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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6202件

母の死が信じられず乗り越えられない

先日母を亡くしました。 こんなに悲しくつらく後悔ばかりだとは、思ってもいませんでした。入退院を繰り返し、退院して家に帰って来たこともありましたが、ショートステイやデイにお任せしたり、3ヶ月前からは入院したきりでした。だんだん食べられなくなり、先生から胃ろうのことを考えてと言われた時、即答できずに悩み、でも母ももう少し生きたいと言ったので、迷いを消し、胃ろうを選択しました。それを待っている最中、母は肺炎で亡くなりました。 夜中、病院から電話があり駆けつけた時には、もう心肺停止状態で、最後に会話することも、看取ることもできませんでした。体はガリガリになり、朽ちたようでした。私がもっと早く胃ろうの選択をしていたら、もしかしたら生きていたのか。 でも、パーキンソン症状の難病があって、長生きしたとしても本人が苦しかったのでは、など、整理がつきません。 私は口下手で、母にちゃんと愛情を伝えたこと、ないと思います。伝えておけばよかった、もっと優しくしておけばよかった、後悔しても取り返しがつかないのに…。 自宅で介護(というほどのことは出来ていない)していた時、便で布団を汚したくらいで怒り、「私の一生台無しやわ」 とか、酷い言葉を投げつけました。そんな自分が許せないのです。 もう一度、会いたい、謝りたい、と思ってしまい、今の現実が受け入れられず、夢なら覚めて、と…。遺影を見るたび泣いています。遺影は、元気な頃のかわいらしい母。病気をしてからは、化粧もできず、そんな姿を周りに見せるのは嫌だっただろう、など、色んなことを思って悲しくて、でも取り返しがつかない、母に酷いことばかり言った自分が許せない。母のところへ行きたいです。 車椅子になってから、外食に連れ出すこともほとんどなく、かわいそうなことをしたと、本当に後悔ばかりです。 最後に私が母に言ったのは、「また来るね」って…。その前日、「見舞いに来るの面倒やろ?」と聞かれ、「そんなん気にしやんといて」と、そんな会話がありました。会いたいから来てるんだ、と言えばよかった。 時間が経てば、気持ちが収まるのかもしれませんが、それすら私には罪に感じます。母は一体どこにいるのでしょう。謝りたいです。夢でも霊でもいいから会いたいです。 母に会うには、気持ちを伝えるにはどうしたらいいのですか?まだ四十九日も過ぎていません。母は近くにいるのでしょうか。

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愛犬の死への後悔

本日、13歳8ヶ月で愛犬が亡くなりました。 具合が悪くなってから亡くなるまでの10日間、あの子にとって最善の方法で治療が出来ていなかったのではないか、と強く後悔してしております。 食べなくなって5日目、その日にかかりつけの病院へ行き、今の状態を知り治療をする為に1泊入院する事になりました。 その時は入院が一番良い方法だと思い迷いもせずお願いしましたが、翌日に迎えに行った時のあの子は余りにも弱りきってしまっていました。 入院なんてした事のない子でしたので、入院がストレスになり体調悪化の引き金となってしまったのか、、、と考えてしまい眠れません。。 わたしがあの子へのストレスや気持ちを理解出来ていなかったんだな、、と思っています。 退院の翌日、あまりにも痙攣が酷いため身体を休ませたく先生と相談して痙攣を止める注射をして頂きました。 注射してすぐに痙攣は止まりスヤスヤと寝初めて安心し、あの子を連れて帰宅しました。 本日の朝に確認するとまだ息はしていましたがまもなくその時が来る、、と覚悟を決めました。。 私と主人が起きあの子の頭を撫で、父と母が実家から来てあの子の頭を撫で、主人と父が仕事へ行きその10分に本当に静かにスッ、、と息を引き取りました。 昨日までの痙攣の激しさが嘘のような、 本当に静かな最後でした。 亡くなった本日に合同火葬に出しました。 亡くなる前から骨は手元に残さない、他の動物たちと一緒に土の中で眠ってもらおう、と決めていました。 その代わりに、あの子の毛を刈り取って手元に置く、と決めました。 あの子をお気に入りのベットと毛布と一緒に箱へ収め、大好きだったおもちゃとご飯を入れ、あの子の周りを花いっぱいで飾ってお預けしてきました。 あの子の骨は他の子たちと一緒にきちんと供養塔に納骨されますから安心して下さい、と言って頂けました、、 後悔はしていません、と言いたいですが、入院させたこと、亡くなった当日に合同火葬へ出したこと、これらが本当に胸を張って正しい選択だったのかというと自信が持てません。。 悲しいです。 悔しいです。 苦しませてしまった。 辛い時に家ではなく病院という知らない場所で過ごさせてしまった。 骨も残さず預けてしまった。 家に帰ってきたかったかな? 色々な後悔が生まれてしまいます、、 わたしの選択は正しかったのでしょうか、、?

有り難し有り難し 6
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父の死からどうしても立ち直れない

今年の1月、父が亡くなりだした。未だにショックから立ち直れないでいます。 病院から「呼吸が止まりました」の連絡を受け、病院に駆け付けた時には既に死亡した後でした。何が何だかサッパリ判らなくなって、オロオロするしかありませんでした。私も母も覚悟はしていましたが、いざとなると、震えてしまいます。 去年の12月に突然「先生呼んで「救急車呼んで」」と言い出しました。父は兎に角、大の病院嫌いでして、頑として病院に行きたがらない人でして。それが、自ら病院に行くとは、今にして思うと、余程の覚悟があったのでしょう。そう考えると、あの日父はどんな思いで長年住み慣れた家の景色を見ていたんだろうか、見おさめとなった我が家の風景を見ていたんだろうかと思います。 父が亡くなる二日前、私が病院で父に「ほいたら帰るきね。又来るきね」と言いました。その時私には、父が小さく頷いてくれた様に感じました。本当に頷いてくれたかどうか判りません。私が、そう感じただけなのか、永遠に判らないままです。 亡くなった当日、病院に駆け付けると、普段は仰向けに寝ている父が、何故か出入口の方向を向き、呼吸器が若干ズレていました。きっと最後のの気力を振り絞って、意識の無い中、声にならない声で、「お母さん、お母さん」と叫んで旅立ったのでしょう。そう感じました。 私は本当に今でも苦しくなります。急に胸がドキドキしたり、涙が出たりします。 毎日毎日父の写真に挨拶をし、「ああ、もうこうする事でしか挨拶出来ないんだ」と悲しくなります。「お父さんを大事に出来なかった分、お母さんを大事に仲良くするきね。見よってよ」と、毎日報告しています。この声が父に届いたら良いなぁと思います。 あれから3週間経つのに未だに立ち直れないだなんて、やっぱり私が愚図でノロマだからかなと、思います。 いつまでもそんな事ではいけない事も判っています。しかし、父が生きていた日が次第に遠ざかる。そんな当たり前の事さえ悔しいです。腹立たしいです。 こんな気持ちをどうしたら良いか判らず相談させて頂きます。 よろしくお願いいたします。

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二匹の子猫の死

初めまして。よろしくお願いします。 先週、野良猫が4匹子猫を連れて、向かいの家の車の下にきました。 数日後、車に乗る際、もしかしたらこちらにも来ているかもしれないと思い、自分の車の下を見てから車を発進させたところ、どこかに隠れていたのか一匹の子猫を轢いてしまいました。ビックリして車の外に出ると、少しの間もがき苦しんだ後、亡くなってしまいました。私は子供達に見せないよう、タオルで身体を包み、段ボール箱に入れて、区に引き取りにきてもらいました。 同時に、向かいの家の車の側に一匹置き去りにされ、じっとうずくまっていた子猫を、すぐに保護しました。 またうちの車庫に来ていたら怖いのと、殺してしまった兄弟猫への罪滅ぼしの気持ちもありました。 そのまま動物病院へ連れて行くと、呼吸が荒く、おそらく肺炎を起こしている、もしかしたらこのまま亡くなってしまうかもと言われ 抗生剤の注射を打ってもらい、あとはこの子の体力と運次第だと言われました。 それから最初の2日は苦しそうに呼吸しながらほとんど寝ていました。少しずつ小さなシリンダーでミルクを飲ませ、3日目にはウェットフードを食べてくれるようになりました。 これで峠は越えたのかもともう一度動物病院に連れて行くと、少し良くなったがまだ急変の恐れがあると言われました。そんな事は起こらないで欲しいと願いました。 最初は一時的に保護し元気になったら猫を飼いたがっている義母にお譲りしようと思いましたが、4歳の娘が大変可愛がり私も愛情がわき、家族として迎えようと名前も決め、用具を揃えた矢先、昨日突然亡くなりました。うちにきてから一週間。私の誕生日でした… 午前中は歩けていたのに午後には立てなくなり、全身が脱力し下顎呼吸をしていました。 タオルでくるんで身体をさすりながら、ずっと抱っこしていました。時折小さく痙攣し、苦しそうに鳴き、もうこの子は助からないとわかりました。 子供達に食事を用意しようと、一瞬毛布の上に寝かせたら一声鳴き、ここにいるよ!と返事をしましたが亡くなっていました。 本日業者に合同火葬にて引き取ってもらいましたが、今も涙が止まりません。殺してしまった子は区の回収なので恐らく埋葬されず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 娘にはお空にいってお星様になったんだよと話し、二人で泣きました。 忘れることのない誕生日になりました。

有り難し有り難し 12
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父の死が怖い

父が末期ガン、余命わずかで来月いっぱいはもたないと言われています。 私は一人っ子で遠方に嫁ぎました。 若気の至りで遠方にいてそのまま、という感じです。 親には何度も、こっちに来てほしいと言われていました。 ですが嫁ぐ事になり、父は私が幸せに穏やかに暮らしていれさえいればそれでいい、と言ってくれていました。 だけどやはり心残りはないと言えば嘘でした。後悔もしていました。 そして月日が経ち、、現在に至ります。 コロナの関係や諸事情で、会いには行けず次に会えるのは残念ながらお葬式になってしまいます。 私には子供も生まれ、帰省の際には思い出をたくさん作り、毎日のように子供などの写真を送り、父も毎日のようにそれを見てくれていました。離れていても、そんなやり取りで繋がっているのが嬉しかったし安心できました。つい最近まで、私や孫の事を色々気にかけてくれていたし夏には帰省できないだろうから何か送るよ、と言ってくれていました。 そんな矢先でした。 それから毎日、なんとか受け止めなければと考えますが、やはり受け止める事ができません。 何をしていても頭の中に父がいて たまに父の声が聞こえてくるような、ずっと頭にもやがかかっているような状態です。 何かをしている時はまだましなのですが、ふっとやってくるんです、、波があります。 本当なら今すぐに会いに行きたい気持ちです。 父が亡くなっても、私は受け止められるでしょうか。 先が見えない真っ暗なトンネルにいるようです。正直怖いです。

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祖父の死、後悔が尽きません

癌の余命宣告を受けていた祖父が旅立ちました。宣告されていた余命よりも長く頑張りました。 幸いにも、亡くなる1週間ほど前までは元気で、薬は飲んでいたものの、入院することもなく、亡くなる前日まで散歩をしたりしていました。 私は祖父と同居していたこともあり、おじいちゃんっ子でした。 海外に住んでいるため、コロナ禍ということもあり、祖父が亡くなるまで一度も日本に帰り会うことはできませんでした。 そのため、毎日祖父にビデオ電話をかけて、お喋りすることにして、連絡を取り合っていました。でも、毎日と決めていたのにも関わらず、3日間連絡が空いてしまうことや、祖父の話をちゃんと聞いていなかったときもあったなあ…もっといろいろ聞いて、もっと闘病中の祖父を労ってあげればよかった、という後悔で押しつぶされそうです。闘病中でしたが、ご飯もよく食べ、散歩もし、元気だったため、その姿に甘えて、寄り添ってあげれてなかったのではないか…実は苦しかったのにそれを見せなかっただけだったのか…考え出すと苦しくて涙が止まりません。人間未熟な自分が嫌になります。 まとまりのない文章で申し訳ございません、いまの素直な感情を書かせていただきました。私もいつか祖父のいる場所に行く時が来たら、また会えると信じています。また会いたいです。

有り難し有り難し 5
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