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hasunoha 問答検索結果 : 「私 地獄 地獄」
検索結果: 1842件

忘れたい人がいます。

回答よろしくお願い致します。 私には、10年近く前からセフレがいます。 その人のことを忘れたいです。 彼とは初めからセフレという関係で、それ以上ではありません。 毎回、会って、ホテルへ、終わってバイバイ。 そのパターン一択です。 何度か「ご飯に行こう」と、私から誘ったこともありますが、返事は(No)です。 なぜそんな関係が10年も続いているのかというと、 ①彼とは同じ故郷というだけで、彼が故郷に帰ってくる長期休暇時や年末年始にしか会わない為。 ②お互いに干渉しないから。 ③体の相性。 ④私には彼が理想の男性だから。(見た目・学歴・将来性という観点から)(セフレということを除けば) 私が自ら彼との関係を切れないのは、③と④の理由が大きいです。 できれば結婚したい相手です。 でも、彼は私のことをセフレ以上には見ていない。そうハッキリ思います。 私は30歳を迎えますし、結婚したいという気持ちが強いです。 しかし、彼との結婚はのぞめない。と、思います。 ですので、『気持ちを入れ替えて、次へ進みたい』のです。 何度も忘れよう、忘れよう・・・と、思い、他の男性を好きになろうともしましたが、 「この見た目の人とセックスするなら、(セフレの)彼の方が気持ちいい。」 と、考えてしまい、忘れることができません。 とても嫌な考えですが、彼に結婚したいという思いを伝えて、嫌悪感を持たれるような別れをし、彼とのことを嫌な思い出にはしたくないし、彼にも嫌な思いをさせたくないんです。 どうしたら、この思いを断ち切って(忘れて)新しい恋ができますでしょうか? つたない文章で申し訳ありませんが、 よろしくお願い致します。 最後に、とてもわがままな質問ですみません。

有り難し有り難し 61
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義実家を許せません

主人とは、婚約中に子どもが出来、入籍予定を早めて結婚いたしました。 結婚前まで普通だと思っていた主人の実家は結婚してから私に対し嫌味などを言うようになりました。 主人の実家は姑と姑方の祖父母が同居しています。主人の弟妹も独身で同居でした。 お舅さんは10年以上前に離婚し、少し離れたところで暮らしています。 結婚してから主人の税金年金国保が1度も支払われていないことが判明し、私の遠く離れたところに暮らす祖母がお祝いも含めてとお金を送ってくださり何とか4年間の未納分を払い切れました。 義祖母からは突然「うちはお金無いから、お祝いもあげられないわ!ごめんね!」と言い出し「で、出産予定いつ?あーその日は旅行だから!でもあんた初産だから遅れるね。私は働いてたから初産でも1週間早く産んだけど、あんたは遅れるね」と心なく言われたり、産後も床上げ前に突然家に訪問してくるなり、パジャマ姿の私を指差し「本当に寝てたんだ。あはは」と笑いました。 姑も突然気分で訪問してきては孫は息子に似てるね。これはうちね。などばかり言っていました。 そしてとうとう私が産後の突然の訪問のストレスと過労で倒れ、肺炎になりました。その時も姑は「なんか肺炎とか言ってるけど大丈夫なの?そんなことより、孫の服のサイズ教えてよ。肺炎でも服のサイズくらい教えられるでしょう」 と言われ、他にも色々されたのですが、もう嫌になり絶縁を選びました。 その時も病院の先生からは「あなた二、三年後は生きていても十年後の命の保証ないよ」と言われる程私の身体は壊れました。 絶縁から一年が経ちますが、今も許せません。 孫に会えない気持ちからか私に対し「息子を育てた恩を返せ」とまで言われました。 私の遠く離れたところに暮らす祖母には産後1度しか会えていないのに…と悔しく今も思ってしまいます。殺意さえ抱いてしまう日もありました。 今も私の祖母には会えず悲しいです。祖母は80歳まで働いており、ずっと貯めてきてくれたお金を私達にくれました。今は90歳を過ぎました。会えない分、主人や主人の実家を恨んでしまい醜い気持ちが生まれるばかりか、嫌な人間になっています。 今、妊娠中であり余計に自分の感情と理性の狭間で苛まれます。 こんな自分が辛く苦しいです。主人の実家の人達の不幸も願ってしまいます。今まで私はずっと人の幸せを願っていたのにです…

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

人から鬼になってしまいました

人間の気持ちに戻りたいです。 私は中学の時に両親が離婚しています。 高校の時に母が自殺、葬式の日に父から紹介された女性が今の母親です。 継母は「私の為だから」と作った料理を気に入られなければ捨てられ(例:鍋物のウインナーが多かった、餃子が少し焦げていた等)、冷蔵庫の食材の使用や、指定された時間外での洗濯機・お風呂の使用はお金を払わなければならず、私の下着や服、母が生前作ってくれた服も「使えなきゃゴミ」と捨てられたりしました。父は「お前が悪い」と笑ってるだけでした。 こんな家庭環境なので、ずっと私の恨みの対象はこの二人だと思っていましたが、最近自殺した母に対する気持ちが悲しみから怒りへ変化して戸惑いを覚えています。 ずっと母の事は大好きだと思っていて、後追いも3回して全部失敗してきました。でも最近思い出してきた記憶があります。 昔冗談で「家が火事になったら私の事助ける?」と聞いた時に「当たり前よ、あんな痛い思いして生んだのにアンタが死んだらまた生み直さなきゃいけないでしょ、もう痛い思いしたくない」と言われた事。 「もう生みたくないけど子供は欲しい。その辺のおじさんでいいから捕まえてとっとと子供だけ作って生んでお母さんに渡して」と高校時代言われ続けていた事。 この2つを思い出した時、父と継母よりもマシだっただけでこの人の事も私は好きじゃないんだ、と気付いて腑に落ちてしまいました。 あんなに成仏出来たかな、とか苦しんでないかな、と心配していた気持ちが嘘みたいに怒りと恨みしか湧いてきません。 一度、知り合いから宗教勧誘され、その際に「貴方の母が苦しんでいて宗教に入って欲しいと言っている」と言われた事があります。その時も死者への冒涜に対する怒りより、自殺未遂を繰り返していた時に散々止めたのに勝手に死んどいてどんだけ身勝手だよ、勝手に苦しめよとしか思えませんでした。 これを皮切りに、自分の人間らしい心がどんどん腐っていくように感じます。 嫌な事があれば自殺して自己完結したがっていたのが、他社を殺してやるとさえ思います。心の中にいつも穴がぽっかり開いていて辛かったのに、今は大きくなった穴で逆に満たされて何も感じません。きっと私も碌な死に方しないんだろうな、と思います。 自殺から10年経つのに気持ちの整理も出来ない。私は鬼のような今の気持ちから人間に戻れますか。

有り難し有り難し 31
回答数回答 2

死にたい衝動

ここ毎日これぐらいの時間に目が覚めて心の苦しみにもがいています。 今の自分の状況は自分がまいた種だと必死になって毎日思い込もうとしていますが納得にいたらずもがいてしまぃす。 この世は因果応報。 悪事はバレます。身を持って知りました。 返ってくる罰が大きすぎるのではないでしょうか。 神様は越えられない試練を与えないといいますがもう越える気力がありません。 死にたい、相手も殺して自分も死にたいとも思ってしまいます。死ぬのなら相手の目の前で死んでやろうとも毎日思っています。 私だけが謝罪し、相手は私の事などまったく意に介せず家族の修復ばかり。常識的に外れた慰謝料のことも何も気にせず私の事など居ないもののように扱います。 なぜ、なぜ。ここまでの仕打ちを。 ただ一言 救われる言葉が欲しかった。 消えてしまいたい。惨めで悲惨で。 そんな男の事など忘れるべきと、 その通りですが私のなかでは本当に 本当に、人生で初めて一番好きになった 男性でした。 向こうの家族すらも憎く感じてしまいます。 謝罪すべき相手の奥様にすら、ここまで 私を金銭的に精神的に追い詰めてと 恨みが毎日わきます。 何度も何度も過去の質問の返答を読み 勇気をいただこうとおもいましたが 限界を感じてしまいました 情けない惨め。 もう男性を好きになることはできない です。家族や子供を持ちたい人生でした 大事な親に恥ずべき人間になってしまいました。

有り難し有り難し 5
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過去に言われた悪口を思い出してしまう

はじめまして。 昨年の秋頃、同じ学校に通っていた現在の彼氏と付き合い始めました。 しかし、当時、同じ学校に私の彼のことを好きだった(片思い)女性がおり、私が彼と付き合い始めてから、逆恨みで彼女に悪口を言われるようになりました。 悪口は彼女のTwitterの所謂裏アカウントで、学校の人とも繋がっていない、完全に匿名のアカウントで言われていました。(匿名アカウントでしたが、友人が何かのきっかけで見つけ、教えてくれました。) 内容としては、「男をブス女に取られた」「あの女(私のこと)今日は〇〇柄の下着だった」「きしょい、学校に来るな」「死ね」というものでした。 彼氏や周りの友人は「あなたは何も悪くないよ」と慰めてくれ、励ましてくれました。 また、ある友人は悪口を言っている彼女に「Twitterであの子(私)のあんな悪口を言うな。」と伝えてくれたりもしました。 その後、彼女はTwitterのアカウントを削除していました。 ここでご相談なのですが 悪口を言われていた当時、友人達に支えられて、助けられて、現在彼氏とも順調にお付き合いを続けており、私は周りの人たちに恵まれてありがたいなと感じています。 また、この春に学校も卒業し、悪口を言っていた彼女とも恐らく一生会うことはありません。 しかし、このような、自身でも「ありがたいな」と思える状況であっても、言われた悪口を思い出して悲しくなったり、怒りが湧くことがよくあります。 Twitterは削除したけれど、私に何の謝罪もなかったことも許せない。何か直接痛い目を見せないと気が済まない。と感じることもあります。 また、彼女が新しく作ったTwitterアカウントも見つけ、悪口が書かれていないかわざわざ確認しにいってしまいます。 毎日「もう悪口も言われていないし、みんな私の味方でいてくれている。気にしなくていい。」と自分に言い聞かせますがどうしても思い出してネガティブな感情に支配されてしまいます。 毎日過去のことにとらわれて、嫌な気持ちになってしまってとてもしんどいです。 このような状態から抜け出すにはどのような考え方をすればよいのでしようか? 長文になりましたが、読んでいただきありがとうございます。 アドバイスよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 23
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ご先祖様について

初めて質問させて頂きます。 先日、知り合いの葬儀に参列して、お坊さんのお話を聞かせて頂きました。心にしみる良いお話だなと感動したのですが、ふと一つの疑問が生まれました。そのお坊さんは「49日まで生まれ変わりを繰り返し、そしてご先祖様として私達を見守ってくれる存在になります。ご供養をかかさないようにしましょう。」とおっしゃっていました。『ご先祖様』という存在は今まで何の疑問もなく受け入れてきましたが、興味本位で色々な仏教書を読んでおりますと「人は生前の行いにより、亡くなった後何に生まれ変わるか決まる」といった輪廻という考えがある事を知りました。 もし生まれ変わり、新たな命としてこの世に存在するのならば、ご先祖様は存在しなくなるのでは?という疑問が生じて、先祖供養やお墓参りの時に誰に手を合わせているのだろう??と考えてしまいます。 「ご先祖様」はその姿形で私達の近くにいて、守ってくれているという存在だと思っていましたが、生まれ変わるのならば、何か姿形を変えて違う生命として私達の近くにいるという事なのでしょうか? 長々とまとまらない文章で質問させて頂き恐縮ですが、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 85
回答数回答 4
2022/09/15

自分との向き合い方、親との接し方

小さい頃からメンタル面が弱いです。 今でも、成人男性や酔っ払っている人が非常に怖かったり、自分に自信がとにかく持てず、私自身のことを褒められてもしっくりきません。 丁寧に説明されると嬉しいことには嬉しいのですが、心の隅では「過剰評価だ」と感じてしまいます。 それらについてネットを中心に調べてみたところ、親からの影響だとか、愛情不足だとか、幼い頃に褒められてないだとか……そういった言葉が様々な場所で「あなたは悪くありません」と一緒に、頻繁に書かれていました。 確かに、親に褒められたことを思い出そうとしても出てきませんし、抱きしめられたり頭を撫でてもらったことも思い出せません。 けれど、10代の頃こそ親に愛されていないと思い込んでいましたが、今現在では「あれが両親の言うところの愛情だったのかもしれない」と思い当たる出来事も数個あります。 思っていたように育児がうまくいかず親も苦しかったのだろう、と、親へある程度の共感や理解もできるようになりました。 一方、考えれば考えるほど、どうしてあんなことができたのかなぁと不思議に思ってしまいます。 向こうが「愛情だ」と言っていても、私からすれば苦痛でしかありませんでした。 それでも、きっと両親は嘘をついていなくて、本気で私と弟を愛しているのだと思います。 頭では「愛されていた」とわかっていますが、完全に割り切れているわけではありません。 親に裏切られたこと、傷つけられたこと。それらを忘れることもできなければ、許すこともできそうにありません。かといって、縁を切るほど憎みきれているわけでもありません。 本題に戻りますが、 私の持っているトラウマや自己肯定感の低さ、希死念慮、そういったものを全部親のせいにしても良いのでしょうか。 みんなの言う通り、私の努力不足や能力不足だったり私が怠けているだけではないのでしょうか。 また、愛憎半ばな親にはどう接すれば心身穏やかに暮らすことができるでしょうか。 実家から出るメリットが「親と離れられる」しか思いつかず、且つそれが(少なくとも今は)特別大きなメリットでもないため、心構えなどを中心にお言葉をいただけるとありがたいです。

有り難し有り難し 8
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自分がなぜ生まれてきたのか。

私は自分が生まれてきた意味が分からなくなって、なんでなんで、、と思ってしまうことがしばしばあります。 友達がいない、という訳でもないのですが人脈はそんなに広くなくて、自分なんか、、ってすごく思ってしまいます。 この先あと何年生きていけばいいのだろう、と思うととても人間に生まれてきたことに嫌気がさします。 それからプロフィール欄にもある通り、私は中学のときにいじめられた経験があります。 2年生のときから始まったのですが、きっかけは未だによく分からなくてとりあえず私の存在がだめだったんだろうと思っています。 クラスの7割程度のひとから嫌われて悪口を言われたりしました。 未だに思い出すと怖くて悲しくて悔しくておかしくなりそうになります。 男子から特にいろいろ言われたので、今同級生くらいの男子もそうですがその他の男性でも怖い、と感じたり、同じくらいの年代のひとが大勢いるところは苦手でその場に行くと熱感、冷や汗、呼吸困難、喉がつまっているような窒息感に襲われます。 来年から社会人になるので、この先考えると不安かあります。 こんなに苦しむならいっそのこと死にたい、と思いますが生きている中で苦しいことばかりではなくて、例えば好きなアーティストのライブに行くだけで気持ちが変わったりするんですよね、、。 ですがやっぱり最後にたどり着くのはなぜ自分のような人間が生まれてきたか、ということです。 クラスの生き生きしてて高校生らしい子をみると、自分はあんなんじゃない。なんで生きてるんだろう、早く死ねよ。って思ってしまいます。 そんな私ですがお坊さん方に何かアドバイスをしてほしいのです。 自己嫌悪をなくし、これから生きれるアドバイスなど、、あったらください。お願いします。

有り難し有り難し 21
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死の苦痛が怖くて仕方ありません

死の間際に感じているであろう苦痛が怖くて仕方ないです。 最近、ときどき「死ぬ間際の苦痛」がどうしようもなく恐ろしくなってしまうことがあります。 多くはフィクション作品やドキュメンタリーを鑑賞している際に感じています。「死」や「病」に関する描写が出てくると、ふと「死ぬ間際にはどのような感覚なのだろう」と想像してしまうのです。 例えば病であれば、病床で満足に動くこともできず逃げられないまま病による苦痛を味わい続ける日々を想像し、気分が悪くなってしまいます。 フランス革命の話題であれば、「ギロチンにかけられた場合でも間髪入れずに死ぬのではなく、一瞬は生きているだろうから、その際に激痛を感じているのだろうな」などと考えてしまいます。 それ以外にも、例を挙げれば枚挙に暇がありません。 調べてみれば、やはり「苦しまない死」を享受できる可能性はそれほど高くないとのこと。 私はこの、「人生の終わり間際に大きな苦痛が予約されている」という状況そのものに耐えがたい恐怖を感じてしまいます。 思えば、私は「予定された苦痛」というものが非常に苦手です。 以前、微熱と悪寒があり「もしかしてインフルエンザかも」と思った瞬間に、来たる高熱での苦痛への恐怖で血の気が失せて吐きそうになったこともありました(ただの体調不良でした)。 コロナウイルスのワクチンを接種した際も、注射そのものではなく、ほぼ確実に発生するという副反応へかなりの恐怖を覚えていました。 死の苦痛も、私の中では同じです。 死ぬことそのものにはそこまでの恐怖を感じてはいません。 ですが、そこに至る過程である「苦痛」の存在が、私は恐ろしくてなりません。 夜遅くや、朝起きたとき、ふと浮かぶその恐怖に押しつぶされそうになってしまいます。 こうした「来ることが確約されている痛み」への恐怖を和らげるためには、いったいどのような心構えでいればいいのでしょうか?

有り難し有り難し 11
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