こんにちは。高一です。 私は最近死ぬのか怖く、たくさんの罪を犯してきたので、地獄が怖くなりました。 たくさんの罪とは。今はしていませんが、過去盗みを何回もしてしまったり、自分が有利になるような嘘を何度も付いたり悪口も何度も言ったり友達のものを隠したり家族からお金を取ったり、自分の飼ってる猫を叩いてしまったり、今あげているもの ~中2、猫の件に関しては最近もしてしまいました… こんな私ですがなんであんなことをしたのだろう、なんで叩いて蹴ったりしてしまったのだろうと後悔し反省しています。 そして中2~現在まで一日一善の精神でいいことをしたり、人に気を使ったり些細なことで、到底罪を償っているとは言えませんがいいことをするようにしました。 こんな私でも地獄に行かない方法はあるのでしょうか。また死の怖さはどのように向き合えばいいのでしょうか。高校1年、もう今年度からは2年生ですが、こんな私は人生を楽しく生きるべきでは無いですか。 こんな私ではありますがどうか力を貸していただきたいです。よろしくお願い致します
私は小さい時に家族と友達から盗みを働きました… 自分の欲望に勝てず行った事です。でも許されない事です。自分の行いはもちろん取り返しもつかない事です。 今ではすごく後悔しています。友達とは疎遠になり謝罪も出来ません…… 過去に帰れるなら…その時に戻ってやり直したい気持ちです。でももちろんそれも出来ません。 こんな罪を犯した私は地獄に行くのだろうと思ってます。でも地獄に行くのが怖い。死も怖い。寝る時になると死が怖くて寝れなくなり、死んだら地獄行きだと思うとさらに怖くて眠れなくなります。 とうしようもない不安や恐怖に襲われてしまいます。
こんにちは。前回も地獄が怖いという内容で相談させていただいたものです。さて、前回の後、浄土真宗の南無阿弥陀仏を念仏して、極楽浄土に行くしかないと思いしばらくは安心していました。しかし、髪の毛の先の疑いもいけないや、親鸞さんは唯除五逆…というのをこれらを反省させ2度とさせない為とありましたが、それでも不安です。さらに、殺生や、強盗、邪淫(強姦歴などは無いです)を犯しているので、殺生だけでも、1兆年は地獄行きなど…どうか阿弥陀仏を信じる方法を教えていただけないでしょうか?他力信心などと言われていますが、それでも、まだ私には疑蓋が残っていると思います。こんな煩悩まみれの凡夫でもどうか南無阿弥陀仏の救いを受けられるのでしょうか?または、その他で苦しみから救われる方法はあるのですか?回答お待ちしております。
お世話になりますm( )m 今臨死体験の本なども読んだり ネットでも見たりするのですが 地獄についてどう思われますか? 私は地獄があってほしい派です 世の中には人を平気で苦しめて 平気でいれる人がいます まさに悪魔そのもので 自分には理解できません 極端な話がテロリストなど イスラム国の人達など あのような残虐な事が平気で出来ることが 本当に信じられませんし あのような事を平気でしてきた人達が 何の裁きも受けないのはあり得ないと 私は思います 同じ人間なのに どうしてあのような事が出来るのでしょうか 私は悪いことをすれば 必ず報いを受けるべきだと望んでいます 完ぺきな人間はいませんから 多少の悪は仕方がありませんが そうゆうレベルではなく もう「 死んでしまいたい 」と その人をおとしめてしまうような 詐欺だったり、泥棒だったり 苦しむことを平気でやった人に対する思いです 殺人は相当に罪が重いと 私は思います しかしネットで見たのですが 地獄は存在しない 人はみな天国へ行く どんなに悪いことをした人でも 天国へ行くと書いてありました ( 死後の世界や天国は信じる方ですが 地獄は存在しないと言われる方です ) と書かれているのを見て そんな訳はない!!と 思いました、納得できません 今自分が読んでいる本( 臨死体験の本です、カールベッカーさんの本です )には( まだ読んでる途中ですが ) 地獄が存在すると書かれてありました ( 臨死体験された方が見てきた ) 鬼の様な人たちがいて その人?により そこに拷問を受けて 苦しんでいる人たちがいた と書かれてあります グロテスクではありますが 散々悪いことをしてきた人たちには この様な裁きを受けるべきだと 私は思っています!! お坊さんはどう思われますか? よろしくお願い致します
極楽浄土へ行くためには 戒律を守らなければならないと聞いたことがあります。 では戒律と私がしたことについて 殺生をしない まずこれはどんな生き物とて殺してはいけないのですよね? 蚊やゴキブリなど殺していますし 肉や魚も食べています。 盗みをしない 盗みは少年時代よくやりました。 しかもつい数年前万引きをして 警察に捕まりました。 このことについては 反省しています。 酒を飲まない ビールを飲んでます。 悪口を言わない 極力言わないようにしていますが 嫌なことされたり頭にくることされると 時に反論や悪口を言ってしまう時があります。 嘘を言わない 嘘はついたことはよくあります。 大人になってからは正直に生きたいと 思ってましたが会社などで働いていると 普通に本音を言うと怒られたり 敵対されいじめの標的にされた事がよくあります そういう経験をして以来 時に思ってもいない嘘を言って ごまかしその場を乗り切ることがあります。 ふしだらなことをしない これはあまりしませんがエロ動画や画像などは 鑑賞します。こういってことでも ふしだらなことになるのでしょうか? 心から懺悔をし善行を積み 南無阿弥陀仏など毎日唱え修行をすれば 罪罰から遠ざかるとありますが本当ですか? そもそも地獄は実在するのですか?
私は昔から死んだ後どうなるのかという事を考えてしまいます 考えても何十年後かには死ぬ運命しかないし考えたらキリがないなと自分でも思いますがやはり考えてしまいます、友達が生きる意味あるのかなとか死にたいって言っているのを見ると余計自分も考え込んで死ぬのが怖い、生きたいと思う事が年々増してきています 正直臆病者で地獄に行きたくないと思ってしまいます、あの時やめておけば良かったと今でも後悔するようなことを思い出して悩んでいます 例えば小学生の頃人の落し物を落し物入れから取ってしまったり、高校生の頃ファミレスで携帯を充電する為に盗電してしまったり… このような事をしていてはやはり地獄行き確定してしまってるのでしょうか?
小さなお子さんが闘病の末亡くなるテレビを見てふと思いました。 親より先に子が亡くなると地獄で石を積み鬼に壊され、また積んでの様な話を聞きますが 願っても努力をしても親より生きられない、辛くて大変な思いをしても亡くなってしまったお子さんもこんなことになってしまうのはとても辛いなあと思いました。 お釈迦様の教えは慈悲深いのにこのお話だけは 悲しいなぁとおもってしまいます。
この前ネットで私は知ってしまいました。 人が大切にしているものを壊しても無間地獄行きになると、それって本当でしょうか? 私は前に家のもので家族が大事に飾っていたガラスの置物をうっかり落として壊してしまった記憶があります。でも反省はしました。 しかしながら、どうしても地獄は怖いです。今でも身体が震えるほどです。 無間地獄って一度おちればもう無期懲役で人間界には転生できない…ゆえに責苦も強烈で他の地獄が平和に感じるほどで… もう恐ろしくてたまりません、そんな罪を犯した自分も恐ろしいしこんな大罪を犯してもなお、自分はなんてことをしたんだと思います。もう何もかもが怖いです。 他にも、嘘をついたり殺生をしたり、邪見を述べた事もあり、それらも善をほどこして洗おうと考えています。(ちなみに邪見って直訳すると間違いを教える事、つまり嘘をつたえたり述べたりする事でしたっけ?それも罪だと書いていました) こんな私ですが仏様は救ってくださるのでしょうか。無間地獄だなんて今までで一番恐ろしくて体が震えるというより血の気がひきます。 後、可能であれば邪見も罪にあたいするかどうかの調べもお願いします。
私は地獄に行くのが怖いです。 最近気をつけているのですが、これで地獄行きを回避することができますか? 他にしておいたほうがいいことはあるでしょうか? 私が今までしてきた悪いこと 嘘、悪口、不注意で虫などを殺してしまった 私が気をつけたり、いいことと思っていること 悪い行いを深く反省、人に感謝の気持ちを素直に伝える、人に親切にするよう心がけている、今までした悪いことをもう一度繰り返さないように気をつけてる、食べ物などに感謝し、大切に食べている
私は自殺未遂をした時、生死を彷徨いました。 その時みた光景は、色彩がなにもなく光もかぜも音もなにもない真っ黒な世界でした。生きていて自分は孤独だと思っていましたが、自分の好きな洋服、家、匂い、音楽、風、いろいろなものに囲まれているんですね。本当に孤独とはそれすらないんですね。これが、地獄ですか?ある人はそこから振り分けられるとも、パーティみたいな楽しい世界ともいいます。 死にたい衝動にかられたとき、黒の世界には行きたくないと思います。 もし、そうではないならとは思います。
初めて質問させていただきます。よろしくお願いします。 私は幼い頃から地獄・死への恐怖がありました。しかし、カンニングや万引き、いじめ、他人を貶めるなど悪いことをしてしまいました。自分の行動を振り返って、後悔しています。私がやってしまったことは、もう取り消せません。 このような行いをしてしまった私は死後に地獄行きと考えると、怖くてたまらないです。自業自得なのですが、地獄には行きたくないと考えてしまいます。 また、ふとした時に過去の悪行を思い出し、罪悪感に苛まれます。とても苦しいです。 この苦しい気持ち・恐怖から助けてほしいです。
先日もご相談したのですが愛染真言を唱えた後に元彼と付き合えました。ですが満願と同時期に彼の女友達が事故死してしまっていた事が判明しました。 私が真言を唱えたから彼が私の所へ来るべく彼女は変わりに亡くなってしまったのか。 また僧侶の彼を罵ってしまったり盗みや嘘など多くの悪いことをしてしまっています。 私は地獄地獄に落ちてしまうのでしょうか、、。 また自分では無間地獄行きだと思っているのですが仏教的に私の罪は何処に行くのでしょうか。 善行を積みたくても裏目に出てしまったり我が儘も治らず迷惑ばかりかけてしまっています。 それと最近地震が多発しておりその時に震災で亡くなってしまったら死後の行き場は極楽には到底いけない身分だなと。 地獄は存在しますよね、、
私はうつ病4年目です。 子供や親を養うために仕事を辞める事も休職する事も自殺する事もできません。 病気は治るわけもなく、毎日クタクタになって帰宅しています。 休日は、ほとんどベッドの上です。 疲れやすく、何もする気になれず、欲しい物もないし、テレビも読書も以前好きだったのに何にも興味を持てず、ただただ毎日なんとか『生きるしかない』状態です。 自分が不甲斐なく、『生きなくてはいけない』事に疲れ果てています。 死 とはなんですか? 地獄 とはどこですか? 極楽浄土 とはどこですか? 私は、 死 とは、無 になることと思います。魂とか怨念とかそんなものはなく、ただそこにいた人間が居なくなり 無 になるのだと思います。 地獄 とは、存在しないと思います。 もし仮に輪廻転生があるのだとしたら、今生かされている この世こそが 地獄 だと思います。 うつ病だと知ると平気で差別し偏見を持ち疎外されてきました。 今、死にたい人に安楽死を許可したら世界の人口はいったいどの位減るのか…そう考えていただけたら私が言う この世こそが地獄 と言う考えを理解していただけるのではないでしょうか。 極楽浄土 とは、存在しないと思います。 もし仮に輪廻転生があるのだとしたら、転生されなくなった時を表しているのだと思います。 私は今生かされていますが、状態からすればもう 無 なのだと思うのです。 まとまりの無い話になりましたが、このまま、この世で死んだ様に生きていく事に意味はあるのでしょうか。 家族を養う事は大切です。 ですが充分な保険に入っているので大丈夫だとも思うのです。 残された人の気持ち…と言われると辛いのですが、どの道人はいつか死ぬのです。 この先も生き続けなければならないならば、こんな私はどのような心持ちで生きたらよいのでしょうか…
人には正義がありますよね。 曖昧な言葉ですが確かにあると感じます。 電車内で喫煙した者に勇気を持って注意した高校生、その高校生に腹を立て殴る蹴るの暴行を加えた犯人。 ネット上では高校生の勇気を称え犯人の横暴に憤りを隠せない意見が目立ちます。 このような意見がたくさん出るのは自然なことです。 これは人々の正義感からくるものでしょう。 2ちゃんねるの創始者である西村ひろゆきさんも「頭のおかしな人に対して、正義を貫いた高校生が勇気を賞賛されて、得をする社会の方が良いと思うのですよ。正義の結果に治療費が掛かるなら、振り込みますよー」とTwitterで仰っています。 自分自身もそんな正義が尊重される世の中になってほしいです。 ですが世の中には自分とは相寄れない正義を持つ人々がいます。 お坊様たちも仏教を正しいと思い信仰している以上、その教えに反する者とは相寄れないはずです。 全ての正義が共存するなどありえず、ぶつかれば場合によっては戦うしかなくなる。 これは無限地獄ではないでしょうか。 いつまでも終わりのない地獄。 仏教では執着を手放すことを勧めているので「正義にこだわるな、手放せ」という回答が返ってきそうです。 しかしその考えも執着を手放すことに執着しているとも言えますし、それが原因で新たな争いも起こるでしょう。 この無限地獄は生きている間ずっと続く。 災害や戦争、不況などで環境が悪くなれば尚更。 私はこの無限地獄に耐えて生きていくのが辛い。 死という選択肢が頭をよぎります。 でも死にたくないと思う自分もいる。 生き続けることを選んだ場合、この先どうやって無限地獄を耐え忍べばいいのでしょうか?
人は自殺をすると地獄にいくのですか? 辛くて辛くて、でも逃げ場がなくて、死んで楽になれるって何の根拠もない考えにすがりついて、ある意味希望をもって、生きています。 まだ大丈夫、まだ大丈夫、いざとなったら死ぬっていう選択肢があるし、って思って生きていくのは甘いのでしょうか。 死んでも楽にはなれないのでしょうか? この世で苦しみながら、それでも皆さんのように頑張って、生きていくしかないのでしょうか?皆さんは辛くても、しっかり生きていて、すごいです。 死ぬな、とか、死んでも何も解決しない、とか、そんな言葉をきくと逃げ道はどこにもないように感じます。 そもそも逃げるという考えがだめなのでしょうね。 自殺をしたら地獄にいくのでしょうか?苦しみからは逃れられないのでしょうか? こんな幼稚な私ですが、お坊さんの考えを、お聞かせください。
私はよく自殺についてネットで検索をしてるのですが、 自殺をすると地獄に落ちますよ! という投稿をしばしば見かけます。 自殺=自分を殺すことと同じ、つまり人を殺したも同然なので地獄へ行くというのです。 特に知恵袋などで多い気がします。 それで自殺防止になるならいいのかもしれないけれど... でも病気などで自殺する人もいるじゃないですか。 私は統合失調症ですが、幻聴に耐えられずその声に従って自殺したというケースもあるみたいです。 それで地獄に落ちるなんて可哀想だと思います。 自殺したら地獄に落ちるのですか?
また、ご質問すいません。 前にアドバイスされた通り、祖父母の仏壇にお線香を供え、子供の頃のやらかしや失敗などを手を合わせながら「ごめんなさい」と謝ったりしました。 だけど、また自分の嫌な所ばかり思い出し今度は自分の死後の心配をするようになってきました。 まだ、二十代の小娘ですが、正直に言って地獄が怖いです。 子供の頃に子供特有の残酷さと好奇心で生き物を死なせたり世話をしないで死なせてしまった貰い物のカブト虫の事を思い出したり、謝れなかった事、嘘を付いたり間違いを犯したり人を馬鹿にしたり傷つけたり、悪口や心の中で悪態をつたいり、とんでもない事を考えたり、借りた物を返さなかったりと本当に悪い事をしてきたと思うようになったりしました こっぴどく叱られたり、私自身も嫌な思いをしたり物を返してもらえなかった事もありますし、人の役に立とうとしたり良い事もした事もあると思います。 でも、自分の悪い所を思い出しその後に地獄を思い出して怖くなってきました。 昔絵や絵本で見た地獄を本当に怖がり悪い事をしたら地獄に落とされるという事に怯えていた記憶があったと思うのに、でも、大きくなってそういった感覚が薄れていき人の死に対して無関心な部分が出てきたり地獄を題材としてを扱った漫画やアニメを見てもフィクションだと思って受け流す事もありましたが地獄に行った人が鬼に身体を斬られたり責め具を受けているのを見て怖くなって目を背けた事もあります。 それらを思い出し、また罪悪感が蘇り私が死んだ後に地獄に行く事になったら・・と考えたらとても怖くなり、しかも、本やネットでは相当長い年月を罰で苦しむと書かれていたので本当に怖いです。 正直に言って地獄に行きたくありません。むしろ幽霊になってずっと現世に留まっていた方がいいんじゃ・・でも、それはそれでどうなんだ?と思考がぐるぐるとまわりました。 自分勝手だと思いますが、生前の罪を償う為とはいえ死後も痛い思いや苦しい思いをするのが嫌でたまりません。 違う事も考えようとしましたが、結局また思い出して時に心の中で絶叫したり誰か助けてと思う事もありました。 楽しいと思える事も怖く感じる時もありこの思考を止めるには一体どうすればいいでしょうか?これらの事を思い出すのは何か意味があるのでしょうか? 地獄に落ちないようにするにはどうすればいいでしょうか?
自殺したら地獄行きですか?ネットやハスノハでは自殺したら即地獄行きであるという書き込みを見かけます。私は自殺はある意味他殺と取れると思います。またある意味病死とも取れると思います。大切な友人を自殺で亡くしました。その後が心配です。教えてください。
自殺したら地獄に行くのですか? たとえば、癌になったとして、治療を拒否したらそれは自殺ですか? 私は生きているのが申し訳ないです。
40代、無職、独身、天涯孤独(両親は母親はがんで病死、父親は借金苦で自殺)彼氏も友達もおりません。 学生時代もいじめられて孤独、会社も仕事もできずくびになって以来 引きこもりです。 どこをどうひっくり返しても、幸せだって思えた瞬間もありませんし 体験も皆無です。 無理に幸せと思おうとして生きてきましたがもう ネタ切れです。幸せは考え方次第、ともいいますが本当に、全く ないんです。もし死んだとしても、(孤独死か餓死でしょう、全く相談できる人も理解者もいませんので、たった独りの自分だけの力でどこまでできるかわからないので)悲しんでくれる人もおりません。 この辺信じてもらえないことが多いですけど、本当です!! 餓死=自殺扱いですよね? このサイトで必ず自殺者は地獄へ行く訳で ないというのを読んで少し心が軽くなりましたが、私でも大丈夫でしょうか、、、。必ず地獄送りでないのなら、精一杯できることやって みようかなという気持ちになってきました。 死ぬこと自体は全く怖くないし、この世に未練もありません。 ただ死んだ後まで、もう苦しみたくないだけなのです。 生まれ変わることにも抵抗ありません。 今の自分が消えてくれるなら万々歳ですから。