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hasunoha 問答検索結果 : 「両親 供養 」
検索結果: 775件

死後の世界について

最近死ぬことがとても怖いです。今私は20代でまだまだ先の人生があると周りに言われます。死ぬ時よりも死んだ後無になるのだと思うと怖くてたまらなくなり涙が出てきます。今は祖父母も両親も夫も健在で幸せな生活を送ることができています。だからこそこの幸せがいつか無になることが怖いです。また、時間には逆らえないので祖父母、両親が先に亡くなるのだと思いますが、自分が死んでから会えますか?お母さんは必ず迎えにくると約束してくれました。夫も死ぬからといって離れ離れにはならないし、ずっと一緒だと言ってくれています。ただ、死んだら怖いとか迎えにきてくれるとか、そのようなことも思うことすらできなくなくなるのでしょうか。意識が無くなり、思いや感情や記憶も全て無くなってしまうのでしょうか。怖くて仕方ありません。自分が数十年前はこの世に存在しなかったというのも不思議でなりません。死んでも幸せな時間が続くという保証があればきっと怖くなくなるのだと思いますが、そんなことは誰にも分からないし、だからこそ怖いという思いが無くなりません。これまで亡くなってこられた方々も生前にこのような気持ちを持ちながら生活し、気づかないうちに亡くなっていたのでしょうか。文章がまとまらずすみません。辛く、怖いです。

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先祖のお墓について、今後どうすべきか

2人姉妹です。長女は嫁ぎ県内に住んでいます。 次女の私は、現在は実家に住んでいますが、結婚し実家を出ることになります。 父は散骨を希望しています。私は父と折り合いが悪く、墓守をするつもりはないため散骨に賛成しています。(母については希望を聞いたことはありません) 少し複雑なのですが、先祖のお墓は2箇所あります。どちらも市内です。 墓Aは、「○○家」の墓石が立っており、先祖の名前も沢山彫られています。 墓Bは、「○○家」と書いた墓石と呼べるようなものは立っておらず、整地もされていません。先祖の誰の遺骨が入っているのか、実際遺骨を入れたのか、近所のお寺に2箇所も先祖の墓がある理由すらもわからないのです。 墓Aは、40年近く前に亡くなった伯父の遺骨が入っており、その家族がお参りしているようですが、墓Bには行ったことはないようです。その家族は町内に住んでいますが、伯父が亡くなってから一切の交流はありません。他の親戚も同様の付き合いのようです。 私たち家族は、墓A、B両方へお参りをしていましたが、母が重い病気にかかってから墓参りをする余裕がなくなり、数年に1回程度しかお参りに行かなくなりました。墓Bのあるお寺へのお布施も収めなくなり、20年近く経ちます。 だいぶ昔ですが、自分は墓Bには入ると父が言っていたので、墓Bが私の実家の墓ということになるのだと思います。しかし、今は散骨を希望しているため、墓Bに父が入ることはなさそうです。 今後、墓Bはどうすべきなのでしょうか?今のうちに父に何とかしておいてほしいのですが、父は自ら動くタイプではありません。姉は実家の事は自分には無関係という考えなので、両親が亡くなったとしても積極的に動くことは期待できません。嫁いだ後に墓のことで揉めるのは避けたいです。墓じまいについても調べましたが、遺骨がないかも知れないことを思うと、それが正しいのかもわかりません。 長くなり、わかりづらいかと思いますが、ご回答をお願いいたします。

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2025/02/19

真言宗の信仰 檀信徒のお勤めについて

こんにちは。 海外在住で真言宗を信仰しています。申し訳ないながら実家に帰った際に御仏壇に手を合わせる程度でした。そんな両親も亡くなり、海外に出てしまい親不孝をした分、毎日両親を思い手を合わせていました。 それではいかんと思い、色々勉強を始め、高野山の法話WEBも拝見し、 檀信徒勤行を購入しCD音源と共にお経を唱えるようにしました。 そこで気になってきたのですが、毎日同じ勤行でよいのでしょうか? 朝、夜、週末などお勤めのルールやルーティンなどはありますでしょうか? 真言宗では、大日経がメインと書かれているものもありますが、大日経のお経は勤行に含まれておらず、またお経自体がオンラインサイトで発見できませんし、購入できるところも見つかりませんでした。解説書のような本は沢山ありますが。。 また、理趣経が購入したお経の裏側にありますが、ある程度の勤行を重ねてから取り組むレベルの高いお経と推察いたします。 何分海外在住の為お寺に伺うこともできませんが、ありがたい事にオンライン配信でご法話やお勤めに参加できます。しかし、檀信徒として日々どのようにお勤めし、信仰を深めていけばよいのかは検索しても見つかりません。どうぞ御指導の程、宜しくお願い申し上げます。

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母が亡くなって1年

未だに1人になると、母のことを思い出して涙がとまりません。 思い出すのも、後悔ばかりです。 物心ついた時から父親がおらず、女手一つで、私を含め3人育ててきた母です。 貧乏であまりいい思いをしてこなかったので、よく母に当たったりしていました。こんな家に生まれたくなかった、とか幸せだと思ったこと一度もない、とか。 反抗期とひねくれた性格もあって、本当に酷いことばかり言ってしまったこと後悔しています。 地元から離れていたので、母の死に目にはあえませんでした。 母の友達から、母がよく私のことを心配していたと聞き、愛されていたこと、それに応えられなかったことがすごく悲しいです。 社会人になって、親孝行しようと思っていた矢先のことでした。一度も親孝行できず、なにもしてあげられていません。 母はずっと働いてばかりの人生でした。 いつか楽にしてあげたいと思っていました。 抗がん剤治療を受けながら働いていた母でした。 母なら大丈夫だろう、いつか治る、死ぬわけないって、思ってました。 なんで母が死ななきゃいけないんでしょうか。 母の代わりに私がしにたかったです。 もう地元に帰る家もありません。居場所がありません。 わたしも母のところにいきたいです。 母に会いたいです。

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昔の先祖の墓はどこにあるのか

ふと熊本地震の家屋解体(公費解体)や土地の名義変更等で戸籍を曾祖母の出生まで遡って取得しました。約30年前に曾祖母は亡くなっていて放置状態だったために手続きも複雑化している現状です。 祖母や曾祖母は某学会の会員で、早く亡くなった曽祖父、子供のときに亡くなった祖母兄妹の遺骨(いづれも土葬)は、掘り返して焼骨にして学会の納骨堂(永代供養墓)に納められています。これは祖母から聞いた話です。 もちろん亡くなった曾祖母も死亡してから荼毘に付されて納骨堂にはいっています。 そこでふと気になったのはそれよりも前の世代の先祖の墓です。 祖母に聞いても正直もうわからないとのことです。 また、父方の墓についても 墓誌を見る限り、高祖父母の1代前から曽祖父までの計7名(うち戦死者である曽祖父の弟が入っている)が入っていることが分かります。 ありがたいことに皆長生きでまだ納骨というのを経験した事が無いので中は見たことがありません。 父曰く、墓誌に書かれている人全員だから結構な数の骨壷がはいっている とのことです。 しかし私が気になったのは、高祖父母の1代前よりも前の世代の先祖の墓です。時代的に土葬だとおもわれますが、本家の墓がある墓地は土葬の墓など見当たりません。存命の祖父に聞いても分からないとのことです。 そういった先祖がいるからこそ今の自分があるのだと思います。 全ての先祖の墓を探し出すというのはむりがあるとは思いますが、あるのであればぜひ掃除をしたり合掌したりして先祖を供養したいものです。 現在入っている先祖よりも前の先祖の墓を探し出すことはできますでしょうか。 特に母方については曾祖父母の代より学会に入っているのでそれよりも前のことが全く不明です。

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父がきょうだいから実家と仏壇を奪いました

私の父が今、手術後に肺炎をおこし生死が五分五分の状態です。 母が看病していて、かなり憔悴しています。 私は父の最期について、ある「宿題」を抱えています。 父は、私の祖父がなくなったとき、遺産を3人のおば(妹)と争い、おばたちと私の祖母との仲が良くないと決めつけ、最終的におばたちから実家と畑とお墓を奪って長男独り占めの状態を作り、縁も切りました。 そのトラブルは、基本的に父によってお酒の力を借りて強引に、支離滅裂に進められました。私も当時(15歳)、虫の居所の悪い父に部屋をめちゃめちゃに荒らされたことがありました。 私は、自分の人生が父に壊される可能性を恐れて、地元の大学は落ちたが遠くの滑り止めだけ受かったという状況を計画的に作り入学し、卒業後最終的に実家から500キロ以上離れた場所に嫁ぎました。   私は、私の父がしたことを思うと、おばたちが好きだったのでとても罪悪感がありました。父がこの世を去るときに、私の母は義妹の誰も頼れないこと、奪った実家の問題がまた出てくるであろうということ。これは私の宿題として人生に残り続けました。 私は結婚した時も、出産したときも、内緒で夫や赤ちゃんを見せにおばの家に行きました。おばは夫に、「狸田羊は昔から性格がさっぱりしていて大好きだ」と言い、同じようにさっぱりと「でもあなたのお父さんは許せない、あなたのお母さんも間に入ってくれなかった、あなたには悪いけど、実家をとられて許せない」と言いました。 私は、自分も実家と距離をとって幸せになる作戦で生きているので、おばたちが祖母と離れて暮らしたことが悪いとは思えないし、そのことで実家に立ち入る権利すら奪われたことは間違っていると思います。 仏様や死んだ祖父母が悲しむことを、私の両親がしてきた気がするのです。 私は、おばたちに、両親の仏壇なのに手も合わせられないように父がこじらせてごめんなさいと正直に言いたい。お仏壇を正しく開放したい。 だけど、母が、私の気持ちを聞いて、「あんたの気持ちは、おばあちゃんを看取った実の親より縁の切れたおばたちの方にあったのか、裏切り者」というショックを受けないだろうか。 母は、義妹の実家でもある家を、今後もぶんどったまま(別荘として。両親の住まいはもとからちゃんとある)生きていくのだろうか。 仏教的に、好ましい行動はこの場合なんなのでしょうか。

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2025/02/05

仏教において、慈悲の心とは

51歳女性です。 私の両親は熱心な仏教徒で、経典を学び、教えを支えに生きていました。 ですが、慈悲や和合の教えは、相手を軽蔑する心には勝てないようで、両親の不和は続き、お互いに軽蔑しあったまま50年の結婚生活は過ぎ、父が他界したことで終わりました。 生涯、許せなくても、愛せなくても、良いのでしょうか?ふたりそれぞれに確認しましたが、愛はなかったそうです。 そのために孤独な晩年であっても、嫌いなものは嫌いでよい。あるがままの心で生きるのも自由だという教えは、仏教にはあるのでしょうか? ふたりとも一番身近な伴侶との和合は適いませんでしたが、孤独ながら我が道を行き、やりたいことはやり切った人生だったと思います。仏教の教えが孤独なふたりの心を支え、それぞれに邁進できたのだと思います。 ですが、かつての大きな声で喧嘩をしている老夫婦の姿は、朝晩、お経をあげれば救われるはずの宗派の教えが、それだけでは不十分な証拠のようにも思え…。 両親は、何時間もお経をあげるような熱心な信者でした。なぜ、50年かけても慈悲の心にたどり着けなかったのでしょうか? また、このような場合、亡くなった父は成仏できずに、輪廻を繰り返すのでしょうか? それとも、父が仏になれた可能性はあるでしょうか?ボランティアで地域の皆様に尽くし、多くの方々に感謝されていた父でした。

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家族にも自分の宗派に関心を持ってほしい…

実家がお西の門徒なのですが、それほど信心深くもなく、お墓参りや先祖供養は全て我流でやってきました。 先日父(83)のガンが見つかりステージ4とのことを聞かされて、離れて住んでいる自分に何ができるかを考え、浄土真宗のことを勉強することにしました。 すると他宗派と違う独特な作法や考え方であることがわかり、今では私がすっかり地元のお西のお寺で法座を聴聞したりしています。 そのことを話すと、あまりいい反応ではなく、あまり宗教にハマるなと言われる始末…。 両親には穏やかな終末を迎えてほしいと思っているので、今からでも信仰心を深めてほしいのですが、全く聞き入れてもらえず悩んでいます。 ちなみに私はミニ仏壇に阿弥陀様をお祀りして毎日朝晩のお勤めをし、月に一回はお寺の法座に出ており、自分の信仰心だけが深まっていき、家族の中でも一人浮いてきてしまっている始末です…。 親鸞聖人の教えはとても深く、有難いものだと思っているのですが、誰にも理解してもらえないことが歯がゆくて仕方がありません…。 無理強いはするつもりはないのですが、最初の目的からどんどん離れてきてしまっている気がして、何のために自分が勉強しているのかわからなくなってきました…。 両親は毎日仏壇に手を合わせたり、年4回お墓参りにも行っていますが、浄土真宗の作法や教えを理解していないのが、残念です。 浄土真宗の教えを理解すれば、普段の生活や考え方が変わり、とても穏やかに過ごせると思うのですが、どうすれば阿弥陀様を意識してもらえるようになるでしょうか? 現代はお寺離れが増加しているといいますが、私は生きている間にこそ、お寺に行って気持ちを穏やかにすることが、生活を豊かに過ごせると思っています。 話がまとまらず申し訳ありませんが、良いアドバイスがあれば宜しくお願い致します。

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普通見えないものが何故見えるのか?

二回目の相談です。 お世話になります、本日は私自身の事です。 子供の時から正夢を良く見ました。 大人になるに従い、普通の人が見えない事象が見えたり。 父が倒れる日が分り、亡くなる日も分りました。 ある朝欄間から入るあかりと鳥のさえずりで目が覚めると。 白い着物を着た人がいて、奥の部屋へそして玄関の壁の上あたりで消えました。 上半身しかなく俯き加減の姿は悲しそうでした。 その後お隣のご主人が亡くなり、帰って来た事を知り御花を持ってご焼香に伺いました。 琵琶湖から平家の骸骨武者が馬に乗って、水辺から数騎上がって来るのが見えた時が一番怖かった記憶があります。 また真っ赤に燃える飛行機が落ちて行く映像、多くの悲鳴、ショックでした。 後で飛行機事故を知りました。 でも先祖供養はしてきましたし、お世話になった方のお墓参りもしてきました。 日々何事にも感謝し、住んでいる家にもお道具にも感謝。 死にかけた生きものを見かけると必ず助けてしまいます。 子供の時からの習慣です。 これから生まれて来る赤ちゃんが見えた事もあります。 長く子供に恵まれなかった方を見ていて、分りました。 そっと教えて差し上げて大変喜ばれました。 友人が子供を抱いて階段を落ちるのが見えた時も教えました。 その一ヶ月後、彼女は子供を抱いたまま落ちたそうです。 でも言われた事を思い出してしっかり抱いたおかげで子供には怪我がありませんでした。 20代の時に入院して深夜。 廊下の突き当たりから大きなオレンジ色の丸い物体がゆらゆらと来るのが見えました。 ベットにはいると開いているドアから入って来て、窓際に行くとまるで考えごとをしているかのように。 決めたのか窓から左側へと飛んで行きました。 その後病院の廊下が騒がしくなり、亡くなられたの知りました。 このお部屋にいらした方です。 その時、人は亡くなる前に魂が抜けるのだと思いました。 両親が亡くなった時も家に帰って来ました、見えたのです。 納骨を済ませると家が静かになって、両親が遠ざかっていったのが分りました。 日々何事にも感謝の心は失わないようにしています。 寺院でお線香の束を持っていて、風もないのに全部燃えてしまい火傷しそうになります。 これが少し厄介で人にはあまり話さず生活して来ました。 何か私に問題があって、このような経験をしてしまうのでしょうか?

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写経の目的とタイミング

はじめて利用させていただきます。 写経のタイミングにつき、ご教示頂きたく質問させて頂きます。 現在92歳になる祖母がいます。 昨年膀胱がんが発覚し、手術したものの取り切れず、闘病しながら生活しています。 とはいえ病の影響はなく、足腰も丈夫で、ゆっくりではありますが自分で歩いて出かけることも出来るし、飲食にも支障なく、至って元気に過ごしています。 わたしが生まれた時から同居しており、共働きだった両親に代わり、ほとんど祖父母に育てられたわたしにとっては祖母以上に大切なひとはいません。 両親は昔から不仲でいまだに喧嘩が絶えず、仲裁するわたしとは反対に逃げてばかりの妹とは仲の良くないわたしは、常に祖母と一緒でした。 祖父は18年ほど前に亡くなっており、以降ずっと祖母に寄り添い生きてきました。 今でもどこに行くにも一緒で、お互いが一番の理解者です。 いまは祖母も病の影響も少なく元気ですが、やはり年齢のせいで身体的に弱っているのは目に見えてわかります。 祖母が亡くなったらわたしは生きていかれないかもしれない、そう友人にも心配されるほどとても仲が良いです。 だからこそ、亡くなってからわたしは自分に何が出来るかわかりません。 本当に何も手につかなくなってしまうのではないかと思っています。 けれど、わたしから出来ることは最期の瞬間までしてあげたいと思っています。 数年前、祖母の姉が亡くなった際に、写経したものを親族が棺に納めていました。 祖母の姉も信心深い人で、その人に倣い、わたしの祖母も朝晩毎日親族の供養に読経しています。 そこでわたしも同様に祖母の棺には自身で写経したものを納めたいと考えています。 けれど、それほど依存していた存在が亡くなってから、火葬するまでの短い時間ではとても手につかない気がしています。 かといって早いタイミングでそのような意図で写経をするのは死を待っているようで良くないのではないか、とも考えました。 このような意図で写経をする場合、いったいいつのタイミングで行えば良いものなのでしょうか? 写経会などに参加すると、納経を行うとあり、納経してしまうと棺に入れてあげられないため、納経せずに持ち帰るということは出来るのでしょうか? それとも、こういった際には自宅で写経するのが良いのでしょうか?

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他宗の御僧侶のお話を聞いて前に進みたい

物心ついた時からある宗教団体に属し現在はその対立する宗派に籍があります。 幼い頃両親が離婚し兄弟は離れ離れに。 高校生の時弟が事故死しました。 母親は離婚後外泊を繰り返しお金だけ置いて帰らない事もしばしばでした。その後再婚して弟が生まれました。母は溺愛し私も弟は可愛かったけど居心地はよくありませんでした。 父親は息子の死後すぐに再婚。一緒に暮らしていた次男は新しい環境に馴染めず辛い日々を送っていました。 両親に対しては心の底では恨みばかりでしたがいつか愛情がもらえると期待して寄り添いましたが父親はそれを望みませんでした。 母親には本当に愛されたいと願い宗教活動も一所懸命しましたが、子供と宗教の二択なら迷わず宗教を取ると言われ母親とは縁を切り信仰からも離れました。今思えば弟の供養こそすれ、母に喜んで欲しい気持ちからの活動であったと思います。 しかしこの宗派は完全な排他主義であり、謗法という名目であらゆる事を禁止し恐怖で支配して信徒をつなぎとめていた様に思われます。 親の愛情を求めても叶わず自分らしさを失いパニック障害で今は心療内科で治療を受けています。 親と信仰と縁を切ったことで今まで許されなかった神社や寺院、教会などの世界遺産を見て回りたく夫と出かけるようになりましたが頭のどこかでまだ恐怖支配から逃れられずに苦しむ事があります。 宗教に関する宗門の試験も受けた事もあり最上級の試験に合格しています。お釈迦様の事から学び始めますが試験の大半は宗門に関する事で、しまいにはお釈迦様の教えまでもが宗門の教義を説くための嘘であったというものでした。 私は勉強しながらもその理屈には心底納得できず、また他宗を信仰する事の恐ろしさから全て排除してしまう考え方を受け入れてはいませんでした。 今ではそういうものから全て解放されて自分らしく残りの人生を生きたいと切に願い、他宗の御僧侶のお考えに背中を押していただきたいと思っています。 実弟は私とも縁を切りました。彼も悩んでいたし仕方ないと思います。 幸い私にはこの決断を理解してくれた家族がおり、家庭がありこの上なく幸せです。しかし私がこの先宗門の恐怖支配から完全に解放される日は本当に来るのでしょうか? ご本尊は家にあり亡き弟の為に手を合わせはしますが返すべきかもわかりません。寺院に組織の脱退届けは出していません。 ご意見を伺えると幸いです

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幸せに人生を過ごすための考え方はありますか?

漠然としたタイトルですみません。 私はここ1年の間に ・就職して1年以内の退職 ・大好きな父の死 ・母からの借金の依頼、断ると産まなきゃ良かった、死んでやるなどの暴言を受ける ・実家を競売にかけられ失った、そのため地元の友人とはほぼ絶縁 などという経験をしました。 現在は希望の仕事に就き、プライベートな時間も持てるようになり、趣味を楽しむ気持ちもあります。 家族に関しても同様に、住む場所を無くした母と祖母が同居してから、最近は生活が安定して昔よりは仲良く出来ています。(母が困ると私がお金を貸しています。少しずつ返してくれています) 少ないながら友人もいますし、優しい彼氏とも出会え、生活に大きな不満は感じません。 ですが、満たされない部分を考え出すと止まらなくなってしまいます。 昔の同級生が結婚して両親に孫を見せている、仲の良い家族みんなで旅行、など私の家庭環境で叶えることは難しいことです。 自分の中で結婚と家族ということに重点を置きすぎているとも理解していますが、夫と子どもを持ち、私の両親が祖父と祖母になった姿を見るのが人生の夢だったので辛いです。 彼氏は離婚歴があり、再婚には早い・いつかははっきり言えないとのことで結婚ですらまだまだ先の話です。 仕事や趣味に打ち込んでいる時間でも、ふとした瞬間にこんなことばかり考えてしまう自分が嫌になります。 友人の中で親を亡くしている人もいないし、結婚や出産はまだ早いと考えている人が多いです。 それか普通なのか、とも思います。 父の死についても、まだ遺骨が家にあり納骨堂など用意すら出来ていない状態です。(金銭的な問題です) 一周忌も特に何も出来ませんでした。 家族で貯金があるのは私だけなので、私が貯金を切り崩せば父の供養に関しては解決します。 ですがそれをしなかったので薄情な娘だと後悔しています。 生きていくのに大きな障害があるわけでもないのに、生きる意味が分からなくて死んでしまいたいと思うときがあります。 長々とまとまらない文章で申し訳ありません。 こんな私でも少しでもプラスに、幸せだと感じて生きていくにはどのような気持ちをもてばいいのでしょうか。

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