24才からずっと皮膚炎です。それからはずっと友達とも遊ばず暗い日々を過ごしています。肌が綺麗だったころバイトをムリせず食生活に気をつけていれば皮膚炎にならずにすんで今頃もずっと楽しく人生を謳歌してたとおもうと後悔し悶え苦しんでしまいます。そして前回質問したことの引き出物なんですが結局親ももう年なため実家にはもどらず家のなかで一人で仕事ができる在宅のテレアポのバイトで生活費を稼ぎながら治療していくことにしました。私と同期の人は病院で働きスキルアップをしていくのに私はバイト。この差はなんなんですかね。私は何かわるいことをしたのでしょうか?これは罰なのですか?肌のことなんてきにしなければいい?無理です。自分の肌が綺麗だからそんなことがいえるんです。どうして私だけこんな目に合わなきゃいけないんですか?楽しそうに話をする人達やカップルをみて自分の悲惨さに絶望してしまう毎日。頑張らなきゃって思ってもその酔いはすぐ醒めまたネガティブモードになる。いっそもうしんだほうが楽なんじゃないかと思います。でも今はまだその勇気がでませんし死ぬのはやっぱり怖いです。一生私は死ぬこともできず老いて死ぬまで生き地獄を味わうのでしょうか?この先もずっとこの状況は続くのでしょうか?もう生きていくのが辛いです。苦しいです。でもやっぱり病気は治したいのでテレアポのバイトしながら治療も頑張りたいです。お坊さんが私の立場ならどうしますか?アドバイスや後悔してしまうときの対処方法、なにか励みになるような言葉をかけていただけませんか? お願いします。
何処に行けば仏教を教えていただけますか? お金は無いです。
こんばんは 今年生理が来ていません しぱらく年に1回という年が続いていました 元々不順で、母親の勧めで17歳から20歳まで産婦人科に通っていました しかし、地元を離れることになり病院から足が遠退きました そして現在に至ります 恐らく不妊症だと思われます 精神に異常が有るため、子育ては満足に出来ないでしょうから、構わないのですが、問題は未経産だと経産婦に比べて子宮の病気になりやすいと云われていることです ギリギリ高齢出産の年齢ではありませんが、経済的にも余裕がなく病気になったら大変です 防ぐにはどうすれば良いでしょうか? よろしくお願いいたします
一番辛いのは病気の本人(家族)なのに、私自身が辛くて余裕がなくて、そんな自分に自己嫌悪の日々です。 幼い子供がいます。 主人の持病が悪化してきており、 食事制限が厳しいのですが、食欲の関係もあり、作っても食べられないことがあったりするため、料理作りが辛くてたまりません。 休日も、主人は体が辛くて横になっていることが多く、遊びたがっている子供たちがかわいそうです。私ががんばって子供たちを世話しなければと思いますが、休日に外に出た際に、元気に子供と遊ぶよそのパパさんを見ると羨ましいなと心底思ってしまいます。 そんな感じなので、普段も夫婦の会話があまりありません。 なので、仲の良いご夫婦を見ると、とても羨ましいです。 結婚してから友達はみな疎遠になってしまい、私には相談できる人がいません。 自分の思いが受け止めてもらえないせいか、私に子供たちの思いを受け止める余裕がなく、子供を怒ってしまったり、悲しい顔をさせたりすることが多く、そのたびに深い自己嫌悪に陥ります。 辛い体をおして毎日働いてくれている主人にはとても感謝していますが、 上記のような気持ちを抱いてしまう自分に毎日自己嫌悪で、どうしたらいいかわかりません。一番辛いのは病気の本人なのに、どうしてこのようなことを思ってしまうのだろう、と。 何か、前向きになれるアドバイスをいただけたらありがたいです。 心の支えにしてがんばりたいです。 どうかよろしくお願いいたします。
わたしは最近お坊さんの精進料理に興味を持ち始めました。 現在のわたしはというと、自炊もするようになりましたが とにかく毎日、毎食肉を食べております。 以前、筋トレをしていた時に栄養についても勉強し、その時に人間には体重×1gのたんぱく質が筋肉を維持していく上で必要な最低ラインという事を学び 以来おそらく15年近くに渡り、毎日それを実践してまいりました。 ただ、わたしには悩んでいる病気があり(病気の内容はここでは割愛させていただきます)、たまたまインターネットの記事を読んでいるときに わたしと同じような病気(悩み)を持っている人がいて その人が人に勧められて精進料理を始めたところ なんと副産物的にわたしと同じその悩みも解消してしまったと聞きました。 なので、わたしはこれから徐々に精進料理を試してみようかなと思っています。 ですが、わたしはお肉や脂っこいファストフードも好きだし、甘い洋菓子とかも大好きなので続けられるかという心配と 何を食べたらいいんだろう?という疑問や不安がわいてきています。 あまり手の込んだ料理は出来ないし 今のところわたしに出来そうなのは野菜たっぷりのけんちんうどんや納豆、お味噌汁とかそんな感じになってしまうのですが おいしくて一般家庭でも気軽に毎日精進料理をいただくような方法や、レシピ等ありますでしょうか? また、お坊さん自身が精進料理を食べはじめての変化 最初の頃は辛かった、体重や体質、思考の変化 お肉や魚などへの渇望といったものの体験談を伺ってみたいのですが 可能でしょうか? よろしくお願いいたします。
父のことでこのhasunohaのサイトに出会いお坊さんにいろいろとアドバイスをいただきました。 さて本日は自分のことでお話を聞いていただきたく書き込みをさせていただきます。 以前からなのですが、病気が怖くて怖くてたまりません。 何か体の不調があると、それを癌と結びつけ、夜も眠れないほどの恐怖に襲われるのです。 昨日も胸の辺りの肌が変色していたため皮膚科を受診しました。 先生ははじめは、よく分からない様子だったのですがルーペで観察をしたところタムシであるとの診断を下しお薬を処方していただきました。 しかし、帰宅後皮膚片を顕微鏡で観察しなかったことや皮膚科で使用する特殊な拡大鏡で皮膚を観察しなかったことなどから、本当はタムシでは無く皮膚癌では無いのかという思考に陥り、一晩中その事が頭の中を巡り、眠れない一夜を過ごしたのです。 このhasunohaでも父の死からも人間の命は永遠では無いことや人間には病の苦しみが付きものだと言うことは理解しているのですが、癌が怖くて怖くて仕方が無いのです。 心療内科も受診し、薬物療法とともに先生からは気分転換をしなさいと言われるのですが、時には恐怖から呼吸が苦しくなるなどの症状になることもあります。 本当に本当に弱い人間で情けない限りですが、今後どの様な対応をすれば良いのか?、アドバイスをいただければと思い書き込んだ次第です。 よろしくお願いします。
私は最近よくお坊さんq&aを見させてもらっています。お坊さんの考え方を聞いて、なるほどなー、勉強になるなー、と、いつも感心させられています。 私は、お坊さん達の回答を見て、考え方が変わり、今まで抱えていた悩みが減り、生き方が少し変わるようなことがたくさんありました。 そんなお坊さん達に、これから悩みがすこしでも少なくなる、人はどう生きていくべきなのか、またどのように生きていけばよいのか、お坊さん達が考える上手な生き方を聞きたいなと思いました。 私は間違った生き方を知らずに続けて後々後悔することを少しでも減らしたいです。 これから少しでも自分のためになる生き方をしていきたいと思っています。回答よろしくお願いします。
お世話になります。 現在妊娠6ヶ月になる妊婦です。 初めての妊娠ですが、性別もわかり経過も順調で心配事がないといえば嘘になりますが、楽しいマタニティライフを送っておりました。 先日、十数年ほど前に知人に紹介され一度だけお会いしたことのある天台宗のお坊さんから連絡があり、『お腹の子供は脳に障害があるかもしれないからお祓いに来ないとしらんぞ』と言われました。今までも数年に一回、来ないと子宮ガン・乳ガン・不妊症になると言われて来ましたが、お祓いには行かず定期的に検診をうけ、子作り翌月には自然妊娠と問題なく来ています。(お祓いの内容も頚部に指を入れて動かしながら子宮に向かって拝むという内容で親や旦那とは来るなと言われ不信に思い断ってました)こんなやりとりが何年も続き、今回は楽しみにしている子供のことで不安なことを言われたので、お坊さんは産まれてくる子供の病気を予知したりそれを治したり、女性の頚部に指を入れてお祓いをすることが実際にあるのでしょうか。 第一子ということもあり、通常の検診以外でも胎児専門医ににも二度ほど診察して頂き、問題なく順調に成長していると話はしましたが、『医者には治せん、来ないと知らないぞ』と言われると出産を楽しみにしてる為、気にもなります。どのように解決したらいいかアドレスをお願い致します。
お坊さんの仕事にはどんな責任がついてくるのでしょうか? 私は現在、お坊さんになりたいと考えている20代の男性です。 お坊さんになりたいと思う動機については、昔から死後の世界のことや、生きる意味、将来のことなどについて不安に思い悩んでしまうことがあったため、「その悩みに対して自分なりに答えを見つけたい」というものや、「同じような悩みを持つ人の助けになりたい」というものがあります。 ただ、お坊さんになることに対して不安に思うこともありまして… それがお坊さんの仕事に有る責任です。例えば、「人から何か重大な相談事をされて、それに対して的確な助言を必ずしなければならない」とか、「何か、お葬式などの儀式の最中にミスをしたら、亡くなった人が地獄に行ってしまうかもしれない。」などといった事を考えてしまいます。 こういった責任に対してお坊さんはどのように考えていらっしゃるのでしょうか? またお坊さんにミスが許されない仕事はあるのでしょうか? 私は現在、強迫性障害という病気を患っており、自分のミスで人に対して危害を加えてしまうかもしれないという不安に毎日駆られています。 こんな私でもお坊さんになることはできるのでしょうか?
身体の痛み、不調がある知り合いがいます。 病気を治してほしいとはいいませんが、その方が自分のやりたいことを十分できるように、お寺での祈願をしたいと思っています。 その方はお坊さんなのですが、他の宗派のお寺で祈願されたり、そもそも自分が祈願の対象となることは、不愉快なものなのでしょうか。
難病の再発で、真言宗のお寺で得度するつもりでしたが、やめておこうと考えました。 理由は住職様に、難病を理由に得度を延期したい旨を伝えたら「治療で飲むステロイドをやめて、瞑想した方が良い」と言われ、びっくりしたからです。 いやいや、私の難病はステロイドを飲まないと、他臓器不全を起こして死んでしまうのですが! という趣旨の話をしたら、笑われました。 持病の双極性障害は落ち着き、今まで関わってくれた人達のお陰で50年いきてこれたので、今は冷静に残りの人生を誰かの役に立てるように生きたいと思えるようになり、得度したいと思いました。 でも、よく考えたら得度しなくても、そういう生き方はできます。 正直、話を聞かず医療も否定する住職様に幻滅してしまいました。 これからも、自分で好きな観音経や他のお経の勉強も、書籍で出来ます。 ご先祖供養の仏前勤行も、音源を手に入れたので、自分で練習して出来ます。 お坊様も人ですから、色々な方がいます。 僧侶としての経験は立派で尊敬していますが、なんとも複雑です。 仏壇やお位牌の開眼供養を、大したお布施も出来ないのに快く受けてくれる僧侶の友人の紹介の住職様なので、これから住職様と、どう関われば良いかなと考えています。
僕には子供の頃から17年飼っているペットの猫がいます。 僕にとってはペットではなく、親友でありかつ手のかかる子供のような存在です。 ですがいい年なので色々な病気の兆候が出てきています。 食欲があるのに歯周病の歯が痛くてゴハンが食べれない、でも高齢なので麻酔して抜歯することも腎臓の数値が高いのでできない。 辛そうにしているのを見ると僕もとんでもなく辛い気持ちになって、もっとしっかり歯みがきしてあげてたらとか一日中そのことを考え他のことが手に付きません。 そこで僕は仏教に救いを求めたいと思いました。 と同時に修行したお坊さんなら同じ時ほんとに平常心でいられるのかな?って疑問に思ってここに書き込みました。 仏教は事実のみに親しむと聞きました。つまり苦しんでる大切な存在を見て、できることがなかったとき、できることがないのだからそのことに対して不安になることもなく、一日中考え続けることもなく、そのことは置いといて平常心でいつもと変わらぬ日常を送れるのでしょうか? そうなりたい反面、それってちょっと人間味に欠けて悪く言えばサイコパスなようにも見えてしまいます。
どうしても過去に執着。忘れられない。 煩悩を断ち切るには?
お坊さんの煩悩とは何ですか? 煩悩が生じた時にそれをどう対処されますか? 失礼過ぎてすみません。
随分、ご無沙汰していまして…久しぶりにココに来てみました。 今の私の立ち位置は、障害年金で生活している精神疾患の患者です。 病気の者が、他人にアドバイスをして大丈夫なのか?と思う事もありますが、あるサイトで最近、回答者として、いろんなジャンルの質問と向き合うようになりました。 質問に向き合う事で、自分と向き合っている感じがしています。 絶対的な正解などないと思いますが、一度、お坊さんの想いや意見を聞いてみたいです。 もし、お坊さんがココに来た人に「絶望によって、それまでの生にあった矛盾が炙り出されたことはありますか?」と聞かれたら、どんな答えや考え方を示されるでしょうか? 私には、正直、よく分かりません。 なので、私が思った事を、そのまま書いてみたいと思います。 正解・不正解とかも、私には分かりません。 私の数少ない体験談です。 私に自殺願望がある状態の時、いつも私を気遣ってくれていた先生が自殺しました。 先生が気にかけてくれていたのは、何処かで先生は生きているもの(生きていける人)という前提で、自分を気遣ってくれているのだと思い込んでいたので、先に死なれて、順番が違うよ…と感じました。 死ぬほど苦しんでいたなら、私の声に耳を貸すだけではなく、先生も私に弱音を吐いてくれれば良かったのに、何故…と? 「生きてさえいれば」なんて言えるなら、生きて欲しかった。 絶望によって、生にあった矛盾が炙り出されましたが…時すでに遅しです。 お坊さんでも、「時すでに遅し」と思った事がありますか? 私の勝手なイメージですが、お坊さんはいつも冷静さを保っている感じがするので、何となく「時すでに遅し」までには至らないのかな?などと思ったりしています。 最近でも、「あ…しまった…」となった事がありましたか? 後戻りできない時、どうやってモチベーションを回復させるているのですか? 教えていただけるとありがたいです。
私は20代会社員です。二極的な面をもつ自分の性格に困っています。 感受性が高く神経質、不安症というのがベースですが、相反して、大胆で挑戦的な時もあります。その二極性を理解しているつもりが、ある事情により目下、不安に押しつぶされそうです。 先日、東南アジアの発展途上国に旅行に行きました。念願かなっての旅行でしたが、行く前から狂犬病や感染症への不安、飛行機の恐怖などが募り、いろいろ調べてワクチンを打つなどしました。しかし、現地で軽く犬と接触するハプニングがあってから、無事に帰国後も狂犬病になったのではないか、症状が出て自分は死んでしまうのではないかという恐怖に苛まれて生活に支障が出ています。クリニックで相談して心配いらないと言われても心配してしまったり、体の調子に過敏になっています。 すべて自分の好きでやったことと分かっていても、陽と陰の気持ちのバランスが取れず、家族に心配をかけています。 普通なら気にせず過ごしても良い状況にあると理解しながらも、ハプニングが引き金となって様々なことが不安で、生きる死ぬといったことを常に考え、心が傷を負ったように疲れています。旅行前から暮らしの環境が変わって、不安定ではありました。夏という季節も苦手です。日常的に生死ということをよく考えるのも元々の性格なのですが、しんどいなと思います。 精神科へかかることかもしれませんが、恐れというものへのとらえ方についてお坊さんのご助言を伺ってみたく、投稿いたします。
お坊さんを怒らせてしまいました。 とある悩みについてお坊さんにメールしました。 悩みやすい性格であるため、何度もメールをしては、アドバイスをしてくれていた方でした。 その方から先日、アドバイスとともに、「1円でもよいから納めてください」「それかこれからも友だちでいてください」とメールがあったので、 私は「こちらこそ、これからも友達でお願いします」「いつもありがとうございます」と打ちました。 そしてしばらくして、新たな悩みについて相談したところ、 「なぜ1円も納めようとしないのか」というメールの返信が来ました。 「1円でもよいから納めてください」「それかこれからも友だちでいてください」の後者を選んだ理由は、 納め方がよくわからなかったからなのですが、これについてかなり怒っており、見た瞬間震えてきてしまい、メールを削除し、 今現在学業で忙しいから今度でよろしいでしょうか、と返信しました。 すると、この期に及んで言い訳するのか、とメールが来ました。 その前は、あなたの悩みやすいその性格が全ての原因だ、的なことも書いてありました。 それから返信はしていません。 ただ、信頼していた方だけにショックですし、納めることが義務だとは思いませんでした。 若干トラウマになりそうです。 この体験とどのように向き合えばよいでしょうか。
高野山のお坊さん悩みを聞いてください。 回答は心の病気もあるので優しくお願いいたします。 私は12年前に宝亀院というお寺で得度をさせてもらいました。 そのとき京都の庵で線維筋痛症という激しいいたみのため知り合ったところで先祖供養をしていて、浄霊をして先祖供養をしているときお大師様から得度をさせてもらえると知り、亡くなった父の祖父が一年に一回高野山参りをしていたので喜んでいるとそのときの先生に教えてもらい得度をしました。 得度して3年は腰の神経がうずき寝たり起きたりの状態でそのときの正月酒に酔った父が「ぶたぶた寝てばっかり、お前の顔みたないから自分の部屋へ行け」と足蹴りに合い死を意識したことも数々の暴言が続いた日々を耐え抜きました。今は嫌味ぐらいになっています。 それからしばらくしてやっと病気も治ったら、卵巣脳腫になりそこで自分で乳がんを発見して検査すると全摘をよぎなくなったものでした。 女性ですから大事な胸がないことは泣き崩れました。 いまでも手術の傷や用事をするとリンパがないので腕がはれたり しています。 手術前に抗がん剤が足にくるのであまりに辛く励ましてくれたり、助けてくれる家族もそばにいても怒るだけで、手術をして2年間抗がん剤を服用したときもものすごくしんどくそのときは栄養に良い物を食べたりアクエリアスや栄養剤も飲んでいて、自分の起こしたことと、 父の遺伝で糖尿病にもなり、震災の年に橋本病、軽いうつやパニック障害、不安障害は15年通院しています。 後緑内障にもなっています。 これは得度をして病気の辛さを知れとお大師様に修行させられているのでしょうか。 それともこの病気を学んだところに人の病気の辛さがわかりそれが役に立つときがくるからと私は信じて前を向いて歩んでいます。 それと96歳の祖母の世話も母と一緒にしています。 足がよわり編み物しか今は出来ませんが、徘徊や暴れることのない穏やかな優しい慈悲のある祖母に 私は教わることがあります。これはきっとこれから役にたつ宝だなと思って 一緒に祖母と話をしております。
初めて質問させていただきます。長文とつたない文ですがよろしくお願いします。 お坊さんの彼と約7か月付き合っているのですが、寺の行事や時期的に繁忙期で仕事でいっぱいいっぱいで会うことができず、連絡もとれない状況です。 話を聞いてみると彼の寺は檀家さんたちは直接寺に来てくれるそうでお宅訪問をすることは無いそうです。 総本山に出向いたり勉強会で県内、都内の様々な研修施設に出向いてるそうなのですが電車移動の間に一言連絡したりできないものなのでしょうか? 人と会話をしない修行?をしたと言っており連絡不精でもあると言っていたのですがそんな修行を私はしていないので寂しいです。 それに1週間ほっとかれると病気にでもなったのか心配になるし、1ヶ月ほっとかれると眠れないレベルで心配になります。返信が来たときに安心していたのが最近では苛立ちに変わってきました。 彼とは某ゲームのフレンド交換をしているのでゲームのログイン状況も分かるのですが仕事が忙しいと言いながらしっかりゲームもしているのでさらにイライラしてフレンドブロックして削除してしまいました。(彼には面倒なので言ってません) 彼と一つぐらい夏の思いでを作りたかったので必死にいろんな場所を調べてたのですが暑くて人が多いからどこにも行きたくないそうです。事前に色々調べてたのでものすごく悲しかったです。 会えないからせめて連絡してほしいのですがお坊さんはこれだけ連絡とれないくらい忙しい、もしくは修行してるから彼女と何もコンタクトを取らなくても平気なのですか? 一度この気持ちは正直に伝えました。そのとき彼は確かに納得してくれたのですが何も改善してくれないので諦めました。 彼の仕事を見たことがないので彼の立場や状況が分からず思い止まっている状況です。宗派とかで色々変わるのかもしれませんが想像でも構わないので具体的にお仕事の大変さも教えてほしいです。 彼のため!と我慢していたのですが向こうから何かアクションしてくれる訳でもなく、寂しすぎて悩みすぎて正直もう気持ちが冷めてきています。疲れています助けてほしいです…
ワンピースのカイドウも言ってます。 「死は人の完成だ」と。 お坊さん達にとって理想の死はどんな死ですか? 苦しむ死ですか?それとも安楽死ですか? それとも、もっと別の死ですか? 教えて下さい。