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問答一覧
検索結果: 2046件

仏教徒に対する疑問パート9

(こちらの質問は利用規約にもとづき一部編集しています) 僕が昔瞑想してた時に雑念を払い無になろうと心がけ瞑想してました でも雑念を払い無になろうとする意識自体が雑念であることに気づき 無になろうと意識することも意識しないいことも野放しにしました そしたら目の前で色んな色をした小さな粒が不規則な動きをしてる光景が見えました その小さな粒の不規則な動きを目で追ってるときはまだ自分の中に意識がある状態で その小さな粒の不規則な動きを目で追ってないときは自分の中に意識が無いような状態でした そしてその小さな粒の不規則な動きを目で追ってない意識が無い状態になると 神妙な気持ちでボーっとしてるんです 色即是空のような無であると同時に無でないような そしてずっとその状態でいると白昼夢みたいなのを見るんです 白昼夢を見てるときは意識がないのでそれを見てるという意識がなく見てるんです でも後で意識がある状態にもどると自分がさっき変な夢を見てたなと気がつくんです 白昼夢には良いものもありましたが悪いものもありました 一番悪いものは白昼夢の夢の中でもう一人の自分が無差別に人を殺してました でも僕はそれをボーっと見てるんです 意識があるのかないのかもわからず 善悪の価値観があるのかないのかもわからず 自分であるのかないのかもわからず ただただボーっと見てるんです 凄く怖い夢だったのでそのことを親に話しました そしたら親は「え!おまえ上の階で瞑想してたのか?おまえ下の階でテレビ見てたじゃん・・・」って言われました それを聞いて僕は瞑想して意識が有るのか無いのかわからない状態になると悪霊に憑依されるんじゃないかと思いました そして瞑想やヨガのルーツを探ると ヒンドゥー教の破壊神シェバからで人間の切り落とした頭部を持って踊ってる神様からだというのを知りました インド人はカニバリズムや麻薬や変態的性癖を儀式的に行いこのシェバを崇めてることも知りました 瞑想やヨガのルーツって危ないんじゃないんですか? 瞑想やヨガの危険性は全く無く健康に良いだけなんですか? 瞑想のしすぎて悪霊に取り付かれることとかないんですか? 僕が見たのは単なる幻想で何も考えず瞑想し続けて悟りを開いた方がいいですかね? というか瞑想し続けた結果として自殺大国日本や僕のこの悪夢すら救える悟りの力は得られるのですか?

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心の平穏が得られないです。

他の問答で仏教は"心の平穏"を見つける事と書いてありましたが心の平穏が見つからないです。 ずーっと死ぬor投薬を数年続けてて最近本当に生きるのをやめようと確信しつつあり、今はもう絶望感と戦いながら生きてます。おそらく私の年代でここまで人生に苦痛を感じて、失敗して、でも普通の人ぽく振る舞い、誰にも悩みを離さず生きてる人はかなり少ないと思います。 365日10何時間「死にたい、生きる意味は?生まれてこなれけば」と何度も考えている人間ですよ? そんな私はやはり苦しみについて人以上に考えるし、哲学や仏教に自ずと向かいます。 でも普段心の平穏や幸福な人たちはどちらかというと、ここハスノハで説教されるような不勉強な人達で何の苦労もないし、不幸も少ないです。人生勉強とかいうけど勉強の量が圧倒的に違うし不公平すぎる。 ここで説教されるような物事の解釈を変えるとか感謝とか人以上にしてるし、人以上にどうすればいいか勉強してますし考えてます、説教されてない幸福な人より何億倍も向き合いました。 毎日死ぬような目にあって、希望もなくて、自信につながるようなことはなくて、不幸ばかり。 そんな時に"心の平穏"と言われても無理、できるわけがない。仮に少しでも好転してもこの状態があと何十年も続き、もはや変えられないことの方が多い中、苦しみ続けるのに心の平穏なんて得れるわけないです。 いつも思うのですが、苦しみを減らす方法ってどちらかというと他人を攻撃して嘘をついて生まれた環境や遺伝子の有利さを発揮して利己的に生きる方が何億倍も心の平穏が生まれるという事。 毎日苦しんでる私のような人は平穏どころか苦しみばかりです。どんな捉え方をしてもやはり不幸なのです。 そしてそんな運の悪い人は仏教を勉強しても悟りについて考えても知名度のあるお坊さんに負けてしまいます。結局知名度もあり、欲を楽しみ、私よりも恵まれてるお坊さんが"心の平穏"こそが悟りといってるだけじゃないかと思ってしまう。 実際は悟りなんて無くて生まれた時に苦しむ人は苦しむだけの人生なのでは?と。 一度人生の地獄が続くと脳細胞が死滅していてもはや戻る事は不可能です。 仮に生まれて虐待されて親に愛されなくて友達に虐められて苦しんで自殺した人ってもはや何を悟るの?と思います。

有り難し有り難し 44
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人間はなぜ修行しなければ悟れないのか?

ご質問させて頂きますハルソラと申します。 私は禅の思想に感銘を受け、座禅修行を念頭に日々の生活を送っております。 多数の書物やお話から理屈では「なるほど悟りとはこのようなものか」と理解しつつも、お坊さまはご存知の通り、頭の理解でどうにかなるものではなく悪戦苦闘の日々です。 そこで私はふと思いました。なぜ人間はこんなに修行しなければ悟れないのか?…と。 昔、文鳥を飼っていた事がありますが、文鳥は悟っていると思いました。 すべての行動が「作為なく自然体で、ありのまま」なのです。 例えば、指で突っつくと怒るのですが、次の瞬間に手のひらを差し出すと、怒っていた事はすっかり忘れて手のひらに乗って機嫌良くしているし、 晩年は羽の力も衰えて全く飛べなくなりましたが、そんな事を気にしたり落ち込んだりする様子もなく、シャカシャカと素早く走りいつも通りのご機嫌なのです。 動物植物などはそのように「ありのまま」生きている(…と思う私の推測ですが)のに何故に人間は長い間たくさんの修行をしてやっと悟れるか、あるいはそれでも悟れない、という言わば面倒な存在なのでしょうか? お坊さま方もお忙しい中まことに恐縮ですが、ご教授よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 42
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2022/08/25

毎日死について考えてしまいます

毎日死について考えてしまいます。 死にたいという考えではなく、いつか来る死について不安で不安でしょうがなく頭の中で色々と考えてしまいネットなどからそういう関連のサイトを調べすぎてもっと不安になってしまっています。今では自分でコントロールできなくなってしまいました。文章では書ききれないので箇条書きで今自分の頭の中にある考えを書きます。 ・テレビやネットでの年齢を見ると将来この歳になりたくないなと、絶対なるのにも関わらず考えてしまう。 ・いつかは死ぬとわかっていても死にたくないと思ってしまう。 ・死後の世界がどうなっているのか、自我意識はあるのか、仮に生まれ変わりがあったとして自分が自分じゃなくなるのではないかと思ってもし、死後の世界がなく何も感じられなかったらと思うと不安と焦りが出てしまう。 ・自分はなんなのか、この体は本当に自分なのかという疑問。 この4つでどうしようもなくなりネットなどで調べて安心しようとするも信じていいのかわからずこのループに陥ってしまっています。 この事を家族に相談をしても「暇だからそう考えるんだろ」と言われるだけで考えないようにしようとしていてもふと、考えてしまいまたループに陥ってしまい焦りや不安、そしてパニックになってしまいます。先の将来、死後の世界が判明するのではないかとネットで書かれていたのですが本当なのかどうか本当にあるのかそれとも無で何も感じられなくなるのか、4つの考えのループから抜け出すのにはどうすればいいのか、身体や私生活に影響が出るほど深刻な問題なので、是非ともお教え頂きたいです。

有り難し有り難し 19
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人間とは此の世一番の悪だ!!!!

やまたのおろちは人々を苦しめたためスサノオノミコトが退治した? 何ですか、此は? 其は人が先に動物を苦しめたから、当然の酬いが来たんでしょうが! 人は加害者なんですよ? 被害者ぶるのもいい加減したらどうですかね? ですから、神様が人を見守っているだなんていう思い込みもいい加減にしたらどうです? 動物愛護なんて言いますが、一部で動物を殺処分、馬等を飼う、調教等をしていて、 勝手に自然界から動物を奪い、動物を不自由にしているじゃありませんか! 人が殺しているのは動植物だけじゃありませんよ? 金属だって殺しているんですから。 ピアノやお金だって、動植物や金属等を大量虐殺した挙げ句に手に入った物なんですよ? 人は虐殺されて加工された動植物や金属等を喰ったり、見たりして嘲嗤う生き物なんですか? そうか、そうですか、そんなにそんな事で楽しいですか。 其がそんなに愉快ですか! 善行をすれば罪は軽くなりますなんて気休めの嘘ですよ? 人は此の世で大昔から最も殺しをしていたんですから、何をしたって罪等償えませんからね? あれだけの大罪犯して許されないのは勿論、罪なんて軽くされませんからね? 動物や機械や同種の人に殺されたり、震災に襲われたり、毎日毎秒、人が死んでいくのは天罰なんですよ? 被災者は決して、人ではなく、自然界や神が被災者であり、人は加災者なんですよ? 人の苦しみなんてノミ以下ですからね! 何故なら、人同士の問題等より、人の仕出かした問題の方が重大なのですから! 自然界や神様の方がよっぽど苦しんでいるのですからね! ですから、人等生きる価値なんて無いのは当然、人全ての魂が死ぬべきなんです! 此で本当に自己中、身勝手極まりないのは人だと漸く解ったでしょう? 人は此の世一番の悪だということも 極限迄悟りを拓いたんだよ! 陰口や騒ぎ等起こす奴等など愚か極まりない、其こそ愚鈍の骨頂だ! 「そんな手口に引っ掛かる様じゃ、総理なんて務まらないぞ!」 なんて仰いますが、貴方はどうなんです! 人は完全じゃないのですよ? 人なんて滅亡、根絶やしにされるなんて自業自得でしょ? 出来れば、テレビ番組やラジオ番組、講演等で人々に広めてください! 本当にお願いします!

有り難し有り難し 47
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仏教は虚無的思想?

最近思うのは、 「仏教は科学を補完するのではなく、包合するものだ」ということ。 科学は森羅万象を解き明かしますが、森羅万象は既にそこに存在し、極めて柔軟かつ精緻に動き続けています。 例えば、未踏峰に初登頂しても、既にそこには太古より山はあり、命名する前から、山なるものは山であり続けたはずです。 人間は、人間が生命として「生き延びる」為に、「生命に必ず備わる生の渇愛」という衝動を原動力に科学を発展させ、生命力の強い種に進化しました。 ただ、進化と言えるか怪しいのは、科学は「外部的要因(環境、自然)」に手を加えて、人間に利するように、供する為の手段と言うこと。 人を支配するのは心ですが、その心を軽視したが故に、あるいは物質科学と心の科学のバランスを軽視した故に、様々な問題が起きているのではないかと思います。 本題ですが、では心の科学の仏教ですが、お釈迦様や南方仏教、明治以前の多数の僧侶は結婚していませんでした。 非常な覚悟、決意のもと、正師の導きで修行しても、「お釈迦様でも七回生まれ変わって漸く…」と言われるように、医王釈尊の入滅後、人は悟りが難しくなりました。 そうした中、結婚せず、子孫も残さずというのは、「虚無」に陥り易いのではないでしょうか。 生命として、子孫を残したいという衝動は根元的なもの。 インドにあるような、人生を何期かに分けて、「林遊期」に仏教を真剣に学ぶのが、生物としての人間に無理が無い気がします。 突き詰めれば、人類という種が滅する、結婚しない生き方が良いのか、囚われずに生きた方が良いのか、どうなのでしょうか?

有り難し有り難し 11
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2023/02/23

人間の存在意義 with 人工知能

私は絵を趣味として活動しています 制作活動をネットのコミュニティで共有しています。ここには同じように絵を趣味や仕事にしている人が在籍し、私に心地良い場所でした ところが近年開発されたAI(人工知能)に画像を精製させる技術の普及によって、この場所は変わってしまいました。AIに高速で画像を生産させたユーザーが短時間に大量の投稿をし、人間が制作した作品を量で凌駕し、埋もれさせてしまいます。ちなみにAIに画像を精製させる方法は、自分の望む詳細を言葉に表しAIに送信するだけで、(例:水彩画、森の中、走るキツネ)投稿されるAI産画像には投稿者本人の筆が一切加わっていないことがほとんどです。皆似たり寄ったりのAI産画像が溢れ、以前からいる、人間の絵描き達は嫌気が差し去って行きました また、AIの悪用も目立ち、AIが作った画像を「自分が筆を持って描きました」と嘘をつき、(偽の)技術や努力に対する賞賛を得ようとするユーザーが多く見られます。中には、悪意を持って既存の絵描きの作品をAIにコピーさせ複製を作らせる嫌がらせもおり、これらを目にする度に嫌な感情が湧き私の好きだった場はストレスの溜まる所になってしまいました。悲しい思いをしています そもそも画像精製AI自体が、人間が制作した著作権のある画像を無許可で学習元データとして利用しているグレーゾーンな代物で、訴訟もされています 前置きが長くなってしまいましたが、全体的な疑問として、AIと共にある人間の未来は明るいのでしょうか? 既にニュースの原稿が自動音声AIによって行われているように、AIは人間の活動をコピーし、どんどん人間の代わりとして使われていきます。これは、人間の活躍する場所がAIに奪われていくとも言えます。例えば、アナウンサーに憧れていた子供が職業として目指そうとした時には既にAIが枠を永久的に占領しているので、夢が叶うことはないのです AIがあらゆる分野で高品質・高速・不老で活動し人間を凌駕するようになった時、人間が努力や勉強をして何かの技能を磨くことに意味はあるのでしょうか? 人間、自分が持って生まれた才能や、好き・得意なことで活躍し、生きがいを得たいものだと思います。将来、AIがほとんどの職業に成り代わった時、人間は努力する意義を無くし、ただAIによって全てをお世話される人形の様になってしまうのではないかと不安なんです

有り難し有り難し 18
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人生の目的

“いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。” 太宰治の人間失格の行です。 太宰治と言えば、ネガティブなイメージで捉えられるケースが多く、この行も自死を決断した際の言葉だとも言われています。 でも、僕にはこれが『悟りの境地』なのではないかと思えてしまいます。 最近、『死』を意識するようになりました。 決して自死願望などではなく、自分の人生が良かったか悪かったかを判断するのは、死の瞬間に走馬灯のように自分を振り返る時に、自分自身で判断するものだと思うようになったのです。 だから、今を精一杯生きようと... ただ、それが空回りしたのか、ベクトルを間違えたのか、自分の理想ばかりが鮮明になってしまい、現実が非常につまらないもの・美しくないものに見えてしまい、虚無感に苛まれておりました。 先般の質問に対してご回答を賜り、理想と現実のギャップについて学びを得させていただきました。 ありのままにすべてを受け入れることは、簡単なことではありませんし、それを理想にしてしまえば、また堂々巡りのように自分中心の思考に嵌まってしまう... ここで、改めて質問をさせて下さい。 輪廻転生がないものだと仮定すれば、人は生まれてきて死ぬまでに、どんな意味を持つのでしょうか? 煩悩を捨て、ニュートラルな思考で生きることが最善であるならば、そこには何の喜びがあるのでしょうか? 輪廻転生があるのだとすれば話は別だと思いますが、それを記憶出来ない以上は、敢えて現世の人生の中での部分に絞ってお伺い致します。

有り難し有り難し 63
回答数回答 4

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