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hasunoha 問答検索結果 : 「私 お経 」
検索結果: 2697件

今後の人生に光を見出す方法を教えてください。

私は就職活動に失敗したため、来春から実家の寺で尼として勤める予定です。そのこと自体はいいのです。「大企業に勤めて東京や大阪という都会で生きてみたかった」「友人の多くはそういったところで働いていてうらやましい」というような思いはありますが、そこは自分の理想の高さ、プライドの高さが招いた結果であり、大企業に入れたとしても数年後には寺に帰らねばならなかったので我慢できます。しかし、不安で苦しくて仕方ないのはこれからの人生です。今付き合っている人は東京で就職します。転勤の多い職種です。もちろん、寺があるのでついていくことはできません。なので、退職まで単身赴任か、お別れかということになってきます。お別れの場合、私は新しいお婿さんを探さなくてはなりません。ただでさえ、寺に来てくれるお婿さんを探すだけでも大変なのに、私には知的障害の兄がいます。もちろん家族なので兄のことは好きです。しかし、寺に来てくれ、更に私の家族までも受け入れてくれる人はいるのでしょうか。苦しくて苦しくて仕方ないのです。就職や結婚、今ある現実や思い描く未来を考えれば考えるほど苦しいです。また、住職となるには教師資格もいります。そのためにはいくつか方法がありますが、一番簡単なのは別科に行くことだとわかっています。しかし、別科に行く=少し程度の低い大学の敷地に踏み込まなければならないという醜い醜い考えに至ってしまうのです。世間体が良い大学だけが人の全てではないということは重々承知ですし、ましてや今自分が日本一の大学に通っているわけでもない、上の下のような大学に通っている身分でこんな考えを持ってしまう自分が嫌になります。こんな考えを持つ自分が尼になり、檀家の方々に慕われるとも思えません。昔に得度をしただけでろくにお経も読めず、また、女なのでお経を読む声に重みがなく「住職の声はいい声だ」という檀家の方も多いので、自分のせいで檀家離れや収入の減少があると申し訳ないと思います。これからの時代、宗教離れの加速もあり、食べていけるのかと心配です。自分の考えの醜さ、プライドの高さにもとことん嫌になります。どうしたら今後の人生に光を見出すことができますか。

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亡くなった親が子供に憑くことはありますか

去年の4月に祖母が亡くなり、5月に母が病により亡くなり7月には恋人が手術をしました。立て続けに私の周りで悲しいことが起きたため、お祓いに行こうと決心しました。 母方のおばがよく霊に憑かれやすいみたいで、お祓い屋(普通のお家でした)を紹介してもらい1人でいったのですが、2人憑いてるとのことでした。  一人は男性(悪霊)で、その日に祓ってもらいましたが、もう一人は母だといわれました。 霊媒師さんが言うには、亡くなる時の感情や感覚を持ったまま魂になるので、母は自分の身体がないことに気付いてなくて、まだ苦しんで助けを求めて私のところに来ていると言われました。 楽にするには私が毎日声に出して「体はないから楽になっていいんだよ」といってあげてください、もしまた今度見たときにまだいらっしゃったら成仏するお祓いをします。と言われました。(もしお祓いになると、5万円で、時間が3時間ほどかかるということも) 私は早く楽になってほしいので、家族にそのことを相談しましたが、父は「金額提示をしてくるのはおかしい」と、別のお寺にお祓いに行くことになりました。  そこでは親が子に憑くことはないと言われ、20分ないくらいのお祓いで終わりました。 ちょっと早く感じて、これでいいのかな?と心配になり、最初の霊媒師さんに行ったほうがいいのか、どうしたら良いかわからなくなったのでお話を聞ければと思います。 亡くなった親が子供に助けを求めて憑くことはあるのでしょうか? お祓いは場所によってかかる時間もお金もこんなに違ったりするのでしょうか?

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昔人を呪い、今悪霊にとりつかれています

こんにちは。 中学だったか高校の時、人間関係の苦しみから人を呪い、自分の幸せを願いました。 その人は私の願ったとおり怪我をしたり部活が変わったりしました。 私は今夫もいて、いろいろあって彼を好きだけど愛せずにはいます、 しかし、物質的には幸せで、困ることはありません。ある意味幸せをつかみました。 ただ、自分の願ったとおり幸せになったので、怖くなり人に見てもらったところ 低級霊の悪霊と契約してしまっているといわれました。多分神社仏閣などのお祓いでは祓えないといわれました。 もし、カルマをなくしたいなら、ボランティアとか寄付などして見ると少しは軽減されるかもしれないともいわれました。 悪霊は、私の健康と寿命を引き換えに契約したそうで、確かに今私は精神的病と糖尿病を患っており、思い当たるふしがあります。 今はもう呪いもしていませんが、契約は続いているそうです。 どうしたら、この状況を打破できるでしょうか? 一応寄付などはしていますが、ボランティアをやる気力が今はなく落ち込んでいます。 何かそういったものを取り除くお経や方法などありますでしょうか? 呪いをしてしまったこと今とても反省しています。 どうかご教授ください

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何故お布施の額は寺院により違うのですか?

よろしくお願い申し上げます。 先日、父親の葬儀を無事終えました。 浄土真宗です。 いくつか疑問に思ったので質問致します。私の勉強不足で失礼な物言いになってしまっていましたら申し訳ありません。 葬儀の打ち合わせをした際、直接お寺さんにお布施をどれくらいにするかをお聞きしました。 お車代1万(片道車で30分)精進落としは辞退(つまりお膳代1万) 法名付けて30万で結構ですよ。 と仰いました。 結構ですよという文言が気になりました。 お布施は阿弥陀仏に捧げるものなので、金額に不満ということではありません。 全国のお寺さんは集めたお布施をどのくらいご自身の生活に使われて、どのくらいを修繕維持費や拡張費、又は広告費や檀家接待費に割り当てているのでしょうか?それはお寺によりまちまちですという回答はお控えください。どうあるべきかを教えてください。 私個人としてはお布施に各寺院による金額差が出ている時点でおかしいと思っています。 例えば30万のうち20万はどこのお寺さんでも阿弥陀仏に必ずこの額のお気持ちを捧げますという意味で本山などへ送金し、残った10万はお経、説法の勤めと維持費に使いますという約束が欲しいのです。 先日では通夜葬儀含め1時間もいらっしゃったかどうか。荼毘に伏す前にお帰りでした。 葬儀社の方もそれが一般的と仰っておりました。一般的ってなんなのでしょう。 葬儀に伴い、初七日を式の日に合わせて行うことが多いそうですが、言い方がわるいですが、いい加減だなあという印象です。 どうしても仕事が外せないとか、遠方で行けないとかということで日にちを改める事を遺族から伝えることは致し方ないことと思いますが、葬儀社やお寺さんがまとめて法要をすることを勧めたりというのは如何なことなのでしょうか? 不勉強ですが私は霊的にちゃんと日を数えることに意味があると思うのですが、大事なことはそこではないのでしょうか。 四十九日がお盆になるということでその日はずらしましょうと言われました。 宗教は眼に見えず、なかなか体験し難く、自分なりの解釈を得るまでむずかしいですね。 私は無宗派ですが、神仏を習慣ではなくて本質的に大事にしたいと思っておりますので、尚更疑問に思っております。システム化して商売っ気を持ち込んで来ているように思えるお寺さんに対し虚しくなります。 皆様どうお考えですか?

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写経、お礼参りのタイミングについて

お坊さま方には彼岸後のご多忙の中、失礼いたします。 我が家は日蓮宗ですが、この質問は宗派関係ないかと思います。 母が先月、救急車で運ばれ肺癌ステージ4と診断されました。 数ヶ月前に、同じ病院でレントゲンを撮ったにも関わらずです。 母はその時分かってくれてたらと話しました、私も同じ気持ちです。 主治医や家族は、時間がないと諦めモードです。 そんな病院の入院生活の中、母は『もっと生きたい、治療をやってみる』と言いました。 一時意識がなくなってもです。 【写経について質問】 母の本当の願い『もっと生きたい』を叶えて頂けるよう行動の一つとして、写経を始めました。 日蓮宗はあまり写経がなかったのですが、観音経をみつけました。 知っているお寺さんが写経を納めて頂けることも分かりました。 初めて写経を納めて頂くので、分からないことがございます。 ①写経をやっている最中に、誤って手で擦たり筆が触れて汚してしまったものも納めて頂けるのでしょうか? やはり汚れなどないもの、所謂きれいに仕上がったものだけでないと、仏さまやお寺さんに失礼に当たるのでしょうか? 私は20年近く精神病(鬱病)を患っており、なかなか集中力が継続しないながらも時折休みながら(日を跨ぎながらも)、書き始めました。 ②万が一、汚れた写経を納めるのは失礼な場合、それは破棄してよいものでしょうか? 【お参り・お礼参りについて】 母の病で、私はずっと神社やお寺を回りました。 縁の深いお寺には、ご祈祷をお願いしました(遠方で行かれないお寺には郵送で)。 自分の病気のせいか、記憶が定かではないのですが、途中母が意識を失った際に、お願いごとに『母の意識が戻りますように』とも加えました。 当病平癒の場合、病気の症状によってお願いが、少し変化しやすいのです。 ③お礼参りは、母の治療の途中、良くなったらその都度行くべきでしょうか? 私の最終的な願いは『母の本当の願いであるもっと生きたいが叶うように』です。 『もっと生きたい』がどのくらいかは分かりません。 例え5年生存率が数パーセントでも、私の本心は『長く生きてほしい』ですし『治ってほしい』です。 拙い文章で申し訳ございません。どうか3つの質問よろしくお願いいたします。

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神を信じているはずなのに~相談します。

私は神の実在を信じています。でも、各宗教の説く信仰の世界になじめず、ひとりでさまよっています。 私の煩悩は「自殺したい」とか「神よ私を速やかに殺してください」と願うことです。 自殺すると仏教で言う「無間地獄」に堕ちると信じるので、具体的にはあの世で自殺霊・地縛霊になり、救われることはないと信じるため、怖くて実行できません。 そんな人生否定の感情や死後の恐怖から生きるとしたら、なんと消極的で暗い、マイナスの人生観・生活観でしょうか? 私は人生の初期に親から新興宗教の経典を読まされ、神棚の前に正座して「人生は苦悩なり」という経文を唱えさせられていたことが、そもそもの間違いの始まりだったのではないか?と思います。 小学生のころから「人生は苦悩なり」と権威をもって教え込まれるのではなく、夢や希望や「わくわくすること」を追いかけてがんばり、その夢をつかむよう教えられるべきだったのでは?と思います。 小中学校時代、その新興宗教の夏季合宿に必ず参加させられていました。 中学に進学したとき無意識に友達の前で「あ~死にたい!」と口にして嫌われました。そのころそんなことを言う子は一人もいませんでした。 高校時代は「自分は不幸だ」と友達に告げて「じゃあ、なぜ自殺しないのか?」と問われました。 大学時代、変な宗教に強引に勧誘され「早く過ぎ去れ、青春よ~!」という歌を歌わされました。 大学卒業後は自殺未遂をして精神科に入院することになり、絶望のどん底でした。 3年後、父の死をきっかけに退院して新聞配達や肖像画制作をしてがんばり、登山までするようになったのですが、15年ほどで体力が衰え、失職してひきこもりになり、医師の診断通り「統合失調症」ということを受け入れざるを得なくなりました。幻覚も妄想もない統合失調症患者もいるということですが、私もそのひとりなのだと思います。 症状は「疲れやすさ」「意欲の低下」「睡眠障害」の3つです。 神への信仰、医療に頼っていますが、仏教文化も私には必要で、多くの影響を色濃く受けています。「般若心経」「観音経」「白隠禅師和讃」を仏前であげることもあります。CD集『ひろさちやの感動するお経』全8巻も繰り返し聴いています。 障害年金で暮らし、身近に相談相手もいない私は母亡き後果たして生きて行けるのか心配と不安で夜も眠れないほど悩んでいます。

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お布施について

先月末に父が亡くなりました。 お通夜、葬儀でトラブルが発生しており、悩んでおります。 亡くなった父は80代で祖父の長男にあたります。代々のお墓を祖父から継承しておりました。菩提寺は北関東にあります。代々の菩提寺というわけではありません。 祖父の代の時に、父の腹違いの妹がお寺に嫁ぎ、その時にそれまで代々御世話になっていた菩提寺の檀家から抜けて、お墓を移しました。 父は腹違いとはいえ、妹をとても可愛がっておりましたが、母や私は叔母の言葉の端々に父をバカにしたようなところが見受けられていたことから付き合いが遠くなっておりました。きっかけは祖父が亡くなった時に、その遺産を全て叔母が独り占めしたこともあります。父は面倒はごめんだというなりになりました。父自身が働いて建てた家もあり、きちんと家族を養えるという自負もあったのだと思います。 私はサラリーマンとしてきちんと一つの会社に定年まで勤め上げ、誰にも頼らず、住宅ローンを返済し、子どもを大学まで出してくれた父をとても尊敬しています。 父の妹の嫁ぎ先はお寺として裕福なようであり、外車を何台ももったり、海外にしょっちゅういったりと派手な暮らしをしています。そうできない我が家を哀れむような言動が以前からあり、私は叔母やその家族にお寺はそんなに偉くて特権階級なもののようなものなのかと反発しておりました。(勿論、そんなお寺ばかりではないとは承知しております) 問題は父が亡くなった時、叔母は住職である叔父と副住職である息子(私の従兄弟)に通夜や葬儀のお経をあげてもらうといってきました。そのことには依存はありません。 けれども、お布施をどれほど包んだらいいかと叔母に内々で尋ねたら、本山に納める事務手数料だけを負担してほしいということで80万と言われたのです。金額にとても驚きました。その反応から、叔母達は生活保護の人にはお寺で面倒をみてやるから同じようにして欲しいなら、幾らまでなら出せるのかと聞いてきたんです。 私や母はそれが亡くなった父への大変な侮辱に思えました。お経を断れば、納骨も出来なくなるということを承知で断りましたが、結果、父の妹でありながら、通夜や葬儀に叔母は出席もしませんでした。 此で良かったのかと葬儀から1ヶ月が過ぎようとしていますが心が安まりません。お寺では叔母たちのような反応が当然のものなのでしょうか?お教え下さい。

有り難し有り難し 59
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兄が自死したことについてです

5月2日に兄が自死しました。 何年間も連絡をとってなく、特別仲が良かったというのもないのですんなり自分の中で受け入れていたつもりですが、 死後の世界や自死だとどうなるのかが気になってしまい、ずっと調べてしまいます。 ただでさえ自死してしまうほど悩んで苦しんでいたのに、自死は地獄に堕ちるだの現世にとどまるだの救いのない事ばかりでてきて悔しいです。 もちろん、良いことではないですし親不孝者だというのもわかります。 ですが『生きていればいいことがある』『生きてさえいてくれればそれでいい』なんて綺麗事だと思ってしまいます。 兄の人生を歩むのは兄自身です。 その兄が一生懸命たたかって、考えて、悩んで苦しんでだした答えが自死なのに、そんなに間違っていることなんでしょうか? 自死してしまった人にこれ以上、苦しんで欲しくないと願ってしまうのは贅沢ですか? 話は変わってしまいますが、夜や鏡が怖くなってしまい、眠るのが難しくなってしまいました。 兄がみえてしまうんじゃないか、なにか心霊現象なるものが起きるんじゃないかと思ってしまいます。 きちんと心からお祈りして成仏してほしい気持ちと、兄が怖くて怖くてたまらない気持ちが入り交じってしまいます… 火葬場が空いていないため、お経も火葬もまだですが、兄はいまどういった状況にあるのでしょうか? 何が聞きたいのか、なにが言いたいのかまとまってなくてすみません。 とにかく、兄には成仏してもらい、楽になってほしいと願っていますが実際はどうなんでしょうか? また、なぜこんなにも怖いと思ってしまうのかなにかご存知であれば教えていただきたいです。

有り難し有り難し 18
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祖母が92歳で自殺をして苦しいです。

 8年前から施設に入っている祖母が92歳で自殺しました。認知症はないですが、身体が不自由で、施設から這って出て、立ち上がれないから施設の敷地にある低い枝に紐をつけて首を吊ってしまいました。遺書は『おしずかに、おせわになりました』と力強く書かれていました。  ここ2週間で食欲も落ち、血液検査の結果も悪く、病院へ入院する予定の2日前のことでした。  大体3ヶ月に一度くらいはひ孫を連れて会いに行っていた(家から1時間の距離に施設があります)のですが、電話も私からも、祖母からも1ヶ月に一回くらいはしていましたが、私の第二子の妊娠出産(昨年2月に出産)と、その後のコロナ禍の影響で(施設ではコロナで面会禁止が一年続いてました)、1年以上会えていませんでした。  2日後に入院が決まったなら病院の方が施設より面会制限が厳しくないからやっと会えるかも思った矢先の出来事でした。  祖母は若くに夫と息子を亡くし、30年前くらいから死にたいと孫の私にだけこぼしていました。いつもそんなこと言わないでと励ましていました。  ずっと会えてなくて、電話でもすれば良かったのですが、私も二人の子の育児でバタバタして、ワンオペ育児の時も多く、祖母への最後の電話は数ヶ月前でした。母や叔母は週に2回は電話していたようですが。祖母のことを何度も思い出したのに、その時に電話すればよかった、施設玄関の窓越しでも会いに行けばよかった(施設では最近玄関窓越しの面会が許可されたばかりだそうですが、知りませんでした)、と後悔するばかりです。  年賀状に『コロナが落ち着いたら会いに行くから。元気で待っててね!』と書いたのに、待っててはいませんでした。  祖母の携帯は私が契約しました。もう電話しても祖母の声が聞けない、もう会えないのが悲しくてたまりません。自殺を食い止められなかったこと、二人目のひ孫を見せられなかったこと、電話しなかったこと、後悔がつきません。  一連の葬儀で、お坊さんが、四苦八苦、愛別離苦は苦しいもので、お経は生きている人のためにあると言ってました。後悔と寂しさで辛いです。  仏教的な考えで、私は何か救われますか?近所のお寺に駆け込んだら救われたりするのでしょうか?おばあちゃんは幸せだったのでしょうか?今は辛い思いをしていないでしょうか?

有り難し有り難し 12
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死後みんな仏さまになって同じ世界に生きるのでしょうか

私の父は僧侶をしていました。 真宗の小さなお寺で、職業とは別で兼業していました。 でも、父は酔うと人に暴言を吐いたり、よそで女の人つくったり、言えないくらい、家族に迷惑ばかりかけていました。 私は母と家を出て、今は嫁いで家庭を持っています。 そんな父が急に亡くなりました。 僧をしていたので、父は「仕事」としてお経はあげていました。 悪人正機というのは、悪人であることを自分で認めた凡夫だからこそ救われると聞きました。 悪人であることを最後まで認めなかった父も、救われて仏さまになっているのでしょうか。 でも『地獄と極楽』という絵本を小さい頃読みました。 あの絵本では、生前ひどい人は地獄で苦しんでいました。 もう一つ、仏さまになったとして、その後どのように生活?するのでしょうか。 よく、私たちを見守って導いてくださる、と言いますが、この世でのつながりが深かった人のところに行き導くのでしょうか。 もし私が往生したら、父と同じ世界に行き、また娘としてくらすことになるのでしょうか。 とりとめなくすみません。 父の死も、生前の行いも、もう昔のこととして受け入れていますが、仏教の教えでは、このあとどのように生きているのか気になりました。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 61
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