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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 地獄」
検索結果: 455件

老いて死に向かう事

介護の仕事をしています。 そして家では相棒の20歳の猫が弱っていく様を目のあたりのして、 人間も動物も歳をとり身体が思うように動かなくなり肉体的にも精神的にも痛く辛い思いをするように思います。 なぜかはわからないけれど命には寿命があって、皆いずれ死なねばならない。なのになぜ命は、わざわざ苦しみやすく出来ているのか、 脳ミソが、老いて寿命が近くなったら自動的に幸せホルモンのようななにか痛みを緩和させて穏やかになるような麻薬物質でも分泌すればよかったのに(そういうものがあるかもわかりませんが)、なぜそのように進化せず、やはり苦しみがちになるのだろうかと疑問に思っているのです。 また、相棒の猫は確かに20年いっしょに暮らしてきた家族だけれど、言葉を通してなにをしてほしいか、なにが食べたいかを迅速に伝えられない訳だから、きっとひとりぼっちで寂しくて、体も痛かろう、初めて老いて初めて死に向かうのに淋しかろうと、100%助けてあげられなくてすまなくて悲しくて眠れません。 やはり施設で暮らす高齢者の方々も寂しい思いで暮らしているだろうと思います。猫と比べるなと言われるかもしれませんが、同じように思ってしまいます。 道元禅師の生死の巻で、薪と灰の話、 前後裁断があったかと思いましたが、 今の私には死はやはり老いた先にあるもののように思えてなりません。身体の細胞ひとつひとつが活動できなくなった先にある死で、やはり苦しまずにはいられないんじゃないかと感じてしまいます。 あのお話だったか、生と滅にそれぞれ“さきありのちあり”とあった気もしますが、なにか私が今目の前にしているものの解釈のヒントになりそうなのに、いまいち理解ができません。 わかりにくい質問で申し訳ないのですが、ようは、なぜ命は苦しまなければいけないのか、なぜ苦しむのに生まれてくるのか、そしてそれをずっと繰り返してきたはずなのに、脳ミソが苦しみを除外するよう進化しなかったということはやはり必要があっての苦しみなのかしらと素人考えをしているわけです。かといって私の相棒の猫さんが死に向かって1人老いて苦しむのは切ない事です。。。それらが不思議で切なくてならないのです。 自然の摂理だから仕方がない事なのでしょうか?

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2023/08/03

死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
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主人の友人が自死しました

こんにちは。悩みがあり、お言葉を頂きたく、相談させていただきます。 先日、主人の友人(Aさん)が自死しました。まだ2週間くらいです。 もう4年くらい連絡をとっていなかったそうですが、主人の落ち込みは相当なものです。病気で身近な人を亡くしても辛いので、その悲しみは理解出来るつもりです。 しかし、それからは毎日のようにAさんのお宅を訪ねています。休日などは夕方~深夜まで帰って来ません。 Aさんのお宅には、奥様、お子さん、Aさんのお父様がいらっしゃいます。また、お墓が近くにあるにも関わらず、お骨も置いてあるそうです。 突然そのようになって、奥様や主人の悲しみは計りしれません。また、そうせざるを得なかったAさんの苦しみも計りしれません。 それは分かっているのですが、「そのようなことがあったお宅」に「お骨がまだある状態」で度々訪問するのが、気持ち悪く感じてしまいます。 そこで聞きたいことは、 49日過ぎていない状態で、(一部の宗派を除き、まだ霊的な存在と言われる状態で)何か悪いことがあるのではないか。 お清めの塩はどのようにするのが効果的なのか。 お坊さんから見て、自然死(老衰、病気など)と自死の違いは何か。 私は主人にどう声をかけ、どのように接するのが最良なのか。 の4つです。ちなみに私はAさんと奥様とは面識がありません。 長くなって申し訳ありません。お考えをお聞かせ頂ければ幸いです。

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父親の葬式に呼ばれませんでした。

数年前のことですが、心残りでたまに思い出すので、相談させてください。複雑な家庭で、私は実家と音信不通でした。住所と電話番号は教えてあったのですが、ずっと音信不通で実家のほうでも私の連絡先紛失して、ずっと連絡がないので行方知らずだと勝手に思っていたそうです。私が小さいころに家庭崩壊して、親は離婚しました。私は父方に、弟は母方に引き取られました。たまに弟と実母にはたまに会ったり連絡していたので、そちらとはわずかに繋がっていたのです。父と再婚相手の女の人から私は邪魔者にされて、意地悪されたり、今思い出しても嫌な思い出が9割りです。ある日、実弟のほうに父が死んだと再婚相手の女の人から相続の話があり私も父の死を知ることになりました。葬式から半年たったころで、骨になった後でした。お金がないのでお墓にはいれてないそうです。 仏壇に線香もあげてません。先方も協議書のハンコ目的でしょうし、なにを言われるかされるか分からなかったからです。 相続の方は、専門家に相談して解決しました。 お墓がないので、墓地で線香をあげることもできず、実家に行くのは絶対無理です。 もう死んでしまった人ですし、十分な愛情もお金ももらっていないし、どうでもいいことなのかなと。 病気で苦しんで死んだらしいですけど、勝手に成仏していると思ってます。線香あげないと可哀想かも、もしかして成仏できずにさ迷っているかも、葬式いけなくてごめんとたまに思います。 周囲の人が言うには、知らせがこなかったから仕方ない、知らせない人たちのほうがおかしいと。 虐待などはされませんでしたが、子供への愛情ゼロだったみたいで、薄情な人間でした。やさしい父親だったら、冥福を祈ることもできると思いますが、「くそ爺、地獄に落ちてないかな」とか黒い感情が湧き出ることもあります。 罰があたりそうで怖いんで、それ以上呪わないようにしています。 父親のことは思い出したくないので、どーでもいいんですが、もやもやが消えません。

有り難し有り難し 11
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人間が恐ろしく、死に救いを求めてしまいます

こんにちは、はじめまして。 私は静岡に住む、今年23歳になる女です。 私は、人と関わる事がひどく虚しいことだと感じ苦しいです。 昔の話ですが、私がまだ小学生の頃、母と実父はよく激しい喧嘩をしていました。 実父が出ていき、暫く母から精神的虐待を受けました。 母の苦しみも理解できたので、家のことは小学校では内緒にし、一生懸命努力してきました。 2年後に母は再婚しました。新しい父に慣れるようまた頑張りました。 中学3年になり、パニック障害を患い地獄の日々が始まりました。 病気のことはなるべく友人に隠しましたが、本当に頻繁に過呼吸になるので、常にポケットや鞄に発作止め薬を入れて生活しました。 私は気づいた時から浮いている事が多かったです。今も友達はいません。 後にHSPと診断されましたが、本当に敏感に色々なことを感じ取ります。 人が多い場所は多くの人の気持ちを身に受け取り、頭の中がごちゃつきます。 反対に、読書や自然など静かなものは好きです。 母は私が22になった時、急に不倫?で失踪しました。そこから私は義父とその家族と暮らしています。 信頼していた友人に、母が失踪した話をしましたが「暗い話はつまらない、私の家は仲良いからわからない」と言われショックでした。 意を決して義祖父にも悩みを相談した所、「暗い話はつまらないから聞きたくない」と言われました。 友人の愚痴も祖父の愚痴もたくさん親身に聞いたのにです。 昔から、自分の努力が及ぶ範囲でならなるべく人を傷つけたくない・尊重したいと思って生きてきました。 人から辛く当たられるのも自分の至らぬ部分があるからだと思い、たくさん本を読み、不快な思いをさせないよう心を律してきました。 パニック障害で薬なしで外に出られないのなら、尚更自分や他人への理解が必要だと思ったからです。 私は人を傷つけたくありません。 失敗することもありますが、周りの人を尊重し生きていきたいです。仲良くしたいです。 それなのに周りはそうはしてくれないのです。 理不尽だと思いますが、やり返そうと思えません。私が弱い立場なので、仕方のないことです。 死んでしまえば全て一つになり、心が癒される気がしています。 最近は毎日死に救いを求めています。仕事も就けません。 一言でも良いので、至らぬ私にお言葉を頂けますと嬉しいです。

有り難し有り難し 24
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2023/05/15

人生を終わらせたい

私は、自分の理想とする人生を歩めない、そればかりかこの先悲しいことばかり起こるのだと悟り、であれば少しでも辛い思いをする前にこの人生を終わらせたいと思います。 少し前までは、せめて世界へ旅に出て感動的な体験をしてからでも遅くないと思えたのですが、最近は何かに感動する感情も薄れてきて、早く死にたいと思ってしまいます。 仕事も側から見たら普通にやっているように見られてますが、自分の能力の限界を自分は知っているので今後が怖いです。 ただ、自死を考える上で唯一の心残りが、遺された家族の気持ちです。 私の家族:両親は離婚、兄弟含めみんなあまり友達がいなかったり、孤独な面があります。また、母は10年前に家を出て行き、発達障害気味の姉と2人暮らし、とても低い収入で一生懸命姉の分まで働いています。なのに、こちらからの援助どころかプレゼントすら受け取ってくれないようになり、それも私からすると苦しいです。母には少しでも幸せでいてほしいのに、全く人を頼ることをしません。 (正直他の明るい家族だったり人生楽しんでいる人たちを見て、なぜ、うちの家系はみんな孤独なんだろう、こういう性格なんだろう(一言で言うと陰という感じです。)、と思ったりして、そういうことを考えるのも辛いです) そんな家族だからこそ余計に、私が自死などしたら一生癒えない悲しみを負わせることになると思います。 でもそれさえ振り切って人生終わらせたい、、その繰り返しです。 私自身、もう30になるのもあり家族を設けられればまた違った人生があるのかもしれませんが、好きな人と一緒になることも叶いそうにありません。 そもそも、自分のような人と深い関係を築くのが難しい性格で生まれてしまった以上、自分が理想とする人生は確実に無理です。 本来であれば身の丈に合ったフィールドで精一杯生きると言うのが正しい在り方だと思うのですが、私は「こうでありたかった」という理想への執着のようなものを消すことができません。こんな状態では、自分のスペックで言えば一般的に幸せと言えるかもしれない状況を手に入れても、幸せと思うことが出来ません。 まとめると、生きるも地獄、死ぬも地獄、でも死んでしまったら自分はそこで感情も何もなくなるので、苦しい状況から逃れられはする、という感じです。 何かアドバイスございましたらご教示いただきたいです。

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ハムスターを死なせてしまいました

先日、急遽家を空けることになり、2歳のハムスターを1週間放置してしまいました。以前も1週間留守番させたことがあったのですが、大丈夫だった為、今回も大丈夫だろうと思いました。ですが、2歳という高齢だったこと、1歳半を過ぎた辺りから、腫瘍が出来出血していた為もあり、帰宅したら亡くなっていました。餌を充分与えたつもりでいましたが、足りなかったのが一番の原因です。 このハムちゃんは、なつくことはありませんでしたが、とても生命力が強く、元気があり、腫瘍ができても一生懸命生きていました。ですが、なつかなかったことで時折目が行き届かないこともあり、結果的に私が死なせてしまいました。帰ってきたときに、餌は全て無くなり、うんちもきちんとしていた為、まだまだ生きれたと思います。 もっともっと生きたかっただろうと思うと、本当にかわいそうなことをしてしまいました。きっとハムちゃんは私を恨んでいると思います。腫瘍も、ストレスが原因でなってしまったみたいです。 ハムちゃんは私なんかに飼われて不幸だったと思いますが、どのように弔ってあげればよろしいでしょうか? 私は一生ハムちゃんに恨まれ、地獄にいきますか?? 教えてください。

有り難し有り難し 46
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2024/09/08

実父の葬式への出席について

お世話になります。 私は一人っ子で幼少期に母親が目の前で自殺しました。 父の浮気が原因でノイローゼになってしまっての事でした。 それから40年以上、今でも年に数回は父との交流(父からの電話で安否確認程度)はありますが、私の方では知り合い程度の認識で父とは思っていませんし「お父さん」と呼んだこともありません。 そんな父も齢を重ねてあと10年生きるかどうか、ぐらいの年齢になってきました。現在、当時の浮気相手であり母の死後わずか2年で再婚し私の継母となった女の実家がある遠方で暮らしているようです。 一応私が長男なので最近その父が死んだ時のことをよく考えてしまうのですが、このまま継母の実家で亡くなった場合葬儀もそこで執り行う事になるかと思います。継母は幼少の私をそれは凄惨な方法で何年も苛め抜いた存在であり、私は継母の実家には行きたくありませんし継母の顔を見る事もしたくないのです。 つまり父が彼の地で亡くなった場合は実子であり長男である私抜きで葬儀なり好きにしてくれればよいと考えていますし、父がどこの誰の墓に入ろうがどうでもいいとも思っています。要は父の葬儀を執り行うだとか参列はしたくありません。父の仏前で手を合わせる事もないでしょうし、そもそも故人を偲ぶ値打ちもないと思っています。 これは罰当たりな事でしょうか?周りから非難されるような事でしょうか?死ねば地獄に落とされるような事でしょうか? 私の母を自身の下の欲で死に至らしめた人間の屑とも言える父だったとしても、実子である私が葬儀やら墓やら供養やらをしなければならないのでしょうか?

有り難し有り難し 18
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暖かい家庭というものは存在するのですか?幻想ですか?

私は今、母と暮らしながら正社員として働いている28歳女性です。 本題の前にかいつまんで生い立ちを説明させてください。私の父は私が3歳の時に死に、それ以降は母と母方の祖母との3人で暮らしてきました。 父の死直後から私が成人する頃までずっと、母も祖母も薬物依存の症状がひどく、家庭は安心できる場所ではありませんでした。と言っても、外では2人とも普通の人間のように振る舞えたため、側から見たら普通の家庭だったと思います。事実、遺族年金で生計を立てていた割に余裕のある生活を送っていたため、私は周りから「恵まれている」と言われながら育ちました。私も、毎食ご飯が食べられて、大学まで通えたのでその点は恵まれていたと思います。 ただ、前述の通り、母も祖母もかなりきつい精神安定剤を常用しており、気分次第で罵倒されたり、夜寝ている時に枕元の壁を包丁でガリガリ削られたり、衣服を切り刻まれたり、生命の危険を感じる事が多かったので、私にとって家庭は安らげる場所ではありませんでした。家族で集まる夕食の時間がまるで拷問のようで、太宰治の「人間失格」に出てくる団欒シーンとまさに同じ、家に住む亡霊に祈りを捧げるために集まっているのかと錯覚するような耐え難い時間でした。 そんな育ちのため、最近まで、私は家庭を持ちたいとか、結婚したいなどと露ほども思わず生きてきました。 ですが、成人して何度か好きな人ができ(恋愛も上手くはいかないので結局振られる結末ですが)、段々と「好きな人と築くなら、家庭って幸せなものなんじゃないか」「テレビで観て嘘だと思ってた、いわゆる暖かい家庭ってもしかして現実に存在し得るのか」と思うようになってきました。 その一方で、家庭が地獄でないはずがない、という思いもあります。自分の経験は少し特殊だとわかっていますが、周りの既婚者も、なんだかんだ家庭の愚痴をこぼしているのを聞くと、やっぱり暖かい家庭って幻想なのかな、と思えます。 家庭ってふつう、どういうものなんでしょうか。 世の中の人は皆、口に出さないだけで地獄に耐えて生きてるんでしょうか。 私が上手く対処できなかっただけで、そういう地獄にも上手に対処して維持されるべきものが家庭なんでしょうか。 それとも、むしろ率先してその家に帰りたいと思える家庭も、中にはあるのでしょうか。 とりとめのない質問で恐縮ですが、教えていただけると助かります。

有り難し有り難し 24
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2022/08/11

死生観や魂についてご教示いただきたいです

 看取りを目的とした入院患者の多い病棟で勤務している看護師です。仕事柄、死というものは身近に感じております。  緩和医療の分野において、スピリチュアルケアという考え方があります。  世界保健機関で健康とは身体的、精神的、社会的に良好な状態であり病気の有無に関わらないと定義されているのですが、そこにspiritual health(霊的な健康)という概念を追加してはどうかという提案が2000年頃にありました。現在において、霊的な健康は概念に追加されていませんが、看取りの場において霊という概念は必要であると愚考しています。  私は人間を「尊厳を持つ存在」「胎児の頃から逝去されたのち、遺された人の心から消えるまで」と考えています。命が尽きると人間でなくなるのであれば、遺体はただの物体であり、丁寧に扱う必要のないモノとなってしまうと思うからです。看護は患者が逝去したのち、死化粧をし、身体を洗い、着衣を整え、御遺族へ患者という人間を引き継ぐ役目があると思っています。  私の考えの根底に魂というものがあるが故に、上記のような考えをしているのだと思いますが、不勉強ゆえ魂というものを言語化できません。地獄や憂き世、極楽といった様々な宗教観の言葉がある日本において、皆様は魂をどのように捉えているのか知りたく思い、質問させていただきました。

有り難し有り難し 8
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明けましていきなりですが、作麼生・説破(そもさん・せっぱ)

明けましておめでとうございます。 昨年は色々とありがとうございました。 新年になり、ふと思い出したことがあるので二つ質問です。 一つ目はある私の大嫌いなパンクな僧侶が、 『門松は冥土の旅の一里塚めでたくもあり めでたくもなし』 という歌を残して、正月に京の街をシャレコウベを持って『ご用心なさい』と言って練り歩いたという逸話があります。 最初は、死に近づいてるのだから有難がるなよ、髑髏のような死体になるから気を付けなさい、という意味かと思っておりました。 しかし最近は、『寂滅為楽の涅槃に近づいた。めでたいな。でもまだ涅槃への道は遠い、めでたくないな(浮かれてはいられないな)。用心してしっかり行かないと』 と考えるようになりました。皆様の解釈はいかがでしょうか。 (死や死に向かっていく事に対してはめでたいも、めでたくもないのですが) 二つ目は、婆子焼庵という公案です。 内容は以下転載です。 『ある老婆が、一人の修行僧のために草庵を建て、 衣食住の一切を世話をして20年が過ぎた。 そこで「そろそろ いいか」と、娘を世話する ことにした。すると 修行僧は「枯れた木が 寒い岩に立つように、私の心は燃えない」と 言って、娘の誘いをはねのけた。 娘からその報告を聞いた老婆は「20年も世話 してきて、まだ こんな生臭さか!」と怒り、 修行僧を追い出し、庵も焼き払ってしまった。 さて「婆さんの真意はいかに」というもの』 私なら、何故私を気に入ったかを聞いて顔や身体です、とか言われたら返事を翌日まで保留にして、そのまま旅に出ます。 性根や内面が気に入った、とか言われたら、一緒に出家しようと誘います。 片方が顔や身体を気に入って、もう片方の人が内面とか言われたら内面が良いと言ってきた人を出家に誘って、庵を出ていきます。 皆様はどんな解釈や回答になりますか? (作麼生・説破の使い方が違うのはお許しください)

有り難し有り難し 43
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ペットの最期が近いという現実

時々相談させて頂いています。 今回はペットの病気ともう長くはないという現実。私自身も現実を受け入れようとしていますが、ストレスや不安から身体症状も出ています。 ペットが自分の病気をどのように感じているのか考えると、自分の辛さ以上にペットの方がきついんだと考えます。 更に心配なのが主人です。我が家には犬が2匹いますが、病気の犬は主人が自分の犬として、とても可愛がっていたため、ショックも大きく、撫でているだけで、涙が出るようです。 そんな主人にどう声をかければ良いのかわからず、その事に対しても、考えると涙が出て辛い気持ちになります。 こちらのサイトでも、ペットの病気や死について、沢山の方が相談されており、お坊様のアドバイスを読みながら、今を頑張って生きようとしているペットと最期のその時まで一緒に過ごそうと決めています。 ペットとの出会いは運命であり、ペットが私達を選んで私達の元に来る、と書いてあり、更にペットは私達が仏様の元に行かせて頂く時、そこで待っていてくれると、書いてありました。 聞いて頂きたい内容がまとまらず申し訳ありません。 何もしてあげられない自分が情けない事、悲しみに涙する主人を支えることができていない自分。 1番はやはり犬が苦しんでいるのではないか、という思い。 自分が楽になりたいからお坊様にコメントを求めている自己中心的な自分に嫌気がします。 まとまらない内容になり、申し訳ありませんでした。話を聞いて頂きありがとうございました。

有り難し有り難し 38
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2025/06/23

この世界に救いなど無い

この世界はもう終わりです。私達は殺されます。核戦争でこの地球は死の星になります。人間の肥大化した欲望から来る不足感が被害者意識を生み、その結果が今の軍事大国による侵略時代です。道徳は非人道的世界に飲み込まれます。私達に未来などありません。 到底受け入れられない、受け入れてはいけないものですが、解決方法もないので私達には死しか残っていません。それも惨たらしい死です。全国の仏教ネットワークを駆使して全国規模で人類への生前葬を行いましょう。 まだ間に合うかもしれない、ちゃんと天寿を全うできるかもしれないと感情では思いたいのですが、もうそんな可能性は日に日に小さくなっていくばかりです。世界は毎日毎日「最悪」を更新するばかりです。 例え運良く戦争にならなかったとしても、どちらにせよ人間社会の未来が暗いことは確定しています。 まだ気づいていないなら一緒に絶望してください。もうこの世界に未来など無いという真実にお目覚めください。私よりも賢くて徳のある貴方がたなら簡単なことだと思います。戦争は止められないこと、私達に未来は無いということ、死んでも結局はまたこの世界に生まれて苦しむだけの生が永遠に繰り返されるだけだということ、どこにも安息の地など無く、神仏の救いなどこの世界には存在しないということ。私でもわかることなのですから、貴方がたももうお分かりかと思います。私達には絶望するしか無いのです。人を救ったって仕方ないのです。どうせもうじき戦争で殺されるのだから。 絶望と怒りで心が埋め尽くされています。私が生きられないのは、私が苦しむのは完全にこの世界のせいです。生きても死んでも地獄から逃れられない。「存在」の強制力からは誰も逃れられないのです。もしも死んだ後の行き先が選べるのなら、日本は少子高齢化になっていないし家畜も戦地で死ぬ赤子も生まれていません。でもそうではないということは、死んだ後の安息など無く、死んでもまたこの世界の何かに生まれてしまうというのがこの世界の真実です。次は家畜かもしれません。どうして世界のほとんどの人間はこの真実に気づいていないのでしょう。 無惨に殺されるのはごめん被りたいのに、世界のあらゆる情報が「私たちは無惨に殺されるしかなく、しかも死んだ後もそれらが無限に繰り返される」という事実を指し示します。心が壊れて狂っています。

有り難し有り難し 31
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