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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死後 」
検索結果: 1253件
2023/01/11

戒を授かることについて

お世話になります。 私の実家(祖父母)は、父方・母方ともに西本願寺派の檀家ですが、父母の代から別に家を構え、私自身も結婚して独立し、父母の家・私の家ともに仏壇はなく、檀那寺との付き合いもありません。 今後、父母逝去の際にどうするかという問題もあるのですが、今回ご相談したいのは、私自身の授戒についてです。 生前に戒を授かることはとても尊いことと聞き、死後授かるよりも素晴らしく、破戒があっても、輪廻の果てに必ずや解脱に導くと聞いたことがあります。 仏弟子となりたいという思いのほか、子どもをもうけるつもりがないため、死後の葬送が不明瞭ということもあり、生きているうちに戒を授かりたいと考えているのですが、どのように手続きしてよいか分かりません。 高野山、善光寺では授戒会をしているときがあるとか、本願寺ではお剃刀があるという断片的な情報しか知り得ないのですが、 1 授戒とお剃刀は仏弟子になるという意味で同様のものですか?(浄土真宗には戒がないのでお剃刀とは聞いています。) 2 授戒と戒名の授与は別なのでしょうか? 3 どのように授戒やお剃刀にアクセスすればよいでしょうか?(いきなり近隣の お寺に行って、「授戒してください。」でOKなのか?) 4 複数のお寺で、何回も授戒を受けてもよいのでしょうか?その場合戒名は複数持てることになるのでしょうか? 5 生前戒名を授かっていた場合、授戒したお寺さん以外で死後、葬儀や法要をしてくれない場合もあると聞いたのですが、肌感覚としていかがでしょうか? 6 また、祖父母の檀那寺を含め、もし授戒をしてくれるお寺様と巡り合えた場合、その授戒・戒名(又は法名)を持ちながら、他宗派の信仰や勤行をしても差し支えないものなのでしょうか?(例えば、檀那寺又は檀那寺経由で浄土真宗の法名をもらいながら、一方で、他宗派の信仰や勤行をする等) 以上、とりとめのない質問で恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

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輪廻転生の理解

初めまして。私は最近、某仏教のテレビ番組にハマっています。 「輪廻転生」のことを知りましたが、疑問に思っていることがあるので、教えてください。 「輪廻転生」には六道があり、魂は6つの世界を旅しているとのこと。 人は死んだら、天界や極楽に行くと聞きました。 でも、生まれた時に今まで魂が旅してきた六道(地獄も含む)の記憶は一切ありません。また、よく「人は死んだら“無(生まれる前の状態)”になる」と聞きます。 地獄や天国というのは、本当に存在するんですか?誰も見たことがないからわからないんじゃないの?と思うんです。 本当にあるなら生まれる時に何らかの地獄の記憶(熱い・痛いなど)があるはずだし、お浄土に行くにも三途の川を渡る際の感覚や閻魔様に出会った時の恐怖、彼岸に渡った記憶や皮膚の感覚というものがあるのかなって。魂になっても、痛みや恐怖を感じるんでしょうか。 私は、できればそういうのがなくて、「死んだら本当にただ無になるだけだよ」って言ってもらう方が安心するんです。 だって、死んでから「生前悪い事をしたから地獄で苦しむ」って思ったら死ぬのが怖いじゃないですか。 天国と地獄の教えというのは、「悪いことをしたら地獄に行くよ。だから、生きている時に悪いことをするなよ。」という解釈と思うのは、どうなんでしょう?

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手元供養につきまして

手元供養についてお伺いします。 私は、物には大切な人の魂のカケラがこもっているという信念に近い想いがあり、幼少より物に対して強い依存心を抱いて育ちました。 そんな私にとって、遺骨は故人を偲ぶ一番のよすがで、両親や愛犬が亡くなったらアクセサリーに埋封して肌身離さず手元供養したいと願っております。 ただ、両親は手元供養には強く抵抗があるようです。 愛犬に関しましては、好きなようにしていいと言ってくれるのですが、自分たちはきちんとお墓に埋葬してほしいと言われています。 勿論、手元供養をする場合には、自分が亡くなった時の事も考えて最後は土に帰れるよう遺書に書き残すつもりですが、両親はそれでも絶対に嫌だと言います。 遺骨だけでなく、遺髪を手元供養する事も拒否されました。 この状況では、やはり、両親の想いを無視して遺骨や遺髪を手元供養する事は許されない事ですよね… また、上述しましたように、愛犬に関しては手元供養しても良いよと両親は言うのですが、そもそも手元供養する事で愛犬の魂を苦しめるような事はありますでしょうか? 以前聞いた話で、手元供養をすると、その時土に帰れなかったお骨のせいで、輪廻転生の際に身体に不具を負って生まれてくる事になると聞きました。 最後は自然に帰れるようにするつもりとは言え、やはり、両親はもとより愛犬も手元供養しない方が良いのでしょうか? 両親に関しましては、日常使っていた物などが形見として残りますので、手元供養がダメならば形見を両親を偲ぶよすがと思おうと思うのですが、愛犬に関しましては、普段身につけているものは首輪くらいで、それはおもちゃなどと一緒に火葬してあげたいと思っており形見がほとんど残らないため、遺骨がダメならば遺毛を少し頂いてそれを手元供養できればと思っているのですが、それも許されないでしょうか? どうか、ご教示頂きたく、宜しくお願い申し上げます。

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先祖供養はどのような意味を持つのですか?

仏教について調べていると、葬式とその後の供養が最重要トピックの用に扱われているのが不思議です。 親や先祖の供養ってそこまで大事なのですか? 血縁ってそこまで重要なのかしら? 先祖供養は儒教ではないのかしら? いえ、私も木の股から生まれたわけではないので、縁なり因果なり何かしらあるのだろうとは理解はしていますが。 この世に産み落としてくれたことは有り難いのですが。 血のつながりばかり大事にしなくてもそこかしこに縁はあると思うのです。 個人的に家族の縁が薄いこともあり、 親や先祖のことはよく知らず供養もしていません。 私の死後供養してくれるものもおりません。 しかしそんな私が死んだ時も 仏さまなら何とかお慈悲をくださるのではなかろうか というのが信仰を持ちたいと思った動機なのです。 「私と仏さま」の話ならわかる気もするのですが「私と先祖と仏さま」の話がよくわかりません。 先祖供養が必須なら、親のない人間は仏さまに救っていただけないのでしょうか。 そもそも私の理解が間違ってるのかもしれませんが、 苦しみの多い輪廻の輪から解脱するため修行をしよう、また大乗仏教においてはいろいろな仏さまの力を借りたりおすがりして解脱にいたろう、 というように仏教的な死生観を解釈しています。 修行が足りず仏さまとの縁も結べなければ輪廻の次の段階に進むでしょうし、 宗派によっては生前から成仏しているわけですし 浄土系の宗派では阿弥陀さまのお慈悲によって極楽往生できるでしょうし…。 死後、死者の行く末に関して、生者はどれだけの干渉ができるのだろうか、というのが疑問です。 それは死者本人と仏さまの間の話ではないのかと思います。 そうすると供養とは何のためにするのでしょうか。 お教えをいただければ幸いです。

有り難し有り難し 53
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