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hasunoha 問答検索結果 : 「家族 死 」
検索結果: 2622件

主人の死と向き合えていなかったこと

こんばんは。 歩き出しては立ち止まり、迷ってはお坊様方にいただいた回答をもう一度読み返し、気持ちを切り替えてきました。そして、ようやくひとつ先へ進めたかのように思えていた矢先に、ある音楽を耳にしました。それは、2人で良く聴いていた曲でした。 私はとても嫌でした。聴いていられませんでした。なぜだかそのときはわからなかったのですが、あとからじわじわと気づきました。 私は主人の死に全く向き合えていませんでした。 亡くなったらどうなるのか、それがわかれば生きていける、そればかり気にしていて、根本的なことを受け入れていなかったのです。 主人の為にお葬式や新盆はしっかりやってあげたかったし、会社の方が来られてもしっかりした様子を見せたくて気を張っていたし、子供たちにはあまり悲しい顔を見せないように、もちろん子供たちが辛いときは一緒に悲しみに寄り添い、いままでと変わらない元気で明るい家族でいたくて頑張ってきました。主人の為、子供たちの為に進んでいくしか、生き方がわかりませんでした。 周りの人に「ちゃんと前に進めてるよ」って言ってもらいたかったのかもしれません。 そのために死を受け入れる時間は後回しに、どう向き合っていくことが幸せなのかを優先に考えてしまったのだと思います。 主人の死を受け入れるためには、どうすべきなのでしょうか。向き合う必要性があるのかすら私にはわからないのです。

有り難し有り難し 30
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愛犬の死

15年実家で飼っていた愛犬が先週の金曜日に亡くなってしまいました。 犬は人間より遥かに寿命が短く年をとるのも早いので、15年間という年月を思えば特に大きな病気にもなることもなく、とても長生きしてくれたと思っています。 しかし、亡くなる前の数日間は、食べるものも受け付けず体力的にも日に日に弱っていき見てるのも本当に辛いものでした… 愛犬も最後はかなり辛かったのではと思いますが、私が近くに来たのがわかると立ち上がるのもやっとな感じなのにフラフラしながらもそばに寄ってこようとしてくれました。でも私はその時、愛犬のそばからすぐに離れてしまい別の用を済ませに行ってしまったので、用を済ませてまた愛犬の所は行きましたがもうその時には立ち上がることができなくなってました… でもまだ息はしていたのでとりあえずまた来るからね!と声だけかけてその日はそのまま帰ったのですが、それが愛犬と最後の交流となってしまいました… フラフラしながら自分の方へ寄ってきてくれた時にもしかしたら愛犬は触れて欲しかったのかな?何か伝えたかったのかな?とかあの時こうしておけば…と愛犬がいなくなってから愛犬の存在の大きさと後悔の念のようなものが出てきてなかなか心の整理がつきません。 あと、供養の事でも、生前お友達を作るのがあまり上手ではなかった愛犬が少しでも寂しい思いをしないようにと地元の斎場で火葬したあと、返骨なしで合同での供養と埋葬でお願いしました。ですが、愛犬の埋葬される予定のお寺が家からだいぶ離れた県外の場所になると後から分かり気軽にお墓参りもできる距離でもないので、そんな遠くの場所に埋葬させてしまうことへの罪悪感もあり、愛犬にとってこれで本当に良かったのかと本当にこの選択で愛犬は幸せだったのかと自問自答を繰り返しながらふと気づくと涙を流してるような毎日です。 この気持ちがいつか癒されていく日は来るのでしょうか?

有り難し有り難し 3
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お悔やみに来ない向かいの家族。

こんにちは これまで父の事で何度か相談させていただいておりました。 その度に心救われるアドバイスをこちらで頂いて回答して下さった僧侶の方には感謝しております。 父は半年の闘病生活を終え昨年末に旅立ちました。その時が来るまで、毎日母と妹と3人で父の体をさすりながらこれまでの感謝の気持ちと父をを愛してるという事たくさん伝えたました。父が助からないと知ってからは、最期まで父が寂しくないように怖くないように時間の許す限りずっとそばにいようと決め、その思いを貫く事が出来ました。残念ながら父は亡くなりましたが呼吸が止まるその時を見届けることができて娘としてはよかったなと、思っております。 亡くなったあと、友人やご近所の方がたくさんお別れにきては涙をながして父の逝去を悲しんで下さり、私達家族に寄り添って下さいました。親戚、友人に囲まれて優しい父らしい、悲しいけど暖かい葬儀を営むことができました。 そんな中、唯一、私がひっかかることがあります。それは真向かいの家の家族が顔も出さないことです。向かいの家族は中年の夫婦(看護師さんと自衛官)で小学生の子供が3人います。顔を合わせれば挨拶くらいはしますがもともと素っ気無い家族というか、愛想がないというか。。 しかも通夜をしてるとき向かいの子供が回覧板を持って来ました。普通そんな時に子供に回覧板持って行けと頼むでしょうか。私には理解できません。 そんなお向かいの家族でも父は雪が降れば雪かきの手伝いをしてあげたり、困ったときは話し相手になっていたりしてました。それなのに、挨拶ひとつもありません。お悔やみは気持ちだから、その気持ちがないといえばそれまでですが、玄関を出れば毎日目に入ってくるし、モヤモヤしてイライラして誰にもこの気持ちをぶつけれずにいます。そしてなにより父の死を軽んじてるような気がして父が可哀想でなりません。周りのお家の方はほとんど来てくださったのに。なんかその神経が信じられなくて失望しています。この気持ちをどこにぶつけていいか分からずどう処理したらいいか分からずにいます。

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毎日死について考えてしまいます

私は毎日、大切な人たちの死を考えてしまい、悲しくて苦しくてこの先の人生に希望が持てなくなるような瞬間があります。 大切な人たちというのは主に家族で、特に両親や姉妹のことです。 昨年、結婚し初めて実家を出ました。 元々結婚願望がなかった私でしたが、婚約してからはあっという間に家を出ることになってしまい、当時29歳でしたが、なんだか現実に起こっていることと自分の心がついてこないような感覚でした。 あぁ、私も結婚する歳なんだなぁ…大人になってたんだよなぁ…というような感じです。 結婚生活はとても楽しく、実家にもよく顔を見せに帰っていますし、姉妹とも連絡は頻繁に取っています。 しかし、いつも楽しく幸せだと感じる裏側で、いつかこの幸せも終わってしまう、いつまでも幸せではいられない。そう思ってしまうのです。 もしかしたらあと10年後には両親がいないかもしれない。もう少し前の私であれば、そんな考えが浮かんでも「まだまだ若いし元気だから大丈夫」と自分を励ますことができたのですが、最近ではもう親の死も他人事ではないというか、あり得ないことではないと落ち込んでしまいます。 いつだって人は死と隣り合わせで生きているし、親がいくつだろうと、自分が大人でも子どもでも関係ないことだったのに。 この先私が親や姉妹よりも長生きするとすれば、私の未来にはとても悲しくて辛い出来事が必ず当たり前のように訪れます。 「大切な人の死」という、想像しただけでも胸をえぐられるような悲しみ以上に、楽しいことや幸せだと思えることが今後あるのでしょうか。 もちろん私の両親も自分の親とのお別れを経験しているわけですし、人はそうやって生きていくものだと思いますが、こんなことを夜な夜な考えてはこの先の未来に影を落としてしまいます。 少しでも前向きに考えていけるようになりたくて、ここでお話しさせて頂きました。 わかりにくい文章で申し訳ございませんが、何かお言葉を頂けたらと思います。

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母の死

よろしくお願いいたします。 先日母が亡くなりました。病気ではありましたが体調も悪くなくこんな事になるとは思っていませんでした。そしてこれから相続争いが始まりそうです。私は三姉妹です。次女は昔祖母にいじめられたらしく、そのことについてずっと母に嫌味というかいじめに近い言い方をしてきました。またお金に対する執着心が強い人です。次女の旦那は医者で裕福です。これまで通院など面倒を姉妹で協力してみてはきましたが、夏頃、母に数千万の預金があるとわかったとたん、急に態度が変わり、一度救急車で運ばれて入院しても連絡くれず、姉妹での相談なく勝手に施設に入れ、預金も認知症気味の母の立ち会いのもと勝手に解約し、施設も面会禁止、その後面会できるようにはなりましたが、寂しさのあまり顔つきも変わり、最後に面会に行った時いなく、うつ気味になったから病院にいって薬をもらい、その姉の家で様子をみています、と施設から説明がありました。亡くなったのはそれから8日後のことです。葬儀後、処方された薬がわかったのですが、呼吸を抑制させる副作用があることがわかりました。母は姉の家から帰ってきた翌日施設に戻り、次の日ベッドの中で亡くなっていましたが、施設では、たまたま監視カメラが壊れいたから事件性などは確認できないと言われました。処方したのはその問題の姉の精神科医の旦那です。姉はこれまで私たちが何もしてくれない、財産狙いだ、悪い人間だ、などと周りに話し、また周りはそれを信じ、ケアマネージャーも施設側も病院側も話を信じ、私たちは、ケアマネージャーや施設側に、そんなに医者って偉いんですか?と聞いてしまいました。でも影で、ケアマネージャーは、お姉さんはお母さんの状態を何もわかっていません、本当は1番面倒をみていたのはあなたなんじゃないですか?と言ってくれました。そのことは誰にも話していません。葬儀では以前は喪主なんかしないと言っていながら、旦那が喪主をしたわけですが、私ともう1人の姉には何の相談もしてくれません。母はその姉のところにだけは行きたくないと言っていたのに、たまたま亡くなる前の一週間いただけで、ずっと介護してきたように話し、斎壇も姉家族と母が写った写真ばかり飾ってあったり、孫たちからのエピソードを話すところがありましたが、私の子供は無し、など最悪な葬儀になりました。もうどうしたらいいかわかりません…

有り難し有り難し 3
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死を受け入れられない。

私は3年前まで介護福祉士として地元の老人ホームで6年半働いていました。 辞めるきっかけは母方の祖父が認知症になり、祖母に暴力を振るうようになり、SOSの電話が毎日かかってくるようにはなり、ある日、出勤前に電話がきて、両親は出かけていたため急きょ仕事を休み、祖父母の家に行くと祖父に蹴られ、踏みつけられ、挙げ句植木鉢を足に落とされて息がつけなくなっている祖母が茶の間に倒れていました。すぐ救急車を呼び病院へ搬送されました。 その時に入院した病院で末期の胃ガン、B型肝炎に感染していると判明しました。 余命は2か月。祖母には私の他に孫が3人いますが、私が一番可愛い孫だといつも言ってくれ、仕事で悩んでいたりした時に話を聞いてくれたり、お金に困った時も助けてくれたりと、一番可愛がってもらっていたので、今までの恩返しを込めて入院生活を余儀なくされた祖母の介護をしたいと思い、仕事を辞めました。 余命2か月と告知されていましたが、8か月生きてくれました。 亡くなる前日まで会話出来ていたのですが、いきなり急変し、吐血し意識不明になりました。 そんな状況でもうわ言で私の名前を呼び、必死で生きようとしてくれました。2回目に吐血した時にもう助からないと医師に聞かされ、家族で泣きました。集まった親戚は頑張って生きてと言っていました。でも私はもう充分頑張ったんだから、頑張らなくていいよと言いました。それから間もなく亡くなりました。 祖母が亡くなってから半年になりますが、亡くなった実感が未だになく、私も頑張ってと言えばもう少し長く生きれたのかと毎日思っています。仕事は介護の仕事だと祖母を思い出して辛くなるので、全く違う仕事をしています。 毎日それなりに充実していますが、最期にかけるべき言葉は何が良かったのか、自問自答の日々です。亡くなった祖母に会いたいと涙してまうこともあります。 どうしたら、祖母が亡くなったという事実を受け入れる事が出来るでしょうか?

有り難し有り難し 9
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祖父の死について

先日、父方の祖父が急に亡くなりました。朝食中の事故だったようです。 前日にも会って話をしており、当日も朝に父が会っているので本当に急なお別れでした。 もし僕が前日に会った際に別の行動を取っていればバタフライエフェクトか何かで運命が変わっていたのかもしれないなどとも思い、悔しい気持ちでいっぱいです。 4年前の祖母の死後、僕も買い物等で色々と手伝いをしており、足腰は弱っているものの元気な祖父の姿を見ていたのでかなりショックです。 「もうだいぶ長いこと生きた、いつ向こうに行ってもいい」と話す祖父でしたが、まだまだ生きられたはずです。 なにより、両親を続けて亡くした父の悲しみはどのくらいかと、心配です。 孫の僕ですらこんなに悔やんでいるのに、子である父はどれだけ苦しんでいるのかと思うと、やりきれない思いです。 今は「そういう運命だった」と自分に言い聞かせるしか納得の方法がありませんが、そうはいっても急なお別れというのは避けられたかもしれないと思ってしまいます。 どうすれば心を落ち着かせられるでしょうか。また、どのように父を見守れば良いでしょうか。アドバイスをいただければ幸いです。

有り難し有り難し 6
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猫の死

私の家は、たくさんの猫と暮らしています。猫と生活を共にする様になり、今年で10年になります。この10年の間に、そのたくさんの猫と縁があるのか?我が家にやって来ました。私も迎え入れていました。5年ほど前から、猫が増えてたら、どの子かが死ぬを繰り返していました。こんな事になるなら、猫との縁は金輪際要らないと思っていました。去年は縁も無く、猫が死ぬ事もありませんでした。今年に入り、2匹病気が見つかり、1匹は急に腎臓が悪くなり、先月24日に亡くなりました。もう1匹は心臓が悪く薬を飲ませていました。呼吸状態も確認していました。昨日の朝も元気にちゅ〜るも食べ、呼吸状態も確認し話しかけて仕事に出かけました。昼に仕事から帰った母から、逝ってしまったと連絡が入り、悲しみでいっぱいになりました。 苦しみながら死んでいったのだろう、一人きりで死なせてしまったと、悲しくて仕方ないです。 猫は増えてはいない、なのに立て続けに2匹も亡くなりました。 後悔しかないです。抱きしめて仕事に行けば良かったとか、色々後悔があります。 幸せだったのだろうか?たくさん猫がいて、ストレスもあったと思います。残された兄弟猫は、急に1人になり大丈夫かなぁとも心配になります。 後悔しない生き方はできないですが、今回亡くなった子も含めて、今までに縁あった今は旅立った子達が、私と出会い幸せだったと思ってくれているならと思ってます。生まれ変わって幸せに生きて欲しいです。明日はペット霊園に供養してもらいに行きます。私が日頃から出来る供養があるなら、教えて頂きたいです。

有り難し有り難し 11
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猫の死

2ヶ月前にボロボロの猫を保護しました。毎朝同じ場所に現れこちらを見ていました。長くないかもしれないと思い、最後を看取るつもりで保護しました。 病院につれていったところ、かなり年寄りで栄養失調ではあるが特に重篤な病気はみつからなかったので、しばらく一緒に生きていけると嬉しくなり、病院に入院させ、退院後も検査と経過観察の為に通っていました。去勢済みだったので捨てられたんじゃないかと言われました。それなら余生はこれから私とゆっくり過ごしていけばいいと思っていました。しかし、つい昨日までは元気だったのに次の日亡くなってしまったんです。2ヶ月しか一緒にいられませんでした。体重も増えてこのままゆっくり良くなっていくと思っていたので言葉では表せない程のショックです。私が病院に通ってストレスを与えてしまったからなのか?あのまま外で過ごしていた方が幸せだったのか? 保護したのは私のエゴだったのか? 正解は無いと思いますが、あの子に申し訳ないのです。捨てられたのかもしれないのに人が好きな様でゴロゴロ懐いてくるかわいい子でした。 私が余計なことをしなければあの子はもっと生きていられたのかもしれないと罪悪感があります。自分のエゴであの子の命の期間を縮めてしまった気がして心の整理がつきません。何かお言葉を頂きたく相談しました。

有り難し有り難し 28
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娘の死

初めて書き込ませていただきました。 私は、去年最愛の娘を私の不注意で事故で亡くしました。たったの6才でした。 悲しみが癒える事はなく、これから娘が味わえたであろう、小学校、中学校、高校…恋もしたかっただろう、どんな仕事に就いたのかな?結婚したかな?ママとランチや買い物に行って、女子トークしたかな?友達と旅行行ったりしたかっただろうな… 娘の人生は、全て私が奪いました。この先感じた、喜びも悲しみも幸せも怒りも、様々な経験も、全て私の不注意で奪いました。 私は、私が殺めたと思っています。 溺水でした。 蘇生後脳症で意識が戻らないまま、脳死状態で数ヶ月心臓は動いて、最後は多臓器不全で亡くなりました。 私の元に生まれなければ、私の娘じゃなかったなら、きっとずっと幸せな人生を歩んでいただろうに、私の娘になったばかりに、可哀想で可哀想でどうしようもありません。代わってやりたい。私が死ねば良かったのに。 自分でランドセルも選び、何度も背負って見せ、小学校への入学を楽しみにしていた数ヶ月前に亡くなりました。 あの笑顔が忘れられません。 何度も後追いを考えます。私が行ってあげなきゃ一人で淋しい思いをしていないかと、いつも涙が溢れます。 ただ、他に子供がいて逝けません。 1年少し経った今でも、息をするのも辛く、美味しい物を食べるのも、旅行やお出かけも、いつも常に淋しさと後悔で全く楽しめません。 神様は、私に「苦しみ地獄を生きろ」と言われてるのだと思います。 沢山居た娘のママ友達も、居なくなってしまいました。 私は、何かバチが当たったのでしょうか? 私は、動物や小さな虫にも優しくしてきたつもりでした。動物愛護募金もしてきました。夏のアスファルトの上を虫が歩いていたら、そっと木陰に連れていく事を毎回やっていました。 子供の虐待や事故死を自分の事のように涙を流して泣いていました。 間違っていたのでしょうか? 今は、何をしても悲しみが押し寄せてきます。喜びや楽しみも、最後には悲しみに変わります。もう腹の底から笑う日はないんだと思います。 いつ死んでも構いません。残った子供が私と同じ想いをしないように生きてるだけです。 虐待で亡くなる子供たちに私の命を捧げてあげたい。ちっとも惜しくないです。 私のせいで死ななきゃいけなかった娘が、せめて今、仏様に神様に大事にされている事を祈るしかありません

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知人の死について

年明けに、ひょんなキッカケから、わたしが20代前半に、メル友だった東京在住でコックをしている男性が病死していたことがわかりました。 メル友といっても、メールのみならず電話で話したり、愛媛と東京と離れてましたが、実際に会ったこともあり、共通の趣味の話で盛り上がったり、とにかく気が合い、親友?いえ、年令が10才は上だったのもあり、兄のような父のような存在で、楽しく過ごしてました。 お互いに恋愛感情があったわけでないので、月日が流れ、ワタシが、身近で恋愛に関心を持ちだすと、その方とのやりとりは減り、疎遠に。 どれくらい経った頃か、記憶にないのですが、その方から、結婚報告を電話で、受け、我がことのようにうれしかったです。 てっきり、幸せな人生を歩んでいると思いきや、亡くなったとは、今でも信じられず、涙は止まりません。聞いた話、発病してあっという間に亡くなったと聞き、ショックです。 当時は、健康に見えましたし、ただ少しメタボ体型ではありましたが、不摂生している風もなかったですし。 生きていたら、たぶん、50才にもなってなくて、信じられません。 いつかその方が働くレストランで食事をするのが夢でしたが、もう彼が作る料理を食べることは叶いません。 またその方が結婚したキッカケは、ワタシが、面白いSNSがあると教えたからで、そこで実際にグループで会い、お花見があり、出逢いがあったから、ワタシのおかげだと、話してくれましたが。 現在は未亡人になってしまい、ワタシとしては、なんだか申し訳なくて、子供が生まれていたら、なおさら辛く感じますし。 で、あれこれ考えてみたのですが、その方が働いていたレストランのスタッフに聞いて、お墓参りせめてしたいのですが、気味悪がられますか? 当時、愛媛の人とメールしている話をスタッフにしていたみたいですが...お墓参りをといっても、ワタシは、愛媛にいますし、既婚で子供もいて忙しいので、いつになるか分かりませんが、せめてお墓参りをしたいのです。 あるいは、もう過ぎ去ったことなので、心の中で偲ぶほうが最良なのでしょうか。彼も妻帯者ですし、失礼にあたりますか? 長くなりましたが助言お願いいたします。

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母親の死

ちょうど一ヶ月前に母を癌で亡くしました。 僕の場合は特に罪悪感が強く、母の元気な時は結婚もせず、孫の顔も見せれず、病床で寂しがっていた時も 付き添ってやらなかった(付き添おうと思えば出来た) そして、最後も看取れず・・ 怖さと孤独と寂しさの中で逝かせてしまった・・という罪悪感に毎日毎日かられて、それを思うと、母が可哀想で可哀想でたまりません。 一人っ子なので、今は母のいなくなった家で 一人寂しく暮らしてます。 特に一人で晩ご飯なんか食べていると、寂しくてたまりません。 あぁ・・ 母もきっと 最後はこんな孤独の中で逝ったのかな・・って思ったりもして。 もうどうしようもないことはわかってます。 でも なんで一人で逝かせた? 付き添おうと思えば、いくらでも付き添えたのに・・ 叫ぶほどに寂しがっていたのに・・・ 寂しさは時間が癒してくれるかもしれませんが、この罪悪感だけは 一生もので、僕が死ぬまで背負っていかなければいけないような気がしてます。 母の性格なら『終わったことはもういい これから頑張れ』と言ってくれてるように思います。 ただそれは僕の勝手な気持ちであって、未だに寂しい気持ちの中で彷徨っているかもしれない・・・ でも、それも今となっては教えてもらえず・・・ 『寂しい・・』 『家に帰りたい・・』 逝く前の母親のこの叫びが、僕の胸をえぐります とても苦しいです。 とにかく 寂しさの前に、今は罪悪感が非常に強くて 毎日、胸を痛めて、なかなか前を歩く一歩が踏み出せない現状です。 母親がまだ元気な頃は、あ~だこ~だ言ってお世辞にも大切にはしていなかったのに、いなくなって初めて、寂しい・・可哀想・・もう一度だけで良いから逢いたい・・ 今に思えば、僕の結婚、孫の顔ももうとっくに諦めていたはずだし、横になりながらTVを見ているような毎日で、母親はいったい何が楽しみで生きていたんだろうな・・と考えたり。 こんなことを、母親がいなくなってから想っている自分勝手な息子です。 僕のおふくろが死んだなんて、まだ信じられないです。 やはりこの罪悪感は親不孝物の代償でしょうか? 一生背負って生きていかないといけないものでしょうか? 是非、意見を聞かせてください。 辛さのあまり自分の命も絶つことも考えました。 でも、結局は生きていくしかなく・・・

有り難し有り難し 13
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