もう何十回、何百回と回答されているテーマだと思いますが、相談させてください。 ここ数ヶ月の間、死が怖いという気持ちが離れず、夜も眠れないくらいです。 私は恐れているのは、死んだら無になる可能性です。 私は科学を信じている(盲信していると言ってもいいです)ので、人間とはただの物体で、感情も脳の反応だと思っています。 だから人は死んだらただの物体になると考えていて、それがたまらなく恐ろしいのです。 私は両親と暮らしていて、日々の生活に幸せを感じています。 しかし死んだら無になるとしたら、この幸せはどうなってしまうのですか? 両親が亡くなり、私も死んでしまったら、全てなかったことになってしまうのでしょうか? いずれ死んで全てを感知できなくなるのなら、この日々も無駄ということになってしまいます。 「一度きりの人生なら楽しめばいい」と思われるかもしれませんが、死んでしまえば「楽しかったな」とすら思えないのです。 それはいっそ生まれてこなかったとしても、結局は同じということになってしまうのはではないでしょうか? 全てに虚無感を感じてしまって、幸せを感じることすら怖くなっている状態です。 しかも死への恐怖は杞憂ではなく、絶対に避けられないという事実があります。 全ての先人が経験していることですが、どうやってこの恐怖と向き合ったのかがわかりません。 科学を信じている私が、今回ここに相談したのは、宗教的なものを信じたい気持ちはあるからです。 かつてお釈迦様も生老病死に悩まれていたと知りました。 その悩みから抜け出せる知恵が、仏教にあるのではないかと思ったのです。 仏教では死についてどのように考えていますか? お坊様は死を恐れていますか? その理由は何ですか? またお坊様は当然ながら仏の世界を信じていると思いますが、信じるに至った根拠や理由はありますか? 尚、両親も私も健康状態に問題はなく、死が差し迫った状態ではありません。(人生、何が起こるかわかりませんが) それでも両親との別れはいずれやって来ます。 私は自分がただの物体になるのも恐ろしいですが、両親が物体になるのはもっと恐ろしいのです。
縁があって相談できることをありがたく思います、結婚して18年です、子供は3人、結婚して、親になってわかる、親心、子供ができて、分かる、この心、わかっている、14年前に父方のお父さん、私にとってはおじいちゃんが亡くなりこの死が、私の心を大きな傷となり、今も思い出すとおえつが出るくらい悲しみが心を支配する、身内の死がこれほど悲しくて辛いのは十分わかる、 わかっていながら、自分の子供、主人には平気で死んでしまえとか、汚い言葉、毎日のように、放つ自分、 毎日寝る前手を合わせ毎日反省、わかっているのに、なんでか、自分がすごく汚い心だから、週末はなるべく、神社や、パワースポットと言われる所へ足を運び、感謝する、お線香の匂いに癒され、嫌なこと忘れる事ができる、父が病気になり、すぐは死なないけど、死と向き合う父をみていると、さらに死に恐怖、自分も死ぬんじゃないかの恐怖、不安、でも、築地本願寺に行ったとき、お線香の匂いでその恐怖や、不安が、一気に吹き飛んだ、だから、神社、パワースポットに足を運ぶのは、感謝の為、わかっている、 長女は16歳になり、日に日に反抗がすごい、薬やお酒に、興味持ち始めて、毎日怒鳴り、死んでしまえと思います、私自身反抗期、親に対する口の利き方、ちゃんとしていたから、長女が私に対する口の利き方や、態度が、ゆるせない、尊敬や、優しさが感じられない、毎日怒鳴り、汚い言葉をぶつける、誰一人私をいたわり、優しい言葉かけてくれない、有難う、あたりまえだけど、言われたい、心と、吐き出す言葉が正反対で苦しい
死に向かう病を患っています。あまり先は長くなさそうです。 子供達は20歳前後。親は高齢で自分が生活の面倒を見ています。 この先、病気が進行すれば子供達にも親にも悲しい思いをさせるばかり。ならば今まだ体の動くうちに死んでしまいたいという気持ちが、湧き上がってきます。その考えは逃げだということもわかっています。ただ、周りがつらい思いをするのを見るのが耐えられない気持ちなのです。また、病気が進行して苦しい思いをし、見苦しい姿を皆にさらすのも耐え難いです。 死への気持ちを止めて、前向きに死ぬまで生きるためのご助言をお願い致します。 ちなみに現状は心療内科に行っていますが、薬を処方されるだけで心のケアはしてもらえていません。主人は頼もしく励ましてくれますが、自死には大変反対しています。
10年前 私が20代半ばの頃です。約2年半程 交際していた方が自ら命を絶ちました。当時は 悲嘆に暮れ 絶望感と今までに経験したことのない喪失感でいっぱいでした。 私の言動や行動が 彼を追いつめたのではないかと思い自責の念にも苛まれました。 彼に対して 『何故、どうして?』という気持ちがいっぱいで溢れそうになり 時にはそれが『なぜ私をこんなに悲しませるの』と、怒りになることもありました。 彼がいなくなってからも 私の日常は変わらずにあり 泣いてばかりもいられませんでした。半年も経てば 彼がいない生活にも慣れてしまいました。亡くなってからの一年間は 周りに心配をかけまいと 必死に毎日を過ごしていたように思います。楽しいことがあれば普通に笑えたし、その一方では 死にたいと考えてしまう自分がいたり。今思えば、 常に両極端な緊張感の中にいるようでした。結果 糸がプッつり切れてしまい休職するに至りました。 『時間が経てば癒される』と よく言いますが、三回忌を過ぎた頃からは 彼がいないことに対して寂しくて泣くことは少なくなりました。あんなに毎日の様に彼のことを考えていたのに 自分のやるべきことに追われ忙しい日常にいると すっかり彼のことは忘れていましたし、それでいいのだとも思っていました。しかし そう簡単に割り切れる訳もなく、 少し疲れていたりすると 決まって彼のことを思い出しては悔やんでいる自分がいたのも確かです。 七回忌が終わった頃には 私自身も 歳を重ね 彼の自殺の原因を考えるより 彼が亡くなった意味に想いを巡らせる様になりました。 歳月が流れて 私の気持ちにも沢山の変化がありました。時間はかかってしまいましたが 私なりには彼の自死を消化してきたつもりです。しかし、10年が経とうという今でも あの当時の喪失感だけは拭えません。新しい誰かと未だに向き合えない自分がいます。 また、物にも あまり執着しないようになり、とにかく身軽でいたいと年々 思うようになりました。彼以外にも この数年に大切な家族を立て続けに亡くしたことも かなり堪えています。 すっかり 自分の進むべき道を見失ってしまいました。生きることに執着がない自分自身にも とても不安になります。何か新しく手に入れたり 出会いが生まれれば、そこから貪欲になれるのでしょうか?
お世話になります。 今すぐに死にたい、ということではないのですが、 私は、かねてから「自殺してはいけない理由」が分かりません。 遺族や他人に迷惑をかけるから、というのは理解できます。 しかし、生きているほうが周りに迷惑をかけてしまう者もあると思うのです。 私は同性愛者で、家族や伴侶はおらず、 将来、いわゆる無縁死や孤独死を迎えるのは、 ほぼ間違いないと考えています。 交通事故に遭うなどすれば別ですが、 そうそう都合よく、ぽっくりとは死ねないでしょうから、 体力が衰え、あるいは何かしら病を患うようになった頃からは、 例えば地域の民生委員や、市の高齢福祉課などに、 多少なりとお世話になってしまうでしょう。 そのような方々の手を煩わせ、 また、一般の方々が収めた税金を費やすべき価値が、 私の死にあろうはずが無いのです。 さらに、私は低所得者で、蓄えもございません。 つまり、死を迎える年齢の頃には、 金は無いわ身寄りは無いわ、 ただただ扱いづらいだけの年寄りになるのは、目に見えています。 これで認知症を患おうものなら、さらに厄介な存在となるでしょう。 だから、まだ体や頭が動くうちに、 無価値な自分自身に、落とし前をつけたいと考えてきました。 こちらの相談サイトで、 自殺を肯定するアドバイスなど頂けないのだろうと思います。 では、こんなクズでも生きていかねばならない理由を、 私に教えて頂けますでしょうか。 宜しくお願いします。
普段から心配性な性格をしているのですが 夏の疲れが溜まっていたのか、いつもなら気にしない母のうっかりミスや悲しいニュースで強いショックを受けてしまい そこから還暦過ぎた両親が認知症になってしまったら、私自身が癌になってしまったら、身内が死んでしまったらと 暗い妄想ばかりが頭から離れなくなってしまいました。 特に裕福ではなく伴侶もいませんが、ありがたい事に衣食住に困らず人にも恵まれています。 仏教では老い、病、死は避けて通れず諸行無常と言われていますね。 けれど私は周りの人達に辛い事が降り掛かって欲しくなくて、不安な気持ちが離れなくなりました。 全ては変わっていく事、考えてもどうにもならない事と頭では分かっていても、心が拒絶するのです。 未来が怖くて仕方ありません。 幸せな状態のまま全てを終わらせたい、など極端な考えまで出てしまいます。 私がこんな悩みを抱えていると知ったら、親も親戚も友達もとても心配してしまいます。 なので誰にも打ち明けられず、ここで相談させて頂きました。 いずれ訪れる老いや病、死や未来に対する不安にどう向き合ったり、捉えたりしたら良いか どうやったら未来を明るいものとして考えられるか お坊様のアドバイスを頂きたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。
私は、いつも頭の中に家族がいつ死んでもおかしくないと考えており、死ぬかもしれない死ぬかもしれないと強迫観念が回っています。特に次男の食事を作る時、洗剤の洗い残しで毒になり、次男を死なせてしまうのではないか?火に近づけたセーターを次男の部屋にしまう時、セーターが後から燃え出して、次男の部屋が火事になってしまうのではないか?と、本当にばかばかしいことばかり心配してしまいます。長男にはそれほどないのですが、死のことを心配しているのは同じです。どうしたら、この苦しみから逃れることができるのでしょうか?よろしくお願いいたします。
度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。
1度目は今年6月に首を吊り失敗、 その時にもうしない、死にたいという気持ちは消えなかったけれども周りの人への配慮のため、しないと決意する しかし先日、練炭を炊き、車内で自決しようとするも失敗し意識も丸2日失い入院、 お腹の中には2ヶ月になる子供の命も宿っているのに、くだらないことがきっかけで衝動的に行動してしまいました 私の周りの人たちを散々に苦しめています 私は本当にどうしようもない人間だと思います。 しかし希死念慮は消えません。 今も、次は失敗しないようにしよう等繰り返し考えています どうしていいのか分かりません。 医者に話すも薬物療法、カウンセリングのみで解決には至っていません 藁にもすがる思いでこちらに相談させていただきました、わたしはどうしたらいいのでしょうか。 酸素不足の状態が続いたので子供に影響が出るそうです。 私は自分の子供にまで被害を加えてしまいました 旦那、義実家、両親、家族にも多大な心配、迷惑をかけてしまいました 悔いても悔やみきれません 1人になると涙が止まりません、助けてください
わたしは仕事のストレスがきっかけで、数年前から元々鬱っぽい傾向があります。そのせいで、元パートナーには、夜中死にたくなったときSOSを出したり、何時間も泣いているのを慰めてもらったりと、今まで散々うつから来る症状や希死念慮に付き合わせて、沢山の負担や心配をかけてきました。 おかげで現在うつは和らぎ普通の生活を送れており、こんなわたしを好きだと言ってくださるかたもいます。しかし、以前パートナーに負担を掛けてしまった負い目でしょうか、今の大切なパートナーに嫌われてしまわないかという恐怖でしょうか、今度は自分の中の不安や悲しみを表現して伝えることができなくなってしまいました。たとえば、内心辛い記憶がフラッシュバックして服の下は鳥肌が立っているような状況のときでも、甘えて抱きついたりするのが精一杯で、バランスを取って相手が受け止めきれる範囲で上手く自分の辛さを伝えるということがどうしてもできません。 今は抱えている症状が爆発しないようセルフケアに努めているものの、このままでは長期的に上手くいかないのではないか、相手を思いやって感情を抑える努力をしていたつもりが、後から爆発して全部の感情を見せてしまったら結果的に相手を欺いたことになってしまうのではないかと悩んでいます。 根本的な解決は自分が強くなることだ!この人と生きていきたい!と思い一生懸命努力していますが、それすらも本当は好かれたいゆえの偽善では、病気が悪化するのではなど、考えると止まりません。 相手は、とても心の綺麗なかたです。その優しさにつけ込みわたしの世話をさせるようなことになってはあまりに申し訳ありません。でも、一緒にいたいです。これはエゴでしょうか。。
先日行った人間ドックで肺に炎症性変化があり3ヶ月後の再検査となってしまいました。 現時点での医師の説明ではおそらく心配ないものであるが、可能性はゼロではないので念のためという事での再検査です。 CTを撮ると結構な人数の方が再検査になるらしく、風邪の炎症でもよく映り込むので癌ではない人が殆どですと。 医師の感触では否定的でした。 癌宣告を受けた訳ではないですが親を肺癌で亡くしているため、先々を考えると恐怖心が拭えません。 平常心を保とうと普通に生活し、歩いて気分転換を図ったりしていますが、また直ぐに考えてはネット検索してしまいます。 人間はいつか死ぬ事は身近な人の死から分かってはいるものの、やはり怖いです。 一人っ子の子供を置いて逝くのも忍びなく、できれば自分の親の年齢を超えるまでは一緒にいてあげたい。 それに施設にいる親の介護もある。 など、色々と考えてしまう心のざわつきを鎮める方法はありますでしょうか? プロフィールを読んで頂くと分かりますが、親や夫婦間で様々な問題に長いこと悩まされ、いけない事とは思いながらも他の男性と長期的にお付き合いを重ね、心のバランスを保ってきました。 この様な事をしているので天罰が当たったのかもしれません。 彼とは割り切った付き合いであるものの、付き合いも長いのでお互い情が入っています。 いつかは病や生活の変化で別れる時が来るだろうとも思っていましたが、お互い心の拠り所になっていたのは確かです。 病の心配と彼との今後について混同してしまいましたが、どうやって今後の人生に向き合ったら良いのか教えてください。
いつも丁寧なご回答ありがとうございます。 私はいつからかずっと死にたいという気持ちを抱えて生きています。 些細なことで気持ちが沈み、何度も自殺を考え、自傷行為をやめることができません。 そんな私を心配して家族はとても尽くしてくれます。しかしどうしても死にたいという気持ちは全く消えません。こんなに良くしてくれる家族がいるのにどうして死にたいのかと情けなくなり、自分を殺してしまいたくなるほど嫌になります。 そんなとき、死にたいという気持ちと普通の気持ちは全く別の存在で気持ちが満たされても死にたいという気持ちは消えないのだ、と言ってる人がいました。 それを聞いて私はとても腑に落ちたと同時にこの死にたい気持ちは一生消えないのかと落胆しました。 このような負の感情を抱えたまま生きるにはどのような心構えで生きていけば良いのでしょうか? それとも、この死にたい気持ちが消えることはあるのでしょうか?
現在妊娠4ヶ月の妊婦です。先月脳梗塞で実家の父が倒れそのまま亡くなってしまいました。血圧が高い事は気にしておりましたが、持病もなく元気だった父の突然の死に家族も周りの人達も衝撃と悲しみに暮れています。 転勤族の夫との結婚を機に地元を遠く離れ暮らしており、安定期前の悪阻がある状況下で長時間の移動は無理だと判断し最愛の父の死に目にも立ち会えなかった事が残念ですが、優しくて子煩悩だった父なら来ないように言うだろうとその判断に納得しています。 家族の中でも一番大好きで仲が良かった父を想うと、死から一ヶ月が経とうという今でも毎日涙が溢れます。母も悲しんでいて実家で一人きりになってしまう事が心配です。他の兄妹三人は仕事があるので専業主婦の私が夫に了承してもらいなるべく実家に滞在して母を支えようとしています。 そんな母は悪い人ではないのですが、感情が昂ぶると平気で相手を傷付ける発言をする事が以前からたまにあり家族と喧嘩になる事がありました。 昨夜次兄が実家に立ち寄った際に母が私が何もしないと告げ口をしました。そもそも私の身体の心配をして力仕事や無理はしないようにと気遣ってくれたのは母なのに棚に上げ、他にも感情の赴くままに動かないから太ったなど散々なじられました。確かに大した事はしているつもりはないのですが、葬儀後の事務作業や食器洗い洗濯畳みなど出来る事はしていたつもりなのでショックでした。つい腹が立って家事を手伝っても何もしていないという事になるのならもう何もしない。心配してそばにいてあげてるのにと言ってしまいました。母はそれ見た事かとその後も私を悪者にして次兄に何か言っていました。涙がこみ上げてきてその場を離れ、なるべく顔を合わせないように過ごしています。 こういった事は今までに何度もあったのですが、妊娠中なのと最愛の父の突然の死で精神的に不安定なのも重なり丸一日経っても涙が止まりません。母の事は心配ですが、支えたくても時々本人に深く傷付けられるのでどのような距離感を保てば良いのか悩んでいます。父が生きていれば私の味方になってくれ、母を窘めてくれていたのにと想像してはまた涙が溢れます。 こんな事ではお腹の赤ちゃんや亡き父に心配されてしまうと情けなくもなります。母を支えたい気持ちと精神的な安寧のために離れたい気持ちがせめぎ合っています。どうするのが良いでしょうか。
初めまして。私は、10年前夫が病気で死にかけてから、死への恐怖が強く悩んでます。自分の死もそうですが、家族の死のことが怖くて仕方がありません。朝、皆を送り出してから、夜帰ってくるまで、家族の生死のことばかり考えて、苦しくなるのです。特に次男が心配で、もう高校生なのに、ちょっとでも帰りが遅いと迎えに出てしまいます。長男と夫にも似たような気持ちを持っています。自分の死も不安で、病気に神経質で、いつも体の心配をしています。どうしたら、この苦しみから逃れることができ、平穏な気持ちになれるのでしょうか?
最近、亡くなった人とお話してみませんか?、、、や、命日占いなど、、 そういう本に目がいくようになりました。実際買いました。 主人が亡くなり、やはり毎日考える事はあの世の世界の事。 亡くなったら、まず人はどうなるのか、どなたが導いてくださるのか、亡くなった人に会えるのか、などなど、さまざまな疑問が頭によぎるんです、 主人も阿弥陀様に会えたりしてるのか…とか、きれいな川見れたかなとか… 話ができない分、月日が経つにつれ、たまらなく主人と話したい、主人に聞きたいことがありすぎて心配になる事があります。 死を受け入れていかなければならないですが、何かしらの気を落ち着かせれる事があれば、、と、何か本を買っていきたいと思っています。 オススメの本を教えて下さい
約一年前に、主人の母がうつ病で自ら命を絶ってしまいました。 その頃、私自身は妊娠8ヶ月でした。 義理の母は、もともとは社交的で明るく前向きな性格でした。 亡くなる3ヶ月程前から『肩や腰が痛いから外出も出来なくて』と聞いていたので、なかなか実家に遊びに行けない状態でした。 義理の母の性格上、とても世間体を気にする人だったので、うつ病だったと聞いたのは亡くなる2ヶ月前でした。 私自身の父親がうつ病の経験があり、自殺の心配があるというところまでいきながらも、なんとか復活したので、すぐに病院などを紹介すると義理の父に伝えたのですが、『あんまり騒ぐと余計本人が気にするから。通院もしてるし大丈夫』との返答で、定期的に連絡は入れていましたが、それ以上はふれられませんでした。 亡くなる二週間前に『こっちに遊びにくる?』と以前の明るい声で電話があり、会いにいくと、以前のように子供を可愛がってくれ、産まれてくる子を楽しみにしてくれていました。 しかし、二週間後に自宅で夜中に服毒自殺をしてしまいました。後に聞いたところ、義理父に『死にたい』と漏らしていたそうです。 主人の家族はとても仲が良く、義理母を中心に笑いの耐えないごくごく普通の家族でした。 以前に義理母が大病をした際も、義理父と義理兄、兄嫁、主人、私と連携し、支えて乗り越えました。そのぐらい仲の良い家族でした。 義理母の死から一年が経ち、残った家族で支え合いながら、前向きに日々を過ごしているのですが、どうしても拭い去れない気持ちがあります。 一つは、なぜ仲の良い大切な家族がいたのに、残して独りでいってしまったのか。あれだけ孫が産まれることを楽しみにしてくれていたのに、それを待たずいってしまったのかと怒りの気持ちです。思ってはいけないのかもしれませんが、どうしても許せなくなってしまいます。 もう一つは、もう少し何かすべきだったんじゃないか、断られてももっと踏み込んで行ってたら何か違っていたんじゃないかという大きな後悔です。 自分自身の父親の経験があったのに、なぜもっと対応ができなかったのかと、悲しむ主人をみる度に後悔をしています。 どう、気持ちを処理していけばいいのでしょうか?
私は死ぬのが怖くてたまらないのです。病気にも神経質で、ちょっと具合が悪いところがあると、がんとか恐ろしい病気ではないかと、すぐ病院に行ってしまいます。始終死のことを心配していて不安になり、こんなに苦しいなら死んだほうがまし、と矛盾した考えに陥ってしまいます。死んだほうがまし、と考えるのなら、死ぬことは本当は怖くないのかなと、自分の気持ちがわからなくなります。精神的な病気を持っているので、そのせいかもしれませんが、こんな私に、心が平穏になるような、アドバイスを頂けたらと思います。どうしたら、死が怖くなくなるでしょうか?主人は死があまり怖くないといいます。50歳にもなると、死の恐怖は落ち着くと聞きます。それともみんな死が怖いのでしょうか?どうぞよろしくお願いいたします。
私は元々心配性な性格です。特に敏感なのが病気に対してです。自分や自分の子ども、旦那が病気になってしまったらどうしよう。この先病気になってしまうのではないかと、不安になります。病気というのは風邪とかではなく、癌なのど大病です。少しでも体に異変があると大変な病気かもしれない!と不安になってしまいます。病気のことを延々とスマホで調べてしまいます。こんな性格どうしたらいいでしょうか。病気に対して神経質になってしまいます。私は死ぬのが怖いです。また、大切な家族が病気になってもしかしたらいなくなってしまうことも怖いです。
はじめまして。私は23歳実家暮らし社会人の女です。 親は高齢出産のため両親ともに60歳です。私は小さい頃から家族が大好きで、そして家族、大切な人の死が常に怖く、最近特にその事を考えてしまって一人で泣いています。 母にもその不安を話したのですが、母はいずれは人は死ぬ来る運命に従うんだよと私よりも何倍も強い気持ちです。しかし、私はやっぱり耐えられません。ずっとずっと仕事中も両親のことを考えてトイレで泣いてしまいます。大学生の頃、一人暮らしをしていたのですが、両親のことを考え、少しでも恩を返そうと実家に戻りました。感謝はできるだけ伝えたいのですが、やっぱり死を考えるだけで辛いです。 また、遠距離恋愛をしています。片道4時間程の距離ですが、いずれ自立して彼の元へ行こうと思ってます。しかし、両親のことが心配でならないのです。両親は子供が幸せならいい、自由に生きてほしい方針なのですが、私が心配でならないのです。本当に不安です。彼の元へ行きたい気持ちも両親のことが心配な気持ちふたつあって辛いです。精神的に自立して前向きに生きたいです。 心療内科も予約済みなのですが、それまで時間があります。この常に抱えてる親の死の不安、精神的自立の仕方どうかご享受願いたいです。 日々不安で辛いです。助けてください。
働いているお店の店長が変わり、その方は現場での仕事をあまり知らず私たちがフォローする事になります。元々環境の変化に弱い私は、疲れもあってか朝仕事に行きたくないと思うようになってしまいました。 辞めたいと思っているのですが、大きな出費があり貯金はほぼなし。収入がなくても税金は払わないといけないということが母親は心配みたいです。母親の心配しているような呆れているような目を見る度に、自分の出来損ないさを痛感して消えたくなります… ですが、自死は家族に迷惑、悲しみを与えるため出来ません…職場でも家でも休まる、癒される場所がなくてもう辛いです…