約2年前、まだ2歳の愛犬を一時的な感情で殺してしまいました。 父母や友人には突然死したということにして火葬をしお骨を持って、家に一緒に帰ってきました。 殺してしまった理由は、愛おしかったはずの愛犬の存在がいつの間にか自分の人生で邪魔な存在として捉えるようになり、もう育てきれないと感じていたので里親に出すことも考えましたが、家族に反対されたため、もうどうしたらいいかわからずパニックになったからです。 私がイライラして愛犬に何度当たっても、いつも全力で私の存在を喜び、尻尾を振り構って構って、と近づいてくる子でした。 亡くなったとわかったとき、自分でしたことなのに、愛おしかった存在の死に悲しくてこの世の終わりのようで、涙が止まらずなぜあんなことをしてしまったのか後悔という言葉では片付けられないほどで、一日中泣きわめきました。 これから一生かけて償っていきます。 愛犬に恨まれることもわかっています。 この先の人生、私に殺された愛犬と同じ苦しみ、それ以上の苦しみや痛みを感じて生きていくことも覚悟しています。 私はこれからどう生きていくべきでしょうか。
度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。
現在大学生四年生です。ふとした瞬間に人は死んだらどうなるのかなと考え込んでしまいます。 死んでしまったら、今のわたしの意識は消えてしまいますよね。だとしたら今頑張っていることも、それを感じる意識がないのですから無駄なことになるのではないでしょうか。 わたしは、わたしが消えてしまうことがとてもこわいです。最近こんなことを考えてばかりで、がんばろう!と思っても、すぐ「頑張っても死んだら関係ないよなあ」と思ってしまい、怖くなって何もできなくなってしまいます。 恥ずかしいことに現在就活がうまくいっておらず、本当ならもっと努力をしなければならないのに、無意識にそこから逃避しようとしてこんなことを考えてしまうのかもしれません。 今考えなくていいことを考えてしまい頑張れない自分が情けないです。この悩みに区切りをつけて、また頑張れるようになりたいです。 破茶滅茶な文になってしまいすみません。
私の祖母は、昨年の今頃、家で転んでしまい、足の骨を折ったきり寝たきりで入院しています。もう一年以上、入院生活を送る祖母はもともとボケていましたが、今やほとんどなにもわからなくなってしまいました。そんな祖母ですが、お見舞いに顔を出すと、ここから出してくれ助けてくれと最近言うようになりました。 たとえボケているとはいえ、やはり入院しつづけるのは辛い精神状態の様です。今では鼻から栄養入れている状態で、たぶんこのまま家には帰れないと思いながらも大丈夫だからここにいて休んでねと声をかけるのはとても辛いです。 それを見ていたら生きるってこんなに辛いんだなぁと思いました。死ぬ事も辛く怖い事ですが、生き続けることもまた辛いのではないでしょうか。なんだか生きることも死ぬこともすごく怖いような気がしてしまい、私自身もなんとも言えぬ恐怖感を感じるようになってしまいました。祖母になんと声をかけてあげると良いか、死と生きることへの恐怖の乗り越え方などアドバイスしていただければ幸いです。
49という数字がやたらと目につきます。 ふと見た電子時計の数時、TVの時計の数時、 広告の値段や、色々ありますが49といあ数時ばかり目につきます。 ネットで調べるとエンジェルナンバーでは49という数時は良いいみらしいのですのが、エンジェルナンバーは海外の考えなので日本人の私にはあまり関係しないような気がします。 どうしても49>死を意識してしまいます。 考えによって49>良くと考える人もいますが、 私にはどうしても死と考えてしまいます。 49数時ばかりめにしてから2年くらいたちました。何か悪いとこが起きる前触れとか誰か死ぬとかの虫のしらせなのでしょうか?気にしないほうがいいのですが、気にしてしまいます。
今日も仕事を休んでしまいました。 精神的に辛くて苦しくて限界だったとはいえ、人間として駄目な事をしてしまいました。 弱くて存在価値のない自分が本当に情けないです。 価値のない私は、責められても罵倒されても仕方ないと思います。 私は今すぐ消えるべきです。 こんな私が生きていていいのか、存在価値があるのか分かりません。 私生活も仕事も上手くいかない事ばかりで、生きる希望も何もありません。 希死念慮が強く消えた方がいいとは日々思っていますが、弱虫な私は勇気がありません。 正直、自暴自棄になっています。 支離滅裂な文書でまとまりのない内容で本当にすみません。 どうしたらいいかわからないです。
母が急死して1年になろうとしています。 1年前もここでお世話になり「母が許せない」と吐露してしまいました。 母にとって私は「感情のごみ箱」でした。気に入らないことがあると怒鳴ったり、暴力もありました。亡くなる直前まで近所の人にも私を悪く言っていたらしく、鵜呑みにした近所の人に電話で抗議されたこともありました。 母は父とも不仲で、そして私の兄も気に入らないことがあると警察のお世話になることをしてしまうので(軽度の知的障害)捌け口がなかったのだと思います。 今も許していません。でも気持ちの変化はありました。今考えると母は全てに余裕が無かったのだと思います。なぜそう思ったかと言いますと更年期障害とコロナが教えてくれました。 私は難病を患い癌の経験もあります。きっとそう長くはないでしょう。その上、最近、更年期障害の症状が出てきました。さすがに辛いです。年齢を勘案すると母が私に最高潮に酷い仕打ちをしたのが今の私の年齢ぐらいです。想像するに心身共に辛かったのかなと思います。 コロナの件ですが、見えない敵の前では人は体は勿論のこと、時には心も冷静さを失ってしまう。私は難病を罹患して3年後、癌になり死が現実化したときに自分の弱さに愕然としましたが、私以外の方も「当たり前の日常」が当たり前でなくなったとき、自分の弱さに向き合えず苦しむ方もおられることに気づき、普通の夫と息子じゃなかった母も苦しかったんだろうなと思いました。 そのことに気づいたとき霊を慰めてあげたいなと思うようになりました。 でも出来ないのです。私は実家側に味方が1人もいません。親戚・近所・菩提寺の住職にも「お母さんとお兄ちゃんを苦しめた悪魔」で知られてるらしいですから。←はっきり言われました。 それに兄の成年後見人さんには私の病気のことや、兄が私にしてきたことを理解してもらえず、兄のことを任せようとしてくるので1年前「相続放棄」の書類と「今後私は兄に関わりません」と一筆書いて送ってしまったので、実家には近寄れません。 命日の日の出ギリギリに実家の近くまで行こうかなと思いましたが、自分の身体が頑張れる自信がありません。私が出来ることは「辛かったね。ゆっくり休んでね。」と母の写真に手を合わせることぐらいです。これぐらいで母は浮かばれませんよね。私はどうしたら良いと思われますか?教えてください。
5月に父親を亡くしました。 普通の生活に戻った今頃になって 自分が死んでしまう事に恐怖を感じるようになってきました。 結局死んでしまうのになぜ人は生まれ、生きなくてはならないんだろうと毎晩考え、いつか訪れる自分自身の死に対して怖くてたまらなくなります。 死にたいと言う訳ではなく死ぬ事が怖いです。
「年老いた親の姿は、自分の将来の姿」 某年某月某日、読売新聞の「人生案内」欄で、ある回答者が、こう書いていました。 そうであるならば、もはや私に生きる価値はありません。両親の最期も看取り、さらにその思いは強まりました。 先日、スウェーデンの元パラリンピック選手が、安楽死を選択したというニュースが、流れました。私は、考えさせられました。 11月8日の亡き父、同9日の亡き母の誕生日を前に、墓参りに行きました。お墓に問いかけましたが、答えが得られるわけがないですよね。 「定命」という言葉があります。老醜を晒すのが確実で、生きる価値がないとわかっていても、自ら死期を早めることなく、定命に従うのが筋なのでしょうか?
死ぬのが怖いです。いつ死ぬのかわからないし,あと何年人生があるのかとかもわからないけど,死が怖いです。死後の世界がどうなっているのかもわからないし,とにかく怖いです。人間はいつかは死ななければならないし,親もいつかは死んでしまうとわかっているのですが、死ぬのが怖いです。自分もいつかは死ぬんだなぁとふと思うことがあって,怖いです。一人で夜泣いてしまいます。死は怖いですか?
寝る前に死ぬのが怖いと思ってしまいパニックになるときがあります。 「絶対死にたくない。自分がこの世からいなくなるなんてありえない。ずっと生きていたい」 という感情になります。 結婚していて、夫が死ぬのも嫌だし、自分が死ぬのも嫌で怖くて仕方ありません。 でも、そんなことを考えて毎日過ごして行くのも嫌です。 楽しく笑顔で夫と過ごしていきたいと思うんですが、一人になるとふと死ぬのが怖いから嫌だとなってしまいます。 どのようにすればいいでしょうか?
先日喧嘩した友人のことが許せず、怒りが収まりません。 いろいろと準備が必要な約束をしていたのですが、彼氏を優先され前日の夜にドタキャンされました。それに私が怒ったことに対して友人も怒り、喧嘩になりました。 約束というものの重さや人間関係の優先度に差があることは理解していますが、とても楽しみにしていたし、最近仕事で昇進し疲れ切っていたこともあって、どうしても彼女のことが許せませんでした。 なんとか気力を振り絞ってこちらが悲しかったことも伝えようとしましたが、友人は自分は何が悪いのかわからない、あなた(私)の対応がショックだ、と自分のことばかりで、私がその友人を許せない以上、関係は続けられないのだなという結論になりました。 10年以上の付き合いのある親友だったので、約束を軽く扱われたこと、悲しかったことを伝えてもこちらを一方的に責めてくる姿勢、関係性を保つ努力を彼女がしなかったことが悲しく、怒りがおさまりません。 私は価値観の違う人を必要以上に認めないと指摘されました。わかっていて10代の頃から自分を変えようとしてきましたが、いい加減疲れてきました。 親友を許せない自分を責める気持ちも強くありますが、許せるように変わろうとすることにも疲れてしまって心の行き場がありません。 自分も親友も許せない私はどうしたら良いでしょうか。ご回答お待ちしております。
人は死んだらどうなるのでしょうか? 私の周りの一部の''人は死んだら無になる''と言います。でも私はどうしてもそうは思えません。たしかに死んだら形がなくなってしまいますが、魂は無くならないと思います。きっと見えない姿になって生き続けるのだと思います。そんなのはただの願望ですか?たしかに証拠がないので断定はできません。でももし死後の世界が存在するのなら死を目の前にする(私がそういう状況というわけではありませんが)人々にとってとても心強い支えとなるでしょう。まだまだずっと先のことだとわかっていますが、やはり死ぬのが怖いです。人間は死んだら自然の一部になるという考えが一番現実的だと思いますが、それは科学的なことです。今生きている自分の魂(心)はどこへ行ってしまうのか。死んだら全ての記憶や体験がなくなってしまうのか。もしそうならやはり「死」は人間にとってとてもとても怖いものだと思います。生きるということ自体が死によって無駄(リセット)されてしまう。形がなくても魂が永遠に生き続けるということは本当なのでしょうか??
とても悲しいのです。 私は猫が大好きです。 ですがアレルギーで飼うことができません。 なので、Twitterでかわいい猫を飼っている人をたくさんフォローして、いつも更新を楽しみにしています。 私がとりわけ好きな猫様がいるのですが、その猫様の兄弟が今日、FIPという病気により13歳でこの世を去ったそうです。 人間でいえば82歳。私の4倍以上生きています。 人間も動物も植物もやがては寿命がきて死にます。 それはわかっているのに、わかっているはずなのに、その子の死を受け止められずにいます。 自分が飼っている猫でもないのにおかしな話ですが、涙がずっと止まりません。 胃も痛いです。 その子を飼っていたご主人様が家に帰った時、昨日までお家にいたあの子が今はもういないんだと 悲しくなっている様子を想像しているだけでこちらが苦しくなってきます。 悲しくて悲しくて仕方ありません。 どうしたらいいでしょう…。
こんにちは 6年同棲している彼がいますが、ふと別れが頭を掠める時があります きっかけは1半年前「闘病中の親に、もう使える薬がないんだって。今の医学だと難しいみたい。」と彼に話した時「ふーん、それはしょうがないな。」とぶっきらぼうに言われたことです その言葉にびっくりして「しょうがないって、どういうことなの?」と尋ねると、「しょうがないだろ!俺は病気は治せないんだからどうしようもないだろ!」と言われ一気に冷めてしまいました 寿命が訪れること、誰しもいずれ死が訪れることはわかっているけど、事実は変わらなくても思いを共有してほしかったというぐるぐると駆け巡り、本当に辛く悲しかった出来事でした それまでもなにか相談しても 人間関係→「連絡しなきゃいいじゃん」「俺は知らない」 仕事関係→「辞めればいいじゃん」「俺はわからない」 と、あれ?と思う場面はあったもののそういう人なんだなと割り切ってました しかし、上記の件はさすがに私の持つ「好きな人と支え合って生きていきたい」という価値観と違いが異なりすぎました その後謝る素振りはなく、最終的に話し合いの場を持ち、どう思っていたのか、相手がどう思っているのかを確認して終わりました(いままでは物に当たる・逃げる・黙るで全く話し合いになりませんでしたがその時は強く話し合いを訴えました) 上記のような「相談事」というのを抜きにすれば、一緒に過ごしていて楽しいですし、好きという感情も好かれているという実感もあり、私が違う人の視点が欲しい時は、信頼する友人に相談することでうまくいっています ただ、今後も一緒に過ごすことを考えると人生においては(避けたくても)さらに辛いことや苦しいことが待ち受けていると思います その時に、私は何も相談してくれない(何故かどうしても相談できないそうです)彼を支えられるのか?辛さや苦しさは共有できないのか?互いに支えあえるのか?一緒にいる意味は?友達でもいいのでは? 同時に、愛してくれるのだから、その他は素晴らしい人だから、そんなことも我慢できないのか、私さえ我慢すれば彼も幸せそうだ、(個人的に)ペットと別れたくないなど、、、 なにを相談したいのか自分でもわからずうまく伝えられていないですが、感想やご意見をいただき新しい視点を得たいです 読んでいただきありがとうございます
痛みを伴う難病とわかった後、希少ガン。リンパ転移宣告。高齢なので治療は出来ない。父には癌のことを知らさぬまま亡くなっていきました。亡くなって半年近くになりますが、初盆を終えて、日毎に闘病中にあった事が思い出され、あの時の選択はこれでよかったのかと思い出され精神的にしんどく、不眠と食欲不振。なかなか病院との話し合いがうまく出来ず、もやもやしていました。母弟夫婦、私夫婦で話し合いましたが、弟は母が決めるのが一番。母は痛い思いをしてほしくない。身内の者も、いまさら?など意見が分かれ、病気について、もっと向き合おうと思った矢先、急変し帰らぬ人となった辛かった経緯がありました。 過剰に病気を恐れてしまったのか、高齢の母をもっとサポートしてやれば良かったのか、母より父と性格があっていた私だけに、この気持ちがずっと四六時中頭から離れません。生前、父はいつも悔い無い日々を過ごしていましたので、病気になる寸前までは後悔が無い日々を送っていたと思います。私も一緒にゴルフをしたり旅行もしました。ただ、最期がこんな残念な事になり、この先、私だけ幸せに暮らしていいのかと思うと、胸が苦しくなります。家族も想いが違うので、話す事もできません。こんな私に何か教えをいただければと思います。
約一年前に、主人の母がうつ病で自ら命を絶ってしまいました。 その頃、私自身は妊娠8ヶ月でした。 義理の母は、もともとは社交的で明るく前向きな性格でした。 亡くなる3ヶ月程前から『肩や腰が痛いから外出も出来なくて』と聞いていたので、なかなか実家に遊びに行けない状態でした。 義理の母の性格上、とても世間体を気にする人だったので、うつ病だったと聞いたのは亡くなる2ヶ月前でした。 私自身の父親がうつ病の経験があり、自殺の心配があるというところまでいきながらも、なんとか復活したので、すぐに病院などを紹介すると義理の父に伝えたのですが、『あんまり騒ぐと余計本人が気にするから。通院もしてるし大丈夫』との返答で、定期的に連絡は入れていましたが、それ以上はふれられませんでした。 亡くなる二週間前に『こっちに遊びにくる?』と以前の明るい声で電話があり、会いにいくと、以前のように子供を可愛がってくれ、産まれてくる子を楽しみにしてくれていました。 しかし、二週間後に自宅で夜中に服毒自殺をしてしまいました。後に聞いたところ、義理父に『死にたい』と漏らしていたそうです。 主人の家族はとても仲が良く、義理母を中心に笑いの耐えないごくごく普通の家族でした。 以前に義理母が大病をした際も、義理父と義理兄、兄嫁、主人、私と連携し、支えて乗り越えました。そのぐらい仲の良い家族でした。 義理母の死から一年が経ち、残った家族で支え合いながら、前向きに日々を過ごしているのですが、どうしても拭い去れない気持ちがあります。 一つは、なぜ仲の良い大切な家族がいたのに、残して独りでいってしまったのか。あれだけ孫が産まれることを楽しみにしてくれていたのに、それを待たずいってしまったのかと怒りの気持ちです。思ってはいけないのかもしれませんが、どうしても許せなくなってしまいます。 もう一つは、もう少し何かすべきだったんじゃないか、断られてももっと踏み込んで行ってたら何か違っていたんじゃないかという大きな後悔です。 自分自身の父親の経験があったのに、なぜもっと対応ができなかったのかと、悲しむ主人をみる度に後悔をしています。 どう、気持ちを処理していけばいいのでしょうか?
私は死ぬのが怖くてたまらないのです。病気にも神経質で、ちょっと具合が悪いところがあると、がんとか恐ろしい病気ではないかと、すぐ病院に行ってしまいます。始終死のことを心配していて不安になり、こんなに苦しいなら死んだほうがまし、と矛盾した考えに陥ってしまいます。死んだほうがまし、と考えるのなら、死ぬことは本当は怖くないのかなと、自分の気持ちがわからなくなります。精神的な病気を持っているので、そのせいかもしれませんが、こんな私に、心が平穏になるような、アドバイスを頂けたらと思います。どうしたら、死が怖くなくなるでしょうか?主人は死があまり怖くないといいます。50歳にもなると、死の恐怖は落ち着くと聞きます。それともみんな死が怖いのでしょうか?どうぞよろしくお願いいたします。
私は、うつ病です。希死念慮と毎日闘っています。 退職し、仕事から離れお休みしていたのですが、経済的な事などを考え、内定を頂いたのでまた働きはじめます。 希死念慮が強く、死にたいのに、また生きるために働く、という事が矛盾していて、よくわからないです。 リセットしようと少し遠くの土地で働く事にしたのですが、精神的に不安定なのに大丈夫か不安もあります。 自分の事がよくわかりません。 何のために生きて何のために働くのでしょうか。
親の死と失恋が重なり苦しいです。 前回質問させていただいた者です。 幼少期から家庭不和の中辛い気持ちで育ち、 父が亡くなった今、大人になってから怒りで父へ言い過ぎたことへの懺悔、もっと愛情が欲しかった気持ちなど色々思い出し涙が出ます。 そんな時に彼からメールで一方的に別れを言われました。 父の葬儀から2日後会いご飯を作ってくれていたので、あたたまる、美味しいと言って頂きましたが、父が何も食べられずに亡くなったことを思いため息を付いたら「ため息付かないでや」と冷たく言われました。 慰めて欲しいと言うと「俺は今まで色んなことや人を見てきた、誰か亡くなっても笑っていたいから」と言われました。 ため息付かれたら料理が不味いのかと思うじゃん、と言っていました。 さすがに笑っては過ごせず、ただ慰めて欲しいだけでした。 元々ありがとうやごめんなさいがあまりなく、 バリアを貼ったようなオーラを終日出したり、自己中心的さを感じていました。 彼なりの思いやりがあるはずと、出来るだけ気付くように努めて笑顔を心がけていましたが、合わないんじゃないか、君は気分の起伏があると言われました。 2、3度、嫌な部分や怒ったりしたことはありますが後からメールなどでお詫びとお互い歩み寄ろうとポジティブに伝えていました。 ヒステリックになったり頻繁な小言は言ったつもりはありませんでした。 今回のことも自分の辛かった気持ちとご飯ありがとう嬉しかったと伝えましたが、結局気持ちが無くなったと別れを告げられ音信不通でした。 私は求めすぎだったのでしょうか? 彼も気持ちや感じ方で不満があったんだと思います。まだ3ヶ月だったのでもっとお互いを見て理解を深めたかったことが伝わらず、私は求めすぎで接し方と思考が悪いから幸せになれない結果になるのだと自分を責めてしまいます。 父と似ている人を選んでしまうのでしょうか? やっと自分の人生を切り開いて行けていた時に辛いことが同時に重なり寝込んでいます。 挫けそうです。 皆様のご指摘をお聞きし学びを得たいです。