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hasunoha 問答検索結果 : 「他人 」
検索結果: 10884件
2023/12/11

ハイエナ人権屋の見分け方

 いつもお世話になっております。  私は、以前通所していた発達障害者の訓練施設で、とんでもない 目に遭いました。その施設は、発達障害者の訓練をするふりを して、むしろ障害者と健常者さんの対立を煽る思想を植え付ける 場所だったのです。ヤクザ者です。  具体的には、 ・遠足で行った寺宝館が障害者割引に対応していないことに  腹を立てた施設職員が、レセプションで  「障害者割引をやらないのはあり得ない、やれ!」  と怒鳴る。 ・体育の時間、  「道々で綺麗なお花や景色を写真に撮りましょう。お家のお庭にも   お花が咲いていますね。皆で撮りましょう」  と職員が言ったので、私が  「他人に勝手に家の敷地内を撮影されたら、家人の方は  驚いてしまうと思うのですが」  と質問したら、深くため息を吐かれ、「難しいですねぇ…」と  言われた ・座学の時間に、  「健常者と関わるときは、心を剣と鎧で武装しろ。しかし、  障害者どうしで関わるときは武装せずに済む。なぜなら、  健常者から見たら障害者は武器も防具も持たない弱者集団  だが、障害者の集団には絶対的安心がある」  などとカルト宗教のようなことを刷り込む  どうです?ヤバいでしょう。近所のお婆ちゃんに話したら 「普通の人と関わるときに武装?で、障害者同士なら絶対的安心 なんて。言ってる事、新興宗教と同じじゃないか!なんで私に 相談しなかった!すぐにでもそんな所やめろって言えたのに」 友人に言うと 「やば、洗脳じゃん」 主治医に言ったら、ありえん、と笑っていました。  アニーサリバン先生が見たら泣くでしょうね。  本来この手の施設は、障害者と健常者さんが温和に過ごせるように、 障害者の誤解されうる行動を個々人に合った仕方で律するように 教導する場所です。  しかし、この施設は、健常者=障害者の敵と刷り込み、逆差別を 煽り、権利を特権と履き違え、工作員を育てていました。  私の近所に、知的障害の家族が住んでいます。ある日彼らが お茶をしているところを見ました。一緒に来ていた人権屋が、 「自分の要求をいかに通すかを考えるのが大事よ」 と刷り込んでいました。殺意が湧きました。  謙虚に社会生活を送ろうとしている私からすれば、堪りません。 次、訓練施設を選ぶとしたら、どうやってまともな所とヤクザな 所を見破ればいいですか?

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心を殺したい

自殺願望は無いけれど、欠陥だらけの自分に対する罪悪感と劣等感に疲れました。 仕事では外ヅラだけが良くヘラヘラして、無能感を持ちながら働いています。向上心も、将来どうなりたいという願望もありません。 現実でもインターネット上でも友人は一人もいません。私がネガティブで、思いやりがなく、そもそも誰のことも信用できないせいです。 ちなみに恋人もいません。子供の頃から、性格も肉体も「醜いもの」だと思っていました。誰かと恋愛をしたい、という欲求がありません。 唯一の生きがいが趣味でした。それも、ここ数年ずっと上手くいっていません。純粋な楽しさより承認欲求が強くなってしまったからです。(加えて長期のスランプです) 昔、今とは違って死にたいと言っていた時期があり、その頃に0から勉強し、少しずつ上達して自信を手に入れた大切な趣味なのです。それも自分のせいで駄目にしてしまったまま、楽しい気持ちが戻ってきません。 仕事も人間関係も趣味も、「なぜ他の人ができていることがお前にはできないんだ!!」と、他でもない私の心が叱責し、罵倒します。 ろくに努力もせず不平不満を垂れてばかり。誰かに認めてもらうことに拘っているのがみっともない。実際認められない。そもそも他人に興味が持てないのだから嫌われて当然。相手の気持ちを一切考えてない。全部こんな性格に育った自分が悪い。そんなやつが頑張ろうとするのは滑稽だ、と。 全部正論なのです。そこまで言われても自分を変える勇気がない。失敗するたびに深く傷付くのが怖くて何もせず、そんな自分に結局落ち込んで、また罵倒されます。 自信は空っぽです。それでも断固として、どんなに惨めでも死にたくはないのです。 とりあえず再び趣味が上手くいくまでじっと待ち、他の全てを気にしないようにすれば、欠陥だらけでも幸せにはなれると思うのです。 一人でも頑張って生きていきたい。そのために、毎日毎日毎日「お前は劣っている」と喚き続ける心を殺したいです。

有り難し有り難し 23
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マナーの守れない人間達への怒りを抑える方法

私は日常生活で度々酷くイライラすることがあります。 とりわけ車の運転中にマナーの悪い、ルールを守れない、周囲の事を考えられない連中を目の当たりにすると酷くイライラします。 ・順番を守らずに割り込む人間 ・身障者スペースに駐車するどうみても身障者には見えない人間 ・タバコやごみを平気でポイ捨てする人間 ・周囲の交通状況・流れに逆らい不必要にスピードが遅い車 ・曲がる直前になって突然ウインカーを点灯させる車 ・信号無視をする自転車乗りや歩行者 例を挙げればキリがありませんが、このような事は私の基準では「悪」だと考えます。 その私基準の「悪」を目の当たりにすると耐え難い怒りや憎悪の感情を抱きます。 自分だけ良ければいいといった考えを持つ連中が蔓延り悪びれもせずにのうのうと生きていることが自分の中では許せません。 なぜ、こういった人間達はマナーやルールを守らないのでしょう? なぜ、守るべき当たり前のマナーやルールが守れないのでしょうか? 逆に考えれば、いちいちこのような事に腹を立てずに、 守ることの方がおかしいと考えるべきなのでしょうか? 守らない人たちが正しいと考えるべきでしょうか? ですが法やルール・マナーとはなんのためにあるのでしょうか? 日々考えますが、全く答えは出ません。 ルールやマナーをきちんと守る人間達が損をしたり不快な気分になることが許せませんし、納得がいきません。 しかし毎回気にしていては疲れるだけです。いずれそういった人間の行いは自身に帰ってくると考え気にせず割り切りばいいのですがなかなか難しいです。 これは負の感情であり、いい結果にならないということは自覚していますがなかなか改善できません。 私には妻ともうすぐ生まれる子供がおります。 妻は私の考えを理解してくれますが、そういった人間に対して注意などしてトラブルになってほしくないと毎回言われます。 私も家族が一番だという気持ちはありますので家族のことを考えぐっと堪えます。 あくまで私自身の基準の「悪」ですので他人からすればエゴや単なるわがままだとみなされるかもしれません。 ですが少なからず、人それぞれ善悪の基準があるはずです。その「悪」に遭遇した際はどのように対処しているのでしょうか? 感情のコントロール方法など参考にさせて頂きたいのでご回答の程よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 208
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