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hasunoha 問答検索結果 : 「娘 死 幸せ」
検索結果: 202件

うつな私は望まないのに強引に妻が妊娠

小学5年の娘がおります。娘以来家族の生活や仕事の状況から、子供はひとりの予定で、お互いずっと避妊をしてきましたが、最近になり妻がかわいい子供がもう一人ほしいといいだすようになり、性行のときに私はダメだと拒否したのですが、強引に押し倒され避妊させてもらえずしたところ、授かりました。あまりにも突然のことで、1ヶ月たちますが、心の整理がまだつきません。なんという確率で神秘的なことがおこったんだとおもいました。 私の状況の書ききれない文は、プロフィールに記載しました。 【不安なこと】 ・娘の育児では、私が育児が上手ではないこと、毎日24:00を超えて帰宅するような日が続くなど、妻がいつもヒステリーを起こしいつもおびえおそろしかった。今後また同じことがおこると思うと、耐えられない。 ・私がまた単身赴任になったら、前のようにきっと妻は苦労をする。働きながら毎朝六時に起きて二人分の弁当を作ることを継続することができるのだろうか。それをわかっているのか。 ・私の毎日の通勤が遠いので、娘が大学になるときに、S区に戻る予定だったがまだ今後20年もの間G県にすまないといけないかもしれない。 ・東京に住むにしても、子供の転校がともなう。 ・下の子も私立には家計状況からとても入れられない。貯蓄もできない。 【嬉しいこと】 ・妻と娘がよろこんでいる。 ・娘が下の子のお世話をしたがっているので、助けてくれる。 ・肉親の兄弟姉妹で将来助け合える。 私と妻から、娘に、子を授かったことを伝えるときには、私の悲観的な気持ちは、ぐっと抑えて、うれしいね、ママは体や心の変化があるから一緒にたすけてあげようね。といったものの心の中では妻はなんて自分勝手なんだ!とおもいました。私は計画して事を進めたいタイプですが妻は考えるより行動タイプで、妻とは価値観があわないなりにも、協力してやってきました。しかし、今は人生の羅針盤が壊れたようで進むべき道がわからずどうしたらよいか呆然としています。これまでの一つひとつのそのときの判断が積み重なりいまの自分の人生があるんだとおもっています。前向きになりたいとは思うのですが、また憂鬱で希死念慮が強くなってきました。仕事もはかどりません。部屋はちらかり、洗濯物もたまってきました。家族みんなを幸せにしてあげたいです。心をたてなおす、気の持ち方、考え方を教えていただけないでしょうか。

有り難し有り難し 29
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夫が急死 その後の心の持ち方は正しいのか

夫が先月末、47歳で急死しました。 大動脈解離で倒れてそのまま。 私は36歳、年の差婚です。 6歳の娘がおります。 この2年ほど夫とは育児や家事のことで喧嘩が絶えず、別居もしましたが、亡くなる直前、ようやく二人の歯車が少しずつあって、あーこのまま幸せに暮らしていけるんじゃないか、と思った矢先のことでした。 倒れた瞬間、夫は私を呼びました。 助かりこそしませんでしたが、出先で同じ空間にいたので、倒れてすぐ娘と駆けつけ、救急車で祈る気持ちで付き添えました。 色々な奇跡が重なって、誰もが助かったと思いましたが、助かりませんでした。 そんな夫の通夜葬儀は、喪主として立派に務めることができたと思います。 その後の手続きなども、なんとか頑張ってこれたのも、周りの支え合ってこそです。 ある日、夫の携帯電話を整理していたところ、とあるSNSに通知があり、夫の友人かな?と開いたところ、それは夫が鍵をかけて私の愚痴をつぶやくアカウントでした。 それはもう、目を塞ぎたくなるほど、頭が真っ白になるほど、ひどい言われようで。 一瞬、体中の血の気が引くほど落ち込みましたが、急に、あれ?でも私も夫のこと悪く言ってた、お互い様なのでは?と思え、それまで、夫の命を奪ったのが自分がストレスをかけたせいだと罪悪感で潰されそうだったので、お互いに苦しんでいたから、もういいじゃないか、と思えました。 それから、なんというか、心にあった黒い靄が全部晴れて、清々しく、娘と一緒に第二の人生を歩もうとすら思えています。 ただ、そんな自分が怖くもあります。 またこんな気持ちでいて、夫の供養にならないのでは、という思いもあります。 私のこの感覚は、不謹慎でしょうか? それとも、生きるということは、こういうものなのでしょうか? 今までは、人のことも自分に対しても、お天道様は見てるから立派であらねば、と思って生きてきました。 でもなんというか、人間はみんな愚かなんだ、だから毎日自分が幸せで、自分の愛する人が幸せなら、なんでもいいか、と思えています。 すごく生きやすくなった気がしますが、これは人の道に外れた生き方か教えていただきたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 23
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哀の感情を取り戻したい

3月末に6ヶ月の息子を亡くしました 乳幼児突然死症候群と言われました 余りにも突然で家族も息子を知っている方々も、大きなショックを受けています 発見したのは私です 救急車を呼んで、心肺蘇生もしました けれど、息を吹き返すことはありませんでした お昼寝中に仰向けだったはずが 発見時はうつ伏せでした 病死と診断された今でも私の不注意で殺してしまったと思っています 息子の死から3日間は辛すぎて、お腹が空くことも眠くなることもありませんでした けれど息子には双子の姉がいます 娘のために、いつまでも悲しんでいられない 娘の時間は止まっていないのだから、前と変わらず笑顔で楽しい時間を過ごさなくてはいけない そう思い、「悲しむのは火葬まで…」と心に言い聞かせていました お葬式が終わった後 何故か全く悲しくなくなりました と言うよりも、まるで息子がいた事が夢だったような不思議な感覚になりました 火葬場に入っていく息子を見ても 骨になった息子を拾う時も 帰ってきて写真を見ても 思い出を語っていても 何も感じなくなっていました 最初はそれで良かったのです 決めた通りに変わらず娘に接する事ができるし、家事も変わらず出来ました けれど暫くして 夫が息子を思い悲しんでいる時 一緒に涙を流すどころか冷めた目をして見ている自分に気が付きました 物凄く、ショックでした 私がお腹の中で育て、陣痛に耐えて産み、世界一幸せに…と願って育てて来た最愛の息子です それなのに失って数日でまるで最初から居なかったかのように生活出来ている自分が恐ろしくなりました 本当は愛していなかったんじゃないか 感情が乏しいんじゃないか、と思えてなりません 幾ら記憶を辿っても 息子の名前を読んでみても 遺品を抱いたり、匂いを嗅いでも やはり悲しくなる事も恋しくなる事もありません どうしたら もう一度息子の死を悲しめるでしょうか 変な質問かもしれませんが、アドバイスを頂きたいです 乱文で失礼致しました

有り難し有り難し 17
回答数回答 1
2023/08/02

悲しみを憎しみで癒していた

いつもありがとうございます。 最近の気づきを聞いていただきたいです。 弟の死の悲しみをを父への憎しみで癒していたのかも。。。と最近気づきました。 両親が離婚し、弟と私は母と暮らしていました。 父への憎しみは父が亡くなってからより一層思いが強くなり、 弟の死の悲しみも、父への憎しみがあったから耐えられた気がします。 もし、憎しみがなかったら弟の死をも受け入れられなかったかもしれません。 ある意味、父への憎しみがあったから私は乗り越えてこられたのかもしれません。 悲しみと憎しみ。似て非なるもの。。なのでしょうか。 こういってはなんですが、父への屈折した思いがあったことに今では感謝さえしてしまうのです。 親子としての縁はとても薄かったけれど、娘からこんなに嫌われている父だけれど、なんだか許してくれるような気もします。 おそらく父へのこの気持ちをご相談するのはこれが最後となると思います。 私の中で決着がついたからです。 嫌ってもいいし、憎まれてもいいよと言ってくれているような気がします。 私の気のすむようにすればいいと。 実際に父と暮らしたのは5年か6年。父が何を考え、弟や私のことをどう思っていたのか、少しでもかわいいと思っていたのか、思っていなかったのか。 もうわからないけれど、もう手放せる気がします。 憎しみで大切な弟の悲しみを癒すというかごまかしていた気がします。 きちんと悲しむことも必要ですよね。 もう私は、私を幸せにしたい。 もちろん、不幸せではないけれど、憎しみを手放したい。 そんな気持ちをこちらで開放させていただきました。 とりとめもなく申し訳ありません。 なんだか少し優しい人間に近づけるような気がします。

有り難し有り難し 3
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生きる意味と信心、今の私にできること

初めて質問させていただきます。よろしくお願いいたします。 昨年夏から、長男である主人が仏壇のお世話を引き継ぐことになり、自己流ながら、hasunohaの記事を参考に、手を合わせています。 主人の実家が事業の困難から実家を売却した流れで、我が家に来ました。 また、同時期、大学4回生の長女が睡眠障害が悪化、かろうじて卒業できましたが、就職は叶わず治療中です。娘2人とも自閉スペクトラムの障害があり、二次障害が悪化したのです。 特に次女は、不登校を乗り越えて通信制高校を卒業し、志望の大学を楽しんでいた矢先に、腎臓の難病の入院を引き金に、鬱が再発。私に、なぜ産んだのか?と激しく問い、抱きしめて、パパと出会い産んだことは幸せと伝えても「そっちは幸せでも私は辛いことしかなかった」と。今まで困難にも自暴自棄にならず、乗り越えて来た次女も、ついに限界で拒食症で死の淵でした。 そんな時にhasunohaと出会い、同じように困難をかかえる方へのご回答に救われ、お仏壇と話すようになりました。今は朝晩話しかけて、命日に般若心経を唱えたり、お墓まいりも時々行きます。 幸い今日も娘たちは生きていてくれています。それだけで幸せです。 私と主人の実家は共に融通念仏宗で、住居を3回引っ越すも、なぜか同じ融通念仏のお寺の傍。娘らはそのお寺の幼稚園に通い、主人はずっと融通念仏ゆかりの華厳宗のお寺の学校に勤務。こんな仏縁に感謝し家族幸せになりたいです。 現在は50回忌も済んでるので、お寺とのお付き合いはなく、法話会のようなものもなく、境内の地蔵様に手を合わせに行くぐらい。実家のほうの菩提寺は後継者が無くてお寺じたい無くなり、命日には本山から交代でお参りに来られてます。本山にはお参りする習慣がなくて、何となく敷居が高いです。信心の仕方について、また生きる意味について、相談できるお寺が欲しいです。また他宗の座禅会に縁あって誘われましたが、行って大丈夫でしょうか? また、娘達は高校大学とキリスト教系で、次女は学校の礼拝と聖書の講義が好きで、大学の教会に行きたいそうです。お仏壇には自発的に食前食後お礼を言って御先祖さまの存在を感じるそうです。教会も休学中の大学に通うきっかけや心の支えになれば。でもお仏壇と教会通いは両立して大丈夫でしょうか?生きる意味、私たちなりの信心の仕方について教えていただけたら幸いです。

有り難し有り難し 12
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夫が自死しました

夫が自死して2か月が経ちました。過労により精神を病んでいたのだと理解しています。 夫の死後、仏教を学び、これまでの苦しさは煩悩であり、夫は自らの煩悩に飲み込まれるように亡くなったのだと思うようになりました。生きることは苦しいことだらけ。執着を無くすことが悟りへの道。 「生きたい」という欲望は、「生かされている」と感謝する気持ちで付き合うことが大切なのかなと思うようになりました。 苦しんでも良い、この身を引き裂かれる苦しみすらもいつか何かを悟る学びになると思っています。ですが、お腹を痛めて産んだ息子、血を分けた兄弟を失った悲しみを抱えた義実家の方々の苦しみの前ではそんな事を申し上げることもできません。冷静な自分が、自分だけ苦しみから逃げているような非情な感覚がします。 なぜ1歳の娘を、大切にしていたお父さん、お母さん、お姉さんをおいていってしまったのかという怒りが昇華できない自分もいます。これはどうしようもない感情なのだと半ば諦めかけてもいますが・・・できれば故人のことは温かい気持ちだけで思い出してあげたいものです。 人を幸せにしたい、自分も幸せでいたい。それ自体も煩悩でしょうか。よりよい未来を望むことに罪悪感を感じます。どのような心がけで生きていけば良いのでしょうか。「悟る」ことと「諦める」ことの境界に悩んでいます。ご教授頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 38
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死ぬことが頭から離れない

私は完璧主義者です。でも何事も完璧にやりきれるだけの能力はありません。 完璧な秩序のある生活や思ったことを完璧なやりきることへの執着心がとても強い人間です。だから一度のつまづきで全てを放棄したくなります。 ただ、現実に社会は混沌としています。それだけでなく、身の回りのことや仕事に完璧な秩序を保つことの能力が私には欠如しています。そのギャップにとても苦しめられています。自分で作ったルールを遵守できないこと、予想外のアクシデントで自分の計画が狂うこと、このようなことが本当に本当に苦痛です。 こんな混とんとした世界で生きることが果たして幸せなのか。娘や家族への情だってもちろんありますが、それを感じる主体がいなくなればすくなくとも私の気にすることではなくなります。おまけに私は利己的な人間です。考える私がいなくなればそれで残された人への想いも断ち切れます。 死んだら思考する私はいなくなります。苦痛を感じる器官もなくなります。それだけでこの世界を離脱することが大きな救いになると感じるのです。 死ぬことは怖いです。でもなぜ死んではいけないのか、よくわかりません。残された人は悲しむかもしれませんが、死んだ私にはそんなこと関係ないとも思うのです。 生きるか死ぬか、そのことが頭をぐるぐるしています。死んではいけないような気もしますが、とにかく死にたさが頭を覆って、でもそんな勇気はなくて、生きることに手がつきません。 死ぬことは果たして救済なのでしょうか。死後の世界については信じることはできません。それにこんな相談をするくらいですので生きたいという気持ちもないわけではないと思うのですが、この先もっと大きな挫折を味わった時、そのような自分を許すこともできないと思うのです。 この場でこんなことを質問していいかもわかりません。ただ、なんとか生きやすく生きていける方策があれば楽になれるとも思うのです。死と生について私なんかよりも深く考えておられるお坊さまに何か知恵をお借りできないかと考えています。 まとまらない文章で申し訳ありません。何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 87
回答数回答 4
2024/07/10

常に不安感が強いです。

4歳、2歳、生後1ヶ月の子供を育てている28歳です。 23歳から3回の妊娠、出産、産後を経てからなのか、もしくは元々の性格からなのかはもう忘れてしまったのですが、 ものすごく不安を感じやすいです。 常に何かの不安で心がヒヤッとしている感覚です。 例えば今なら、生後1ヶ月の息子が突然息が止まったらどうしよう、それが夜中で私が寝ていて気づかなかったらどうしよう、乳児は突然死の可能性があるんだよね...と頭の中をぐるぐるそのことだけが駆け巡り、スマホで乳児の突然死について調べ出し、経験談を読み泣いて、余計に不安になり、眠れず...。という具合です。 たとえば一旦この気持ちが落ち着いても、今度は「長女が幼稚園で何か危険な目にあったらどうしよう」「次女が食べ物を喉に詰まらせたらどうしよう」「夫が急に大きな病気になったらどうしよう」「私が今急に余命宣告されたらどうしよう」「両親が死んだらどうしよう」「お金がなくなったらどうしよう」「家に強盗が入ってきて殺されたらどうしよう」と、キリがないんですが常に不安を抱えてしまいます。 ただの杞憂に終わるだろうと思える時もあったのですが、実は先日、産後の入院中に自宅に空き巣が入りました。夫も娘たちも私と赤ちゃんの様子を見に病院にいる間、家を空けていた数時間の間に窓をこじ開けられ入られ、指輪やバッグは盗まれ、退院してくる新生児のために綺麗にした部屋はぐちゃぐちゃに荒らされていました。 「家に泥棒が入ったらどうしよう」とたまに考えていたことがまさに現実になってしまいました。 この経験で私は不安に思ったことは現実化してしまうのではないか?と余計に不安を強く感じてしまうようになりました。 1人目、2人目の産後も不安で精神的に不安定になり心療内科へ通うこともありましたが、根本的な解決にはなっていない気がしてまた行く気になれません。 もっと今この瞬間の子供たちの成長や幸せを味わいたいのに、「今よくてもこの後ものすごい不幸が来るぞ」と思ってしまってハラハラが止まりません。 そしてこの「不安が止まらない」ことに関してもネットで検索したり、別の質問サイトに相談したりとしてしまって本当にキリがありません。 何か助言をいただけませんでしょうか。

有り難し有り難し 3
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大好きな彼女が亡くなった

先日、遠距離恋愛中で結婚を約束した大好きな彼女が亡くなりました……てんかん持ちの子でお風呂場で発作が出て亡くなったようです。 自分は仕事が終わって先輩とご飯に行き、家に帰り自分が寝てしまいその後彼女からの「寝ちゃった?」のLINEが最後でした…自分が起きてて寝落ち電話して起きていればそんな事にはならなかったのに……と自責の念でいっぱいです。 お通夜の時、彼女の家族にすみませんって謝ったら「娘は気にしとらんよ、あなたはまだ若いから次の人見つけて幸せになって、貴方の幸せが娘の幸せだから」と言われました……自分があの時起きていれば、電話していれば…御両親に申し訳ないです…… 自分はずっと彼女の事忘れずに生きていきます。「49日、一周忌も来てや」って言われましたがこんな自分が行ってもいいのか。分かりせん。 今後仕事していく気が起きません。この先どうやって生きていけばいいのかも分かりません… 自分が憎くて憎くて仕方ない…どうして彼女なのか、どうして自分じゃなかったのか 気持ちの整理が追いつきません……このまま彼女を、思いながら生きてていいのでしょうか もう一度彼女に会いたいです……彼女に会ってまた、いっぱい話したりギューってしたりしたい……

有り難し有り難し 30
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自尊心が低く子育てに影響しそうです

わたしは機能不全家族で育ちました。父はすぐキレる幼稚な部分がある人で母から父の愚痴を聞いて育ち、父は母がべったりな長子を疎ましくなり妹ばかりを可愛がりました。 母は幼い頃、祖父を愛人との心中により亡くしました。貧乏で祖母が厳しく、寂しかった幼少期の話しを子どもながらに聞いてあげていました。あなたは大人だから、と言われ続け、母に涙ぐまれることもありました、わたしが甘えた記憶などないです。 母はわたしが10歳のころ、他所に愛人を作りました。当時、愛人という概念がないままでしたが、一度二度会ったことがあり子供ながらに気づいていました。ただ相手の顔を思い出そうとしてもマジックで塗り潰された記憶しかありません。その男の娘にも知らずに会わせられ友達になるよう手紙を書かされたりしていました。15年後愛人の死を機に母が髪をバッサリ、変わった様子に、わたしが問いただしたところ、母はすんなり15年来の愛人の存在を認めました。  わたしは何だったのだろう、と、裏切られ愚痴吐き役に利用されていた怒りや子どもらしい振る舞いをさせてもらえなかった怒り、幼少期の辛かった母のヒステリックな人格否定する態度や言葉が蘇り、結果、鬱になりました。 自分がなにが好きかわからない感覚があり、社会では支配的な人やストーカー、パワハラに遭いやすくなりました。恋愛関係も相手には本命がいて自分はいちばんになれないなど、惨めな恋愛が多かったです。 鬱から20年、結婚し1人娘がおります。精一杯愛情を与え毎日ニコニコ心がけているつもりですが、頭の片隅に過去自分が受けてきた母のしつけをやりそうで辛いという気持ちがあります。わたし自身、情緒面が育ってないと思います。母の言う通りにしておけば間違いないから、と育てられてきたからか、何が自分かわからないときもあります。 また、間違えを指摘してなんでできない、と母から怒鳴られてきた同じことを主人にやったことがありました。喧嘩になり、もう2度とやらないようにしています。幸せな家庭を築くには、また、社会復帰してパワハラに苦しまないために自尊心を高めるには、何から取り組めばよいのでしょうか、アドバイスいただければ幸いです。

有り難し有り難し 23
回答数回答 1

私は辛抱できない性格です。

もうイヤになってきました。 元々あんな男選ばなければ 私は未婚のシングルマザーにならなかったのに。 元々高卒じゃなく大学行ってたら、もっと良い会社に勤めて、貯金もそれなりにあったろうに。 なんでお金ないが口癖の親を頼れると思って実家に寄りついたんだろう。 シングルマザーを選択しても、すぐ仕事バリバリしてお金稼いで自分で娘と生活できると思ったのに、娘はすぐアレルギー?で鼻水が出てその結果風邪を引きやすい体質で保育園もすぐお休みするし、正社員になるにも二の足を踏み実家の足しにもならないパート代で精一杯。 でも、そのアレルギーももしかしたら築年数が古い家のカビが原因かもしれないし、公営住宅なので勝手にリノベ出来ず、市も正直取り壊したい住宅に手厚い修繕はしません。 こんな時本来やったら辛抱して娘に笑顔見せてあげるのが普通の母親だろうに、 今も鼻水で寝ぐずり、抱っこや背中トントンをせがんでくる娘に対して甘えさせてあげられませんでした。 もっと実家が太かったら、 あんな男を選ばなければ、 娘の身体がもっと強かったら…。 産まれてから学生時代もそんなに対して良いことが無かった(親がパチンコ行って夜遅くまで帰ってこない、母親には父親の愚痴を聞かされる、中学生の時の身体的イジメなど) 私の人生こんなはずじゃ無かったのにってずっと思います。 まだ希死念慮がないだけ、鏡の前で作り笑い出来るだけまだ大丈夫だろうなんて思ってましたが、正直もうこんな人生なら私が産まれなかった方が、娘も私なんて親ガチャババなやつから産まれないで済んだのに、なんて思います。 いっそのこと、私の臓器全部売ってお金にして娘に遺産として残した方が娘は良いところに住めるのかな、なんても考えたりします。 神様、仏様がいるなら私が産み落とされた意味を教えてほしいし、私っていつ日の目を見るの?と教えてほしいです。 いつも心がどこかで張り詰めています。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

これからの、老後の人生設計

これまで、何度か、いろいろ質問させて頂き、アドバイス、助言を頂き、感謝してます。 今回は、ふと、独りの時間になった時に、今後の、人生、老後の人生について、いろいろ、考えるように成りました。 今は、四人の孫達(間もなく。5人目の孫、誕生)に囲まれて、幸せを、実感、感謝しつつ、毎日を、過ごして、頑張ってます。 でも、孫達も、日々、成長する事を、願いつつも、思春期にも、なってくると、友達、又は、異性に夢中になっていくと、思うと、自分自身の、これからの、人生、老後の事も、真剣に、考えて、いかなければと、よく、思うようになりました。 よく、廻りの人からは、「貴方は、沢山の孫達に囲まれて、幸せだよね。」と言われる事が有ります。 確かに、端から見れば、幸せそうに、見えるでしょう。 でも、自分の心の中では、何か、葛藤が、日々、有るのも事実です。 これ以上の幸せを、望んでは、贅沢でしょうか?甘え、自分自身に対する、エゴでしかないのでしょうか? 今も、次女家族と、同居し、将来は、「父さん、新居も構えたら、父さんの部屋も、ちゃんと作るから、一緒に住もうね。」と言ってくれてます。感謝の気持ちで、いっぱいです。 しかし、今後の人生を、廻りに家族も居て、独りで無いのは、良く理解してる、つもりですが、不安だし、自分自身の幸せも、掴みたい気持ちも事実です。 今となって、亡き妻が、緩和ケアに居る頃、ふと、夜中に、「父さん、私の棺の中に、以前、若い頃、付き合ってた頃にしていた、交換日記が、タンスの奥に、有るから、一緒に持って行きたいから、忘れず、入れてね。」と言った事の意味を、最近、良く、考えるようになりました。 未だに、その答えが、見つからずに、居ます。 長文に成りましたが、今後の自分自身の、人生、老後について、善きアドバイス、助言を頂ければ、幸いです。 宜しくお願いします。

有り難し有り難し 23
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