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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん 人生 」
検索結果: 2731件

仏教と出会うことができて

ハスノハのお坊さんこんばんは!私は去年このサイトと出会って空いている時間があればスマートフォンを開き、様々な質問を眺めているうちに仏教の教えに感銘を受けました。仏教は学ぶことが生きがいになることを知ってから岩波書庫の真理のことば 感興のことばやブッタのことば スッパーニタなどを購入して読み漁っていました。お釈迦様の教えの一つ一つから自分のこれからの人生について考えさせられ、今を生きている命の喜びを実感しました。 私は、大学に入学してから教職の道へ進み将来は教員を目指していましたが途中で人間関係や金銭トラブルで自分を追い込んでしまい、4年の春に自殺未遂を起こしました。精神的にも不安定な状態が続いていましたが、何とか無事に卒業して免許を取得しました。しかし、自殺未遂をした自分の心の傷が癒えることはなく就職活動を全くしていなかったため無内定のまま卒業しましたが、しばらくしてから恩師の方との御縁があって実家に戻り地元で契約社員として就職することができました。 両親には地元の市役所や団体職員などを勧められて試験を受けるも自堕落な生活が続き一次試験落ち。毎日寝る前にはあの自殺未遂をする以前に戻って大学生活をやり直したい。教職の道には進まずに首都圏で就職すればよかったと現実逃避して苦悶しながら同級生から遅れを取っている今の自分を変えたいと葛藤しているうちにこのハスノハと巡り合い、仏教と出会うことができました。とても有り難い御縁です。何を人生の目標にしたらいいのか分からず、そのために何を学べばいいのか分からず何となく過ごしていた私に一歩を踏み出す勇気をいただきました。 お坊さん、私は上京して冠婚葬祭の仕事に就きたいと考えています。かつては将来に希望が持てませんでしたが、今は仏教の教えのおかげで強く前向きに物事を考えられるようになりました。この先の人生で辛いことや苦しいことがあっても自分のありのままをさらけ出して生きていこうと思います。 どうか、挫折から立ち上がって道を切り開こうとしている私に何かアドバイスをいただけないでしょうか。お願いします。

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2024/08/05

彼の実家との付き合い方がわからない

今結婚を考えている、というか前提の彼がいます。お寺を継ぐのですが、彼の実家との関係がよくありません。 よくない、というか馬が合わないんです。 会っていきなり仲良くなれるタイプでもないし、自分が少し変わっている自覚もあります。すぐに良い関係を気づける人の方が少ないとも思いますが、自分の育った環境とは全く違う家族観で、これから先うまくやっていける自信が微塵もありません。 じゃあ別れろ、やめたほうがいいと言われます。わたしもそう思うことがありますが、わたし自身実家を離れ、彼の実家とお寺のある土地に引っ越してきたばかりで、そこで就職もしました。 この保身的な理由だけで別れられないというのも変な話ですが、彼のことを諦めきれないのが大きいです。 将来お寺のことをやる(ぼうもりさん??)のも全然苦ではないです。まだ何もやったことがないし、わからないけど、頑張れると思います。 でも、彼と彼の親に挟まれて、自分を諦めなければならないのがすごく苦しいです。 伝わりづらくてすみません、、、 彼の父は彼が小さい時になくなりました。 そのこともあってか、なんだか彼の母が彼を独占している、というか、子離れできていないというか、、 今は彼の母がお寺を守っていて、彼も見習いではありますがお坊さんとして仕事もしています。仕事のことで、深い関係があるというのももちろんわかります。 ですが、なんとなく、独占的?な感じがします、、独占的というか、わたしが敵対しされているような、、、ネガティブに考えすぎなのかもしれません。 これから、結婚したら、わたしがわたしを我慢し続けられる自信がありません。 別居婚、というのを考えました。 多分お寺の家業的には無理、というか違う気がします。反対もされるでしょう。 実際に別居婚で家業をやるとなると、お坊さん的にはどうでしょうか? 無理と言われる気がしますが、、、 (彼の母はまだ元気で、結婚してもわたし自身は働きながらお寺を手伝う形で、良いよ、と彼の母に言われています)

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自殺はなぜダメなんですか?

私はとある私立大学の学生で、現在はオンラインと対面の両方で講義を受けています。 対面の時は、学校に行くのですが、その大学内でキモい、目が死んでる、まじで、学校来んなと言われています。 さらに、アルバイト先でも、必死で笑顔を作って接客しても目が怖いといわれ、さらに声も気持ち悪いから、早くやめてくれとも言われます。 勿論この事は、誰にも相談できませんし、この顔なり、と声から、彼女も出来たことがありません。 高校生から、今に至るまで、全く色のない生活を送ってきてもう、自殺しようかと考えている所です。 そんなかんじですが、なんとか思い踏みとどまろうと、とある心の重荷をとる本を読んで頑張ってますが、その本の内容の中に、人は何千回、何万回と生まれ変わっていて、世の中の犯罪は、皆が経験、或いはこれから、訪れるものであるため、世の中に悪い事など、存在しないものだと書かれていたんです。 それなら、自殺もむしろ悪い事ではないのではないか?それで救われるのではないか?と思うのですが、この事について、お坊さんはどうお考えをお持ちなのか教えていただけませんか?よろしくお願いします。 このままだと、自分が、いけない事に、手を染めてしまいそうです。

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気味の悪い疑問

突然変な質問をしてしまい申し訳ありませんが、 よろしくお願いします。 ぼーっとしていたら僕の心が僕の心に変な質問をしてきました (ぼーっとしていたら変な疑問が沸いてきました) その内容を 聞いていただきたいです。 命が尽きたとして、 もう一度生きた時間、生前にした行い、生前に起こった出来事、生前に感じた気持ち…すべて生前と同じことが体験できる、要は全く同じ人生を生きることができる.ただし、それを行うには生前の記憶は消される、 そんな体験をしてみないかと尋ねられたら、 あなたは「はい」と答えますか? というものです。 それで「はい」と答え、ほかの自分がやった人生をまた別の自分が自分として自分としての人生を自分らしく生きていくとしたら、なんなんでしょうか? 自分が自分で自分が自分で無いみたいです。 不気味な質問をしてしまってすみません。 自分とは何でしょう。 答えは僕で考えるべきことだと思うのですが、なんだか不思議な気持ちになったため質問しました。 異次元だとか、パラレルワールドに関する本を読んでいたためか、 はたまた疲れか 変な疑問が沸いてきて、なんとなく気になりました。 この問いに対して、 お坊さんたちはどのように思われますか?

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気持ち

お世話になります。私は今休職中です。復帰は決まっていませんが春までにはと考えています。辞めるか辞めないかはお坊さんに頂いたお言葉などを参考に真剣に考え中でしてそれでも一度はきちんと戻りきちんとしようと思っています。頻回に体調不良を繰り返し、勤務中も産業医から時間外勤務は禁止命令がありスタッフ内で順番に回る発表もしていなかったり定時にあがったりしていました。そういった私の全てを嫌われる様になり誰ともお話しする機会もなく、きつい態度や言葉で傷つく事を繰り返していました。本当に1人でいて1人で戦う空気感でしんどかったです。しんどいしんどいと思ったり耐えれない心になるのは自分自身の甘さだと思っています。皆から嫌われる原因が、休む事が多かった事や、産業医からの指示やそのスタッフ間で順番で回る発表などをやらないからだと実感していますが、私は一度もやりませんでした。確かに周りからするとやらない私は楽で羨ましいかもしれないけれど、私からすると普通にできる皆が羨ましいから。私も意固地な所があったかもしれませんが、周りに嫌われていても自分というものを揺らされるのも何か違う気がして、それに周りが少しでも柔らかく接してくれるわけでもないのだからと、自分の体と心は自分で守ろうと思い、当番発表や時間外勤務などの産業医命令は周りに揺れることなく守りました。 嫌われていることや、上から目をつけられていることも承知していますし、辛いけれどそれを変えたからと周りが優しくなるわけでもない。私は仕事をちゃんと覚えて、仕事をする。を徹底してきました。 けれど、最近は上から服装、化粧まで評点に減点され、私はとても地味にしているので嫌がらせにしか思えませんでした。 気に入らなくなると色々なことをして、辞めさそうとするのだなと思いました。 私のような人もいると思いますが、それでも頑張ってる人が、すごいです。 私は私の道をきちんと選ぼうと思います。

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2022/07/29

これからの生き方

元々持病があり身体も強い方ではなかったですが、ここへ来てガクッと体力が落ちてしまいました。 お医者様からは二十代の時に、何十年もは生きれないと言われていましたし、自分でもそれで良いと思っていました。 早く亡くなった子供達に会いたいと思っていましたし、幸せな事も辛い事も全部経験できて良かったと思います。 いつだったか、お坊さんに、 人は老い、病み、そして死ぬ。と教わりました。 生きる幸せ。生きる喜び。生きる苦しみ。 私は経験して来れたかな?と最近考えます。 子供を亡くしてすぐは、早く子供の所へ行きたい。死にたい。どこまで生きたら死んでいい?と思っていました。 でもいざ自分が少しでも弱ると、まだ生きたいなぁ、と思いました。 我儘で短絡的で自己中心的だと自分でも思います。 生きることは愛だと教わりました。 私もそう信じていますし、生きていてやっぱり生きることは愛だと感じます。 私は子供たちや、家族や友人を愛して来れたかな、、自分本位な生き方をしてなかったかな。 今までしてきた事で、とても褒められた事ではない事もあったし、人の役に立てた事もあったけど、全部受け止めて生きれるかな。と思います。 自分だけの正義で他人を裁こうとしたり、自分の価値観を押し付けようとした事もあったよな〜っと振り返っています。 死を真剣に考える前は、自己中心的に自分本位に生きてきた自分が恥ずかしいです。 投げやりにならず、これからどう生きれるか、ヒントを頂けたら嬉しいです。 よろしくお願い致します。

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毒もみのすきな署長さん

という、宮沢賢治の童話があります。 署長さんが赴任した町には、禁じられた漁法があります。その一つが毒もみで、自然由来の材料で作った有毒な薬を川に浸すなどして、浮いてきた魚を獲る方法です。署長さんは町の人たちを取り締まり、いかにも職務を全うしているかのように装いますが、ある日、こっそり毒の材料を取引しているところを町の子供に見られてしまいます。町の大人たちは真偽を確かめようと、署長さんに詰め寄ります。署長さんは憤慨し、名誉にかけて犯人を捕まえると約束。しかし、皆が当てはあるのかと問うと、ちゃんと証拠はあると言い、町長さんの前にずいと顔を突き出して、こう告げます。 「実は、毒もみは私ですがね」 かくして、署長さんはお縄頂戴となり、死刑が確定。そして、いよいよ死刑執行のその時、彼は笑ってこう言いました。 「ああ、面白かった!俺、毒もみだーい好き!今度は地獄でやろっかな」 皆はすっかり感服しましたとさ。おしまい。 という話なんですが、人は誰しも「分かっちゃいるけど、やめられねえ~アホレ~スイスイスイ~♪」ってことが、よくありますよね。その理由は自己を客観的に見れない切なさに起因していると思いますが、例え、見れても根源的な欲求が満たされない限りは苦しむ。 その根源的な欲求とは「生きる意味」ではないか。そこがそもそも欠落しているから変なことをし、そして、これをどう捉えるかで人生が変わる。後付けでその理由を作った人、にっちもさっちもいかずに道元禅師を尋ねた人、何かに夢中になることで考える暇をなくした人。色々、居ます。どれを選ぼうが本人の自由で、また、それ故に人を愛し、人を傷つけ、妬み憎んで七転八倒。それを糧にして物を作ったり、歌ったり、ままならぬ人生の詩を詠んで何とか生き抜き、それが今度は他者を慰める糧となる。 大事なのは、覚悟を持って挑めるかどうか。誰が何と言おうが、坊さんに叱られようが「ああ、面白かった!次は地獄で!」と腹くくって言えるなら、それでいいじゃないの。 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言いますが、我々は圧倒的に愚者。経験に学ぶしかない。大事なことはスムーズには進まないし、簡単には伝わらない。だから、お坊さん怒らないで。皆、助言には感謝しているけれども、対等な姿勢を示さないと逆効果だと私は思うのです。 ※言葉足らずだったら後で補足します。

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父親との今後について

お坊さんこんにちは! 私は今後、父親に対してどのように接していくべきか悩んでいます。 私は一人娘です。数年前に親元を離れ、都心で暮らしています。 親の離婚原因もあり、女でも一人で生きていけるようにという思いが人一倍強く、結婚しても、働き続けたいと思っています。 そこで、引っかかっているのが父親です。 精神的に弱く、離婚してから体調を崩しがちでしたが、また入院することになりました。おそらくストレスが原因です。 離婚後、父親が一人暮らしを始めてから月に一回は顔を出すようにしていましたし、毎日連絡もとっていました。その間、私は母親と暮らしていました。(当初母親も精神的に参っており、私は母親と一緒に暮らすことを選択しました。今は吹っ切れて心配ないくらい元気ですが。) その時からずっとですが、父親が一人で暮らしていることを想像すると、なんとも言えない気持ちになり、胸が痛くなります。 地元を離れてからも毎日連絡は取っていましたが、2日に1回、1週間に1回と、連絡がこない日が増え、連絡が来たと思えば悲観的な内容ばかりで、こちらもしんどいなぁと思うことが多くなるようになりました。 今回の入院の際に、叔母が父親の家に荷物を取りに行った際にわかったことなのですが、私が小さいときに愛用していたぬいぐるみを飾っていたり、私の小さい時の写真を壁に貼っていたそうです。そして、付箋のメモに「おひめさまに会いたい」と書いたものが置いてあったそうです。おそらく私のことだと思います。 これを聞いて、複雑な感情になっています。現在はコロナのこともあるので、地元に帰ることはできませんが、色々寂しい思いをさせていたんだなと気づきました。 私は人の気持ちを自分のことのように感じてしまい、今この状況がとてもしんどく、どうしたらいいかわかりません。 しかし、私には私の生活や、やりたいことがあります。自分の幸せを掴むことが、父親の幸せだと思い、後ろ髪をひかれる思いで、地元を離れました。すべて父親に寄り添うことはできないと思っています。離婚してしまったこと、このようになってしまったのも、残酷ですが、父親の責任だと思っています。(それは母親に対しても同じです。) 私は父親にどうしてあげるべきなのでしょうか?また父親は何を望んでいるのでしょうか?胸が苦しい毎日です。 お坊さん、、宜しくお願いします。

有り難し有り難し 7
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どうしてお坊さまになったのですか?

相談ではなく、単純な質問ですみません。 しかしとても気になります。 私は現在職を探して3ヶ月になろうとしている20代です。 履歴書や面接の準備のときに必ず用意するものの中で、「志望動機」というものがありますが、 私はこの「志望動機」が苦手で、つまずいて応募も躊躇してしまうこともあります。 その為、この3ヶ月は道行く働いてる人へ 「ねえ、あなたはどうしてその会社に入ったの。なんて理由で応募したの。」 心の中でめちゃめちゃ問いかける毎日です。 半分くらいは知識欲なのですが… そんな時、「お坊さん」という、あまり私の身近にはいない方々に質問相談ができるというこちらのサイトを見つけました。 しかも真摯に、丁寧に、おそらく正直に回答してくださっているご様子。 私、今、喜んで質問させていただきます。 「なぜ、『お坊さん』という道を選んだのですか?」 欲張りで申し訳ありませんが、もし差し支えなければ、 「お坊さんになる前はどんな事をしていましたか?」 という疑問にも答えていただけると嬉しいです。 まとまりのない文章で、他の誰かの為にもならなさそうな質問で大変申し訳ありませんが、どうかこの個人的な疑問にお答えください。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 229
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死にたい

前回質問した時 生きがいは後から見つけるものと教えてもらったのですが結局見つかりませんでした まだ若いからそんなに早く見つかるわけないと思うかもしれませんが、今生きている理由が欲しいです というのも自分は周りにお道化て接していて 知らないうちに本当の自分ではない 所謂もう1人の自分のようなものが生まれました 前までは特に気にならなかったのですが 高校に入り、彼女ができ、 一年過ごし、今、彼女と別れそうになっていて お互い精神が不安定で、相手はいいですが 僕はもう生きている理由が見つからず どんな趣味より死んだ方がずっと楽だと思います 死ぬことが芸術のように美しいとおもいます 人の血を見ると性的に興奮するほどです 自分の人格が壊れていく事が怖いです 周りの目が怖いです 完全なる第三者以外信用できないです 親にも本当の自分をみせられないです 自分でも本当の自分がどっちなのかわからなくなってきました。 もはや生きていないといけないとか、生きてさえいればどうにかなるとか、全然響きません。 でも心の何処かにまだ生きていたいと思うのかもしれません。こうやって質問する事で少しでも生きてみようとしてるのかもしれません。 もう生きるのに疲れました。 このまま苦しい人生を送るなら 死んだ方がましです 最近は自傷をしそうになり、 結局やめました しかし、自傷したい衝動が抑えられません。 ただ死にたいという感情だけが頭の中にあります。 寝ても覚めても死ぬことを考えています。 頑張れとか期待されると苦しくなります。 優しくされると死にたくなくなります でも優しくしてくれるのは かりそめの自分に対してで本当の自分ではありません。 そうしてかりそめの自分に触れた時死にたいとおもいます。そうすれば僕に関係した人の中にはかりそめの自分だけが残り、本当の自分になるからです そうして本当の自分を消してしまいたくなります。 無意識に嘘をついてしまって 直せません。 何度も直そうとしても そのたびに嘘を重ね、自分の首を締めています。 生きている事がそんなに偉い事なのでしょうか 死ぬのは本当に悲しいことなのでしょうか じぶんには死ぬことは名誉だと思えてなりません この悩みについてお坊さんの意見が聞きたいです。 めんどくさい人間ですいません。 こんな質問困りますよね…

有り難し有り難し 96
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一体自分は何をしてるんだ、、、

今生きている人生は自分のものでないと日頃ずっと考えています。上手く言葉に表せませんが、僕の理想の日々とは本当に真逆の人生を今歩んでいます。 どうしてなのでしょうか?こんなはずじゃなかったのに! 自分の学びたい学部に入って一生懸命勉強して、友達もたくさんできて、毎日充実した生活を送っているはずだったのに、今は特に興味のない学部を偏差値の低い大学で勉強して、友達もいない、周りの大学生活を楽しんでいる人たちに嫉妬し、その人たちにまで置いていかれそうになり、自己嫌悪に毎日浸り続けた生活を送り続けて3年が経ちました。 もう限界です。僕の人生取り返したいです! 分かっています。このような状態にしたのは自分が今まで行ってきた行動の賜物なんですよね。自分でもここを直さなければいけないという部分にある程度気づいていますが、変え方がわからないんです。変えるため、行きたい大学に行くため、なりたい自分の姿になるためには、お金が必要だと思い、宝くじに頼りました。バイトなどでは当然工面出来ないからです。だから何度も購入し、神社でお願いもしましたが、当たりませんでした。もう何を頼りに頑張っていけばいいかわかりません。 僕の理想の日々をもうすでに歩んでいる学生たちが世の中にはたくさんいるのに、僕は一体何をしてるんだろう。。成長したい、頭よくなりたい、充実した生活を送りたい。そんな日々を手に入れるために、僕はどうしたらいいのでしょうか? 助けてください。

有り難し有り難し 53
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