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検索結果: 335件

長男からの質問です

ここ最近、7歳の長男が死や死後の世界、そして生まれ変わりについて聞いてきます。 僕はいつ死ぬの?ママは僕より先に死んじゃうの? 死にたくないなぁ。ママが死ぬのは嫌だ。 僕は死んだら地獄に行くの?地獄は針山とかマグマとかあって苦しいんだよね? どうしたら地獄に行かずにすむの? 僕は誰かの生まれ変わりなのかな? 僕になる前は別の人で、死んだら僕に生まれ変わって、でも前の事は覚えてない。どうしてだろう? 僕も死んだら別の人に生まれ変わるの? じゃあ幽霊は何でいるの? などです。 私はこういった事に詳しくないので、想像や人から聞いたなんとなくの記憶を繋ぎあわせて答えていますが、長男の疑問は解決しないようです。 長男が生まれた時、寝たきりだった長男の曾祖母に無事生まれた事を伝えた翌朝、曾祖母は亡くなりました。 不思議な事に次男の誕生日が曾祖母と曾祖父が同じということもあり、命のバトンの様なものはあるのではないかと思っています。 なのでみんな誰かの生まれ変わり、その前の記憶を持っていないのは今の自分の人生を生きるためだよ、警察に捕まるような悪い事をしなければ地獄には連れて行かれないから大丈夫、いつ死ぬかは誰にも分からないから死ぬのを考えるのはやめて楽しい事を考えよう、と話しているのですが間違っていますでしょうか? 長男にどのように伝えてあげたらよいでしょうか? それと、それでも気になるならお寺に行ってお坊さんに聞いてみようか!お坊さんはこういう事をよく知っているからきっと色々教えてくれるよ!と話したのですが、直接お寺さんに行って相談したことがなかったり、参拝目的ではなく相談目的でお寺さんに行くのは気が引けてしまったり、どこのお寺さんに行けばいいのか分からなかったりと、ハードルが高いです。 どういった手順をふめばお坊さんに会ってお話させて頂けるのでしょうか? 世間知らずで恥ずかしいのですが、教えて頂けたら幸いです。よろしくお願いします。

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納得のいかない法話

質問させていただきます。 回答しづらければ、スルーでお願いします。 母の四十九日法要の和尚さんの法話でのことです。 「亡くなった人はどこへ行くか?」と和尚さんは私の甥に尋ねました。 小学生の甥は、「心の中」と答えました。 それは、亡くなった母が教えたことです。 母は「自分が死んでも、いつも見守ってるから」という意味で、生前、そのように話したのだと思います。 が、その和尚さんは、それを完全否定しました。 人は死んだら「無」になる、と。 何もなくなる、心の中ということはない、と。 実際に仏教でどのように考えられているかは知りません。 和尚さんが仰ることが正しいのかもしれません。 ですが、そこはあえて否定する必要があるのでしょうか? マチガイハ タダスベキということですか? 甥だって大人になるにつれ、母の言葉の意味は理解するだろうし、何より母の法要で母を否定されたような気がして、何とも言えない気持ちになりました。(「黙れクソ坊主がっ!」と思ったことは内緒です) また、その話の流れで、ホームレスは人間のクズだから地獄に堕ちるという話をされました。 いや、ちょっと待て! 人は死んだら無になるんじゃなかったのか? 無になったら、地獄も何もないのではないか? それとも、ソレとコレとは違うとでも言うのだろうか? それより、ホームレスが人間のクズとはどういうことなのか!? それが仏教なのか? 和尚さんの偏見ではないのか? 和尚さんに対しての怒りの感情と、母に対して申し訳ない思いと… お前が地獄に堕ちろ!とマジ思いました… ホームレスの方達に炊き出しをするボランティアをしていたので、色々と思うところがありました。 もう数年前のことですし、そのことを引きずって悩んでいる訳ではありません。 過去のことに上書きすることはできませんし、それはソレで、そういう事実があった、でよいです。 ただ、その本当のところが知りたいです。 数年前のことを、なぜ今、このタイミングで?と思われるかもしれませんが、今まで聞く人がいなかったからです。 hasunohaのサイトを最近知りました。(遅っ!) よろしくお願いいたします。

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自殺することは罪なのでしょうか

ハッキリ言うと 死にたいです。 自分には悪い性格というのがあって、我慢が出来ない 正直に本当のことを言ってしまう(相手にとって嫌なことでも) その性格が子供のころからず~と続いていて、あるとき ADHDという言葉を見かけて検索してみると 自分の悩んでいた問題がそれに当てはまることを知りました。 頭がいい訳でもなく、人とトラブルになりやすいです。 友達もハッキリ言うと自分の悪い性格のせいでいません 仕事をしていても 人との会話が苦手で問題ばかりで辞めてしまう どうしてもうまくいきません ハッキリ言って致命的なくらいに 人は自殺をすると罪という言葉が根強くあって死にたいという気持ちの反面 死ぬと地獄に落ちるのではと怖くてなかなか出来ないでいます。 自分は死後の世界について インターネットを利用して沢山調べました。 臨死体験、前世さまざまな事例について 今では人は死んでも魂というものがあると関心はしていますが今悩んでいる死にたい気持ち(自殺)がどうしても怖くて仕方ないです。 かといって自分の生まれ持った悩みは一生変えられません どうしたらいいのかという答えは間違いなくないでしょう 死んで人生をもう一度生まれ変わりでやり直したいのに どうしていいのかまったく分かりません 世の中を見てみると 戦争、貧困と不幸な人、そうでない人がいますが 動物の世界は喰うか喰われるかの命にかかわる世界 自分はそれを見ると、まだ不幸じゃないんだと思う時期もありました。 だけど自分の持つ悩みが自分を苦しめている現実からは逃げることは出来ません

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仏様はこんな私を許してくださいますか・・・?

私は過去に自傷をした事、友を馬鹿にした事などといった過ちをおかしてしまいました。今ではそのことについて反省し、何があっても自傷はしないようにしていますし、友に対して悪口を言ったりすることはありません。 しかし、別に現在でもある過ちをおかしてしまっています。虫の命を奪っていることです。 私は小さな虫でも恐ろしい、気持ち悪いと感じてしまい命を奪ってしまいます。 両親に頼んでできるだけ外に出してもらうようにしていますが、人間に害がある虫は簡単に殺してしまう。 そんな自分勝手な都合で虫の命を奪ってしまう私に腹が立ち、悲しくて涙がでます。虫たちだって、一生懸命に生きているから殺してはいけないとわかっているのに、気持ち悪いからなどといった理由で殺してしまう私が残酷だと感じています。 虫を殺してしまうたびに、心から泣いて謝ってはいます。 しかし謝るばかりで虫を殺さずにいるということはできません。 それだけではなく、私は過去に大変な過ちをおかしてしまいました。 正直にいいます。仏様を、裏切ってしまったのです。 9歳、10歳位の頃に家で犬を飼っていました。しかし理由があり犬を病院に手放すことになってしまいました。私は仏壇の、仏様の前で「私がしっかりお世話をしますからどうかあの子が戻ってきますように」と祈りました。 そして本当に戻ってきてくれたのです。しかし・・・、私はちっとも世話などしませんでした。 仏様に誓ったのに。裏切ってしまたのです。 結局犬は病院に引き取ってもらうことになりました。 悔やんでも悔やんでも悔やみきれず、仏様のお心を傷つけてしまったと、大変馬鹿なことをしてしまったと自分を責めています。 勝手な都合で命を奪い過ちを繰り返し、幼かっといえども仏様を裏切り・・・。 死後、私は地獄におちて苦しむべきですよね・・・、でも、それでも、地獄におちたくないです・・・。何億年も釜の中で苦しみ、針の山を歩かせられるのが怖いです・・・。 結局自分が可愛い私に腹が立ち、苦しいです。 教えてください、お坊様。 仏様は、こんな残酷で自分勝手で最低な私を許し、愛してくださいますか・・・? この先どのようにして生きていけばよいでしょうか?一生一人ぐらしでいるつもりですので、新しい命をこの世界に誕生させれこともなければ、虫を殺してしまうこともあるかもしれません・・・

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両親が信仰する新興宗教について悩んでいます

(編集部より。利用規約により投稿の一部を修正しています。) 両親が信仰する新興宗教を自分が信仰するかどうか悩んでいます。霊感商法や教祖の状況が教理と矛盾しているので脱会したいのですが恐ろしくてできません。自分の判断が間違えていた場合、死んだ後に後悔するのではないかと不安でいっぱいになります。幼い頃から神様や教祖のために生きるように教えられてきたからか、人生を自分のために使うことに罪悪感があります。 また教会の人は所謂神体験(あたたかいものが胸に溢れ涙が止まらない、気持ちが落ち着く、神の声を聞いた等) をしている人が多く、自分は条件が足りないからそのような体験がなく、体験するために修練会や礼拝に行った方がいいのか悩んでしまいます。 現在強迫性障害という精神病に10年間ほどかかっており、宗教のことを考えるのが仕事中でもやめられず(やめようとすると恐怖でいっぱいになる)鬱状態を併発して仕事を辞めてしまいました。教理に反したものを捨てなければならない、視野を広げると脱会の危険があるので本を読んではならない、修練会に行かなければならないなどの思いがいつも心を駆け巡り非常に苦痛です。仮に脱会したとしても、この先何十年も不安をかかえたまま生きることを考えると死にたくなります。 本を読んで視野を広げたいのですが、不安のあまり読書も満足にできません。洗脳されているのでしょうか。不安でとても苦しいです。 宗教が説く、死後の世界の話は本当なのでしょうか。個人的には自意識から永遠に逃れられないならそれは苦痛なので、無ではないかと思っているのですが。 自分で選んだ宗教でもないのに、ひたすら苦痛があり生きるのが辛くて、幸福な人生もいらないので早く死にたいと毎日思います。 どうやって生きていけばいいのかわかりません。

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悟りと解脱、輪廻転生について

こんにちは。 これだけこのサイトにお世話になりながら、悟りについて良く考えた事がありませんでした。私の考え含めて質問させていただきます。 仏教の入門書だとよく「修行の完成」→「悟りを開く」→「輪廻の苦海から解脱」と解説されています。 しかし自分はこの解脱と言うか、輪廻転生が今一つピンと来ません。 生前や死後については無記とするのがお釈迦様の真意に近いと思うし、 輪廻とは一種の比喩と考えるのが適切と思うからです。 実際、輪廻を考えると色々と矛盾が生じます。 例えば虫の輪廻転生。一生無心に鳴き続けるセミ等に「善行」「悪行」などあるのでしょうか?善行を積んだセミが高次の存在に転生し悪行を積んだセミがさらなる悪趣に落ちるのだとしたら、誰がそれを判定するのでしょうか? そのような超越的な存在(判定者の類)は仏教では否定されるのではないでしょうか? となると、悟りも輪廻転生を前提にしている限り、よくワカラナイものになってしまいます。 悟った覚者は転生せず、凡夫が転生する・・・のでしょうか? だとしたら悟ったかそうでないか判定者がいる事になります。 (ここでまた超越的な判定者の問題にぶつかります。) 悟りによって体質と言うか、魂(?)の質が変わるとでも言うのでしょうか。 じゃあ輪廻とか死後が無記なら、結局「悟り」て何なの?って話になって 頭の中ぐるぐるで何だかよくわかりません。 こんな考えって戯論でしょうかね? お考えを教えて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 84
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2021/07/12

自殺すると、どこへ行きどうなるのか?

お世話になっております。 最近よく拝見させて頂いております。 僕が聞きたいことは、 「自殺をした者はどこへ行き、どうなるか?」 ということです。 僕は20代前半、男、実家暮らしです。 最近、仕事関係で、うつ病を発症したのに加え、生まれつきの適応障害や重度のHSP、中学辺りからの、親や兄弟に対しての場面緘黙症など、精神面で人間として欠陥を抱えてきたものがここ数日で限界に達してきました。 「みんなホントにすごいな…。」とただただ、その感想しか出てきません。 この世界で生きていくにはあまりにも辛すぎます。 なんでおれはこんなゴミなんだと自己嫌悪で、毎日死ぬことばかり考えています。 僕の家は真宗大谷派という宗教に属しております。 しかし、お恥ずかしながら、僕は最近まで全くと言っていいほど、関心もなければ念仏さえもまともにしてきませんでした。 都合が良すぎるだとか、卑怯極まりないとは重々承知してはおりますが、自殺すると考えると神様やお釈迦様、来世の存在を信じ、縋りたい気持ちでいっぱいです。 自分がやれる罪滅ぼしとして、自分の貯金はすべて、孤児院などで暮らしている恵まれない子供たちに寄付してくれと、メモを残すぐらいしかありません。 あとは、祖父の墓に最後の挨拶をしてきます。 身辺整理もほとんど終わりました。 死ぬ当日に、仲のいい女性に手紙を日時指定で送る準備ももうじき終わります。 自分がやれることはもうやり切りました。未練はありません。 長々と語ってしまい申し訳ないです。 こんな僕は、やはり地獄だったり畜生や餓鬼に生まれ変わるしかないのでしょうか?

有り難し有り難し 25
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2022/03/14

命に対するジレンマ、疑問

看護師をしています。 私は病院で働く中で多くの患者様を見てきました。軽症から重症まで。若い人から超高齢者まで。 その中で、看護師として働くことを諦めるような悩みを抱えました。 ご高齢の方や終末期の方は、死への恐怖というより現在ある痛みや苦しみ、排泄など恥ずかしい部分を他人に見られる羞恥心などから、もう楽にしてくれという方が多くいました。殺してくれとも。 命を救う側の私たちは、目の前の命を救うという責任があります。見捨てることはできません。 しかし、それでも何度も何度も楽になりたい、あちらの世界に生きたい、今自分の意思で生きているのではなく他者に生かされてるだけだと、涙ながらに、そして時には怒りながら訴えられました。 そんな方々を多くみる中で、私は看護師として生きることを諦めないようにお話をする機会もありました。 その中で私は、ここが生き地獄だと思っている人たちを救うことが本当に人のためになるのだろうかと疑問を持ちました。 本人の意思ではないのに、多くの管で繋がれ、ベッドに縛り付けられてまで命を守ることが本当に正しいのだろうかと疑問に思いはじめました。 私はこの疑問に対する自分の中での答えが出ず、看護師を一度完全に辞めました。このような疑問を持つことは、命を救う立場の者としてあってはならないと思ったからです。 世の中には尊厳死や安楽死などの言葉が存在します。尊厳死は、延命治療を無理にせず苦痛を取り除きながら、自然に死を迎えられるようにというものですが、日本の医療の現状としてなかなか行われていないのも事実です。苦痛は痛みだけではありませんし。安楽死などもっての外です。 以上の過程があった上で相談したいことは以下の通りです。 ・生命は大切にしようとよく言われるが、そもそもその考え方はどこから生まれたのでしょうか?生き地獄だったとしても必ず守らなければならないのでしょうか? ・安楽死などの考え方について、仏教の視点からはどのような考えがあるのでしょうか? ・命の大切さという根本的なところが分からなくなっている私は医療従事者として失格でしょうか? 長文で申し訳ありません。 お時間のある際にご回答いただけると幸いです。

有り難し有り難し 30
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ご先祖様について

初めて質問させて頂きます。 先日、知り合いの葬儀に参列して、お坊さんのお話を聞かせて頂きました。心にしみる良いお話だなと感動したのですが、ふと一つの疑問が生まれました。そのお坊さんは「49日まで生まれ変わりを繰り返し、そしてご先祖様として私達を見守ってくれる存在になります。ご供養をかかさないようにしましょう。」とおっしゃっていました。『ご先祖様』という存在は今まで何の疑問もなく受け入れてきましたが、興味本位で色々な仏教書を読んでおりますと「人は生前の行いにより、亡くなった後何に生まれ変わるか決まる」といった輪廻という考えがある事を知りました。 もし生まれ変わり、新たな命としてこの世に存在するのならば、ご先祖様は存在しなくなるのでは?という疑問が生じて、先祖供養やお墓参りの時に誰に手を合わせているのだろう??と考えてしまいます。 「ご先祖様」はその姿形で私達の近くにいて、守ってくれているという存在だと思っていましたが、生まれ変わるのならば、何か姿形を変えて違う生命として私達の近くにいるという事なのでしょうか? 長々とまとまらない文章で質問させて頂き恐縮ですが、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 85
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