hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧
検索結果: 236件

過去に動物を虐待していました

こんにちは。 私は小学四年生の頃、飼っていた猫を虐待していました。 その猫は拾い猫でした。 そして、顔があまり可愛い猫ではなく、ブサカワ?と言った所でしょうか、そんな感じでした。 蹴ったり、乗ったり、それを妹とやっていて、猫も鼻血を出したりしていて… そして動物を虐待するニュースをみたら、悲しい気持ちと怒りがいっぱいなのが、自分でもよくわかりません。 言葉を話せない存在、大切にしてやらないといけないし、そのように手を出すことも禁じられているのに、面白半分でやってしまったこと、こんな自分を殺してやりたいです。 関係ないですが、私の父は酒乱で、母を叩いたり、冷水をあびせたりしていることを私は目の当たりしていたし、それは小さい頃からだったから、今でも強く心に残っています。 父の存在によって私の心には大きく傷がつきました。父は私の最愛の母に苦労をあびせたからです。 それで動物虐待に逃げに走ったのかもよくわからないですが、今はとても反省しているし、それとともに大きな後悔を背負って生きています。 虐待していたことを思い出すと、途端に胸が痛みます。 こんな私は本当に生きてていいのでしょうか。 今は犬とデグーという動物を飼っており、最近では飼っていた文鳥とハムスターを亡くし、悲しい気持ちでいっぱいです。 ただでさえ、ストレスに敏感な奴なのに、こんなことが起きて、もうどうしたらいいのか本当に分かりません。 罪の意識を感じている毎日です。 どうかご回答願います。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

前を向くことと母を想うことは別ですか?

初めて質問させて頂きます。 2週間前に母が突然亡くなりました。 金銭面では何一つ親孝行できなかったのが本当に悔しいです。勉強中の私を心から応援し、励ましてくれた恩返しがしたかったです。もうすぐ妹が出産予定で、初孫をとても楽しみにしていたことも残念でなりません。母は周囲に私たち姉妹をよく自慢していたことをお葬式で初めて知りました。年1度の家族旅行の写真を見た親戚も、「本当に幸せそうだね」と言ってくれました。でも母はずっと金銭的に苦しんで、必死で育ててきて、やっと楽ができるときになっていなくなってしまったことが切なくてたまりません。今は仕事中も常に母のことを考えてしまいます。無念だったろうと思うことは母の成仏の妨げになりますか?前を向き、資格取得後を見据えて没頭することがこわいです。 毎朝晩手を合わせますが、そのときだけ母を想うなんて今までの恩を思うととてもできません。 ついこの前まで毎日沢山話していたのに、 もう話せないのが辛いくて怖いです。 でも、このままではだめな気もしています。 昨日母が泣き叫ぶ夢を見てしまいました。 いつもの母ではなかったので、私の心の弱さからあんな夢を見てしまったのだと反省しています。 でもどうすることが正解なのか、どうすれば母が喜んでくれるのかわかりません。 国家試験まであと1ヶ月半、全力で勉強しますが、他に私にできることがあれば教えて下さい。 どうかよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

父がきょうだいから実家と仏壇を奪いました

私の父が今、手術後に肺炎をおこし生死が五分五分の状態です。 母が看病していて、かなり憔悴しています。 私は父の最期について、ある「宿題」を抱えています。 父は、私の祖父がなくなったとき、遺産を3人のおば(妹)と争い、おばたちと私の祖母との仲が良くないと決めつけ、最終的におばたちから実家と畑とお墓を奪って長男独り占めの状態を作り、縁も切りました。 そのトラブルは、基本的に父によってお酒の力を借りて強引に、支離滅裂に進められました。私も当時(15歳)、虫の居所の悪い父に部屋をめちゃめちゃに荒らされたことがありました。 私は、自分の人生が父に壊される可能性を恐れて、地元の大学は落ちたが遠くの滑り止めだけ受かったという状況を計画的に作り入学し、卒業後最終的に実家から500キロ以上離れた場所に嫁ぎました。   私は、私の父がしたことを思うと、おばたちが好きだったのでとても罪悪感がありました。父がこの世を去るときに、私の母は義妹の誰も頼れないこと、奪った実家の問題がまた出てくるであろうということ。これは私の宿題として人生に残り続けました。 私は結婚した時も、出産したときも、内緒で夫や赤ちゃんを見せにおばの家に行きました。おばは夫に、「狸田羊は昔から性格がさっぱりしていて大好きだ」と言い、同じようにさっぱりと「でもあなたのお父さんは許せない、あなたのお母さんも間に入ってくれなかった、あなたには悪いけど、実家をとられて許せない」と言いました。 私は、自分も実家と距離をとって幸せになる作戦で生きているので、おばたちが祖母と離れて暮らしたことが悪いとは思えないし、そのことで実家に立ち入る権利すら奪われたことは間違っていると思います。 仏様や死んだ祖父母が悲しむことを、私の両親がしてきた気がするのです。 私は、おばたちに、両親の仏壇なのに手も合わせられないように父がこじらせてごめんなさいと正直に言いたい。お仏壇を正しく開放したい。 だけど、母が、私の気持ちを聞いて、「あんたの気持ちは、おばあちゃんを看取った実の親より縁の切れたおばたちの方にあったのか、裏切り者」というショックを受けないだろうか。 母は、義妹の実家でもある家を、今後もぶんどったまま(別荘として。両親の住まいはもとからちゃんとある)生きていくのだろうか。 仏教的に、好ましい行動はこの場合なんなのでしょうか。

有り難し有り難し 12
回答数回答 2

もう、いい!死にたい!

お久し振りです。 海外赴任中の主人は昨年の12月に一時帰国出来ただけで、CORONAが原因で赴任先から出られずもう7ヶ月も会えていません。3月にには次女犬が突然噴水の様に嘔吐し始めて、たった6日間で天国に行ってしまいました。体重20キロで抱き上げられず車の免許が無い私は病院に連れて行けず、往診可の病院は人手不足でやっていないと3件全滅。それでも友達に手伝ってもらってと算段し始めましたが間に合いませんでした。お寺にあるペット霊園で荼毘に伏す直前、冷たくなった次女犬の頭に泣きながらキスしてパパじゃなくてママが側に居て御免ねって謝りました。でも2日後に長女犬が病に倒れました。次女犬にしてやれなかった事を全部しましたが1ヶ月の闘病の末天国へ行ってしまいました。ペット霊園のお坊様は私の心配をなさっていました。私は次女犬を殺しました。噴水の様に嘔吐しているのに、撫でるだけ。泣いて謝るだけ。主人に一目会わせたかったです。私が100人いても意味がない、主人がパパがいなければって。なんらかの理由を作って帰国しようとした主人は結局成田で2週間留め置かれるので、帰国出来なかったんです。 今度は私の身体が悲鳴を挙げ始めました。病院に行っても治りません。食欲は落ちフラフラしています。主人には言えません。もう重荷に足かせになりたくないからです。実の二親と妹との確執、3人に起こされた裁判、もう十分過ぎる位迷惑かけていますから。 悲しいです、いつも一人ぼっちです。踏ん張っても頑張ってもいつも闇です。薬飲んで良いですか?辛いです、悲しいです。涙止まらないです。どうか優しいお坊様が聞いて下さいます様に。自殺って罪なんですか?

有り難し有り難し 42
回答数回答 2

お墓について

親のお墓について質問させていただきます。 7年前、父が亡くなりました。父が病気になる少し前に、土建業を営んでいた父の会社の資金繰りがうまくいかず、自己破産せざるを得なくなり、何もわからないという両親にかわり、弁護士等の交渉や手続きを私と私の主人でおこないました。結果的に自己破産が完了する前に父は亡くなりました。そんな中、両親がなんの相談もなく、墓石屋に勤める母の妹のすすめでお墓を購入していました。そのお墓は母の実家の近くの公営墓地で墓地の名義は母の兄となっていました。当時、自己破産の手続きの最中で、自分達では購入できないため、兄の名義としたようです(今現在は兄は亡くなり、兄の息子名義になっています)。 私は一人娘で、娘がいますが、そのお墓に入る予定の者は母以外いません。母の兄の息子名義ですが、管理料は7年ごとに母が支払いをしているようです。母亡き後、私が生きてできる限りはその管理料の支払いをするつもりでいますが、私の娘にまでそのような負担を強いることはできません。 母の兄の息子名義であること、管理料を支払わなければならないこと、私の住む場所から少し遠いことから、母の元気なうちに2人用の簡易的な墓への移転を提案しました。父が生前気に入って買った墓なのに親不孝だというようなことを親戚から言われました。母は名義の変更(本来その名義人が亡くなったときしかできない)は親戚の人に頼んでするし(いつになるかわかりません)、移転するようなお金はないといいます。 母や母方の親戚とは考えがあわず、私は父が亡くなって以降、距離を置いています。母も76歳なのでもしなにかあった場合、手続きの面で親戚と関わらなければならず、名義が親でないことがすごく不安に思っています。 父が生前見て購入したお墓であるので、守ってあげたい気持ちもありますが、後先考えず、勝手に購入し、次世代に負担を強いる考えがあまり理解できません。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

父と呼べなかった。

私には3人父親という存在がいます。 一人目は血の繋がりのある父 二人目は小学校6年生から19歳まで育ててくれた父 三人目は20歳から今に至るまでいる父。 一人目の父は私が小学校5年生の時両親が離婚し その後に7年間蒸発していました。 小学5年から卒業するまでの1年間は父方の祖母の家にいました。 その間に母は後に二人目の父になる人と一緒にいました。 なんとか小学校を卒業するまでわ祖母の家にいて 中学校からは母のいる所に引き取られたのですが 二人目の父をどうしても受け入れれなくて 凄く酷い態度を取り続けました。 それでも二人目の父は私の部活の練習をしてくれたり 実の子供みたいに接してくれていました。 だけど、私にわ本当の父がいるこの人は父親でわない そう言い続けていて遂には高校まで辞めました そのとに蒸発した父とも連絡がとれ 地元に帰りましたが、、父と一緒に来た人は父の再婚相手、腹違いの弟でした その生活も受け入れられず 結局は母の元にかえりました そうすると二人目の父が末期のガンである事を知らされました ガンであるにも関わらずまた私を受け入れてくれ 一緒に住んでくれました。 母の元に帰ってきた春、私は仕事が休みで母は妹の中学の入学式に行っていて訪問看護の方に もう脈がほとんどないですと言われ 頭が真っ白になりました。 まだ何も親孝行してない、まだお父さんと呼んでない、もっともっとあの時はこうだったね、と昔話もしてない。 なんにもしてないのに、、と思っていたら親族が揃い入学式も終わり母が帰宅した瞬間 父はこの世を去っていきました。 お葬式では母と妹が泣き、私は涙が出ませんでした。 ここでないてわいけない。 私が2人を支えなければと思いました 次の春で亡くなって9年たちます。 私は今でも後悔しかしてません。 父は私を恨んでいるでしょうか? お父さんと呼べず大柄な態度をとり お葬式では涙をながさず。 どうすれば私親孝行でぎすか? お彼岸にお墓参りにいきますが何度問いかけても返事はなく いったいどうすればいいでしょうか よろしければ返答お願いします

有り難し有り難し 7
回答数回答 2

実家の愛犬の死

初めまして。長くなりますがお話聞いて頂ければと思います。 3日前に実家の愛犬が16歳で亡くなりました。 私は海外での留学の為、2年以上も会えず死に目にも会えませんでした。 最後に愛犬と触れ合ったのは私が日本を出国する前で、まさかこれが最後の別れになるなんて考えてもいませんでした。 3月末に妹から〇〇ちゃんが昨日体調を崩した、今は薬と注射で落ちついてるけどまたいつ体調を崩すかはわからない。会いたいなら会っておいた方がいいと思う。 と連絡があり一時は日本へ帰る事を考えましたが、 今、留学ビザを違うビザに切り替え中で、日本への渡航許可はありましたが、その渡航許可は日本には帰れてもまた海外に入国できるかは100%保証はないという事と、短期間しか日本へ滞在できない事 〇〇ちゃんは絶対に何があっても死なない。うちの犬は絶対に長生きをするとなぜか理由もないのに過信していた事 妹からの連絡の数日後には、またいつもの様に散歩をしている動画を両親が送ってくれた事 夏にはビザの切り替えが済むので日本に長期滞在が出来る、夏にすぐ会えるという事もあり 日本には帰らない事に決めました。 今ではその選択を悔やんで仕方ないです。自己嫌悪でいっぱいです。 もしかしたら愛犬は私が帰るのを待っててくれたかもしれないのに。 最後にもう一度会いたかった。 帰るタイミングならいくらでもあったのに。 なんであの時、帰国の予約をしかけて最後までしなかったんだろう。あの時予約していれば。 せめて家族に頼んで元気なうちに愛犬とテレビ電話でもすれば良かった。 家族とのテレビ電話は恥ずかしくてメールでのやり取りや動画のやり取りしかした事がありませんでした。 ああすれば良かったこうすれば良かったと言うのも全て後付けの考えという事はわかっていますが頭の中から、なんであの時、、、と言うのが消えません。 今さら悔やんでも愛犬が亡くなった事実は消えないのもわかっています。 ですがそれでも後悔でいっぱいです。愛犬には沢山のかけがえのない時間をもらったのに自分は都合の良い時だけ構ってなにもしてやれなかった申し訳ない気持ち、最後に会いたかった無念、帰れたのに帰らなかった自分のした選択への自己嫌悪で潰されそうです。 最後までお読み頂きありがとうございました。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

18年前の中絶経験を思い出して辛いです

私は18年前に中絶経験があります。 当時、正しい性の知識が無いまま初めての行為で妊娠してしまい、幼かった為に産むことが許されず中絶しました。周りでこの事を知っているのは母だけです。 その後、今の夫と結婚し、現在妊娠中です。 中絶後は妊娠しずらくなるとの噂もあり、心配していた為、結婚後すぐに妊娠できたことに夫婦で喜びました。 しかし、喜びと同時に妊娠の初期症状が出始めると、忘れていた過去の妊娠・中絶を鮮明に思い出し、改めて「自分はとんでもないことをしてしまった」と後悔するようになりました。 一人で長くいるせいか気分も落ち込み、日々思い出して辛いです。流産の兆候が現れると、あの時産んであげられなかった子は絶対に私を恨んでいるだろう、だからお腹にいる子を連れ去ろうとしているのではないか、私は許されないことをしてしまった、いまお腹にいる子と共に死んでしまった方が良いのではないか、と考えてしまいます。 夢にまで赤ちゃんが出てきて「どうして産んでくれなかったんだ」と言われる夢まで見てしまっています。 夫にも打ち明けていない為、誰にも言えずに苦しいです。唯一中絶を知っている母は、当時まだ幼かった私の中絶にひどく傷つき、中絶直後から「忘れなさい」と言われ続け、それからは母との間でも中絶について話すのはタブーとなりました。 母は世間体をかなり気にする方で中絶のことは「誰にも言うな」と強く口止めされてきました。そのため、私の中でも「中絶は許されないこと」として刻まれており、すごく後悔しています。 現在妊婦検診で診て頂いているお医者様も母の知り合いの為、中絶経験があることを隠しています。夫にも黙っており罪悪感に押しつぶされそうです。ですが、夫には絶対に話す気はありません。 どうしたらこの辛い気持ちが軽くなるのでしょうか。 私が悪いことはわかっているのですが、苦しくて悲しくて辛いです。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

母の死が受け止められません

2度目の相談で申し訳ございません。 5月末に母を亡くしました。わずか2ヶ月余りの闘病で薬も効かずあっという間でした。母が帰りたいと言うので、主治医を説得して退院、家族全員で看取りました。 母の最期を見届けたのに、それが夢のように感じて受け止められません。母が部屋にも台所にもいないことに悲しくなり、どこに行くにも必ず連れて行っていたので、行く先々で思い出します。遺骨を見て、あ、ここにいるんだ、と不思議な気持ちになります。亡くしてから、母の存在の大きさに気づきました。家族のバランスを取ってくれていたのも母だったのです。当たり前の毎日を失い、その深さを知って悲しみに暮れています。 この苦しみや寂しさはいつまで続くのかと思うと、元気が出ません。先日も妹と大喧嘩になり、落ち込んでいます。 生きる意欲が持てません。 自分の年齢を考えると、いつまでも、と思うのですがどうしたら良いのかわかりません。夫は、わたしが看護師だから家で看取ることができたんだよ、親孝行できたよ、と言ってくれるのですが、わずか数日の看病でしかなく、もっと頑張れたし、してあげたいこともたくさんあったのに、と思います。とにかく苦しくて仕方がありません。

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

一週間前に長女を亡くしました。受け入れることができません。

数日学校を休んで外をうろうろしたり、反対されている習い事をやっていたので、強く叱責してしまったところ、 翌日、私の不在時に家族の隙を見て、転落してしまいました。 傍にメモがあり、 出来の良い妹と比べられ、家庭・学校に居場所がなかったこと、習い事が唯一のよりどころだったが、反対されて交通費のやりくりにも行き詰り、何より嘘をついて親の顔が見られない、本番前だったのに参加できず申し訳ないと伝えてほしいと書いてありました。 その前の週まで、洋服の話やお祭りの話、食べ歩きの話など近未来の約束をしていたので、 朝目が覚めるたびに、現実を信じることも受け入れることもできず、 気が狂った方が楽になるのではと大泣きする毎日です。 そんな不甲斐ない姿に、家族も傷き、心療内科で精神安定剤をもらったり、過去ではなく未来を考えろと根気強く慰めてくれます。 しばらく話していると落ち着いてきて、愛娘が浄化されていくイメージを抱けるのですが、ほんの些細なきっかけで、 心の中が全て、彼女の喪失感と彼女を追い詰めてしまった後悔と、どうにかして過去に戻り、やり直して彼女の「未来」を続けさせられないかばかりを考えてしまします。 だんだん家族も呆れてきて、「自分が楽になりたいだけだろう」「死を認めないで永遠にその場に居続けるのか?」「自分だけが悲しいのか、今生きている人たちのことを大切に考えることはできないのか」「そんな母親の愚かさを気付いてほしかったんじゃないのか」 と言われるようになりました。 私は、自分が愚かな人間から成長するために娘が犠牲になったなんて思うのは辛すぎで、 「娘が生きているうちに直したかった。どうか生き返って下さい。直しますから」としか考えることができません。 つまり、後悔からまったく抜け出すことができません。 苦しみから助けてとは願いません。 娘を幸せにできなかった。でも幸せにしてあげたかった、してあげたい。 今の私に出来ることなら、何でもします。 お叱りでもなんでも受けます。 娘を救える方法をご教示ください。

有り難し有り難し 119
回答数回答 3

父の死についての罪悪感を拭いたいです

先月、父が73回目の誕生日に他界しました。 その死について強烈な罪悪感がぬぐえません。 四十数年間、様々な経験をしてきたのでこうやって冷静に質問させて頂いてますが、若い頃の頃の私なら自殺をも考えたであろうほどの罪悪感です。 とうのも父は6年前に末期の胆管がんを患い、お医者様からもその年を越すのも難しいと言われてました。私なりに父の病気を調べてみても2年生存率は0%でした。 悲しむ母や妹を励ましながら、私は助かる方法を調べ、実行し、詳細は述べませんが、奇跡的に父の症状は回復し半年もせずに退院するにまで至りました。私は家族に感謝されました。 退院後も父は抗がん剤治療を通院しながら続けていましたが、父を救うべく素人ながらに必死に医療を勉強した私は、退院して2年ほど経過した時の父の血液検査の結果から、抗がん剤を止めれるのではないかと思い、抗がん剤治療に疲れていた父も賛同、主治医に相談した結果、止めることになりました。 父の体調も更に良くなり、度々一緒に旅行に行ったりもしました。とここまでは良かったのですが、抗がん剤を止めたとはいえ定期的に病院に通って検査していましたが、確か去年の春くらいの検査時に、少し悪い傾向が見えたので、先生から抗がん剤を再開しようかと言われたのですが、私なりの根拠でまだ大丈夫と父を説得して再開しませんでした。その後も検査の都度、2度ほど再開を先生に勧められましたが、私の一存で再開しませんでした。 しかし、今年4月の検査結果を見た私は、次の結果でも悪い傾向が続くなら抗がん剤治療を再開しようと父と話し合い、10月に予定してた検査時から再開する予定だった矢先に、父が静脈瘤の破裂による出血多量で自宅で倒れ、救急車で搬送され一時回復するも約10日後の父の誕生日に永眠しました。 死亡診断書には胆管がんからの静脈瘤破裂により、最後は急性肝不全と書かれてました。 母と妹は、あなたのおかげで6年も生きることができたと言ってくれましたが、私自身は私の治療再開の判断が間違っていたと後悔・自己嫌悪と押し寄せる罪悪感が絶えません。 一時は私が救ったという驕り、自信過剰な性格、謙虚さの欠如、他様々な要因で判断を誤ったという思いです。 これも寿命とお坊様から言われましたがまだ消化できません。 このままでは一生背負うであろう罪悪感をどうしたら拭えるでしょうか。

有り難し有り難し 38
回答数回答 3

夢に出てくる亡くなった人

始まったのは小3の時、父方の母親(祖母)が亡くなり、度々夢に出てくるようになりました。服装はいつも来ていた着物で、ニコニコしながら私の名前を呼ぶのです。両親に言うと『墓参りに来て欲しいのだろう』と、家族揃って行けるときは、県外ながらも行ってました。しばらくそんなことが続き、今度は、主人の両親がそれぞれ亡くなったとき出て来たのですが、そんなに頻繁に会うこともなかったので、数回限り。次は、母の弟(おじさん)が亡くなったときでした。私が赤ちゃんの頃から、我が子のようにとても可愛がってくれてたそうです。葬儀の時、頭が割れそうなほどの頭痛がして、歩くこともできず、横になってたほどしんどくて、フラフラ状態の出席でした。何度も何度も夢に出て来ては、私の名前を呼び、幼き頃の私と会話してる夢や、その他色々。次は、母の妹(おばさん)も何度か出て来ました。そして…私の父が、65歳で胃がんで亡くなりました。実家まで約1時間半。私と子供らが実家に着くのを待つかのように、息を引き取りました。親は死なないと思ってたのにショックでした。納骨の前日の夜、父が夢に出て来ました。しかも、棺で着ていた着物姿で、後ろ姿で空へ向かってス〜っと、上がって行ってるのです。私が『父ちゃん、どこに行ってるん』と、大声で叫んだのですけど、何も言わず、天空へ上がって行きました。未だにはっきりと覚えてます。父は度々出でくる時、悪いことが起こったり、何もない時もあったりするのですが、どちらかと言うと、悪い事が起きる事が多いので、かえって怖いです。私に対しての悪い事じゃないので、それは安心なんですが…。この先の予言のように、私に訴えてるのかもしれません。夜、枕元にいる気配も感じます。小さい頃から、お父さん子だっただけに、余計に、守護霊として守ってくれてるのでしょうか?教えて下さい。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

家族との向き合い方について

初めまして。 実は我が家におこる様々な災い?について、不安で仕方がありません。 十数年前に父が経営していた会社が倒産し、家も車も貯金も全て失いました。 やっと苦しみから脱し、普通の生活が送れるようになったのに、三年前に父親が癌である事が判明... 余命二年と言われ、未だ抗がん剤治療を続けております。 父が旅立ってしまったら、気丈に振舞っている母親の事が心配で堪らず、兄と二人で支えていこうと話してました。 その矢先、その兄が鬱病を発症してしまいました。 責任感の強い兄なので、今後長男である自分が何とかしなきゃと奮い立たせていたのですが、仕事のストレスもあり、限界を超えてしまったようです。 私も昔心疾患になった事があり辛さは痛いほど分かるので、そんな兄を見ていても何も出来ない自分に不甲斐なさを感じます。 私の主人も体調を崩しており、あまり心配掛けたく無いので、明るくつとめてますが、私自身も精神的に限界近くなり、そろそろ心が折れてしまいそうで怖いです。 今後家族とどのように向き合い、子供として妹として妻として、何をどうしていくべきなのでしょうか。 何故こんなにも辛い出来事が次々とおこるのか... 私の何がいけないのでしょうか。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

両親の墓に対する責任

私の両親の墓には、両親しか入っていません。 20年前に母が亡くなったとき、父が建てたものです。父の実家の先祖代々の墓は、別の県にあり、父の兄が守っていますが、母が亡くなったとき、遠くなるからと、そちらには入れませんでした。 父は亡くなる前、継母と、自分は自分の建てた墓に入り、継母は実家の方の墓に入ると話あっていたそうです。 私の両親だけ入った状態で、今、墓は継母が守っています。 今まで2度程相談させていただいたように、継母とは折り合い良くなく、四十九日以来、あってもいないし、電話もしていません。 今後、新盆や一周忌も躊躇している状態で、無理して行かないことにしたとして、継母のものになった実家の仏壇はともかく、このような状態の墓に対する一人娘としての責任を重く感じます。 お墓参りも、継母に会わないように行こうとおもっています。 でも、お墓の管理料は継母が出しているということを感じます。 四十九日の時に、継母が、先祖代々の墓に私の両親2人のお骨を改めて入れてもらったらどうかと父の妹に話していました。 私は遠慮を感じます。 お骨が、遠くに行ってしまうのも寂しいです。 大体、継母と私で、2人のお骨を持っていくなんて嫌です。もう、継母には会いたくもないのですから。 そんなことを考えてしまいます。 どのような心づもりでいたらいいでしょうか。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

遺骨を敷地内の墓に納骨しようとする父親

長くなりますが、是非ご回答をお願いします。父(長男)の祖母が亡くなり数年後に祖父も亡くなりました。祖父が生前「自分達が死んだらここに入れて欲しい」と墓石を自宅の庭先に作ってたのですが、祖母が亡くなった時は「出来たばかりのお墓に1人入れておくのは可哀想だから」という理由で庭先のお墓には納骨をせず、仏壇で手元供養をしていました。 その後祖父が亡くなり、いよいよ二人の納骨の話が出てきましたが、そもそも祖父母が住んでいた家は二人だけで住んでいたので誰も引き継ぐ者がいません。(家の名義は次男になっていますが次男は他県に住んでいる為、遺された家に戻る予定もありません) 父の他に妹と弟が居ますが二人とも固定資産税などの面もある為、家は売却する方向でした。なので墓石を移す土地を購入し、納骨しては?と提案していたのに私の父は「祖父母が望んだ地に納骨をするのが親孝行だ」と自分の兄弟の許可も得ぬまま、独断で勝手にお寺の住職と納骨の話を進めてしまいました。 しかし私が墓地埋葬法で本来であれば自宅にお墓を建てる事は出来ないという事を知り、それを父に話した所「お寺の住職は◯◯の土地ではそんな許可などは必要ないと言った。敷地内の墓にも納骨出来るという話だった」との一点張り。 祖父の作った墓は法が定められた後に建てられた墓石ですし、その土地だけ法が免除されているなんてあり得るはずがないので違法だと思うのですが、父は聞く耳を持ちません。 父は自分の兄妹に「遺された家も自分が全て面倒をみていく」と啖呵を切った為、父の弟妹は激怒。その後、遺された家に関わる支払いは現在全て父が負担する事になっていますが「敷地内に納骨をして売れなくなってしまった不要な家(しかも名義は次男)の何十万という固定資産の支払い、父の死後はどうするのか?父が全て負うと言った以上、父の代だけで済む話じゃない。子供である私達、私の子供達(孫)の代まで続く可能性だってある。私なら自分の子供にそんな苦労をさせる位なら、父のような選択はしない。自分の死後に遺される者逹の事までちゃんと考えているのか?」と聞いても無視。逆ギレをされ「お前には情がない」とまで貶されました。 自分の思い通りにならないと暴言を吐き散らかし、自分の事しか考えていない、娘の言葉よりも寺の住職の話を信じる父親に呆れ果て、今後どうしたらいいのか分からなくなりました。

有り難し有り難し 18
回答数回答 3

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

お坊さん33秒法話ピックアップ