hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「お経について」
検索結果: 3036件

師僧について

自分は仕事でもプライベートいつも選ばれない人間だと感じていて、今までそれを周りのせいにしてきました。周りを恨んできました。でも最近「それは違う、それは自分のせいだ」と思うようになり、それもまた苦しく数年間悩み続けてきました。その結果、仏教を学びたいと思いある寺院を訪問しました。 そこの寺院は家からはかなり遠いのですが、住職の日々のブログの文章に感銘を受けて訪れました。仏教の制度についての勉強をあまりしておらず、未だよく分かっていない部分もありますが、一度目の訪問のときに在家得度をして修行をすることになりました。得度式までに2回訪問し、お経や念珠について教えていただき、衣の購入と着用の仕方などを教えていただきました。 しかし、実際に師僧にお会いしてみると文章の印象とはかなり違っていて戸惑いを感じました。他の修行僧の悪口ばかり言い、〇〇さんという人がいるけどあの人は声が小さいんだよね覇気もないしありゃダメだとか、××さんという人がいるけどあの人は覚えが悪いんだよねいつまで経っても覚えないとか、事あるごとにこぼします。 更に、他の修行僧や私の個人的なこと(懺悔でお話するような超個人的な内容)を「この人はこういうことで悩んで僧を目指してる」などと大声でみんなの前で言われたのにも驚きました。一緒に修行をするので、そういいったことは公にして共有するものなのでしょうか。 そしていつも尼僧たちにばかり声を掛け師僧の両脇に座らせ、頂きものの菓子を尼僧たちにだけ分け与えていて、これも驚きました。お坊さんだから清廉だとは思いませんが、イメージしていた姿と全く違い戸惑いを感じています。 自分のような考え方は偏っていて堅苦しいですか?会社でも部下のことを重箱の隅をつつくように悪い部分ばかり見て、一方で女性ばかり可愛がる上司もいますが、その上司がどんなに仕事ができても仕事のやり方は参考にしますが、尊敬はできません。 でも師僧には尊敬を求めたい。尊敬できる師の下で修業したい。こんな考え方は青臭いでしょうか。会社と同じように、修行も仕事も同じで、師僧から技術を教わればよしとするものでしょうか。もう得度式も終わってしまい、実際の修行に入っていますが、もやもやとした迷いが生じてしまい悩んでいます。

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

真言宗なのに法華経好き。(久遠実成と大日如来について)

こんにちは。 私は、家の宗派は真言宗なんですが、実は法華経も好きです。 先日、鴨川に出掛ける機会があり、縁あって日蓮宗の 誕生寺にお参りさせて頂きました。 参拝時は流儀に従い「南無妙法蓮華経」とお唱えし、 法華経について色々と考えさせられるきっかけとなりました。 「観音経」として知られる二十五品や有名な「自我偈」を含む十六品など、 どれも素晴らしいのですが、私が特に好きなのは 仏の命が永遠と知って全世界(全宇宙?)の菩薩が歓喜し、 曼荼羅華が降り注ぎ、天には妙なる音色が響くと言う、 壮麗な仏国土が現前する十七品(分別功徳品)です。 「如是等衆生・聞仏寿長遠・得無量無漏・清浄之果報」 の所が特に好きで、正直この部分を紙に書いて お守りとして身につけたいくらいです。 この世の誰をも救ってあげよう!って大らかさとパワフルさが 法華経の魅力だと思うし、そんな法華経の魅力が結実している 一文だと考えてます。 で、ふと思ったんですが法華経の十六品や十七品で言及されてる 久遠実成は、永遠性や普遍性といった性格が大日如来と共通している のではないでしょうか? 上述の十七品は「仏国土は遠い彼方にあるものではなく、仏の永遠性を 信じれば、この現世こそが仏国土と知れる。」 と主張してるように思えますが、これは大日如来を中心とする 密教の思想にも通じていると感じるのですが如何でしょうか? 私にとって仏様と言えば、実家の仏壇に鎮座する、 きらびやかな衣装をまとった大日如来様です。 子供の時から手を合わせている大日如来様が、 法華経の久遠実成と相通じているなら 何と素晴らしい事か、と考えてしまいます。 厳密な意味での同体ではないにしても、 根底で通じているのではないでしょうか? 少なくとも相反するものではないと思うのですが如何でしょうか? ご意見をお聞かせ頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 61
回答数回答 2

浄土真宗本願寺派の方(特に関東の方)

先日は、道を示して頂きまして有難うございました。 さて、今回は、この時期になるとフツフツと湧き上がるモヤモヤについてご教示願いたいと思い相談させて頂きます。 5年前に叔父(父の弟)が亡くなり父実家の宗派である浄土真宗本願寺派のお葬式をしたのですが、 叔父は此方の地元を離れ関東に住んでおりましたので、其方の浄土真宗本願寺派の導師様にお願いをしたのですが、お焼香の方が、まだ数十人単位 いらっしゃったのに『後は、ご自由に…。』と言って帰ってしまわれたのです。 お経も中途半端で、和讃を省いていました。 此方では正信偈の後に和讃が続くので、何だか いい加減な感じがしたのは否めません。 やはり、何より一番、モヤモヤするのは、お焼香の方が、いらっしゃるのに帰ってしまわれた事 その時は、恥ずかしいやら、情け無いやら、腹立たしいやらで、叔父を悼む気持ちも吹っ飛んでしまいました。 ですが、冷静になって考えてみると同じ宗派だからと言って地域が違えば作法も習慣も違う事もあるのでは?と思い相談させて頂きました。 関東の浄土真宗本願寺派の方、実際は、どうなんでしょうか? やはり、この導師様のように、お焼香の方がいらしても途中で帰るのが一般的なんでしょうか? それとも、この導師様が間違っていたのでしょうか? 叔父の命日が近付く、この頃になると毎年思い出して、モヤモヤします。 どうか、其方での正しい作法を教えて下さい。

有り難し有り難し 34
回答数回答 2
2024/09/18

仏像が必要かわからなくなってしまいました

はじめまして。仏像彫刻を習っているヨソと申します。 仏像に対して疑問があり、悶々とした日々です。①②③と質問を書きましたので、お答えいただけたら幸いです。 ①お釈迦さまは偶像崇拝と呪文(お経)を唱えることを良しとしなかったと見たことがあるのですが、それは本当でしょうか。 それが本当であれば、お釈迦さまの嫌がることを積極的にやってることを、どのように肯定してきたのでしょうか。 ②お釈迦さまは実在されていますが、多くの仏は、人々の願いや願望から生まれたという認識でいます。インドや中国や日本に伝わる過程で他の神様と混ざったり意味合いが変わったり、そうして生まれた仏をどういう気持ちで信仰したらいいのかがわからず、教えていただきたいです。今は丸ごと受け入れることに抵抗があります。 ③地元では高名な仏師(兼ご住職)に彫刻を習っていました。片付けの苦手な先生でしたが、ある時先生の作品展を開催するにあたり、ゴミの山の中から見つけて展示した作品に、来場者が手を合わせお布施をされていました。 仏は仏像ではなく祈る者の心に宿る言われますが、ショックを受けた場面でした。 仏像とはどういう存在だとお考えでしょうか? 浅識な上に不勉強なもので、見当違いなことばかり言っているかもしれませんが、このモヤモヤに自分の答えを見出したいと思っています。 どうか宜しくお願いします。

有り難し有り難し 24
回答数回答 2

兄の自死と供養

初めて利用させて頂きます。 同じ境遇の方々への返信を読みながら涙が溢れました。  兄の死から5年、恐らく今日あたりが命日です。 子供達が寝静まり今夜は涙が止まらず、ここへ辿り着きました。  突然の自死、真坂の出来事でした。10代から運命の歯車が狂い悩み続けた36年間だったと理解しています。家族も苦しみ悩み悲しみました。何故こんなにも兄だけが不幸なのか、最後は自死を選ばなければならなかったのか。5年経ってもまだ現実ではないように感じてしまいます。 私よりも現実を受け入れられない母は人が変わった様で、父方の親族へはまだ話しもできていません。 また、遺骨はそのまま家にあり供養もできていません。 父が戒名と兄の友達がお経をあげてくれたりはしましたが、時間が止まった様な状況なのです。 このままでは報われないと思い、色々と調べていますが金銭面での余裕があまりなく悩んでいます。  どう考えてあげれば兄の為になり、どうしてあげる事が兄や家族の為に一番いいのか教えてください。  また、私はこの事で旦那からは酷い言葉を言われ不信感が募り色々あり離婚しました。 人の死に方が人にはいえない様な死に方でも、故人を馬鹿にする様な人が夫である事に吐き気がしました。今でも怒りの様な感情と私の子供達へは死に方を伝えられていないので後ろめたさを感じてしまいます。 どこにも、誰にも言えない心の内が爆破しているようです(涙

有り難し有り難し 36
回答数回答 2

終活どうすればいいでしょうか

お忙しいところ有難うございます 私自身(40代)の病気が少しずつ進み 終活をしなければ、と思います どこから手をつければよいのか 分からず、不安です 両親は離婚した事もあり、子どもの頃 お墓参りはほとんど記憶になく。 結婚して、婚家はきちんとお墓があり 初めてお墓参りや法事をさせて 頂けるようになりました その宗派は浄土真宗で、葬儀やお経を 聞いて、拒否的な感情はなく ごく自然な気持ちで受け入れられました 私が自分の終活をするのに、 残される夫の負担を少しでも 減らしておきたいと思います 長男ではないので、新たにお墓を 購入する必要があること、 葬儀の形、宗派、お仏壇などについて 少し決めておきたいと考えました 何となく、というだけで宗派は 選んでも良いのでしょうか? 結婚した嫁ぎ先の宗派になるのが 自然なのでしょうか? 婚家のお墓は私営大型霊園で、法事の たびにお坊さんをお呼びしています 特定のお寺さんなど相談できる場所が なくて悩みました 私が亡くなったら、子どもたちや夫が 時々お墓に会いに来てくれて お仏壇に話しかけてくれるといいな と思います 負担にならないように、でも話したい 時に話せるようにモノの形があれば 安心できるのかな、と感じています 分からないことばかりですみません 教えていただけると嬉しいです

有り難し有り難し 56
回答数回答 4
2022/10/06

仏様や神様の形の香合仏様の扱い

開眼供養をして頂きました 歓喜天様 荼枳尼天様 愛染明王様 大日如来様 の香合仏と、待乳山聖天で復縁・恋愛・結婚を望んだお守りをミニ仏壇に横に並べ(お守りは歓喜天様の後ろに)、歓喜天様を少しだけ石のコースターに乗せて高くして月の物の時でも大丈夫と言われましたが、一応お経やご真言は控えております。 お水、お香、お酒、お菓子(荼枳尼天様には蜜柑・歓喜天様には小さく切った生の大根に甜菜糖のシロップをかけた物もプラスしてます)はお供えしており、復縁が第1歩ですが、その願いをお願いしますという事と、それが終わったら有難うございます、で締めております。 香合仏様は開眼供養をお願いしたものですが、旅先などに持っていっても良い物でしょうか?? また、願いが中々動かず心も辛い日々で、必ず叶えてくれる神様なんだから、と言い聞かせる日もあれば、もう叶うんだな、と思う日もあったりと波があります。 そんな日々ですが、ふと、身体も崩し(体育座りをしたい気持ちです)4柱様に悲しいや辛い、苦しいや、こんな事は嬉しかった、感謝、色んな言葉を言いたくなります。 人とも殆ど関わらない生活なので、通ってる病院でも薬では私はどうにも出来ず、まず人と話す事だ、と言われた始末です。 白のミニ仏壇を1つの神棚の気持ちで、部屋も綺麗とはいえずですが、そのミニ仏壇だけは絶対に汚すまい…と固く誓って綺麗を意識しています。 置いてあるのは目線より高い場所ですが、頭元になります。 何分狭いものでそこしか無かったという事と、歓喜天様についての本の一説に家族として迎え入れなさい、と言う一節があり、子供と住まう寝室兼用リビングに置いています。 これを読んだだけで顔を顰めるお坊様方もおられるでしょうが、私には自分なりの決心の物なので、ご容赦して頂きたく、そして、そんなに身近なのだからか、人がいないからかお姿を見ながら何だかよく解らない気持ちを足が悪いので胡座に金剛合掌をして話しかけてしまいます。 お守りとして扱うのか、御仏像として扱うのかもよく解らず、どう扱えば良いのか教えて頂きたいのかと、体育座りなど、その時の気持ちによってしっかり座らずに話しかけても良いのでしょうか? どうかこのスタイルを許して頂けるお坊様、居らっしゃられましたら、どうか教えてください よろしくお願いします 敬具

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

何故お布施の額は寺院により違うのですか?

よろしくお願い申し上げます。 先日、父親の葬儀を無事終えました。 浄土真宗です。 いくつか疑問に思ったので質問致します。私の勉強不足で失礼な物言いになってしまっていましたら申し訳ありません。 葬儀の打ち合わせをした際、直接お寺さんにお布施をどれくらいにするかをお聞きしました。 お車代1万(片道車で30分)精進落としは辞退(つまりお膳代1万) 法名付けて30万で結構ですよ。 と仰いました。 結構ですよという文言が気になりました。 お布施は阿弥陀仏に捧げるものなので、金額に不満ということではありません。 全国のお寺さんは集めたお布施をどのくらいご自身の生活に使われて、どのくらいを修繕維持費や拡張費、又は広告費や檀家接待費に割り当てているのでしょうか?それはお寺によりまちまちですという回答はお控えください。どうあるべきかを教えてください。 私個人としてはお布施に各寺院による金額差が出ている時点でおかしいと思っています。 例えば30万のうち20万はどこのお寺さんでも阿弥陀仏に必ずこの額のお気持ちを捧げますという意味で本山などへ送金し、残った10万はお経、説法の勤めと維持費に使いますという約束が欲しいのです。 先日では通夜葬儀含め1時間もいらっしゃったかどうか。荼毘に伏す前にお帰りでした。 葬儀社の方もそれが一般的と仰っておりました。一般的ってなんなのでしょう。 葬儀に伴い、初七日を式の日に合わせて行うことが多いそうですが、言い方がわるいですが、いい加減だなあという印象です。 どうしても仕事が外せないとか、遠方で行けないとかということで日にちを改める事を遺族から伝えることは致し方ないことと思いますが、葬儀社やお寺さんがまとめて法要をすることを勧めたりというのは如何なことなのでしょうか? 不勉強ですが私は霊的にちゃんと日を数えることに意味があると思うのですが、大事なことはそこではないのでしょうか。 四十九日がお盆になるということでその日はずらしましょうと言われました。 宗教は眼に見えず、なかなか体験し難く、自分なりの解釈を得るまでむずかしいですね。 私は無宗派ですが、神仏を習慣ではなくて本質的に大事にしたいと思っておりますので、尚更疑問に思っております。システム化して商売っ気を持ち込んで来ているように思えるお寺さんに対し虚しくなります。 皆様どうお考えですか?

有り難し有り難し 46
回答数回答 4

十二因縁(縁起)を例えると…

日頃、宗教や哲学について、ネットあさりしています。 最近は仏教、特に原始仏教と呼ばれるものに興味を持っていますが、十二因縁(縁起)について、府に落ちたイメージを持つことができません。 そこで、難しい言葉や理論を使わず、現代でもわかりやすい具体的な例えを挙げていただきたいと思い、こちらに質問してみました。 なお、こういった知識(智恵でしょうか?)は、一言では語り難いものでしょうし、また言葉だけでわかったつもりになってはいけないとも思っています。でも、こうもイメージが湧かないと、日頃に意識することも難しい。 ぜひ、「なるほど💡 そんな感じなのね!」と感触を得られ、日常の中でさらに感触を深めていけるような例えを、いただきたいと思っています。 ちなみに、これまで私が掴んだ感触・知識は次の通りです。間違いや不足もあると思いますが、その部分こそ、例えで払拭したり補足したりしていただきたいです。 十二因縁(縁起)とは、 無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個 「無明によって行が生じる」のように、前の物が次の因になる。 最後の「生、老死」については、「生まれることで、老いがあり死がある」ということ? では、「無明→行」「行→識」「識→名色」「名色→六処」「六処→触」「触→受」「受→愛」「愛→取」「取→有」「有→生」「老死→無明」はそれぞれ、どのような因果なのか。 現代でもわかりやすい例をあげるとすれば、どういう例が考えられるか。 仏教に疎い者でもわかりやすい例を、ぜひよろしくお願いしますm(_ _)m

有り難し有り難し 115
回答数回答 5

失敗が多い。失敗が続くとモチベーションが下がる。

この質問を開いてくださりありがとうございます。長文になってしまい申し訳ないのですが最後まで読んでいただけたら幸いです。 悩みが2つあります。 1つ目は工学部のクセに計算ミスが多すぎることです。 小学校の頃からずっと簡単な計算ミスを犯し続けてます。大学受験本番の途中計算では少し緊張しただけで1+1を間違えました。大学に入ってからも定期試験での計算ミスで必須科目を10単位以上落としました。 大学の友達には「計算方法はあってるのに“えっ!?ここで!?”ってところで計算間違うからもったいなさすぎる」と言われます。先生には「実際に車とかロボットを設計するときに計算ミスをしたら人が死ぬぞ」と言われてしまいました。 こんな質問をしているのが先生に知られたら「こんな質問する暇があったら計算練習しろ」と言われてしまうかもしれませんが、練習量は自分なりに増やせるところまで増やしたつもりです。計算中にどうしても焦ってしまう点を改善したいです。 2つ目の悩みは一度モチベーションが下がるとなかなか回復しないことです。 普段は多少試験,課題,実験がしんどくても「全ては自分のため,親友たちのため,夢のため」と自分に言い聞かせることでギリギリモチベーションを維持しています。 しかし、上記のようにしょーもない計算ミスで単位を落としたり、図面に醤油をこぼして書き直しになったり、実験データやプログラミング課題が入ったUSBを落としたりといったことが続くと、徐々にではなくある日突然無気力状態になることがあります。 そうなってしまうと、授業に行くことやペンを握ることすらできなくなってしまいます。夢や親友達のことを考えると、やる気よりも自己嫌悪が表に出てしまい、モチベーションが下がっていく悪循環に陥ります。 毎年上記のような状態になってしまうことがありました。だいたい11月の終わりから1月の頭にかけてが無気力スパイラルになりやすいです。 今年もそうなってしまってはもう取り返しがつきません。なんとかしたいです。

有り難し有り難し 41
回答数回答 4

仏教の教えについて

 こんにちは。再びこちらで質問させていただきます。  以前読んだ呉智英著「つぎはぎ仏教入門」という書物の中では、私の従来のイメージとはかけ離れた仏教観が述べられており衝撃を受けました。お釈迦様の物語では、お釈迦様は家族を捨てて出家しており、出家者に対しても①家族を捨てること・②生涯独身でいること・③労働をしないことを要求しています。また梵天勧請のお話では、お釈迦様が悟った後に「私が悟った法は、その内容はあまりにも高度なものであるから、一般の人に説いてもわかるまい。」とそのまま涅槃に入られようとしていたようです。  これらの物語を読むと、仏教とは決してヒューマニズムのような耳障りの良い教えではなく、むしろ社会の常識を揺るがす危険な思想なのではないかと思いました。また、仏教の一番の目標は、やはり「悟りを開くこと」ですが、「悟り」とは私が今まで考えていた「あるがままの世界を観じる」というような単純なものではなく、もっと峻烈で幽玄なものではないかと思いました。  これらを踏まえると、日本の仏教ではお坊さんは妻帯をして、労働されている方もいらっしゃるのが普通の光景です。社会に歩み寄るという点では、ある程度の妥協も必要であるとは思いますが、釈尊の本来の教えから見ると、修行や悟りを軽視している面があるのではないでしょうか? また、その教義が初期仏教とは異なる宗派もいくつかありますが、ある教えが仏教であると言える条件は何なのでしょうか? 日本で悟りを開かれているお坊さんはどれくらいいらっしゃるのでしょうか?  その辺りを、お坊さんはどのように考えられているのか伺いたく、質問させていただきました。どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 77
回答数回答 4

『お坊さんとは一体なんなのでしょうか?』

こんにちは(=゚ω゚=) 長年漠然と解決しないものがあり、単刀直入に質問をさせて頂きますm(__)m 『お坊さんとは一体なんなのでしょうか?』 職業としてあるが、お医者さんとは違い体に触れて治療はしない。 話によると事業者の税金は非課税。国民でない? いろいろ人生の相談にのってくれるが、近所の年長者とも違う。 悪い行いをしては善くないと諭すが、もちろん警察ではない。 いろいろ知っているが、哲学者などとも異なる。 誰にでも分け隔てなく門戸を開いている。 毎日毎日、修行やお経を上げているが、相撲のように、儀式や観戦のようにお客を湧かすわけでもない。 法律にある、『個人の思想の自由』を良い形で具現化し続けているもの? となると要は『宗教』なんでしょうが、究極の自己満足の生き方?それとも、やはり修行を死ぬ(一般的な意味で100歳の肉体)までやりたいマゾヒスト? もし、ある一定の地域(日本として)の全員が仏教をしたならば、そこの人々は桃源郷になるのでしょうか?ロボットを創る人も、パイロットも、芸能人も、ウェイトレスもいなくなるので、生活が戦国時代ぐらいになるイメージですが。 でも、そうなると、助ける人がいなくなると、お坊さんはすることがなくなる? 思い付くままに箇条書きにしていますので、僕の偏見や間違いもあるかと思います。すみません。m(__)m 大変失礼と思いましたが、ずっともやもやしていたので知りたいです(。-人-。) よろしくお願い致します(^-^)

有り難し有り難し 70
回答数回答 4

お釈迦さまが自殺をとめられた話について

インターネットをみていたら、以下のような お釈迦さまが自殺をとめられた話がありました。 とても分かりやすいのですが、 これは、何というお経に出ているのか教えて頂けないでしょうか。 ある時お釈迦さまは托鉢中、 大きな橋の上で辺りをはばかりながら一人の娘が、 しきりと袂(たもと)へ石を入れているのをごらんになられました。 自殺の準備に違いない、と知られたお釈迦さまは、 早速近寄られ、優しくその事情を尋ねられると、 相手がお釈迦さまと分かった娘は、 心を開いてこう打ち明けました。 「お恥ずかしいことですが、ある人を愛しましたが、 今は捨てられてしまいました。 世間の目は冷たく、おなかの子の将来などを考えますと、 死んだほうがどんなにましだろうと苦しみます、。。 どうかこのまま死なせてくださいませ」 と娘は、よよと泣き崩れました。 その時お釈迦さまは哀れに思われ、 こう諭されています。 「愚かなそなたには、譬をもって教えよう。 ある所に、毎日、重荷を積んだ車を、 朝から晩まで引かねばならぬ牛がいたのだ。 つくづくその牛は思った。 なぜオレは毎日こんなに苦しまねばならぬのか、 自分を苦しめているものは一体何なのか、と考えた。 そうだ!この車さえなければオレは苦しまなくてもよいのだと、 牛は車を壊すことを決意した。 ある日、猛然と走って、車を大きな石に打ち当てて、 木っ端微塵に壊してしまったのだ。 ところが飼い主は、こんな乱暴な牛には、 頑丈な車でなければまた壊されると、 やがて鋼鉄製の車を造ってきた。 それは壊した車の何十倍、何百倍の重さだった。 その車で重荷を同じように毎日引かせられ、 以前の何百倍、何千倍苦しむようになった牛は、 深く後悔したが後の祭りであった。 牛がちょうど、この車さえ壊せば苦しまなくてもよいと 思ったのと同じように、 そなたは、この肉体さえ壊せば楽になれると思っているのだろう。 そなたには分からないだろうが、 死ねばもっと苦しい世界へ飛び込まねばならないのだ。 その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも恐ろしい苦しみなのだよ」

有り難し有り難し 104
回答数回答 4
2023/07/28

経典、宗派、教えから名付け

9月末に第二子を嫁が出産予定で長男の時は追々は一人娘の嫁の家系を継いで貰う為に嫁の家系の遠い先祖から一字を頂いて名付けしました。 第二子は私の家にちなんだ名付けをしたいと思い名付けを考えていたのですが 自分の家の家系図は祖父までしか追えず近くから名付けは代々受け継いでいるのと違い縁起が悪いと本やサイトで前に知っていたので嫌だという気持ちで 家系からの名前ではなくな私自身、色々な宗教の中から仏教を信じているので仏教の経典、教えや宗派を問わず宗祖、高僧の言葉から良い字を頂きたいと思い 自分の菩提寺が浄土宗なのでまずは浄土三部経の現代語訳を読み名付けを考え読み終えて良い言葉、字などありましたが素人が経典の真の意味や伝えたい事が飲み込めているかも不安ですし。 一応は菩提寺の浄土宗を信じていますが宗派問わず仏教全体を信じているので 名付けでも引き続き、法華経、大日経、金剛頂経などの現代語訳を読んで良い言葉や字、教え、本で宗祖のことばを調べ続けていきたいのですが 私自身、仏教系大学の知り合いがいなく菩提寺の住職が他県の住職になってしまいその息子さんが住職をしているので関係が薄く聞きに行きづらく それとここで宗派を問わず経典で一番大切にしている言葉や字、 大学や先代住職、師からの教えでその宗派で大切にしている仏の言葉、教典の言葉を色々とご教授頂けたらと思い質問をさせて頂きました。 お坊さんも十人十色などで同じ宗派でも違う言葉、教えを大切に思っていると思いますので色々と教えて頂きたいです。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

亡くなった母親の希望を叶えたい

長文失礼します。 先月21日に一緒に住んでいた最愛の母親が浴室で亡くなりました。昨年難病になり今年3月再発し、4月に入院の件で喧嘩しながら再入院、翌5月に退院し一週間後に亡くなりました。 直前迄元気だったそうですが、前日身体が動かない、治療が悪い、こんな苦しい治療を選択させたのは貴女達(嫁に行った姉がます)のせいだ。と言われました。亡くなった当日病院に行く予定でしたので、後悔と苦しさで毎日泣いてます 49日はまだですが、葬式後姉夫婦がお経をあげてくれたお寺に行き、永代供養等話聞いてくれました。実は墓守は私限りで、今年お彼岸の際、父親が介護保険施設に入所中見舞いの帰り、母親とお墓の話をしてました。母親は『決してお墓の土地は売るな、一度は入れろ、墓守は甥や姪にさせろ』と言ってました。 私は現実的では無い、と言いそれきりになってしまいました。 購入した墓の土地近くには叔母の同じく購入した墓の土地が有り、私がお参りしなくても、叔母やその家族がお参りしてくれるだろう、との考えだったようです。 生前話してました。 母親の生まれ育った土地柄そういう習慣でした。 姉が相談したお寺の住職様曰く、墓を建てるにも墓仕舞いもお金がかかる、考えてくれ。行事がある度遠い墓より、近くのお寺に永代供養した方が手を合わせられる。と言われたそうです。 そのお寺では永代供養とはお骨を皆と一緒にして、供養塔に納骨し、他の人と一緒に毎日祈ってくれるそうです。また、 納骨も納骨堂が有るそうですが、吹き曝しのお堂らしいです。かなり古い骨壺もあったそうです。 因みにそのお寺と当家族とは縁もゆかりもなく、たまたま母親の実家と父親の実家の宗派が同じだった事から葬式会社が頼み、お経を上げて頂きました。 49日も終わらず、また、私自身母親の死を受け入れておらず苦しい毎日です。 最後の母親の希望を叶えつつ、どうしたらいいのか教えて頂ければと思ってます。

有り難し有り難し 30
回答数回答 2

仏様を欺くという事

・三帰礼文(今、人として生まれたことに感謝し、仏、法、僧の三つの宝を敬い、拠り所にして生きます) ・十善戒(正しい行い、正しい言葉、正しい心を保つ事を誓います。) ・発菩提心真言(私は今、悟りを求むる心を起こしましたという真言。オンボウチシッタボダハダヤミ) これらの経や真言を「全くその気がない者」がするとどうなりますか?例えば… 私の声「オンボウチシッタボダハダヤミ…」 私の心の声(別に悟りに興味ないし…単にこの真言を唱えたいだけだ) 私の声「三帰礼文~!~自ら仏に帰依し奉る。まさに願わくは衆生と共に~…」 私の心の声「仏様は大好きだけど帰依とかそんな重たい誓願なんてしたくないよ…しかも衆生と共になんて!衆生の事なんてどうでもいい!自分や家族さえ良ければそれで良いんだよ!」 このように私が経や真言をする時はなんとなく仏様を近くに感じたい時、落ち着きたい時などに座禅を組み合掌(印母)を結びながらやってます。 単に仏教の教えにあまり興味なく仏様が大好きなだけなんです。 でも一つ言い訳させてもらいますが、私は決して仏教や仏様を茶化したり、品位を下げたりする気など無いんです。 単に「戒律を守れない、守る気すら失せた」「衆生がどうなろうが私の知ったことじゃない」「自分や家族さえ幸せならそれで良い」というだけなんです。 ただ「疑城胎宮」の境地から抜け出す気なども失せて「もうこのまま疑城胎宮の中でまったりするのも良いか…」というだけなんです。 【しかし声に出してソレらを唱える以上、それは一つの約束、仏様と交わす誓いになりますよね?その誓願を初めから守る気など無くアッサリ誓いを立てては破り続ける…】 このように仏様を欺き続ける私を、カタチだけの“仏教ごっこ”を楽しむ私を仏様はどう思うのでしょう…また実際に本物のお坊さんが私を見たらどう思いますか? 私はハッキリとモノを言われないと分からないバカなのでよろしくお願いします。 ちなみにこれらの事はあくまで「私独り」の中で完結させているので、決して周りに仏教を語ったりなどはしていませんのでそこはご安心を。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

十善戒の教えは、守りやすい順番に並んでいるのですか?

はじめまして、お忙しい中恐縮ですが、気になることを質問をさせていただきます。 私は読書ブログで本を紹介させていただいたり、本の内容を暮らしの中で活用したお話を書いています。 仏教の本は、暮らしの中で自分も相手も気持ちよく暮らせる取り組みが多く、よく紹介させていただいております。 先日取り上げた本には、十善戒について書かれた内容があり、暮らしの中でできているかを当てはめてみました(心に思っただけのことも入れて自信を持ってできる!といえるコトは1つだけですが…) 本では十善戒を、①殺生しない、②盗まない、③性において淫らな行為をしない、④嘘をつかない、⑤意味のない流行り言葉を使わない、⑥悪口をいわない、⑦二枚舌を使わない、⑧貪らない、⑨愚痴らない、怨みや妬み羨み怒りの心を持たない、⑩愚かな考えをおこさない、と紹介されていました。 実際に暮らしに当てはめてみると、「暮らしに合わせて3つに分けられるのでは?」と思えてきました。 ①〜④までの教えは、最低限、「生きていく」のに守らなければならない決まり。 ⑤〜⑦は、家族と仲良く暮らしたり、地域や会社でトラブルを減らす「社会で暮らす」のに欠かせないこと。 ⑧〜⑩は、自分の心の中の出来事でもあるので「幸せを感じる」のに必要なこと。 ちょうど順番通りになっていたので、もしかしたら元になったお経でも「こうなっているのかな?」、まとめていてふと思えてきました。 十善戒の中で「生きていく」ための決まりは守りやすく、後半の「幸せを感じる」のに必要なことはとても難しいと感じます。 教えの元になったお経では、順番によって守りやすさはあるのでしょうか? 解説書などでは、何かしらの分け方があるのでしょうか? 専門家のお坊さまに、お時間のあるときで構いませんので教えていただきたく思います。 緊迫する悩み事ではありませんので、本当にお時間のあるときで構いません。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

カッとなって怒鳴る夫について

すぐカッとなって大声で怒鳴り、怒りを抑えられない夫。普段 比較的大人しくて 気に障る事があると噴火のごとく怒鳴る。その対象が自分ならまだ 自分で決めた結婚なので 諦めもつきます。 娘は以前は子どもでしたから ただ泣くだけでしたけど 成長して 理不尽だと思ったりすれば 言い返すようになりました。そんな娘に対しても怒りを抑えられません。脅し怒鳴ります。確かに口が達者になって 母としてもイラッとくる事もあります。 でも、母親の私が言うのも何ですが 本当にいい子なので、落ち着いて話せばわかる子です。 夫は本当に精神年齢が幼く 自分が一番大事。3・4歳児と同じレベル。だけど、体格は大きく力もあり、威張りまくる。 こういう場合、表面的でも良いから、上手くおだてて 大事にしてあげれば良いという意見もあるでしょう。わかっています。 でも、私もお休みなく仕事してヘトヘトな毎日。気力も体力もいっぱいいっぱいです。夫は週末の休みにはテレビの前から動かず、もしくは 飲みに行ったり趣味で出かけたり。家事は分担どころか、私が仕事で出かけている間に自分が食べた食 器さえ 洗いません。 一日中テレビの前でゴロゴロしている姿、そして気に食わなければ怒鳴りまくる。そんな夫をおだててご機嫌取るなんて ヘトヘトになって帰ってきて 出来ません。 書ききれない程、たくさんの辛い事がありましたし、自分なりに頑張ってきましたが 夫が変わるなんてもう期待してないですしありえないと思います。私には夫はいないし、頼れる存在でも信頼出来る存在でも無い 何の期待もしてないです。むしろ うちの中にこれだけ嫌な人がいると 社会的に関わる全ての人がいい人に見えてきます。周りの人々には恵まれているおかげで何とかここまでやってこれました。本当に感謝です。 でも、娘に危害が及ぶのだけは耐えられません。 何か 良いご助言頂けると有難いです。 心が穏やかになるお経などあれば 夫の枕カバーに入れたりとか藁にもすがりたい気持ちです。(でもお経を頭の下にするなんて罰当たりですよね。) 思いのたけを書きまくったら少し気持ちが整理出来ました。お忙しい中読んで頂き有難うございました。

有り難し有り難し 29
回答数回答 2

今後の人生に光を見出す方法を教えてください。

私は就職活動に失敗したため、来春から実家の寺で尼として勤める予定です。そのこと自体はいいのです。「大企業に勤めて東京や大阪という都会で生きてみたかった」「友人の多くはそういったところで働いていてうらやましい」というような思いはありますが、そこは自分の理想の高さ、プライドの高さが招いた結果であり、大企業に入れたとしても数年後には寺に帰らねばならなかったので我慢できます。しかし、不安で苦しくて仕方ないのはこれからの人生です。今付き合っている人は東京で就職します。転勤の多い職種です。もちろん、寺があるのでついていくことはできません。なので、退職まで単身赴任か、お別れかということになってきます。お別れの場合、私は新しいお婿さんを探さなくてはなりません。ただでさえ、寺に来てくれるお婿さんを探すだけでも大変なのに、私には知的障害の兄がいます。もちろん家族なので兄のことは好きです。しかし、寺に来てくれ、更に私の家族までも受け入れてくれる人はいるのでしょうか。苦しくて苦しくて仕方ないのです。就職や結婚、今ある現実や思い描く未来を考えれば考えるほど苦しいです。また、住職となるには教師資格もいります。そのためにはいくつか方法がありますが、一番簡単なのは別科に行くことだとわかっています。しかし、別科に行く=少し程度の低い大学の敷地に踏み込まなければならないという醜い醜い考えに至ってしまうのです。世間体が良い大学だけが人の全てではないということは重々承知ですし、ましてや今自分が日本一の大学に通っているわけでもない、上の下のような大学に通っている身分でこんな考えを持ってしまう自分が嫌になります。こんな考えを持つ自分が尼になり、檀家の方々に慕われるとも思えません。昔に得度をしただけでろくにお経も読めず、また、女なのでお経を読む声に重みがなく「住職の声はいい声だ」という檀家の方も多いので、自分のせいで檀家離れや収入の減少があると申し訳ないと思います。これからの時代、宗教離れの加速もあり、食べていけるのかと心配です。自分の考えの醜さ、プライドの高さにもとことん嫌になります。どうしたら今後の人生に光を見出すことができますか。

有り難し有り難し 20
回答数回答 2

モヤモヤして不安な気持ちでいっぱいです

まず、お坊さまへは何度も家の事情を聞いていただきその度に丁寧なご回答をいただき感謝しています。 どうしてもまたモヤモヤして不安な事が湧いてしまいました。気分転換にヨガをしたり本を読んでみたけれど全く晴れないのでまたこちらで書かせてください。 先月、父が亡くなり、来週法要と納骨になります。亡くなった父が悲しむと思い、49日までは何とか母と揉め事は起こしたくないと努めてきました。 両親は離婚しているため喪主は私ですが、やはり元とはいえ本来ならば妻である母が喪主ですから、父の葬儀の事は全て母の意向に沿うようにしてきました。母の希望でコロナ渦で親戚は呼ばない家族葬で見送りましたし、コロナ渦なので親戚への連絡もすぐにはしたくないと母が言うので私からは連絡しませんでした。結局向こうから連絡があった時に話すことにはなったのですが。 そして、納骨には親戚の方々もみなさん行きたいと言ってくれたのですがコロナが治らないからと母が全て断りました。 それなのに、父に縁もゆかりもない自分が信仰する新興宗教の友人を3人も呼ぶというのです。コロナ渦だから親戚を呼びたくないという意見と矛盾しています。 結局のところ、母は自分と疎遠になっている親戚よりも自分のよく知った友人を呼んで安心したいだけなのです。 父と親戚は生前元気な時は毎年お正月に集まっていた仲でしたので、せっかく行きたいと行ってくれたのに申し訳ない気持ちでいっぱいです。 今さら私からその方々にお断りするということはしませんがその事にずっとモヤモヤしています。 母から7日毎に一緒にお経をあげようと提案されそれも朝早く起きお勤めをし、今朝が最後だったのに、昨日から母は不機嫌で今朝もうお経はあげたからお前はいいと言われ、それもとても残念で悲しいです。 母も歳なので辻褄の合わないことを言う事が多くなっているのは理解しております。こちらが筋の通った事を言ったとしても理解できないで怒り喚き散らし周りに迷惑をかけるだけなので何も言いません。しかし何も言わなければ言わないで母は私は何も出来ない人間だと思っているようです。親戚の若い子にまでうちの子はこれもダメあれもダメと話してるのを聞きまた悲しくなりました。 父の納骨の日までには何とか自分の気持ちを立て直して父を見送ってあげたいのですが、どういった心持ちでいれば良いでしょうか。

有り難し有り難し 9
回答数回答 2