5年前に父親を亡くし、お墓をたててあげられないまま今に至ります。 私は双極性障害という病気で精神障害者2級、障害厚生年金をもらっています。両親は離婚しており、私は一人っ子です。今になって、毎日父親のお墓をどうにでもしてたててあげたい。そう思っていますが、父親の土地や家やお墓は叔母さんが管理しているため、お墓を建てるのにも叔母の許可がいるのでどうしていいかわかりません。お墓に関してなんの知識もなく、困っています。わたしはどうしたらいいのでしょうか?
お坊さん、はじめまして。 表示には10代出てますが20です。 mtf mtx トランスジェンダーの問題も両親の問題もいろいろありすぎて心がパンクしそうです。ここ最近、頭や体にすごい重りをのしかけられたような感じがすごく車の事故が耐えなくて暗闇で勝手に涙がわいてきます。 お仏壇の線香やたばこなどのけむりがうえにあがらず横か下にふたまたにただよう形がつづいてます。両親ができないために私がお経 お供えもつとめてます。家事から女性並みにこなしてます。音がすごく声もわずかにきこえます。 かなりのいろいろな霊さんたちがいるんだなって思ってます。いいことがおこらなくなりました。自殺を頭の中から誘うような直感がします。死にたいです。お坊さんたすけてください。むこうに吸い込まれそうです。
ふと熊本地震の家屋解体(公費解体)や土地の名義変更等で戸籍を曾祖母の出生まで遡って取得しました。約30年前に曾祖母は亡くなっていて放置状態だったために手続きも複雑化している現状です。 祖母や曾祖母は某学会の会員で、早く亡くなった曽祖父、子供のときに亡くなった祖母兄妹の遺骨(いづれも土葬)は、掘り返して焼骨にして学会の納骨堂(永代供養墓)に納められています。これは祖母から聞いた話です。 もちろん亡くなった曾祖母も死亡してから荼毘に付されて納骨堂にはいっています。 そこでふと気になったのはそれよりも前の世代の先祖の墓です。 祖母に聞いても正直もうわからないとのことです。 また、父方の墓についても 墓誌を見る限り、高祖父母の1代前から曽祖父までの計7名(うち戦死者である曽祖父の弟が入っている)が入っていることが分かります。 ありがたいことに皆長生きでまだ納骨というのを経験した事が無いので中は見たことがありません。 父曰く、墓誌に書かれている人全員だから結構な数の骨壷がはいっている とのことです。 しかし私が気になったのは、高祖父母の1代前よりも前の世代の先祖の墓です。時代的に土葬だとおもわれますが、本家の墓がある墓地は土葬の墓など見当たりません。存命の祖父に聞いても分からないとのことです。 そういった先祖がいるからこそ今の自分があるのだと思います。 全ての先祖の墓を探し出すというのはむりがあるとは思いますが、あるのであればぜひ掃除をしたり合掌したりして先祖を供養したいものです。 現在入っている先祖よりも前の先祖の墓を探し出すことはできますでしょうか。 特に母方については曾祖父母の代より学会に入っているのでそれよりも前のことが全く不明です。
1週間前に父が急に亡くなりました。 享年86歳でした。 最後は介護つきの病院で亡くなりました。 寡黙で穏やかな人でした。 3年前に母を亡くした時、ご飯も食べれなくなるほどショックを受けました。父の時もやはり 同じ様になってしまいましたが、 「泣いてたらあかん! 強くならんとあかん!」 と自分に言い聞かせ介護の仕事に行っています。 仕事をしている時は、笑顔でいる自分がいます。 家に帰って来て自分が 「何故笑顔でいれるのか?私は悲しくないのか?」って考えてしまいます。 仕事を頑張ってるのは・・・ 「両親に恥ずかしくない様に生きて行こう」 って思ったからです。 でも、仕事をしている時の自分が「許せない」 そんな、「自分が嫌い」って思ってしまいます。 毎日仕事から帰って来たら、仏壇に手を合わせ て父や母に話をしています。 両親を亡くして笑顔で仕事をしている私は 親不孝ですか? もう、分からなくなって来ました。 どうか、何かのアドバイス頂けると幸いです。 よろしくお願いいたします。
年末に母が他界しました。 肺炎で入院し、精神的に不安定になり、病室でよく「助けてください。お願いします」と泣きそうに言っていました。 それなのに、助けてあげることが出来ず、母に辛く苦しい思いをたくさんさせてしまい、また、十分な親孝行ができず、後悔と悔しさでいっぱいです。 せめて、母があの世で、先に亡くなった父や母の兄姉、両親達と楽しく幸せに暮らしていますように、そして、この世の苦しみ悲しみ不安から解放されて、只々、幸せだけを感じて淋しい思いをしていませんようにと強く願わずにはいられません。 あの世の世界などないとか死後について色々な意見や考えがあるかと思いますが、人は亡くなった後、この世の苦しみなどから救われず、ただすべてが無になってしまうのでしょうか?だとしたら、とても悲しいです。
未だに1人になると、母のことを思い出して涙がとまりません。 思い出すのも、後悔ばかりです。 物心ついた時から父親がおらず、女手一つで、私を含め3人育ててきた母です。 貧乏であまりいい思いをしてこなかったので、よく母に当たったりしていました。こんな家に生まれたくなかった、とか幸せだと思ったこと一度もない、とか。 反抗期とひねくれた性格もあって、本当に酷いことばかり言ってしまったこと後悔しています。 地元から離れていたので、母の死に目にはあえませんでした。 母の友達から、母がよく私のことを心配していたと聞き、愛されていたこと、それに応えられなかったことがすごく悲しいです。 社会人になって、親孝行しようと思っていた矢先のことでした。一度も親孝行できず、なにもしてあげられていません。 母はずっと働いてばかりの人生でした。 いつか楽にしてあげたいと思っていました。 抗がん剤治療を受けながら働いていた母でした。 母なら大丈夫だろう、いつか治る、死ぬわけないって、思ってました。 なんで母が死ななきゃいけないんでしょうか。 母の代わりに私がしにたかったです。 もう地元に帰る家もありません。居場所がありません。 わたしも母のところにいきたいです。 母に会いたいです。
私の父が今、手術後に肺炎をおこし生死が五分五分の状態です。 母が看病していて、かなり憔悴しています。 私は父の最期について、ある「宿題」を抱えています。 父は、私の祖父がなくなったとき、遺産を3人のおば(妹)と争い、おばたちと私の祖母との仲が良くないと決めつけ、最終的におばたちから実家と畑とお墓を奪って長男独り占めの状態を作り、縁も切りました。 そのトラブルは、基本的に父によってお酒の力を借りて強引に、支離滅裂に進められました。私も当時(15歳)、虫の居所の悪い父に部屋をめちゃめちゃに荒らされたことがありました。 私は、自分の人生が父に壊される可能性を恐れて、地元の大学は落ちたが遠くの滑り止めだけ受かったという状況を計画的に作り入学し、卒業後最終的に実家から500キロ以上離れた場所に嫁ぎました。 私は、私の父がしたことを思うと、おばたちが好きだったのでとても罪悪感がありました。父がこの世を去るときに、私の母は義妹の誰も頼れないこと、奪った実家の問題がまた出てくるであろうということ。これは私の宿題として人生に残り続けました。 私は結婚した時も、出産したときも、内緒で夫や赤ちゃんを見せにおばの家に行きました。おばは夫に、「狸田羊は昔から性格がさっぱりしていて大好きだ」と言い、同じようにさっぱりと「でもあなたのお父さんは許せない、あなたのお母さんも間に入ってくれなかった、あなたには悪いけど、実家をとられて許せない」と言いました。 私は、自分も実家と距離をとって幸せになる作戦で生きているので、おばたちが祖母と離れて暮らしたことが悪いとは思えないし、そのことで実家に立ち入る権利すら奪われたことは間違っていると思います。 仏様や死んだ祖父母が悲しむことを、私の両親がしてきた気がするのです。 私は、おばたちに、両親の仏壇なのに手も合わせられないように父がこじらせてごめんなさいと正直に言いたい。お仏壇を正しく開放したい。 だけど、母が、私の気持ちを聞いて、「あんたの気持ちは、おばあちゃんを看取った実の親より縁の切れたおばたちの方にあったのか、裏切り者」というショックを受けないだろうか。 母は、義妹の実家でもある家を、今後もぶんどったまま(別荘として。両親の住まいはもとからちゃんとある)生きていくのだろうか。 仏教的に、好ましい行動はこの場合なんなのでしょうか。
まだ心の整理がつかず、わかりやすく簡潔には説明できないかもしれませんが、よろしくお願いします。 両親よりも、先に亡くなってしまった兄について。 10年以上、仕事もしていなくて、 アルコール中毒の兄でした。 そんな兄を世間は冷たく見ていたとわかっていたし、私も両親もそう思っていました。 でも、いざ亡くなってしまった姿を見たときには、パニックになり、「死なないで!生き返って!」と思い、 支えてあげられなかった自分が情けなくなり、 どうしてもっと優しく接して、話せなかったのだろうとか、後悔ばかりの毎日です。 お酒を飲むと、一緒に暮らしてる家族には 暴言吐いたりたり、 夜中に騒いだりしてましたが、 兄が本当は優しい性格で、他人に迷惑を掛けない性格なのもわかっているし、 人の悪口は言わない人でした。 プレッシャーもあったのもわかるから…。 でも、これからはプレッシャーから解法させて、兄を迷わせたりせずに、送り出したいのですがどうしたら良いでしょうか? 葬儀は済ませており、来月納骨予定です。
実家がお西の門徒なのですが、それほど信心深くもなく、お墓参りや先祖供養は全て我流でやってきました。 先日父(83)のガンが見つかりステージ4とのことを聞かされて、離れて住んでいる自分に何ができるかを考え、浄土真宗のことを勉強することにしました。 すると他宗派と違う独特な作法や考え方であることがわかり、今では私がすっかり地元のお西のお寺で法座を聴聞したりしています。 そのことを話すと、あまりいい反応ではなく、あまり宗教にハマるなと言われる始末…。 両親には穏やかな終末を迎えてほしいと思っているので、今からでも信仰心を深めてほしいのですが、全く聞き入れてもらえず悩んでいます。 ちなみに私はミニ仏壇に阿弥陀様をお祀りして毎日朝晩のお勤めをし、月に一回はお寺の法座に出ており、自分の信仰心だけが深まっていき、家族の中でも一人浮いてきてしまっている始末です…。 親鸞聖人の教えはとても深く、有難いものだと思っているのですが、誰にも理解してもらえないことが歯がゆくて仕方がありません…。 無理強いはするつもりはないのですが、最初の目的からどんどん離れてきてしまっている気がして、何のために自分が勉強しているのかわからなくなってきました…。 両親は毎日仏壇に手を合わせたり、年4回お墓参りにも行っていますが、浄土真宗の作法や教えを理解していないのが、残念です。 浄土真宗の教えを理解すれば、普段の生活や考え方が変わり、とても穏やかに過ごせると思うのですが、どうすれば阿弥陀様を意識してもらえるようになるでしょうか? 現代はお寺離れが増加しているといいますが、私は生きている間にこそ、お寺に行って気持ちを穏やかにすることが、生活を豊かに過ごせると思っています。 話がまとまらず申し訳ありませんが、良いアドバイスがあれば宜しくお願い致します。
二回目の相談です。 お世話になります、本日は私自身の事です。 子供の時から正夢を良く見ました。 大人になるに従い、普通の人が見えない事象が見えたり。 父が倒れる日が分り、亡くなる日も分りました。 ある朝欄間から入るあかりと鳥のさえずりで目が覚めると。 白い着物を着た人がいて、奥の部屋へそして玄関の壁の上あたりで消えました。 上半身しかなく俯き加減の姿は悲しそうでした。 その後お隣のご主人が亡くなり、帰って来た事を知り御花を持ってご焼香に伺いました。 琵琶湖から平家の骸骨武者が馬に乗って、水辺から数騎上がって来るのが見えた時が一番怖かった記憶があります。 また真っ赤に燃える飛行機が落ちて行く映像、多くの悲鳴、ショックでした。 後で飛行機事故を知りました。 でも先祖供養はしてきましたし、お世話になった方のお墓参りもしてきました。 日々何事にも感謝し、住んでいる家にもお道具にも感謝。 死にかけた生きものを見かけると必ず助けてしまいます。 子供の時からの習慣です。 これから生まれて来る赤ちゃんが見えた事もあります。 長く子供に恵まれなかった方を見ていて、分りました。 そっと教えて差し上げて大変喜ばれました。 友人が子供を抱いて階段を落ちるのが見えた時も教えました。 その一ヶ月後、彼女は子供を抱いたまま落ちたそうです。 でも言われた事を思い出してしっかり抱いたおかげで子供には怪我がありませんでした。 20代の時に入院して深夜。 廊下の突き当たりから大きなオレンジ色の丸い物体がゆらゆらと来るのが見えました。 ベットにはいると開いているドアから入って来て、窓際に行くとまるで考えごとをしているかのように。 決めたのか窓から左側へと飛んで行きました。 その後病院の廊下が騒がしくなり、亡くなられたの知りました。 このお部屋にいらした方です。 その時、人は亡くなる前に魂が抜けるのだと思いました。 両親が亡くなった時も家に帰って来ました、見えたのです。 納骨を済ませると家が静かになって、両親が遠ざかっていったのが分りました。 日々何事にも感謝の心は失わないようにしています。 寺院でお線香の束を持っていて、風もないのに全部燃えてしまい火傷しそうになります。 これが少し厄介で人にはあまり話さず生活して来ました。 何か私に問題があって、このような経験をしてしまうのでしょうか?
はじめて利用させていただきます。 写経のタイミングにつき、ご教示頂きたく質問させて頂きます。 現在92歳になる祖母がいます。 昨年膀胱がんが発覚し、手術したものの取り切れず、闘病しながら生活しています。 とはいえ病の影響はなく、足腰も丈夫で、ゆっくりではありますが自分で歩いて出かけることも出来るし、飲食にも支障なく、至って元気に過ごしています。 わたしが生まれた時から同居しており、共働きだった両親に代わり、ほとんど祖父母に育てられたわたしにとっては祖母以上に大切なひとはいません。 両親は昔から不仲でいまだに喧嘩が絶えず、仲裁するわたしとは反対に逃げてばかりの妹とは仲の良くないわたしは、常に祖母と一緒でした。 祖父は18年ほど前に亡くなっており、以降ずっと祖母に寄り添い生きてきました。 今でもどこに行くにも一緒で、お互いが一番の理解者です。 いまは祖母も病の影響も少なく元気ですが、やはり年齢のせいで身体的に弱っているのは目に見えてわかります。 祖母が亡くなったらわたしは生きていかれないかもしれない、そう友人にも心配されるほどとても仲が良いです。 だからこそ、亡くなってからわたしは自分に何が出来るかわかりません。 本当に何も手につかなくなってしまうのではないかと思っています。 けれど、わたしから出来ることは最期の瞬間までしてあげたいと思っています。 数年前、祖母の姉が亡くなった際に、写経したものを親族が棺に納めていました。 祖母の姉も信心深い人で、その人に倣い、わたしの祖母も朝晩毎日親族の供養に読経しています。 そこでわたしも同様に祖母の棺には自身で写経したものを納めたいと考えています。 けれど、それほど依存していた存在が亡くなってから、火葬するまでの短い時間ではとても手につかない気がしています。 かといって早いタイミングでそのような意図で写経をするのは死を待っているようで良くないのではないか、とも考えました。 このような意図で写経をする場合、いったいいつのタイミングで行えば良いものなのでしょうか? 写経会などに参加すると、納経を行うとあり、納経してしまうと棺に入れてあげられないため、納経せずに持ち帰るということは出来るのでしょうか? それとも、こういった際には自宅で写経するのが良いのでしょうか?
物心ついた時からある宗教団体に属し現在はその対立する宗派に籍があります。 幼い頃両親が離婚し兄弟は離れ離れに。 高校生の時弟が事故死しました。 母親は離婚後外泊を繰り返しお金だけ置いて帰らない事もしばしばでした。その後再婚して弟が生まれました。母は溺愛し私も弟は可愛かったけど居心地はよくありませんでした。 父親は息子の死後すぐに再婚。一緒に暮らしていた次男は新しい環境に馴染めず辛い日々を送っていました。 両親に対しては心の底では恨みばかりでしたがいつか愛情がもらえると期待して寄り添いましたが父親はそれを望みませんでした。 母親には本当に愛されたいと願い宗教活動も一所懸命しましたが、子供と宗教の二択なら迷わず宗教を取ると言われ母親とは縁を切り信仰からも離れました。今思えば弟の供養こそすれ、母に喜んで欲しい気持ちからの活動であったと思います。 しかしこの宗派は完全な排他主義であり、謗法という名目であらゆる事を禁止し恐怖で支配して信徒をつなぎとめていた様に思われます。 親の愛情を求めても叶わず自分らしさを失いパニック障害で今は心療内科で治療を受けています。 親と信仰と縁を切ったことで今まで許されなかった神社や寺院、教会などの世界遺産を見て回りたく夫と出かけるようになりましたが頭のどこかでまだ恐怖支配から逃れられずに苦しむ事があります。 宗教に関する宗門の試験も受けた事もあり最上級の試験に合格しています。お釈迦様の事から学び始めますが試験の大半は宗門に関する事で、しまいにはお釈迦様の教えまでもが宗門の教義を説くための嘘であったというものでした。 私は勉強しながらもその理屈には心底納得できず、また他宗を信仰する事の恐ろしさから全て排除してしまう考え方を受け入れてはいませんでした。 今ではそういうものから全て解放されて自分らしく残りの人生を生きたいと切に願い、他宗の御僧侶のお考えに背中を押していただきたいと思っています。 実弟は私とも縁を切りました。彼も悩んでいたし仕方ないと思います。 幸い私にはこの決断を理解してくれた家族がおり、家庭がありこの上なく幸せです。しかし私がこの先宗門の恐怖支配から完全に解放される日は本当に来るのでしょうか? ご本尊は家にあり亡き弟の為に手を合わせはしますが返すべきかもわかりません。寺院に組織の脱退届けは出していません。 ご意見を伺えると幸いです
漠然としたタイトルですみません。 私はここ1年の間に ・就職して1年以内の退職 ・大好きな父の死 ・母からの借金の依頼、断ると産まなきゃ良かった、死んでやるなどの暴言を受ける ・実家を競売にかけられ失った、そのため地元の友人とはほぼ絶縁 などという経験をしました。 現在は希望の仕事に就き、プライベートな時間も持てるようになり、趣味を楽しむ気持ちもあります。 家族に関しても同様に、住む場所を無くした母と祖母が同居してから、最近は生活が安定して昔よりは仲良く出来ています。(母が困ると私がお金を貸しています。少しずつ返してくれています) 少ないながら友人もいますし、優しい彼氏とも出会え、生活に大きな不満は感じません。 ですが、満たされない部分を考え出すと止まらなくなってしまいます。 昔の同級生が結婚して両親に孫を見せている、仲の良い家族みんなで旅行、など私の家庭環境で叶えることは難しいことです。 自分の中で結婚と家族ということに重点を置きすぎているとも理解していますが、夫と子どもを持ち、私の両親が祖父と祖母になった姿を見るのが人生の夢だったので辛いです。 彼氏は離婚歴があり、再婚には早い・いつかははっきり言えないとのことで結婚ですらまだまだ先の話です。 仕事や趣味に打ち込んでいる時間でも、ふとした瞬間にこんなことばかり考えてしまう自分が嫌になります。 友人の中で親を亡くしている人もいないし、結婚や出産はまだ早いと考えている人が多いです。 それか普通なのか、とも思います。 父の死についても、まだ遺骨が家にあり納骨堂など用意すら出来ていない状態です。(金銭的な問題です) 一周忌も特に何も出来ませんでした。 家族で貯金があるのは私だけなので、私が貯金を切り崩せば父の供養に関しては解決します。 ですがそれをしなかったので薄情な娘だと後悔しています。 生きていくのに大きな障害があるわけでもないのに、生きる意味が分からなくて死んでしまいたいと思うときがあります。 長々とまとまらない文章で申し訳ありません。 こんな私でも少しでもプラスに、幸せだと感じて生きていくにはどのような気持ちをもてばいいのでしょうか。
51歳女性です。 私の両親は熱心な仏教徒で、経典を学び、教えを支えに生きていました。 ですが、慈悲や和合の教えは、相手を軽蔑する心には勝てないようで、両親の不和は続き、お互いに軽蔑しあったまま50年の結婚生活は過ぎ、父が他界したことで終わりました。 生涯、許せなくても、愛せなくても、良いのでしょうか?ふたりそれぞれに確認しましたが、愛はなかったそうです。 そのために孤独な晩年であっても、嫌いなものは嫌いでよい。あるがままの心で生きるのも自由だという教えは、仏教にはあるのでしょうか? ふたりとも一番身近な伴侶との和合は適いませんでしたが、孤独ながら我が道を行き、やりたいことはやり切った人生だったと思います。仏教の教えが孤独なふたりの心を支え、それぞれに邁進できたのだと思います。 ですが、かつての大きな声で喧嘩をしている老夫婦の姿は、朝晩、お経をあげれば救われるはずの宗派の教えが、それだけでは不十分な証拠のようにも思え…。 両親は、何時間もお経をあげるような熱心な信者でした。なぜ、50年かけても慈悲の心にたどり着けなかったのでしょうか? また、このような場合、亡くなった父は成仏できずに、輪廻を繰り返すのでしょうか? それとも、父が仏になれた可能性はあるでしょうか?ボランティアで地域の皆様に尽くし、多くの方々に感謝されていた父でした。
母が亡くなった切っ掛けですが 日程が合えば法要法話には必ずうかがっています。 両親が居なくなったさみしさからもあると思います 今も私は ご住職とも法要法話でお会いする門徒さんとも良好な関係だとおもいます。 ただ私は正式な門徒になっているわけでは無いのです。 昔高校時代の先輩がある他の仏教系宗教にはまり 夜中でも連絡してきて怖い思いをしました。 今はあきらめてくれたのかほとんど連絡もこなくなりました。 このまま正式な門徒さんになり色々な事を学んでいくうちに 自分もあの先輩みたいになっていくのではないのか でもご住職さん門徒さんに自分の辛さを話していくと 気持ちも 楽になります。 正式な門徒になることを勧められらことは ご住職にも門徒さんにも勧められたことはありません 私からもお話していません 私も亡くなれば両親と同じように 釈の法名はいただくつもりなのですが。 宗教が怖いなどと はっきりとはご住職に申し訳なくて聞きづらいのです。 自分は、今は今のままが一番良いのですが 私が生きているうちに いずれ正式な門徒にならなければいけないものでしょうか?
突然失礼致します。 自分は今僧侶になることを目指して勉強をしている高校生です。 現在僧侶になるにあたり色々な場所から情報を集めていると、出家したら両親の葬儀や親戚の葬儀に出られないと書いている記事を見かけました。 この記事に書いてあるのは本当なのでしょうか? ご回答よろしくお願い致します。
祖父母の代から先祖を祀ってもらっている菩提寺があります。もっと古くからかもしれません。両親、兄7人、すべてそのお上人に引導を渡してもらいました。法事もそのお寺で行います。 1. お寺を変わりたいのです。格式が高く、つきあいにくいのです。お寺まで2時間近くかかります。 変わってもいいのしょうか? 2. 近くで探すとすれば、どのような点に気をつければいいでしょうか? 先日、墓をたてるための土地がきまり、10月完成予定です。 寿陵です。 開眼をしようと思いますが、お寺が決まりません。よろしくご指導おねがいいたします。
昨年に妹が自分で自分の命を絶ちました。その数日後には家族で食事をする予定もあり、他にも旅行の予約も取っていて本人も楽しみにしていました。突発性だったのか…と思います。危ない状態とは知っていたのに未然に防ぐことが出来なかったのが悔しいです。予定もたくさんあったので油断してしまっていました。 確か妹は亡くなりましたが、私はまだ生きています。両親も姉も生きています。まだ全てを失ったわけではないですが、生きるのが辛いです。妹がいない現実を受け入れられない。仕事も休みがちになり、朝起きるのが億劫です。 このまま寝て目が覚めなければいいのにと思います。それでも家族や友人を悲しませることはしたくないと矛盾した考えがぐるぐる回ってます。 以前はやりたいこと、やりたい仕事もありましたが、今は何もする気が起こりません。時間が解決するといいますが、辛すぎます。どう生きていけばいいのかわかりません。
先月、統合失調症を患う弟が自死しました。 平成13年には統合失調症を患う妹が自死しました。 弟は妹が自死した場所から飛び降り、自死。 自分の気持ちをどのようにおさめたらよいのか。 両親は離婚しており、母は認知症の祖母を介護中。母自身も長年、鬱病である為、今回の葬儀もそうですが今後、法事は私が主になり行っていくことになります。 今回の葬儀は弟の信仰していたところにお願いしました。 その会では戒名をつけないとのことで弟は戒名を頂いていません。 祖母も母も別の新興宗教の会員ですが祖母は以前は熱心に活動しておりましたが現在は認知症の為、活動しておらず。母や私も活動から遠ざかっています。 私も生まれながらに会員ではありますが度重なる不幸から、どうしても信じることができず活動から離れてしまいました。 戒名や納骨について考えています。 どのように動いていったら良いのか悩んでいます。
よろしくお願いします。 現在、子どもと主人と賃貸に住んでいます。このまま賃貸か、戸建を建てるかを検討中です。 そんな中、義両親から将来、義両親の死後、いまある仏壇を我が家に移すと言われました。(あちらは新居を建てると思っています) 新居をたてる時には、今の仏壇が入る仏間を用意するように言われました。 私はもし新居を建てるなら、お金の関係もあり広い家は無理だと思うので、なるべく部屋の空間を広くとりたいため、和室も設けずに一階はフローリングにしてしまいたいと思っていました。 また新居に仏壇を置くというのに抵抗があり、内心反発しています。 実際には義両親が亡くなってから仏壇はくるのですが、、家を建てる時点でその場所を確保しないといけない、そして将来的にくる、というのがどうしても今の私には受け入れ難いです。 自分でも考えが子どもみたいと思う面もありますが、このことで家のことを前向きに考えられなくなってしまって、でも将来的には戸建てが欲しいと思っています。 仏壇がくることは受け入れて、せめてもっと小さい今時のモダン仏壇とか、新居にもなじむ仏壇に買い替えたいと考えています。 でも家を建てる時点で義親に買い替えるつもりなので、今の仏壇が入る仏間は作りませんと言える気がしません。 それか、今の仏壇が入るクローゼット的なものを作り、今は子供のものをいれ、将来的にはここを仏壇をいれる場所にしますと一旦はいっておき、実際に亡くなったときにその時、そのまま仏壇を引き継ぐか、やはり買い替えるかの決断をすべきか、悩んでいます。 買いかえることには問題はないですよね? また、私達が受け継いだとして、先の将来また子供たちにも同じようなことさせるのは私は抵抗があり、子供が大きくなったときに話し合いいらないと言われたら私が亡くなるまでに処理していこうと考えています。 主人は、今の仏壇のまま受け入れるつもりのようです。 しかし、主人は仏壇、墓のことの知識が全くありません。仏壇がきても、お世話や行事をするのはたぶん私になると思うのです。。 また主人は私がこのように悩んでいることは知りません。 仏壇を粗末に扱っているような内容になり、申し訳ありません。 でも毎日このことばかりを考えてしまって、先に進めなくて毎日が辛いんです。 どうか、少し先に進めるようにアドバイスいただけませんでしょうか。