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hasunoha 問答検索結果 : 「親 いない できない」
検索結果: 14063件

結婚する前に海外旅行

いつもお世話になっております。 ご相談があります。 わたしは以前片思いのときにご相談させて頂いた年上の方とお付き合いすることができるようになりました。24歳の女です。出会ってもう少しで1年。付き合ってまだ2ヶ月ほど。 彼は付き合ってから門限を聞いてくれたり、感謝の気持ち、悪いと思ったら謝る。話し合いもしっかりしてくれる人です そして「私、この人と一緒にいたい」と心から思った人です。 付き合って2週間後、約5ヶ月ほど仕事で海外に行きました。それは付き合う前に知っていました。実際に会った日数は少ないけど、メールもしてくれて、相手が数少ない休みは長時間電話もしてくれて、安心感はあります。 最近は結婚の話になりました。性格の不一致があるのではと心配するわたしに彼は「人間は完璧じゃない、でも《名前》の嫌なところが見えたとしても、それはカバーしていけばいいと思ってる」といってくれました。わたしは今までにない信頼できる人で、一緒にいたいと思い、「わかりました」と半分結婚に対し了承している感じを出してしまいました。 あとは海外から戻ってきたときに、彼が仕事で海外に行く前からお互いで旅行をしようという話になりました。それは海外です。私自身、親に話したら最初は良いと言ってくれました。なので、彼も行く気でいて、私もパスポートを取ると伝えました。 しかし、最近になって海外に行くことを遠回しに親に反対されています。「万が一のことがあったら女が不利になる。結婚する前に海外に行くことはおかしい。結婚も、嫌なところが見えて許せない部分も出てくるだろう。なのに結婚の約束、ましてや海外に旅行はあり得ない。しかも、彼は転勤がある。それでもついて行くという気持ちはあるのこ」と言われました。それから彼に対し申し訳ない気持ちと、彼を信じてきた自分が切なくなりました。 海外に行く前は、お互いの親に挨拶に行くという約束を彼にしています。 あとはなぜ海外かというと、彼がお気に入りの場所だからです。今まで会えなかった分、彼のお気に入りの場所でゆっくりしたくて2人で決めました。 やはりお互いが良くても、海外の旅行はダメなのでしょうか。 彼がとても楽しみにしているので、断るとしたら本当に申し訳ないと思っています。

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先に進む勇気と自信がないです

現役歯学部生です。私は医学部受験で多浪をし、その末に歯学部に入学しました。私自身歯学部に入学するにあたり歯科医師を目指すと覚悟を決め、この一年間できる限りの努力をしたつもりでしたが、私の努力が足らず一年目にして留年が決定してしまいました。学費を払ってくれている親や応援してくれていた人たちには本当に申し訳ないと思っていますし、この一年の自分の行動を思い返しては「どうしてもっと結果を出せなかったのか」、「あの時もっと勉強できなかったのか」と自分を責めては深く反省しています。 留年が決まってから、改めて幼い頃からメンタルも弱く、勉強に関して何にも才能を発揮できない自分に腹が立って何日間も涙が止まらなくなりました。「こんな自分が生きていて良いのか、生きていても親の迷惑になるだけなのでは」と何度も考えました。「死んでしまって全て終わらせてしまいたい」とも。 しばらくして「いつまでもネガティブな思考ではいけない」と自分なりに冷静に考え直しました。その末、正しい判断かどうはは分かりませんが、自分自身でその結果をしっかりと受け止め「もう一度チャレンジして歯科医師免許を取ること」が私が今できる1番の責任の取り方なのではないかという考えに辿り着きました。なかなかに自己中心的な考えであるとは理解しているつもりです。 両親にこの考えを伝えた結果、本当に有難いことにわがままな私の選択を両親は受け入れてくれ、留年が決定しましたがいざ留年するとなったら自信がなくて「仮にまた一年努力して同じ結果だったらどうしよう」と考えてしまう自分が嫌いです。 自分で決めた道なのに。親が応援してくれるという非常に有難くて贅沢な環境なのに。その環境に置いてもらえている事に本当に感謝しているつもりなのに。自信を持って「新しく一年頑張ろう」と思いきれない自分が嫌です。こういった場合はどのような気持ちで過ごしたら良いのでしょうか。 読みにくく、変な質問で申し訳ありません。 1人で考えていても埒が開かず、自己嫌悪に駆られるだけの毎日でしたので、何かお言葉をいただきたく投稿させていただきました。

有り難し有り難し 25
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2023/09/07

休みがなく毎日に余裕がない

昨年離婚し、3人の小学生を育てています。 上の子2人は少年野球のチームに入っています。末っ子は、発達障害を疑うほど落ち着きがなく、集団の中で気掛かりなことが多かったので、ボーイスカウトに入れています。 離婚原因は、少年野球の保護者の時間的拘束があまりにもキツく、コーチとして参加していた元夫と意見がぶつかったことが引き金となりました。もちろん、それだけが理由ではありません。 上の子二人は今でも野球を続けたがっており、離婚後は私も子供のしたいことをやめさせるのが忍びなく、できるだけ野球のお世話もし、末っ子のボーイスカウトも付き添っています。 子供たちの所属するチームは熱心に活動しており、毎週末土曜は一日練習か試合、日曜はたまに半日になりますが一日拘束の時も多々あります。 上の子は今高学年のチーム、下の子は低学年のチームで活動し、練習や試合の場所や時間が違ったりします。それぞれに配車や付き添い、送迎を求められます。 この中に、ボーイスカウトの予定も入って来ます。どうしても、配車や付き添い、送迎ができない時がでてきます。 上の子のチームの保護者は、チームの子を中心に付き添いできる保護者が多く、行けないことを理解してくれますが、下の子のチームは、私と同じように行けない保護者も多く、同じ人に負担がかかり大変で、正直、親同士の雰囲気が悪いです。 先日も、配車をしたら、チームの独自ルールに反していたようで、世話役の方からきつい注意を受けました。世話役の方の、なんで私ばかりが、という気持ちも理解できる反面、頑張って付き添えばぷりぷりと怒られ、やっぱり嫌だと感じます。 もちろん平日はフルタイムで仕事をした上でこの週末です。家事に手が回らず家はグチャグチャです。疲れがぬけません。もしろ溜まる一方です。最近は、末っ子のわがままにカッとして、手が出たり、物を投げたりしてしまうようになりました。 上の子二人にも、野球がやりたいのならこうしろ、とか、やめてしまえとか、言ってしまいます。本音としては、子に少年野球をさせればほぼ義務である、親の土日祝日の長時間の拘束と集団行動、配車に気働き、全部私の苦手な項目ばかりで、親として、子が頑張っていることをさせてやりたい気持ちとの板挟みなのです。 上の子はもうすぐ卒部です。どうしたら明るく楽しく我が子を応援できる母親になれますか。

有り難し有り難し 27
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2024/08/07

同棲してからの息子

去年 家出してきた彼女と成り行きとき勢い任せに同棲すると言って家を出た息子… 未だに相手の親は同棲してる事を知りません。 家出してから二週間仕方なく面倒見ましたが、その最中に二人で勝手に同棲を決め翌月に家を出ました。 その時のショックは今も消えないまま… 毎日心配と不安等の感情を抑えながら過ごし二人に接しています。 その心配と不安を少しでも減らそうと思いLINEをしたり寄れる時は家に寄ってと言うのですが息子にはウザいようで、その感情が言動に出ます。それがまた辛いです。 ただ二人が普段自分達のしている言動に何の悪気も感じていないようなのですが 息子は彼女に感化されているのか私達への態度が素っ気なくなり、家にも寄らなくなってきた。 お盆等の先祖供養も去年まではいつ行くのか聞いてきたのに今年は彼女が休みだからと墓参りは私達と一緒に行かず二人で夕方に行くと… 情けなくなりました。 彼女の家庭には先祖供養の習慣がないようで…そのせいか息子に『行かないと行けないの?』みたいな言動を出すのでしょう。 それに対し言うべきことを言わない息子。 同棲してから良くない方に変わってきた息子… 優しさも減り暴言に近いことを平気で言う… 親として聞きたい事・心配・不安があるから電話やLINEすることにウザいと… 自分が言ったことが相手を傷つけていることがわからないのか気付かないまま… 自分の思ったこと、言いたいことを相手構わず言葉を選ばず躊躇なく発してしまう。 『傷ついたよ』と伝えても『ふーん』って感じ… 自分を何だと思ってるのか?自分が気にいらなかったりすると悪く言い、弱いと見ると見下げるようなことを言います。 大人・社会からすれば《何様?》《あなたは何も偉くない一番下ですよ》と思われるでしょう。 そのことにも気付かず言いたい放題。 親の気持ちも周りの気持ちも考えず自分達を優先して物事を考える。 このままでは息子にとってもお互い良くないと思うのですが、《別世帯なんだから》と言う息子に困っています。 これからどうすればいいのでしょうか…

有り難し有り難し 7
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大学に行きたくないです

私が大学をやめたい理由はこれです ・学びたいことが学べない ・友だちがいない  私はこれまで真面目に勉強して,高校に入学しました。そこでもあまり馴染めなかったのですが,毎日休まず登校しました。  そして進路選択のとき,私はイラストの専門学校に行きたかったのですが,「そんなの勉強する必要ない」という親の助言に従い,地元の大学に行きました。  この大学でも美術は学べますが,あくまで教育学部の中の美術であり,美術より「学校の先生になるための教科」の方が多いのです。  また,私は人と話すのが下手で,友だちが作れないです。私が所属している学部には,同学年の学生が少数しかおらず,大体みんなで話したりすることが多いです。でも私はその輪の中に入っていけないです。  もちろん,この状況になっているのは自分の責任です。自分の希望進路をもっと主張したり,親の反対を押し切ってでも,バイトでお金を稼いで専門学校に行ったりする度胸と努力が足りなかったんです。  最近の自粛要請による休校期間中に,大学に行きたくないという思いがどんどん強くなります。  休学や退学という考えは,甘えだしクズだとわかっています。でも大学に入って楽しいことなんて何もないです。  親は全く悪くないですが,ときどき「自分は楽な道を選んだくせに」「子どもを大学に行かせて,自分が安心したいだけなんじゃないか」と思います。母は「勉強したくなかったから,高卒で就職した」と言います。母は,大学に進学すべきだという母親(私の祖母)に反対して自分の楽な選択を選びました。  私は本当に絵の勉強をしたくて専門学校に行きたいのに,なんで?と思います。大学に行く学費があって,専門学校に行けないはずがないのに。  私は,できるなら大学をやめて,今やっているバイトで学費を稼いで専門学校に転入したいと思っています。  しかし,母は絶対に私の話を真面目に聞きません。 もうどうしたらいいのかわかりません。 大した悩みでもないのに。いっそ明日自分がなくなってしまえばいいなと思います。 長々とごめんなさい。

有り難し有り難し 13
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10年以上前に他殺された母親に会いたい。

 もうかなり前のことになりますが、身内の一家心中未遂により母親を亡くしました。  事件直後からしばらくは、心から尊敬していた、加害者となってしまった身内の変わり果てた姿と、思春期特有の衝突を乗り越えてようやく人間同士として関わり始めていた最愛の母との突然の別れに頭の中がぐしゃぐしゃになりました。  それでも、両親が応援してくれていた夢に向かい立ち止まるわけには行かない一心で、また、共に強いトラウマを受けた弟の頼れる兄であり親代わりになるべく、ガムシャラにここまで走り続け、仕事の面では今ではそれなりに少年時代に思い描いていた立場になりました。  しかし仕事の性質上、どうしても日常の中で考えてしまうのです。  最愛の両親を守れなかった自分が、他人様のために昼夜問わず身を粉にしている虚しさを。その場では必死にやりながらも、どこかその姿を冷めた目で俯瞰で見ている自分がいるのです。「お母さんを死なせたくせに。この道に進まなければきっとお母さんも今は生きていたのに。結局ここまでの道のりは全て単なる自己満足でしかないじゃないか。」と。  このような日々が続いて今更、30過ぎにもなって情けなくもお母さんに会いたくて仕方がないのです。自分の頑張りを親に認めてもらいたいという幼稚で卑しい願望から来ている気持ちである事は理解しているのですが。  自らも親となったことではじめて親の愛情の深さを知り、尚更今の自分の姿、孫の姿をどうしても見てもらいたくて寂しくて切なくてたまらないです。  どれだけ人様から見て成功して見えようとも、この後悔と自責の念を抱えてあと数十年生き続ける事が辛くて恐くてならないのです。  子供たちが誇りに思える父として、この先も前向きに走り続けるために、どのようにこの深い悲しみと向き合えば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 41
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世代間の考え方の違い

私は体が弱いのでまともに働くことができないのですが、それでも家族のサポートを受けできる範囲で仕事をさせてもらってます。 妹も体が弱く無職、家の事をやるのが好きな子で家のことを進んでやっています。 ところが同居の両親から見ると外で働ける元気があるのに家のことをやらないのはおかしい、仕事もできないくらい具合の悪い妹はやってくれてるのに!という評価のようで家での立場がよくありません。 とは言うものの以前体調を崩し仕事量の見直しが必要かと思った時に一度母に相談をし、今後両親亡き後暮らしていくのに困らないようにお金貯めておきなさいとの返答であった為、働けるうちに働いてお金の心配をさせないように・お金で迷惑をかけないように今は働こうという方向に舵切りをしたという経緯がありました。 妹が両親と話をしていわく60代の両親の世代は、言わなくても察する・無理をする・本音と建前を使う事が美徳であるような所があり、年の離れた妹の若い世代と親と妹の中間くらいの私の世代と両親の世代では考え方や価値観にとてつもない差があると。 以前から前言ったこととは真逆のことを言われて困ることはあったのでそういう事かと納得する反面、それでは困るなという思いもあります。 また子を思い通りにしたいという気持ちもありそうなのですが、自分の生活や心を守るにはそういうわけにも行かずこちらも頭を悩ませています。 父は私に無関心、母はひどく被害的で、両親とも子どもなので対話が極めて難しい部分があるので直接は聞くことができないのですが、この世代間の価値観の違いをどのように乗り越えるといいのでしょうか? 両親からの歩み寄りは一切望めませんので、私の孤軍奮闘にはなりますがそうする事で相手を知る一歩になれるのか。 それともこれはどうにも難しいものなのである程度は割り切っていくしかないのか。 アドバイスをお願いします。

有り難し有り難し 17
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祖母から言われた言葉に傷ついた

祖母が90代、癌が悪化しあと何週間も持たないと言われ、会いに行きました。 私が小さい頃からたくさん遊んでもらって、大好きなおばあちゃんです。私に娘が生まれた時も何度か会ってとても喜んでくれました。 でも先日会った時は喋るのもやっとで、数分の会話しかできない状態でした。 1歳になった娘(祖母にとってのひ孫)を連れて行き会わせたその日に、娘の腕に注射の痕があったことから、娘が一泊けいれんで入院した話になりました。 すると祖母から、「親の勝手で遊びに連れて行ったり遠出したりしてたけど、赤ちゃんからしたら迷惑だったのよ」と言われました。 一歳の誕生日の時に泊まりで旅行に行ったり、双方の両親と一歳祝いのお食事会をしたりしていたのを、母が祖母に伝えていたので、その事を言っていました。 娘の入院は保育園にいる時に起こったけいれんなのですが、お医者様からも経過観察した上でよくある事で問題ないと言われており、今は至って元気です。 私は祖母から言われたその言葉にショックでした。変に返して病弱の祖母に波風を立てたくなかったので「そうかなー?」と流しましたが、何でそんな事言うのだろう?と悲しい気持ちになりました。 娘が好きで大切に思っている気持ちを否定されたと感じました。また、最期の会話になるかもしれないのに、娘にとって迷惑という私が傷つくかもしれない言葉をどうして言えるのだろうと思いました。 それから5分ほど話し、その場は笑顔で離れましたが、ずっと嫌な気持ちが残ってしまいました。 祖母に対して明るく感謝の気持ちで見送りたいのに、その一言が引っかかってしまいます。そんな事でモヤモヤしたくないのに、どうしても気にしてしまうのです。 人から言われた言葉がずっと引っかかってしまう、こんな性格を治したいです。 このモヤモヤを取り除くにはどうすればいいでしょうか。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1