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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 わからない」
検索結果: 2603件

自殺に救いはないのですか

私自身精神疾患により、希死念慮に悩まされています。 ただ、幼少期に母親を病気で亡くしているので自傷、または自分から死へ向かうことは母に申し訳なくてできません。 (錯乱状態になったりした場合はわかりませんが。まずそうはならない疾患です) 長患いの中で、とても澄んだ心を持つ友達ができました。 彼女は自分だけを責めて、病気のせいなのに「こんなこともできない自分はダメだ」との思いを抱えて自ら旅立ちました。 私個人の考えでは彼女は自殺というより「病死」だと考えています。 身体的疾患での死は仕方ないととらえられますがやはり自死というのは公にするには憚れることもあるようで私が彼女の死を知ったのは旅立ってから3か月ほど後のことで、もちろんお葬式にもいっておりませんし、ご両親が特殊な宗教をなさっている関係からお墓参りもさせてもらえません。 「霊能者」というような人は「自殺した霊魂は救いがない」とか「ずっと真っ暗闇をさまようだけ」などと言う人が多いようです。 そんなのひどすぎる。あんなに苦しんだ挙句、誰も責めず自分だけを責めて、精神疾患による考え方の歪み・・あまりこの言葉使いたくありませんが・・もあっていってしまいました、あんなに苦しんだのにまだ苦しまねばならないなんて・・・ 自らいのちを絶つということをよしとしているわけではないのです。 ただ、精神疾患(心の病気≠精神疾患)によりこのような結果になった方々にも救いはないのでしょうか。 もう一度申し上げますが、彼女が生きていた頃を知っている私は 彼女のことは今でも「病死」ととらえています。

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曹洞宗・49日に納骨したくないと言う母

大動脈破裂にて、70歳で父が急死しました ほんの10分程、母が父の側を離れた時に倒れ、帰らぬ人に… でも、顔は穏やかで、納棺師の方からは「体が硬化せずに滑らかです!苦しまなかったと言う証拠ですよ〜」といって頂いたのが何よりの救いです ですが、母には後悔がひどく自分ばかり責めて、どうにかなりそうです。 周りから呆れられるほど、一日中どこに行くのも一緒だったので、ショックも計り知れません。 しかもお店の1つもない田舎で、父にあちこち連れて行ってもらえていて暮らしていたため一人では厳しい…のに、私(娘)や孫と小さい家でも借りて、一緒に住もう!と提案しても、田舎にいるの一点張り!お骨もずっと手元に置きたいというし 現実、墓を買わないと行けませんが、すぐに買える余裕がなく49日には間に合いませんが、どのくらいまで手元に置いても良いものなのでしょうか? そもそも父は、死んだ事に気付いているのでしょうか?(私は若い頃、心肺停止で臨死体験をした際に、暗闇の中から祖父が現れ、付いて行こうとしたら子供が居るんだから!と言われ、ハッ、として戻されました、あの世には、その続きの世界があるのかな?) 日々の生活の中で仏様とは、どう接したら良いのでしょうか? とにかく、私が父と母に出来る事、言ってあげられる事がありましたら、ご指導よろしくお願い致しますm(__)m 初めての仏壇で、日々のルールさえ、あまりわかっていません。父に何をしてあげたら? 仏様が、喜ぶ事、悲しむ事などなんでも教えて頂ければさいわいです お忙しい中恐れいりますが、よろしくお願い致しますm(__)m

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高校から長年付き合ってきた同い年の彼

お互い社会人になり遠距離に。 彼は私をとても好きでいてくれてそれは大事に大切に、それは尽くしてもらった。周りからも最高の彼だと褒められた そして私はその愛情にあぐらをかき我儘放題 それでも彼は愛してくれた。私も彼を愛してた。 そしてプロポーズ。勿論Yes心から嬉しかった でも本当はお互い社会人になりたて。余裕も貯金もなく、親も反対で結婚する状況じゃなかった。覚悟もなかった。ただ急に遠距離になった寂しさにはやく一緒になりたかった。何より私の心が限界だった。だから彼はプロポーズしてくれた。でもやはりすぐに結婚という事にはならず、彼の仕事的にもそういう状況ではなくそのまま1年。 そして突然別れを告げらた。 私からしたら突然だったが彼は悩んでたんですね 仕事を頑張りたいと言われたが、本当は好きな人(もう付き合ってたのかも)ができたみたい。私の我儘に嫌気がさしてたんですね。 でも私にとっては突然で理解できなくて苦しくて泣いて泣いて縋ったがNo どんなに私が訴えてももう何も響かないようでした。 私は少しも彼の心の変化に気付いていなくて、彼の心変わり、彼と誓った未来がなくなる事が理解できなくて、泣くことしかできなかった。 どんな自分も無条件に愛されてると信じきってた自分が情けなくて恥ずかしくて。そんなわけないのに。 彼がどんなに素敵な人か、優しい人か、大切かわかっていた筈なのに。 なんでもっと大切に素直に愛せなかったのか。自分が許せなくて なのに裏切られたと感じてしまう自分もいて。彼が憎くて死んで欲しいと思った。死にたいと思った。そして死のうとしてた時に友人が自殺。物凄い衝撃だった。人の自殺に直面し私は生きなくちゃと思った それから1年。 戻ってきてという想いと深い憎悪が交互にくる。 あんなに大好きで大切で、心から一生一緒にいたいと思った彼をなぜ傷つけることばかり、何故どんな私も愛し続けてもらえると思っていたのか。馬鹿すぎて後悔と涙が止まらない。 何よりあんなに怖いくらい盲目的に私を好きだった気持ちがなくなるほど傷つけたのかと思うと本当に申し訳なくて。 それでも彼と一緒に生きていきたくて 私は彼を忘れたくない諦めたくない けど彼はもう帰ってこないから… やはり死ぬことばかり考えてしまいます

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いきる意味・糧

いきてるのが辛いと思うことが多々あります、死にたい、こんな人生いきてても仕方ない、いなくなっても誰も困らない、何のための人生?と。 身内を自死でなくしみえる世界が一変し何をする気力もなくなりました、空白の10年がたち、それでもかわらずいきてても仕方ないと思ってしまいます。やりたいことも思いつかず、どうせやったって何もかわらないと思うことばかり。死にたい、残りの人生誰かにあげれるならあげたいとも。そう思うと同時に身内の葬儀にきてくれた人の言葉を思い出します、「なくなtった人の分まで生きてください」とそう言ったその方は小学校時の教師で担任ではなかったですがいい先生でした。その先生の言葉を死にたいと思う度思い出します。でもいきてくのは辛い。充実人生ならともかく、身内がいない人生何十年いきてけばいいのか、気力もないままただ10年いきてきてどうでもよくなってる人生の今後何ができるのかと。幸い成人疾患などの入院や手術いる病気はないのでマシですが、このままずっとこのきもちのまま、あと何年続くんだろうと思うとしにたくなります。 身内をなくして以降、死がどういうものかよくわかりました、ただしぬだけじゃなく自死の場合、遺族は一生いき地獄、救えなかった罪悪感、どうしていきてた人のいない人生何十年もいきてかないとならないの?と。 大人になり世の中がみえるとやりたいこととやれることは別とわかり能力高くもない自分は何もできることはないなと。人の役に立つにはスキル必要でそれができる状態にないとどうしようもないです。ボランティアもまずは興味なければできず以前してましたがまた探してとりくむ余力はありません。能力の限界がみえてしまうととりくむ前から諦め何もする気がおきません。このままじゃいけないとわかtってても体が動かず。 親に、このまま何もせず何十年もいきてくの?どうにかしないといけないんじゃない?といわれその通りですが何していいか、おきない気力をどうやってだすかと。 やる気でるのまたずやってみるといいとよくいいますがそれがもうできない状態です。医者は投薬勧めてきますが副作用酷いのわかってるのでのまず。薬でやるきがでるわけでも気分よくなるわけではないので。その作用あるなら麻薬ですよね...何も希望もてない人生いきてても仕方ないとしか思えません。

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人生にステージはあるのか?

ガン告知から3年。先日、転移が悪化し完治はほぼ見込めず、病巣によって骨折もし、最近は死についてよく考えます。しかしピンときていないのか「死が怖い 死にたくない」というより「死後の世界はあるのか どう人生を閉まっていこうか」といったことが気になり、エンディングノートを書いたり、断捨離したりしてます。 先日、友人とコロナについてや、痛ましいと報道される有名人の人生の集結のニュースについての話になり、私も死についてや「一人で旅立っていくときのことを考える」ということを話すと「考えすぎは良くないよ」と言われました(励ましてくれたのかなと思います) 「私にとっては、この気持ちは日常で、あまり悲観的ではなく考えすぎっていう感じでもないんだよ」と伝えると、はいはい、という感じで流されました。ある友人は「それでも不遇な死はあると思う」と述べました。 理解されなかった気がして、些細な出来事ですがショックでした。 私は、死は死でしかなく、その死は不遇であるかどうか他人が言うものではないと思うのです。また、何かしてあげられればよかった、と必ず思うものですが、簡単に言うことでもないとおもうのです。私も他界した母に何もあげられませんでしたが、してあげられなかったと思いすぎるのも、亡くなった方に対して失礼なんじゃないかと。なら生きているうちにできたではずですし、まず亡くなった人がそれを望んでいたかもわからないし、他人が人にできることは限界があると思うからです。 病気になってから、どうも周囲とのズレを感じ、30代であんまりこんなことを考えている人も今までの交友関係だと少なくて、孤独を感じます。 そして「人生のステージが違うのだ」と思うようになってきました。 それは「私のほうが死に近いステージだからだ、きっと彼らもそうなったときにわかるだろう」というニュアンスもあります。 ふと「それはおごりではないか?」と思い質問させていただきました。 確かに病気や死は近づいた人じゃないとわからないものがあると思います。私が感じた寂しさや孤独を「人生のステージが違うから」と帰着させるのはおごりでしょうか?偉そうな立場からの勝手な帰着なのでしょうか? そして、死に不遇はあるのでしょうか? 人が人の死を不遇というのは失礼なことではないのでしょうか? 私が死について考えるのは「考えすぎ」なのでしょうか?

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死ぬのが怖いです

高校生です 私は中学生の頃からずっと死ぬのが怖いです 私はこれまでの短い人生の中でも色々と悪いことをしてきました。嘘もつきましたし、人を傷つけたこともあります また、幼い頃(幼稚園生頃)にお店で量り売りとして売っていたチョコレートを一粒こっそり食べてしまったことがあります。あの事をずっと後悔しています 沢山悪いことをしてきたと思います 私はきっと、死んだら地獄に落ちてしまうことでしょう。祖母は「絶対天国に行けるからね」と言ってくれますが、それでも確証がありません いえ、地獄に落ちるかもしれない、それ以上に怖いことがあります それは、死んだら“私”が無くなってしまうのではないかということです 私は、私がこれまで積み上げてきた物を失うことが、自我が無くなってしまうことが怖いです 今、こうして悩み、悲しみ、笑い、怒り。そんな感情を抱いている私が消滅するかもしれないということが、本当に怖くてたまりません この恐怖は一年に五回程度湧き上がってきては私を悩ませます。怖くて怖くて、死後のことを思うと私は涙が止まらなくなります ですが、周りの大人は私のこの悩みを「くだらない」「大人になればそんな悩み薄れる」と言ってまともに取り合ってくれません。私は“今”の対策が知りたいのです。大人になってから、なんて待てません 死ぬのが怖いと言いながら、不老不死になりたいかと聞かれると困ります。永遠の命なんて寂しいですから この悩みの解決策がわからないままです 今も苦しみを堪えながらこの文をうっています 誰か、私を助けてください カテゴリー等、間違えていたら申し訳ありません

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