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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗教 」
検索結果: 2701件

仏教団体の慈善活動について教えてください

先日は相談にお答えいただきありがとうございました。 ところで、皆様にお伺いしたいのですが、仏教系の組織・団体で慈善事業・活動をされているところはあるのでしょうか?また、私のような特定の宗派の門徒・檀家ではない一般人が参加できるような活動をされているところはあるのでしょうか? というのも、現在、とある本の影響で始めたのですが、少額ですが毎月一定額を募金して、貧しい国の子どもたちを支援する、というのやっております。これは、キリスト教系のNGO団体が行っている活動で、かなり昔から行われているとのことで、ここなら信頼出来ると思って始めました。 もちろん、貧しい人、困っている人を少しでも助けられるのであれば、どこの組織だろうと宗教だろうとそんなことは問題ではないとは思います。しかし、自分の宗教観に合う組織を通して募金が出来るのであれば、その方がいいなとも思います。 ちなみに、私は、実家が浄土真宗(本願寺派)の門徒で、個人的にも幼い頃から慣れ親しんだからか、浄土真宗が親しみやすいです。と言っても、これまで何かの活動に参加したという経験は全くありません。毎月、祖父の月命日にお坊さんがお経をあげに来てくださるのを、後ろで正座して聞いていたくらいで、あとは本で詠んだ程度の知識しかありません。 皆様には、特定の組織・団体について発言されるのは、お立場上難しいこともあるかもしれませんが、参考になるサイトなど自分で調べる方法をお教えいただければと思います。よろしくお願い致します。

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就活2年目、いなくなりたいです。

読んでいただきありがとうございます。 去年大学現役の頃、民間で就職活動をし、失敗して今年は公務員試験を受けました。 結果はほとんど面接で落ちてしまっている状態です。まだ受けるところはありますが、自信がなく、辛いです。 色々なところでこういったことを相談すると、「就活は縁だから」「(私)さんを採用しないのもったいないよ」と慰められます。 慰めてくれるのはありがたいことですが、「縁だから」というのは引っかかります。民間でも何十社も受けて縁がなく、公務員試験でも受けられる分は受けて縁がなく…… 元々鬱になっていて通院しているせいもありますが、まるで「この世に縁がない」と言われている気分になり、いなくなった方がいいのかなと思います。 「就活ごときで…」と思われるかと思いますが、今の日本社会で生きていくには働くことが必須です。その中で働くことに縁が結べないなら、やはり社会から必要とされず、いなくなった方がいいと感じられます。(海外で働く手もあるという話や、小説家などのアート面で活躍することを提案する方もいますが、わたしにはそれはできません、金銭的にも、才能もないので) 私はなぜこの世に生まれてしまったのでしょうか?もし意味などなくても、なぜこんなに苦しいことしか起きないのでしょうか? 私は宗教学を大学で学んだこともあり、自殺の各宗教の扱いも知っています。しかし…ここまで酷い扱いを受けるとそれすら視野に入れたくなってしまいます。 ここ(現世)でやりたいことは沢山あります。死にたくありません。しかし、自分の立場、社会的身分が安定しない以上、やりたいことの何にも近づけなく、ただ自分と同世代の人がやりたいことをやって、私が欲しいものを手に入れているのを指を咥えて見ていることしかできません。 宗教学で学んだ、四苦八苦の中の求不得苦とはまさにこのことなのでしょうか それでもあまりに辛いです。 あまり相談になっていなくてすみません。これからどうキャリアを積んでいくか、それをアドバイスしていただいても大丈夫ですし、何か仏教的観点からアドバイスをしていただいても大丈夫です。 とにかくいま、孤独です。何かご返信をいただきたいです。

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ゲイ(同性愛)・バイセクシャルを仏教は否定しますか?

過激なゲイのイメージや運動には正直共感できないのですが、ごく「普通」のゲイの友人がいます。社会的に他人に迷惑をかけず一市民としてのルールを守り社会的責任を果たしている以上、そのひとの人格もなにも見ずにただゲイだからという理由で否定されることには疑問を感じています。日本の社会ではまだまだ偏見も強いと聞いたのですが、仏教界ではどうなのでしょうか。 宗派問わず、一般的に日本ではどうなのかという質問なのですが、一部キリスト教やイスラムで弾圧されがちな同性愛(Abominationと強い言葉で否定されることもありSinだとされたり、一部イスラムの国では迫害をうけ罪人として投獄・殺されることも)は日本における仏教界ではどのように考えられていますか? 1.教義(仏教の教えという点からは肯定否定されているのか)、 2.現状(理論などとは別に実際にはどうなのか、仏教界に受け入れられている例などあるのか)、 3.個人的には、ひとりの人間・ひとりの僧としてどう思われるか。(どうあるべきだと思われるかも教えていただければ嬉しいです) 4.もしも1-3の質問にて否定される理由がある場合は、なぜ、否定されるべきなのかを教えて下さい。本当に率直な意見をお聞きしたいだけなので、どんな意見でも参考になりますので(世界にはたくさんの意見があってしかりなので)正直な意見を聞かせていただければとても嬉しいです。 5.日本の社会でまだまだ偏見があるというのは、なにが一番の問題なのでしょうか。ゲイのひとを現実に身近に知らないからおこる偏見なのでしょうか。 NB: 性同一障害などの医学的な病気ではなく、ここでの対象は、 ゲイ=女性・男性を問わず同性のひとのみが恋愛対象、 バイ=性別関係なしにどちらもパートナーとして恋愛対象となる、 という意味で、見かけ・態度・人種・国籍・その他諸々では区別がつかず、どこにでもいる普通のひとをさしています。(いわゆるラブパレードなどでみるような過激な服装の下品なイメージのゲイではなく、ファッション的・ゲーム的なものや、AVなどで表現されるような歪んだゲイの対象は別なので除きます)

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「である」ことと「信じる」こと

アルボムッレ・スマナサーラ氏の『ブッダ ー大人になる道』(ちくまプリマー新書)の第2章についての質問です。端的にまとめると、著者の主張は自己矛盾ではないかというものです。 著者はまず科学について批判的に検討します。 『科学はすべてを調べているわけではないので、常に発展途上です。(中略)科学は決して最終的な知識ではないのです(p.69)』 他の宗教や哲学についても同様です。 『宗教家と古代の哲学者は、データを調べてから結論を出すのではなく、最初に結論を出して、無理にデータをそれに合わせるという方法を取りました(p.72)』 これらの主張にはおおむね賛成です。私の専門に引き付けても耳の痛い批判ですし、だから仏教に興味を持ったのです。ここから著者は仏教的な方法論について述べた上で、ブッダの教えは「最終的」であり(p.69)、「普遍的」(p.76)だと結論づけます。 しかし、こうした著者の批判は、著者自身に対してもブーメランのように成り立つのではないでしょうか。どのような論拠から※ブッダの教えは最終的で普遍的だと説明するのでしょうか。「今のところ反証されていないから」では不十分です。また、仏教も時代とともに枝分かれし変化しつつあります。仮にこれを「完全に無知で、頑固で頭が悪い(p.88)」大人が真理を理解する能力を失ったように、信徒のみならず僧侶にもブッダの教えを解しえない者が増えてきたからだ、と説明するとしたら、それこそ結論先行というほかないでしょう。 ここには、「私(著者)はブッダの教えが絶対的・普遍的に正しいと信じる」「ゆえにブッダの教えは正しい」という(著者にはあまりに自明であるゆえの?)隠れた飛躍があるように思えてなりません。ですが、こうした考えが正しいとはいえないこと、すなわち「である」ことと「信じる」ことが別の次元に属することは、著者自身が次のように指摘しています。 『「私が思う、ゆえに正しい」というやり方が人間の大きな間違いなのです(p.134)』 長くなってしまいましたが、質問です。この著者の考えを矛盾なく理解するための方針と私の誤解の在処について、何かアトバイスを頂けないでしょうか。 ※「仏教は絶対的で普遍的である」かどうかは、ここで問題にするつもりはありません。

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様々な思想の中でどの道に進めば良いのか

こんばんは。 以前に質問させて頂きましたが、またこちらで質問させて頂きます。 私は現在、社会人をしながら様々な哲学や思想について勉強してきました。 勉強をする理由は、様々な思想がある中で、真理(正しいこと)を知りたい、あるいは自分の納得できる考え方を見つけたいと強く思ったです。 そして、これまで学んできた中で、仏教の考え方(特に空の思想)が最も真理に近いものだと考えるに至りました。 これ以上は、学問ではなく座禅などの修行をしないと真理は分からないと思っています。 しかしながら、修行の道に踏み出すことにもためらいがあります。 理由としては ・社会人としての現実の生活があり、それを捨てて修行の道に入ることは現実から逃げているのと同じではないかと考えること。 ・出家して何かしら悟りのようなものを開いたとしても、後の生活がつまらないもののように予測してしまうこと。 ・仏教の教えが一番真理に近いものだと思うが、自分が惹きつけられる思想が他にあり、そちらの教えの方が自分が納得できるのではないかと考えること。 (具体例 三島由紀夫から西部邁先生に連なる保守主義、フライトからラカンに連なる精神分析、キルケゴールやカントなどの実存主義的哲学、大本開祖の出口王仁三郎に代表されるスピリチュアリズム) これらの理由があり、様々な思想のどれにも惹きつけられて、どれかに決めて一歩を踏み出せていないのが現状です。 また、仏教の教えの中でも様々な考え方がありますが、私は最近ご活躍されている南直哉和尚の本に非常に納得させられることが多いです。 特に、この前出版された「超越と実存」という本の中の、親鸞と道元についての文章には深く納得させられました。(どちらも、超越的存在を排除しつつも、実存を受容するための思想として紹介されていました。) しかしながら、批判をする方もいます。 このように、様々の思想の中で混乱しているのが現状です。 お坊さんにお伺いしたいのは、「私の文章を読んでどう思われるか、私はこのままでいいのか、それとも何かを変える必要があるのか」ということです。 現在、28歳ですが、17歳から今までずっとこのような思想的混乱状況から抜け出せていません。 このまま人生が終わるかもしれないと思うと発狂しそうです。 何でも良いので、何かアドバイスを頂けたら幸いです。 よろしくお願いします。

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婚約破棄すべきか……

付き合って7ヵ月の彼31 私30です。 プロポーズを受け結婚直前で彼と彼の実家が日蓮宗の〇〇会に入っている事がわかりました。(創価ではないです) 彼の実家は元々天台宗のお寺で供養しています。 お寺さんも大事にしています。葬儀とかも天台宗でやっているそうです。 その他に自分達で先祖供養のために日蓮宗の〇〇会に義母が入ったそうです。 朝、夕に先祖供養のお経をあげる… この間この件で話し合いました。 ◎結婚したら私が嫌がれば新居に仏具やお経はあげない。あげる時は実家にいくから大丈夫。 ◎子供は入る入らないは20歳まで決めない。本人が決める事。 ◎私に入会を強要しない。1度入会寸前までいきましたが断わりました。 ◎義母、義姉夫婦の味方ではなく私の味方。 ◎彼自身は退会する気はないそうです。 自分も先祖供養(曾祖父さん、曾お祖母さん)したいとの事。 ◎彼はそんなに熱心ではないです。仕事柄時間が合わなくてお経あげられない時は好きな時間にあげているそうです。 義母とも話し合いました。 本当にごめんね。と謝れました。 義母は私がしたいようにしていいと言ってくれています。 本当に家で先祖供養しているだけだから。との事。 本当に彼の事は好きです。 どうしたらいいのかわからなくなっています。 日蓮宗の〇〇会に理解した方がいいのでしょうか? 私が頭が固いのでしょうか? 私の家は高野山真言宗です。 ご意見お聞かせください

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信仰の異なる恋人との結婚

今の恋人との関係で悩んでいます。 大学生同士で、恋人は私のことを大切にしてくれており、このまま結婚したいと言ってくれています。私も彼の人柄はもちろん好きですが、結婚となると踏み切れません。 それは彼がクリスチャンだからです。祖父母の代からということで、生まれたときから教会とともに生きているようなおうちで、教会つながりの人間関係もたくさんあります。 他方、私の家は今どき珍しいほど古い慣習を大事にする家で、例えばお正月は年末年始の10日間はそれぞれやることが決まっていてお着物で本家に挨拶にいくような家です。それを窮屈だと思うことはありますが嫌だとは思いませんし、このような考えを大切にしたいと思っています。 恋人関係はほぼ当人同士のみの関係ですが、結婚は家同士の話だと思います。彼は、私は改宗する必要もないし例えばお正月の礼拝も嫌なら来なくて構わないと言ってくれます。しかし私は嫁に行くという立場ですから、そんなことをして相手方がいい気分になるわけもありませんし、私自身も居心地が悪いだろうことは想像できます。 また彼の話にたびたび教会の人間関係の話もでてくるので、それらに関わらなくてはいけないであろうことや、もし子供が生まれたらその子には幼児洗礼を受けさせるのか(私は無宗教論者なので嫌ですが彼は希望しています)など、彼がクリスチャンであることでいろいろな懸念がうまれています。 その他は、こまごまありますが、私を大切にしてくれる素敵な彼です。 私は結婚もしたいし子供もほしいですが、今後の環境は出会いの機会は多くないので、もしうまくいかないなら今のうちに結婚を見据えたお付き合いに切り替えるべきなのかとも思います。 私は考えすぎなのでしょうか?

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霊魂の存在を否定されるお坊さまへのご質問

 こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。  こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。  素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。  実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。  このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 168
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