申し訳なく生きる毎日
この前、母子手帳を読んでみて親が自分に愛情を注いでたんだというのを知りました。
私の親は虐待をされていて、自分はそうならないように子供を優しく愛情を込めて愛してくれました。
私の親は可哀想です、虐待されて家から飛び出してパワハラされて大病になり離婚して嫌なことばかりな人生だったのに生きてて、何の意味があったのかとおもいます。
世の中の大半の人より不幸です、世の中の大半の恵まれててキャピキャピしてて上から目線で権力に対して忖度してる人達より、何億倍も不幸です。
よく深いクソ共に親は搾取されてて、よく深いクソ共は恵まれてて楽しい人生です。
私の親は極貧の中で底辺職なのに掛け持ちして働いて働きまくって自転車で何キロも通って、私が教師に嫌われてたりする中で頭を下げたり色んな物を買ってくれたり。
偶に喜ばそうと外食に連れて言ってもらったりしました。
部活もやらせてくれました。
他の家庭に比べるとかなり制限付きの幸福でしたが死ぬほど努力(個人的には努力なんて最終的には無意味だと思ってるが)をしました。
しかし、私はよくある貧困家庭出身の欲深いクソを懲らしめるような人ではなく、ゴミでした。
実力も無く、チャンスは捨ててしまい、何も出来ないまま全く夢とは違う事をしています。
私の親が苦しんでまで育てた子供が今ゴミなのです、生きてる価値のないゴミとして誰が見ても明らかに不幸な人間として育ってしまいました。
勿論ゴミとして生まれてきたので、これから子孫繁栄をしても同程度の存在としかマッチングせず交尾をしても同じくゴミを生み出すだけでしょう。
そんな螺旋から降りたいと同時に周りが楽しい人生や夢に向かってる中で、私だけが無念を抱えて生きています。
楽しい学生生活、楽しい友人との遊び、夢ややりたい仕事、キャピキャピした恋愛。
学生時代も色々挑戦した嫌な思い出しかありません、友人も幼馴染すら信用できません、やりたくない仕事をして面白くないつまらない事を勉強していました、恋愛も同じような感じです。
私は未だに生の螺旋から降りられずにいます。
いつか降りたいと願うのですが、ゴミを育てた親に失礼なのと、このまま本当に世間からゴミとして認知されたまま死に無念な世界に反逆もせずに死んでいいのかと思います。
全てが申し訳ないのです。過去の祖先や親にごめん、という感じです。
有り難し 36
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