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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗派 」
検索結果: 2822件

人生の選択を間違え後悔している

はじめまして。 自分のした人生の決断に後悔して、生きる気力を失っています。 自業自得とはいえ、夢を自分の手で台無しにした、後悔と自責の念に耐えられず、日々鬱鬱と過ごしています。 私は、長年の夢であった海外移住を昨年叶えましたが、スポンサー会社での就労環境(長時間労働、パワハラ)や経済的な問題などに悩み、永住権獲得までの年数と、海外で老後を過ごすことへの不安、親の老後問題など移住前にはなんとかなると思えていたことが、急に不安になってしまい、年齢的にも今後は再就職も厳しいことなどを考え、先日断腸の思いで退職して帰国してきてしまいました。 ですが、やはり移住先の国への未練があり、どんなに大変な環境だったとしても、辛抱して頑張るべきであったと大変後悔しています。 職場環境も厳しいものではありましたが、今振り返ってみますと、自分の思い込みや、甘えもあり、会社のパワハラなどを言い訳にして結局逃げてしまったように思います。 会社の方も、何度も引き留めてくださったのに、それを振り切って頑なに退職してしまった自分が情けなく、腹が立っています。何とかして移住したいと思い、この会社でチャンスを頂いたのに、自分の手で台無しにしてしまいました。 覚悟が足りなかった自分が情けなく、何故このような形で、自分で自分の人生を駄目にしてしまったのか、悔しくてなりません。また後悔の念と不甲斐なさで、パニック障害もでてしまい、毎日泣いて過ごしています。 学生の頃から海外への憧れがあり、また留学経験などもあった為、社会人となってもなかなか日本社会に馴染めず、転職を繰り返してきました。 思えばこの時から、辛抱が足りず学べていなかったのだと思います。 これまでいつも間違えてばかりの人生だったので、こんどこそはと覚悟を決め臨んだのですが、また同じ過ちを繰り返してしまいました。 応援してくれていた、両親や家族にも心配をかけ、年齢的に再就職もままならず経済的にも追い込まれてしまい、絶望しています。家族がいて、住む家がありご飯が食べれるだけでも有難いとは思い、感謝しています。また、家族には心配をかけたくない為、出来るだけ明るく振る舞ってはいますが、心がついてきません。 特に両親にはこれまでも苦労をかけてきたのに、また心労をかけてしまいました。 一生、この苦しみと後悔を抱えて生きるのだと暗澹たる思いです。

有り難し有り難し 9
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不倫。。家族が欲しい

回答をいただく前に回答が解っていら質問なのです。 お坊さんとおつきあいしています。 しかし 不倫です。 去年の9月から仲良くなり、子供はいるけど離婚してると言われていました。 10月に体の関係をもってしまってから 急に冷たくなりました。 さみしい冬を越し 春を越し 夏に 既婚が発覚しました。 そして 女の子とラインしてはいろんな女の子を誘っていました。 私には忙しいと言っていました。 旅行にいってるとき元カノに会いたいエッチしたいと自撮りのエロ画像まで送らせていました。 そして 男とも遊んでいました。つまりバイです。 愕然としました 最近は性癖がばれてしまったので 他の男とエッチしてほしいと言われます。 寝取られ願望があるようです。 浣腸もしてほしいと言われています。 性癖なので構いませんが 悲しいですね。 肝心な奥様との仲はよくなく 奥様も他所と不倫してます。 可愛い奥様なので嫉妬をします。 うらやましくって わたしも家庭が欲しい。 一度は家庭を持っていました。 離婚して 子供と離れ ひとりになり 家庭のあたたかさを学びました。 家庭がほしくて 離婚をしてくれと強要し 住職であるお父様と話をしてもらいに夜中いきました しかし 離婚はダメとのことです。 直接話を聞いてないので嘘かもしれません。 嘘をよくつく人です。 本当にすぐに嘘をつきます。 でも優しくて 出会った頃から毎日一緒にいます。 わたしは 彼がいないと生きていけないのです。 別れようと何度も試みましたがだめでした。 どうしたらいいのか もうわかりません。

有り難し有り難し 32
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お墓の遺骨と納骨について

初めて相談させていただきます。 25歳で旅立ってしまった長男の納骨を控えています。 先祖代々のお墓が我が家所有の山の上にありますが、主人が確認しに行ったところ問題がいくつかありましたので相談したいと思います。 我が家は浄土真宗 本願寺派です。 納骨してあるところを開けてみると骨壺に水が溜まっていたり、ビニール袋に遺骨が入れてあったりという状況だったらしいのです。一番最近の遺骨は40年位前に亡くなった主人の祖母のものです。その状況ではいけないと思った主人が骨壺を新たに2個購入してきました。無造作(?)に置かれた遺骨をまとめて新しい骨壺に入れて収めようと思っていますが、それで大丈夫なのでしょうか? また、長男の骨壺は大きいものを用意していまい、お墓の納骨室の入り口から入れることができません。お墓は昔のもので入り口がかなり小さかったようです。 主人は長男の遺骨を砕いて収めるか、2~3個に分けると言っていますが私はそれが納得できずにいます。 早すぎる息子の旅立ちをまだ受け入れられずにいるのも正直な気持ちであり、お墓のことをゆっくり考えながら納骨を先に延ばすこともありかとは思うのですが、49日に納骨をするべきだとも言われて迷っています。 (小さな分骨壺を自宅に置いて49日に納骨することで一度は納得したのですが、お墓の事情が分かってからまた悩んでいます。) 菩提寺の住職は現在お寺には住んでおられず(尼さんで嫁ぎ先の一般家庭にいらっしゃいます)お勤めがある時だけ来られます。お彼岸勤め、お盆勤めはご高齢(70代)ということで、最近はされていません。後継者は今現在いらっしゃいません。そのような状況で相談しにくいと主人は言っており、こちらで相談させていただきました。 長々と書いてしまいましたが、どうかご教授お願い致します。

有り難し有り難し 10
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自分のこれからの生き方についての御質問

初めまして、この度 人生に悩みを抱えており投稿させて頂きました。 さて、その悩みというのは自分には母がいたのですが、2年前に亡くなりまして、経済的な親孝行ができないまま別れてしまった事と働く理由の大きな理由の1つが無くなってしまった事によってこれからどのように生きればいいのかが分からなくなってしまったという悩みです。 母が病気になった当時私は無職(就職活動は続けていた)でなかなかご縁がなく経済的な心配を母にさせてしまっていました。 そこで就職できた暁には母を旅行に連れて行ったり、美味しいものを食べさせてあげようと思っていたのですが、結局それが出来ないまま別れる形になってしまいました。 その後何とか就職は果たしたものの、母に経済的な親孝行ができなかったことが大きな心のしこりとなって残っていて、連休などがあっても楽しめなかったり、”母との旅行に使えていたらもっと楽しかったのではないか”と考えてしまう自分がいます。 また、母に経済的な親孝行をするという目標が無くなってしまった事でこれから何を目標に生きていけばいいのかが分からない状態になってしまい仕事が続けられるのかどうかが不安で仕方がありません。 (ちなみに父とは離婚しており母が亡くなった後に父も亡くなりました) 不躾ではございますが、アドバイスの御教授を何卒宜しくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 5
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安楽死について

度々の質問を失礼致します。  最近、安楽死に関する映像を観ました。 今まで実際に安楽死される方を観たことがなかったので衝撃と同時に安楽死についてとても考えさせられる内容だと思いました。  実際に病気に苦しまれているご本人やご家族を拝見して苦しみながらも安楽死を選択する場面を観てやるせなさを感じると同時に苦しみから解放される場面を観て涙が止まりませんでした…。  安楽死に至るまではご本人、ご家族共に議論を重ねており、最終的には自分のことは自分で行え、自分の意思を伝える自由を持ち人間としての尊厳を持ったまま生きたいというご本人の気持ちが痛い程に伝わってきました。また、それを見送るご家族も本当に悲しかっただろうけれどもご本人の意思を尊重できる思いやりの深さも痛い程に伝わってきました。  それを観て病気で苦しむ本人が「どんな苦境でも生きたい」という意思がないのに治療を続けることや生を強いることはとても残酷なことではないかと思いました。  また、私は安楽死がもし許可されるようになったら本当に苦しんでいる人が救われるし、そうじゃないとしてもいつか生きることに疲れ切ってしまった時に尊厳をもって人生を終えることができる選択肢が存在するということは安心して生きていくことに繋がるのではないだろうかと感じました。  生きていれば確かにいつかは病が治るかもしれません。でも、そうならなかった場合苦しみを味わうのは病気になった本人です。今の日本はなぜ、苦しんでいる本人の意思を無視して無理やり生かそうとするのでしょうか…。そして、苦しんでいるのに死にたければ本人の尊厳を踏みにじるような残酷な方法で自殺する方法しかないのは何故なのでしょうか…。 生まれてくることは選べないのに死ぬことは許されないのは何故なのでしょうか…? 苦しみぬいてまで生きることは本当にそんなに価値のあることなのでしょうか…? 家族は確かに生きてくれた方が心の支えになって良いかもしれない、でも苦しみを味わう本人の意思を無視しても正しいことなのでしょうか?  笑顔で最後までご家族を労わりながらも亡くなっていく患者様ご本人を観て「生きる」とは何か本当に考えてしまいました。  安楽死について、どの様に考えるのかお坊様方の意見をお聞きしたいです、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
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真言密教からみた障害者の立場

いつもお世話になっております。 まずは先に、お詫びとお願いを申し上げます。 この質問の題名および趣旨が私の見当違いであった場合は、平にご容赦くださいますようお願い申し上げます。 ご縁を新たにして以来、今のところは具合が順調に落ち着いております。ですが、あらたなお寺も件の寺と同じ新義真言宗の寺院です。 件の寺では、しゃべり好きのおじいちゃんが若いお客様に一生懸命お寺のルーツや住職さんの経歴を聞かせてあげていたのをカウンターの寺務員さんが集団でにらみつけていたり、 祈祷の後のお話でお坊さんが「ちょっと指導を受けただけで退職や中退してしまうような弱いお子さんに育ててはだめですよ…」などと言っておられたり… そこで、ご質問させていただきます。 真言密教、おもに新義真言宗では自分で覚りを開く能力のない障害者や病人、そしていわゆる「弱い人」は、 救済や極楽往生の対象ではないのでしょうか。地獄や畜生道、餓鬼道などに落ちてしまってもかまうな、という教えなのでしょうか。 私は平日の昼間に出歩くなど頻繁なので、次のお寺様とご縁が切れてしまったり、大好きな仏さまと疎遠になってしまうのは悲しいです。 私たちは、真言宗さんにお参りしても本当にいいんですか? 見当違いな質問だったら大変申し訳ございません。 これからも様々な仏様とのご縁を大切にしていきたいので、 どうかご教授願います。

有り難し有り難し 12
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