2年前に、友人が病気で亡くなりました。 他の友人も交えて仲が良かったので、友人(以下A氏)が友人が亡くなった(亡くなった友人はB氏)3ヶ月後位に、B氏の母親に電話で、「B氏にお線香をあげたい」と言ったら、B氏の母親は「辛いので来ないで欲しい」と言われました。 A氏と2人でやり取りして、B氏の母親にお花とB氏が元気だった頃の写真と寄せ書きを送りました。 B氏の母親は喜んで「ありがとうございます。B氏の横(納骨していなかったので骨壷)に置いておきます」という電話を頂きました。 それからB氏の母親と寒中お見舞いなどでやり取りするようになり、今年になって「B氏のお墓まいりに一緒に行きましょう(一周忌でお墓に納骨した)」という手紙を頂きました。 B氏が亡くなって2年経って、B氏の母親とお墓まいりに行きました。 墓石にはB氏の名前が書いてあり、B氏の母親は「B氏はここにいるよ。今日はお友達が来てくれたよ」と話しかけていました。 私よりも先に、B氏の母親とお墓まいりに来たA氏は「A氏はまだ居ると思ったけど、お墓を見て死んだと実感した」とB氏の母親に言ったそうです。 私はお墓を見ても、B氏の死を実感出来ず、B氏の母親からA氏の言ったことを聞いて、ただ涙が出ました。 お墓を見れば、B氏の死を実感すると思っていましたが、実感するどころか、死を信じられず、「この中には別の人がいるのではないか」とも思いました。 お墓を見ても、その方の死を実感出来ないというのは、まだB氏の死を受け入れていないのかも知れません。 このような気持ちでお墓まいりをしたことは、B氏やB氏の母親にとって、失礼になりますか? 宗教について知識不足ですが、お坊さんの視点からお答え頂けると幸いです。
つい先日、父が亡くなりました。 病気が発覚した時には既に進行した状態だった為、闘病生活は一年半にも満たなかったと思います。 覚悟はしておいた方が良いと他の方に散々言われてきてはいましたが本人は「大丈夫だからね」と弱音も吐きませんでした。 スマホの検索履歴を見ると、自身の病状についてたくさん調べてあって、本当は辛かったんだろうな……と考えると辛くて仕方がありません。 学校へ送ってくれたのも、料理を作ってくれたのも、何か欲しい物があった時「良いよ」と言ってくれたのも、「すごいね」と褒めてくれたのも、もう二度と無いんだなと考えてしまいます。せめて私が成人するまでは生きていてほしかったな……。 コロナの影響で面会にも行けなかった事も、少しだけ退院した時に全然会話ができなかった事、「治るんだろう」と思い込んで心配の言葉をかけられなかった事、後悔もたくさんあります。 父の死への向き合い方、立ち直り方を、教えてください。お願いします。
タイトル通りです。 20歳の娘の希死念慮(死にたいという気持ち)や自己破壊的な行動に悩まされています。娘は幼少期からあまり人前で話すことがなくまた早生まれもあってか何事も少し遅れていました。初めての子ということもあり周りと違う娘に対し常に「このままでは駄目だ」「もっと話せるようにしないと」などと厳しく育ててしまいました。そして私は知らずしらずのうちに娘を否定するような言葉を投げ掛けていました(これは後に娘から言われ分かりました。私は所謂「毒親」なんだと思います。)そんな中でも成績はいつもビリから数えた方が早かったですが真面目ではあったしなんとか高3まではとくに問題もなくやってきたのですがクラスメイトとのいざこざをきっかけに娘の言動が少しずつ違和感のあるものになっていきました。クラスで孤立し突然教室で泣き出したり廊下で暴れてみたり、、スクールカウンセラーにお世話になっていた時期もありました。発達障害の検査もしましたが結果はグレーゾーンとも言い切れないという感じでとくに治療などはせずにそのまま卒業、進学先は県外で専門学校。ところがその専門学校でも半年経たずに女同士のいざこざからまた孤立し学校も休みがちになりました。見た目もかなり変わり一人暮らしの部屋は片付けることもなく荒れ放題、、夜中に電話をしてきて「もう駄目だわ、何もうまくいかない」と言ってきたこともありました。そしていつの間にか娘はキャバクラで働くようになりました。男の方が一緒にいて楽だという娘は男性とばかり一緒にいるようなりました。でもすぐに飽きられて捨てられる、、何もかも信じられない人間不信になったと言いもう自分なんてどうでもいいんだ、と親に隠れて風俗で働くようになりどんどん生活は荒みました。今年の夏にアパートを引払い家に戻らせましたが数日前に部屋で死のうとしました。夫と私と娘と救急で精神科に行きました。ひとまず落ち着いた様子ですが次の受診日に果たして受診してくれるのかそれまで生きていてくれるのか不安や心配や不甲斐なさや複雑な気持ちで押し潰されそうになってます。医師には診断をつけられはしませんでしたが「複雑性PTSD」の話はされました。今後、私は子供の為に何が出来るのか、子供は回復するのか不安で堪らない半面自分のメンタルが崩壊しないかとも正直思っています。自分の育て方が悪かったことは子供に謝りました。
初めて質問させていただきます。 私は死にたいと思いながら25年経ってしまいました。 毎日目が覚める度に『死にたい』と思い、幸せな時期は『幸せなうちに死にたい』、辛い時期は『辛い。もうヤダ死にたい』と考えてしまいます。 子供の頃からのことなので最早これが当たり前ですし、子供の頃や二十代前半の頃は何度か行動に起こした事もありましたが、いつも失敗してしまいます。 そうこうしているうちに無気力な大人になってしまったので、惰性で様々なものに依存しながらただ時間を過ごしています。 こんな事を言うのは不謹慎極まりないのは自覚してるので言葉にするのは初めてですが、自分で死ぬより、事故や事件、病気で死を迎えるのを待つ毎日です。 最近、死にたいと毎日思うことは異常だと認識しました。 僧侶の皆さんは死にたいと思うことはありますか?また、もし思うような時にはどうやってその思いを断ち切りますか?
今年の2月に19歳の猫と、8月に11歳の猫が 旅立ちました。 19歳の猫は老衰で亡くなりましたが、11歳の猫は、体調を崩してから3週間であっという間に亡くなってしまいました。 今でも、この猫に対しては後悔ばかりしてしまい、本当に辛いです。 もっと早く気づいたあげていれば、死ななかったのではないか、違う病院に連れて行っていたら、助かったのではないか?と自分の判断が間違っていたのではないかと悔やんでばかりいます。 最後はわたしの腕の中で息を引き取りました。 いつまでも悲しんでいてはいけないとは分かってはいるのですが、もっと可愛がってあげたかった、もっと美味しいご飯を食べさせてあげたかったと悔やんでばかりいます。 どうしたら、気持ちに区切りをつける事が出来るのでしょうか? よろしくお願します。
昨年主人が仕事中に倒れ、亡くなりました。心臓が原因の即死でした。その日の朝は普通に会社に行ったのに、もう一生帰って来ません。話もできません。 何が何だか分からず半年が過ぎました。葬儀通夜、事務手続きも多忙でしたが、ここのところ落ち着いてきて、今が1番悲しいです。主人には何でも相談してきました。2人でのドライブがとても楽しかった。私はこれから何を楽しみに生きていったら良いのでしょう。主人はあんな死に方をして後悔していませんか?家を建てる話もしていた矢先にこんな事になり、悔しいです。辛いです。 私の周りには気持ちを相談できる人がいません。 仕事は淡々とこなしているのでもう、大丈夫だと思われているようです。 今、私の気持ちは全然大丈夫じゃないです。
先日24年飼っていたオカメインコが空に帰りました 最後の2日間一時も人と離れたくないと縋る彼をお腹に乗せて一緒に眠りました 仕事が休みだったので日中もずっと抱っこしてました 最後の日私が仕事に行っている時に母の手の中で逝きました 歳を取って病気がちになり何度も病院にいき薬も嫌がらずに飲んでくれました 彼も寿命を燃やし尽くして死に私も出来ることは全てやったと思っています でも頭では冷静な位理解していても心がどうしても彼を求めて苦しいのです 毎日涙が出ます これは自分の執着心であることも解っているのですが… どうしたらこの気持ちを落ち着かせらせるのか とりとめのない内容で申し訳ありません
私は今大学4年生です。親や祖母がいつか死んでしまうという事実が恐ろしく、不安で仕方ありません。ずっと思っていたことなのですが、今日両親と会って余計にその思いが強く、辛くなって相談致しました。 親は高齢出産だったもので、平均まで生きたとしてもあと20数年です。しかし、母は大病をしていて、1年や2年で死んでしまうというわけではないのですが、そう長くも生きられない可能性が高いそうです。父も生活習慣の面から長生きは難しいだろう、という感じです。 私は両親が大好きで、心の支えであり、いなくなってしまうことを考えると涙が止まりません。祖母に関しても同じで、恐らく両親よりも早く死んでしまうのだと思うと悲しくて仕方がありません。最近は、「私を置いていかないで。一緒に連れて行って」とまで思ってしまったり、いずれ来る別れが辛く、もういっそ自殺してしまおうかとも考えるのですが、その考えが最も親不孝なのは分かってはいるのです。 大学4年生つまり22才で、良い大人になって何を言っているんだ、弱い奴だ。と思われるかもしれません。しかし恐ろしいものは恐ろしくて堪らないのです。どのように考えていけば良いのでしょうか。
先日、最愛の母を癌で亡くしました。 癌だと判明してからたった二ヵ月足らずで逝ってしまいました。 本人には事実を告げられないまま… 本人も治ると…必ず治す!というつもりで頑張っていました。 人は誰しも自分の『死期』は分かりません。 自死の方は別かも知れませんが、皆さん『納得のいく死』 が出来るわけも無いし、そもそも死にゆく事に本人も家族も 『納得』や『覚悟』なんてそう簡単には出来ません。 殆どの人が『無念』な思いで逝くのではないでしょうか? やり残した事、言いそびれた事、気になっている事… 色んな思いを抱え、それらが『後悔』や『恐怖』となって 本当に『辛く』『悲しく』時には『怒り』となって たった一人で心細く無念に旅立っていくのではないでしょうか? そんな『無念』な思いで旅立った魂は、本当に 心安らかに『成仏』が出来るのでしょうか? 残された家族が一番心を痛める事… それは どんなに辛かっただろう どんなに無念だっただろう どんなに怖かっただろう… 話が出来たら、どれだけ辛かったか聞きたい… 今、どう思っているのか聞きたい… でもそれが出来ないから苦しいのです…。 教えてください。 自分が『死んでしまう』とは思ってもいないのに 治そうと、治ると思って頑張っていたのに 何の心構えも準備も出来ていないまま 人生を終わりにしなくてはいけなくなった時 人はどんな事を思うのでしょうか? 四十九日までは、魂はこの世に居ると聞きますが どんな気持ちで、どこでどのように 過ごしているのでしょうか? そんな事ばかり考えて、辛くてたまりません…。
私は今年の3月で大学を卒業し、新社会人になりました。 ですが、新型コロナの影響で仕事もまだ始まっていません。 学生時代は進学、卒業、就職という目標があり、それが私の生きる意味でした。 しかし、学生生活を終えてしまった現在では、特に目標もなく、正直、いつ死んでもいいと思っています。 恋人も23年間出来たことがないし、恋人も欲しいとは思いません。 また、浅い付き合いの友人ばかりで、SNS中心の社会にも疲れています。 行きたかった国や場所も学生時代に行きました。 将来やってみたいことはありますが、金銭的に挑戦が難しいし、そもそもあと70,80年も生きたいとは思えません。 私はこれから何のために、誰のために、生きればいいのでしょうか。
こんにちは。 私は現在海外の大学に留学しています。小学生の頃からの夢でした。頭のいい高校や大学に進学するためにずっと習っていた英会話を辞めて受験英語を勉強したり、海外への留学プログラムなどを諦めたりして入った高校で私は精神を病みました。結局退学して、4年かかったけど最後には通信制の高校を卒業しました。そしてついに海外の大学に合格して、現在も日本を離れて勉強しています。やっと私の人生を楽しめるとさえ思いました。将来は作家になりたいんです。 そんな矢先に母が乳がんになりました。正月に帰省した時にそう告白されました。その時は私が海外で頑張ることで母を勇気付けることになると自分に言い聞かせて飛行機に乗り、また日本を離れました。 でも夜中になると目が覚めて、目がさめると不安でどうしようもなくなってしまいます。朝が来ても不安で、また夜になっても母の事が心配でたまりません。時差があってなかなか連絡するタイミングが合わなくて、それでも合間を見つけては電話をします。電話越しで少し体勢を変えるだけで体が痛いと辛そうにしている母を見て、私は留学なんか辞めてすぐに日本に帰るべきだと思いました。母にも 「出来ることなら一緒にいたい」と言われました。分かっているんです。私は日本に帰るべきなんだ。 でも。夢を諦めて、現地で出来た友達や好きな人のことも諦めて、病気の母の元に帰って、もし母が死んでしまったら私には何が残るのだろう。最終学歴は通信制の高卒、自分で終わらせようとしている留学生活への無念などしか思い浮かびません。だからすごく無理矢理な考え方かも知れないけれど、なんだか死ぬしかない気がしてしまうんです。全部諦めて母まで死んでしまったらきっとどうにかなってしまうから、その前に死んでしまいたいんです。
時折、無性に死ぬことを渇望してしまいます。 何より周囲に迷惑がかかるし、 してはいけないことだと理解しているのでしませんが、 幼い頃から何かと死にたがってしまいます。 死がとても魅力的に見えるのです。 昔は情動豊かすぎる子供だったので、 死んでやるー!と短絡的な気持ちで自殺する構えをしたりしていたのですが(本当にクソガキですね)、 最近はとても自然な誘惑のように思えるのです。 死ぬことで全てが完結する、とでも思っているのでしょうか。 とても救いのように思えるのです。 ですが、何か嫌なことがあるたびにいちいちこのようなことを考えていては、 時間の無駄であるし何よりますますダメな人間になっていくことも分かっているので、 (おそらく逃げ道として死を魅力的に思っているのだと思います。) この感情との付き合い方を知りたいです。 もしも完全に無くす方法があればお聞きしたいですが、それは自分自身の問題である気がするので…。 どうかご意見をお聞かせください。 よろしくお願いいたします。
私は家計的に仏教とは縁があり。 お坊さんの思想をとても信頼していまして、以前からこのサイトを自分自身の励みとしています。 まず私の人生を話しさせていただきます、以前縁あって地下アイドルをしていました、某AKBなんてメジャーな運営ではないので、日の目を見ることはほとんどありませんでした、それでも僅かなファンを大事にしてまいりました。 その活動の傍ら私は男になりたいう性同一性障害に苦しむようになりました、自分の求める容姿になれない、輪郭も骨格も、男になり切るには無理があると周りから言われても諦めず叶わぬ夢を追い、そのストレスの反動でたくさん親やメンバーに悪態を吐きました。 性別を変えるためには膨大な費用がかかり我が家の財産では到底無理でした、毎日苦い思いに泣く日々、鏡を割ったり死のうとするのは日常茶飯事でした。 学校もろくに行かずに3年程アイドルを続けて、そろそろ将来やべぇ、って思いました。 アイドルを辞めて、高校受験をしました、今では無事入学し、文学と生物学の勉強をしてそれなりに充実しております、見た目も男と女の中間だって、半端だってそれが自分なのだから受け入れよう、妥協したっていいじゃないかと思うようになりました。 そんなある日、何気なく死後について考えました。 死んだ後はどうなるんだろう。 思い出の服、大切な友達や家族との記憶、大好きな歌、憧れの人のことを全て忘れてしまうのかな。 やってきたこと全て無駄になるの?。 死にたくない、生きたい、ずっと生きたい。 あれだけ死ぬことばかり考えていたけれど、今度は生き続けるために画策しなければならないなんて、あぁ、なんて皮肉。 記憶は脳が作ってるから死んで脳が焼かれたらおしまい、あの世って考え方は死への恐怖をなくすための御伽話なのかな。 あの世があっても転生して魚や牛になって食われるのは勘弁だよ。 そのために今は自分なりの徳を積んでいます、散々私がいじめた親に恩返しをしています。 死への恐怖、なくなりますかね? あと人は死んだらどうなるのですか? 人格が変わってしまいました、興味と欲望と生きる気力がなくなりました、かと言って死にたくもないのでただ存在しています、死を気にしない溌剌とした自分に戻りたいです。 死という概念に囚われずに輝く同年代が少し羨ましく思えます。 今私が見えているものは灰色の世界です。
ここにくるまで時間がかかりました。 以前から希死念慮はあります。仕事をやめて二ヶ月経ちました。些細なことすぎるかもしれませんが人間関係で悩んだことがきっかけです。 労働そのものが嫌なのではなく 働かなければならないと思っても また同じような目にあうかと思うと前に進めていません。 半月ほど前に 初めて娘に話しました。希死念慮という言葉は使いませんでしたが そういう思いがあることは言えました。仕事に就かず家にいることに不信感はあったと思うので打ち明けましたが 娘は責めるでもなく静かに聞いてくれました。娘に負担を与えてしまったかもしれません。 今の状態を抜け出したい気持ちが起こると焦りや死ねたらいいのにと思います。 死ぬ気でやれ や 死ぬ気になれば何でもできる とは 本当に確実に死ねるのならできると思います。でもできないので苦しいのです。 傷つかない今のままでいたいけれどどうにかしなければいけないのだろうと思いながら生活しています。こう思うことが甘えなのでしょうか。わかりません。
数年前に、家族を自死で亡くしました。 原因はうつ病でした。 一時、残された家族はどん底まで突き落とされましたが、 穏やかな日々を送れるように、前向きに頑張っています。 それでも、数年経った今でも「○○(私や他の家族)のせいでこうなった」と家族から言われる事があります。 精神的に不安定なのが理解できますので、 何も反抗する事無くその発言を聞き入れ、じっと耐えています。 精神科の受診も勧めましたが、気が進まないのか今まで行った事はありません。 なるべく刺激しないよう、あまり連絡はとっていませんが、間違った行動を起こさないか、いつも心配です。 どのように接していけば良いでしょうか。
タイトルにあるような質問を、自殺志願者の男性に言われて答える事が出来ませんでした。彼は、彼女と一緒に死ぬと言ったまま音信不通になりました。あれから、彼に言われた問いが、私の中に残っています。お坊さんだったら何と答えますか?
昨年、兄が突然他界しました。以前から糖尿病や心臓などの問題があると聞いていましたので、それが原因だったようです。私は現在アメリカに住んでいます。父は3年前に他界しました。父はアルコール中毒でしたが、私が中学高校大学中、お酒は完全に絶っていましたが、定年退職後、飲みはじめ、長い間病院で生活していました。何かあると、母が兄に連絡し、兄が助けていました。両親、兄、私の関係は、いい状態とはいえませんでした。会話のあまりない家族でした。しかし、兄は私のことを心配し、何かあると助けてくれていました。兄は結婚し子供がいましたが、子供が小さいとき離婚し、それ以来子供に会っていませんでした。元の奥さんは、変な宗教にはまり、離婚後も、私の家族といって、実家に立ち寄っていました。そのたびに、母の血圧が上がり、こまっていました。私が、兄と、その元奥さんの間に入って、必要な連絡(ほとんどが理解できないこと)を兄に伝えていました。でも、兄が死んだとき、母と私は、兄が、中学の時の同級生だった女の方と10年以上も暮らしていたことを知りました。私は、前から感づいていたのですが、それを知って、ほんとうに兄が一人でなくてよかったとうれしく思いました。今年に一度帰省するようにしていますが、そのたびに、少しの時間ですが、兄は私と旦那(アメリカ人)と一緒に食事してくれました。おととしの12月の帰省のときに兄にあって、その後新年の2月に突然兄は他界しました。私は電話中で、その電話を切った直後に母から電話があり、兄が死んだ、と告げられました。何も考えずに飛行機のチケットをとり、日本にかえりました。涙は、まだ全くでません。お葬式には間に合いませんでした。それ以来、母のことが心配で、不安でしかたありません。母は3年前に脳梗塞で倒れましたが、奇跡的になんの後遺症もなく助かりました。毎日今、スカイプで2回連絡していますが、母が何かの用でスカイプに出れないとき、心臓がどきどきしてパニック状態になります。今朝、兄の元の奥さんから思いもかけずメールが届きました。その奥さんからのメールで、また心がパニック状態になったりします。いつも、毎朝兄と父に手を合わせて、母のことを守ってくれるよう祈っていますが、とても不安で不安でしかたありません。これも人生、流れにまかせるしかない、とわかっていますが、むつかしいです。つらいです。
ちょうど一ヶ月前に母を癌で亡くしました。 僕の場合は特に罪悪感が強く、母の元気な時は結婚もせず、孫の顔も見せれず、病床で寂しがっていた時も 付き添ってやらなかった(付き添おうと思えば出来た) そして、最後も看取れず・・ 怖さと孤独と寂しさの中で逝かせてしまった・・という罪悪感に毎日毎日かられて、それを思うと、母が可哀想で可哀想でたまりません。 一人っ子なので、今は母のいなくなった家で 一人寂しく暮らしてます。 特に一人で晩ご飯なんか食べていると、寂しくてたまりません。 あぁ・・ 母もきっと 最後はこんな孤独の中で逝ったのかな・・って思ったりもして。 もうどうしようもないことはわかってます。 でも なんで一人で逝かせた? 付き添おうと思えば、いくらでも付き添えたのに・・ 叫ぶほどに寂しがっていたのに・・・ 寂しさは時間が癒してくれるかもしれませんが、この罪悪感だけは 一生もので、僕が死ぬまで背負っていかなければいけないような気がしてます。 母の性格なら『終わったことはもういい これから頑張れ』と言ってくれてるように思います。 ただそれは僕の勝手な気持ちであって、未だに寂しい気持ちの中で彷徨っているかもしれない・・・ でも、それも今となっては教えてもらえず・・・ 『寂しい・・』 『家に帰りたい・・』 逝く前の母親のこの叫びが、僕の胸をえぐります とても苦しいです。 とにかく 寂しさの前に、今は罪悪感が非常に強くて 毎日、胸を痛めて、なかなか前を歩く一歩が踏み出せない現状です。 母親がまだ元気な頃は、あ~だこ~だ言ってお世辞にも大切にはしていなかったのに、いなくなって初めて、寂しい・・可哀想・・もう一度だけで良いから逢いたい・・ 今に思えば、僕の結婚、孫の顔ももうとっくに諦めていたはずだし、横になりながらTVを見ているような毎日で、母親はいったい何が楽しみで生きていたんだろうな・・と考えたり。 こんなことを、母親がいなくなってから想っている自分勝手な息子です。 僕のおふくろが死んだなんて、まだ信じられないです。 やはりこの罪悪感は親不孝物の代償でしょうか? 一生背負って生きていかないといけないものでしょうか? 是非、意見を聞かせてください。 辛さのあまり自分の命も絶つことも考えました。 でも、結局は生きていくしかなく・・・
私は現在生後4ヶ月の娘を育てている新米ママです。 妊娠中の悪阻は産後の今も治ることなく毎日苦しいです。つわりが苦しすぎで馬鹿な考えだと思いますが、自殺を考えてしまう程です。 精神疾患もあり、どうしても1度悩み始めると抜け出せず、自殺を考えてしまうのです。 また、なにかこの悪阻は本当は病気なのではないかと考えると私はその病気にちゃんと立ち向かえる自信がありません。毎日辛い治療はいやです。 なにもかも辛いこと考えると自殺を考えてしまいがちなのですが、死ぬのが怖くてたまりません。 死後の世界はホントにあるのでしょうか。 虚言癖が私にはあり、地獄行きだと考えると怖くて仕方ありません。 最近、大切な叔父さんがなくなり余計に死後の世界に不安を抱いています。 言葉にまとまりがなく申し訳ありません。
どうやって生き続けていったらいいのでしょうか。 希死念慮、自傷行為、自分自身をぐちゃぐちゃにしたい気持ちが抑えられません。 お風呂にも週1-2回しか入れなくて、人間として最低限のこともできません。情けないです。身だしなみも食べることにも興味をもてません。 弱い自分にも嫌気がさしています。 昔から精神的に落ち込んでは少し回復してを繰り返しながら、年々その折れ線グラフが下降していきます。生きていてもいいことはありません。なぜあの時死んでしまわなかったのかと以前に何度かあったチャンスを活かせなかった後悔ばかりです。生き続けても数年後にやっぱりあの時がチャンスだったのにと思う未来しか想像できません。 前世の業を返す今世を全うできないのだとしても、阿弥陀様がお迎えにきてくださるなら自死も悪いものでないように思います。