「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。
タイトルの通り、自分がいつか死ぬことを考えると恐ろしくて、パニック状態になってしまいます。朝起きた瞬間から寝るときまで、常に「死」の恐ろしさ、得体の知れなさが頭から離れず、最近は趣味も楽しいと思えません。 いつか死ぬからこそ今を一生懸命生きることが大切だとか、いまのわたしにはきれいごとにしか思えないのです。 べつに、近しい人の死がトラウマになってるとか、そういう事実もありません。ただ、死が途方もなく恐ろしいことに思えて仕方ないのです。 これほどまでに重度の死の恐怖を克服すること、あるいは克服せずとも上手く折り合いをつけて生きていくことは可能なのですか? また、仏教に帰依することは、死の恐怖を克服する手助けになりますか? お忙しいところ恐縮ですが、ほんとうに、どなたか助けてください。このままでは発狂しそうです。
不安で仕方がありません。 災害、事故、事件、世界情勢、常に全てに怯えていますが住んでいる地域の特性から最近は火山災害が特に恐ろしいです。 今住んでいる場所から逃げ出したい気持ちでいっぱいですが、現実的に難しい状況です。家族もいるし、お金もないためです。 不安を見て見ぬ振りしようにもふとした瞬間に恐ろしい情景が頭をよぎり恐怖でいっぱいになります。無駄に想像力があるので手に負えません。 災害への備えは少しずつ始めているのですが、備えにだって限界はあるし間に合わないかもしれないし、そもそも即死の可能性だってあります。 そして私が怯えたところで減るわけでも増えるわけでもないのが災害。その日は明日かもしれないし、一生来ないかもしれない。遭遇しても案外平気かもしれない。そもそも突然の事故で今死ぬかもしれない。 未来に対して不安になることそのものが無駄なのだと理解をしつつも、浮かぶ全てが恐ろしくとても苦しいです。 常に次の瞬間滅びるかもしれないという気持ちで、怯えながら毎日を過ごしているのでとても充実しているとは言えません。することもしたいことも見つけられず、恐怖と不安で無気力になってしまいます。 私は一体どうすればいいのでしょうか。
初めて投稿させていただきます。 去る8月22日におじいちゃんが亡くなりました。 親しい人の死は初めてですごく辛いです。 家でもいつも母は泣いていたので、泣くのはやめなよと全てをわかっているかのように言っていたのですが、いざ式を迎えると自分もすごく泣いてしまいました。おじいちゃんを失った悲しみとこれから母やおばあちゃんのことを思うと、胸が張り裂けそうになります。 おじいちゃんの家に戻っても、もういないことに違和感をとても感じます。 話せるときに自分に起こった出来事や何ともない会話をもっとしておけば良かったと激しく後悔しています。 実直で子供思い、孫思いの本当に素晴らしいおじいちゃんでした。 常に家族みんなが喜ぶように、色んなことをしてくれました。 だからこそ、これからを明るく楽しく過ごして、母やおばあちゃんを励まさないといけないとは思っているのですが、言葉では言えても、実を言うとなかなか自分自身の気持ちが前を向きません。なかなか食事が喉を通りません。大きな穴が心に空いてしまいました。またおばあちゃんや母もいつかは亡くなると思います。家族一人また一人といなくなるその時が怖いです。こんなに辛いことはありません。 僕はこれからどんな行動を取れば、おばあちゃん、母を支えていけるのでしょか? また棺に子供や孫で書いた手紙を入れたのですが、おじいちゃんは読んでくれているのでしょうか? もちろん、読んでくれると思って書いたのですが、気持ちが届くのか心配です。 おじいちゃんは骨になっても僕たちの回りにいるのでしょうか?常に見守ってもらえてるのでしょうか? 本当にこの家族が大好きです。この家の孫に生まれて幸せです。自慢のおじいちゃんです。 最後におじいちゃんはどうしたら、笑顔でずっといてくれるのでしょうか? たくさんの質問を申し訳ございません。どなたかお答えをいただけると幸いです。
中学生くらいから、時が進んでいくことが恐怖で生きるのが辛いと感じていました。 具体的には、少しづつ老いていく祖父母や両親、クラスや学校段階が変わるにつれて自然に疎遠になる人間関係などが辛いです。 大学生になりその恐怖はより増しています。両親や祖父母は、小学生の頃の記憶と比較して、歳をとったなと感じることも増えてきました。 将来的に、自分の子供や孫ができたり新たな出会いが生まれたりということも勿論分かっています。 しかし、自分は後輩よりも先輩が好きなタイプで、多分自分の子供よりも母や父、祖父母のことを想ってしまうと考えています。 1日1日を重ねることが怖いですし、未来が全く楽しみじゃありません。 とはいえ死ぬ勇気はなく、日々辛さが増すばかりです。 このような辛さにどう対処したら良いのでしょうか。
祖父が亡くなって約1年経ちました。 世界一大好きな祖父です。慈悲の心を持った、まさに仏様のような祖父でした。無償の愛でいつもわたしを可愛がってくれました。 なるべく側にいたのですが、たった1時間ほど席を外した時にちょうど息を引き取りました。代わりにわたしの兄弟、父が看取りました。 看取れなかった、自分のタイミングの悪さに大変後悔しました。でも、心のどこかで看取るのが怖いという思いも少しありました。 大切な人が亡くなるという体験は初めてでした。 夢に出てくるかな?なにかわたしに言いたいことあるかな?といつも考えてますが、不思議な体験もなにもありません。 母方の祖父なので、お仏壇は母の兄に引き継がれました。 色々な事情があってお仏壇には行けないのですが、心の中の思いや拝みは届いているのでしょうか。(遠くに住んでいるのでお墓参りも年に1度くらいしかいけないです…) 祖父は浄土真宗、わたしは浄土宗です。 私が結婚したらまた宗派も変わってしまうかもしれません。それでもいつか自分が死んだ時に会いたいです。宗派が違っても、いつか会えるのでしょうか。毎日思い出します。あっちの世界でも、どうかしあわせでいてほしいです。 祖父の死から色々なことを学びました。いつも見守ってくれていると信じて生きたいです。
懇意にしている友人が自死を望んでいます。 高齢になり迷惑をかける側になる事が嫌なのと、ずっと生きるのが面倒と感じつつも周囲が悲しむ事への配慮としてこれまでずっと我慢していた分、自分の決めた時に自分の意思で決めたいと思っているようです。 命の尊厳は誰にも脅かされてはならないと思います。 一方でどうしても死んでほしくないというエゴをぶつけずにはいられませんし、命を自分自身だけのモノと考えている事に怒りを覚えています。生きる事の尊さや喜びをどんなに話したところで、本当の意味で理解されない虚しさも感じます。 その人の命の使い方に口出しする烏滸がましさも自覚していますが、それでも大切な友人と二度と思い出が作れなくなる事がどうしても受け入れられません。 私にとっては凄く大事な事なのに、相手にとっては取るに及ばない事である事実も悲しいです。 きっとその人が決行してもずっと悲しいですし、だからと言って縁を切ってしまい完全な他人となるのも嫌なのです。 死ぬまで、「うるさい、黙って生きとけ」と言い続け、何とか生きる喜びを見つけて欲しいと祈り続けるのが、自分が最も後悔しない在り方なのだと思っています。 正直、今すぐにでも心が折れて逃げ出しそうになります。でも、もっと後悔するのが怖くてしがみついています。 どのような心持ちで生きていくことが、自分の道なのか分からず、迷子になっています。 質問とは言えないかも知れませんが、どうかよろしくおねがいします。
自分は今21歳で、死への恐怖がとても強く、震えて立ち上がることも難しくなるくらいに怯えてしまうことが度々あります。 自分の周りの人は自分がいつか死ぬなど欠片も思っていない様子で楽しく過ごしています。 親もそんなこと考えていたら人生楽しめないよ、と言って宥めてくれます。 しかし、今生きている自分の行く末が死であるという絶対的な事実がある限り心から人生を楽しめる気がしません。 今この瞬間の人生を心から楽しみたいのにそれができないのがとても苦しいです。 歳を重ねると死への恐怖は少なくなっていくものなのでしょうか。
こんにちは。 前回も質問させていただきました。 いつもお仕事の合間に見ていただきありがとうございます。 子育てが上手くいかず 自分の過去を振り返っている毎日です。 とにかくシンドいです。 思い返せば思い返すほど 仕方がなかったとはいえ 離婚ダメージも含め精神疾患になったことで、8年間くらいは情緒不安定で 当時小さな子どもたちの精神に負担をかけてしまっていました。 一人で二人の子供を育てるって その当時はまだ私も若く、頑張れば出来るし!って思ってましたけど、結局自分のエゴでした。全然うまくできなかった。 子供たちは今は一人は高校中退引きこもり、もうひとりも何事にも冷めている小5。 唯一の趣味のお酒も 酔ったときの希死念慮や子供に対する暴言が怖くてやめました。 人生が順調な周りの人への嫉妬が酷く、黒い気持ちで、頭が胸がぐるぐる渦巻いています。 このままでは精神疾患が再発してしまうと思い、頑張るつもりで正社員になったのに、仕事の負担を減らしてもらう話をしました。 結婚も、家庭も、子育ても、仕事も、 全部失敗しました。 私には無理だったのになんで結婚しちゃったんだろう。 もう私の命なんて短くて構わない。病気や事故で生きたいのに死にそうになっている人に私の命を分けてあげて、私は消えてしまいたい。 でも私が消えたら両親や子どもたちや友達は自分を責めるだろうし、そんなことになるならと思うとなかなか死ぬ覚悟は出来ないので 私は、やっぱり毎日生地獄で苦しむだけです。 これが、罰なのでしょうか。人生辛いです。 自分が、自分が、ばかりで 子供のことをなんとかしてあげることばがあまり出てこないので 母性がないんじゃないかと それもとても悲しくて辛いです。
以前よりお世話になっております。 私は常に死が怖く、近頃は恐怖感と絶望感が以前より一層強いです。恐怖に襲われると自分を殴ったり、突発的に大声をだすなど、パニックになります。 そこで、どうにか恐怖を減らしたいと思い、仏教を中心に勉強しているのですが、勉強中は強く死を意識してしまって恐怖でおかしくなります。 私は死=自分や(今私が五感で感じている自分自身の感覚)世界の消滅と強く感じており(この認識を変えようと勉強していると、パニックが起こり‥.の繰り返しです)、いつか消滅するのに今は存在するという状況が、本当に全く理解できないことが引き金になりパニックになります。 存在とは空であり、縁起によって仮に成り立っている、と以前ご教示頂きました。理屈はわかるのです。他にもたくさん仏教について、今までご教示頂いています。 それでも、世界がある、そして自分がいる、自分も世界もいつか消えるという恐怖感には、私の今まで蓄えた知識では到底太刀打ちできないんです。 死の恐怖は、生物の本能として当然だと理解しています。でも、本当につらいんです。恐怖を消してしまいたい。毎日動悸と自分のうめき声で目が覚めて、「生きている!じゃあいつか死ぬんだ!死にたくない!」と絶望するのが、本当につらいです。 生まれなきゃこんなに辛い思いはしなかったはずだと、思わずにはいられません。最後は絶対死ぬのに、生まれるなんて残酷です。 私、どうしたらいいですか。 毎日、自分が世界に存在していることを認識するたびつらいんです。恐怖を減らす為に勉強してるのに、恐怖感は増幅するばかり。 起きていても、眠るのも、目が見えるのも、全部怖いです。それらは全部消滅するものだから。消滅ではなく変化だとしても、「何に変化するのか」わからないことも怖いです。来世があって、虫になったら、今日見た蝉のように踏み潰されるのが怖いです。私はいつか消滅する存在だなんて、理解しようとすればするほど、残酷すぎて怖くて、つらいです。 この、「絶対にわからないことへの恐怖」へ、どうやって立ち向かったらいいですか。もう、本当に、本当に、怖くてたまらないんです。 乱文で感情的で、本当にすみません。以前からご回答にお時間を割いていただいているのに、成長できていなくてすみません。 お時間ある時で構いません。どうか、助けてください。本当にすみません。
初めて相談させていただきます。 少し複雑な環境で育ったのが原因なのか、感情が不安定で何においてもネガティブ…それ故に人に迷惑や心配をかけてばかり、そんな自分を気持ち悪く思ってしまいこれから先、生きていく事が苦痛でしかありません。 苦しいのに泣くことも出来ず、何年も前から何度も何度も死のうとしましたが結局怖くて死ぬ事ができません。矛盾しているかもしれませんが、死ぬのを実行してしまうことも、それを最後まで遂行できないことも何もかも自分を嫌いになる要素です。 どんどん自分を嫌いになります。 学生の頃から精神的な病気もあり、普通になりたいと何度も思いました。 周りに愛されたいという気持ちが強いのは自覚していますが自分がお勧めできないものを人に勧められるわけがありません。 どうやったらこんな自分を好きになれるのでしょうか。
私は世間一般に言われる親孝行ができない娘です。 就職して地元を離れてから、初任給でプレゼントを買ってあげる、誕生日にお祝いを送ったり、何かあれば連絡をする、といったことをほとんどせずに来ました。それどころか、LINEなどで連絡が来ても何日もリアクションができず、放置してしまうこともあります(他の人に対してはそんなことはありません)。 たまに会って食事をするのもとても気が重いです。結婚時は、結婚式を望まれていたと思いますが、私がどうしてもしたくなく理由をつけて行いませんでした。 「そうした方がいい」と思っていても、形だけでも、実行できないのです。 思春期頃にはもう親との会話がままならない子どもでした。 話そうとしても、口が凍り付いたようになってしまい、たどたどしい受け答えがなんとかです。 思いあたる背景といえば、昔から両親が不仲で、父親は私が幼い頃から長く不倫をしていました。婚外子もおります。知ったのは成人してからですが、ずっと夫婦仲は不安定でしたし、父親はよく家に帰りませんでした。一緒に育った兄弟はおりません。 でも両親が憎いわけではありません。私に対しては良い母親と父親でした。細かい不満はあれど、不自由なく育ててくれ、感謝しています。離婚もせず娘を自立できるまで育てたのだから、親孝行されるべきだと思います。 でも、それなら誰かが私の代わりに孝行してくれないか、というひどい気持ちでいっぱいです。 いつか、親が亡くなる日が来るでしょう。満足に孝行しなかったことを後悔するかもしれません。それがとても怖いです。これさえ親を思っての不安ではないことが恥ずかしいです。 私自身が、こんな自分を受け入れられないでいます。孝行ができない自分をどのように受け止め、変えていったらいいのでしょうか。 情けない話ですが何かお言葉をいただけたら嬉しいです。
こんにちは、見てくださってありがとうございます。 初めての質問、長文ですが失礼いたします。 昨年食道がんで父を亡くしてから、思い悩むことが多くなりとても辛いです。そういった負の感情とのつきあい方、折り合いの付け方をご助言いただけたら嬉しく思います。 「思い悩む」の内容は、自分では3種類くらいあると思っています。①父の死自体に対する悲しみ、②今後周りを含め迎える死に対する悲しみ、③周りと比較してしまう思考、です。 ①に関しては、死別までのトラウマです。コロナ禍ということもあり、父は臨終近くまで家で過ごすことが多く、父の咳で眠れなくなったり、血痰が出て夜中に看護婦さんを呼んだり、かん腸で泣き叫ぶ父を励ましたり、とても悲しい記憶が色濃く残っています。当時リモートワークで、仕事先の人にもあまり事情を分かってもらえる人がいなくて、完全に孤立してしまったことから、少し捻くれているのかもしれません。 ②は、これは私も意外だったのですが、今後私が経験したような果てしない悲しみを、ほとんど誰もが同じように経験をするという事実が、悲しいということです。その事実を直視すると、人生には救いがないな、と、思ってしまいます。例えば、私の周りの大切な友達やいまは幸せそうな家庭や生まれたばかりの赤ちゃんだって、いつか大切な人の死を経験するのは同じですよね。親の死に対して「みんな経験することだよ」という励ましワードは良く見ますが、私にとっては、それが、そういう出来事が増えていくことを確信しているからこそ、これから生きていくのが苦しいな、という感情になってしまいます。 ③は、他者との比較を辞めたくても辞められないということです。周りは20代。両親健在な方が多く、羨ましさが拭えません。両親が元気な友達の家庭の話を聞いたり、死と関係のない悩みを聞いては、一人になってから羨ましさで泣いてしまいます。「両親どちらも幼くして亡くしてる人もいる。私は幸せだ。」とか、考えてみるのですが、また人と比較することでしか、自分を慰められていないことに気付いて嫌になります。他ならぬ自分自身が苦しいのだということを認めたいです。 hasunohaやグリーフについての本などを読んで、死別といっても、それに伴う感情は多様で複雑だなと思っています。お時間ありましたら、お言葉いただけたら嬉しく思います。
最近、初めてのアルバイトを始めました。 ですが、仕事内容と覚えなければならないことの量の多さに初出勤から怖じ気づいてしまいました。長く続ける自信も無くしてしまいました。 慣れれば大丈夫と友人や家族に言われましたが、神経質で緊張しやすく物覚えの悪い私はそう簡単にその励ましを受け入れられませんでした。 他にも家族からは、アルバイトでそんなことを言っていたらこの先就職なんてできないと言われました。本当にその通りだと思います。自分は甘えていると思います。こんな自分が恥ずかしいし、情けないです。 最近そんなことばかり考えていて、こんな自分に何ができるのだろうか、生きていても社会のためになるのだろうか、生きていてもどうしようもないのではと考えてしまうこともあります。 とにかく、失敗が怖いです。それに伴って怒られたりすることも…。 失敗しないことはないとわかっていても、したくないです。 私はどう考えたらいいのでしょうか… 文がまぜこぜで申し訳ありません。
いつも相談をさせていただきありがとうございます。 数ヵ月に昨年亡くなった娘の命日を迎えます。その日に私は自分自身がどうなってしまうか、とても怖いです。 娘が亡くなったとき、数日間私は長女の引越の手伝いに通っていました。その日はそんなに疲れていないのに夕方なぜか胸の痛みと息苦しさを感じていました。 しんどいなと思いながらなんとか帰宅していつもどおり夕飯を終えてくつろいでいた夜9時過ぎに、娘の異変を知らせる電話が入りました。 警察署でさまざまな手続きを終えて検死をした医師から渡された死亡診断書に書かれた死亡推定時刻は、私が息苦しさを感じていた頃と同じ夕方5時頃でした。 私の体の不調は娘からのメッセージだったとすぐに思いました。娘は私のことが大好きでした。心や行動が不安定だったときも「いちばんの理解者でいてくれてありがとう」と書いた誕生日カードをくれました。 最期まで私を思っていてくれたんだと思っています。その娘が死を選ぶまで何を悩み何に苦しみ、どんなに絶望をしたのかを思わない日はありません。 そんな中で迎える命日は、きっと朝から「去年のいまごろあの子は…」「この時間にこうしてあげていれば…」と考えるに違いありません。そうして絶命した時間を迎えるとき、私は自分がどうなってしまうのか、正気でいられるのかわかりません。 とても怖いのです。 本当に怖いです。 その時をどう迎えればよいでしょうか。また、それまでに今から私ができることは何かあるでしょうか。
結婚23年目、大学生(20歳男子)高校生(16歳女子)がいます。 先日、躁鬱病だった主人が、精神科を退院した2日後に自ら命を絶ちました。長男が2歳の時に鬱病になり、休職復職繰り返しましたが、結局、娘の誕生後に退職しました。その後バイトと義母の仕送りでどうにか保っておりましたが、主の生活は金融機関の正社員である私の収入でどうにかやり繰りしていました。元々神経質で人を自分のルールに合わせる傾向がありまして、また高級志向な為に家のインテリアや家具、電化製品等主人が決めていて、私の意見は聞いてもらえませんでした。家計事情等、無頓着なので、私との衝突も多かったです。鬱が回復後からは、暴君に拍車がかかり私や子供に厳しくクレーマーになって人様にご迷惑をかけたり、義母からのお金で大変な浪費や、旅行や、しなくてもよい契約をしたり、奇声をあげたりと、心落ち着かない生活を子供達と耐えておりました。 尋常でないテンションの高さに、私が病院に相談に行きまして、双極性障害(躁鬱病)であると診断されました。 子供が受験のときはあまりにうるさくて、彼にお願いして無理して別居してもらいました。 でも躁が抜けて穏やかな時は、私と食事や旅行もしたり決して仲が悪いわけではありませんでした。彼の良いところを認めてどうにか、やっていたように思います。 しかし、昨年に人間関係のトラブルで仕事を辞めてから、ずっと家にいて、何もせず上げ膳据え膳で、私もストレスが溜まり、今年のコロナの頃になったらどんどん鬱がひどくなり、私が仕事中は、自宅謹慎中の子供たちは主人を鬱陶しがり決して良い環境ではありませんでした。死ぬと言う言葉を連発し、ベルトを首に巻いたり、死ぬマネを何度かされてからは恐怖心しかありませんでした。私は疲労困憊してて安定剤飲みながら仕事していました。主人が心配で実家で静養してもらうようにお願いして、実家の近くの病院に紹介状を出してもらってどうにか入院まで進めることができました。 私は、怖さが勝ってしまい、退院しても一緒には頑張れないと思っていました。 連絡もしませんでした。亡くなってから、もっと頑張ればよ良かった、優しくすれば良かったと自責と懺悔の毎日です。主人は私が離れていくことに絶望してたと思います。私は自責しかないです。主人は、ちゃんと安心して成仏出来るでしょうか。気持ちの切り替え方を教えてください。
コロナの件で夫に怒鳴られました。 私は、自分や夫や自分の大切な人達を守りたいと思い、仕事や必要最低限以外の外出はしない、友人に会ったり実家に行かない等、感染しないよう気を付けています。もしかしたら自分も感染しているかも…と考えての行動です。 しかし夫は以前と変わらず、同僚や友人と飲み会等で外出し不安に感じています。 少し前に、夫が自分の実家(私からは義実家)に遊びに行こうと言い出しました。私はこの時期は辞めようと提案しましたが夫は納得しません。 夫の言い分は、仕事は特段変わらず出勤させられており、平日はストレスが溜まり休日くらいは好きなように過ごしたい、義両親は感染していないので大丈夫、ということでした。 義父はしばらく自宅勤務ですが、義母の勤務先で感染者が出たそうで不安に思います。また、私と夫も仕事で多くの人と会うため、万が一義両親に感染させるのは嫌だったので私は辞めようと考えました。 しかし、以前からなのですが、夫は自分の意見を曲げない性格で、それに対して私が口を出しても耳を貸さず一方的に怒るため話し合いが出来ない人でした。 そういう夫の性格はこれまでの生活の中で重々承知していましたが、死に関わると思いどうにか辞めさせたいと思いました。 しかし私は説得しきれず、義母にこっそりと連絡し、断ってもらえないかと依頼しました。義母には夫に内緒にしてもらうよう頼みました。 義母からしても息子が会いたいと言っているのを断るのは心苦しいでしょうし、嫁から面倒な依頼をされて、良い気持ちはしなかったと思います。私もこんなお願いをする自分に対して自己嫌悪になりながら、義母にも申し訳ないと思いながらの行動でした。 結局困った義母は夫に話してしまい、夫から私に対し、なぜこのようなことをしたんだ!義母に迷惑をかけるな!と、ものすごい剣幕で怒鳴られました。これまでにない怒り方でした。 もちろん、こっそりと義母に依頼し裏から手を回そうとした私の行為が悪かったと思います。 しかし、暴言を吐きながら怒鳴る夫に恐怖を覚えました。また、今後も自分の意見を曲げない夫に、怒らせないよう怒鳴られないよう気を遣いながら怯えながら、私はずっと暮らしていくのか?と考えたら、今後どうしたら良いのかわからなくなりました。離婚はしたくなかったですが…今後も一緒にいたいと思えるのか不安になりました。
先日、約2ヶ月間の入院生活を経て、祖父が亡くなりました。祖父は持病があったものの、ずっと元気でした。訳あって私と祖母と3人で暮らしていましたが、洗濯・掃除以外の家事は祖父がやっており、車での送り迎えや、料理など、私の生活の中心に祖父の存在がありました。 突然の脳内室出血により、緊急入院、2週間の間に三回の手術、1ヶ月間の救急病棟での入院生活、その後通常の病棟へ移動、そしてリハビリの病院へ転院し、転院から一週間せずに亡くなりました。 最初の病院へは、ほぼ毎日私がお見舞いに出向き、少しの時間でも祖父と共に過ごしました。小さい頃から祖父母にたくさんお世話になっていた私は祖父が大好きで、両親よりも大切な存在だと考えていました。 そんな祖父が亡くなり、心の底から悲しく、辛いはずなのに、冷静に受け入れている自分もいて、今までとなんら変わらない生活を送っています。 時々、辛くて悲しくてどうしようもなくなり、もう祖父がいない現実を受け入れているようで、まだ全然受け入れられないのだと実感します。というか、色々なことが急に起こりすぎて、全くついていけていないという感覚です。 それでも私の生活は変わらず続いており、時間は流れて、一緒に過ごした日々、病院での生活、祖父が生きていたことすら忘れてしまいそうな気がしてこわいです。 昔から私は家族の前では泣けないし、素直な思いを口にすることもできません。自分が何を思っているのかもよくわかりません。 受け入れられないのに、忘れてしまうのが本当に怖いです。どうやったら受け入れて生きていけますか。なんだか空っぽになった感じがして、自分が自分を生きている感覚がなくて、苦しいです。 普通に生活出来ているということは、本当は受け入れているということでしょうか。 わかりづらい質問ですが、誰か助けて下さい。
私は中学から鬱病です。 絵を描く事芸術が好きです。 死について深追いして見える世界は美しいと思います。それが見える私は、特別だと思ってます。 芸術はそういう世界だと思います。 宗教の世界も似たような美しさを感じます。 病気が治ったらその世界も見えなくなって失ってしまうと思うと怖い。 でも、その世界を見続けていると、 社会に出て生活は出来ないよと主治医に言われてしまいました。自殺してしまうよと、 絵を描く私を捨てて生活する勇気がでません。 それが正しいのかもわかりません。 私は、その感性を捨てて生きていけるのか、 また、その感性を持ったまま生きていけるのか、 本当にわかりません。 社会に出ては、感受性が豊かな私は、色んな事を感じ取り、色んな障害があり、引きこもりに戻る事を繰り返しています。 暗闇に入る事が快感な私を引っ張り上げてくれる親はいつまでも生きてません。 生きる事を教えてくれる親を裏切っていると思うと苦しいです。 私は、死に向かって歩いてると知っても自分の好きな事を通していいのだろうか
乱文お許し下さい。 私は35歳、主人は34歳で、共働きしています。2年前に結婚し、一緒に暮らし始めて1年になります。 生理が不順気味で、年齢のこともあるので、一緒に暮らし始めてからすぐに、不妊治療を開始しました。タイミング、人工受精にトライしましたが、なかなか授からず、医師から「私の体質では妊娠は難しいかもしれない」という宣告を受けました。 主人は「子供がいなくても、2人で楽しく生きていこう」と言ってくれており、不妊治療や家事も積極的に対応してくれます。義両親もとても良い方達で、子供が出来ないことには一切触れません。 私は相当恵まれた環境にいると思います。でも、こんなに優しい主人・義両親を父親・祖父母にしてあげられないことが逆にとても辛く、罪の意識に苛まれています。私がいなくなれば、新しい奥様との間に子供を授かることが出来るのでは、という考えが頭から離れません。「2人で生きていったら良い」という主人の言葉も、私に気を遣っているだけで、本心では子供を望んでいるかもしれない‥という疑念も持っています。 上記の内容と私の心の弱さから、死んで消えてしまいたいという思いが強くなってきています。自死が良くないことは理解しています。それに、死ぬ勇気も絞り出せそうにありません。首を吊ろうとしましたが、怖くて足元の台から降りられませんでした。 命を断つ代わりにと思い、離婚を切り出したら、今まで怒ったことのない主人が激怒してしまいました。離婚するかどうかは、主人に判断を委ねることとして、離婚届を置いて私は家を出ました。 実家へは事情があって帰ることができないので、今はホテルとネットカフェを転々としています。主人は判断に迷っているのか、怒っているのか分かりませんが、連絡はありません。 自殺方法をネット検索し続けている日々が続き、もう限界です。私はこれからどうしたら良いのでしょうか?