hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「 死 死にたい」
検索結果: 3506件

友人の死を受け入れていないのでしょうか

2年前に、友人が病気で亡くなりました。 他の友人も交えて仲が良かったので、友人(以下A氏)が友人が亡くなった(亡くなった友人はB氏)3ヶ月後位に、B氏の母親に電話で、「B氏にお線香をあげたい」と言ったら、B氏の母親は「辛いので来ないで欲しい」と言われました。 A氏と2人でやり取りして、B氏の母親にお花とB氏が元気だった頃の写真と寄せ書きを送りました。 B氏の母親は喜んで「ありがとうございます。B氏の横(納骨していなかったので骨壷)に置いておきます」という電話を頂きました。 それからB氏の母親と寒中お見舞いなどでやり取りするようになり、今年になって「B氏のお墓まいりに一緒に行きましょう(一周忌でお墓に納骨した)」という手紙を頂きました。 B氏が亡くなって2年経って、B氏の母親とお墓まいりに行きました。 墓石にはB氏の名前が書いてあり、B氏の母親は「B氏はここにいるよ。今日はお友達が来てくれたよ」と話しかけていました。 私よりも先に、B氏の母親とお墓まいりに来たA氏は「A氏はまだ居ると思ったけど、お墓を見て死んだと実感した」とB氏の母親に言ったそうです。 私はお墓を見ても、B氏の死を実感出来ず、B氏の母親からA氏の言ったことを聞いて、ただ涙が出ました。 お墓を見れば、B氏の死を実感すると思っていましたが、実感するどころか、死を信じられず、「この中には別の人がいるのではないか」とも思いました。 お墓を見ても、その方の死を実感出来ないというのは、まだB氏の死を受け入れていないのかも知れません。 このような気持ちでお墓まいりをしたことは、B氏やB氏の母親にとって、失礼になりますか? 宗教について知識不足ですが、お坊さんの視点からお答え頂けると幸いです。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

「死にたい」という娘について

タイトル通りです。 20歳の娘の希死念慮(死にたいという気持ち)や自己破壊的な行動に悩まされています。娘は幼少期からあまり人前で話すことがなくまた早生まれもあってか何事も少し遅れていました。初めての子ということもあり周りと違う娘に対し常に「このままでは駄目だ」「もっと話せるようにしないと」などと厳しく育ててしまいました。そして私は知らずしらずのうちに娘を否定するような言葉を投げ掛けていました(これは後に娘から言われ分かりました。私は所謂「毒親」なんだと思います。)そんな中でも成績はいつもビリから数えた方が早かったですが真面目ではあったしなんとか高3まではとくに問題もなくやってきたのですがクラスメイトとのいざこざをきっかけに娘の言動が少しずつ違和感のあるものになっていきました。クラスで孤立し突然教室で泣き出したり廊下で暴れてみたり、、スクールカウンセラーにお世話になっていた時期もありました。発達障害の検査もしましたが結果はグレーゾーンとも言い切れないという感じでとくに治療などはせずにそのまま卒業、進学先は県外で専門学校。ところがその専門学校でも半年経たずに女同士のいざこざからまた孤立し学校も休みがちになりました。見た目もかなり変わり一人暮らしの部屋は片付けることもなく荒れ放題、、夜中に電話をしてきて「もう駄目だわ、何もうまくいかない」と言ってきたこともありました。そしていつの間にか娘はキャバクラで働くようになりました。男の方が一緒にいて楽だという娘は男性とばかり一緒にいるようなりました。でもすぐに飽きられて捨てられる、、何もかも信じられない人間不信になったと言いもう自分なんてどうでもいいんだ、と親に隠れて風俗で働くようになりどんどん生活は荒みました。今年の夏にアパートを引払い家に戻らせましたが数日前に部屋で死のうとしました。夫と私と娘と救急で精神科に行きました。ひとまず落ち着いた様子ですが次の受診日に果たして受診してくれるのかそれまで生きていてくれるのか不安や心配や不甲斐なさや複雑な気持ちで押し潰されそうになってます。医師には診断をつけられはしませんでしたが「複雑性PTSD」の話はされました。今後、私は子供の為に何が出来るのか、子供は回復するのか不安で堪らない半面自分のメンタルが崩壊しないかとも正直思っています。自分の育て方が悪かったことは子供に謝りました。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

親が死ぬのが怖いです。

私は今大学4年生です。親や祖母がいつか死んでしまうという事実が恐ろしく、不安で仕方ありません。ずっと思っていたことなのですが、今日両親と会って余計にその思いが強く、辛くなって相談致しました。 親は高齢出産だったもので、平均まで生きたとしてもあと20数年です。しかし、母は大病をしていて、1年や2年で死んでしまうというわけではないのですが、そう長くも生きられない可能性が高いそうです。父も生活習慣の面から長生きは難しいだろう、という感じです。 私は両親が大好きで、心の支えであり、いなくなってしまうことを考えると涙が止まりません。祖母に関しても同じで、恐らく両親よりも早く死んでしまうのだと思うと悲しくて仕方がありません。最近は、「私を置いていかないで。一緒に連れて行って」とまで思ってしまったり、いずれ来る別れが辛く、もういっそ自殺してしまおうかとも考えるのですが、その考えが最も親不孝なのは分かってはいるのです。 大学4年生つまり22才で、良い大人になって何を言っているんだ、弱い奴だ。と思われるかもしれません。しかし恐ろしいものは恐ろしくて堪らないのです。どのように考えていけば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 89
回答数回答 3

納得のいく死

先日、最愛の母を癌で亡くしました。 癌だと判明してからたった二ヵ月足らずで逝ってしまいました。 本人には事実を告げられないまま… 本人も治ると…必ず治す!というつもりで頑張っていました。 人は誰しも自分の『死期』は分かりません。 自死の方は別かも知れませんが、皆さん『納得のいく死』 が出来るわけも無いし、そもそも死にゆく事に本人も家族も 『納得』や『覚悟』なんてそう簡単には出来ません。 殆どの人が『無念』な思いで逝くのではないでしょうか? やり残した事、言いそびれた事、気になっている事… 色んな思いを抱え、それらが『後悔』や『恐怖』となって 本当に『辛く』『悲しく』時には『怒り』となって たった一人で心細く無念に旅立っていくのではないでしょうか? そんな『無念』な思いで旅立った魂は、本当に 心安らかに『成仏』が出来るのでしょうか? 残された家族が一番心を痛める事… それは どんなに辛かっただろう どんなに無念だっただろう どんなに怖かっただろう… 話が出来たら、どれだけ辛かったか聞きたい… 今、どう思っているのか聞きたい… でもそれが出来ないから苦しいのです…。 教えてください。 自分が『死んでしまう』とは思ってもいないのに 治そうと、治ると思って頑張っていたのに 何の心構えも準備も出来ていないまま 人生を終わりにしなくてはいけなくなった時 人はどんな事を思うのでしょうか? 四十九日までは、魂はこの世に居ると聞きますが どんな気持ちで、どこでどのように 過ごしているのでしょうか? そんな事ばかり考えて、辛くてたまりません…。

有り難し有り難し 31
回答数回答 2

諦めるくらいなら死にたいんだ

こんにちは。 私は現在海外の大学に留学しています。小学生の頃からの夢でした。頭のいい高校や大学に進学するためにずっと習っていた英会話を辞めて受験英語を勉強したり、海外への留学プログラムなどを諦めたりして入った高校で私は精神を病みました。結局退学して、4年かかったけど最後には通信制の高校を卒業しました。そしてついに海外の大学に合格して、現在も日本を離れて勉強しています。やっと私の人生を楽しめるとさえ思いました。将来は作家になりたいんです。 そんな矢先に母が乳がんになりました。正月に帰省した時にそう告白されました。その時は私が海外で頑張ることで母を勇気付けることになると自分に言い聞かせて飛行機に乗り、また日本を離れました。 でも夜中になると目が覚めて、目がさめると不安でどうしようもなくなってしまいます。朝が来ても不安で、また夜になっても母の事が心配でたまりません。時差があってなかなか連絡するタイミングが合わなくて、それでも合間を見つけては電話をします。電話越しで少し体勢を変えるだけで体が痛いと辛そうにしている母を見て、私は留学なんか辞めてすぐに日本に帰るべきだと思いました。母にも 「出来ることなら一緒にいたい」と言われました。分かっているんです。私は日本に帰るべきなんだ。 でも。夢を諦めて、現地で出来た友達や好きな人のことも諦めて、病気の母の元に帰って、もし母が死んでしまったら私には何が残るのだろう。最終学歴は通信制の高卒、自分で終わらせようとしている留学生活への無念などしか思い浮かびません。だからすごく無理矢理な考え方かも知れないけれど、なんだか死ぬしかない気がしてしまうんです。全部諦めて母まで死んでしまったらきっとどうにかなってしまうから、その前に死んでしまいたいんです。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

死に対する矛盾と疑問

私は家計的に仏教とは縁があり。 お坊さんの思想をとても信頼していまして、以前からこのサイトを自分自身の励みとしています。 まず私の人生を話しさせていただきます、以前縁あって地下アイドルをしていました、某AKBなんてメジャーな運営ではないので、日の目を見ることはほとんどありませんでした、それでも僅かなファンを大事にしてまいりました。 その活動の傍ら私は男になりたいう性同一性障害に苦しむようになりました、自分の求める容姿になれない、輪郭も骨格も、男になり切るには無理があると周りから言われても諦めず叶わぬ夢を追い、そのストレスの反動でたくさん親やメンバーに悪態を吐きました。 性別を変えるためには膨大な費用がかかり我が家の財産では到底無理でした、毎日苦い思いに泣く日々、鏡を割ったり死のうとするのは日常茶飯事でした。 学校もろくに行かずに3年程アイドルを続けて、そろそろ将来やべぇ、って思いました。 アイドルを辞めて、高校受験をしました、今では無事入学し、文学と生物学の勉強をしてそれなりに充実しております、見た目も男と女の中間だって、半端だってそれが自分なのだから受け入れよう、妥協したっていいじゃないかと思うようになりました。 そんなある日、何気なく死後について考えました。 死んだ後はどうなるんだろう。 思い出の服、大切な友達や家族との記憶、大好きな歌、憧れの人のことを全て忘れてしまうのかな。 やってきたこと全て無駄になるの?。 死にたくない、生きたい、ずっと生きたい。 あれだけ死ぬことばかり考えていたけれど、今度は生き続けるために画策しなければならないなんて、あぁ、なんて皮肉。 記憶は脳が作ってるから死んで脳が焼かれたらおしまい、あの世って考え方は死への恐怖をなくすための御伽話なのかな。 あの世があっても転生して魚や牛になって食われるのは勘弁だよ。 そのために今は自分なりの徳を積んでいます、散々私がいじめた親に恩返しをしています。 死への恐怖、なくなりますかね? あと人は死んだらどうなるのですか? 人格が変わってしまいました、興味と欲望と生きる気力がなくなりました、かと言って死にたくもないのでただ存在しています、死を気にしない溌剌とした自分に戻りたいです。 死という概念に囚われずに輝く同年代が少し羨ましく思えます。 今私が見えているものは灰色の世界です。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

兄の死

昨年、兄が突然他界しました。以前から糖尿病や心臓などの問題があると聞いていましたので、それが原因だったようです。私は現在アメリカに住んでいます。父は3年前に他界しました。父はアルコール中毒でしたが、私が中学高校大学中、お酒は完全に絶っていましたが、定年退職後、飲みはじめ、長い間病院で生活していました。何かあると、母が兄に連絡し、兄が助けていました。両親、兄、私の関係は、いい状態とはいえませんでした。会話のあまりない家族でした。しかし、兄は私のことを心配し、何かあると助けてくれていました。兄は結婚し子供がいましたが、子供が小さいとき離婚し、それ以来子供に会っていませんでした。元の奥さんは、変な宗教にはまり、離婚後も、私の家族といって、実家に立ち寄っていました。そのたびに、母の血圧が上がり、こまっていました。私が、兄と、その元奥さんの間に入って、必要な連絡(ほとんどが理解できないこと)を兄に伝えていました。でも、兄が死んだとき、母と私は、兄が、中学の時の同級生だった女の方と10年以上も暮らしていたことを知りました。私は、前から感づいていたのですが、それを知って、ほんとうに兄が一人でなくてよかったとうれしく思いました。今年に一度帰省するようにしていますが、そのたびに、少しの時間ですが、兄は私と旦那(アメリカ人)と一緒に食事してくれました。おととしの12月の帰省のときに兄にあって、その後新年の2月に突然兄は他界しました。私は電話中で、その電話を切った直後に母から電話があり、兄が死んだ、と告げられました。何も考えずに飛行機のチケットをとり、日本にかえりました。涙は、まだ全くでません。お葬式には間に合いませんでした。それ以来、母のことが心配で、不安でしかたありません。母は3年前に脳梗塞で倒れましたが、奇跡的になんの後遺症もなく助かりました。毎日今、スカイプで2回連絡していますが、母が何かの用でスカイプに出れないとき、心臓がどきどきしてパニック状態になります。今朝、兄の元の奥さんから思いもかけずメールが届きました。その奥さんからのメールで、また心がパニック状態になったりします。いつも、毎朝兄と父に手を合わせて、母のことを守ってくれるよう祈っていますが、とても不安で不安でしかたありません。これも人生、流れにまかせるしかない、とわかっていますが、むつかしいです。つらいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

母親の死

ちょうど一ヶ月前に母を癌で亡くしました。 僕の場合は特に罪悪感が強く、母の元気な時は結婚もせず、孫の顔も見せれず、病床で寂しがっていた時も 付き添ってやらなかった(付き添おうと思えば出来た) そして、最後も看取れず・・ 怖さと孤独と寂しさの中で逝かせてしまった・・という罪悪感に毎日毎日かられて、それを思うと、母が可哀想で可哀想でたまりません。 一人っ子なので、今は母のいなくなった家で 一人寂しく暮らしてます。 特に一人で晩ご飯なんか食べていると、寂しくてたまりません。 あぁ・・ 母もきっと 最後はこんな孤独の中で逝ったのかな・・って思ったりもして。 もうどうしようもないことはわかってます。 でも なんで一人で逝かせた? 付き添おうと思えば、いくらでも付き添えたのに・・ 叫ぶほどに寂しがっていたのに・・・ 寂しさは時間が癒してくれるかもしれませんが、この罪悪感だけは 一生もので、僕が死ぬまで背負っていかなければいけないような気がしてます。 母の性格なら『終わったことはもういい これから頑張れ』と言ってくれてるように思います。 ただそれは僕の勝手な気持ちであって、未だに寂しい気持ちの中で彷徨っているかもしれない・・・ でも、それも今となっては教えてもらえず・・・ 『寂しい・・』 『家に帰りたい・・』 逝く前の母親のこの叫びが、僕の胸をえぐります とても苦しいです。 とにかく 寂しさの前に、今は罪悪感が非常に強くて 毎日、胸を痛めて、なかなか前を歩く一歩が踏み出せない現状です。 母親がまだ元気な頃は、あ~だこ~だ言ってお世辞にも大切にはしていなかったのに、いなくなって初めて、寂しい・・可哀想・・もう一度だけで良いから逢いたい・・ 今に思えば、僕の結婚、孫の顔ももうとっくに諦めていたはずだし、横になりながらTVを見ているような毎日で、母親はいったい何が楽しみで生きていたんだろうな・・と考えたり。 こんなことを、母親がいなくなってから想っている自分勝手な息子です。 僕のおふくろが死んだなんて、まだ信じられないです。 やはりこの罪悪感は親不孝物の代償でしょうか? 一生背負って生きていかないといけないものでしょうか? 是非、意見を聞かせてください。 辛さのあまり自分の命も絶つことも考えました。 でも、結局は生きていくしかなく・・・

有り難し有り難し 13
回答数回答 1