最愛の母親の四十九日でした、、
投稿は3回目ですが、最愛の母親の四十九日法要終えたところでした、、
去年の11月11日に緊急入院してわずか約2週間後の29日に永眠してしまってから時間がまだまだ進むのが遅く感じてます、、
末期の大腸癌からの腹膜炎併発で余命数日と宣告されて生きた心地がしないまま看病してきました。
本人には告知できずずっと手を握りしめて涙浮かべてた母親、、最後の数日前ギュッと握り返してくれた反応、、
未だに頭から離れず悲しみが溢れかえってきます、、
四十九日法要をお寺に遺骨と位牌遺影持参してお経してもらったのですが、住職がお経唱えてる間、自分はずっと遺影に想いを込め続けて見つめていました。
その時不思議な体験をしました。
遺影の後ろに花瓶で生けてある百合の花がバサッ!と音を立てたんです、、
風もないし、完全な本堂の閉め切った中で、、
お母さんが挨拶してくれたんだと自分はそう受け取りました、、
涙がとめどなくとまりませんでした、、
これでようやく先祖の元にたどり着いたんだね、、ゆっくりと見守ってくれるんだねって、、
普通はあんなタイミングで沢山生けてある花瓶の百合の花がバサッと大きな音立てる事はないから、、、お母さんがちゃんと伝えやすい方法でやってくれたんだねって、、
自分の事より常に家族の心配第一に考え日々を過ごしてくれた母親、、
84歳でもユーモア溢れる優しさに満ちた性格で、片足不自由なまま生きてきた母親を常に自分は側で支えてきました、、
買い物や、遊びに出かけさせるのも車に乗せて常に母親を楽しませてあげたい想いで仕事頑張ってきました、、
いつも母親は、こんな年寄りといつも一緒に行動してくれてありがとね、、ほんとなら若い子と遊びに行きたいやろうに、、って、、
自分は全くそんな事思いませんでした、、自分が幼少から母親の壮絶な苦労を見てきてたので早く大人になって常に守って楽しませてやるんだ!って、、母親が喜んでくれるならどんな苦労にも耐えてきました、、
それだけ密接な家庭で歩んできたので、母親の存在の偉大さがなくなった今、すさまじい悲壮感と空虚感の反動が続いてます、、
母親の為にも自分の残り人生幸せに歩んでいかないとって思いはわかるんです、、母親の元へ自分も後追いたいとか変な気も常にあり続けてますが、そんなのも悲しませるだけってわかります、でもとにかく今は悲しい、、
有り難し 12
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