よろしくお願い致します。初めての質問で兄の相談をさせて頂きました。 兄はアルコール依存で鬱の疑い、飲酒運転の果ての接触事故、そして兄に対する母の言動で私は精神的に不安定でした。 俳優さんの自死から私の中にもそのような感情が芽生えてしまったこともありました。 表では笑って人を励ましているのに、その感情と並行するように闇がありました。 しかし、これではいけない、楽しい事をしようと母と京都旅行をする事になり、お寺や仏様・神様などを調べているうちに、神様・仏様がどのような力を持っているのかを知りました。 ---- 頭がおかしいと思われるかもしれませんが、兄には生霊が憑いている気がしてお祓いについて真剣に調べました。 「突然背中を強く叩く」というものがあり、不意を突いて兄に実行しました。 兄は驚いていましたが、表情が変わった気がしました。 次の日に、不動明王様の事を知り、お力を借りようと兄が仕事に出かけた後、部屋の前で「これは兄の言葉としてお聞きください」と真言を何度も唱えました。 すると帰宅した兄が、珍しく「温泉いきたい」と出かけ「さっぱりした」と帰ってきました。 数年続いた鬱蒼とした雰囲気とは何か違うように感じ、不動明王様に感謝しました。 それから毎日私は、「全ての神様、仏様、一日宜しくお願いします」「本日も有難うございました」と挨拶をしています。 その中でも、とりわけ話を聞いてほしい神様や仏様の名前を呼ぶのですが、毎日変わる事もあります。 しかし、沢山の神様や仏様をその時の気分で信仰するのはいけないのでしょうか? 一番お慕いしている神様(または仏様)を信仰したほうが良いのでしょうか? 私は先祖のお墓があるお寺の宗派も知らないし、両親は新興宗教に所属しており、お仏壇にはその宗教のお経を唱えています。 私というと、3年前から安井金毘羅宮にお祀りされている崇徳天皇に惹かれ不思議なことが重なり、崇徳天皇がお傍にいるように感じお慕いしています。 怨霊として恐れられていますが、私にはそのような方には思えません。 また、生霊・悪霊は本当にいるのでしょうか?霊感がないので、除霊などできるはずがないですし、それでも、毎日兄や家族の為に神様に挨拶をすることや真言を唱える事を続けた方がいいでしょうか? 読みづらい文章で申し訳ありません。 宜しくお願いいたします。
前回、中期中絶への迷いにご丁寧な回答をいただきありがとうございました。 6月、私は長男となる息子を人工死産しました。お葬式もしました。 3ヶ月が経ち、ようやく体調も落ち着きました。まだまだ気持ちは不安定ですが、少しずつ前を向こうと思えるようになりました。 先日、上の子と幼稚園が同じママ友達(Aさん)から、息子のことで話したいことがあると言われました。Aさんは、ご家族で霊感があるようで、過去に何度か霊的なお話を聞いたことがありました。 お話の内容は、以下の通りです。 ・息子は、私が下の子を持つことを考えているのが嫌で、Aさん宅から離れない、帰りたがらない ・Aさんの息子さんと楽しそうに遊んでいるが、Aさんの息子さんは時々パニックを起こしたようになる(息子に取り憑かれた?) ・私が妊娠することは嫌がっているが、娘のことは何も言っていない ・蛇が一緒にいる 息子を死産してすぐ、Aさんはお線香をあげに来てくださいました。そこから、Aさんの息子さんの様子が少しずつおかしくなったとおっしゃっています。 1日に何度も仏壇に手を合わせ、語りかけました。お水やお菓子、オモチャやお花をたくさん供えました。でも、息子は我が家に、私の傍にいなかったのでしょうか。私はずっと息子が傍にいてくれると思って過ごしていました。ショックでたまりません。 上の子は自分のご飯やお菓子やオモチャを「息子ちゃんにも!」と分け与えてくれていました。それすら息子には届いていなかったのでしょうか。 また、確かに私は最近もう一度子どもを授かれたらと思うようになりました。失った子を取り戻したい気持ちが強いです。でも、やはり、自分たちの決断で命を奪った私が子を望むこと自体、許されないのでしょうか。 ようやく前を向こうと思えました。でも、息子は私を許せないのでしょうか。息子は、どう思っているのでしょう。苦しんでいるのでしょうか。 49日もお盆も過ぎたのにお空へ帰れておれず、息子はこれからどうなってしまうのでしょうか。 私には息子の気持ちをわかってやれていなかったようです。 今後、どのような心持ちで過ごせば良いのでしょうか。息子が穏やかに過ごせるために、何ができますか。教えてください。
僕が、産まれたくらいから行っているお寺 ちょっと前に、事件沙汰になった ある宗教の御寺に行っていますが 先代の住職と住職さんの息子さんが、お亡くなりに お寺の方針?が、ガラリと変わってしまい 段々 不信感を持ちはじめました 住職さんが、亡くなる前にお話をすることがあって 僕は、もう強くなって 何事も自分で出きるから自分の決めた道を信じてと言われたのが最後になりました 亡くなりになって 数年 新しく僧侶になった人から、御寺に来なければ死ぬとか 後が無いとか 家族が路頭には、迷うとか言われて 最近は、言われた通りにやることをやって お寺の夜警で1人泊まったりして きっちりやりましたが 言うことが二転三転したり 僕も、過大なストレスや疲労等々で2月~10月まで入退院を繰り返し 10月~何とか仕事復帰しました 給与は、ガタンと下がりました お寺の言うとおりやっても一向に良くもならないし やれお布施とか御中元やら祈願料やらで なんやかんやお金がいるし それをまともに、払ってたらギリギリ生活が更にきつくなります しかも、僕の小遣いがほぼ無いって状態です 僕も、小遣いが無ければ 趣味のプラモも買えないし ジュースや息子達とお菓子も買えないし 母には、もうお金が無いからお布施出せないとはっきり言ったら 機嫌が悪くなるし もし 僧侶の言うとおり 僕が死ぬならもう死んでいると思います 病院からは、心因性てんかんって言われて 死ぬと言う事は、無いけどストレスや疲労を溜めない事と言われました 今のお寺は、行っても雑談したら文句言われるし 僕と母で別世帯で考えて お金を2世帯出してるし 何か困り事を相談するにしても 僧侶を通さないと住職さんと話せないし 昔のお寺見たいに、皆が楽しく 雑談したり相談したりが全く無いし 今のお寺に僕が行っただけで イヤな気持ちや過度なストレスなどなります 先代の住職さんが僕に良く言ってた事を思いだし ちょっと霊感があるから あまり良くない場所に言ったら身体に不調が出るよと 今のお寺を僕ら夫婦が辞めるには、どうしたらよいですか? ちなみに、先代の住職さんの時の信者さんのほとんどは、やめていかれました
先日TVの放映を観て、このサイトの事を知りお聞きしたいことが あるので投稿させていただきます。 私の悩みが二つあります。 1つは亡くなった祖父母の事です。 二人とも私が小学生の時に亡くなってますが、祖母は自殺、祖父は肝硬変で。 二人とも私を凄く大事にしてくれて可愛がってくれました。 祖母が自殺で亡くなった事実は今から10年前に初めて知りました。 実は私の母がある人から、祖母がまだ成仏しておらずまたそれを祖父が心配して上がれずにいると言われた事です。 母も祖母が自殺したのは自分のせいだと、自分自身を責めており その状況の中で、そんな事を言われてさらに自分自身を責めてます。 母も私も、お彼岸や祖父母の命日は必ず墓参りもしています。 私も、祖母に気持ちを楽にして成仏してほしいという願いを持っています。私は霊感があるわけでなく、本当に二人とも上がることができていのかわかりません。大事にしてくれた二人なので早く楽になってほしい気持ちでいっぱいです。私も母もこれ以上どうしたらいいのか わかりません。 2つめは、私自身のことです。 私はかなり強気な性格なのですが、ここ最近気持ち的に嫌な状況が多々あり、自分自身生きてる必要があるのかよく考えてしまいます。 私自身を必要としてくれる人はいないだろうと思ってしまいます。 強気な性格と書きましたが、ちょっとでも気持ち的に落ち込むと 私は、必要じゃなく、便利で使いやすいだけだ 金を稼げて、色々動ける人なら私じゃなくてもいいと周りは思っているだろうと。 今まで付き合った人達からも、実際にそんな事を言われ、今の職場の上司にもはっきりではないですが、生きてる必要性ある?と言われました。 私は、病気や事故じゃない限りは母より先に死にたいとは思わないですが、母がこの先行ってしまったら私は生きていく自身も必要性も何も感じていないのです。 こんな考え方は間違ってる事も重々承知してます。 でも、もう自信がないのです。 このような考え方を改める事はできるのでしょうか? 長くなってしまいましたが、もしご相談のにのって頂けたら 幸いです。 誤字脱字なので読みにくい文章で申し訳ありません
いつもお世話になっております。常々こちらで申し上げております 通り、私は、昨今の仏教情勢に強い危機感を感じています。この道に 関心や知識のない方からは、 「仏教は、非現実的で、拝めばどうにでもなると思っている偶像 主義・神秘主義で、拝んでいない奴は救われない、拝んでいる自分 たちは特別な存在だと思い込んでいて、現実的な考え方ができない 人たち」 という印象を持たれ、信者側には、 「拝んでいない連中は、貧乏暇なし。私たちは、拝んでいるから 努力しなくてもいい。神仏が何とかしてくれるから。全ては、 神仏の働きによって成り立っている。拝めばなんとかなる。 ○○寺は強い、××寺は弱い。だから○○寺のお守りを持って いれば、力を得られる」 などという、宗教ではなくオカルト的な認識が蔓延しています。 信者だけでなく、本山や有名寺院まで、オカルトビジネスで 儲けています。 私もそんな愚かな妄信者でしたが、こちらのお坊様のお話を 勉強させていただくうち、 「世の中でまことしやかにささやかれているオカルト的な考え方は、 本当の仏教じゃない。仏教は、とことん現実を見て、現実に存在 する事物を駆使して苦しみを除き、間違った論説に惑わされず、 冷静に生きていく教えなんだ」 と感得しました。 そこで私は、学生時代に大嫌いだった理科を学ぶことにいたしました。 基礎、有機、生化学の教科書が家にあります。白衣も、簡単な実験器具 もあります。 近所のお寺の住職様にこの考えを伝えたところ、 「化学もいいけど、物理が大事な気がするなあ」 と言われました。 しかし、物理は戸口が大変広い学問です。力学、電磁気学、量子論、 相対性理論、光学…身近な例だと、心霊写真は光学でしょう。霊感は、 精神疾患や劣悪な環境(カビ毒など)、低周波音が原因といわれる ので、化学なら生化学、物理なら音波… 色々調べているのですが、わかりません。大学に行けば、と言われ そうですが、私は持病があり、大学受験に割くことのできるエネルギー がありません。市民講座や、好きな科学者さんの実験ショーにはお邪魔 しようと考えていますが… 物理学の中では、何が一番仏教に通じていますでしょうか? ご高見を賜りたく存じます。よろしくお願い申し上げます。
我が子を自死で亡くしました。死後、いくつも心の闇を抱えていたことを知りました。その内容は裏切りでもあり、哀しみでもありました。 以来、想像を絶する悲嘆と悲しみに苦しむ日々です。 私自身、寺に生まれ寺で育ちました。懐疑的な性格であったので、熱心な仏教徒ではありません。 我が子の死と向かい合わなくてはならなくなった今、仏教やキリスト教で何かが救われるかと言うと、やはりまだそこに至っていません。 辛くてメンタルクリニックにも行きましたが、薬が欲しかったのではなく、あの子に会いたい、この苦しい気持ちをどうすればよいのか?という問いに医師は薬を勧めるだけでした。(当然ですよね…。) あの子に会いたい。話したい。抱きしめたい。あの子はどこにいるのか、自分が死んだら会えるのか、と日々問い続けています。 あの子が自分の周囲を彷徨っているのなら、声が聞きたいとイタコにすがろうかと思った時期もありました。霊感を説く宗教にはまってしまう人の気持ちがわかるようにもなりました。イタコや変な宗教には何もコンタクトは取っていませんが、辛い気持ちは何も癒されません。 最近、知人の医療従事者が、私に「自死した人はあの世に行けないんだよ」と言ってきたのは、さらに私を打ちのめしました。 私はいつか会いたい、その気持ちだけのためになんとか生きています。 あの世があるのか?そこで会えるのか? 誰もがわからないその問いでしょうが、 これからこの悲しみにどう気持ちをもっていけばよいのでしょうか。 愛別離苦の辛さだけでも、心が悲しみで爆発しそうです。 倶絵一処というのは、自死した子とは願ってはいけないのでしょうか。あの世があるのであれば、死に方次第でそんなに区別されるものなのでしょうか。 会いたい、会いたい。こう願う気持ちはおさまることを知りません。 体調のことがあって止められていた飲酒をするようになりました。長生きしたくないからです。それでも日々、仕事やボランティア等できることは無理してやっています。時々涙が出てきます。 自死したあの子と会いたいと、ひたすら願いながら。 けれどもだんだん疲れてきました。 自死した子と浄土で会えないならば、何に縋って生きていけばよいのでしょうか。
私は霊感などは全くと言っていいほど無いと思うのですが、昔から定期的に不思議な体験をします。 初めは小学生の頃の夏休みでした。ラジオ体操から帰ってきてベランダから外を見ながら横になっていました。家族は全員寝ていて、近くには誰もいませんでした。耳元で、ごめんなさいね。と女の人が囁きました。あまりに静かに囁くので、怖いというよりも、え?と不思議で周りを見ましたが勿論誰もいません。 その次は、高校を卒業して入社した葬儀社にて。大ホールと家族葬用の小ホールが一つの建物にあるタイプの式場にて、大ホールでの告別式を終えて片付けている時でした。大ホールと小ホールの間の長い廊下を歩いていたら、大ホールからおじさんの声で、おーい!おーい!と呼ばれました。はーい!と返事をして向かいましたが、全員火葬場に行ったので誰もおらず、施設には私とパートの女性しかいませんでした。パートの方にその話をすると、貴女がはーい!と言っているのは聞こえたけど、男の人の声はしなかったと言われました。 この葬儀社では不思議な事がもう一つありました。その日、たまたま休みが一緒だった同僚と車で海の近くを走っていたら、私の携帯に別の同僚から電話がありました。私は運転していたので代わりに出てもらうと、もしもし?聞こえないよ?なに?としきりに同僚が言っていて、どうしたのか聞くと、水の中みたいな音だけがすると言います。私も耳に当てて聞いてみましたが、ゴボゴボという音だけが聞こえました。翌日、電話をしてきた同僚と現場で会ったので昨日はなんの用だったのか聞くと、電話してないよ?私その時通夜に出てたからと言われました。その日に知ったのですが、ちょうどその電話があった辺りで海に車ごと落ちて亡くなった男の子がいて、その子の式をうちの会社でやると知りました。 また、音以外にも私は夢を見るのですが、旦那の会社の人が車で事故を起こす夢を見ました。何となく気になったので、そのことを旦那に伝えてその人に注意するように言ってもらいました。退社する際、その人に旦那が呼び止められて今日事故を起こして免停になりましたと言われたそうです。 所謂、幽霊とかを見たことはないんですがそういうどう考えても不思議な事がたまにあります。こういう事って何なんでしょうか。
こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。 こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。 素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。 実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。 このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。
初めまして。いつも拝見させて頂いております。 私は現在30代後半で独身バツイチ、そして兄弟が居らず身寄りがいません。親戚付き合いもほぼありません。両親は子供が出来ず、私を養子にしたと生前に聞いていました。 正直に言えば、私自身自分の人生に絶望して死にたい、と思ってしまう事が時折あります。 15年前に癌で母を亡くし、一昨年まで父と2人暮らしていました。母は明るく朗らかで誰からも好かれる様な人で、亡くなった時は大勢の方が葬儀に参列してくれました。逆に父は母とは対照的で余り口数は多くなく、忍耐強く優しい人でした。 母を亡くしてから父は気落ちしてしまい、口数も減り殻に閉じこもってしまう様になり、私も大好きだった母を亡くしたショックから全てが手につかず父と衝突する事が多くなってしまいましたが、自分を育ててくれた恩は感じていましたし感謝もしています。 やがて父も病に倒れて一昨年他界しました。 父が他界した時の様子や寂しさから、時折涙を流すことは今でもあります。ですが、夢にまで見るかと言うとそうでもありませんでした。 去年まではほんの数回程度です。 が、今年に入って亡き両親の夢をよく見る様になりました。どちらか片方だけだったり2人一緒だったり、夢の内容はというと極普通の日常生活。一緒に食事したりテレビ見たり、(当時飼っていた)犬を可愛がったり…等。 残念ながら私は今は霊感はないので、姿を見たり何かを感じたり等する事がありません。 ですが、最近頻繁に夢を見る様になったので気になってしまいました。 こういう夢は何かメッセージ性があるのでしょうか? どうか教えてくださいませ。
昨年、7/1に♀の愛犬(ラムちゃん)と、8/30に♂の愛犬(ジャッキーさん)が亡くなりました。 どちらもペキニーズという犬種で、2頭とも毛は白で、ラムちゃんは小さくて気が強いですが所謂お兄ちゃん子で、ジャッキーさんは大きくて、心優しく物静かで、まるでセントバーナードみたいでした。 どちらも自慢の犬で、母が入院そして死去、私が職場でいじめられて障がい者に転落しても、ずっと支えてくれました。 亡くなって最初のころは鳴き声が聞こえましたが、最近は吠えてくれません。 それでも、体を冷やすセラッミクの板の上で穴を掘る音や、寝室の犬小屋が動く音が聞こえました。 暮れは聞こえなくなってはいましたが、今年に入って、寝室(和室)の布団や畳を掘る音が聞こえました。 先週も、寝室を出てキッチンに降りると、てくしゃみが聞こえました。一昨日は、寝ようかと言うと、押し入れの襖がもたれ掛る時に聞こえた様に「どん」と鳴ったり、昨日は、昼過ぎに欠伸が聞こえました。 普段は見えはしませんが、夢に出てきたり、うとうととしている時に夢と現実の狭間で2頭揃って傍に寄ってきてくれたりしました。 しかし、こんな話をしても、誰も信じてくれないのです。吠える声や物音や夢は、そんな事もあるのかと職場の方が聞いてくれてくれましたが、くしゃみになると、誰も信じてくれてないようです。 この聞こえたことは、精神的なものだとは思っていなくて霊感的なものだと私は信じていますが、誰にも信じてもらったり、共感してもらえなくて辛いです。 まず、私はどうしたらみんなに信じてもらえるでしょうか? 次に、もっと普通に聞こえたり、起きている時でも見える様にもなりたいです。どうしたらいいでしょうか? そして、いずれ新しい同じ犬種を家族にと考えてはいますが、もし新しい犬を家族に迎えたり引っ越したりしたら、魂も旅立ってしまうのでしょうか?一生一緒にいたいと思っています。どうしたらいいでしょうか? ご教示を何卒宜しくお願い申し上げますm(__)m
私の人生が不幸すぎて非常に苦しいです。婚約者との縁談は破談。元婚約者とはいまだに繋がっているのですが彼が病気になって働けず私が仕送りしてます。まだ彼のことは好きです。生活保護を貰うのはなぜか頑なに拒否するのです。 さらに様々な事情で150万のローンを背負い返済に追われています。学生時代はずっといじめにあい小さい頃から病気がちで20歳なりかけの時に大病していまだに病院通いです。成人式の写真すら撮れませんでした。 家庭は昔はそこそこ余裕があったのですがこの不況が続いてどんどん貧しくなり父もローンがありブラック企業で働いていていくら働いていても給料はとても安いです。私も病気でフルタイムで働けずフリーターです。 あまりにも不幸なので聖天様におすがりして浴油祈祷していただき毎日祈ってるのですが一向に状況は改善せずポジティブになったり運がいいを口癖にしてみたのですが不幸がドカドカきます。 話は変わるのですが私は前世の記憶があり昭和の東京のサラリーマンで男でした。家も金持ちで美人の彼女もいて仕事を頑張りながら毎日楽しく暮らしていましたが25歳で突然死しました。前前世も大金持ちの家庭に生まれ嫁に入り一生働かず暮らしました。 今世の人生ははっきりいってひどすぎます。職場の強い霊感のある人に霊視してもらったのですが「君はオーラが人より大きい。98歳まで生きるだろう」といわれました。不幸で長生きして苦しみ続けるのかと思い絶望しました。自殺しても生き残ったり死にたくても死ねないのかと思うと涙が止まりません。たしかに前世では長生きしたいと死後思いましたが…。とにかく人に話したら驚かれるくらい小さなことから大きなことまで不幸だらけで普通だったらありえないことばかりおこるのです。 今世の人生は天罰なのでしょうか?苦しみながら死ぬまで生きるしかないのでしょうか? できればそんな記憶はありえないだとか言わず輪廻転生を信じてるお方に回答いただきたいです。 非常にわがままばかりで申し訳ありません。長々とすみませんでした。
10年以上前に亡くなった父方の祖母の話です。 若い頃から霊感が強いと言われていた人だったようで、父とその兄弟がまだ幼い頃には家の前の小径に向かって「狐が走り回る足音が煩い」と怒っていたり(祖母以外には見えていない)、電話で親類や知人の失せ物相談にぴしゃりと言い当てたりしていたそうです。 私も色々な事情があってこの祖母に7歳から10歳まで育てられましたが、私自身は虫封じをやってもらった事があります。筆で私の掌に文字を書きながら祖母がブツブツと何やら唱えると、私の指先から見えるか見えないかの細くて白い糸の様なものが何本ものたくりながら出てきました。祖母曰くこれが疳の虫だそうで。 またある時は私を抱っこしながら祖母が部屋の電気を消そうと紐を何度引っ張れど電気は消えず。「えぇい消えろ!」と強く言い放つと紐を引いてもいないのに電気が消えた事がありました。祖母曰く「霊的な何かがいたずらをしていた」そうで。 因みに祖母が写った写真の多くでは、祖母の体の一部が欠けて(後ろの景色は写っている)写っていました。 実の子供を男3人、それから孫を男5人、乳飲み子の時から大人になるまで一人で育て上げた祖母。毎日ひたすら家事をしている姿しか思い出せませんが、今は高野山に眠っています。 私は実の母を7歳の時に亡くしていますが、祖母にはよく「お母さんはずっと側で見守っていてくれてる」と言われていました。 今でも祖母を思い出せば、こうした不思議な力?の事も思い出されます。 いくつか祖母の力?を実体験として私も経験していますが、果たして本当にこの様な力や霊的な存在、姿の見えない狐などなど・・・これらは実在しているのでしょうか。 個人的に僧侶という職業は、本当にあるのならあの世に最も近しい立ち位置にあるように思います。なのでこうした力や霊的な存在の有無、または似たような話がお聞かせ頂ければと思い質問しました。 どうぞよろしくお願いいたします。
いつもお世話になっております。 職業訓練指導員の方から、企業面接の際に 「尊敬する人はいますか」と質問されることがいるといい、 そこに大昔のお坊さんの名前と理由を出しても構わないかと 指導員に質問しました。 ちなみに私は「弘法大師」理由は、 「宗教学に飽き足らず、他方面の科学技術の勉学にも 精力的に関心を向けるところに高い教養性を感じた」 と答えようとしたのですが、政治、野球関連とならび、 宗教関連になるのでタブーとのこと。 その理由としては、「信教の自由関係」の刑事、および 人権侵犯事件が昔から多く発生しており、 それにより企業側としては騒ぎが起きた場合に怖い、 また何かあっては不安であると言います。 * 現に文化庁や法務省の統計などを見ても、 宗教が絡んだテロ事件、 疾病や障害を持った患者を病院から引き離して加持祈祷行為を 行い結果増悪、また死亡させる。 ヨガ教室、自己啓発セミナーかと思ったら霊感商法だった。 昔の人の話では、 伝統宗派寺院に放火したり、1日に何度も同じ家を訪れ 「地獄行きたいんですか」 「お考え直しになられました?」などと脅す。 連れ去って疲れさせ、強引に入信させる。 私自身の経験では、アパートの敷地に集団で入ってきて 全ての部屋を周り勧誘活動。 管理会社の人も「今どき家を回るなんて珍しいですね」 と言っていました。 * 伝統的宗派の信徒としては、大変迷惑です。 こんなおバカちゃんたちのせいで誤解されるなんて! ですがこのおバカちゃんたちの愚行は、 歴史的に見ると氷山の一角なんでしょうか? 知ることで、落ち着きたいです。 ご意見賜りたく存じます。
いつもお世話になっております。 「暴言職員」の件が落ち着いたかと思ったのですが、 また悶着がありそうです… プログラム冒頭、半年ごとのクールが来たため自己紹介をする、 と言い、自分の名前を名乗ったあと、「私の嫌いなもの」として、 保健師・看護師、たくあん、マラソンとお経。と述べました。 「マラソンとお経」に関して、誤字があったため 「キョウの字が違います」と思わずご指摘したところ、 「いいんです!嫌いだから」と公然と言われました。 「夏休みに避暑地で夏期講習。参加費無料」 と言う謳い文句の広告を見た、当時9歳の@@さんが喜んで 行ってみたところ、夏期講習など嘘っぱち。 湖畔に建つ鉄格子のついた小屋に叩き込まれて、 毎日朝早くに叩き起こされては朝食も与えられず湖畔を一周 させられ、一日じゅうお経を読まされたというのです。 そのあと、「就労の際に大事なこと」とし、 1.視野を広げる 2.怒りや不安などの感情に飲み込まれない 3.感情のコントロール方法を身に着ける と教訓を受けました。どの口で言ってるの?と言う感情を、 涙を飲んで堪えました。 その後、私も落ち着くために帰りに図書館へ行って、 データーベースで過去の霊感商法事件を調べました。 '87~ことしまで、何百、何千件とヒットしました。 ですが、 「宗教関連事件に自分や大切な人が巻き込まれたりして トラウマになっていたり、グローバル化で色々な文化圏から 人が入ってきているから、宗教の話はいけません」 と言えば済む話だと思っています。 まして私などは暗喩の理解に膨大な時間を要します。 戸惑いと不安が先に立ってしまい、そちら側を司るホルモンが 大量に分泌されてしまい、気分が悪くなるためです。 本部にも、このように苦情を入れました。 私の修行不足もあるのでしょうか?
私は祖母が嫌いです(半分愚痴です。ごめんなさい)。 亡くなった父方の祖母は、気性が激しくて、人に構って欲しいあまり、的外れに人を叱ったり、嫌がられることをしたりする人でした。晩年は寝たきりになり、介護していた父母が目を離した隙に、唾液を喉に詰まらせて亡くなりました。色々、不器用な人だったんだなあと思うけれど、あんまり同情する気にはなれません。 存命中の母方の祖母は、ちょっと天然で、祖父が亡くなってからは金遣いが荒くなり、「高い物以外は悪い物」と考えて、品質が良い洋服でも低価格だったら絶対に買いません。霊感商法的なものにも掴まって、危うく高額な水晶を買ってしまいそうになったこともありました。また、自分の希望する場所に旅行に連れて行ってもらっても、後になって「あんなところ行きたくなかった」とか「楽しくない」とか、連れてって行ってあげた本人に向かって平気で言うので、皆から大ヒンシュクを買っています。歳のせいではなく、昔からです。 孫の私もこの人に近付きたくなくて、旅行なんてもってのほか。こういう時、必ず祖母が文句を言い、それを受けた母は激怒し(この人もたまに便乗するので厄介)、嫌な雰囲気の中で黙って運転に集中する父、父が少しでもリラックスして運転できるよう必死でなだめる私、という構図になります。 祖母とは同居していないのですが、先日実家にやってきやがりました(もう暴言)。性懲りもなく父母に日帰り旅行を提案し、優しい父は半分親孝行のような気持ち?で計画を練って、出掛けました。 私は祖母が暮らしている都市に一人暮らししていた時に、さんざ嫌な思いをしたので、挨拶だけで旅行には参加しませんでした。そんな私を父は気にしていたようで、帰って来てから「おばあちゃんももう年だし、愛想してやって」と言われました。亡くなって後悔することのないように、という意味も含まれていたようですが、私は亡くなった二人の祖父には後悔がありますが、この祖母には、もう一人の祖母と同じように思っているので「そんな風には思わない、嫌なものは嫌だ」と答えると、父は「家族なのに冷たい」と言いました。 父には父の立場や気持ちがあるのは理解できますが、だからといって、私に我慢しろというのは横暴ではないかと不満です。そんなに私は冷たいのでしょうか。家族でも別の人間。父と私の問題は別だと思うのですが…
昨日は祖母の世話のことで取り乱し、母や祖母にイライラされて責められて 大変でした。 私は高野山の宝亀院で13年前得度しました。 自分で密教の勉強はしましたが観音経などをとなえることが出来る程度です。書いてあるのを見てですが。それに霊感と霊聴もさずかり将来悩める人を助ける仕事をしたいと勉強しておりますがいつのことかわかりません。 祖母から3代続く血の為か喧嘩してもまたずぐなかなおりしております。 父は私の作る糖尿料理がおいしくないと怒り自分の分だけ作れと言ってきます。小松菜にシーチキンを入れて野菜いっぱいの優しい味にしても おしたしがいいからとご飯中に「俺におくな」と言います。 母のご飯が硬いと祖母と話しただけで「お前は感謝の気持ちがない」と母に 言われます。 今に始まったことではなく物心ついた頃からほめたことがない両親に教育されて、自分の好きな勉強は出来ずにいた年頃を過ごしました。 赤ちゃんのときから祖母に子守をしてもらい祖母に愛情をもらって生きてこられました。 線維筋痛症という激しいいたみのときも、父は毎日暴言を吐くだけで 正月には酒飲んで足蹴りで、「ぶたぶたお前の顔なんかみたくない自分の部屋いけという具合です。」 母と父は一緒に仕事をしていて、私も一緒にしましたが男性の仕事でしたが 「お前は働いたうちにはいらん」と言うだけで助けてもらってありがたいと言ったことはありません。 ほぼ毎日ブログに祖母のこと両親のこと自分の闘病記などを乗せております。心の病気でコメントなどはもらってないのですが読んでくれて応援してくれる人が数人でもいるだけでありがたいなと思っております。 心穏やかに過ごせる日がありません。 外面はいいのですが、全部私に両親ははいてくるので 私はブログにしかはくことができません。 病気のためか死にたくなることがよくあります。
祈りの効果ってあると思いますか? あるとしたらそれは祈った人の力によるものか あるいはそれを見ていた神仏や霊魂のものか お聞きしたと思います。 参考 https://diamond.jp/articles/-/98488 これは病気の人に対して 患者を2つのグループに分けて、一方のグループだけに他の人から祈りを送ってもらい 祈ってもらったグループの方が病状が改善するという大学の研究結果があるという話です ネットで検索するとこの大学だけでなく 複数の大学でこんな研究結果が出たという話があります 霊能力があると詐称する霊能者が出てきてあることないことを言って人から金をまきあげる霊感商法の宣伝の類ではないようです ここで話は脱線しますが 医学や薬学の話をすると やはり患者を2つのグループに分けて、一方のグループだけに薬を投与して 薬の効果を見定める ランダム化比較試験 と言うものがあり効果があれば、 医学的なエビデンスが得られているとして日本では正式に認可され保険適用の治療が受けられます。 現実は 研究開発を始めてから いくつかの過程を通過した後 ランダム化比較試験を経て保険適用になる薬は1万分の1と言われています https://www-user.yokohama-cu.ac.jp/~amod/kenkyu/rinsho.html 話を戻して 祈りの効果も このランダム化比較試験と同じ方法を取っていると思われ 科学的に効果があると証明されたと 研究した大学は主張しています このような研究結果が事実だとしたら それは 全ての人に祈りの力が僅かながらあると考えるべきなのか (例えば万有引力の法則も、天体だけでなくあらゆる物体や生命体に引力があるが微々たるものなので人はそれに気が付いていない) それとも 神仏もしくは 守護霊などの霊魂の力によるものか どう解釈すれば良いのでしょうか?
いつもお世話になっております。最近、「宗教心とは何か」と いう事を考えています。 私が考える宗教心は、 「目に見えないものに縋ったり拝んだりするだけじゃない。 人に慈しみと感謝を持って行動する心が主」 「どんなトラブルが起こっても、不確かな情報に惑わされたり うろたえて間違った行動をとらないよう、冷静に対処できる 心を養うための心の拠り所」 だと思います。それが、仏教含め、世界中の宗教の共通項だと 思っています。 なので私は、毎日科学関係の本や記事とにらめっこをしています。 不確かな健康情報に惑わされないようにするため、また、自分が どのような状態かを知るためです。これも仏道修行と思っています。 世界にはさまざまな宗教問題があります。仏教では、スリランカ での仏教僧団による、ムスリム弾圧。身近なものだと、霊感商法・ 開運商法。 アインシュタイン先生のお言葉に、 「宗教なき科学は不具、科学なき宗教は盲目」 というものがあります。アインシュタイン先生は、ルーズベルト 大統領に送った手紙をきっかけに原子爆弾を発明してしまった ことを、大変お悔やみになったそうです。 私が尊敬する科学の先生で、とても破天荒な方がいらっしゃい ます。その先生のお話を断片的に聞いていると、なんて滅茶苦茶な 人だ、と思う人もいるかもしれません。 しかし、よくよく聞いてみると、 「世の中にはびこる、人を惑わしめ苦しめる偽科学をなくしたい」 「自分の儲けは二の次にしても、みんなに本当の事を伝えたい」 というお心を、確かにお持ちと感じます。 また別の先生は、 「科学的にメンタルを強くする方法を教えてほしい」 という質問に、 「そのような方法は、存在しません」 とお答えになりました。 科学と宗教は棲み分けが大事だとも思います。 宗教は、「心の拠り所」。なので、宗教は科学に干渉しない。 科学も、宗教に依存しない。 私の捉え方は、間違っていますか?ちなみに、私の精神科の 先生のお友達のお医者さんは、プロテスタントのキリスト教徒 さんだそうです。先生に、 「ガンモドキみたいな事してませんよね」 と聞いたら、 「若いのによくその人知ってるね(笑)彼はそんなトンデモは しません」 と言っていました。
いつもお世話になっております。 私が尊敬する情報科学の先生がXで、 「未だに、天災や気象現象を『神仏の怒り』と考える人は多く いる。しかも議員になれてしまうほど支持率が高い。なんでも かんでも『神仏のせい』にすれば、自力で考えなくて済むから。 だから自分は、宗教の原理主義的なものは嫌いだ」 とおっしゃっていました。 私は、宗教は「生活規範」「安心と励ましを与えてくれるもの」 と捉えています。 昔の人は、不幸な事…災害の発生や疫病の流行が起きると、 「仏様神様がお怒りになっている」 と捉えたと聞きます。 しかし、私は、 「地震だ!身を守れ!備蓄はあるか?火は出ていないか?神仏が見守って くれている。頑張って知恵絞って、みんなで力を合わせて乗り越えよう」 と捉えています。 私は、原理主義…つまりそのまま文字通りに経典等を捉えることは、 思考停止、理解が浅いと思っています。理解の浅さや霊感商法にも 繋がると思っています。 私は、宗教とは、経典を生活規範としつつ、いかに世渡りをして いくかを説いてくれているものだという認識です。 「宗教やってる奴なんて狂人」とネットで言っている人がいました。 私は、昨今のゆがんだ宗教観が原因でそういった認識も広まったと 思っています。霊のせい、神仏のせい、墓があるせい、方角が… お告げが… お告げに至っては、現代ではメスカリン、アヤワスカの作用や 精神疾患が原因と分かっています。 また、ある工学の先生は、 「自分の感覚では、宗教は『頼る人』と『信じる人』に分かれると 思う。頼る人は、自己分析不足で盲信的、信じる人は客観的な 自己分析ができ、自分の非力さを理解したうえで、足りないところを 宗教の裏付けで上手くバランスをとっている印象がある」 とおっしゃっていました。 私は原理主義者、「頼る人」ではなく、伝統墨守、「信じる人」と いう立場でいたいです。原理主義者にならず、伝統を守りつつ、 世渡りをしていくにはどうしたらよいでしょうか。
私は現在44歳になりますが 夫の度重なる浮気、借金、離婚… シングルマザーとなりました。 私は普段「信心」という言葉とは程遠い生活を送っていると思います。 霊感のようなものも全然ありません。 そんな私ですが 嫌なことやしんどい事が沢山あって 「今度こそもうダメ」と思っても 結局いつもちゃんと何とかなって、 最悪の事態は免れていると感じます。 それは亡くなった祖父や伯父が見守ってくれているからではないかと最近思うのです。 伯父(父の兄)は、 姪である私のことを 小さい頃からとても可愛がってくれました。 いろんなところに遊びに連れて行ってもらったし、 両親に叱られた時は大泣きする私を 「怒られたんか?よしよし」何も聞かずに受け止めて慰めてくれて…思い出がたくさんあります。 伯父は15年前に亡くなりました。 祖父(母方)は 私が物心ついた頃には寝たきりになっていて 年に数回会う程度でした。 私が7歳の頃に亡くなり、 思い出はそんなにないのですが 祖父の若い頃がもの凄くイケメンで(汗) その若い祖父の写真を今、 スマホの待ち受けにして毎日見ています 私には子供が二人おりますが 長女は猛烈な努力の末 旧帝大に進学し、学費免除です。 長男はまだ小学生ですが 毎日元気に学校に通い、友達にも恵まれています。 私の子供にしては本当にできすぎています。 仕事も悩んだり迷うことも多いのですが 悩みながらもなんとか切り抜けることができています。 人間関係も良好で、恵まれていると思います。 そしてこんなシングルマザーで 収入も多くない私が、 この度家を新築できることになりました。 子供たちに何か遺してやりたいと思って ダメ元でにハウスメーカーに相談をし、 住宅ローンの審査かけたところ満額承認でした。奇跡だと思います。 なんだかんだ、私の人生上手くいっていると思います。 それは祖父や伯父が「みかんが悪いようにはならないように」と見守ってくれているおかげではないかと思うのです。 というか、そう思いたい自分です。 何かご回答を頂けたらと思います。 よろしくお願いします。