初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本仏教、浄土真宗ということで活動しております。
先祖供養とか功徳回向とか、みんなお釈迦様が最初からおっしゃっていたって、ご存知でしたか。私たちも謙虚に堂々と日本仏教しましょう。
Amazonなどで検索してみてください。
2019年度より広島大学客員教授
気持ちがこもっているかどうかが一番重要です。次に、意味を知っているかどうかが重要です。
お金・お布施については、よく、「お布施はお気持ちで」などと言いますが、「少なくていい」の意味ではな...
煩悩がなくなる=悟る、です。
悟ったらいきなり死ぬわけではありません。釈尊も、35歳で悟ってから80歳で涅槃に入る(死ぬ)まで、煩悩のない平安な生涯を過ごしました。
完全な悟りに至らな...
に書いてますので詳しくはそちらをご覧ください。
浄土経典では四生のうちの化生が想定されていたでしょう。天界や餓鬼、地獄に生まれる生まれ方です。つまり、極楽浄土に「輪廻転生」するのです。
...
本題と少しずれるかもしれませんが、一つ気になることがあります。
本人の貯えが少なく、子供や配偶者が本人の葬儀を持ち出しで行うことは、子供や配偶者として当たり前のことだと思います。自分の...
惜しいですね。
問い1,2は、悟りの性質上、答えにくいところです。
しかし3は、問いが間違っています。まず、あなたが「悟った人が出ていない」をどうにかして確定してからでないと、このよう...
自殺にせよ、他の死に方にせよ、死後はどうなるのかという問いが多いのですが、
仏教の答えは、「人によって違います」です。
地獄、畜生、餓鬼、(阿修羅、)人、天の五道(六道)のどれか、...
スマナサーラ長老が、釈尊のお経(パーリ語の初期仏教経典)の中の慈悲の言葉の部分を日本語にしています。お聞きになったことがあるでしょうか。
私は……
私の親しい生命が……
...
たいていは、こちらの気持ちからくる勘違いだろうと思うのですが、本物の元妹さんの可能性もないことではありません。
2600年前、それまでこの世とあの世くらいしか想像もできなかった宗教世界...
をご覧いただけると有難いです。アマゾンなどで出てきます。
「私が属する浄土真宗では、釈尊の教えと浄土真宗の教えをどう折り合いつけるとよいだろうか」という視点で書きました。他の宗派のお坊さんに...
漢訳されずにパーリ語で遺っているお経『吉祥経』には12個?10個?の吉祥なことを挙げていますが、その一つに「準備すること」があります。
過ぎ去った過去のことやまだ来てもいない未来のこと...
藤本晃『功徳はなぜ廻向できるの?』(国書刊行会)をお読みになると良いのではないかと思います。
広島大学に提出した博士論文の要点を分かりやすく紹介してあります。ご質問にちょうどぴったりの内容...
現代日本の各宗派ではいろいろな教えを説いているかもしれません。
そういうものは放っておいて、お釈迦様の最初期の仏教から見た事実を言います。
アラカンという、最高の悟りに悟った人...
死後の、次の生のための準備をしましょう。
体が元気なうちは、過去や今現在の縁ある人々・生命に対して感謝の気持ちを持てるように、それをなるべく口や行動で表せるように努力するのはどうでしょ...
まあ、もし全員生きていたら、の話ですからね。
仏教のこの言い方は、事実に基づいています。ただ、四代前の曽祖父母あたりから前の人々は、そのたびにとっくに亡くなってますので人口に数えられません...
現在では仏教学者でも非論理的にわけのわからない自論をばらまく人もいます。自分の考えを組み立てるときも、仏教書などに書いてあることを読む時も、どちらも論理的かどうかを一つの基準にしてください。そ...
スマナサーラ長老が、悟りについてもあちこちで書いておられます。
漢訳ではあまり明確ではありませんが、パーリ経典にははっきり説かれているものです。
私も、『悟りの四つのステージ』(サンガ...
(編集部より。利用規約により一部内容を修正しています。)
イスラム教国に行くと、その国の法律で女性からは離婚できなくなるかもしれません。比較的宗教に寛容な日本にいるうちに、ご主人のことを理解す...
仏教よりも各宗派を売りに出す日本仏教の特徴だと思います。
日本テーラワーダ仏教協会をはじめとする(上座)仏教なら、宗派と関係なく、宗派以前の、お釈迦様の教えが学べます。仏教の教義を学ぶこと...
拙著『功徳はなぜ廻向できるの?』(国書刊行会)に、『仏説盂蘭盆経』の源流となるお釈迦様のお話を載せています。
お盆も、中国から入った文化的要素もあるかもしれませんが、堂々たる仏事でしょう。...
歴史的なことは書物やインターネットで分かると思います。
問題は、「今や宗教は自由になったので本来の形に戻せばよいのにどうしてそうしないのか?」という、僧侶の態度とそれを許している日本の信者...