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hasunoha 問答検索結果 : 「 般若心経 」
検索結果: 501件

息が詰まります。

おはようございます。 引っ越し先はリフォーム中、私は殆ど一人でエベレスト山級の50数年生きてきた住んできた荷物の分別は途方もないです。まるで小さい蟻がエベレスト山を崩す様な事だなと実感しています。心臓がバクバクしてフラフラしてしまいます。お金の節約の為使える物は引っ越し先に持って行こうという事にはなっていますが主人と意見が合わない時が多くなってきています。贅沢を私はしているつもりはなかったのですが余りお金の管理は上手ではなく現金があまりないのでそれも主人は怒っています。ですから荷物の分別、捨てるなどの作業は業者を頼るつもりは主人はないようで私は一人でしなければならないようです。御坊様、何度も言ってしまいますがこんな厄介な事に巻き込まれる必要はなかったんです。穏やかな定年を迎える筈でしたが、ああいう血族を持ってしまった私という妻がいるのが主人をイライラさせてしまっています。とにかくやれる事はします。心で泣いて顔は微笑んで。こんな私で主人には申し訳ないです、本当に。でも、時々心も身体も崩れ落ちそうになります。どうか踏ん張れるようお坊様のお祈りが必要です。お願いします。

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写経の目的とタイミング

はじめて利用させていただきます。 写経のタイミングにつき、ご教示頂きたく質問させて頂きます。 現在92歳になる祖母がいます。 昨年膀胱がんが発覚し、手術したものの取り切れず、闘病しながら生活しています。 とはいえ病の影響はなく、足腰も丈夫で、ゆっくりではありますが自分で歩いて出かけることも出来るし、飲食にも支障なく、至って元気に過ごしています。 わたしが生まれた時から同居しており、共働きだった両親に代わり、ほとんど祖父母に育てられたわたしにとっては祖母以上に大切なひとはいません。 両親は昔から不仲でいまだに喧嘩が絶えず、仲裁するわたしとは反対に逃げてばかりの妹とは仲の良くないわたしは、常に祖母と一緒でした。 祖父は18年ほど前に亡くなっており、以降ずっと祖母に寄り添い生きてきました。 今でもどこに行くにも一緒で、お互いが一番の理解者です。 いまは祖母も病の影響も少なく元気ですが、やはり年齢のせいで身体的に弱っているのは目に見えてわかります。 祖母が亡くなったらわたしは生きていかれないかもしれない、そう友人にも心配されるほどとても仲が良いです。 だからこそ、亡くなってからわたしは自分に何が出来るかわかりません。 本当に何も手につかなくなってしまうのではないかと思っています。 けれど、わたしから出来ることは最期の瞬間までしてあげたいと思っています。 数年前、祖母の姉が亡くなった際に、写経したものを親族が棺に納めていました。 祖母の姉も信心深い人で、その人に倣い、わたしの祖母も朝晩毎日親族の供養に読経しています。 そこでわたしも同様に祖母の棺には自身で写経したものを納めたいと考えています。 けれど、それほど依存していた存在が亡くなってから、火葬するまでの短い時間ではとても手につかない気がしています。 かといって早いタイミングでそのような意図で写経をするのは死を待っているようで良くないのではないか、とも考えました。 このような意図で写経をする場合、いったいいつのタイミングで行えば良いものなのでしょうか? 写経会などに参加すると、納経を行うとあり、納経してしまうと棺に入れてあげられないため、納経せずに持ち帰るということは出来るのでしょうか? それとも、こういった際には自宅で写経するのが良いのでしょうか?

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人に自然と好かれるにはどんな人を目指したらいいのでしょうか。

初めて質問させて頂きます。 私は小さい頃、友達に意地悪をしたり、いじめのようなことをしていました。 女版のジャイアンのような感じでした。 小学校高学年くらいから人に好かれるような人になりたいと思うようになり、笑顔でいる、人が嫌がることはしないと思って性格を直したいと思っていましたが、30になる今でも自分勝手で頭に血が上るとわめき散らしたりして、自分でも自分が嫌いです。 私は人付き合いが苦手で人と良い関係を長く築いていくことができません。どうせ嫌われると思ってしまい、仲良くなってもどうせ離れていくと思い、こちらから距離を取ってしまい、結局疎遠になってしまいます。 私は4姉妹の一番末っ子なのですが、私は姉たちが好きなのに嫌いです。小さい頃からケンカばかりで、かわいがられた記憶がなく、けなされて笑われたり、馬鹿にされたりすることが多く、すぐに泣いてしまっていました。 ホントは仲良く笑い合っていたいのに、会うと緊張して硬くなってしまいます。 想い合って助け合ったり支え合ったり、素直に悩みを打ち明けたりしている兄弟の関係にすごく憧れます。私も大事にされたいのです。 現在は結婚して実家から離れて暮らしており、姉たちに会うのは年に1,2度程度です。私はネイルができるのですが、姉たちにやってやってと頼まれます。自分からやってあげたいと思うと、すごく頑張れるのですが、やってほしいと頼まれるとそんなときだけ話しかけてきて利用されてると感じてしまい、嫌な気持ちになり、素直にいいよと言ってあげることができません。 自分でもそのくらい気持ちよくいいよとやってあげたらいいと思うのに、いやいややってしまってあとでどうして自分はこうも心が狭いのかと後悔してしまうのです。 こんな私も二人の子供の母親なのですが、子供たちには兄弟仲良く、支え合っていける兄弟に育ってほしい、とおもっているのですが、自分がどんなふうにいたらいいのか、なにを目指してぶれないようにしたらいいのかわからないのです。 支離滅裂な文章で申し訳ありません。 私にアドバイスをいただけないでしょうか。

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写経について(文字を間違えてしまいました)、そして煩悩

こんにちは。初めまして。よろしくお願いします。 私は人から「いつも笑顔が絶えない、穏やかでおおらかな人」と思われることが多いのですが、本当は凄く寂しがり屋で、孤独感でいっぱいになるときがあります。けれど、本当の自分を人に見せることができないので、寂しいとき、孤独感でいっぱいになったときはよく写経に行きます。一文字、一文字書きながら、仏様とお話しさせていだいている気持ちになります。 今年もバレンタインデーを一人で過ごすことになってしまい、寂しくて仕方なかく、チョコレート代わりに仏様に恋文を渡す気持ちでお写経に行きました。結果、とても有意義な時間を過ごすことができたのですが、最後の最後で日付(年)を書き間違えてしまいました。係りの人に「日付を間違えたのですがどうすればよいですか」と聞いたら、「斜めの線を引いて正しい文字を横に書いてください」と言われたので、そのとおりにして納経させていただきました。 帰宅後、気になったので調べてみたら、写経の間違いの訂正は斜線ではないようで、誤った方法で提出したことが気になってしまって仕方ありません。 多分、今日はいつも以上に「良縁祈願」の気持ちが強かったからだと思います。確認せずに書いてしまったことに対する後悔、願い事が叶わないかもしれないという不安、こんなことばかりを気にしてしまう自分への怒りが大きく、お写経で得た幸福感がなくなってしまうのが悲しいです。 写経の間違えを斜線で訂正しても大丈夫なのでしょうか。小さなことを気にする自分も嫌でたまりません。

有り難し有り難し 37
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将来計画があるのに、自分のしたいことがわからない

高三女子です。 私には明確な将来計画があります。なので自分のしたいことがわからない、というのは変だと思うのですが、今わからなくなってしまいました。 来年から海外の大学に進学する予定です。これは自分の判断なのですが、最近日本の大学に行く友達を羨ましく思ってしまいます。なぜなら、日本であれば言語や生活など基本的な不自由をすることもなければ、日本の大学の方が勉強が楽なので大学生活を楽しめると思うからです。大学はもちろん学びの場ですが、日本の友達とも疎遠になり異国の地で勉強だけして過ごすのかな、みたいに考えてしまうのです。 そして、大学を卒業した後の就職活動も不安です。自分の夢を叶えるために海外の大学でそのための勉強をしたのに、もし思い通りの仕事に就けなかったらどうしたらいいのでしょうか。 自分の夢が叶う保証なんて全くないのに、なぜもっと楽に生きる道を選ばなかったのか?将来計画があるのに、いざとなると嫌なことばかり考えてしまうのは、本当は望んでいないからなのか?などと、人生は思い通りに行くとは最初から思っていませんが、ネガティブなことばかり考えてしまって苦しいです。弱い私にアドバイスをください。

有り難し有り難し 15
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2023/04/20

心のどこかで母を許せない私

心のどこかで母を許せない私について、ご相談させてください。 私と母は昔から仲も良く、色々な場所に出かけたり旅行したりする間柄でした。 転機は3年前です。 私が将来を真剣に考えていた方と婚約破棄に至ってしまいました。 それは双方の親の考えが合わない(同棲してから入籍か、入籍してから一緒に住む、など小さい事柄ながらも大きな違いが原因です)ところから始まり、相手に一方的に破棄されました。 自分自身も未熟な部分もあり、破棄になったことに対してや相手に対しての未練は全くありません。 ただ、そのあと私はその後原因不明の体調不良で1年間病院を転々とし、精神的にも辛くなり最終的にはうつ病と診断され、今に至ります。 しかしようやく徐々に快方に向かいだした約1年前から今に至るまで、母に対するモヤモヤした思いから逃れられません。 ・なぜ自分はうつ病に苦しむことになったのだろう? ・一生治らないうつ病と付き合っていく羽目になったのは一体なぜなのか? とあれこれ考えていると、やはり母を思い浮かべてしまいます。 結婚を反対した際、母は元婚約者にも会おうともせず、私個人とも話し合おうともせず、頑なに拒否。 それからいざ婚約破棄になった旨を伝えると「婚約破棄なんて誰にでもあるじゃない〜」と笑う姿がありました。 いざ私が鬱になると、「あなたはうつ病なんかじゃない。薬なんて飲まなくていい。」と。(母から隠れて医師から指導された通りに飲みましたが。) そしてようやく私が希死念慮に取り憑かれ、本気で自殺未遂をすると、うつ病のことを理解しようとしだしました。 今ではうつ病の私のことを受け入れてくれる家族なので、大切にしたい気持ちはとてもあります。 しかし実家に帰省し母と会うたびに、私が婚約破棄直後の1番辛いときに寄り添って励ましてくれれば、「私が反対したことも1つの原因だね、ごめんね」の一言があれば、うつ病にならない人生だったのではないかと考えてしまいます。 (母は婚約破棄になった要因の1つに自分の反対があったと最近になって口にしていました。伝える時すでに遅しです。) 大切な家族なのに、たった1人の母なのに、許せない自分が辛いです。 婚約破棄を他人のせいにしようとしているのがダメなのも分かっています。 こんな私は許されるのでしょうか。 このまま生き続けてもいいのでしょうか。

有り難し有り難し 8
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