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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6190件

病気、人の死、自分の死が怖いです

今から約8年前、自分が高校生のとき 事故で急に姉を亡くしました とても仲が良く友達みたいな姉妹でした。 それからなのか人の死がとても怖くなり 家族が家に帰ってくるのが遅いと 事故にあったんじゃないかどっかで 倒れてるんじゃないかとか 異常なくらい心配になります。 また体のどっか気になることが あったりテレビで色々な病気の ドキュメンタリーを見るたび 自分もそーかもしれないと思い込み 病気になった気分になり 病気=死を連想してしまいます 少しどーかあると気になって気になって 色々検索してしまったり 今は卵巣に小さな奇形種があると 言われていてそれが気になってしまい 先生は経過を見ていくしかないと いう風に言ってくれてるのに それで大丈夫なのかとか色々 深く考えてしまいます。 もし病気が進行して手遅れに なってしまったらとか なんか病気だったらとか 考えるとキリがないです。 家族と笑いあってるとそのときは 楽しいのにいつかこの楽しさも なくなるのかなとか 誰かまた亡くなったらとか 考えると悲しくて仕方ないです。 今年は結婚もし赤ちゃんも10月に 産まれる予定です。 嬉しい事が続いてると余計色々 怖くなってしまって どーしたらいいか分からないです。

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息子の死

昨年の4月に悪性リンパ腫で私の息子は入院しました。医者は、8回の抗がん剤をやれば完治するとの事だったが、心配になり霊視占いにも見てもらったら、死にはしない!親より先に死ぬ事はない!治るとの事だったので安心してました。 ところが、7回の抗がん剤が終わった時に医者から腫瘍がまた大きくなっているから退院は無理と言われ更に強い抗がん剤をやったがダメでした。私達は、不安になり癌に効くサプリやお墓参りも何度か行き、神社にも毎日行き、神社では不思議な現象も何度か体験してもしかしたら治るんじゃないかと期待していたのですが、様態はどんどん悪くなり正月早々に亡くなりました。 息子は、23歳でしたが激しい痛みにも耐え根を上げず、ずっと頑張っていました。亡くなる最後の日私にハグをして、愛してる愛してる!ありがとう!の言葉を残し他界しました。 頑張っていた息子の為にも私は、残された家族のために頑張らなくてはいけないとは思っているのですが、仕事も家の事もやり気が出なくて泣いてばかりの毎日です。 息子は、私の言う事は信じて頑張っていました。亡くなる日に私は、息子にこんな病気何くそー負けるか!負けてたまるか!って言う気持ちでいなよ!絶対に治るから!と言ったせいなのか息子はかなり弱っていた体に力を振り絞って長い時間ベットの上で便を頑張り力尽きて亡くなりました。 私は、息子の寿命を縮めてしまった!かける言葉を間違えてしまったと言う後悔で息子に申し訳なくてこの先どう生きていけばいいのか分かりません。 無理なのはわかってますが、もう一度息子に会って謝りたいです。

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実母の死

こんにちは、今年の5月にアメリカ人の義母の死について相談に乗って頂いた者です。 その節は大変お世話になりました。 今年は災難続きで12月はじめに今度は日本にいる最愛の母を亡くしました。 高齢でしたが健康そのものの母でしたので、家族も親戚も驚きでいっぱいでした。 連絡を受けて5時間後には飛行機に飛び乗り日本へ向かうことが出来、意識はないものの母に会えたし、病院で数日間過ごし苦しむことなく亡くなる母の最期看取る事が出来ました。 葬儀も済みアメリカに戻ってきましたが、まだ母が亡くなった実感が湧きません。 姉は母が亡くなって次の日に、少し元気になって布団から少し身体を起こして無言で吸い口で水を飲む母に高い壁越しから見かけて「ママもうそんなに快復したの?!」と思わず声をかけた夢を見たと言っていました。 なのに私は全く母の夢を見ないのです。 母が亡くなる2日前に電話で話しをした時の最後の会話は、「夫が私や子供達の事を大事にしてくれること、子供達が健康で健やかに成長していること、三月に日本に子供達を連れて日本に遊びにいくよ、私はアメリカで幸せに暮らしているから」みたいな事を話したのですが、母が夢に出てきてくれない事が悲しくて毎朝起きてはガックリしています。 まだ四十九日も来ていませんが、母ともう一度話してみたいのです。私たち家族は大変仲良しでしたが、私の所にも夢に出て欲しいのです。 私の事を溺愛してくれた母が夢にも出てきてくれないのは何故なのでしょうか?

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死についてのさまざま

先日、祖父を亡くしました。半年前には祖母を亡くしました。 2人とも僕にとても尽くしてくれて、人間としても素晴らしい方々でした。 祖父の最後は僕のために洗ってくれたお風呂の中でした。少し発見が遅れてしまい、1人にさせてしまったことが今でも悔しいです。 祖父が使って、洗うために台所に置いてあった食器を供養の気持ちを込めて洗っていた時に、ふと、もうこの食器を使っている姿を見れないんだなと思う気持ちと、生前に食器を使っていた場面が鮮明に思い出されて、保っていた涙腺が崩壊してしまいました。 その後もただ、祖父母のいなくなった部屋を呆然と眺めているだけで、喪失感、自分と2人との部屋での日々を思い出し、涙が出ます。 祖父は祖母が亡くなったのとほぼ同時に進行したがんの発見や老いによる身体の不自由。さらに仕事という生きがいを無くし、僕たちに生活の迷惑をかけていると思っていることや祖母の死になにもできなかったと悔やむ姿。とても辛そうでした。 亡くなってしまったことはとても残念ですが、夫婦一緒に納骨できること、辛そうな祖父が解放されたような気がして、これでよかったのかもしれないと。こう思ってしまう、僕は間違っているでしょうか? そして、祖父母を亡くしたことで自分や家族、友人、大切な人が次にまた無事に会えるのか毎日怖くなってしまいました。 些細な不調なんかでも最悪のケースを常に先に考えてしまい、不安で無気力になってしまうこともあります。 寝てしまって、そのまま自分に何かあったら、それ以外の人もそのまま永眠してしまったらと自分が寝るのも家族などが寝るのを見るのも怖くて、あまり寝れません。 死とは突然で世界を一変させてしまうものだと祖父母に気付かされました。 誰かに聞いて欲しい。それだけを思って書いてしまった部分もありましたが、お許しください。 そして、どうかお言葉、知恵を与えてください。お願いします。

有り難し有り難し 10
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家族の死

最近、家族の死について考えてしまいます。特に祖父母のことについてです。 私の親は共働きなので、保育園と小学生のときはよく祖父母の家に預けられていました。保育園のお迎えはおばあちゃんがしてくれました。買い物はいつも一緒に行きました。風邪を引いたらおじいちゃんが病院に連れて行ってくれました。旅行も数えられないほど行きました。 このときの祖父母とは親よりも一緒に過ごす時間が多かったかもしれません。そのためか今でも祖父母のことが大好きです。 この間、久しぶりに旅行に行ったとき、祖父母よりも背が高くなっていました。耳も遠くなっていました。2人とも80近いので当たり前なのでしょう。でもやっぱり時の流れを感じると切なくなってしまいました。 最近は「いつ死ぬかわからない」とか「もう先は長くないから」などと言っています。でもそんなこと言ってほしくありません。ずっとずっと元気でいてほしいんです。永遠なんて無いとは知っています。でも大好きな祖父母が死んでしまったらと考えると涙が止まらないんです。 恩返しもまだしていません。何をすればいいのかもわかりません。 この恐怖がどうしたら落ち着くのかもわかりません。 どうか教えてください。

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元夫の孤独死ともと義父の自死について

3回目の相談です。 前回までは、元夫の孤独死について相談させていただきました。多額の借金から逃げ、満足な医療を受けられず、おそらく自暴自棄になり、セルフネグレクトの結果の死だと私は理解しています。 元夫の父、義父も自死しています。会社を起こし一時はかなり業績も良かったそうですが、大きな負債を抱え自身の生命保険で補填したのだと聞いています。元夫は、ぎふを義父をとても尊敬していました。家族を守るために命を犠牲にしたと言っていました。 私は生前、元夫に義父のような最期を迎えないで欲しいと言いました。遺された家族の悲しみや苦しみは、あなたが一番知っているはずだと。私は離婚していましたが、子供に同じ苦しみを残さないて欲しいから、生き抜いてほしいとお願いしました。しかしその言葉は届きませんでした。私は今でも彼を見殺しにしたのではないかと悔やんでいます。 今でも元夫の死は悲しくて辛くてたまりませんが、もしかして子供も同じ道を選ぶ可能性があるのではないかと、それがとても怖いです。私は命に関わる病気をし、大変な治療を受け今は健康を取り戻しました。それは私自身が健康になりたいというだけだなく、子供のためにも生きていたいと願ったからです。 元夫は、借金や様々な苦しみから逃げられて楽になれたかもしれません。でも遺された子供と私は様な後始末を今でもしています。 そう考えると、元夫は大きな悲しみと苦しみを残して逝ったのです。 悲しいけど恨む気持ちも生まれました。これから子供と供養はしていきたいでが、子供の未来に陰を落とすならば許せない気持ちでいっぱいです。

有り難し有り難し 5
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2025/03/08

家族の死

3年前弟が23歳で不慮の事故で急死しました。 母親、父親、私、弟、弟の仲の良い家族でした。特に私は周りからブラコンと言われるほど弟2人が大好きで自慢でした。 でも亡くなった真ん中の弟とはお互いに一人暮らしを始めてからは連絡もあまり取り合っていませんでした。小さい頃は仲が良かったのですが、昔から性格や考え方が真逆で大人になるにつれて合わなくなっていきました。でも大好きな気持ちは変わらないしまさかこんなに早くにこんな形で会えなくなってしまうなんて微塵も思っていなかったので、もっと大人になってお互いに子どもなどができたらまた分かり合えるしまたいつでも会えると思っていました。もっと話したかった。もっと会いたかった。たくさん後悔があります。 今は私も日常生活に戻って仕事もしているし実家に行ったり友人や彼と旅行に行ったりしていますが、ふとした時に色んな後悔や喪失感が込み上げて寂しくて悲しくてどうしようもなくなります。急にスイッチが入ったように涙が止まらなくなります。まだ受け入れられず本当はまだ生きてるんじゃないか、悪い夢を見ているだけなんじゃないかと思えて仕方ないです。 でもやっぱり1番辛いのは母でそれを側で見ていると悲しくなります。 私は一緒に悲しんで1番下の弟は一緒に笑って、なんとかこの3年2人で母を支えて生きてきたつもりです。 弟には勝手な事をして勝手に親より早くに死んで親不孝だと言って喧嘩したくなります。でもそれももうできません。 気持ちを整理するために本も書きました。 それでもやっぱりなんで弟だったんだろう、なんで私がこんな思いをしているんだろうと現実にしんどくなります。 死にたいわけじゃないし母がいる限り絶対に死ねないですが、早く私もあの世に逝きたいなあなんて思ったりもしてしまいます。 あとひとつ、たまたま死ぬ前に弟は1番直近に3人兄弟で撮った写真を見ていたみたいです。 なぜ見ていたのかはわかりませんが、私はどんな気持ちでみていたんだろうと今だに疑問に思います。 ①お母さんを頼む ②私と1番下の弟を目に焼き付けたかった どう思いますか? 大切な方を亡くされた方はどうやってこの辛さを乗り越えましたか? 家族の死を乗り越えるためにはどうしたら良いですか?

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2023/02/05

死ぬために死恐怖症を治したい

お世話になっております。 久しぶりに相談します。 突然ですが死にたいです。 でも怖くて踏み出せません。 人間の生理的なものなので「死にたくない」と思うのは仕方のないこととわかっていますが 『今この曲がり角で刃物を持っている人に遭遇したら刺されるな』とか 『地震でマンションの上の階が落ちてきたらつぶされて死ぬな』とか 『通勤ですれ違ってる人に何かをしてしまって恨まれて殺されてしまうな』とか 常にありもしない妄想で不安になって死ぬのが怖いです。 これを死恐怖症と呼ぶらしいのですが、この症状なのかなと最近思っております。 なぜ死にたいかというと人生に疲れたというか。 私の様子を聞くと、きっと多くの人が「え、そんなことで!」と驚かれるのでしょうが もう、しんどいんで若いうちに人生終わらせたいです。 プライドが高いせいか、思うように人生が進まず『なぜ?』と 劣等感にさいなまれることが多くしんどいです。 知り合いに『今の状態がメリットがあるから無意識にそのように生きている。 そのメリットを享受しているのにデメリットを嘆くのはおかしい』と指摘され、 なんだかもう難しいことは考えたくないし、 死んで困ることはないのでもう生きてる意味もないかなと漠然に考えてます。 そんな時に『死にたくない』を乗り越えれればいつでも死ねるなとふと思いまして。 死ぬための方法はネットを漁ればいくらでも出てきますが、 死を克服するための方法はほとんど出てきません。 死を受け入れる、もしくはその恐怖を克服する方法は何かありませんか? 教えていただけますと幸いです。

有り難し有り難し 14
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ペットの死について

他人のペットの死んだ話なんて、興味が湧かないかもしれませんが少しだけ聞いて下さると助かります。 つい最近、若うさぎが急逝しました。 麦という名前で、茶色の毛にお腹の部分は灰色で、鼻先や足先が黒くて、面白い毛色で、とても愛らしく思ったことです。抱き上げると、暫く茫然として、はっとして他の所に行きたがって蹴りつけてくるようなお転婆でしたが、家の中を走ってはずっと私や家族の周りをぐるぐる回って鼻先で足をつついて気を引くような愛らしいやつでした。まだ家に来て二年経っていませんでしたが、私と家族の日常の一部でした。 それが、つい昨日の早朝5時に死にました。 ケージを激しく引っ掻く音と、次いで悲鳴が聞こえて、離れた部屋に寝ていた私は目を覚ましました。うさぎは普段鳴きませんが、鼻を大きく鳴らして悲鳴を上げる事が稀にあります。 しかし、悲鳴は止まず、ケージを引っ掻く音がふっと消えた途端にのたうち回るような音がしました。 微かに両親が起き出した音がして、そして取り乱したような声が聞こえて、私は暗い部屋の中で急いで起きて、真っ暗な廊下に立ちました。悲鳴とばたばたという音を聞きながら、私は暗い廊下で自分の肩を抱いて薄暗いリビングを見ていました。母が溜息のような泣き声を上げ、近寄って小屋を覗き込むと、父が「死んじゃった…」と横で呟きました。麦はもう横たわって死んでいました。 まだたったの二歳でした。多分、夜中に突然内臓に何か発症して、あまりの痛みにショック死したのだと思います。うさぎは強い痛みを感じるとショック死してしまうのです。 死んでしまったものは戻ってこないのもよく知っています。もう麦が廊下を歩く私の後を追って走ってこないのも分かっています。 ですが、あの薄暗い中で、突然ケージを引っ掻いたのは、私たち家族を呼んでいたんです。痛くて助けを求めたんです。あの時そばにいればよかったとか、そういう事も思いましたが、どうする事も出来ないのは明白で、遣る瀬無い。 死んだ後はきっと楽しく過ごしていると信じていますが、あの薄暗い異様な空気の早朝と骨が折れる程暴れて悲鳴を上げる、あの愛らしいうさぎはまだ、記憶の中にいます。記憶の中で、悲鳴が聞こえます。死ぬ程の痛みの中で、家族を呼ぶ彼女を、どうか見守ってやるような救いを、祈って下さい。完全なエゴですが、どうか少しでも思いを馳せて下さると幸いです。

有り難し有り難し 44
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父の死

3週間前に最愛の父が76歳で亡くなりました。父の誕生日の次の日でした。昨年9月に骨髄異形成症候群という、白血病手前の血液のがんと診断されました。早期発見で、今すぐどうこうなると病気ではなく、ゆっくりずっと付き合っていく病気でした。1ヶ月ほど入院し、退院しましたが、その後原因不明の熱に悩まされ再び入院し、肺炎で亡くなりました。 私は遠方に住んでいたため、入院中のお世話や、お見舞いも行けず、会えたときは、会話はできたものの、今日か明日の命と言われ、沢山のチューブがついて動けない父の姿でした。8月帰省した時は、旅行に行ったり元気な父でした。 今でも入院中のお世話ができなかったことや、色んな恩返しが出来なかったこと、父の死が受け入れられず、悔いるばかりです。お葬式後も、子どもの学校があったため、次の日に自宅に戻らなければいけなかったこと、次は四十九日しかお参りができないこと、罪悪感しかないです。 自分が遠方に住んでいる事に、とても後悔し毎日泣いてしまいます。遠方に住むときに、ある程度の覚悟をしておくべきだったのか、転勤族なのでもう少ししたら、戻れるかもしれないと、期待があったため、元気な両親に会えるのを楽しみにしていました。 今でも、父の「まだ死ぬ心の準備ができていない」と泣きながら言っていた言葉と表情が、頭から離れません。思い出しては涙がとまりません。私にはまだ父にしてあげることがあったはずと、後悔ばかりです。四十九日も泣いてしまいそうです。心穏やかじゃない自分が不安です。

有り難し有り難し 27
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