ああ…なんて 青空 と 二階のトイレに座って ぼーっと 見上げていると 何も考えていないのに 涙が出てくる ここから 身体を 投げ出せば 今この 苦痛だけは 終わらせる ことが できるんだろうな と 網戸を 開けてみた 絶え間なく ドアを叩く音と 母親の怒声 「いつまでみんなに迷惑かける気!? あんたさえ学校に行けばみんな幸せになれるの!もう18なんだよ!? もう疲れた!!あたしには一生あんたの世話してよぼよぼになっていく自分の姿が目に浮かぶ!」 この苦痛から 逃れたい その方法が死しかない 逃げ場など どこにもない 疲れた疲れた疲れた疲れた 疲れた疲れた疲れた疲れた もうやめたい
死について質問です。 今の私にとって死とは、必ず行き着く先であるからこそ、明日すら計り知れない今を頑張る源となっているように思います。 小学生の頃はずっと死にたくないと思っていたのに対し、大学時代は死にたいけれど自分から死ぬ勇気はない、そんなことで周りに迷惑もかけたくないと思っていました。 また一度だけどうしようもない気持ちがいっぱいで手で首を締めた時、少しの吐血で非常に驚き、やっぱり自分から積極的に死を選ぶことはできないと実感しました。 そうして死の捉え方が変わっていきながらも、今は明日死んでも、五十年以上後に死ぬことになっても、いつでも悔いなく安らかに眠れるような気がしています。 一方で医療職に就き人の命を救う立場でありながら、このような死の捉え方をしていることには、どこか自分や他人に嘘をついている気がしてしまうこともあります。 お坊さんがたは、お葬式などで死者を弔う役目を果たされながら、死をどのように捉えておられますでしょうか? どうぞお聞かせ頂ければと思います。 宜しくお願い致します。
死について考えてばかりいます。 ちゃんと仕事に行き、普通に毎日を過ごしていますが、頭の片隅にはいつも『死』が居座っています。楽しいこともするし、おいしいものも食べる。でも『死』を考えないことはないのです。 積極的に死のうとは思わないのですが、親が生きている間は死ねないなぁと思っています。昨年の夏父が亡くなりましたが、死んでからどこへ行くのだろうと考えます。あの世なんてあるのかな、そんなものあるわけないとか、考えは逡巡します。 死について初めて考えたのは小学生の頃だと記憶しています。自分が死んだ後も世界は回っていくんだ、今死んだら明日起こることは自分にはわからないんだと気づいて恐ろしくなりました。 死にたい(というか消えたい)思いと、親や夫、子どものことを考えると死ねないと言う思い、振り子のようにこの2つの思いの間を行ったり来たりしています。 今の自分の意識がなくなることが恐ろしいのかな。考えたりしている自分がいなくなる。それがこわいのかな。あの世なんてあるのかな。死んだらどこへ行くのかな。 そんなことを考えながら何食わぬ顔で普通に生活している自分に疲れてしまい、休日はほぼ寝たきりで過ごしています。 どうか死について教えてください。 よろしくお願いします。
高齢者の安楽死についてご意見をお願い致します。90歳になる身内の者が倒れ入院となった際、医師に言われました。平均寿命を超えているからもういいのではと。つまり、延命治療をせずに逝かせるということです。家族は反対し、できうる限りのことをしてほしいと願いましたが、いざ胃瘻をどうするかの際に、この医師は容態について虚偽の説明までして胃瘻を阻止しようとしました。 高齢者の医療負担が大きな問題となっていますが、この医師も口から食べられなくなったら寿命とは言うものの、だからといって家のように栄養を少しずつ減らして二三ヶ月で逝かせましょうだなどと私はどうしても疑問を拭うことが出来ません。 医師が捉える死と御坊様が捉える死とは違うとは思いますが、命を救うのが医療であって、そこに延命も何も無いのではと私は思ったりもするのです。蝋燭は燃え尽きてこそ終わりです。口から食べられない、平均寿命を超えていることから死に至らしめようと安易に考える医師に私は命に対する驕り高ぶりと恐ろしさを感じます。たとえ口から食べられずとも、今その目の前に尽きていない命があるのですから。
このタイトルの質問は多くたくさんは拝見するのですが、少し私は考えが違うかもしれませんので、投稿させていただきます。長文御容赦ください。 私は死について考え出したのは小学6年生の時でした。 そのときは、死んでしまうともうこの世には帰ってこれないし、今楽しいと思うことはもう二度とできない。といったものでした。 そして、考え方は年々変化しました。 今は以下のことを考え、夜になると吐き気をもよおすこともあります。 ・死んだらどんな姿になるのか ・姿が変わっても親や妻、夫に会えるのか、また後から来る人にも会えるのか ・生まれ変わるというが、今実際前世何かだったという記憶も多分ありません… ・あの世でも老化ということがあるのか?あればどのくらい前の人まで会えるのか?なければ老けない姿でどうやって会いたい人を探すのか? ・なんといっても向こうでも働くのか?食べるのか?ずっと活動するのか? といったことがこれでも一部ですが、考えてしまいます… 誰も死に逢ったことはないし、わからないものです。 ですが、かといってこういうふうな捉え方をするなと言われてもできそうにはありません… ありがたきお言葉をお待ちしております……
今年の1月に義理の母が大動脈破裂により 亡くなってしまいました。 49日と100日法要を同日に済ませました。 身近な人が亡くなってしまってから 死について考えるようになりました。 死んだ義母はどこへ行ったのか。 天国という、世界はホントにあるのか。 以前ネットで亡くなった方が49日までに 神様と戦うという記事を見ました。 それはホントでしょうか? また、死んだ人は、死の世界で なにをしているのか。 回答のほど、よろしくお願いします。
長年病と闘い、手術を繰り返しながらも頑張って生きてきた母が昨年4月に亡くなりました。 やはり長年病に苦しみ寝たきりだった父の介護を私と二人で必死にやって日中は一人で一生懸命やってくれました。私が帰るとたくさん話しかけられたのに言葉を発することのできない父に話しかけることに必死で母とは少ししか話せませんでした。 父が亡くなり母をこれから楽しませてあげようと思っていた矢先に毎週手術の繰り返しになり、退院後は一人で怪我したため朝母を送って残業後の夜までデイサービスを受けることになりました。 毎日忙しく人見知りするのにと申し訳なく思っていましたが、施設の人達は母をとても可愛がってくれて母も嬉しそうな顔をしていたのが唯一の希望でしたが、私の迎えも楽しみにして嬉しそうな顔をしていたのが可哀想で胸が痛かったです。 そんな母が入院して病院にも泊まれず、私が帰る時の淋しそうな顔は忘れられません。 母は病院や施設を転々とした後に最後の病院は、最期は介護施設と同等の病院だからと医療措置を取ってもらえず転院も断られ、胃ろうや点滴を止められて餓死するような状態で亡くなりました。 私は母が可哀想で可哀想で何であの病院に預けたのかと、普通の施設や病院であれば父のように最期まで医療措置を取ってもらえたのにと悔やまれてしようがありませんでした。 そして今回自分が手術を受け、自分や配偶者、両親の死について考えてしまいました。 生前母は、家に一人で言語障害の父と残されて娘は父の介護であまり話してくれず、自分は手術の繰り返しで殺してくれと叫んだ程の苦しみ、退院後は人見知りが激しいのに施設に預けれられ朝と晩しか娘といれない、入院後は娘と少ししか会えず自分の死が近くなり病院は措置してくれず自分の死に娘は間に合わず看取ってもらえなかったなど、どんなに淋しくて心細かったかと思うと母が可哀想で可哀想で胸が張り裂けそうです。 自分の術後の痛みや再発の不安、母への申し訳なさでパニック障害と不安症になってしまいました。 父母の死を経て「死」について納得していたつもりですが、この年齢なのに今回混乱してしまい分からなくなってしまいました。 今後どのような気持ちで日々過ごしていったらいいか、「死」についてどのように捉えて行けばよいのか、どうかご教示をお願いいたします。
こんばんは。 このサイトを拝見して少し自分について考え直すことが出来た様に感じます。 私は今を精一杯生きて、自分が苦しいときや、迷ったりした時は仏様に救いを求めようと考えています。 しかし、私は死んでしまう時のことを考えて恐ろしくなってしまいました。仏様の教えには諸行無常と言う物があり、全ては無に帰ると聞いたことがあるので、死んでしまった後のことは余り考えない様にしています。 ですが、死んでしまうその時が恐ろしくなってしまいます。勿論誰だって痛かったり苦しいのは嫌だと思います。 しかも私は、何も無い人間なので、孤独死だったり、重い病気にかかってしまったりするかも知れません。 死に対する向き合い方を教えて頂くことが出来たら幸いです。 新型コロナウイルスが流行し、自粛を続ける生活の中で、考え込んでしまう時が増えた様に感じます。毎日ニュースも暗いものばかりで、何も手につかず、ずっとぼんやりしてしまいます。早く元の生活に戻れることを願っております。皆さんお体に気をつけてください。 ご回答いただければ幸いです。
外敵の脅威に晒されず、田畑をのんびり耕し、子どもは伸び伸び育ち、ご近所さんや家族仲間と笑いあい、物々交換しあっていた日の差す日本が羨ましい。 もうその頃の善意良心、温かみだけで成り立っていた世には戻れない。 「安楽死」の言葉、なんて魅力的。「安楽」が布団の中でぬくぬくすやすや眠るイメージ。 しかしやる事は自殺。それも他人様に殺人の罪を被せるわけだから制度として確立されるわけがない。 死ぬのは怖い。それでも知りたいのは自分の死期。委託殺人があった、制度が出来たら死ななきゃダメなの?みたいなクソ漫画もあった、海外と日本の考えが全く違うのも分かる。 希望は内側から開けられない、逃げられないカプセルの中に入り、瞬殺するガスのボタンを自らの手で押す。処理だけはお願いしておく。これが理想、これなら誰も悪くない。 自分の死期はここまでって選択として握っていたい。安楽死制度がもし出来たら私の守りになる。今より熱がきっともてる。明確なそこで死ぬというゴールが欲しい。 某占い師ばりに寿命を断言してほしい。 死期の知り方を教えてください。
死に対して怖くてしょうがありません。 もしかして死んでしまうかも知れないという状況に何もできなく、見にも行けなくて、聞くのもつらい、その人、その物などなくなるのが怖くて耐えられないのです。あの世に行ったらどうなるんだろうとか、死ぬ時には苦しいんだろうか? もう会えなくなると思うだけで眠りないこともあります。あの世はこの世の延長で終わりではないとか、誰かの言葉をみて言い聞かせたけど、いざ自分の身内の なくなったり、危ないと聞くと震えて過呼吸になり、パニックになり、安定剤を過剰に飲んだりしました。みんな同じ思いなのに、私だけ出来ない受け止められない、現実逃避してる自分が苦しいです。助けて下さい。全般性不安障害を持ってます。だからといって避けられるものでもないし、もっと強くなりたい。
大切なものほど失いたくないのはみんな同じだと思っています。 特に家族に対して、いつ病気になるか、いつ死んでしまうのかと考える日々が多くなり毎日不安と恐怖に襲われています。苦しくて苦しくて心が落ち着かなくなります。 考えたくないのに考えてしまったり、どう自分を落ち着かせたらいいのか分からないです。なぜいきなりこんなことを考えるようになったのかも分からないです。ただニュースなどのノンフィクションでも映画やドラマのフィクションでも死についての情報をかなり拒むようになりました。 どうしたらよいのでしょうか。
人は生き物は死んだら無になるのかならないのかその点について詳しく教えて下さい 私は正直言って死ぬのが怖いです
先日、4年前まで実家で一緒に暮らしていた祖父が癌だということがわかりました。そして今日、あと1ヶ月もつかどうかと宣告されました。 86歳の祖父は農作業が大好きで、殺しても死ななそうなガッチリとした体つきでした。あと、5年や10年はピンピンしていると思っていたので、とてもショックを受けました。 そこで、私は祖父に何かをしてあげたい。という思いが出てきました。しかし、私に何ができるのかわかりません。もっというと、何かをしてあげたいという思いは私のエゴなのではと思いました。 結局のところ、私がしたいようにすればいいのだと思うのですが、祖父の死に向き合うことができません。 祖父の死に向き合う勇気の出る言葉を頂けないでしょうか?
私は長年、精神疾患で人生を無駄にしています。 私が精神を病んでいる間に親類は亡くなり、後悔ばかりの日々です。 結婚も難しいでしょうし、ずるずると「生」にしがみつき、家族なくこのまま孤独死となることに恐怖を感じています。 日本は長寿大国ですが健康寿命は短く、医療の力で延命されている方がいらっしゃるかと思います。もちろん本人が生きる事を望むなら正しい事かと思います。 ただ、私自身は今はまだ何とか生きられるけど、将来を考えれば安楽死や尊厳死などの選択肢も考えるべき人間ではないだろうかと思っています。 長くなりましたが、安楽死や尊厳死について皆さまのお考えをお聞きできたらありがたいです。 「老い、病気、精神疾患、その他」それぞれ理由はあるかと思いますので、場合によりその考えもあるというお答えでもいただけたらありがたいです。
こんにちは、おはようございます いつも死に、ついて考えています。質問者の中に、自死されて深刻な質問もある中、こんな質問もなんだと思いますが、自分が死ぬことは、肯定は出来るのですが、死ぬことに、恐怖があります。人間は、何時か亡くなるときが来ます。恐怖を感じないようにするには、どうしたらいいと思われるでしょうか?
初めて投稿させて頂きます。 最近、生前親しくしていた叔父と叔母が続けて他界しました。 叔父は老衰で、叔母も老衰でしたがコロナに感染していたためコロナ死として扱われました。 叔父の時はお葬式があり最後にお顔を見ることが出来ましたが、叔母はコロナ死のため直葬になり顔を見ることなくお別れをしました。 叔母のお骨を拾いながら、生前親しくしてくれた時の思い出がよみがえり、コロナ感染の有無でこうも死への扱いが違うのかと憤りを感じると共に死というものの無常さを感じざるを得ませんでした。 叔父の死は納得して送り出せましたが、叔母の死をまだ受け入れられない自分がいます。 日々死に向き合っていらっしゃるお坊様に心の持ちようを教えて頂きたいです。どうぞよろしくお願いします。
初めまして。唐突ではありますが、「即身仏」になりたいと思っています。世の中変わりません。いつまでたっても時代と人が入れ替わるだけで些細なことから大きな規模まで争いが続きます。一般の人でも即身仏になることは可能でしょうか?仏教に深く根ざす住職様なら即身仏のなり方やどこでなることができるのか、ご存知かと思いましたので質問させていただきました。回答のほどよろしくお願いします。
大切な人を亡くした時、どうすればこの悲しみが癒えるのでしょう。
中学生男子です。 コロナウイルスの影響で学校が休みになってから、死を意識してしまい、食欲がなくなったりしています。他にも、母が死んだらどうしよう...、死んだらどうなるのだろう?などを考えてしまいます。 その事をインターネットで調べると、「大人になりたくないのでは?」と書いてありました。 ここで質問なんですが、死を怖がるのは考えすぎでしょうか?それとも、大人になりたくないと考えすぎなのでしょうか? 後、浄土宗では死んだ後、極楽浄土に行くと言いますが、念仏を唱えていなかったら絶対地獄行きなのでしょうか? 長文すみません。
先日、私の大好きな韓国のアイドルグループのメンバーの1人がこの世を去りました。 自殺でした。 まだ彼は27歳でした。 彼の遺した遺書には 「今まで大変だった。お疲れ様と言ってほしい。最後の挨拶だ。」などと書かれていました。 彼が亡くなって既に1週間が経とうとしていますが、私は未だにその死を受け入れられません。 私が見る彼の姿はいつも画面を通しての姿だけでした。いつも笑顔でファンのことをとても大切にしてくれる優しい人でした。 ですがそんな彼にしか分らない葛藤や悩みがあったんだなと思うととても辛く、そしてどうしてその苦しみに気づけなかったのかと後悔してしまいます。私なんて彼からしたらたくさんいるファンの中の1人で… 私1人が何かしたからといって彼の助けになれたのかは分かりませんが、それでも悔しい思いです。 私は今まで「人の死」というものに向き合う機会がありませんでした。 自分の身内にも今までほとんどそういったことがなかったからです。 だから尚更このやり場のない気持ちをどうすればいいか分かりません。 しかも彼は芸能人です。しかも隣の国の。 彼は私の存在を知らないし、私が勝手に応援してただけです。 そんな存在なのに、アイドルなのに、悲しくてしょうがないんです。どう乗り越えていけばいいのか分からないんです。 それなのに日中ではいつも通り仕事をして、人と話をして、笑って…何事もなかったかのように過ごしている自分もいて。 でもふと夜中に1人になると彼を思い出して涙が止まりません。彼を思っては、彼の歌を聴いては泣く、そんな日々です。 彼の遺書にあったように心から胸を張って 「お疲れ様」とか言えないです。 そう言えたらどんなに楽だろうと思います。 私はこれからどう彼の死を乗り越えていけばいいのでしょうか?