hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧
検索結果: 3057件

自死について

私は難病に罹患しており毎日その症状と向かいあっております。 『治療法は残念ながらありません』とドクターに言われても痛みに耐えられないので何度も病院に行き、せめて症状を緩和する方法や薬などないかドクターに聞くと。 『だから難病なんですよ』と言われてしまいました。 口腔内の痛み 鼻の痛み 喉の痛み 舌の痛み 気道の痛み 呼吸をするたびにドライヤーの風を吹き付けられているような症状等々。 痛み止めは効かないです。 痛みと苦しみがエンドレスで半永久的な辛さで少しずつ進行しております。 気が遠くなるような長い闘いですが頑張ってきました。 毎日24時間続く痛みを緩和する方法はないか自分なりに試行錯誤して工夫して来ました。 西洋医学だけでなく東洋医学も試しました。 この難病を受け入れて上手く付き合っていこう。と夫と子供達にも励まされ一日一日を頑張って生きてきました。 現代の医学をもっても『この痛みを緩和する方法はない』と言われても、私はあきらめず自分自身で色々な事を試しましたが痛みを緩和する事ができませんでした。 自ら命を経つのは良くない事だとは分かっています。だからこそ家族の為にも今まで病気と向き合いながら生きてきました。 私も本心は家族と別れたくはありません。ずっと一緒に居たいです。 しかし最近はあまりの痛みに、死んだらこの永遠に続く痛みから解放されるのかもしれない。痛みのない所に行きたいのです。 家族と一緒に居たい自分がいるのに、痛みの支配が大きくて痛みには勝てません。 自ら命を経てば阿弥陀如来さまに地獄に落とされますか? 現世では難病でこのような日々を過ごし。 来世もまた地獄に行きますか? どうかお教え下さい。

有り難し有り難し 34
回答数回答 2

死にたいほど辞めたいのに

ずっと身の丈に合っていないなと思う職に就き、それでも自分なりに頑張っていました。 そんな中、同僚に人格から能力まで私の全てについて逃げ場のないような言葉の攻撃を受け、体調を崩して休職しました。 同僚は厳重注意処分を受けましたが、異動が難しい職場なので彼と離してもらえません。上司をはじめ周囲は面倒を避け、誰もサポートしてくれず孤立していきました。同僚の暴言からも立ち直れませんでした。どんどん心身が壊れていきました。 打つ手がないもどかしさもあるのでしょう、暗くなった私を疎ましいと思う人が増えていきました。出勤しても一言も誰とも口を聞かない日がほぼ毎日です。声をかけても露骨に無視する人もいます。 体調に配慮という名目で業務外しもされました。何年か頑張りましたが自分の存在の無意味さに絶望して死にたいと思うようになりました。何度も首を吊ったりベランダから飛び降りそうになったりしました。死なないために長期出張をもぎとり一息つきました。 でもあと少しで戻らなくてはなりません。ようやく「死にたい」から「生きている意味がわからない」まで、少しだけ回復したのに、あの職場に戻ったら1カ月ともたないのではと思います。   思い余って、出張から戻る時は所属部署と物理的に離してほしいと上に頼みましたが回答がきません。 私の希死念慮のことは相談しています。死ぬために戻るような気持ちです。 死にたいほど辛いのなら辞めるべきと思いますが、特殊な職種で潰しがききません。スキルがなく心を病みその間に年齢も高くなった私に何ができるのかと考えたら、全く先が見えなくなりました。死にそうだから辞めたいのに、辞めたら生活の不安で死にたくなりそうです。 進む方向が定まらず、何を考えても破滅的な方向にしか思いが向きません。眼前の仕事に集中できず、更に自己嫌悪がひどくなります。 何もかもから逃げ出したい。永遠に逃げ出すのが一番良いように思われてしまいます。 どうしたら迷いを取り去り前に進むことができるでしょう。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1
2023/05/15

死を意識する子ども

6歳の娘を育てていますが、その子がやたらと死を意識するような言動が多く不思議です。子どもとして正常なのでしょうか? その子のまえに2歳離れた娘がいましたが、先天性の疾患があり4ヶ月でお空に帰ってしまいました。わが家には長女の仏壇があり、朝夕に手をあわせ、月命日には墓参りをしています。 3ヶ月前にはわたしの祖母が亡くなりお通夜に参列しました。棺に手紙を入れて、亡骸と対面もしています。 飼っていた猫も老衰し、亡くなる時を見守り、ペット葬儀場でお骨になるまでをみせています。 同年代の子どもより亡くなった人(ペット)と接するエピソードが多いからかもしれませんが、「◯◯ちゃん(長女)はお空にいるんでしょ?今日は背負って一緒に小学校に行くんだ~」 成人式のニュースをみて、どんな振り袖が着てみたい?と話しかけた主人に「パパは成人式の時まで生きてるの?いつまで生きてるのかな?」 祖母のお通夜をした葬儀場前を通ると「大バァちゃんはまだここにいるの?死んだらどこにいるの?」などよく聞いてきます。 死に対して恐怖を感じてる様子はありませんし、死を意識した会話を悪いことだとは思っていませんが、なにかにつけてまわりの大人たちに「いつまで生きるの?」と聞くため、変な子どもと言われます。 長女の死について詳しく話したことはありません。長女の死因や死生観についてなど、なにか特別な説明や教育をしてやったほいがいいのでしょうか?どうしてやればいいのかわからずモヤモヤします。ただ、変な子どもと言われるのは不本意だし、よくないなと思っています。なにかいい言葉がけなどあれば教えてください。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 11
回答数回答 2

初めて身内の死を経験してから

3年半前、祖母は余命2~3ヶ月の末期癌と診断されました。 ですがよい病院に巡り会え、度々余命宣告されても、家での治療を続け元気な姿を見せてくれました。 その祖母も、春に余命2週間を宣告され、そのとおりに亡くなりました。 亡くなる数日前までは酸素も回復し、本人も「みんなでお花見しよう」「退院したら○○へ夕飯行こう」なんて楽しそうに話していて。 突然危篤状態になり、次の日にという流れでした。 私はこの3年間延命してる姿を見て「こんな笑ってる人が死ぬわけない」と思い込み、祖母に優しくできなかったことをとても後悔しています。 仕事を理由に何度も誘いを断り、私が口ベタなこともあり話のキャッチボールが少なかったり。 まともな思い出も去年秋の旅行と、亡くなる前の誕生日会くらいです。 亡くなって2ヶ月半経ちますが、かなりの頻度で夢に出てきます。 街中で同年代のお年寄りを見かけるだけで悲しくなります。祖母の願いであった私の結婚報告も、式の参列へも、叶えられなかったことを考え泣いてしまいます。 亡くなる数時間前、駆けつけた私を見て涙目で手を握ってくれました。 必死に抱きしめようとしてくれましたが、医療器具やベッドの柵が邪魔で出来なかった悲しみや、死の直前まで生きたいと願っていた祖母の姿が頭から抜けません。 死の悲しみは誰もが通る道だとは分かっていましたが、、 どうすれば前向きに生きられるでしょうか。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

母親の死

ちょうど一ヶ月前に母を癌で亡くしました。 僕の場合は特に罪悪感が強く、母の元気な時は結婚もせず、孫の顔も見せれず、病床で寂しがっていた時も 付き添ってやらなかった(付き添おうと思えば出来た) そして、最後も看取れず・・ 怖さと孤独と寂しさの中で逝かせてしまった・・という罪悪感に毎日毎日かられて、それを思うと、母が可哀想で可哀想でたまりません。 一人っ子なので、今は母のいなくなった家で 一人寂しく暮らしてます。 特に一人で晩ご飯なんか食べていると、寂しくてたまりません。 あぁ・・ 母もきっと 最後はこんな孤独の中で逝ったのかな・・って思ったりもして。 もうどうしようもないことはわかってます。 でも なんで一人で逝かせた? 付き添おうと思えば、いくらでも付き添えたのに・・ 叫ぶほどに寂しがっていたのに・・・ 寂しさは時間が癒してくれるかもしれませんが、この罪悪感だけは 一生もので、僕が死ぬまで背負っていかなければいけないような気がしてます。 母の性格なら『終わったことはもういい これから頑張れ』と言ってくれてるように思います。 ただそれは僕の勝手な気持ちであって、未だに寂しい気持ちの中で彷徨っているかもしれない・・・ でも、それも今となっては教えてもらえず・・・ 『寂しい・・』 『家に帰りたい・・』 逝く前の母親のこの叫びが、僕の胸をえぐります とても苦しいです。 とにかく 寂しさの前に、今は罪悪感が非常に強くて 毎日、胸を痛めて、なかなか前を歩く一歩が踏み出せない現状です。 母親がまだ元気な頃は、あ~だこ~だ言ってお世辞にも大切にはしていなかったのに、いなくなって初めて、寂しい・・可哀想・・もう一度だけで良いから逢いたい・・ 今に思えば、僕の結婚、孫の顔ももうとっくに諦めていたはずだし、横になりながらTVを見ているような毎日で、母親はいったい何が楽しみで生きていたんだろうな・・と考えたり。 こんなことを、母親がいなくなってから想っている自分勝手な息子です。 僕のおふくろが死んだなんて、まだ信じられないです。 やはりこの罪悪感は親不孝物の代償でしょうか? 一生背負って生きていかないといけないものでしょうか? 是非、意見を聞かせてください。 辛さのあまり自分の命も絶つことも考えました。 でも、結局は生きていくしかなく・・・

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

死ぬために生きるということ

長文失礼致します。 「早く死にたい。なんのために生きているんだろう」という、答えの出ない疑問に悩んでいます。 前々から思っていた事ではありますが、最近は特に強く、そして気付けばずっとそのことばかりに頭を悩ませています。 数年前、母がうつ病を煩ってからというもの、発達傷害を持った姉の事もあり、両親の喧嘩は毎晩絶えず、その度私は一人で声も出さず泣く日々を繰り返しました。 当時小学生だった私に頼れる存在はなく、他の兄弟もすでに自立しており、我が家ながら自分の居場所がどこにもない感覚に押し潰されていました。 幼少期の経験からか、今は対人恐怖症なのかなと思う程人と関わるのが苦手で、集団の中にいると酷く虫酸が走るような感覚に襲われ「どうしてこんな所にいるんだろう」と、自分の存在意義を見失います。 昔から勘の鋭い自覚はあり、相手の顔を見るだけで相手の考えている事が分かってしまう為、カウンセラー相手でも本音を言う事は滅多にありません。 己を含む人という生物が嫌いで、その為他人から向けられる好意が気持ち悪く感じてしまいます。 そのくせ人を傷付けることが怖くて出来ず、自分が傷付けたという事実に自分が傷付き、自己嫌悪に陥ります。 「他人を傷付けるくらいなら自分だけが苦しい思いをしていればいい」と、笑顔を作り、他人を優先する…我ながら馬鹿馬鹿しい程の矛盾と無意味な自己犠牲のせいで、結果他人から好かれ、異性からは好意を向けられたりと、終わらない悪循環で苦しみます。 そして例えば、化粧っ気のなかった同級生が久々に会ったら化粧をして綺麗に着飾っていたりなど、自分の知らない所で周りが変わっていってしまうことに恐怖を感じます。 つい最近、年の離れた姉の妊娠事実を知りました。喜ばしいことのはずなのに、最初に抱いた感情は戸惑いや恐怖でした。姉と彼氏との仲がそこまでよくなかったこともありますが、それよりも自分の姉が姉でなくなる事に漠然とした喪失感を覚えました。 姉を独り占めしたいだとか、そういう事ではなく、ただ変わることへの恐怖が非常に強いです。自分は変わりたくない。 このように、人とろくに関わる事もできず、どうしようもない性格なのでこの先不安しかありません。死ぬことを考えてる時は他のことを忘れられるので、今はどうやって死のうか、又、大人になったら死のうと心の逃げ場を作っておく事で生きています。

有り難し有り難し 52
回答数回答 2

老いて死に向かう事

介護の仕事をしています。 そして家では相棒の20歳の猫が弱っていく様を目のあたりのして、 人間も動物も歳をとり身体が思うように動かなくなり肉体的にも精神的にも痛く辛い思いをするように思います。 なぜかはわからないけれど命には寿命があって、皆いずれ死なねばならない。なのになぜ命は、わざわざ苦しみやすく出来ているのか、 脳ミソが、老いて寿命が近くなったら自動的に幸せホルモンのようななにか痛みを緩和させて穏やかになるような麻薬物質でも分泌すればよかったのに(そういうものがあるかもわかりませんが)、なぜそのように進化せず、やはり苦しみがちになるのだろうかと疑問に思っているのです。 また、相棒の猫は確かに20年いっしょに暮らしてきた家族だけれど、言葉を通してなにをしてほしいか、なにが食べたいかを迅速に伝えられない訳だから、きっとひとりぼっちで寂しくて、体も痛かろう、初めて老いて初めて死に向かうのに淋しかろうと、100%助けてあげられなくてすまなくて悲しくて眠れません。 やはり施設で暮らす高齢者の方々も寂しい思いで暮らしているだろうと思います。猫と比べるなと言われるかもしれませんが、同じように思ってしまいます。 道元禅師の生死の巻で、薪と灰の話、 前後裁断があったかと思いましたが、 今の私には死はやはり老いた先にあるもののように思えてなりません。身体の細胞ひとつひとつが活動できなくなった先にある死で、やはり苦しまずにはいられないんじゃないかと感じてしまいます。 あのお話だったか、生と滅にそれぞれ“さきありのちあり”とあった気もしますが、なにか私が今目の前にしているものの解釈のヒントになりそうなのに、いまいち理解ができません。 わかりにくい質問で申し訳ないのですが、ようは、なぜ命は苦しまなければいけないのか、なぜ苦しむのに生まれてくるのか、そしてそれをずっと繰り返してきたはずなのに、脳ミソが苦しみを除外するよう進化しなかったということはやはり必要があっての苦しみなのかしらと素人考えをしているわけです。かといって私の相棒の猫さんが死に向かって1人老いて苦しむのは切ない事です。。。それらが不思議で切なくてならないのです。 自然の摂理だから仕方がない事なのでしょうか?

有り難し有り難し 37
回答数回答 2

死ぬために生ける

初めてこの場所を使うので慣れず間違ってるかもしれません、初めに伝えておきます、すいません。 なぜこの考え方に行き着いたかハッキリとは分からないけれど、自分の親友の付き合っていた彼女が16.17歳の時に自殺で亡くなり、それにとても責任があると重く考えた自分の親友が鬱病と診断されました、毎日死にたい死にたいと悩んでいました、その度に自分は何度も何度も励まし慰めて 男2人一緒にクリスマスも過ごしたりしました笑、しかしどれだけ一緒に遊んで楽しんでも彼の思い(決意?)は変わらないように思えました、それでも変わらずにいたのですが、その数ヶ月後に彼女と同じ死に方を選び自殺をしてしまいました。彼の母親から連絡を貰った時は何故か冷静でいれました。それはやっぱり自分が19年間生き てきた中で1番分かり合えた人間だった からかも知れません。 そんなことがあってから 死とは何か、生きるとは何か、特に自殺とは何かを考えるようになりました、でも、まだまだ未熟な自分には分かりっこありません。しかし時間が経つにつれて自分の中にあった死にたいがまた現れ始めました。 自分はハッキリとは覚えてないけど、小学校低学年の頃から行きたい願望はなく死にたい欲?がありました。 小学2年生の時に、喉の手術を受け数ヶ月?入院しましたその頃から勉強に全くついていけず、宿題に手をつけませんでした そのせいなのか元々そうだったのかは覚えていないんですけど宿題をしないと義理の父親が怒って何回も何回も殴られた記憶があります、怒っている時に目をちょっとでも逸らすと殴られた。 また兄弟で楽しく遊んではしゃいでいる時もうるさいと言われ殴られまくりました、 母親が止めてくれた覚えは全然なく家では自分の居場所がなく思えていました。 学校でも自分が太っていた為その事で虐められたりハブられたりされて、本当に死にたかったです、毎日毎日マンションのベランダに立ち飛び降りようか泣きながら悩みました、けど、そんな醜い人間のために自分が死ぬのはおかしいと思い踏みとどまって今まで数十年生きてきました。 けれどもう我慢の限界なのかも知れません 自称大人や人間が大嫌いな自分が唯一分かり合えた親友も居なくなり耐えれ無くなってきました。どうすればいいのでしょうか、分かりません、もうそろそろ1000文字になっちゃうのでやめようと思います。長文失礼しました。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

お坊さん33秒法話ピックアップ