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hasunoha 問答検索結果 : 「私 縁 できない」
検索結果: 12055件

浄土真宗の父の墓前で般若心経を唱えても良いでしょうか?

私の家系は先祖代々浄土真宗です。 父は本家から独立して遠く離れた地域で家庭を持ち、近隣の浄土真宗のお寺の檀家になり、私たち子供と暮らしていました。 その父が数年前に他界したので新たにお墓を建てたのですが、近隣の浄土真宗のお寺(檀家となったお寺を含む)や無宗派の墓地に良いところ(空き区画や立地)が無く、色々考えた末に生前父が好きでよく登っていた山の中腹にある真言宗のお寺にお墓を建てました(浄土真宗のお墓を受け入れてくださる真言宗のお寺でした)。 ですので葬儀場で行ったお葬式や自宅での法事は浄土真宗のお坊さまに来ていただいてますが、お墓への納骨の際にはお墓のあるお寺の真言宗のお坊さまに真言宗のお経を読んでいただくことになりました。 私はこの縁で真言宗のお経に少し興味を持ち、今では般若心経を覚えて唱えることもできるようになりました。 ただ、家系的に浄土真宗ですので実際にお墓等で般若心経を唱えたことはありません(浄土真宗では般若心経を唱える必要がないとの教えを少し理解しています)。 今後も自宅の仏壇や法事では唱えるつもりは無いのですが、真言宗のお寺に建っている父の墓前で般若心経を唱えて良いのかを迷ってます。 実際に納骨の際には真言宗のお坊さまに真言宗のお経を唱えていただいた事実もあるのですが、浄土真宗家系の私は、それでも父の墓前で般若心経を唱えるべきでは無いのでしょうか? ご縁で真言宗のお寺にお墓を建てたことですし、父のためにもなるのであれば唱えたい気もしています。 どうかご教示頂けますようお願い致します。

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許せなくて苦しいです

過去の出来事(人)、それも自身は蚊帳の外の出来事について、いつまでも許せず苦しいです。 1つは父に対してです。 私が小さい頃に両親は離婚しました。原因は父親の不倫です。 不倫は良くないことですが、人間なので心移りはするでしょうし、無理して一緒にいる必要もないので、離婚自体は別に構わないと思っています。 では父の何が許せないかと言うと、不倫をした上に、話もろくにせずまともに筋を通さなかったこと、そして離婚を強行させるためにした、他人の気持ちを踏み躙るような自分勝手な行動たちです。 毎日電話口で別れるよう怒鳴り散らしたり、子供を人質に離婚を認めさせようとしたりと、父は自分の利のために、母の気持ちなど慮ることもなく傷つけました。 もう1つは、大叔母(内縁)です。 彼女は半分痴呆の曾祖父からお金を奪いました。 また、大叔父が亡くなり遺産のみならず、曾祖父の家も彼女のものになりました。 詳細は伏せますが、本来は祖母たち兄妹が引き継ぐはずだったものです。 それを小細工のため籍も入れていない殆ど他人の大叔母が、私利私欲で奪い、祖母たちの思い出が詰まった曾祖母の家はすっかり建て替えられもうどこにもありません。 父も大叔母も、今は縁が切れています。ましてや私はまだ小さかったので、どちらの件も聞こえてきた大人の話を耳にしたのみで、直接は関わっていませんし、私が何かされたわけではありません。 しかし私は、今でもこれらの件を、二人を許せず、思い出しては憎悪に近い憤怒を抱いてしまいます。 自分のことしか考えず、平気で他人の気持ちを踏み躙り、傷つけたことが許せません。 前述した通り、縁も切れていますし、終わった事なので、憤っても詮無いことは理解しています。 頭では分かっているのですが、いつまでも忘れることも、許すことも、気持ちを消化することもできず苦しいです。 どうしたらこの状況から脱することができるでしょうか。

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この世がすべてと思うと怖い。生きる執着心

私は生きる執着が強いがために地震や病気に過剰に反応してしまいます。生きたいと言うより死後、無になるのが怖いです。だからあの世の世界を信じたくて霊や死後の世界についての本を見てしまいます。この世が全てだとしたら事件や事故に巻き込まれて亡くなった人の死が理不尽でニュースを見るたび気が滅入ります。でも長生きしたが故に子供の死に直面することもあると考えると長生きが全てではない。死に方は重要ではないと思うようになりました。もともと生まれる前は無でしたからそこに帰るだけなのかなとも思います。生きているから感じる不安や恐怖ですが疲れてしまい、生まれてこなければよかったと小学生の頃から感じています。でも自死はしません。生まれてきてしまったのだから真っ当に生きるのみです。死後の世界もこの世にいる人に語れる訳がないし、否定も肯定もできません。私は白黒はっきりしないと気が済まないので、わからないことに恐怖を覚えます。なので普段あまり悩まないし、答えのないことで悩むことが多いです。生まれてきた意味だってない。ただ、この世は修行だと思うと、わからないことや曖昧なことはありのまま、曖昧なまま受け止められるようになることが課題なのかと思ったりもします。でも、この世でどんな風に生きていけばいいのかわかりません。家族が殺されても、地震が起こっても、戦争が始まっても、隕石が確実に落ちてきて地球が滅びるとわかっていても、動じることなく自分が死ぬまでひたすら淡々と生きるのが人生ですか?人の役に立とうが神様を信仰しようが殺されたり短命の人もいます。いいことをすればいい縁ができると思っていたけど、結局見返りを求めてしまっています。人生が修行なら、その中で楽しいことや嬉しいことを経験できることが有り難く幸せなことですよね。修行はつらく苦しいものだからそれが当たり前なのに、私は恵まれているし幸せです。それなのに過度に不安になったりこの世が全てだと思うと絶望的な気持ちになったりして、罰当たりだと思います。もっと人生を楽観的にというか、いつ死んでも後悔はないし真っ当に生きたと言えるようになりたいです。死後の世界があろうがなかろうがどうでもいい!今を生きる!こんな風に考えられるようになりたいです。この弱さとどう向き合えばいいでしょうか。

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人と自分を比べてしまいます

私はほとんどの能力が人より劣っています。読解力も理解力も低く、忘れっぽい。運動能力の低さで負ける気はしないし、不器用で社交が苦手です。 しかし、持ってないながらも何か得意なものがあれば、それを伸ばそうと、少しずつ頑張りました。結果、絵とピアノの技術ではほとんどの人に負けなくなりました。プロの世界となれば下の方ですが、それでも、一般の中で「あの子はダメダメだけど絵とピアノがすごい」という評価をいただくことが出来るようになったのはとても嬉しいです。 性能の低い私ですが、性能が低くても、自分のことは好きです。精神障害がありますが、寛解し、最近は自身の選択や人生を受け入れることが出来るようになりました。 ですが、どうしても、他人と比べてしまいます。前より前向きに生きられるようになったのは良いのですが、「あの子は勉強が出来ていいな」、「あの子は運動が出来ていいな」、「あの子は人気者でいいな」…と、考えてしまいます。ないものねだりをしています。そして、嫉妬し、強烈な劣等感に苛まれます。 とても苦しいし、誰かと自分を比べるのは人にも自分にも失礼だと思うので、やめたいのですが、気付いたら比較してしまっていて、どうすれば良いのか分からない状態です。 私は苦しみから逃れたいです。僭越ながら、何かアドバイスをしていただきたいです。よろしくお願いします。

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新興宗教の勧誘の断り方を教えてください!

同じ年頃を育てるママさんと知り合いになり、宗教に勧誘され、憤りを感じています。子供の成長の悩みをダシに宗教に勧誘されました。 私は故郷から離れて暮らしていますが、毎年欠かさず先祖の墓参り、亡くなった祖父母の事も忘れたことなどありません。 共に過ごした亡くなったペットの墓参りもしていますし、もちろん忘れた事などありません。 「この宗教は他人の先祖ではなく自分の家の先祖に対して拝むんです。先祖供養をしなければ、『因縁』がある限りあなたはずっと悩むことになり、その因縁は子供にも影響を及ぼすから、会費を払いお札に向かって毎日拝むだけで、先祖か供養され全てあなたの良いようになっていくから。子供の成長に悩んでいるのも因縁のせいかもしれないから。入信して悪いことはないから。私もとても金回りが良くなったし、子宝にも恵まれた。」 と不快になるほど口説かれました。 私が先祖の墓参りもしているし、忘れた事もないと話したのですが…。 先祖は会費を払って拝まなければ供養されないのでしょうか。 子孫を守ってはくれないのでしょうか。 先祖が仮に不幸だったからといって子孫に自分と同じような不幸を背負わせるのでしょうか。 何か良くない事が起ればすべて『因縁』のせいにして、拝むだけで解決していると思い込んでいるこのママさんを不快に感じますし、学校などの集まりで会うのも嫌です。 人の不安を煽り、入信させようとしてくる人に不快に思わされ迷惑しているのですが、どう対処したらよいのでしょうか。 もう2回断っています。

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喧嘩をしてからの距離感が掴めない

以前友人と喧嘩をしたと相談させていただいた者です。 喧嘩の詳細は今回は省かせていただきますが、落ち着きはしたものの、仲直りしたわけでもなく縁を切ったわけでもない曖昧な関係ままでいます。 我々は共通の趣味を持ち、他の友人たちとその趣味の予定を立てていたため、それらのためにある程度距離を保ちながら関わりを持ち続けています。というか、その趣味のために喧嘩についての話は一切せずに曖昧な状態になったとも言えます。 ですが、その状態が正直とてもしんどいです。 すごく気を使ってその友人と話すため、いつもの数倍は神経を使います。友人はまるでいつもの調子で話すのですが(前からそれがやたら得意な子なんです)、真意がまるでわからないため、どれくらいの距離感でいればいいのかをいつも模索しています。趣味の最中はこれまでのテンションで話す瞬間も確かにあるのですが、それ以外では現状関わりを持っていません。 私も友人に酷い言葉を言われたため、そう簡単に元通りは無理だと距離を置いていたのですが、やっぱり仲直りしたい気持ちが強く、あまりそっけない態度でいられないのです。 ですが向こうは苦手や嫌いを隠すのが本当に上手な子で、真意が全く見えないため、悶々としています。向こうにも仲直りの意志はあるのか?それともその気はないのか?どちらとも取れるような態度で困ってしまいます。 ここは相手にまた話せないかと連絡してみるべきなのか、今後の自然の成り行きに任せるべきなのか悩んでいます。 何より喧嘩時に「近寄らないで」に近い言葉を言われたことがずっと引っかかっていて、また拒絶されるのが怖いです。けれど、あの言葉を言った時の彼女は不安定だったから、今は本心ではないのかもしれないとも期待してしまいます。 友人に話そう、と言ってみてもいいのでしょうか。それとも自然の成り行きに任せるべきなんでしょうか。 また、酷い言葉を言われて許せない気持ち、仲直りしたい気持ち、拒絶される恐怖、相手への期待、これらのごちゃごちゃした感情を沈めるための心構えなどありましたらご教授願いたいです。

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気になる僧侶の方と、お話をするには。。(その後です。)

前回、上記お題でご質問させて頂きました、aluseusです。 新たにご意見をして頂きました、 大野山 福公園寺の、鈴木光浄様。 本当に有難う御座いました。 とても嬉しかったです。 皆様から暖かく、ぜひ話しをしてみて下さい、 との応援のご回答に勇気を貰い、 思いきって受付の方にお話をさせて頂きました! 結果、 お断りされてしまいました。。。 受付に行くまでにもう一度勇気をと思い引いた 『何事も思うまま、大吉』 のおみくじも虚しく、 とぼとぼと帰宅しながら、 泣いちゃいました。。 受付の方とのやり取りについて、 ご説明しますと、 私がお話をしてみたいと思う僧侶の方の お名前がわからないので、 一先ず、 『こちらにおります、御坊様と、 お話をさせて頂く事はできますか』と、 お伺いしました。 受付の方が、『どのような要件か』聞いてきましたので、 『個人的な事ですが、お話をしてみたいと思い、 そうゆう機会をもうけているかわからないので、 お伺いにきました。』 と伝えました所、 『そうゆう人生相談はやっていない、 僧侶は忙しいから無理、たとえ話しが出来たとしても、 5分10分です。』 との事でしたので、 私も図々しいですが、 『5分10分でも有難いので、 ご都合の良い日時に、 お伺いさせて貰う事はできますでしょうか。』 と伝えましたら、 『その時になってみないとわからない、 特に今日は忙しいから無理ですよ。』 と、迷惑そうだったので、 やめようと思い、 最後くらいは元気よく笑顔で、 『ご無理を言いまして、失礼致しました、 有難うございました。』 とお詫びして帰りました。。。 今日は遅い夏休みを取りましたので、 初めて朝一番のお護摩に参加してみましたが、 朝一は僧侶の方全員総出でしょうか、 圧倒されましたが、朝の清々しい空気の中、 お勤めされているお姿は、とてもとても美しかったです。 こちらの僧侶の方々は大好きですが、 お話しできない理由もあるかもしれませんし、 無理な事は無理だと、深追いは辞めようかと思う所もありますが、 意中の方に断られたわけではないので、 また別のキッカケを作って がんばってみようかとも思いますが、 皆様どう思いますでしょうか。 その後のご報告を含め、 長くなりましたが、 宜しくお願い致します。

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悲しく辛すぎてどうしていいかわかりません。

今月4日に最愛の母を亡くしました。昨年9月に胃癌、不整脈の為ペースメーカー植え込み手術、10月に入り乳癌と3つの手術をし、元気になってきたところ圧迫骨折になり術後の消毒の為、入退院を繰り返していました。 最後に家に帰ってきたのは2月。本人は通院して圧迫骨折の治療、リハビリを頑張るつもりでしたが結局は動けず1週間で再入院となり亡くなるまで病院で過ごしていました。 3月中旬に主治医から呼び出され、母の腎臓の機能がかなり悪くなっている。急変してもおかしくない。もしかしたら目に見えない癌がわるさをしているのかもしれないが何が原因かわからないと言われました。 術後は手術は成功しました。転移もしていませんと言っておきながら何故今更と主治医に対し不信感でいっぱいになりながらも、自分でも色々調べ透析治療のできる病院へ転院させようと思い母にも 今、腎臓が少し悪くなってるから設備のある病院に転院して治そうと伝えると、母も ここぢゃ、寝かされっぱなしで身体もどんどん動かなくなってしまうから転院して治したいと言い、病院の医療相談室に転院希望を伝え転院できる日を楽しみにしていました。 しかし待てどくらせど連絡がなく再度、相談室に問い合わせてみると 只今、調整中ですと言われるだけ。 1日1日、母は浮腫んでいき意識障害などでるようになっていきました。私は1分1秒でも早く透析治療をと思っていたのですが治療を受けることが出来ずに母は逝ってしまいました。 最後まで泣き言を言わなかった強い母。 本当にに辛かっただろうに...。 こんな考え方してはいけないとわかってはいるのですが病院が憎くてたまりません。 母とは楽しい思い出ばかりではなく絶縁状態になっていた時期もありました。 だからこそ これから沢山のことを母にしてあげたかった。やるだけのことはやってきたつもりですが今どうにかなりそうなほど悲しくて辛くて泣いてると同時に母の容態がおかしくなっても連絡もくれなかった病院が憎くて頭がいっぱいいっぱいでおかしくなりそうです。母が亡くなってから毎日のように過呼吸にみまわれます。こんな苦しさ、悲しさ、寂しさ、憎むという汚い気持ちから解放される時が私にやってくるでしょうか?

有り難し有り難し 27
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