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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 死にたい」
検索結果: 3276件

母の最後について後悔しています

肝臓癌と戦ってきた母がリンパに転移し肺の辛い症状が出てから体調が急変し、夫と病院へ駆けつけました。 私達は子供がなく共働きだった事、留守中に母に何かあっても対応出来る様、私達の自宅から1時間程の介護施設に入居していました。 とても茶目っ気がある一方で気丈な母でした。たくさんの愛情をもらいました あと数日かもしれないと入院先で言われ、その日はずっと付き添っていました。とても苦しそうにしており、でも時々頑張って私達とも会話し、モルヒネを増やそうとしても「大丈夫」と。 その日は近くにホテルを取り、翌日の方がもっと大変になるだろうと、血圧も酸素も少し安定し眠っている母を起こさない様、私達は一旦出て着替えや食事をして戻って来よう、と面会時間終了後一緒に病院を出てしまいました。 その後1時間くらいして病院から連絡がありました「呼吸がとまったからすぐ来て下さい!」と。 全速力で駆けつけた所、とても苦しそうな顔で呼吸はしておらず、私を見ることもありませんでした。 心臓はその2.3分後に止まりました。 なんであの時どちらか残らなかったんだろう。呼吸が止まる苦しい時になんで側にいてあげられなかったんだろう、悔やまれて悔やまれてなりません。 中学生で父が事故死してからずっと二人三脚だった母。介護施設に入れず少しでも同居すればよかった。 呼吸が止まる1番つらい瞬間を見せない様にしたのでしょうか。いえ、それは私の都合の良い解釈かもしれません。 その日はちょうど伯母の初七日にあたる日でした。母の事も私の事もとても可愛がってくれた伯母。伯母の葬儀には私が出席し、体調が悪い母には伯母の死は知らせずじまいでした。 伯母の初七日まで頑張ったのか、伯母や父が迎えに来たのでしょうか。 母の呼吸が止まる時、看護師さんとしか居れなかった。母はきっと寂しい思いをしたのではないでしょうか。 毎日色々なサイトを見ては心の置き所を探していますが、悔やまれてなりません。

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過ちの多い人生、老いて今後どう生きる?

人生の半ばを過ぎました。 思えば、過ちも恥も苦しみも多い人生でした。 そう意図したわけではありませんが、生きているだけで周囲や人様に迷惑をかけてしまいます。 子どもの頃から疎外感、自分という存在への違和感が強かったです。 不器用で運動神経が極端に鈍く、パニックになりやすい子どもでした。 普段は大人しかったので極端に目立ちはしませんでしたが、 子どもというのはそういう異質なものに敏感なので、小学生の頃はいじめられっ子。それからは普通に見えるよう、うまく立ち回る方法を何とか見つけようと努力するのが人生の第一義になりました。 大人になるとますます社会に適合するのが難しくなりましたが、 何とか職場では誤魔化したり繕ったりしながら潜り抜けてきました。 とんでもないヘマや判断ミス、ちょっと人に言えないような過ちも多かったです。 ただ一つ、自分でも賢明だったと思うのは、結婚も出産もしなかったことで、 親には申し訳ないですが、不幸の連鎖や再生産にならずによかったと思います。 今は孤独で、荒涼とした世界の一人ぼっちでいるような気持ちです。 普通の人間に生まれたかったし、普通の人のようにに生きたかった。 周囲の、同じような社会からはみ出したような生きづらい人たちは、 30代ぐらいで自死された方が多いです。 それぐらいが限界なのかもしれません。 しかし、私は小狡く生き延びてしまいました。今となってはそういう方たちの方が「正解」だったのかも。 もう今さら過ちを償う方法もなく、人生をやり直せる年齢ではなく、苦しみと孤独は深まるばかり。しかし、これも因果応報として受け入れるべきなのでしょう。 老いていくこれからは、ますます厳しい人生となるでしょう。 このまま無明に生きて、無明の中で死ぬしかないのでしょうか。 ないのでしょうね。 もうこれ以上人様に迷惑をかけないように、世捨て人のように生きるのが一番なのかとも思います。 こんな愚かな人生にも意味はあるのでしょうか?

有り難し有り難し 22
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消えてしまいたいです。

私の現在はプロフィールでご紹介した通りです。 欠けてる部分は主人は「抗癌剤をすれば治ると信じてしまっている」ということなのです。 治らないわけでもないんです。私には現病歴、それも難病を抱えた上の抗癌剤なので可能性が低いということなんです。 賛否はあると思いますが、それを言わないでくれた主治医の先生には感謝しています。 なぜなら主人は私の死を私より怯えているからです。 詳細は割愛させて頂きますが、今までのお世話になった先生で一番お若いけど、一番熱意を感じ「この先生を信じた私を信じて頑張ろう」と思いました。 ただ将来、この先生に辛いことを言わせなければならないかもしれません。(それは仕事をと言われれば終わりですが) そして主人には辛いことを聞かせなければならないかもしれません。 「死にたい」と思いました。けれど自殺は周りの人の心に甚大な傷を負わすことになると、こちらで勉強しました。だったら「消えたい」と今度は思うようになりました。先生にとっては私は一患者だから大丈夫。主人には暫く辛い思いをさせると思いましたが、郵送で離婚届を送り、どうか別の人と幸せな人生を送って欲しいと思うのです。 以前ハスノハにて「あなたの命は仏さまからの命」というお言葉を頂きました。私は仏さまにお叱りを受けても、思います。 私の命より、どうしても私を支えて下さった方々の幸せを尊重したい。 抗癌剤の副作用も辛いです。 でも遺されてしまう人たちのことを思うと、もっと辛いです。 よく「辛いときは辛いと言いなさい」と仰せの方がおられます。 なぜだろう性格の問題なのか、それが言えません。バカですね(笑) 副作用に苦しむ私を支えていれば、未来は開けると信じている主人が不憫でなりません。 「癌患者の家族は第二の患者」とも聞きます。 もう充分辛いはずなのに、これ以上、追い打ちをかけるようなことをするのが辛い、本当に辛いです。 きっと正解は「伝える」ことなのでしょう。 でも、残酷に思えるんです。 今、私が主人に出来ることは最後まで癌治療から逃げなかったということと、明るい表情を見せるだけ。「最期まで幸せそうなのが救いだった」と思ってほしいからです。 お坊様の目から私って、どんなに映るでしょうか? 忌憚のないご意見をお聞かせ下さい。本当はお聞きしたい内容すらまとまらないのです。お願いします。

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2025/06/23

この世界に救いなど無い

この世界はもう終わりです。私達は殺されます。核戦争でこの地球は死の星になります。人間の肥大化した欲望から来る不足感が被害者意識を生み、その結果が今の軍事大国による侵略時代です。道徳は非人道的世界に飲み込まれます。私達に未来などありません。 到底受け入れられない、受け入れてはいけないものですが、解決方法もないので私達には死しか残っていません。それも惨たらしい死です。全国の仏教ネットワークを駆使して全国規模で人類への生前葬を行いましょう。 まだ間に合うかもしれない、ちゃんと天寿を全うできるかもしれないと感情では思いたいのですが、もうそんな可能性は日に日に小さくなっていくばかりです。世界は毎日毎日「最悪」を更新するばかりです。 例え運良く戦争にならなかったとしても、どちらにせよ人間社会の未来が暗いことは確定しています。 まだ気づいていないなら一緒に絶望してください。もうこの世界に未来など無いという真実にお目覚めください。私よりも賢くて徳のある貴方がたなら簡単なことだと思います。戦争は止められないこと、私達に未来は無いということ、死んでも結局はまたこの世界に生まれて苦しむだけの生が永遠に繰り返されるだけだということ、どこにも安息の地など無く、神仏の救いなどこの世界には存在しないということ。私でもわかることなのですから、貴方がたももうお分かりかと思います。私達には絶望するしか無いのです。人を救ったって仕方ないのです。どうせもうじき戦争で殺されるのだから。 絶望と怒りで心が埋め尽くされています。私が生きられないのは、私が苦しむのは完全にこの世界のせいです。生きても死んでも地獄から逃れられない。「存在」の強制力からは誰も逃れられないのです。もしも死んだ後の行き先が選べるのなら、日本は少子高齢化になっていないし家畜も戦地で死ぬ赤子も生まれていません。でもそうではないということは、死んだ後の安息など無く、死んでもまたこの世界の何かに生まれてしまうというのがこの世界の真実です。次は家畜かもしれません。どうして世界のほとんどの人間はこの真実に気づいていないのでしょう。 無惨に殺されるのはごめん被りたいのに、世界のあらゆる情報が「私たちは無惨に殺されるしかなく、しかも死んだ後もそれらが無限に繰り返される」という事実を指し示します。心が壊れて狂っています。

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何もわからない

聞いていただけますか? アダルトチルドレン 元彼とのトラウマで 極度の寂しがり屋になってしまい 孤独を感じると死にたくなり 自傷行為をしてしまいます。 辞めれていたのに再発しました。 寂しい気持ちや孤独を埋めてくれるのは 男性の温もりだと最近気付き 男性依存だとわかりました。 腐れ縁の方に予定が合えば埋めて頂いてます 昨日、イトコが3人目を出産しました 結婚まで考えていた元彼の妹がデキ婚しました 私は3年前流産し不妊になりました 唯一の味方、愛犬2匹を亡くしました 元彼とはトラウマからの疑心暗鬼や恐怖と 元彼の地盤が出来てなく 寄りは戻せません もう知り合ってから約9年 前進どころか後退していて 周りにどんどん追い抜かされ脱力しています 今までどれだけの時間を無駄にし 生きてきたのだろうか、と。 私はもう一人アプローチを受けてますが 地盤は出来ていて自立していますが 全ての相性が合いません。 過去を引きずり過ぎていて 自分自身前に進むことも出来ない その気力がない。どうせ無駄だから。 もう人生に満足しています 摂食障害でやせ細っていき 更に自分が嫌いになりました もう人生に疲れたし期待してないし 変に満足してるし早く死にたいのですが もう良いですよね? やり残した事したい事一切ありません 無駄だと思い知らされてから 努力などしてないですが もう十分自分なりに頑張って生きました 生活も精神疾患も治そうとする気力 体力、精神力がもうありません 自分なんてどうでも良いです 何から手をつけて良いのかわからない 生きてる意味も価値もわからない 未来に期待などないので人生に満足しています 後は年を取るだけです まだ23ですが疲れました なのに何故生きてなければ行けないのか 全てわかりません 無、です 何もわからない 何から手を付けたら良いのか 自分が死以外に何をしたいのか 本当に何もわからない 今も自傷行為と自殺願望と 必死に戦っています 精神薬が効きません 性格上、助けてとは言えません 心配、迷惑をかけたくない それをされると煩わしい なのに、寂しい 自分という人間がわからない 助けての一言が誰にも言えない 遠慮してしまう すみません 支離滅裂ですが 本当に何もわからないです

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子の心親知らず?

明後日、精密検査を受けるのですが、心とても安らかで穏やかで幸せです。 掛かり付けの病院の血液検査の結果が良くなかったので、別の病院で再び血液検査。やはり、結果が良くなかったので、腹部エコー検査。それでも、あまり良くなかったので、造影剤を使っての精密検査、となりました。 でも、すごく今気持ちが穏やかで、私には「ん~明後日かぁ」ぐらいにしか思えません。 体が不調な状態に慣れていること。そして、もう十数年、精神疾患を患い、何度も自殺未遂を繰り返した過去があること。 だからなのか、あまり私は「生」に執着がなく、「死」に対する恐怖心がありません。 いろいろな体験をしてきたからこそ、「いつ死んでも悔いがないように生きること」が今のモットーです。 今も、今死んでも悔いはありません。 私は、それでいいのですが、私が良くても、私にはまだ祖母も両親もいます。 心安らかで「いつ死んでもいい」と思っている今の私、親不孝なのでしょうか? 何度も死にかけ、両親を心配させてしまったことは、申し訳ないと思っています。 それでも、明後日の精密検査の捉え方に「温度差」があります。 その「温度差」を、私はどういう風に捉えたら良いのでしょうか? 「成るようにしか成らない」と思っているのは、親不孝なのでしょうか? 私は、今穏やかに過ごせているだけで、すごく心が満たされている状態です。 頭を悩ませていても仕方なく、明後日は明後日、今日は今日。どう足掻いても、明後日は来ます。 次の瞬間、死んでいたら来ませんが。 そういう気持ちでいることは、良くないことなのでしょうか? 私が、仏教について学び始めてから、宗教的な本を読んだりしていること、また、今、カウンセリングを受けている先生というのが(たまたま)僧侶であること、等々についても、両親は「良いこと」と思わず、「マインドコントロールされているのではないか?」と思っているようです。 いろいろ話してみてはいるのですが… そんなことがありまして、質問させていただくことに致しました。 私は、決して生きるのを諦めたりしているのではなく、この一瞬、一瞬を大切にしています。 後悔しないように今を精一杯、生きています。 その上で、心がすごく穏やかなので、これ以上心配しないで欲しいです。 それも良くないことなのでしょうか?

有り難し有り難し 6
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2023/07/16

内側の僕からの反論?

個人の行いは社会の行いに通じる、逆も然り自殺の原因は苦しみがほぼだろう、詳しい原因はそれぞれだが、周りが与える影響が、その人の行いを左右するのは事実であろう。 故に他の人の自死は大小あれ社会全体に影響を与える(水滴と水槽の理論)ので我々は自殺者をなるべく減らす様に行動しなければならない。自死が増える→社会が病む→苦しみが増える→自死が増えるのループこのループの最初は社会が病むかもしれない。 とはいえ、実際に追い詰められている人は周りの事など考える余裕などないであろう。よってその様な場合は理論構築よりも寄り添いや共感で心の余裕をつくる必要がある。 以下、理論構築精神的に余裕のある時に参照 ケース1 自分なんか 何らかのの理由で自己肯定感が低下した場合、これは方っておくとなぜ自分だけ→恨みに変化する。 原因となる自己肯定感の低下を解決できればいいがそれが不可能なケースも存在するはず。自分の価値観を変える、若しくは多角的な視点を持つ必要がある。恐らく実物的な苦しみは消えないが生きがいは生まれる事になるので恨みには発展しにくく自死まで考え辛くなる可能性がある ケース2 環境による攻撃等 この場合は自身が疲弊していくため特に正常な判断がし辛くなるのでは。一番はその環境から離れる事だかそういう訳にもいかないパターンも存在するであろう。この場合は自分自身と周りから距離を取り休息が必要になるだろう。何もかも疲れたは限界のサインなのですぐ自分を危険から守れる安全な場所を探すべきなのだろう。動けるうちにどれだけ安全な場所を探し回復できるかが鍵になりそうだ。 ケース3 理想への解離 このケースは自分が思い描いていた理想とのギャップに苦しみケース1と同じように自己肯定感の低下に繋がる。いろいろな状態が考えられるが手っ取り早い解決法は今に満足する事であると考える。今この瞬間をマイナスではなくスタートと考えてこれから進めばいいし進めず後退しても意外とどうにでもなる(社会保障等を使うなど)と気楽に考えるのもありかもしれない。仮に未来への絶望があったとしても今スタートラインに立てているので(少なくとも死んでいない)この状態から自分にとってプラスになる可能性の行動をすればすぐに今より好転。 ケース4 恋愛関係の悩み よくわからん がアイツの意見なんですがどうなんでしょう 長くてすみません

有り難し有り難し 24
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まだ生きている気がする

先日大伯母が亡くなりました。 98歳という大往生でした。 通夜と葬式を昨日終えたところです。 晩年は認知症で私の事は忘れたようで「どちら様ですか?」と言われました。 それでも私は大伯母の事が大好きでした。 大正時代から生きて、結婚への圧力は凄かったでしょう。それでも生涯独身を貫き一人で雑貨屋を営んでいました。 実家から徒歩2分ほどの場所に住んでいたので、小さい頃から料理を作ったら届けに行くのが日課でした。 いつも笑顔で接してくれて、何歳になっても背筋が真っ直ぐでした。 就職にともない実家を離れてからは会う機会が月に1回、半年に1回と少しずつ減りました。 最後の日も母から「午前から血圧が高くなってるらしいの、またお見舞いにいってやって」 と言われ 「分かった、じゃあまた今度の休みに行くよ」 そのまま午後に大伯母は亡くなりました。 なぜ「また今度来るね」という状況を作れなかったのか、それは未だに悔やまれますが 大伯母は棺桶の中の姿があまりにも綺麗で、死化粧も素敵に施していただけました。 葬儀場の椅子が足りなくなるほどの人に囲まれ、顔が見えなくなるほどの花に囲まれ焼かれていきました。 私は、出棺の時に棺を持ち上げても、大伯母がわずかばかりの真白な骨に変わっても、その骨を箸で掴んでも、なんだかピンとこないまま今日を迎えてしまいました。 涙は出ないままでした。 むしろ誕生日をお祝いするように穏やかな気持ちのままなんです。 現実逃避をしているのかもしれません。 今もどこか大伯母が生きているようで、一人暮らししていたあの家にいるような気がしてなりません。 あずきサンドが好きで、熱いお湯で淹れたお茶が好きで 今日も電子レンジでご飯を温めすぎて「嫌な熱さだ」と怒ってるかな。 なんて考えてしまいます。 生きてる姿しか見えません。 こんな経験は初めてです。 今までは、誰が死んでも葬儀が終わるまでには実感が湧いてきて涙が出てくることばかりでした。 なぜこうも思い入れの深い人に限って受け入れられてないのでしょう。 そもそもこれは現実逃避なのでしょうか むしろすべて受け入れた結果のようにも思えます。 実感のない死との向き合い方 ご助言いただければ幸いです。 よろしくおねがいいたします。

有り難し有り難し 26
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後悔に潰され何もできない

23歳男です。 私はこの23年間の人生において、そして現在に至るまで数々の恥ずべきこと(裏切り、大事故、虚言)をしてしまいました。 そして、自分のやりたいことに対する努力を怠ってしまったり、若いうちにやっておけば良かったことをしなかった(人間関係の構築、貯金、旅行、減量など)を酷く後悔しています。 その後悔の念に押しつぶされてしまい、今はうまく動くことができません。 仕事をしている時も何か違和感を胸に感じており、何か新しいことに取り組んでも、どこかに遊びにいっても楽しさを感じることができません。 「今更、何をやり始めても遅い」、「お前には楽しむ権利がない」と頭の中で考えが巡ってしまい、心から楽しむことができません。 簡単に言えば、全てが無意味に感じて楽しめないのです。 これから先、自分は一生こんな風で、何もできずに死んでいく気がしてしまい、それを考えても落ち込んでしまいます。 いっそ死をもって、人生をリセットしてしまいたいような気持ちになります。 死ぬことが許されないのであれば、せめて、この後悔の念を消して先に進むためには、私はどうするべきなのでしょうか。 お坊様の意見をお聞かせください。

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実父が末期癌で入院しました・・・

実父が、食道がんと肺がんで入院しました。 かなり進行をしている為、手術はリスクが高く放射線と抗がん剤治療になりました。 お医者さんからは、余命は1年持てば・・・と言われました。 すごく怖いです。 私自身、死に対して憧れ続けているのに、身内の死となると怖くて仕方ありません。 もう父が亡くなる前に、死んでしまいたいと思う程です。 変な話ですよね。 自分の死はどうでも良いのに、身内の死は嫌なんて・・・ 余命を知ってから、メンタル持ちの私はとても不安定で、突然父を思い涙が止まらなくなったり、かと思うと、「これはきっと間違いだ!やっぱり大丈夫!お父さんは元気だ!」と本気で思ってしまい急に楽観的になったりと、感情のコントロールが出来なくなっています。 父に会いたい気持ちと、会うのが怖い気持ちがせめぎあって、こんな大事な時なのに何もしてあげられないのが本当に情けないです。 このまま行ったら、きっと私はお父さんの死を受け入れられず「生きてるし。」と言い張り、お葬式ですら出ないのではないか? そんな気しかしません・・・ 究極の現実逃避ですね・・・ お父さんは、自分が癌なのにもかかわらず私の精神を心配しています。 こんな時にまで、まだお父さんに心配をかけている自分が憎くて醜くてどうしようもない奴だから代わりに私が死ねばいいのに!!と思います。 なぜ、生きたいと思っていない私ではないのですか? 私からお父さんを奪わないで下さい。 それが叶わないのなら、お父さんのため、こんなクズの私にも出来ることはあるのでしょうか? そして、お父さんの死を乗り越えることなど出来るのでしょうか? まだ、何もお父さんにお返ししてないのに・・・ お父さんに伝えたいこと、本当は沢山あるのに・・・ 私がこんな風でごめんねっていっぱい謝りたいのに・・・ あぁ、すみません。 感情的になってしまって。 長文読んで頂き、ありがとうございました。

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十二因縁(縁起)を例えると…

日頃、宗教や哲学について、ネットあさりしています。 最近は仏教、特に原始仏教と呼ばれるものに興味を持っていますが、十二因縁(縁起)について、府に落ちたイメージを持つことができません。 そこで、難しい言葉や理論を使わず、現代でもわかりやすい具体的な例えを挙げていただきたいと思い、こちらに質問してみました。 なお、こういった知識(智恵でしょうか?)は、一言では語り難いものでしょうし、また言葉だけでわかったつもりになってはいけないとも思っています。でも、こうもイメージが湧かないと、日頃に意識することも難しい。 ぜひ、「なるほど💡 そんな感じなのね!」と感触を得られ、日常の中でさらに感触を深めていけるような例えを、いただきたいと思っています。 ちなみに、これまで私が掴んだ感触・知識は次の通りです。間違いや不足もあると思いますが、その部分こそ、例えで払拭したり補足したりしていただきたいです。 十二因縁(縁起)とは、 無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個 「無明によって行が生じる」のように、前の物が次の因になる。 最後の「生、老死」については、「生まれることで、老いがあり死がある」ということ? では、「無明→行」「行→識」「識→名色」「名色→六処」「六処→触」「触→受」「受→愛」「愛→取」「取→有」「有→生」「老死→無明」はそれぞれ、どのような因果なのか。 現代でもわかりやすい例をあげるとすれば、どういう例が考えられるか。 仏教に疎い者でもわかりやすい例を、ぜひよろしくお願いしますm(_ _)m

有り難し有り難し 115
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