最近俳優の阿藤快さんが亡くなりました。阿藤快さんは寝ながらなくなったそうです。そして僕はこのまま寝たら死ぬんじゃないか、など今本当に死が怖いです。どうしたらいいかわかりません。死が怖いのを克服したいです。 どうしたらいいでしょうか??
私は21歳のフリーターです。今年の3月に美術系の学校を卒業後、その分野で食べていくためにアルバイトをしながら色々活動をしています。 今回相談させて頂いたのは、ありきたりでお恥ずかしいのですが、自分がいつか死んで消えてしまうということが堪らなく恐ろしく全身が粟立つほどの恐怖や発狂しそうな状態になってしまい、寝ても醒めてもそのことについて考えてしまい、これまで地道に続けていた活動に手もつけられなくなりこれからどうすれば良いのか、どうすればこの恐怖と折り合いをつけて前に進んでいけるのかがわからず呆然としています。 1ヶ月前までは全くこんなことを考えて囚われることなどなかったので自分が自分でなくなってしまったようで本当に怖いです 心療内科に行ったり外を散歩したり自然に触れたり瞑想してみたり仏教の教えを学んでみたり色々手を尽くしているのですが、ふとした瞬間に頭に恐怖が滑り込んで来てしまいどうしようもなく怖くなってしまいます。 心の底から以前のように楽しんだり笑ったりできないのかと思うと本当に怖いです。 ご回答いただけると幸いです。
高校生です 私は中学生の頃からずっと死ぬのが怖いです 私はこれまでの短い人生の中でも色々と悪いことをしてきました。嘘もつきましたし、人を傷つけたこともあります また、幼い頃(幼稚園生頃)にお店で量り売りとして売っていたチョコレートを一粒こっそり食べてしまったことがあります。あの事をずっと後悔しています 沢山悪いことをしてきたと思います 私はきっと、死んだら地獄に落ちてしまうことでしょう。祖母は「絶対天国に行けるからね」と言ってくれますが、それでも確証がありません いえ、地獄に落ちるかもしれない、それ以上に怖いことがあります それは、死んだら“私”が無くなってしまうのではないかということです 私は、私がこれまで積み上げてきた物を失うことが、自我が無くなってしまうことが怖いです 今、こうして悩み、悲しみ、笑い、怒り。そんな感情を抱いている私が消滅するかもしれないということが、本当に怖くてたまりません この恐怖は一年に五回程度湧き上がってきては私を悩ませます。怖くて怖くて、死後のことを思うと私は涙が止まらなくなります ですが、周りの大人は私のこの悩みを「くだらない」「大人になればそんな悩み薄れる」と言ってまともに取り合ってくれません。私は“今”の対策が知りたいのです。大人になってから、なんて待てません 死ぬのが怖いと言いながら、不老不死になりたいかと聞かれると困ります。永遠の命なんて寂しいですから この悩みの解決策がわからないままです 今も苦しみを堪えながらこの文をうっています 誰か、私を助けてください カテゴリー等、間違えていたら申し訳ありません
私は今不安障害になり仕事を辞め病院に通いながら自宅療養中です。 病気のせいもあり急にいろんな事で不安になります。悩んでる時がないくらいに辛いです。その中でよく死ぬ事がとてつもなく怖く感じてしまいます。 死んだらどうなってしまうのだろうと考えてしまい、なかなか眠れなかったりします。 私は内気な性格で昔からいじめられる事が多くそのストレスで家で爆発してしまい両親や兄弟に当たったり傷つけたりたくさん迷惑をかけてしまい今思い返せば異常だったと思います。学生時代は悪口も言ってしまったり自分がされて嫌なこともしてしまっていました。 今は人にされて嫌なことはしないよう心がけていますが、過去は変えられないしもう手遅れかなと思ってしまいます。 こんな私はきっともし死後に地獄があるのならば地獄にいってしまうのかなと考えたら涙が止まりません。 死んだらその先ずっと苦しむのかと思ったら死ぬのがとても怖くなってしまいました。 何か死への恐怖を和らげる考え方はありますでしょうか。 もしよろしければご回答よろしくお願い致します。
母方の祖父が年明けの少し前から目を閉じて寝たきりでしたが、先日舌が喉の奥まで下がり窒素しかけたと母から聞きました。 体力も筋力ももうなく、そう長くは保たないだろうから会いに病院に行くのなら早めが良いと。 今月末なら行けると思いました。 しかし、 私は昔中学生になったばかりの頃に目の前で意識を無くした父方の祖母が、そのまま病院で物言わぬ姿になった姿を見た時からいつ来てもおかしくない身近な人の死が怖くなりました。 病気で手術後回復したと思ったら病はずっと身体を蝕み続け、家で弱っていき気付いた時には息を引き取って肉体だけになった父を見た時、泣きわめきたいほどの辛さと虚無感が襲ってきました。 妹に祖父の容態を電話で伝えた時は顔を見に行くと言ったけれど、この2つの出来事が病院に行くことを拒否しようとします。 現実を受け入れたくない、祖父に近く死から逃げたいのだと思います。 祖父に会いたい。でも怖い。いやだ。いかないで。 後ろ向きな感情ばかり出てきます。 でも、覚悟も決めなくちゃいけません。 祖父に迫る死と向き合うにはどうすれば、どんな考え方をすれば良いのでしょうか。
大学で仏教の授業を受けてから、仏教がとても怖い教えだと思うようになってしまいました。 仏教は怖い教えではないですか?
最近一回相談させてもらったのですが、また怖くなってしょうがないです。 ニュースを見ていると、人がどんどん死んでいき、自分もいつか殺されるんじゃないかと恐怖を感じます。現在アフガニスタンなど、荒れている地域の報道を見ただけで泣きそうです。 死ぬ時って、苦しむのでしょうか、身近な人も無くなっていくのが、怖くなってきます。人は死から避けられないのは、なんとなく理解しているのですが、自分がいつ死ぬのかもわからないのが怖いです。意識が急になくなり、次はどこへ行くのか。非常に怖いです。 ふと思いつくと、寝れません。まだ高校生なのですが、これから先が怖いです。
先日、クラスメイトが亡くなりました。 たまに話す程度の仲でしたが、小学校からずっと同じ学校でした。 1ヶ月以上経った今でも、死について考えるのが怖いです。死についてどころか、生について考えるのも怖いです。ニュースの誰が亡くなったという情報にも、過剰反応してしまい、なかなか恐怖が収まりません。友達と人狼ゲーム(敵味方を見分け人を殺していくゲーム)をする時も過剰に怖がり、ゲームに水を差してしまいます。毎晩毎晩寝るのが怖いです。 祖母が認知症になり、死に近づいているのが嫌でも分かります。そうなると自分も死に近づいていると気づいてしまい、何故生きているのかが分からなくなります。 生きることに理由がなくても怖くはありません。始まりと終わりがあるのが怖いのです。 死んで魂がなくなるのも怖いのですが、死んで魂が残る(輪廻転生、霊になる、違う生き物として生まれる)のも怖いです。 動揺していて話にまとまりがなく、すみません。どうか助けてください。
30代女です。 小さい頃に母を病気で亡くし、そこから死に対しての恐怖心が生まれました。小学生の時に死ぬのが怖いと感じるようになり、死ぬのは嫌だと泣いたことがありました。 そこから中学高校大学、仕事と、小学生のときのように泣くほど怖がったことはないですがうっすら漠然と死ぬのは怖いなと考えることもありました。色々と忙しかったこともあり、考える時間も少なくなってきていました。 しかし、30代になり、ずっと続けていた仕事を人間関係で揉めて、中途半端な時期に辞めました。辞めたことに後悔はなく、ずっと続いていた人間関係でのストレスも一気になくなり、最初は楽しく考えていました。しかし、暇でずっとゲームをする日々、そして自分が30代という年齢に突入したこと、周りの人は結婚をして落ち着いている中恋人もいない、次の仕事もまだ探し中、親も父のみ、そして一般的な私の年代の親よりも歳をとっていますので、父の死についても考えるようになり、父が死んだあと自分は生きていけないという考えからまた、小学生の時のような自分が死ぬことへの恐怖心が再び芽生えました。 ネットで色々調べましたがタナトフォビアだと思います、身近な人が死ぬのも恐怖ですが、自分が死ぬことへの怖さ、無になることへの恐怖が強く、突然発作のように発症し、過呼吸になったり涙が出たりととてもしんどい思いをしています。生きたくないとは思いません。死にたくないのです。しかし、不老不死のように永遠に生き続けるのも怖いです。矛盾していますが...。1度考え出すと恐怖が止まらず、夜も眠れません。今の自分の状況がこの先不安でしかなく、30代にもなってこのタイミングで結婚もしないまま死んでいくという考えしかできず、ずっと怖いです。タナトフォビアの克服など検索しましたが、読むだけで怖いです。助けてください。
二年前、子供を出産しました。そのときの、自分の意思とは関係なく来る痛み(陣痛)と、子供の自ら産まれてこようとする生命力を感じてから、死についても考えるようになりました。 “生”と“死”。どんなに思っても、どんなに願っても容赦なく迫ってくる物… 震災が近くで起きました。だからかもしれません。死が怖いです。何か信仰したら楽になれるのではないかと思いこのサイトに登録しました。 毎日ため息が出るような憂鬱さや、寂しさも感じます。どうしたら楽になれるでしょうか?
先日「怖いものを克服したいです」という内容で投稿させていただいた者です。 優しいご回答ありがとうございました。 私の「怖いもの」とは地震です。 皆怖いのは同じ、というのはわかっております。 考えると余計起きてしまうようでそれも怖いのですがなかなか頭から離れません。 例えば日本列島の地図が出ると、震源をあらわす画面を思い出してしまい怖くなってしまいます。 犬やカラスが鳴いていると「動物の方が強く反応する」という噂を思い出し不安になります。 大好きなコンサートも「もし観ている途中で地震が来たらどうしよう」と思ってしまい、行けなくなってしまいました。 好きな芸能人がいるのでその方が出演されるテレビ番組も見たいのですが、速報テロップが流れるのが怖くて見れません。 非常用の持ち出し袋を用意したり、万が一の場合のシミュレーションなどもしている一方で、まるで来るのを待っているようでそれも辛いです。 おそらく2011年の震災の時に、友人との旅行先で被災し避難所で一晩過ごした経験がトラウマになっているのだと思います。 しかしもう9年も経ちますし、東北にお住まいの方はもっと辛い経験をされたのに私なんかがトラウマになっているなんて申し訳ないと思います。 自分では、地震が少ない県や他国に移住しようかなどとあまり現実的でない克服方法しか思い浮かびません。 もう20代後半ですのに、こんな自分のことを幼稚で情けなく思います。 友人に相談したのですが「そんな暗い話聞きたくない」と言われてしまいそれ以降相談できていません。 家族やカウンセリングの先生は「もっと年を取れば気にしなくなる、時が経てばそれよりも大事なものが増える」と励ましてくれるのですが、それがいつになるのかわからないですしそこまで生きていられる確証もないだろうと考えてしまいます。 何とかこの辛い毎日を乗り越えられないものでしょうか。 前回のアドバイス通りお守りは買いました。
小学生2年生の娘が 死ぬことに対して恐怖を抱いているようです。また、生きてるのかということについても考えて、不安になっている様子です。 思い返すとここ数年で ペット(熱帯魚)が死んでしまったり、娘にとっての曽祖母が亡くなったり、死について考える事は何回かあったのですが、曽祖母は娘自身は会ったこともほとんどない近しい関係ではなかったので、それほどショックを受けるような感じではなかったです。 それでも、人が亡くなったらお葬式をして、お骨になるという事は少しショッキングだったのかもしれません。 私はいつ死ぬの? 死んだらどうなるの? 私は本当に生きてるの? 「まだ死なないから大丈夫だよ。 あなたが死ぬのは、ひいおばあちゃんぐらいの年齢になってからだと思うよ。」 「たくさんいい事をすると天国に行けるみたいだよ。」 などとも話してみたりもしましたが、なかなか不安は解消されないみたいです。 明日死んじゃうかもしれないと泣き始めることもあります。 生きてることについては うまく説明もできず 「自分が生きてるのかを今考えられてるってことはあなたが生きてるってことなんだよ。」と 「我思う故に我あり」のような事を伝えてみたりしても、小学生には、まだ上手く伝わりません。 死への恐怖 死後の話 生きてること どのように話してあげればいいでしょうか?
こんにちは。 私は現在19歳で、大学に通っています。両親は私が12歳のときに離婚したので、それからずっと母親と2人で住んでいます。 小さいころからこういう考えを持っていますが、先週くらいから死についてずっと考えてしまい、怖くてどうしようもできません。 忙しくしてても、ふと思い出し、本当につらいです。死んだらどうなるのとか、自分が存在してる意味、自分がどこからきたのかとか、本当に怖いです。でも中々他人に相談できることでもありません。 そして、そういうことを考えているとき、1番思い出すのは母親です。2人で住んでいるというのもあり、私を唯一支えてくれている、1番大切な人です。私たちは普通の親子よりも仲良しでお出かけもしますが、今までもっと仲良くしとけばよかったとか、ケンカとかを思い出すとつらくてたまりません。 私には家族以外母親しかありません。 死んでもずっと母親と一緒にいたいです。 こういう考えを持つのって普通じゃないですよね。 自分もなぜこんな考えを持っているのかもわかりません。でもとにかくつらくて、胸痛くなります。これからどうすればいいのかわかりません。いま人生やっと楽しくなったのに、これがすべて終わると思うと居ても立っても居られません。 誰かにこういう話を向き合って話してみたいです。 これからに向けてのアドバイスをいただければ嬉しいです。ありがとうございます。
普段から心配性な性格をしているのですが 夏の疲れが溜まっていたのか、いつもなら気にしない母のうっかりミスや悲しいニュースで強いショックを受けてしまい そこから還暦過ぎた両親が認知症になってしまったら、私自身が癌になってしまったら、身内が死んでしまったらと 暗い妄想ばかりが頭から離れなくなってしまいました。 特に裕福ではなく伴侶もいませんが、ありがたい事に衣食住に困らず人にも恵まれています。 仏教では老い、病、死は避けて通れず諸行無常と言われていますね。 けれど私は周りの人達に辛い事が降り掛かって欲しくなくて、不安な気持ちが離れなくなりました。 全ては変わっていく事、考えてもどうにもならない事と頭では分かっていても、心が拒絶するのです。 未来が怖くて仕方ありません。 幸せな状態のまま全てを終わらせたい、など極端な考えまで出てしまいます。 私がこんな悩みを抱えていると知ったら、親も親戚も友達もとても心配してしまいます。 なので誰にも打ち明けられず、ここで相談させて頂きました。 いずれ訪れる老いや病、死や未来に対する不安にどう向き合ったり、捉えたりしたら良いか どうやったら未来を明るいものとして考えられるか お坊様のアドバイスを頂きたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。
初めて投稿させて頂きます タイトル通り、たまに無性に死ぬのが怖くなる時があります 以前、働いていた職場によくご住職がいらして居たので、人間は死んだ後どうなるのですか? と聞いたことがあります そのご住職は、「生きている間の行いによって、何に生まれ変わるかが決まる。良い行いをすればまた人間になるかもしれない。悪い行いをすれば一週間しか生きられない蝉になるかもしれない。」と、仰っていました。 でも、やはり無性に死が怖くなる時があります。 自分が死ぬときはどんな風に死ぬのだろう 苦しみながら死ぬのだろうか 死んだ後、体は火葬して骨だけになりますね でも、今のこの気持ちや感情はどうなるのだろう そんな、誰にも分からない事が怖くてたまらない時があります 自分が死ぬ時の事を考えると怖くて眠れなくなったりもします それは今が幸せだからなんだなって、常に思っています 二児の母でありながらこんな質問をしてお恥ずかしいのですが、まだ分からない死への恐怖の取り除き方や死んだ後の自分の気持ちはどうなるのか 明確ではなくていいので、知りたいです
はじめまして 誰にも話せないのでこちらでお話しさせてください。 二年前に亡くなった犬の死を受け入れられません 本当は生きられた命を私が奪いました あのこの異変に気づけたはずなのに 仕事に行ってしまい一人寂しく逝かせてしまいました それから別れることが怖くて仕方ありません 別れのない場所へいきたいです 今のこもいつか私の前から消えてしまうと 考えただけでなんともいえない恐怖が襲ってきます もっと強くなりたいのにどうしたら依存せず強くなれますか
死ぬのが怖いです。 死んで無になってしまったら(心は脳の電気信号の産物だと思っているので)、今まではなんだったのか、「私」とはなんだったのか、と思い途方にくれています。 無理とわかっていても、どうしても死にたくないです 今をがんばって生きたいのに、その事ばかりが頭をぐるぐる回って、集中できない、体に力が入らない、お腹がいたい、寝付きが悪いなどの症状に苦しんでいます。 ちょっとしたパニックになっていて、もうどうしていいかわかりません。 どうしたらよいでしょうか?
お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。
死ぬことが怖くて、そのことだけが頭の中で渦巻いています。 死に至るまでの過程についてはそれ程まで怖くありません。 お迎え現象が私にも来てくれたら嬉しいなというだけです。 ただ、死が怖いです。 死んでしまうと自分の意識がなくなってしまう、愛する人と会えなくなるのが恐ろしいです。 死後の世界があると信じたいですが、自分の意識は脳があるからこそ成立しうるもので、死んでしまったら脳はなくなってしまいます。 そうしたら自分というものはなくなってしまうと考えてしまいます。 そう思うと死が恐ろしくて堪らないです。 80までいきたとしてもあと50年。 その50年があと50年しかないと考えてしまいます。 死が怖いです。 けれども、ずっと死を恐れて生きていくよりも死をポジティブに受け入れて生きたほうが人生を充実できのでは?と思っています。 ただ、死についてあまりポジティブな意見を見ることができません。 死についてポジティブな意見をいだけませんでしょうか。 また、死後の世界があるかどうかということにも意見を聞きたいです。
94歳の祖母が8月に他界、葬儀が私の旅行に被りました。 家族は私の気持ちに任せるといい、祖母は急死ではなく自分的にも心の準備をしながら接してきました。 また祖母の死を目の前にしても一般的な死の捉え方ができず悲しみはあったものの死というものが自分でもよくわからない感覚のものになっていました。 そして私は通夜.告別式に参列せず旅行に行ってしまいました。 一緒に行く彼も反対をしましたが私は自分の都合の良いように言い通して行きました。 旅行に行く前は生前祖母には自分なりに出来るだけ接してきたつもりで、自分では旅行に行くことを後悔しないと思いました。 しかし旅行中祖母のことが頭から離れず、帰ってきてからも家族や親戚には非常識人間と叱られ、 旅行に行ってしまったことを後悔しました。 でもどこかで祖母が骨になるところ、形としてなくなってしまうところを見たくなかったという想いもあります。 こんな自分を非常識であり、優しさの欠片もないと思われても仕方ないと思います。 葬儀に参列しず祖母や周りの人を傷つけてしまったことを反省しています。 でも反省している自分や看護師として働いている自分が表面上だけなんじゃないかと思えてきて、本当は偽りの自分なんじゃないかと怖くなります。こんな非常識な自分が今後また誰かを傷つけてしまうのではないかと不安でたまりません。 死に対しても常識、非常識についても何が正解なのかわからなくなっしまってます。 こんな私になにかアドバイスをいただけないでしょうか?