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検索結果: 428件

仏教の「助け合い」

先日、大学の授業で教授が「福祉の考え方は西洋から日本に入ってきた。ヨーロッパやアメリカはキリスト教の隣人愛の精神にのっとって助け合う心が人々にあるから福祉が充実しているけれど日本ではキリスト教がメジャーではないからなかなか助け合いや福祉の精神が広まっていない。」と話していました。私は宗教についてあまり詳しい方ではありませんが隣人愛という言葉は知っていますし、確かにキリスト教を信仰する人が多い国で福祉の心が根付いているというのは何となく納得が出来ます。 でも、日本人にも助け合うという考えはあるはずだと思います。熊本の地震があった際も、火事場泥棒などひどいことをする人もいるようですが現地にボランティアに行ったり募金などの支援をしたり、困っている人を助ける動きがあるという話もたくさん聞きました。なので、教授の「キリスト教が浸透していない国では福祉の考えも浸透しない」といった話を聞いて何だかもやもやしてしまいました。 そこでお聞きしたいのですが、仏教においてもキリスト教でいう隣人愛のような、誰かと助け合う、支え合うという教えはあるのでしょうか。無宗教だという人も多いので何も宗教の考えだけが人の助け合いのベースではないと思いますが、日本は仏教が身近という人も多いと思うので、仏教にもそういった教え、精神があればぜひ教えてください。

有り難し有り難し 243
回答数回答 7

正しい先祖供養の仕方わからない、、

父方のご先祖さま、母方のご先祖さまが過去帳に記載されてなくてわからないご先祖さまがいます。 私は父方祖母が小さいころから般若心経となえて仏前に備えてから朝も夕も食事しなさいとゆう家でした。 しかし、あるとき介護施設で働いてたときに職員からの強姦未遂、親族からの性的虐待を四年間うけて自殺未遂くりかえしましたその親族はクリスチャンでしたそのあと、私自身心ボロボロで占いにはまってしまいその占い師さんにご先祖さまは地獄にいると言われたことや、般若心経を毎日書いて、聖書を読みなさいとかセミナーや、自宅につれてかれたことがありました。自分でも占いをしてしまいました憑依もおこりました。 そこからキリスト教にいけば救われるのかとその占い師さんに洗脳されたまま もう自分がわからない状態で、 占い師と縁をきりちゃんとしたキリスト教で洗礼をうけました しかし、洗礼をうけてもよくならず、逆に霊感は増しました教会にいってませんそのあと首吊り未遂をしてしまいお父さんにおろしてもらいました そのあと、子供のころいった曹洞宗の寺にいって座禅をしました。 それでも洗脳はまだ根っこにあってお寺をさりました断食癖も抜けてませんでした しかし、最近なって介護していると、必ずご先祖さま墓参りいきなさい、 般若心経がいいと、いろんな人から聞いてもう一度反省してみました。 なんで般若心経をとなえなくなったんだろう?となんでキリスト教にいったんだろ?と そこで数日たってみて今度は、曹洞宗のお寺に通っていた利用者さまが私に、あなたにはね、手の届くとこにね仏さまいなさるよといわれました。 その意味を考えてみたところ救いは外にはありませんで内側にありました自分はなんにも無力で小さいと思いました般若心経また、となえてます。 父方の、母方の、先祖供養は、名前もわからないのですが、お写経でどのようにかいたらいいでしょうか お墓参りにも近いうちいきます また、お寺にまたかようことにしました。 私は天国にいけないと思います、、 あと私のご先祖さまは地獄にいるんですか? あと、本屋や、ネットで、調べたけど スピリチュアル本が本当に正しいかわからないし。 天然石も、気休めでしたし。 精神安定剤も一時的です 私の霊感は、なんのためにあるのですか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

「死後の裁き」の恐怖がつきまといます。

15歳の頃からキリスト教会に通っていましたが、30半ばで鬱を患い「天国を目指して迫害にも耐える信仰を持つ」というあり方についていけなくなり、仏教に心の平安を求めました。 高野山の宿坊に泊まったり、近所のお寺で座禅を組むうちに、それまでひどいときは数分ごとに波のように押し寄せてきていた攻撃的な苦しみが和らいできました。 それからも落ち込んだり、辛いことは多々ありましたが、苦しみが襲ってきて一晩中眠れないようなことはなくなりました。 相談というのは、思春期に受けた洗脳のような教えがまだ恐怖として根深く残っていることです。 ほとんどは健全なキリスト教会なのかもしれませんが、私の通っていたところでは、「伝道しないことは人殺しに等しい」「教会に来ないと悪い事が起こる」と、今思えば子供だましのようなことでも、当時の私にとってはありありと描写される死後の裁きの事や、来るべき世の終わりに大きな艱難が起こり、迫害を受けるのだという恐怖がしっかり植え付けられてしまいました。 それでいまだに教会に行かなくてはならないという強迫観念から抜けられないのです。本当に行きたくて行くのなら問題はありませんが、根底に恐怖があるのです。 実際にまた教会に行き始めたところ、また心がざわついて、イライラしたり、不安で眠れなくなったりしてしまうのです。 教会自体には問題はなくても私の抱えているトラウマが重くて、まともなメッセージも恐怖のフィルターを通して見てしまうのかもしれません。 教会に行くにせよやめるにせよ、恐怖から解放されて正しい判断をしたいのです。座禅をして心に平安を得ても、これでいいのかと罪悪感のようなものを覚えてしまいます。 仏教にしろ、キリスト教にしろ、どちらが正しいとか、教義的な事とかはわかりません。どちらにしても心がざわついたままでは一生迷いを抱えて生きていくことになりそうです。 とりとめのない質問になり申し訳ありません。 恐怖から解放され冷静な判断ができるアドバイスをいただきたいのです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 18
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2023/05/20

性善と仏性、性悪と救い

ずっと日蓮聖人と法然上人、親鸞上人のことが頭から離れず、キリスト教を勉強しながらも反芻していました。 人の本質を仏性とすることを日蓮聖人は言われてたと思うし、窮地に追い込まれても 法華経を支持する神仏を信じることで内に起こる恐怖や不安からくるお気持ちと闘われたと思います。法然上人、親鸞上人は、法華経を目指しても自分の力ではなれない悪人と悟ることで仏の光が差し、念仏によって阿弥陀様に救われる。とされた気持ちもわかります。 悩んだあげくキリスト教を勉強し始め、生きる軸としようと生きています。 キリスト教は、自分の悪を知り、弱さを知り、懺悔を、神の御心とキリストを通して贖罪をし、罪を作らない知恵を学び祈りとするのだと思います。父が学会員だったり、祖父が浄土真宗ということで里心があるのかもしれません。地獄は人間が作った観念だと思います。神仏は地獄を作ってないと思います。時々、御布施や献金のお願いばかりして、本当に神仏を必要とした老後や病気や貧困になった時は自己責任と見放すのがお寺や教会かなって思い、まあ神仏は見放しませんよって説かれても そうだよねって思う。ちょっと信仰心も冷静になる。書いてる内に落ち着いてきました。結局、介護士になり、人の生き死に寄り添いケアをする仕事に神仏をおき、自分の命をつなげるお金をいただいていることに感謝と献身することを神仏に導かれたと思います。いろいろ悩んでいた頃の以前の履歴を恥ずかしく懐かしく想いながら、自己の命と介護させて頂く命が神仏に救われていくように祈り、頑張りたいと思います。相談したかったことは、私は許され生きていけるのかということでした。 大失恋をしたような気持ちでしたが書いている内に救われていると思えてきました。ありがとうございました。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1
2022/12/21

父を殺してしまったかもしれません(再)

先日も「父を殺したかもしれない」と相談をさせていただいたのですが、それについて再度思うことがあり、また質問させていただきます。 なのでこの質問の一つ前の質問を見てからお答えいただけると幸いです。 さて、私が父を押し倒した際、心の中で「頭を打って死んでしまってもいいや」「むしろ死んでしまえ」と考えていたとしたら、それこそ殺人を私は犯してしまったのではないでしょうか? ただ心の中でそう考える前に「頭を打ったら死んでしまう。危ない」と考え、押し倒すのを止めるはずであり、実際に押し倒してしまったということは、単純に腹が立って押し倒してしまっただけで、それによって「父が死ぬ」とは考えていなかったとも考えました。 しかし今度は「危ない」と考えた上で、その後に「父が頭を打って死んでもいいか」「死んでしまえ」と考えたのではないかとも考えてしまいました。 私はこれといった宗教に入っているわけではないのですが、「悪いことをしたら地獄に落ちる」と考えることが多く、キリスト教やイスラム教、仏教などでの地獄を想像して、自分が父を殺した人殺しとしてその地獄に行くのではないかと毎日不安に怯えています。 ならばどこかの宗教に入ればいいとも考えたのですが、一つの宗教に入ってそれが間違いで、別の宗教が正しかった場合、やはり自分は地獄に落ちるのだと思い一つの宗教を選べません。 私は強迫性障害という障害を患っており、人に対して過剰に加害妄想をすることがあります。 今回のこともわたしの妄想なのでしょうか? また宗教はどのように選べばいいのでしょうか?仏教とキリスト教を同時に信じるようなこともしていいのでしょうか?

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

自分の信じる『神』や『仏』が何者かわかりません

はじめまして。 うまくお話しできるか、わからないのですが… ここ最近、自分の思想がどこにあるのかわからず、お話を聞いていただきたいと思い、投稿させていただきました。 まず、私は特に、何教徒である、ですとか、特定の宗教には属しておりません。 ただ、色々と自身の考えと当てはまるものを探すなかで、最も共感できるのが仏教でしたので、こちらにおります。 私は漠然と、神様が存在していると思っています。 神が人間を作ったと思っています。 しかし、それは聖書にあるような、直接的に人間を作り出すようなものというよりは、 人が一冊の本を作り上げるようなものだと思っています。 『神』が、この世界を作り上げ、そのなかで『キリスト教』『イスラム教』『仏教』といった… 語弊を恐れずに申し上げるならば、『地球というなかの物語の設定としての宗教』を作り上げているのではないか、と思ってしまうのです。 そうした、なんでもできてしまう神のような、宇宙の外にある大きな力が、私は怖くてたまりません。 あまりに苦しいとき、そうした『神』が、私に何かバチを与えているのではないか、とさえ感じます。 しかし一方で、仏教の『因果応報』という教えを知ったとき、どこか救われるような感覚がありました。 私が苦しんだり、喜んだりするのは、宇宙の外にある神のせいではなく、自分自身の行いの結果なのだ、と。 それから、少しずつ仏教について調べ始めていますが、やはり何か神様のようなものの存在は、否定できずにいます。 そもそも、誰か一人でも信じ、信仰し、救われている人がいるならば、キリスト教の神も、イスラム教の神も、はたまた新興宗教の神であっても、存在していると思うし、それを否定したくないのです。 自分の信じるもののために、誰かが信じるものを否定したくありませんし、ないものにしたくありません。 一方で、どこか神様のようなものに怯えている自分がいますし、こんな自分が仏教の教えに惹かれることは、それこそバチが当たるのではないかと思います。 うまくお話しできたかわかりませんが、心のもちようがわからず、難しく感じております。 なにかアドバイスなどありましたら、ぜひ教えてください。

有り難し有り難し 69
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2024/01/14

父の三回忌を教会でしたいと義姉が言います

質問させていただきます。 お寺にお墓のある人の法事を、教会で行うというのはお坊さんから見てどうなのでしょうか? また、義姉と折り合いをつけるにはどうすればよいでしょうか。 . 私の父は2年前に亡くなり、この度3回忌を行うこととなりました。 そこで私の兄のお嫁さん(以下義姉)が「キリスト教の教会で三回忌をしたい」と言って揉めています。 義姉は2年ほど前にキリスト教になり、教会へ通っています。普段会っても勧誘や説教はされなかったので今回突然のことに驚いています。 . 父が熱心な仏教徒であったわけではないのですが、父の墓は浄土真宗のお寺にあります。わざわざ教会に死んだ父を呼びつけて法事を行うというのは違和感です…。 . そのため それはおかしいのではないか、と義姉を諭すと泣いて癇癪を起こしてしまいました。 義姉の言い分は「教会の方が安く済ませられる」「お寺は家から遠い」「自分の信じていないものにお布施をしたくない」「教会の神父さんにももう頼んでしまったので後には引けない」などです。 . それならお金は払わなくていいし来なくていいとも伝えましたが、そういう問題ではないそうで。 兄は家庭を大事にしており、義姉には強くものを言えません。私も兄の家庭には平和であってほしいです。 しかし今回の話があまりにも平行線であるため、本職の方の意見をお伺いしたく書き込みました。 . 最後に重複となりますが、「お寺にお墓のある人の法事を教会で行う」というのはお坊さんから見てどうなのでしょうか? 義姉と折り合いをつける方法はありますでしょうか? 私としては先祖を改宗させるような行為はバチ当たりなのではと思ってしまいます…よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2

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