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検索結果: 1265件
2023/01/11

戒を授かることについて

お世話になります。 私の実家(祖父母)は、父方・母方ともに西本願寺派の檀家ですが、父母の代から別に家を構え、私自身も結婚して独立し、父母の家・私の家ともに仏壇はなく、檀那寺との付き合いもありません。 今後、父母逝去の際にどうするかという問題もあるのですが、今回ご相談したいのは、私自身の授戒についてです。 生前に戒を授かることはとても尊いことと聞き、死後授かるよりも素晴らしく、破戒があっても、輪廻の果てに必ずや解脱に導くと聞いたことがあります。 仏弟子となりたいという思いのほか、子どもをもうけるつもりがないため、死後の葬送が不明瞭ということもあり、生きているうちに戒を授かりたいと考えているのですが、どのように手続きしてよいか分かりません。 高野山、善光寺では授戒会をしているときがあるとか、本願寺ではお剃刀があるという断片的な情報しか知り得ないのですが、 1 授戒とお剃刀は仏弟子になるという意味で同様のものですか?(浄土真宗には戒がないのでお剃刀とは聞いています。) 2 授戒と戒名の授与は別なのでしょうか? 3 どのように授戒やお剃刀にアクセスすればよいでしょうか?(いきなり近隣の お寺に行って、「授戒してください。」でOKなのか?) 4 複数のお寺で、何回も授戒を受けてもよいのでしょうか?その場合戒名は複数持てることになるのでしょうか? 5 生前戒名を授かっていた場合、授戒したお寺さん以外で死後、葬儀や法要をしてくれない場合もあると聞いたのですが、肌感覚としていかがでしょうか? 6 また、祖父母の檀那寺を含め、もし授戒をしてくれるお寺様と巡り合えた場合、その授戒・戒名(又は法名)を持ちながら、他宗派の信仰や勤行をしても差し支えないものなのでしょうか?(例えば、檀那寺又は檀那寺経由で浄土真宗の法名をもらいながら、一方で、他宗派の信仰や勤行をする等) 以上、とりとめのない質問で恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

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葬式をあげてほしくない

死後の事についてご相談があります。 私は宗教という考え方やそれに基づいた慣習、イベント自体は好きですが、私自身が何かの宗教に属することは避けたいと思っています。 私の知る上では各々の宗教の考え方と私自身の観念が合うことが少ないからです。 ただし、宗教のパロディである空飛ぶスパゲッティ・モンスター教には共感いたしておりますので、自称するときはパスタファリアンを名乗っています。 そこで、私が死んだ後、葬式をあげてほしくないと思っています。 特に仏教式の葬式です。 なぜなら、戒名をいただいた時点で、仏教徒になってしまい、仏教という枠に囚われてしまうからです。 悟りも輪廻も御免被りたいです。 衛生的な観点からは火葬自体はしても構わないのですが、法律が許しませんが、できればその後はゴミ箱にでも捨ててもらって処分してもらいたいと思っています。 家族にそのことを話すと、死んだら終わりだから死後の事など心配するなと言われるのですが、そうではなく、私がそのくくりにとらわれてしまうことを決定づけられることが不服なのです。 死後の世界云々は信じておりませんが、生きているうちはそのことが囚われであり、心配であります。 ただ、信じずとも無いことの証明は極めて難しい以上、ある可能性は0ではないというのが論理であり、公理です。 (論理、公理とは数学上の意味です。) ですから、その0ではない可能性で、仏教の枠に入ることで、悟れなければ輪廻を繰り返してしまうという観念に囚われてしまっているのです。 ただし、重ねて申し上げますが、悟り自体は御免被ります。 渇愛は人間の人間たる、また、人間の動物たる所以と思います。 私は人間らしさを捨てたくはありません。 仏教に従事していらっしゃるお坊さま方には相容れない考え方かも知れませんが、これが私の中の公理です。 さて、これは私の考え方を変える努力をして見たほうが良いのでしょうか? それとも、家族を説得するようにしてみたほうが良いのでしょうか? 相談する相手を間違っているような気もしますが、意見を伺えるかもしれない機会を捨てることはないと思い、ご相談差し上げます。 よろしくお願いします。

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平常心を保ち、今この瞬間に向き合う方法

初めまして、どうぞよろしくお願いします。 7歳の飼い猫が末期の癌と診断され、手の施しようがないと言われ現在自宅療養をしています。すごく悲しい言い方ですが、自宅で緩和ケアをしながら最後の時間を私たちと過ごしてくれています。 今一緒にいられる時間の大切さを噛み締めて毎日を過ごしていますが、つい過去を振り返って後悔したり、いなくなってしまった後のことを考えて泣いてしまいます。 また、食欲が落ちて大好きなごはんを食べたがらない姿を見て落ち込んだり、歩くときにふらふらする姿や薬の副作用で苦しむ姿を見て悲しくなったりしてしまいます。 そこで、厚かましいですが以下3つの質問をさせてください。 1. この子が今まさに生きてくれているこの瞬間に感謝し、今一緒にいられる時間にきちんと向き合って悔いなく過ごすために、過去や未来に行きがちな意識を「いま、ここ」に集中させるにはどうしたら良いでしょうか? 2. 私が悲しんだり落ち込んだりすると、優しいこの子にも伝わって、きっと心配をかけてしまったり悲しませてしまうと思います。小さなことに一喜一憂せず、できるだけ平常心を保って穏やかで幸せな気持ちで接するためにはどうしたら良いでしょうか? 3. 猫は亡くなったあと生まれ変わりますか?それとも死後の世界(虹の橋?)で私を待っていてくれるでしょうか?生まれ変わりでも死後の世界でも、どんな形でも何年かかってもいいので、宝物のこの子にいつか必ずまた会いたいと思っています。 長くなってしまい大変恐縮ですが、ご回答をお待ちしております。どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
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地獄に行くことが怖いです。

中学一年です。私は今まで悪いことをたくさんしてしまいました。虫を殺したり、盗みをしたり、人の悪口を言ったり、嘘をついたり、地獄に落とされるようなことをしてきました。盗みや人の悪口は、地獄に落ちる落ちないではなく、人としてやってはいけないことだと自覚したので、もう絶対やらないと決めました。でも嘘をついたり、虫を殺すのはやめられないんです。嘘は見栄をはってし言ってしまうときがあるし、友達を笑わせたいから作り話をしたり、蚊が飛んできたら刺されたくないから殺してしまうし、足元にアリがたくさんいたら気づかず踏んでしまうこともある。 そもそも私はあの世とか、地獄とか、そう言うものを信じていませんでした。目に見えるものしか信じないし、信じられない。でもそれは自分に地獄へ落とされるようなやましいことがあったからなのかもしれません。今まで頑なに信じなかったあの世や死後も亡くなった人に聞いてみないと分からない。でもそんなことできない。今は、あるかもしれないと思っています。 私は死ぬのが怖いです。地獄に行きたくないです。でも嘘をつかないで生きていくなんて無理、虫を殺さないなんてできない。 私は人を笑わせるのが大好きです。面白いことを言ったり、面白い絵を描いたり、友達を笑わせています。決して誰かを馬鹿にして笑わせたりはしません。自分の好感度を上げたい、という気持ちと、この人を喜ばせたいと言う気持ち、両方あります。こんなことでも過去の償いになりますか。 極楽、地獄はどうして存在するのでしょう。悪いことをさせないため?でも地獄に行かないために悪いことをしない、極楽に行くためにいいことをする。それって死後の世界のためにこの世で生きているようなものじゃないですか。 どうか教えてください。

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自死者は、本当に成仏するのか?

最近、ネットが普及し、自死者に関することで色々と閲覧することができる。こちらのサイトのお坊さんは、自死遺族の気持ちを察して頂き自死者も必ず成仏するとご回答を頂きます。 しかし、他のサイトで真言宗の修行僧と称する者が、自死者は永遠に苦しむと書き込んでいます。同じ仏教徒でこんなに違うのでしょうか?本当に可笑しく思います。あるスピリチュアルでは、自死者は反省の部屋に入り、自分で納得すればガイドに従って成仏できると言っています。テレビで出ていた江原は違いますが  私は、なんとなくこのスピチュアルが主張する自死者の死後のあり様が自然に受け入れることができます。 要は、誰もが死んだ経験がありません。死後の世界なんかわかる訳がないと思います。昔は自死者は、地獄で永遠に苦しむと言われていましたが、ここ最近は自死遺族の苦悩を和らげるためか、成仏できるとお答えを頂きます。僧侶によっては、地縛霊のことは教えられていないと言っている者もいます。 キリスト教なんかは最悪です。よくもここまで豹変できるのかと思います。  こちらの僧侶の方は、本当に心の優しい方だと思います。カルトの様な馬鹿な話は信じません。しかし、本当のところはどうなのでしょうか?自死した者の霊は、安らかに成仏できるのか?  本当は、人間世界で何十年、何百年と苦しむのか?噓を言われて心を和ませたくありません。本当は、自死者が、一人で永遠に苦しむのであれば私が自死をして、妻を救いに行きます。私の魂は、あくまでも妻を救出のため。自身の我儘で自死するのとは違います。  イスラム教で言えば聖戦です。自死者の魂の行先は、僧侶や所謂霊能者と言われる人によっては行き先が二分されていると思います。地獄か極楽浄土へ行くか・・・  言われていることがおかしいです?お釈迦様は、自死について良いとも悪いとも言っていないと今は言われているというか無理にその様に解釈をしているのでしょうが、本当はどうなんですか?  慰めで極楽浄土へ行くと言われると心が少し和みますが、自死遺族のために止むを得ず真実と違うことを言われるのは、返って罪なことだと思います。実際に真言宗の僧侶が永遠の地獄に行くとネットに平然と書いている。本当のことが私は知りたいのです。永遠の地獄に行くというのであれば私は、自死(救出のため)して地獄から妻を救い出す覚悟です。お答えをお願い致します。

有り難し有り難し 136
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地獄が怖くて仕方ないです

また、ご質問すいません。 前にアドバイスされた通り、祖父母の仏壇にお線香を供え、子供の頃のやらかしや失敗などを手を合わせながら「ごめんなさい」と謝ったりしました。 だけど、また自分の嫌な所ばかり思い出し今度は自分の死後の心配をするようになってきました。 まだ、二十代の小娘ですが、正直に言って地獄が怖いです。 子供の頃に子供特有の残酷さと好奇心で生き物を死なせたり世話をしないで死なせてしまった貰い物のカブト虫の事を思い出したり、謝れなかった事、嘘を付いたり間違いを犯したり人を馬鹿にしたり傷つけたり、悪口や心の中で悪態をつたいり、とんでもない事を考えたり、借りた物を返さなかったりと本当に悪い事をしてきたと思うようになったりしました こっぴどく叱られたり、私自身も嫌な思いをしたり物を返してもらえなかった事もありますし、人の役に立とうとしたり良い事もした事もあると思います。 でも、自分の悪い所を思い出しその後に地獄を思い出して怖くなってきました。 昔絵や絵本で見た地獄を本当に怖がり悪い事をしたら地獄に落とされるという事に怯えていた記憶があったと思うのに、でも、大きくなってそういった感覚が薄れていき人の死に対して無関心な部分が出てきたり地獄を題材としてを扱った漫画やアニメを見てもフィクションだと思って受け流す事もありましたが地獄に行った人が鬼に身体を斬られたり責め具を受けているのを見て怖くなって目を背けた事もあります。 それらを思い出し、また罪悪感が蘇り私が死んだ後に地獄に行く事になったら・・と考えたらとても怖くなり、しかも、本やネットでは相当長い年月を罰で苦しむと書かれていたので本当に怖いです。 正直に言って地獄に行きたくありません。むしろ幽霊になってずっと現世に留まっていた方がいいんじゃ・・でも、それはそれでどうなんだ?と思考がぐるぐるとまわりました。 自分勝手だと思いますが、生前の罪を償う為とはいえ死後も痛い思いや苦しい思いをするのが嫌でたまりません。 違う事も考えようとしましたが、結局また思い出して時に心の中で絶叫したり誰か助けてと思う事もありました。 楽しいと思える事も怖く感じる時もありこの思考を止めるには一体どうすればいいでしょうか?これらの事を思い出すのは何か意味があるのでしょうか? 地獄に落ちないようにするにはどうすればいいでしょうか?

有り難し有り難し 399
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因果応報でしょうか。

こんばんは。お忙しい中お目を通していただき有り難う御座います。 自分の気持ちが分からず何度か質問をし消し、を繰り返してしまいました。見てくださったお坊さんがいらっしゃいましたら申し訳ありません。 ひとつ悩みを聞いていただけたらと思います。 もうすぐ30歳になる私ですが、幼少期なんの苦労もせずに生きてきました。それなり悩むこともありましたが今となっては笑い話です。 特に両親に恵まれておりました。両親が亡くなったら私も死のうと思っていたくらい両親が私の生きる意味でした。 しかし今年初めて両親よりも大切な人ができその人が寂しくないように長生きしようと生きる意味ができました。死後もその人と一緒にいたいと思える人です。すごくすごく素敵な人です。 その素敵な人の横にいて初めて今まで犯してきた罪がわかるようになりました。 私は家族や周囲の人に甘えすぎていました。犯罪になる罪も数え切れないほど犯してきました。そのことを振り返ると心が痛くて、いつか捕まるのではないかと不安にもなり、今後どんな因果応報が待っているのか怖くて消えたくなります。 しかし両親や彼は私が消えることは望んでいませんので、両親や彼が天寿を全うするまで両親や彼を私が幸せにすることが今、彼らにできる恩返しだと思っています。 また、振り返った際の心の痛みや、死後は彼らと一緒にいられないという辛さ等は私が受けるべき地獄だと思って受け止めながら生きていきます。 そして、今この地獄を受け止め、懺悔し、私にできる善を探し行っていくことで未来は変えられるのではないかと前向きに生きていきたいと考えていますが、犯罪者が前向きな考えを持つこともおこがましいことでしょうか? また、30歳にしてこんな当たり前のことに気付いてもやり直しはきかないのでしょうか?いまさら懺悔をしても過去傷つけてしまった人たちにはなにも届かないのでしょうか? 乱文失礼しました。 お時間のあるときにお返事をいただけたら幸いです。

有り難し有り難し 20
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飼っていた猫が死にました。

初めて利用させて頂きます。どうしても、自分や周りに問うても納得できる答えが出ませんでしたので、お伺いを立てさせて頂きます。 自分が子供の頃拾った猫が、3日前に15年の生涯を閉じました。 亡くなる半日前から痙攣をし始め、痙攣と痙攣の感覚が短くなっていき、大変苦しそうで辛そうで、それを抱きながら見ていることしか出来ないことに大きな無力感を感じていました。晩年は抱かれるのが好きな猫だったので、その日は一日中ずっと抱いておりましたが、そのまま拾った私の腕の中で息絶えました。 家族を含め、周りの人たちは「あんたの腕に抱かれて幸せに逝けたよ」と言います。 ですがそれらのことについて、自分はまだ受けいれられません。 本当に、彼は幸せだったでしょうか?彼は苦しかったでしょうか?私に抱かれるよりもっと居心地のいい場所でひっそりと死にたかったでしょうか? なにか心残りはあったでしょうか?私の心からの愛は伝わっていたでしょうか?死の間際、怖がっていたでしょうか?まだ何か、彼のために出来ることがあったのではないでしょうか? そして何よりも、死後の世界はあるのでしょうか? 今まで、自分のことを無宗教、無神論者だと思っていましたが、いま、死後の世界があることを願ってやみません。 彼の時間は16日の午後10時にとまってしまいました。もう二度と、彼となにも共有できない。 できることなら、時間を征服して、また彼に会いにいきたい。 心から愛していたのに、辛すぎます。家の中には隅から隅までたくさんの思い出があるのに、彼の姿だけがありません。知らない家みたいです。 死んだらどうなるのでしょうか。気休めはいりません。 悲しくて苦しくて涙が止まりません。どうか助けて下さい。お願いします。

有り難し有り難し 24
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