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hasunoha 問答検索結果 : 「 お経 」
検索結果: 3007件

会いにきてる?主人に会いたい、、

お世話になります。 主人が亡くなり、まだまだ気持ちの整理がつきません。未だ、仏壇の前に座れないでいます。 子どもがいるので、笑顔でパパの事を話したりしています、子供達も仏壇、お骨の前で挨拶したり語りかけたりしています。 フッとした時に、線香でもない、なんともいえないにおいがしたり、ん?と気をつけてにおおうとすると、においがなくなってたり… 亡くなった時のにおいといいますか… これは、主人が会いにきてるんですか? 子どもも、いきなり、ん?なんかパパのにおいがしたー!と言います。 私がまだ、くよくよしてるから、安心して成仏できてないでここにさまよっているとか?… 後は、お盆や、命日には、私達の1番近い場所にきてくれてるといいます。 ですが、亡くなったら、私達の近くにいる、そばで見守っているといいます。 亡くなったらいつでもそばにいてくれるものではないのですか? 亡くなったら、あちこち、好きなとこに行けるものなのですか? 自死でなくなっただけに、今頃後悔だらけで、笑顔で過ごしてる子ども達を見て、たまらなくなって、まだまだ安心どころか、ウロウロ、なってしまってるのではないか…と考えています… 主人の死を、まだまだ整理できません…

有り難し有り難し 29
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父の死が辛いです。

初めまして。22歳です。 食道癌の末期でホスピスに入院してた父が昨日、61歳で 息を引き取りました。 2ヶ月半ほど、ホスピスにいたのですが その間、私と母で夜は寝泊まりして そこから仕事に行ったりしてました。 ホスピスという場所はどういう所か わかってますので覚悟を決めようと してましたが、なかなか向き合うことが できずにただただ父とずっと一緒に過ごしてました。 そんななか、昨日の深夜に母と目を覚ました時 父は息をしておりませんでした。 苦しんだ様子もなく、とても穏やかな顔で寝てそのまま…というような 感じでした。 いつもの寝ている時の顔でした。 いつかこういう日がくるということは 十分心づもりしていたはずですがやはり 受け入れられません。 私は父が大好きです。 何があっても味方でとても心配性な父が大好きです。 沢山喧嘩もしてきました。でも、趣味も考え方も とても似てたので周りからも仲良しと言われてました。 そんな父の死が現実としては分かるのですが まだ、病院にいるような実感として受け入れられません。 食道癌のせいで食道がふさがってしまい去年の暮れから 好きなように飲めず食べれずでしたので 私の手料理をもっと食べて欲しかった。 一緒に美味しいご飯を食べに行きたかった。 そんな思いで胸が溢れて 家の中に父がいないことが苦しくてたまりません。 本当に亡くなるとき苦しくなかったのかな 怖くなかったのかな寂しくなかったのかな。 受け入れられないかと思えば 亡くなったあとの世界ではたくさん食べれるのかな? ずっと食べたいって言ってた塩おむすび 握って棺の中に入れたけど食べれたかな? という思いも巡って 頭の中がわけが分かりません。 どんなふうに気持ちの整理をしていけばいいのでしょうか。 支離滅裂な文章すみません。

有り難し有り難し 40
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これからの人生に安心したいです

私は死後への不安があり、死ぬことが怖いです。 というのも自分自身、胸を張って良い人間であると言いきれない、むしろ性根の悪い人間だと自覚しているからです。 そういった人間は極楽浄土、所謂天国には行けないというイメージがあります。 私は昔は明るく元気でいつも人の輪の中心にいるような存在でした。困っている人には進んで助けになりたいと思っていました。 自分で言うのもなんですが、私は子供にしては人望もあり、正義感に溢れていて、またそんな自分の事が好きでした。 ですがいつの間にか堕落し、人と対面するのが苦手で、目を見れない、自分をよく見せようと虚言癖がある、大切だったはずの存在を傷付けて、楽な方へ逃げて逃げて孤独になり今の私はいます。 自分の事が大嫌いになりました。私には人には見せられないどす黒い心があります。 そんな私がこれから何か頑張れば贖罪になるのか、そして何か得る物はあるのか、過去の過ちから死後の行先は地獄なのだろうかと。とても不安にかられます。 今になって思えば善い行いだと、人助けだと思っていたことも自己満足でありもしかすると自分の行動に自惚れていただけなのかもしれないと思います。 こんな私は極楽浄土に行く事ができるのでしょうか?独りになった今遠い先の答えだけが不安です。 人生に安心が欲しいんです。 元々あまりスピリチュアルな事は考えた事は無いのですが、今は極楽浄土に行きたくてお寺で南無阿弥陀と唱えてみたりもしましたが、自分の中での不安は消えません。 簡単な答えでも構いません。どうすれば死後、極楽浄土、天国に行けますか?また、どうすれば過去の過ちを許されるのでしょうか? ご回答お願い致します。

有り難し有り難し 11
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近所の視線が気になります

私自身がとても敏感で、以前の職場でも同僚の言動が気になったり、聞きたく無い事でも耳に入って来てしまい、それによって疑心暗鬼になり職場を去った事も有ります。 これは子供の頃からもあり、どうして私だけ?みんな平然とやり過ごせる事が私は出来ないのかと…真剣に悩みました。 しかし中高年になり、自分はこう言う性質なんだから仕方がないと少しは思えるようになりました。 ここ数年、認知症になった母親を介護しています。 母親は今年に入り自分で立てなくなり、認知症も進みました。 デイサービスの送迎車から車椅子で降ろされる所に、近所の母親と同年代でとても元気な人が寄って来て、母親の様子をみたり反応を試すかのように、話しかけようとします。 その人達は母親が元気な時は近所としての付き合いは有りましたが、特別親しかった訳ではありません。 決して心配して母親の姿を見てるのでは無いのが私にはよく分かるだけに、そして元々母親自身もそんな姿は見られたく無いと思う人なので、母親がかわいそうに思えてなりません。 世の中には色々な人間がいます。 そういう場面を見ないでおこうと考える人もいれば、土足で踏み込む人間もいます。 きっと私の被害妄想なのかもしれませんし、考えすぎなのかもしれませんが、私はとても嫌な気持ちになります。 こんな気持ちをどのように考えると楽になるのか、教えていただきたいと思います。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 30
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仏教の教義の違い について 

私は 以前 お不動さん、観音巡りもしたことがあります。五戒をおこさないようにと思い 写経をしたりもありました。 日蓮聖人の教えを弘教している人達に 会うことが 多くなり 仏教の教義 謗法について 回想することになりました。その時から 幻聴が始まりました。 救いや懺悔を 日蓮聖人のご本尊にすればよかったのでしょうが 攻められているようで 他の宗教や念仏に救いを求めてしまいました。    キリスト教の本を読んだりして 教会に行ってみたり 新興宗教から日本神話を読んでみたり 神社に行ったり しましたが 原因になった仏教が気になりました。    日蓮聖人は 法然さんを 立正安国論で 謗法といい 布施までやめるように 国に論じてました。法華経を捨ておき 念仏を信心しなさいと言われたから法華経に対する謗法だということでした。法然さんは 他のお坊さんからも意見が多かったようですが。法然さんは 他は 気にしないで 念仏をしなさいといっています。 法然さんの教義では 念仏以外を謗法とは言わず 雑行と言われてますが 気になります。 法然さんは 法華経を学ばれた上で 念仏を選びとられたのだと思いますが 私は 自分が救われるのかが不安です。かといって 日蓮聖人の教義に没頭するには 不動巡りや 法然さんに 執着があったのだと思いました。 お寺にいってもお坊さんには 聞きづらく またどういって伝えたらいいのかもわかりませんでした。 幻聴があることでの死への恐怖があります。克服したくて 介護の勉強 カウセリングの勉強をしています。 幻聴がなくなり 仕事として 役立てたいのです。が 幻聴があることで自信がありません。 幻聴は大分落ち着いたのですが 仏教を正しく学ぶことで 良くなることを願ってます。 メールで お話しできることが 救いです。 祈祷を頼むのもいいのかなぁと思ったこともありましたが 思いも定まってなく 内容も深そうで 迷惑かなぁとも思いました。 お墓は 宗派問わずとありますが 質問も宗派問わずでいいですか? 法華経と 念仏は 敵対してるのですか? 私は 宗派より 心が整理できて 赦され 勉強している介護やカウセリングが 人に役にたつ仕事が できるようになりたいのです。 よい方法はないでしょうか?

有り難し有り難し 10
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夢枕に立った亡き母の様子について成仏出来てないのでしょうか?

2ヶ月前に、大好きだった母が他界しました。 まだ、50代でしたので、顔も行動も若々しく、また、突然死だったので、今だに亡くなった事が信じられません。 そんな母が、四十九日の3日前に私の夢に現れました。 夢の中で、母は自分の友人(ご存命の方です)に、亡くなった日の死ぬまでの経緯やその時の感情を説明した様子でした。 その友人が立ち去り、ようやく母と話し始めようとすると、母は突然ほろほろと涙を流し、辛い表情で、『まさかこんな事になるなんて。あなたと〇〇(私の実姉)に申し訳ない。ごめんね。ごめんね。』と目を落とし言いました。そう言うとすぐに、ハッと何かに気づいた様子で、『こういう事はもう言えないから。ほら、“あっちの方々”が見てるから。』と、目配せをしました。ところが目配せの先にいる人は私には見えません。すると、気まずそうに母はすぐに、『もう行かないと。』と言い、せかせかと荷造りを始めました。詰めていた荷物は、見た事もない白装束の様な着物でした。 私は行かないで!と言いたい所でしたが、その様な事を言うと“あちらの方々”に聞こえて、母があの世で良い所へ行けなくなるかもと思い、生前の様に『気をつけて、行ってらっしゃい。』と見送った所で目が覚めました。 母は生前、大変苦労をした人でしたが、人の悪口も自分の愚痴も言わず、困った人々に手を差し伸べ、人を気遣い、いつも明るく、優しく、美しく、人気者で、本当に自他共に認める自慢の母でした。身内贔屓でなくとも素人でも、きっとあの世では、現世の時の様に苦労のあまりない、安らかな暮らしを与えて頂けるであろうと思っていたので、夢枕での、その様な表情や発言がとても気になりました。 あちらでも苦労をしているのでしょうか?それとも突然死だったので、現世にまだまだ未練があるのでしょうか? 未練があり過ぎると、成仏出来ないなどとよく言われますので、とても気掛かりです。 長文駄文で申し訳ございませんが、ご回答宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 10
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心のあり方

非常に読みづらい文章で申し訳ありません。 以前にも相談させて頂いたのですが、私は人生で躓き苦しんでいたある時、頭の中で光に包まれ同時にそれが「救い」であると信じ、以降常にその光が示すであろう方へ突き進んでしまいました。 結果、人生が滅茶苦茶になり今現在も逃げられないような状況を作り上げています。 その状況の内容は、父親が私の為に会社を立ち上げたのですが、勢い任せで立ち上げたため具体的な計画性がなく将来的な見通しがほとんど見えない点です。私の意思としては絶対に設立を反対した方が良いとわかっていましたが、当時の私は光の方向に従ってしまい設立を許してしまいました。父親が70歳越えた高齢であること、また、私がその仕事に対してほとんど素人である他不安な要素が多すぎて毎日恐怖と闘っています。また、親子であるため考え方の距離が近すぎるため、衝突しないよう常時神経を使っているため気が狂いそうです。 なんで光の方向なんてものに身を委ねてしまったのか怒りと悔しい思いで毎日頭がおかしくなりそうです。 また、自分が勝手に「救い」であると勘違いしたのが悪いのですが、仏また仏教というものに対し逆恨みで強い恨み憎しみが湧いてしまいます。 自分はどうしたら良いのでしょうか。 仏、仏教というものに憎しみを止め心を正し、毎日お題目を唱えていれば救われるのでしょうか? また、怒り憎しみを鎮めるためにもどのような心持ちをした方がよいでしょうか? 心が乱れてしまい無茶苦茶な文章になってしまい申し訳ありません。 返答お待ちしています。

有り難し有り難し 14
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