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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗派 」
検索結果: 2838件

私を生んでくれた母に会いたい

3年前に亡くなった母は私を生んだときは未婚でした。 一人で育てると一大決心で、誰にも言わず私を生んでくれました。 その後、父の先妻さんとの離婚が成立し、私が6才の時に正式に結婚しました。 父は身勝手で自己中心的で封建的な人です。母は苦労し、死ぬ間際まで別居をしたいと言っていました。 私さえ生まれなければ、母は父と縁が切れ、もっと違う人生を歩めたに違いありませんし、先妻さんのお子さんたちも、片親にならずに済んだはずです。 なのに、生んでくれた母に私は何一つ孝行もできず、優しい言葉の一つもかけられず、旅立たせてしまいました。 せめて供養だけは、母が望んでいた通りにしてあげたいと、父に歯向かって説き伏せて、一周忌で納骨を済ませました。 私の命は生まれなかったほうがいい命ですが、生まれたことを粗末にせずお迎えが来るまで懸命に生きることで、母の選択も私の命も、意味を持つと信じて苦しい人生も前向きに生きております。 遺された父にも毎日電話をし、600km離れて暮らしていますが、何かあればすぐ駆けつけるようにしています。 今は私自身が離婚をし、大切な子供たちと離れて暮らし、自分一人の生活ですから、父にそれだけのことをしてあげられますが、母の生前はまだ婚姻中で4人の子育てをしていたので、毎日電話をするだけで、その電話でさえ優しい言葉の一つも言えず、本当に親孝行はしてあげられませんでした。 父も母の死後2年ほどは落ち込み悲しんでいましたが、今は籍は入れていませんが新しい女性とお付き合いをしています。体こそ全くの健康とは言えなくとも楽しく暮らしています。 新しい女性とのお付き合いは、それで楽しいならとても良いことだと思います。 ところが、先月、父は実家に私に相談もなく新しい仏壇を買い、母の位牌もなくなり、父の両親と同じ過去帳に記してしまいました。 宗派のやり方に沿ってはいるのですが母は生前、仏壇などはしないで欲しいと、父の先祖や親族と同じところには祀られたくないと言っていました。 だから、納骨は母の親族がみんな眠る合同墓に入りたいと言う遺言を叶えてあげたのに…。 実家には新しい女性の物がどんどん増え、母の物はどんどんなくなっていきます。 私は母孝行もせず、母の遺志を叶えてもあげられず、謝ることもできず…。 母に会いたいです。 母のところへ行きたいです。

有り難し有り難し 25
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しばし私の妄想にお付き合い下さい

初めて選ぶカテゴリーになります 私のカウンセラーさんは浄土真宗本願寺派の僧侶です 私はそのカウンセラーさんをとても尊敬しています 人見知りで言葉も詰まりがちな性格 何だか身体も弱いのでこちらが心配してしまう程なのですが 自分に正直で弱味を隠さないその素の姿にとても好感を持っています 医療の現場ではよく起こることなのですが 患者さんが医者など医療関係者に恋心を抱くケースは多く 片想いや失恋を経験したことのある人もここhasunohaに訪れた人の中にもいるかも知れません 互いに患信頼関係が築かれてたからこそ生まれる感情だったりもします 私も今のカウンセラーさんを信頼出来るようになってからカウンセリングが単なる苦しみを吐き出す場ではなくなりました 時には「なんのこっちゃ」と言うような他愛のない話になることも多くなりました 私の家系は父方が浄土真宗大谷派で母方が本願寺派です ここからが妄想の世界になります もし私がこのカウンセラーさんのお寺さんに嫁ぐとなったら… 私は母方の宗派になるのか…??? そんなことをカウンセリングを受けている時に思ったのです それこそ「なんじゃこりゃ!?」なんですけども でも患者さんが医者関係者に恋をする気持ちが少し分かったような気がします 辛いとき困ったときに助けてくれる人のことを好きになるのは自然と湧き出る感情ですよね 止められませんよね 私はカウンセリングを受ける立場になってカウンセラーさんを尊敬し信頼するようになって初めて「患者→医者関係者」の恋心も理解出来るようになってきました でももしもですが もしも私がそのカウンセラーさんのことが「好きだ!」と想うことがあるとしたら それは… 「患者→お坊さま」「私→お坊さま」ってことにもなりますよね 一目惚れする可能性だってあります。 お寺にお参りに行ってお坊さまに出逢う度に私が「わ~お坊さまだ!」「わ~ステキ!」とキラキラとときめいたりしたら?!なんて想像したものですから そんな些細なことから人生何が起こるか分からないなと思ったのです いつも堅苦しい感じの私が話すには珍しい内容になりましたが 質問です 私ぐらい老いてから結婚されたというお坊さまはhasunohaの中にいらっしゃいますか? 年齢なんてフツーに関係ないものなのでしょうか?

有り難し有り難し 34
回答数回答 2

死の恐怖への対処法

いつもお世話になっております。 死への恐怖が強く、以前よりご相談させて頂いております。 私は、本当に死ぬのが怖いです。 なぜなら、死んだ後どうなるか分からないからです。 仏教の中には、死後について細かく書かれている本や考えもあるとご教示頂き、いくつか拝読致しました。しかし、大変申し訳ないのですが、信じることができませんでした。 死んだ後帰ってきた人は居ません。ということは、少なくとも私の今生きている世界では、死んだあと私の意識がどうなるかについて明確な根拠と理論を持って説明できる人は、いらっしゃらないのではないかと考えてしまい、信じられませんでした。 次に発想を変えて、恐怖心を消すことを考えました。死ぬことは変えられなくても、死の恐怖さえどうにかなればいいと思い、怖くなったらお念仏を唱えるように致しました。仏様にすべておまかせするという考えです。しかし、これは一時凌ぎで、恐怖が何度もぶり返すようになってしまいました。死が「自分ごと」だと認識すると怖いのです。お念仏を唱えている間は、死が「他人事」のように感じられて、死が遠くにあるような感じになり、一時的に怖くなくなります。きっと、私のお念仏のやり方に、何か間違いがあるのだと思います。 私は今、なぜか、ここに生きてしまっています。生きているから、いつか死ななければなりません。 どうしようもなく恐ろしいです。 いつかくる死に怯えて、気が狂う程の恐怖に、毎晩叫んで、ジタバタしてしまいます。もう、本当に、生きているのがつらいのです。矛盾していますが、この恐怖が本当に本当に耐え難く、こんなに恐ろしいなら死んでしまいたいと思う毎日です。 今回の質問が、仏教に対して失礼でしたら、本当に申し訳ありません。私は仏教が好きです。出会えて良かったと思っています。また、今までご回答頂いたお坊様方、本当に感謝しております。ご回答頂いたのに、前進できない愚かな私で申し訳ありません。 支離滅裂な文章ですみません。ここまで読んで頂き、ありがとうございます。 私はこれから、どうしたらいいでしょうか。 毎日「この世界に生きている」と実感するたびに、「いつか死ぬ」と恐怖で発狂するこの状況を解決する方法を、どうか教えてください。ここから私は、次に、何をしたらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1
2024/03/01

他人がやってる寺を兼務で引き受けたくない

40代独身で、500件ほどの檀家がいる田舎の寺の住職をしております。 近所の住職死亡後、やり手のない寺を数件、兼務しており、合わせると500件ほどになります。 もともと別の自宅住まいでサラリーマンをしてましたが、途中親が病気にかかり、長男で跡取りだった私に、やってくれと親から頼まれて継いだのがきっかけで、仕事を辞めて継いだのですが、もともと私は他人とコミュニケーションを取るのが苦手なので、現在寺の檀家との関りが大変で、葬式が入る都度、寺の仕事が嫌でたまりません。 そのような状態で、精神科に通院しながら、精神安定薬と睡眠薬を処方してもらいながらなんとか寺の仕事をしてます。独身の姉にも協力してもらい、私が檀家の対応全般、姉は裏で火事全般しながらどうしてもの時だけ檀家の対応・・・みたいな感じでやってます。 近所に檀家100件にも満たない兼業住職がおり、結婚してますが子供に恵まれなかったようで、私はその寺のほうるいという立場になってます。 その寺の行事を手伝っているのは私だけで、ほかにもほうるい住職が数名いますが、書類の名前だけで、何かあっても一切かかわりたくないような状態になってます。 その住職が近々危なく、後もいない状態で、その住職の兄弟などの身内はいても、皆仕事をしており、寺なんかやりたくないと皆いっております。 今後その住職はなくなった際は、ほうるいの私がその寺を兼務として引き受けないといけないのでしょうか? 今現在500件ほどの檀家の対応を私と姉で行っており、相当きつく、これ以上ほかの住職がやってる寺の檀家のめんどうまで見れません。 正直な話、もう今なんとかやってる自分の寺の檀家の対応だけでも相当大変なので、これ以上ほかの寺の檀家まで兼務で押し付けられたくなく、関わり合いになりたくありません。 こういった場合、今後その住職がなくなった際、その寺の兼務を断ることは可能でしょうか? 本山に事情を説明し、頼めばだれか代わりの住職を派遣してもらい、後を継いでやってもらうことはできるのでしょうか?

有り難し有り難し 4
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異宗教間の恋愛は不毛でしょうか。

 お付き合いしている方がいます。彼の家庭はキリスト教徒で特に母親が敬虔な方です。一方、私の家庭は仏教徒。同じく母親が熱心に信仰しています。  彼自身は、「子どもの頃は信じていた」「子どもの頃みたいには信じていないけど、神社やお寺には手を合わせたくはないかな」と言っています。  私は、父を幼少期になくしており、私達家族にとっては、仏壇に手を合わせることは父を想うことに直結しています。特に母はその思いが強く感じます。このことは、彼にもシェアしています。  彼とは幼馴染で、家族のこともある程度知っていて、交際前からフランクに何でも聞き合える関係です。しかし、宗教については、センシティブなことなので、どこまで聞いてもいいのか、怖くてこれ以上踏み込んで聞けない自分がいます。 年齢的にも、結婚も考える歳です。お互い信仰心の強い家庭で育ったことは、お互いの信仰心を理解できることに繋がるのではないかと思っています。 一方で、これから、どこまで宗教が違うことが障害になるのか不安です。年を取って旅立った時、同じお墓に入れないのかな、空の上では会えないのかなと思うと悲しい気持ちになります。  異宗教間の結婚は、どんな問題が待ち受けているのでしょうか。解決の糸口はあるのでしょうか。愛していても離れる決断をするほうが幸せなこともあるのでしょうか。。

有り難し有り難し 16
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