わって、今では上座部仏教僧侶が人々に寄り添う姿をテレビなどで拝見しますし、一方で寺にこもって人々に寄り添わない大乗仏教僧侶もいることも事実です。
仏教が釈迦教では無く仏教なのは、それは時代や国や人々に対して適切に移り変わることができるということです。お釈迦様の言われた筏の喩えでもあります。
大乗仏教も中国から日本に伝わってさらに時代と共に変わったところも多くあります。そしてこれからも変わっていくでしょう。
今は上座部仏教も大乗仏教も原始仏教も、さらには神道もキリスト教もイスラム教も何でも学ぶことができる時代です。
人々がより良い人生を送れるように仏教が変わっていけたらいいと願っています。
ちなみに余談ですが、大乗仏教の経典を書いたのは元々上座部仏教の僧侶達なので、上座部仏教の教えも随所に散りばめられてあります。また、中国や日本には上座部仏教の経典である阿含経も昔から伝わっていますから、昔の僧侶は阿含経など上座部仏教の教えも勉強されていたようです。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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最新の学問を学びましょう

「仏教の今後」に興味がありましたら是非ご一読を。2013年のものですが私も今読んでいます。現在はもっと研究が進んでいるのでしょうか…。

仏教学は進化・更新していく学問です。そう単純ではありませんので十分にご注意を。

公開講演 大乗仏教の起源に関する諸問題 【佐々木閑】
https://otani.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=6707&item_no=1&page_id=13&block_id=28&fbclid=IwAR3gPfyRWGPBi9SbD555HYAH3h2ttBPxkCtwvajSImrKVTCRpyllF1J-Sgk

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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悩み苦しみの軽減につながるかどうか

おっしゃるように、大乗経典はお釈迦様の教えと異なっているのかもしれません。
浄土宗が教えの根拠としている浄土三部経について言うと、
経典の中では、お釈迦様が弟子や信者に対して阿弥陀仏という仏様の存在を紹介してくださったことになっていますが、それはフィクション(物語)なのかもしれません。
ただ、上座部仏教、南伝仏教でも、ジャータカ物語が使用されていると思います。
その物語の中に仏教のエッセンスが含まれていれば、教えとして「使える」と思います。
仏教のめざす方向性として重要なのは、悩み苦しみの軽減です。
欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩を消したり制御したりすることにつながる教えならば、悩み苦しみの軽減に役立ちます。
原始仏教というものがあるとしたら、それを法律にたとえると、原始仏教は憲法、大乗経典は法律みたいな関係かもしれません。
各宗派の教えは自治体の条例みたいな感じ。
憲法は簡単には変えられませんが、法律や条例は変わる可能性があります。
たとえば、日本仏教が今後、上座部仏教に近づく形で変化していく可能性もあると思います。
いわゆる13宗派に加えて新たな宗派ができるようなイメージで、従来の宗派と上座部仏教とが、日本では仲良くやっていけると思います。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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「ラムリム」

麒麟様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

今後の仏教につきましてのご心配、誠に有り難いことでございます。

悟りへと向かうための修道論がしっかりと合理的、論理的に示されるものでなければ、やはり、色々と不安になるところがあるのはやむを得ないことであると存じます。

拙生もそうでございました。

そして、一から仏教を学び直そうと、初期仏教・テーラワーダ仏教から、現在では、チベット仏教の修習を中心に努めさせて頂いております。

その中で、拙生にとって仏教を捉え直す一つの大きな視座となりましたのが「ラムリム」でございます。

「ラムリム」とは、「悟りヘの階梯」として、11Cにインド・ヴィクラマシーラ大学僧院長であったアティシャ大師の「菩提道灯論」に始まる修道論の体系のことを表します。

いかにして私たちが仏道を歩み、しかるべくに修習していくべきであるのかが、段階を追って示されているところとなっています。

やがて、その「ラムリム」について、顕密共の修道論を確立なさられましたのが、チベットのツォンカパ大師でございます。

まさに仏道の羅針盤とも言える優れた体系であり、それを基として、修習について調えていけるところとなってございます。

大乗仏教における様々な経典の了義性(真実を説かれた内容)、未了義性(真実とは別に真実へと至るために説かれた内容)についての議論は、是非、ツォンカパ大師が著わされました「了義未了義・善説心髄」を参考になさられるのも。(但し、唯識の章と中観の章があり、それぞれ訳文、解説があるにはありますが、入手は難しいかもしれません・・中観の章「ツォンカパ 中観哲学の研究2」(文栄堂)・唯識の章「インド唯識説の研究」(文栄堂)。でもあと数年内には、全体の訳・註が出るのではないだろうかと考えています。)

とにかく、確かなる修道論がなければ、闇雲に道を進むようなものです。是非、道のまさに灯となる「ラムリム」について、学ばれて頂けましたらと存じます。ラムリムについての参考・全訳「アティシャ 菩提道灯論」(起心書房)。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

思いの外多くの回答を頂きありがとうございます。大変幅広い回答を頂き、幅広いお考えに触れる事が出来て幸いです。

大慈様
回答ありがとうございます。
最もコンサバな歯切れの良い回答だと思いました。
伝統の中にあってそれを受け継いでいく心意気を感じます。そして、宗派による違いも大きいんだろうと思いました。出家中に結婚するのは波羅夷なのに、アーナンダが聞きそびれた細かい戒律に入るのかなとも思いました。大乗非仏説が時代と共に消えると明言されたのはある意味清々しを感じます。参考になりました。

願誉浄史様
悩み苦しみの軽減が大切なんですね。確かにお釈迦様が生きた2500年前と今では悩み苦しみの種類は違うだろうと考えてさせられました。その中に真理があり、新たな知見が加わり新しい宗派が出来ても日本は柔軟性を持って仲良くやっていける素質がある事に未来を感じました。ありがとうございます。

丸山 晃俊様
確かに同じ物を見ても感じる事は様々ですね。それぞれの解釈が広がった状態で日本に仏教が入って来たから、混乱して何が釈尊の教えか分からなくなった。釈尊が文字に残していないのは識字率が低かったからと思ってました。今に集中して人を救う事を拠り所に考え実践する事で道が拓けたんですね。毒矢の例えを出すまでもなく目の前の問題を解決することが第一ですね。ありがとうございました。

吉武 文法様
仏教も学問として思ったより速いスピードで変わっていくんですね。仏教を学問として勉強したことがないのと、論文を読むのに慣れていないので難しいですが研鑽していきます。ありがとうございます。

三宅 聖章様
筏の喩えと「人々がより良い人生を送れるように仏教が変わっていけたらいいと願っています。」との慈愛に満ちたお言葉に共感しました。簡単に多くの情報が手に入る時代の価値を享受出来るようにしていきたいと思います、ありがとうございました。

大忍 貫道様
回答ありがとうございます。
まずお詫びしたいのですが、世襲で生まれ妻帯している事に慚愧の念に堪えませんと書かれている事です。そこまでの想像力が欠如しており、いきなり在家と変わらないと書いた事を後悔しました。申し訳ありません。
そして、回答頂いた内容も私のような者でも分かりやすい内容でした。各々が最新の知見を法話などに活かしていく流れが一番現実的なんでしょうね。
ありがとうございました。

藤本 晃様
ご著書の批評欄を拝見しました。ぜひ読まさせて頂きます。大変興味深く、私の疑問に答えてくれる内容だと楽しみにしています。藤本様のお立場で勇気がいった事と思いますが、ご活躍を祈念しております。

川口英俊様

お礼が遅くなってすみません。
私は全くの素人なので、釈尊の教えが混乱していても阿羅漢に至るのか疑問でした。やはり確かな修道論がなくある意味闇雲になってしまう事があるんですね。日本にない悟りの階梯のラムリムが大乗に至る道筋を示すなら、もっと日本で広めるべきですよね。私のような者が理解できるか分からないですが勉強してみます。貴重な情報をありがとうございます。

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ