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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 仕事 死にたい」
検索結果: 4237件

お坊様について

以前よりお世話になっています。 ニックネームを変更しました。 家族が他界してから毎日お務め、花、茶水、お供えと自分なりに供養してきました。 これまで5人のお坊様とお世話になりました。(実際にお会いした) それぞれ個人的な考えや思い、派の違いにより仕方がないことかも知れません、違うところが言動にあります。1人のお坊様は色々な勉強を幅広くされたのか、お話はとても立派なのですが、そのお言葉を自ら覆す行動をします。 細かい内容は言えませんが、色々と矛盾を感じ、お寺に伺いにくい状態になり、別のお坊様にも法事に来ていただけない状況です。 今年の法事は菩提寺の住職が他県から来ていただき、なんとか両親、先祖の供養ができました。 仏教とは、御坊さんとは、供養とは…何が本当なのか分からなくなり、段々と仏壇のお務め、供養もいい加減になりつつあります。 最近は若い方も気軽にお寺の門をくぐれルように、お寺カフェや座禅、説法、写経や癒しを求めてお寺巡り、朱印本など流行りつつあり、高野山1300年のPRもよく見かけます。お寺や神社巡りが趣味と言う若い方々もいます。 一方、無信仰だから、山や海に散骨する方、墓仕舞いして樹木葬等、普通に家代々のお墓に入る人も減っているとか。と言うことは檀家さんも減ると言うことですね。 大変失礼ですが、葬式坊主なる葬式業者数社と契約?して、葬式ばかりして儲けるお寺もあると聞きました。 5人のお坊様のうち4人にとって私は檀家でなく、業者の紹介やあるお寺の催しで出会っただけで、特に大きな収入源にもならず、どうでも良いのかも知れませんし、中には若いお坊様もいますが、頭でっかちの知識先行型なのかもしれません。 これも私の受け取り方一つなのかもしれません、お坊様に対するイメージが固まっていて、そのイメージと違うから違和感なのかもしれません。 当然、お坊様も人間、修行の身であり完全完璧でないことはわかります。ただ法事で頂いたお経は本当に、亡き家族のためになっているのか、六道の話を伺いましたが、畜生界、地獄に落ちていないか、毎日、お務めすることで両親、先祖のためになっているのか疑問が沸きます。 それまでは完全に仏教を信じ、お務め、供養が仏となった家族のためと信じきっていました。 今は半信半疑、これから供養を続けていく自信が無くなりました。

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疲れました。助けて下さい。

親の子育ては失敗ですよね? 子供の頃は親から 「お前はどうせ何をやってもダメなんだからやめろ、諦めろ」 「なんでこんな事もできないの?」とか言いまくって褒めてくれた事なんてないのに いざ自立してから 「やれる事は全てやってからだ、全て諦める人生になるぞ」「もう30才で大人なんだから、しっかりしてよ」 と言われます。 確かに私は社会常識のないクズですけど あんたら親が幼少期の人格形成に重要な時期に自尊心の育たない子育てとしつけばかりしてたから 私みたいな人間が育ったんだよ、お前らのせいじゃんと思います。 小さい頃親に悩み事や弱音を言うと頭ごなしに否定され怒鳴られるばかりで、 具体的なアドバイスをもらった事がありません。 小学校低学年で親に何をいっても無駄と言う考えになり、それが対人関係にも影響しお陰で人に頼るとか、相談するとか甘えるとか、悩みを自分の中で溜め込み 社会に出てからホウレンソウが出来ず苦労しました。 幼少期の実家は掃除もしてないので散らかり放題。 キレイな家が当たり前と言う感覚がないので、 一人暮らしの今でも掃除や整理整頓が苦手です。 私は両親のデキ婚の子です、妊娠当時両親にどんな背景があり出産したかわかりませんが まともに子育て出来ないなら産んで欲しくなかった。人生あと数十年生きるのがばからしい。 結婚は無理なので、動物が昔から大好きでペットを家族にお迎えしたら私の生活も少しは変わるでしょうか。 でも、 私に飼われるペット達がなんだか可哀想なのであとは自殺か何か消える方法を教えて下さい。

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悟りと解脱、輪廻転生について

こんにちは。 これだけこのサイトにお世話になりながら、悟りについて良く考えた事がありませんでした。私の考え含めて質問させていただきます。 仏教の入門書だとよく「修行の完成」→「悟りを開く」→「輪廻の苦海から解脱」と解説されています。 しかし自分はこの解脱と言うか、輪廻転生が今一つピンと来ません。 生前や死後については無記とするのがお釈迦様の真意に近いと思うし、 輪廻とは一種の比喩と考えるのが適切と思うからです。 実際、輪廻を考えると色々と矛盾が生じます。 例えば虫の輪廻転生。一生無心に鳴き続けるセミ等に「善行」「悪行」などあるのでしょうか?善行を積んだセミが高次の存在に転生し悪行を積んだセミがさらなる悪趣に落ちるのだとしたら、誰がそれを判定するのでしょうか? そのような超越的な存在(判定者の類)は仏教では否定されるのではないでしょうか? となると、悟りも輪廻転生を前提にしている限り、よくワカラナイものになってしまいます。 悟った覚者は転生せず、凡夫が転生する・・・のでしょうか? だとしたら悟ったかそうでないか判定者がいる事になります。 (ここでまた超越的な判定者の問題にぶつかります。) 悟りによって体質と言うか、魂(?)の質が変わるとでも言うのでしょうか。 じゃあ輪廻とか死後が無記なら、結局「悟り」て何なの?って話になって 頭の中ぐるぐるで何だかよくわかりません。 こんな考えって戯論でしょうかね? お考えを教えて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 85
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