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hasunoha 問答検索結果 : 「 お墓 」
検索結果: 1889件

お寺に通うことは可能ですか

3度目の質問になり恐縮です。 新型コロナがおさまった後の話ということで、ご相談させていただけますか。 タイトルのとおり、お寺に通うことは可能かどうかについてです。 私は子供のころ、比較的お寺に親しんで育ちました。 法事以外でも、近所のお寺でご住職様のお話を伺ったこともありますし、仲の良かった友人の実家もお寺でした。 両親は、お寺の方を信頼し、お墓参りなども大切にしていたと思います。お寺の静けさと、さりげない人の気配に、子供時代の私は安心したことを覚えています。 その後、私の実家のお墓は兄が守ってくれることになり、私は地元を離れて結婚しました。 夫の実家は、事情があってどの宗教からも距離を置いており、夫の両親も夫も、今後お墓を持つ予定はないそうです。 そのため、私と家族は今、お寺や神社、教会といったすべての宗教と縁のない生活を送っています。 しかし、私は近年、年を重ねるごとに様々なことを考えるようになり、また子供のころのように、時々お寺に行ってお坊様のお話を伺ってみたくなりました。夫は「自分は宗教にはかかわらないが、君が一人で行くぶんには構わない」と言ってくれています。 少し地域のお寺を調べてみましたが、檀家でないのに一人でふらりとお寺を訪れるのは少し敷居が高い気がいたしました。法話の会も開催されているようですが、檀家の方や年上の方ばかりだと少し気おくれしてしまいそうと感じたり、一人で参加するのが不安であったり、いろいろなことを気にしてしまいます。 それならば一人で仏教を勉強しようかとも思いましたが、私は仏教を学びたいというよりは、どちらかというと、お寺やお坊様とつながりを得たいのだと思います。 私には今、ふと心が迷ったときに、自分の家以外に向かう場所がないからです。 お坊様に個人的に悩み事を相談するために伺いたいわけではなく、ただ、お堂でしばらくの時間座らせていただくだけでも十分気持ちが安らぐ気がいたします。 もちろん、自分の家は安らぐ場所ですが、ずっと引きこもってばかりです。 社会との接点として、お寺とつながりを持ちたいというのは、あまり一般的な考えとはいえないでしょうか。(ふさわしくない場合は、はっきりご教示くださってかまいません。申し訳ありません) 御多忙な折に、読んで頂きありがとうございました。

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ペットに対する家族の対応に納得いかない

はじめまして。 ポムと申します。よろしくお願い致します。 私の実家では以前犬を飼っておりました。(仮名:林檎)母親が欲しいと言って買ってきて飼っていましたが、1〜2年ほどで対応がおざなりになり、同居する祖父母が散歩や餌やりをしていました。 数年後、もとから飼っていた先代の犬が亡くなると同時に祖父母も林檎に餌やりしかせず、繋いだままにするようになりました。何年かで亡くなってしまいましたが、10年ほどの寿命と、犬にしては短い命だったと思います。 なぜ、私が上京したタイミングでペット可のマンションを選び、林檎も連れて行かなかったのか、数年経った今でも毎日後悔しており、考えると悲しい気持ちになります。林檎を考えたときに出てくるのは、不安そうな顔をしているシーンばかりです。 しばらくしてから実家でまた犬を迎えることになりました。 皆、後期の林檎とはまるで違った対応で日々可愛がっております。 毎日二回散歩にも連れて行ったり、服を着せたり、「犬の散歩は疲れるから…」と林檎を放置していた祖父母も散歩に出かけたりしております。 私は家族のことが大好きですが、どうしてもこの犬への対応に納得がいきません。 実家に帰り、家族ぐるみで 犬を溺愛している姿を見ると、なんとも言えない悲しさと怒りが湧いてきます。 今更家族へ不満を述べたところで、林檎が帰ってくるわけではありません。満足いく回答も得られないでしょう。 なので家族には何も言っていないのです。 この感情をどう処理したらいいのか分からず、こちらへ相談した次第です。 私の考え方では、 「今更、家族達が林檎のためにできることはないので、不満は直接は述べないでおく」 「自宅でたまに線香を焚く(林檎のお墓はありませんが、自宅に線香を備える場所を作りました)」 「お墓まいりの時に、先祖へ林檎のことをお願いする」 できることはこれくらいかと思いました。 このほかにも、何かありましたらぜひご教示頂きたく思います。 乱筆失礼いたしました。 どうぞ、考えかたや捉え方についてアドバイスがありましたらよろしくお願い致します。

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お坊様について

以前よりお世話になっています。 ニックネームを変更しました。 家族が他界してから毎日お務め、花、茶水、お供えと自分なりに供養してきました。 これまで5人のお坊様とお世話になりました。(実際にお会いした) それぞれ個人的な考えや思い、派の違いにより仕方がないことかも知れません、違うところが言動にあります。1人のお坊様は色々な勉強を幅広くされたのか、お話はとても立派なのですが、そのお言葉を自ら覆す行動をします。 細かい内容は言えませんが、色々と矛盾を感じ、お寺に伺いにくい状態になり、別のお坊様にも法事に来ていただけない状況です。 今年の法事は菩提寺の住職が他県から来ていただき、なんとか両親、先祖の供養ができました。 仏教とは、御坊さんとは、供養とは…何が本当なのか分からなくなり、段々と仏壇のお務め、供養もいい加減になりつつあります。 最近は若い方も気軽にお寺の門をくぐれルように、お寺カフェや座禅、説法、写経や癒しを求めてお寺巡り、朱印本など流行りつつあり、高野山1300年のPRもよく見かけます。お寺や神社巡りが趣味と言う若い方々もいます。 一方、無信仰だから、山や海に散骨する方、墓仕舞いして樹木葬等、普通に家代々のお墓に入る人も減っているとか。と言うことは檀家さんも減ると言うことですね。 大変失礼ですが、葬式坊主なる葬式業者数社と契約?して、葬式ばかりして儲けるお寺もあると聞きました。 5人のお坊様のうち4人にとって私は檀家でなく、業者の紹介やあるお寺の催しで出会っただけで、特に大きな収入源にもならず、どうでも良いのかも知れませんし、中には若いお坊様もいますが、頭でっかちの知識先行型なのかもしれません。 これも私の受け取り方一つなのかもしれません、お坊様に対するイメージが固まっていて、そのイメージと違うから違和感なのかもしれません。 当然、お坊様も人間、修行の身であり完全完璧でないことはわかります。ただ法事で頂いたお経は本当に、亡き家族のためになっているのか、六道の話を伺いましたが、畜生界、地獄に落ちていないか、毎日、お務めすることで両親、先祖のためになっているのか疑問が沸きます。 それまでは完全に仏教を信じ、お務め、供養が仏となった家族のためと信じきっていました。 今は半信半疑、これから供養を続けていく自信が無くなりました。

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住職の娘さんの守秘義務

私の親しい友達Aが亡くなりました。 死因は事故死らしいと伝えられています。 本当は精神的な病に苦しんでおり自死だったみたいですが… Aが亡くなったと伝えてくれた友達が住職の娘で、彼女の父親が葬儀に住職として参加していました。 もちろん彼女も葬儀に参加してました。 私とAと住職の娘は同級生で昔からの親しい友達です。 Aが亡くなったと聞いた時に、どうして? なんで?と聞いても事故死みたいだよ、詳しいことはわからないと言ってました。 ただ、普段からポーカーフェイスな彼女が青白い顔をして大量の涙を流しながら話をしているのを見て、ただ事じゃないことが起きていたんだな思ってました。 Aが亡くなったとお寺に連絡があってそれを同級生に伝える役目はとても辛いものだと思います。質問攻めにもあっていましたし、 「お寺に連絡があったんでしょ?本当のこと教えてよ」とか「自宅で自殺したんでしょ? 運ばれていくところ親が見ちゃったよ」とか 「友達Aは檀家なんだろ? お墓はお寺にあることになるんだ〜気まずいね〜」なんて言葉をかけられたりもしていました。何を聞かれても耐えているその姿はとても見てられなかったのです。 ご遺族の意向で事故死と伝えるように頼まれてるのかもしれませんし、きっと彼女にしかわからないような苦しみを抱えていると思います。私はお寺の人間じゃないので彼女と同じ立場にはなれませんし… 苦しかったら、いつでも相談のるよと言ったら、「その気持ちだけで充分だよありがとう」と言われました。 友達Aの死の詳しいことをもしかして知っていたとして、彼女は誰にも相談せずにずっと心に秘めて苦しんでしまうのでしょうか? 正直、彼女は家族には心を開いていません。家族に相談とかは考えられないです。寺に住んでいて住職じゃなくても立場上何も話せないのは檀家さんの個人情報を守るため?守秘義務があるから仕方ないことなのですか? 友達Aのお墓の場所は彼女のお寺にあります。 それがまた辛いと思います。 彼女は抱え込んでしまうタイプの人間で精神的に不安定なところがあるのでとても心配です。友達Aのようにもしも万が一亡くなってしまったらと思うと怖くて怖くてたまりません。 私は彼女のために何が出来ますか? 何もしないことが優しさなんでしょうか?

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主人の友人が自死しました

こんにちは。悩みがあり、お言葉を頂きたく、相談させていただきます。 先日、主人の友人(Aさん)が自死しました。まだ2週間くらいです。 もう4年くらい連絡をとっていなかったそうですが、主人の落ち込みは相当なものです。病気で身近な人を亡くしても辛いので、その悲しみは理解出来るつもりです。 しかし、それからは毎日のようにAさんのお宅を訪ねています。休日などは夕方~深夜まで帰って来ません。 Aさんのお宅には、奥様、お子さん、Aさんのお父様がいらっしゃいます。また、お墓が近くにあるにも関わらず、お骨も置いてあるそうです。 突然そのようになって、奥様や主人の悲しみは計りしれません。また、そうせざるを得なかったAさんの苦しみも計りしれません。 それは分かっているのですが、「そのようなことがあったお宅」に「お骨がまだある状態」で度々訪問するのが、気持ち悪く感じてしまいます。 そこで聞きたいことは、 49日過ぎていない状態で、(一部の宗派を除き、まだ霊的な存在と言われる状態で)何か悪いことがあるのではないか。 お清めの塩はどのようにするのが効果的なのか。 お坊さんから見て、自然死(老衰、病気など)と自死の違いは何か。 私は主人にどう声をかけ、どのように接するのが最良なのか。 の4つです。ちなみに私はAさんと奥様とは面識がありません。 長くなって申し訳ありません。お考えをお聞かせ頂ければ幸いです。

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元旦那の供養について

以前、ご相談させていただいたものです。 離婚後に元旦那が自殺をし、私の心持ちについてアドバイスいただきました。 その節は大変暖かいお言葉、ありがとうございました。 以前の質問です↓ http://hasunoha.jp/questions/4775 その後、実は私はまだ元旦那の御墓参りに行っておりません。 ご遺族との連絡を一切取っていないのでお墓の場所が分からない事と、やはりご遺族にとって私から連絡が来るのは嫌であろうという、私なりの考えからです。 しかし、この度。 私が再婚する事となりましたが… 私は生きていて今後も人生を送らなければなりません。ただ、私だけ幸せになっても良いのだろうか?元旦那は許してくれるのだろうか?御墓参りに行くべきなのだろうか? そんな考えが頭を巡ります。 私の中で、御墓参りをする勇気がないというのが本音です。 ただ、元旦那のことを忘れて自分だけサラッと新しい人生歩み出すぞ!という気持ちでもありません。 過去のこと、色々と噛み締めての一歩です。 私は生きて幸せになっても… 御墓参りに行かずに供養の気持ちはあると言い切っても… 良いのでしょうか? 何度もお世話になりますが、お言葉をまたいただけると幸いです。

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